戦闘は終わった。
被害は大きいなんてものじゃない。ほとんど壊滅に近い打撃を受けてしまっている。
負傷者、死傷者、何もかもが多すぎる。
現実感が薄すぎる。
なんだ、これは。本当に現実のことなのかわからない。
だが、全身にまとわりついた油分が、煤が、血が、それが現実なのだと教えてくれる。知りたくないのに、眼を背けるなと言わんばかりに。
膝から崩れ落ちそうだ。
「フォウ、キュゥ」
「…………」
フォウさんが、僕を慰めるようにすり寄ってくる。それに応える余裕等あるはずもない。もう休みたかった。気持ちが悪い、頭が痛い、吐き気が止まらない。
ぐるぐる、ぐるぐるとリフレインする悲鳴と慟哭と怨嗟が、脳髄を蹂躙している。
「そんな、貴女は――いや、おまえは! 逃げろ! 魔女が出たぞ!」
そんな時、声があがる。
「え、魔女――?」
助けてくれたはずの存在にフランス兵は魔女と吐き捨てていた。
「…………」
彼女は何も言わず、憂いを浮かべてその言葉を受け入れている。そして、こちらに気が付くと、こちらに声をかける。
「あの、ありがとうございます」
それはフランスの兵士たちを救ったからだろうか。そんなお礼を言われることなどしていない。
「そんな、お礼を言われることじゃ、ないです」
「いいえ。それでも、私は感謝します。私は、ルーラー。サーヴァント、ルーラー。真名を、ジャンヌ・ダルクと申します」
「え――」
ジャンヌ・ダルク。彼女はそう名乗った。魔女になったはずの、このフランスを滅ぼそうとしている名前を。
「詳しい事情は後程お話しします。……彼らの前で、話すことではありませんから。どうか、こちらに来てください。お願いします」
「……先輩、どうしましょう」
「さて、虎穴に入らずんば虎子を得ず、っていうが、どうするよ、マスター」
どうもこうも、着いて行かなければ情報は手に入らない。ならば、行くしかないのだ。どのみち、選択肢などほとんどありはしないのだから。
「ついて行こう……」
「ボクも賛成だ。彼女は、今は弱まっているようだけれど、サーヴァントだ。少なくとも敵ではないのならついて行ってみよう」
ドクターの賛同もあって、僕たちはジャンヌについて森へと入る。森の奥、開けた場所へとやってきた。もともとは軍の野営地でもあったのだろう。
水場と火を扱うことができる場所がある。ここならばゆっくりと話すことができるだろう。
「アンサズ――っと、で、こっちに魔避けのルーンを刻んで、良し。これで安全だ」
「ありがとう。クー・フーリン」
「ありがとうございます。これで落ち着けます。――まずは、貴方たちのお名前を聞かせてください」
言われた通り、僕は名乗る。
「わたしはマシュ・キリエライトです。先輩のサーヴァントです」
「オレは、まあ、真名を隠す必要はねえか。クー・フーリン。ま、よろしく頼むわ」
「この聖杯戦争にも、マスターがいるのですね。それに、ケルトの大英雄まで……二騎のサーヴァントを従えるとは……」
「はい、先輩はすごいのです」
――全然そんなことはないよ、マシュ。
誇らしげに言うマシュに、何も言うことはできなかった。
「ですが、わたしはデミ・サーヴァントにすぎません。また、この事態は聖杯戦争とは別のことになります」
「デミ・サーヴァント……? それに、ただの聖杯戦争ではない……」
「正規の英霊ではないのです。御存じありませんか?」
「……そうですね。まずは、そこからハッキりさせておくべきでしょう」
ジャンヌは、サーヴァントであり、ルーラーというエクストラクラスである。聖杯戦争を監視し、聖杯戦争を守るためのクラス。
だが、本来与えられるべき聖杯戦争に関する知識の大部分が今、存在していない状態にあるのだという。それどころか、知識だけでなくステータスも、スキルですら低下している始末。
「じゃあ、竜の魔女について、何か知りませんか?」
「……私も数時間前に現界したばかりで、詳細は定かではないのですが……」
どうやら、今、この世界には二人のジャンヌ・ダルクがいるのだという。一人は今、目の前にいる彼女。もう一人は、フランス王シャルル七世を殺し、オルレアンにて大虐殺を行っているという。
「それは、同時代に同じサーヴァントが二体召喚されたということでしょうか……?」
マシュが当然の疑問を口にする。それ以外に、この事態に説明がつかないからだ。
「まあ、聖杯戦争だ、何が起きるかわからねえ。そういうこともあるだろうさ」
「ミスタ・クー・フーリンの言う通りだ。そういう事例もあるかもしれない。だから、そこを考えるよりは、確定したことを話そう。
シャルル七世が死に、オルレアンが占拠された。これが、この特異点において人理を破壊している原因。ボクたちが修正すべき事柄だろう」
なぜならば、それはフランスという国家の破壊だからだ。
ドクターの説明によれば、フランスという国は人間の自由と平等を謳った初めての国であり、多くの国がそれに追従した。
自由と平等。その権利が百年遅れるだけでも、文明はそれだけの期間、停滞する。もしも認められないという事態に陥ってしまえば、いまだに人類は中世と同じ生活を繰り返していた可能性すらある。
「声だけが、聞こえる……今のは魔術ですか? 貴方たちは一体――」
「おっと、推論だけ先に言ってしまった。はじめまして、聖女ジャンヌ・ダルク。ボクは、ロマニ・アーキマン。みんなからはドクターロマンと呼ばれています。三人のサポートをしている者です」
「なるほど、ロマン。夢見がちな人なんですね!」
この人、天然なのかな?
「失礼しました。マドモアゼル・ジャンヌ。次は、我々の番ですね。わたしたちの目的は、この歪んでしまった歴史の修正です。
――カルデア。わたしたちは、そう呼ばれる組織に所属しています」
マシュがジャンヌに事情を説明していく。全てを聞き終えた、ジャンヌの顔は険しいものになっていた。
「世界そのものの焼却とは……。そんな事態だというのに、私は、小さな悩みなどを抱いてしまって……。ですが、今の私は――」
「フォウ?」
「サーヴァントとして万全ではなく、自分でさえ、自分を信用できずにいるのです」
その理由は、オルレアンを支配している、
であれば、あのワイバーンは人為的に呼び出されたものになる。誰が呼び出して、誰が操っているのか。その答えはフランス兵が言っていた言葉にある。
――竜の魔女。
彼らはジャンヌのことをそう呼んでいた。導き出される結論は一つだ。
ワイバーンは、オルレアンにいるジャンヌが操っている。
「どうやって操っているのか。私は、生前、思いつきもしませんでしたし。竜の召喚は最上級の魔術。まして、是だけの数」
現代でも、過去の魔術でも不可能。
「そうなると、ますます聖杯が関わっている可能性が高くなってくるわけだ。憶測でしかないが、ボクらも他人事じゃなくなってきたね」
「そうですね。まだ、憶測でしかありませんが、ある程度の把握はできたかと思います。マドモアゼル・ジャンヌ。貴女はこれから、どうするのですか?」
「目的は決まっています」
オルレアンへ向かい、都市を奪還し、すべての元凶たるジャンヌ・ダルクを排除する。
「主からの啓示はなく、その手段は見えませんが、ここで目を背けることはできませんから」
――ひとりでも戦うというのか。
それは、なんて――まぶしいんだ。
まぶしすぎる。やはり、彼女は、英雄なのだなと思い知らされる。
「マスター、ドクター、わたしたちの目的は彼女と合致していると思います。今後のことなのですが、彼女に協力する、というのはどうでしょうか」
「ボクとしては異論はない。あとは、マスターがどうするかだ」
最終決定は、僕だった。
――わかっているよ。
――そうするしか、ないじゃないか。
それ以外に方法などない。
いい考えなど浮かばない。
だから、やるしかない。
――何かがひび割れている音がしている。
「……協力するよ。よろしくお願いします」
「そんな……よろしいのですか……いえ、こちらこそお願いします。本当に、ありがとうございます。どれほど、感謝しても足りないほどです。貴方たちとともに戦えるのならば、きっと竜の魔女にも勝てるでしょう。
ですが、まずは情報収集を。このまま突撃しても、竜の魔女には勝てませんから」
「そうだね。まだボクらには拠点もない。魔女ジャンヌ――いや、黒ジャンヌのことも何も知らない」
情報は力だ。知っているのと知らないのでは大きな違いだろう。
「それに、戦力を集めることは重要だ。今のままじゃ勝てないというのなら、勝てるだけの戦力を集めないと」
「ドクターの言う通りだ。おい、聖女さんよ、オレらのほかにサーヴァントの反応はあったか? ルーラーってんなら、わかるだろ」
「申し訳ありません、光の御子殿。ルーラーが持っているサーヴァントの探知機能も、今の私には使用不可なのです。今では、通常のサーヴァントと同じようにしか知覚できません」
「なるほど――いや、待て。なら、黒ジャンヌの方はどうだ」
「――! 確かにもう一人の私――黒ジャンヌもサーヴァントならば、クラスはルーラーのはず。その場合、我々の居場所は、即座に感づかれる……いつでも戦う準備は必要です」
「なら、街での情報収集は最小限にした方がいいだろうな」
詳しくはわからないが、ルーラーというのは、サーヴァント感知能力に長けているらしい。どこにいても気が付かれる可能性がある。
「明日の早朝には出発しましょう」
長く一か所に留まれば相手に気取られる危険性が高いからだ。
「マスター……とお呼びしますね。マスターは人間ですし眠ったほうがいいでしょう」
「……そうするよ……」
「はい、おやすみなさい」
そういって、横になる。
「彼は、眠りましたか?」
「ええ、慣れない野宿でしょうに、意外とあっさり」
――違うよ、マシュ。
眠ったわけではない。寝たふりだ。
「…………そう、ですか」
眠れるはずがないじゃないか。どうして、眠れるというんだ。眠れるはずがない。だって、そうだろう。
この耳には、悲鳴が、慟哭が、怨嗟がこびりついて離れない。
この目には、凄惨な光景が、地獄が、魔女の窯の底が、焼き付いて離れない。
この鼻には、腐臭が、ヒトの焼ける臭いが、炎の臭いが、油のにおいが、染みついて離れない。
眠れるはずがない。目を閉じれは、再生される阿鼻叫喚の光景。それが、反芻される。リフレインするそれは、悪夢以上に悪夢だった。
疲労、痛み、魔力消費。あらゆる全てが睡眠を欲している。だが――眠れない。眠りたくない。眠ってしまったら、悪夢を見る。
横になっただけだった。幸い、三人の話を聞くことができるから、それが終わるまでは眠れないで済む。三人はジャンヌがまだ話していないことについて、話していた。
「実は、私というサーヴァントの召喚が、不完全だったせいでしょうか。あるいは、生前の私が数日前に死んだばかりだからでしょうか。今の私はサーヴァントの新人のような感覚なんです」
「新人、ですか?」
「はい」
英霊の座には過去も未来もない。だが、その記録にすらジャンヌは触れることが出来ず、サーヴァントとして振る舞うことが難しい。
「だから、まるで生前の、初陣のような、感覚で……私に救国の聖女であることを期待されても、私には、その力はありません……ですので、その……私の方こそ、貴方方の足手まといになるのではないか、と」
「それならば大丈夫です」
「え……?」
「わたしも初陣みたいなものですから。同じです。それにデミ・サーヴァントでもあります。英霊としての力を全て発揮できているわけではありませんから」
「なに、アンタらはよくやってる。英霊のオレが言うんだから、気にせず、いつも通りやりゃあいい。ここにはマスターがいるんだからな」
「ありがとうございます。明日からよろしくお願いします」
話はそれで、終わった。
そして、朝になる。
「おはようございます。先輩。よく眠れましたか?」
「うん、おかげさまでね」
結局、朝になった。眠れていない。全然、眠れていない。眠さは、薬を使って騙す。今日から、本格的に動くのだ。眠そうにしていたら駄目だ。
「さあ、行こう」
朝日を浴びる。清々しい朝には程遠く、体は痛む、心が痛む。
止めたい、逃げ出したい、帰りたい。
――だが。
やめることはできない。逃げることはできない。帰ることはできない。
僕しかいないから。
――何かがひび割れる音がしていた。