「――ふぅ。はい、ここまで逃げれば大丈夫かしら?」
「ドクター?」
「反応は消えた。ついでに近くの森に霊脈の反応もある」
「わかりました。ジャンヌさん、えっと、マリーさん」
「まあ。マリーさん、ですって!」
「失礼しました! え、えっと」
「失礼じゃないわ。逆よ、嬉しいの。とっても嬉しいわ。いまの呼び方、耳が飛び出るくらい可愛いと思うの!」
にこにことそういうマリー王妃。
「ねえ、これからもそう呼んでくださる?」
「は。はい、マリーさんが、それでいいなら。そうですよね、先輩」
「あ、ああ。えっと、はじめまして、マリー、さん」
「はいはい! はい、初めましてマリーさんです! ふふ、話の早い殿方は好きよ。彼、かなりおモテになるのでなくて?」
「…………マリーさん。お話をしてもいいでしょうか」
「ええ、ごめんなさい。わたしったらひとりで盛り上がっちゃって。はしたないわ。それで、ご用事は何かしら?」
この近くに霊脈が発見されたので、拠点とするためにそこへ向かうことを提案する。
「わたしはいいわ。あなたは、アマデウス?」
「僕に意見を求めるだけ無駄だってば。君の好きにすればいいのさ、マリア」
「私も、問題ないです」
「オレもだ」
全員の賛同を得ることが出来たので、ドクターが探知した霊脈へと向かう。そこで腰を受け付けて、これからのことを話すのだ。
「では、召喚サークルを確立させます」
召喚サークルを確立させる。マシュが盾を霊脈の上に置く。しばらくして、サークルが確立された。
「これで終了です」
「こっちも魔除けのルーンやらを設置完了だ。ここはそう簡単にはバレねえはずだ」
これで安全。それを聞いて、僕はようやく、息を吐いた。張り詰めていたせいか、全身に痛みがある。細かいが、サーヴァントたちの戦闘の余波による細かい傷もあるようだった。
「お疲れさまです、先輩。お水は如何ですか?」
「ありがとう、貰うよ」
「細かい傷があるが、まあ、その程度なら大丈夫だ」
「治療はしないんですか、クー・フーリンさん」
「ああ、この程度なら自分で治した方がいいだろ。これからのことも考えれば、慣れた方がいいしな」
「ですが」
「大丈夫だよ、マシュ」
それほど大きい痛みというわけではないから。この程度なら大丈夫。もっと大きなけがの時に治療してもらうことにする。
「そうですか? わかりました。先輩は礼装による治療魔術がまだ使えませんし、危険なときはすぐにクー・フーリンさんに治療をお願いしましょう」
「うん、そうだね……」
何とか生き残った安堵の方が大きい。水を飲めば、どれほど喉が渇いていたのかわかる。しみわたるように水が全身を巡っていくのすら感じられる。
多少気が晴れたが、気分は重いままだ。焼ける死体、食われる死体、ワイバーンの襲撃。何もかもが、僕というものを押しつぶそうとする。
「いいかしら?」
「マリーさん?」
「お話をしましょう? 考えるよりも、まずはね。じゃあ、まずは改めてわたしはマリー・アントワネット。クラスはライダー。よろしくお願いいたしますね。召喚された理由は……わかりません! マスターがいないんですもの」
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。僕も、彼女と右に同じ」
マリー・アントワネットに、モーツァルト。有名どころに会えるなんて、と普通ならば感動だったが、そんなことすら感じる余裕がなかった。
「本当、なんで僕なんかが呼ばれてるんだろうね。僕は英雄なんかなじゃくて、ただの芸術家の一人にすぎないはずなんだが……」
「わたしは、マシュ・キリエライトです。デミ・サーヴァントです」
僕も名乗る。
「よろしく。僕と同じ非戦闘系だ。よろしく」
なんでかなれなれしく握手された。
「クー・フーリン。名乗るほどの者でもねえ。今は、キャスターとして現界してる」
「私は、ジャンヌ・ダルクと申します」
「ええ、お会いしたかったわ。救国の聖女、とてもお会いしたかった人です」
「私は……聖女ではありません」
「ええ。貴女自身がそう思っていることは、みなわかっていたと思いますよ。けれど」
――けれど、彼女の生き方は、真実だった。
その結果は誰もが知っている。
ゆえに誰もが覚えている。忘れることはない。
現代にまで語り継がれるオルレアンの奇跡を。
ジャンヌ・ダルクという聖女の名を。
「はは。またマリアの悪い癖が出ている。マリア、君は本当良い面しか見ない。ジャンヌ・ダルクとて、完璧な聖女などと呼ばれたくはないだろうし、君は他人をその気にさせ過ぎる。たまには相手を叱って否定することも大切だよ」
「そ、そんなこと、アマデウスに言われなくてもわかっています! こ、こうすればよろしいのでしょう! この音楽バカ! 音階にしか欲情しなくなった一次元フェチズム! そんなにあの楽譜が恋しいなら、いっそ音符にでもなったらどう!?」
「……ぉぉ……なんというか、君に罵倒されると、何とも言えない感情が湧きあがるなぁ」
――なんだ、これ……
いや、本当、なんだこれは。今さっきまで、決死の戦いをしていたはずなのに、どうして今、こんなアホな会話をしているんだろう。
ふざけていいはずがないのに、どうしてこう、ふざけているのだろう。
「だが、まあ、やればできるじゃあないか。さすが、マリア。そんな感じで、ジャンヌにもかましてあげなさい」
「ノン。それは無理よアマデウス。貴方のような人間のクズには欠点しかないけれど、ジャンヌには欠点なんてないのだもの」
あまりの言い分にアマデウスは絶句した。
「――本気か。これは重症だ。まさか、ここまで君がジャンヌ・ダルクが好きだったなんて……」
「好きというか、信仰よ。あとは、うしろめたさかしら」
愚かな王族が抱く、小さな小さな、聖女への当然の罪悪感。それくらいだ。
それはつまり、大好きということなのではないだろうか。
そう思ったが、口には出さない。それを言えるだけの余裕もなかったが、ジャンヌが告白を始めたからだ。
生前の自分は聖女などではなかった、と。
ただ、信じたことの為に旗を振り、己の手を血で染めてきたのだ、と。
そこに後悔などあるはずはない。夢を信じて駆け抜けたことに、なぜ悔いがあるのだろうか。
異端審問での拷問も、凌辱も、何一つ、恨みはない。後悔はない。
ただ、あるとすれば。
「私は、私の夢が、どれほどの犠牲を生むのかを考えもしなかった。それだけが――」
それだけが、罪深いと嘆いている。
だから、こんな小娘に憧れる必要などないのだと、ジャンヌは言う。
けれど――。
「そう、聖女ではないのね。それなら、貴女のこと、ジャンヌ、って呼んでもいいかしら!」
「え……?」
アマデウスがああ、始まった、と天を見上げて顔を覆う。だが、唯一隠されていない口元は、笑っているように見えた。
「え、あ、ええ、そう呼んでいただけるのであれば、なんだか懐かしい感じもしますし」
「良かった。それなら、貴女も、わたしをマリーと呼んでね? だってそうでしょう?」
聖女が聖女でないのなら。
王妃だって王妃じゃない。
ただのジャンヌとただのマリー。
お友達になれるじゃない。
「は、はい! では、遠慮なく……ありがとう、マリー」
「いいえ、いいの。それとごめんなさい。わたし、自分の気持ちを押し付け過ぎていたわ。何も知らなかったわたしと同じなのに。
でも、やめるわ。わたし、ジャンヌをすっごく、えこひいきしたいけど、それはぐっとこらえます。一方的に信じるんじゃなくて、一緒に手を取り合って頑張りましょう! これが、女友達の心意気よね、アマデウス!」
「そうだね。僕は友達がいないから、僕に聞かれても困るんだけど。いいんじゃない? 女友達の心意気とか、スイーツな響きで、大変空虚だ」
「わたしたちも信じていますよ、ね、マスター?」
「あ、ああ、もちろん」
「ふふ、心強いです」
「では、事情を説明しましょう」
和気藹々と自己紹介が終わったところで、こちらの事情を話す。この特異点のことのみならず、この世界に起きている未曽有の危機について。
「わかりました。まさか、フランスだけでなく世界の危機なんですね」
「マスターなし、なんて状況だけでも危険な音ばかりだというのに、ここに来てさらに予想以上の危険な音が追加とは。これ、ハーモニーは大丈夫なのか。あまりにもサーヴァントが多すぎるようだけど」
あの時、相対していたサーヴァントは五騎。こちらを含めると10騎になる。本来の聖杯戦争であれば、召喚されるサーヴァントは七騎のみだと聞いている。
だから、異常事態なのだが。
「あ。わかったわ。わたし、閃きました」
「なにをでしょう」
「こうやって、わたしたちが召喚されたのは――英雄のように、彼らを打倒するためなのね!」
「本当に?」
本当に、彼らは信用していいのか。どうして、やつらと同じじゃないといえるのだろう。今こうしているだけで、いつこちらに襲い掛かってくるのかわからないじゃないか。
「大丈夫。そんなに怖がらなくてもいいわ。だって、わたし、生前と変わらず、みんなが大好きなんですもの」
屈託なく笑ってそう言い切るマリーさん。
そんなことで、と思ったが、確かにそうだろう。人が好きだというのなら、世界を滅ぼそうとすることはないし、仮に世界を滅ぼそうとするのなら、そんな感情は邪魔にしかならない。
これが嘘の可能性もあるが、彼女の屈託のない笑顔を見たら、そんなことがないとわかってしまう。あんな無邪気で無垢な笑顔をする人が、嘘なんてつけるはずがない。
「まあ、それはいいけど。相手は強いよ、マリア。彼らはまだしも、僕らなんて、戦いに慣れているどころか、汗を流すタイプでもないだろう」
本来は、作曲家と王妃だ。こんな戦いになんて慣れている方がおかしいのだ。
頭数は同等と言っても、戦力差は絶望的。
ヴラド三世は、英雄として歴史に名を刻んでいるし、エリザベート・バートリーの方も殺人鬼としてその名を刻んでいる。
どちらも荒事には慣れていることから、こちらとは大きな差になる。
「そういえば、セイバーは、マリーさんの知己のようでしたが……」
「……そうね。もし彼女がわたしのことを知っているとすれば……シュヴァリエ・デオンではないかしら」
「デオン?」
「説明するよ。シュバリエ・デオン。ルイ十五世が設立した情報機関の工作員だ」
スパイであり、同時に
「味方に、ならないかな?」
恐ろしい敵を何とか減らせないかと提案する。マリーさんと関係があるのなら、説得できるのではないかと思ったのだが。
「いいえ、それは無理でしょう」
ジャンヌが否定する。
なぜならば、彼らは狂化を付与されているからだ。属性、伝説の有無に関係なく、あらゆる全てを破壊するだけの狂った戦士にされているのだとジャンヌは言った。
「聖杯による狂化の付与……そんなことまでできるのか」
「むぅー。ずるいわ。聖杯戦争なのに、相手は最初から聖杯をもっているだなんて! 不公平だわ!」
「ですが、おそらくそのおかげで、マリーさんたちが召喚されたのでしょう」
聖杯戦争は聖杯を奪い合うもの。だというのに、最初から聖杯が手に入れられているという矛盾。それでは因果が逆転している状況に対して、聖杯そのものが対抗するために召喚しているのではないか。
相手が強大なほど反動は大きくなるだろう。そのために、このフランスにはまだまだ召喚されたサーヴァントがいる可能性がある。
それがこちらの味方になるのかは不明であるが、敵であるかも不明だ。なんであれ、戦力が増えることは歓迎したいところだった。
「だったら、急がないとね」
もし、その召喚されたサーヴァントが敵に見つけられでもしたら、無事で済むとは限らない。それが善良な者であればあるほど反発し、敵と戦い倒される可能性があるのだ。
「そうなると、ドクターが頼りですね」
「ああ、任せてほしい。さすがにルーラーの全力には及ばないが、サーヴァントの探知範囲を上回ることは可能だ」
方針は決まった。サーヴァントを探して、味方にする。敵よりも早く。
もし敵に彼らが見つかってしまえば、どうなるか。
急がなければならないだろう。
「さあ、そうと決まったらしばらく休みましょう! 皆、疲れているでしょうし」
「そうですね。マスター、しばらくお休みください。周囲は、わたしたちで見張りますから」
「うん、ありがとう」
また横になる。
今夜も眠れそうにない。
眼を閉じれば、今も、地獄がそこに広がっているから。眠れない。眠れない。眠れない。
それでも、眼を閉じて、必死に眠ったふりを続ける。みんなに心配をかけるわけにはいかない。
――最後のマスターだから。
――僕しかいないから。
――何かのひび割れる音がしている。
「見回りに行ってきます。ジャンヌさんは、ここで待機してください」
「フォウフォウ!」
マシュが見回りに出る。
そのあとで、マリーがジャンヌへと話しかける。
「気が抜けているようだけれど、お疲れかしら? それは駄目よ、疲れたのなら休まないと。マスターと一緒に寝てはどうかしら!」
「いえ、そういうわけでは。私も、サーヴァントですし」
「そう? では、フランスを見てがっかりしてしまったのかしら」
「気遣いをありがとうございます。そういうことではありません。ただ……見慣れた街が燃えるのは……」
「そう……わかりました。では女子会トークをしましょう!」
どうしてそうなったのだろうか。よくわからない。
だが、それはジャンヌも同じようだった。それに対して、マリーは、全盛期で召喚されたからと答えた。
「だって、そうでしょう? 全盛期、わたしは思春期真っ只中! 恋とか愛とか、大好きでたまらないのです!」
「あはは……そうですね。ですが、難しいです。慈愛はしっていても、恋はわかりません」
「そんな……それは人生の十割を損しています!」
損しすぎではないだろうか。十割、全部じゃないか。
「今からでもおそくありません。恋をしましょう、ジャンヌ!」
「ええ、機会があれば。そういうマリーは恋をしたの?」
「もちろん。七歳の頃、プロポーズをしてくれた男の子に恋をしました。
十四歳の頃、結婚した王に恋をしました」
彼女の人生は愛の人生だ。
十四歳、僕は何をしていただろう。
「私が十四歳の時は、友人と山や畑を駆け回っていました。恋はありませんでしたが、友情はありました。とても、楽しい日々だった」
「楽しそう! どこまでも自由だなんて! モテモテだったのかしら?」
「うぅん……当時の私は、髪が短かったので、男っぽいあつかいだったような――」
彼女たちの楽しい話は続いて行く。
色々な話をしていた。
聞く人が聞けば、きっととても感動するに違いない。
「――でも、君はそうじゃあないんだね。いいや、そうなんだろうけど、余裕がないんだろう」
ふと、頭上から声がする。アマデウスが、小声で話しかけてきていた。
「…………」
「眠っているのかい。それとも起きているのかい。まあ、どちらでもいいし、これは僕の独り言さ。隠し事が下手な君へのね。
言っても聞くかわからないし、どちらかというと絶対に聞かない気がするけれど、もう少し楽に行きなよ。自分は自分にしかなれないんだぜ? だから――」
アマデウスが何事かを言い終わる前に、
「――すみません! 敵襲です!」
マシュがキャンプに駆けこんでくる。
「ああ、最悪なことにサーヴァント反応! 気を付けて!」
「マスター!」
「ああ、わかってる!」
飛び起きて、やってくるサーヴァントに備える。
「やれやれ、嫌だねぇ。あんな無粋な音を聞くより、マシュやマリーの呼吸音やいろいろな生体音を聞いていたほうがいいというのに。まあ、今まで聞いた分は、ちゃんと
「………………変態、サーヴァント……」
「マシュ、ごめんなさいね。でも、怒らないで、彼からあの耳をとりあげてしまったら、変態性しか残らないもの」
「いやいや、何を言うんだい」
――人間なんてものは、総じて汚いじゃないか。
アマデウスはそう言った。
どうやったって人間なんてものは最初から汚れているものだ。その事実から目をそらさずに向き合ってこそ、音楽というものは完成しる。
人生なんてものは、汚濁だ。だからこそ、音楽はそれを洗浄できる唯一のもの。
「だから、いいのだろう、音楽ってものはさ」
「――そうね。そういうこともあるかもしれないわね、こんばんは、皆さま。寂しい夜ね」
現れるサーヴァント。十字架の杖を持った女。
「――何者ですか!」
「何者……? そうね。私は、何者なのかしら。聖女たらんと己を戒めていたというのに。こちらの世界では、壊れた聖女の使いっ走りなんて。ああ、まったく困ったものね――でも、それは仕方がない。サーヴァントである以上は。
でも、最後に残った理性が囁く。貴方たちを試せと。だって、そうでしょう。あなたたちが挑むのは、竜の魔女。究極の竜種に騎乗する、災厄なのだから」
彼女の背後に現れる亀のような存在。だが――あれはわかる。あの覇気は、まぎれもなく竜だ。ワイバーンと同じだが、異なる圧倒的な覇気。
「さあ、私を倒しなさい。私を倒せないのならば、もとより竜の魔女になんて勝てはしないのだから――我が真名はマルタ。さあ、行くわよ、タラスク!」
「GRAAAAAAA――!!」
竜種の咆哮。ドラゴンライダーたる彼女の力がここに顕現した――。