「呼び出しからわずか五分で到着とは。気合いは十分のようだね。しっかり休めたかい?」
「それはこっちの台詞なんだけど――ついに来たんですね?」
「ああそうだ」
ついに来た。カルデア内の時計では、2016年もあと残りわずかだ。焼失した2017年はすぐそこまで来ている。それを、解消するためのグランドオーダー。
その長い旅の、最後の旅がはじまるのだ。
そう考えると、遠くに来たものだと思う。本当に。最初はこんな風になるだなんて、本当に考えもしなかった。それでも、ついにここまで来たんだ。
そう感慨にふけっていると、マシュが駆け込んでくる。
「申し訳ありません、二分の遅刻です! マシュ・キリエライト、到着しました!」
「フォーウ!」
? ――なんだろう。どこか、マシュの雰囲気がいつもと違う。張り詰めている?
彼女を見た観察眼が違和を告げる。いつもと違う。
「何かあった、マシュ。なんだか張り詰めているように見えるけど」
「そ、そう見えましたか? すみません、普段の三倍増しの冷水で洗顔してきたのですが……それでも緊張は解けなかったみたいで」
「あら、駄目よマシュ」
マシュの言葉を聞いてアイリさんがそういう。何が駄目なのだろうか。
「洗顔はね、ぬるま湯でするのがいいのよ。冷水で洗顔をするのでなく、ぬるま湯で洗顔後のケアで冷を取り入れるのが効果的なの。女の子ならちゃんとしないと」
「えっと、申し訳ありませんアイリさん、今後気を付けます……」
ええと、この空気をどうしようか。
「え、ええっと、緊張してるって言ってたけど、大丈夫?」
「はい。先輩の一言のおかげで気持ちが晴れやかになりました。まずは、おはようございます、ですよね、先輩」
――ああ、天使だよ。
この後輩は、何度オレを殺せば気が済むんだろうか。
いいよ、もっと殺してくれえええ。
「ますたぁ、わたくしも、おはようございます」
「うん、清姫もおはよう」
「おはようございますです、トナカイさん!」
「ジャンヌもおはよう」
何やら、対抗するかのように、というか、うん、対抗心から、二人もおはようございますをしてきました。はい、朝の挨拶は大切ですが、観察眼と直感と心眼が全部見抜いてます。
「あはは、大変だね。おはよう、今回もよろしくね」
「あ…………ブーディカさん、おはようございます。頑張ります……」
――あかん、意識しちゃうぞ、これ。ブーディカさんはいつも通りだし、オレもいつも通りにしないと。
などと思っていると、清姫とジャンヌがオレとブーディカさんを交互に見て。
「…………何やら、負けた、というか」
「……何かあった、ような?」
いえ、負けてません。大丈夫です。何もありませんでした。
「うんうん、仲が良くて大変結構。気合いは必要だけど、チームワークも大切なものだ。
では、改めて――我がカルデアは本日午前七時を以って、第七特異点へのレイシフト準備を完了した」
残された時間は残りわずかだが間に合ったのだ。最後の特異点。ソロモン自身が過去に送った七つ目の聖杯。それを回収して初めて、オレたちはあの魔術王に挑めるのだ。
思い出すだけで、今も震えそうになる。でも、今度は逃げない。立ち向かう。エドモンから勇気をもらった。みんながいる。
だから、今度こそ、勝つ。今度こそ、オレは、逃げない、立ち向かって見せる。
魔術王だって万能ではない。勝てない道理はない。
「――もう再三のことになるけど、準備はいいかい? 今回も辛い旅になるだろうけど――」
「任せてください。全力を尽くします」
「フォウ、フォーウ!」
「そうだね。――それじゃあ、ブリーフィングを開始しよう」
今回のレイシフト先は、人類史の始まり。
地球全土に於ける各文明の興りたるモノ。
世界がまだひとつであった頃の世界そのもの。
ティグリス・ユーフラテス流域より形を成したすべての母たる文明。
紀元前2600年。古代メソポタミア。
シュメル文明――。
「西暦以前の世界……まだ世界の表面が神秘・神代に寄っていた世界……」
「フォウゥゥ……」
サーヴァントも全員が息をのむ。
特に現代のアイリさんやクロは特にだろう。オレもそうだし。式は……普段通りなのがすごいな。
まあ、それはそれとして、ダ・ヴィンチちゃんが飛び出してくる。特に驚きはない。この管制室に入った瞬間に、管制室にいた全員の居場所は、把握していたから。
なぜか隠れてタイミングを計っていたダ・ヴィンチちゃんだけど、どうせいつ飛び出して良い反応を引き出そうとでもしていたのだろう。
それもわかっていれば問題ない。
「まさしく! シュメル初期王朝期のメソポタミアさ! これはもう、そこに行くってだけで今までの特異点以上の難易度といえるだろう! なにしろ――日常的に神様やら怪物がいた、地球最後の幻想紀なのだからね!」
「おはよう。ダ・ヴィンチちゃん」
「むぅー、なにその反応、つまんなーい。驚きなしとかー」
「いつ飛び出そうかはかってたもんね」
管制室の空調が一斉にダ・ヴィンチちゃんに向かって吹くという大仕掛けまでしておいて、気が付かれないと思っていたのだろうか。
「いえ、わたしは驚きました。管制室の空調までいじっていますし、無駄に凝っていると思います。先輩にも使ってみたいところです」
「では、わたくしはそこに炎を添えます」
「え? え? ええっと、じゃ、じゃあ、私は、プレゼントを添えて華やかに――」
「フォウフォウ……」
なんかフォウさんが心なしか、やれやれとか言っているような。
しかし、マシュさん、やらなくていいと思うんだ。今の季節だと寒いし――ああ、でも、インバネスがはためくし、それはそれでエドモンみたいでカッコいいかもしれない。
……一回だけなら、やってもいいかも。
「はいはい。レオナルド、ボクを追いだして何をしていたのかと思ったらこんなことか。そんな悪ふざけはいいから、頼んでいたものは?」
「むー、みんなしてなんだい。まあ、でもできているとも。そこは当然さ。というわけで、はい、プレゼント」
ダ・ヴィンチちゃんに手渡されたのはマフラーだった。きめ細かく、丈夫な繊維でできている。どうやら、魔術的意味合いがあるようだ。
近いのは、第六特異点の砂漠で作ってもらったマスクに近いようだ。つまりこれは――。
「そうあれの発展型だよ」
――なるほど。
エジプト領は魔力が濃い世界。現代の人間では、あの大気は毒でしかない。サーヴァントならまだしもオレはアウトだった。
だから、今回もということだ。今回の特異点は、あの砂漠よりも古い時代。それだけ魔力の濃さも尋常ではないのだろう。
「最低限のものだけど性能は折り紙付きさ。更に、その眼鏡の補助機能までついている。負担はさらに軽くなると思うとも――まあ、もう君には必要ないかもだ」
「必要ない?」
「なに、なんでもないとも。ともあれは常に身に着けておくこと。防水もしっかりしているからお風呂も大丈夫さ」
「ありがとうダ・ヴィンチちゃん」
「今回は、私も管制室のスタッフだからね。君の存在証明をしっかりと受け持つさ。では、もう少しレクチャーしようか」
メソポタミア文明についてのダ・ヴィンチちゃんのレクチャーが始まる。
メソポタミアという言葉の成り立ち。河の中間という意味のギリシャ語。ティグリス・ユーフラテス河の中間で栄えた文明。
今回は紀元前2600年のシュメル文明初期王朝に行くことになる。
「魔術的視点からいうと、人間が神と袂を分かった最初の時代とされている」
「そうだね。この時代の王が何を想ってその選択をしたのかは知らないが、神々の時代はここで決定的な決別として薄れていき、西暦を迎えた時点で、地上から神霊は消失した。
――ともあれ重要なのはそういうことじゃない」
重要なのは、時代を遡れば遡るほど、レイシフトの難易度が上がるという事。ドクター曰く、時代を遡るほどに人類史というものは不確かになるのだという。
神代の時代は不確定性の時代だという学派もいるように、観測、実測といったものと相性が最悪なのだという。シバも安定しないし、何より安定することが絶対にないのだという。
「よくレイシフト可能な成功率まで引き上げましたね」
「フォウフォウ」
「カルデアスタッフの努力の賜物さ。座標を何とか割り出し、観測を可能とした」
聞くだけでもすごいってわかるな。カルデアスタッフさんありがとうございます。
「今回は最大難易度だからね、私もこっちでお仕事だ。なのでナビゲートに口は出せない。だが、安心したまえ、天才の名にかけて、万能の名にかけて、キミたちの存在証明はパーフェクトにこなしてみせよう。なーのーでー、あとは安心して、現地で西へ東への大冒険を楽しんできたまえ!」
「うーん、イイヨネ冒険。ウルクの女性が楽しみだ。神代の女性なんて、出会えることなんて普通はないからね」
おい、ダビデ。
「おい、全裸、そこまでにしとけよ」
「だから全裸じゃないって!?」
「はいはい、まだブリーフィングの途中だから」
「でも、ダビデ王の言い分も悪いことじゃない」
「ドクター、最低です」
「ちょ、違うからねマシュ!? そういう意味じゃないから!?」
まあ、言いたいことは解る。要は得難い経験をできるという事だ。そもそもこの旅は、得難い経験の連続だ。普通に生活していたら、誰もできないような冒険。
怖いことも多いけれど、それでもそれ以上にきっと素晴らしい出会いや発見があるに違いない。
「得難い経験をして、成長する。きっとキミたちの人生にとって大きな力になるはずさ」
「ありがとうドクターの分までしっかり見つけてくるよ」
「ああ。全てが解決した旅の終わりに、キミが得たものをボクにもちゃんと聞かせてくれ」
「はい、そこーいい話禁止ー」
これから戦いに出るんだから、背中の一つでも張り手で送り出すくらいしろというダ・ヴィンチちゃん。
「ま、いいじゃねえの。気負いがないってのはいいことだ。戦う前から気負ってちゃ、潰れちまうからな」
「クー・フーリン殿の言う通りだ。気負い過ぎれば、つぶれてしまう」
「むー、クー・フーリンとジェロニモに言われちゃうと私が負けちゃうじゃないかー。誰か、私の味方はいないのかい」
「はいはい、遊んでないでコフィンの準備はできているんだからね。時間もないんだ」
ぱんぱんと、ドクターが手を叩いて止めて、いつものコフィンへと向かう。
「ここから先はキミの戦いだ」
コフィンに入る直前で、ドクターがそういう。
「第六特異点は他に類を見ない特殊な条件だったけど、今回はそれと同レベルの困難が予測される。なにしろ、時代が時代だ。何があっても対応できるようにね」
「わかってる。常に冷静に、余裕をもってでしょ?」
「ああ、張り詰めた心は、大きな衝撃で砕けてしまう」
魔術王に会った時のオレのように。大丈夫、わかっているからもうそんなことにはならない。
「多少ふらふらしていた方が生き物はタフって話さ」
「いいお手本が目の前にいるからね」
「いったな、こいつっ」
「いたいいたい――それじゃあ、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………」
先輩がコフィンに入る。皆さんがコフィンに入る。
けれど、わたしは、どうしても一つ疑問がありました。
「ドクター。すみません。一つ質問をしてもよいでしょうか?」
「珍しいね。キミのことだから、もう心の準備はできてると思ったけれど」
「はい。そちらは大丈夫です。なのですが……ドクター。人間に……いえ、生命に意味はあるのでしょうか?」
それは今朝の夢の出来事からの疑問。魔術王が言ったあの言葉。
聞かずにはいられませんでした。
これは、先輩にではなく、ドクターに聞くべきだと思いました。
「うーん、難しい話をしてくるなあ。――でも、そうだね。人間に生きる意味とか、価値とか、そんなものはないよ? 最後までね」
予想外の言葉でした。
ドクターからそんな言葉が出るとは思いもよらず、驚いてしまう。
「……最後まで?」
「ああ。意味なんてものを問いだしたら、それこそあらゆるものにない」
ドクターは言いました。
意味はあるものではなく、あとからつけられるものであると。
「人間なんてものは、意味なく生まれて、育ち、寿命を迎えるんだ。そんな風に終わった時にようやく、その生命がどういうものだったか、という意味が生まれる。
これを、人生というんだよ、マシュ」
人生……。
意味の為に生きるのではなく、生きたことに意味を見出すために、生きる。
ドクターの言葉は、とても素晴らしいものだった。
「――はい、わたしも、そのように生きたいと思います」
たとえ、夢の中の誰かが言ったように、わたしがこの旅の終わりに死ぬのだとしても。
「ありがとうございます。Dr.ロマン。貴方がわたしにかけてくれた全ての言葉に、感謝します」
大丈夫。わたしは、ちゃんとやれます。先輩。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――さあ、コフィンに入ったね。
今回の任務も変わらず、聖杯の回収。時代を特異点化させている原因の究明とその消去。
「これがボクらの最後の旅になることを祈っている。では――レイシフトプログラム・スタート」
――アンサモンプログラム スタート
――霊子変換を開始 します
――レイシフト開始まで あと3、2、1……
――全行程
――第七グランドオーダー 実証を 開始 します
遥かな時代、遥かな過去へと、オレは向かって行く――。
そして、その道の先は――空だった。
いざ神代へ!
きっと素晴らしい出会いが待ち受けている。
だが、女神キラーぐだ男におりべぇがなにか言いたいらしい。
「女神だけはやめとけ。最後は絶対ろくな目に合わない」
経験者は語る。