――楽だな。
感覚が壊れてしまったのだろうか。戦うことは恐ろしいはずなのに、彼らと戦うことは恐ろしくない。何をされているかがわかる。指示ができる。
それがこれほどまでに楽なことだとは、思いもしなかった。
「死傷者0。先輩の的確な指示のおかげです」
「おう、やるじゃねえの」
「いや、たまたまだよ」
僕は知っている。
サーヴァントではないから。ただのひとだからこそだと。慢心してはいけない。いいや、慢心するほど、強くないのだから。
「ともかく、逃げたフランス兵を追うんだ。ここで何が起きたのか調べないとね」
ドクターの言葉に従って、フランス兵を追うと砦が見えてきた。酷いありさまだった。外壁はまだ無事だが、砦と呼ぶには、あまりにも無惨だった。
――何が、起きたんだ、これ……
「おかしいです」
「なにがおかしいんだ、嬢ちゃん。戦争なんだ。負けりゃあこうもなる」
「いえ、戦争なのですが……1431年には、フランス側のシャルル七世がイギリス側についたフィリップ三世と休戦条約を結んだはずなのです」
休戦条約。確かに、その通りならば戦争は起きていないはず。この光景はありえないということ。
どこもかしこも負傷兵ばかり。凄惨な血の臭いに吐き気がする。初めて感じる鉄の臭い。これが血。命が流れ出す臭い。
吐き気がする。吐き気がする。吐き気がする。
感じるのは嫌悪感で、想起されるのはここで起きたであろう悲惨な出来事ばかり。考えないようにしても、何がこれほどまでの被害を出したのかと思わずにはいられない。
そうして感じるのは恐怖だった。この砦に蔓延する恐怖が伝染する。
「ひぃ、お、追って!」
「ま、待ってくれ! オレたちは、敵じゃない!」
「て、敵じゃ、ない?」
「わたしたちは敵ではありません。旅の者です。あなたがたに危害を加える気はありません。どうか、武器を置いて下さいムシュー」
「敵では……ないのか……?」
思ったよりも彼らは簡単にこちらの言葉を信じた。どうやら、疑うだけの気力がないようだった。
「どうしてそのようなことに……シャルル七世は休戦条約を結ばなかったのですか?」
「シャルル、王……? 知らんのか、アンタ……王なら、死んだよ……魔女の炎にやかれたんだ……」
「死んだ? 魔女の炎?」
「ジャンヌ・ダルクだ……あの方は、龍の魔女となって甦ったんだ……イングランドは、とっくに撤退したよ……だが、……俺たちは、どこへ逃げればいい?」
故郷からは逃れられない。
ここで生き、ここで死ぬ。
ゆえに、どこにも逃げる場所などありはしない。
「ジャンヌ・ダルクが、魔女?」
そんなことありえるのか? ジャンヌ・ダルクと言えば、僕でも知っている。
ジャンヌ・ダルク。
救国の聖女。オルレアンを救ったとされる、まぎれもない英雄。
火あぶりの刑にされたはず。
「はい……先輩も知っての通りです。彼女が投獄されてからは火刑に至るまでの日々は……あまりにも惨い拷問と屈辱の日々だったそうです」
それでも、彼女は屈しなかった。名誉は回復され、聖人へと迎えられた。
それが、なぜ、竜の魔女に。疑問は尽きないが、その竜の魔女がこの特異点における異常であることに間違いはないだろう。
「魔力反応だ」
「ああ、こっちも感じた。マスター、嬢ちゃん、構えな。敵だぜ」
「骸骨兵だ。さっきまでと違って、暴れていいぞ三人とも」
「了解です、ドクター。マスター、指示を!」
「――ああ」
骸骨兵。気味の悪い骸骨。
「はあ……はあ」
戦闘の緊張感。息苦しい。
――その時、ぽんと肩に手がおかれた。
「落ち着けよ、マスター。あんなもんは雑魚もいいとこだ。嬢ちゃんとオレを信用しな」
「……わかった」
「……今は、それでいい。行くぜ、嬢ちゃん!」
「はい!」
マシュが駆ける。迫りくる骸骨兵へ向けて。
「さて、嬢ちゃんが前衛、オレが後衛だ。マスター、アンタがやることは、嬢ちゃんにどいつから倒すかを指示をすることだ」
「あ、ああ」
「オレに対しては、どこを狙うかだ。嬢ちゃんとは逆側を狙うのがいい。ひとりだと面倒だが、今、オレらは三人だ。マスターが見るだけで、オレたちへの負担はかなり軽くなる。
なにせ、マスターの指示がある限り、周りへ割く気が減るからな。なあに、気張る必要はねえさ。気楽にな」
「わかった――」
クー・フーリンに言われた通りに見る。骸骨兵の軍団は、理路整然としているわけではない。ムラがある。それは、骸骨兵の損壊具合であったり、体格によって進軍速度に大幅にムラが出来ている。
魔術的、少量の魔力によって駆動する骸骨兵は、様々な要因によって一律とはいいがたい。ゆえに、まず狙うべきは突出している部分。
突出した敵兵へ向けてマシュを誘導する。
「はい!」
全力の移動。ただ一瞬にして視界から消えたようにマシュが敵兵の前へと踊り出る。
「はっ!」
盾の一撃が振るわれ、骸骨兵が砕け散る。サーヴァントとしての膂力にかかれば、この程度の敵は容易い。
だが、それだけでは終わらない。
骸骨兵が持つ武器は剣や槍、そして弓だ。離れた位置、マシュを狙える位置に骸骨兵がいるのが見えた。
「クー・フーリン」
「任せとけ。――それでいい。冷静に観察しな、それができるのなら、それは紛れもなくアンタの武器だぜ! ―
中空に刻まれたルーンが効果を発揮する。
アンサズ。炎を司るルーンが効果を発揮し、射撃体勢に入っていた弓骸骨兵を燃やし尽くす。
「観察……」
視る。骸骨兵の動きを。どうすればいいのか、わからないが、とにかく指示を出す。
最後の一体になるまで戦い続ける。
「これで、最後です!」
最後の一体をマシュが破壊し、戦闘は終わった。
「お疲れ様です、マスター」
「おう、良い指示だったぜ」
「……そう、かな」
「……あんたら、アイツら相手によくやるな……」
「慣れです。それより申し訳ありませんが、一から事情をお聞かせください」
まず確認すべきはジャンヌ・ダルクが蘇ったのかどうかだ。
「ああ。俺は、オルレアン包囲戦と式典に参加したから、よく覚えているよ」
兵士が語る。聖女は復活したのだと。髪の色、肌の色は異なるが、まぎれもなくかつての聖女であったと兵士は言う。
イングランドに捕らえられ、火刑に処されてしまった聖女。彼女が復活した。それは喜ばしいことのはずだった。フランスは彼女の死を嘆き、憤っていたからだ。
だが、蘇った彼女はかつての彼女ではなく――竜の魔女としてフランスを滅ぼす者になってしまっていた。
「……あの、竜の魔女とはどういうことなのでしょう。ジャンヌ・ダルクにそのような逸話は確かないはずですが」
「見ればわかるさ……」
兵士のよどんだ視線の先には――
「竜……」
竜。腕が翼になっているワイバーンの群れ。いるはずのない幻想が、今ここに現実に牙を剥いて猛っていた。圧倒的な竜の咆哮が空を埋め尽くす。
紛れもない現実。夢幻などではないのだと、それは告げている。十五世紀のフランスにいるはずのない生物が、大群をなしてこちらに向かってきている。
「マスター、全力で対応を! 先ほどの骨々六助とはワケが違います!」
「い、いや、でも……」
あんなものにどうやって戦いを挑むというんだ。あいつらは飛んでいる。炎を吐く。
「ぎゃあああああああ!!?」
炎を吐けば、人間は成すすべもなく灰となっていく。
「あ、ああ――」
一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄が広がる。ただの一瞬だ。ワイバーンが襲来したその刹那の間に、ただ一度、奴らが火を吹いただけで、このありさまだ。
砦は燃えて灰となっていく。迎撃は不可能。その竜鱗を貫くには、フランス兵たちの弓矢やクロスボウでは足りない。
「くそおおお」
嘆きの慟哭が砦に満ちる。怨嗟の嘆きが、大地へと流れ出す。だが、ワイバーンは足りないとばかりに蹂躙を始める。
死んでいく、死んでいく、死んでいる。
大気中に死体の燃え尽きた油分が舞い上がり、全身へと降り注ぐ。地獄とはかくあるべきだとでも言わんばかりに。此処こそが地獄、これこそが地獄絵図。
虐殺という名の過剰殺戮が織り成す地獄は、今もなお拡大を続けている。兵士たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、そして尽くが逃げられはしない。
全ての阿鼻叫喚、全ての絶望を混ぜ込んだ、復讐する竜の魔女の窯の底。ぐつぐつと煮えたぎる窯の底ゆえに逃げ場など
全てが炎上している。こここそが地獄の底だ。ならばどこへ逃げるというのか。逃げられるわけがない。逃げられる場所などありはしないのだ。
建物が倒壊する。そのたびに悲鳴が上がり、紅い華が咲く。死骸は例外なく炎に包まれて燃えている。油分が大気を汚染し、燃える死骸は酷い瘴気を撒き散らす。
肌に張り付くのは死体から出た魂の如き瘴気。生者を呑み込む死者の手招き。お前も来い、お前も来い。そう絶望の中で死者が叫んでいる。
右を見ても、左を見ても、炎が燃えている。燃えていない場所ないし死骸がない場所もない。死体の博覧会会場と言われても信じられることが出来そうなくらい石畳の上は赤く染まっている。
しかも、現在進行形で死体が増えていっているというのだから恐ろしい。おおよそ考えらえる以上に絶望に薪がくべられている。
「マスター、指示を! わたしは――」
「あ、ああ、迎撃を――」
「はい――くっ」
どうする、どうする、どうする。
わからない、わからないわからない。
あんな化け物に、人間がどうやって戦えばいいというんだ。
脳髄を恐怖が、絶望が蝕んでいく。
「あああ、あああ――!」
声にならない悲鳴を、僕は上げた。既に精神は限界。
――何かがひび割れる音がしている。
目の前で繰り広げられる殺戮に、脳が理解することを放棄している。
燃える死骸、蒸発する死体が大気に混じり、呼吸することすら拒否しそうになる。
吐き気がこみあげることが止められない。
「が、げぅ――」
あまりの苦しさに嘔吐く。吐いても吐いても、苦しさが抜けない。
逃げたい。逃げろ、逃げろ逃げろ。
叫んでいる。だが――。
――あなたしかいないのよ。
――あなたがやるしかないじゃない。
逃げ場はない。
逃げる道はない。
逃げることは許されない。
――48番目。
――人類最後のマスターに逃げることは許されていないのだ。
何とかしなければ。
だが、どうやって?
マシュは戦っている。
クー・フーリンは戦っている。
僕しかない。
――何ができるというんだ。
――戦う?
できるはずがない。
――逃げる?
そんな選択肢は初めからない。
――なにもしない?
できるのならば。
だが、そんなことできるはずがない。
どうしようもなく、ただただ蹂躙されていく様を見ているしかできない。
――何かがひび割れる音がしていた。
あとはもはや天に祈るくらいだ。この蹂躙が終わることを。あるいは――この状況を突破できるだけのなにかを。
しかし、現実は非常だ。そんなフィクションのようなことが起こることは、非常に稀どころかほとんど存在しない。現実にヒーローなんてものはいないのだから。
けれど。けれど、この時は違った。この時だけは、運命が、味方をした。
「兵たちよ、水をかぶりなさい!」
その時、声が響いた。
それは、かつてこの地に響いていた声だった。
聖なる声。
清浄なる声。
時が止まったかのようだった。
いいや、事実止まっていたのかもしれない。
旗を持った、金髪の女性の登場に、すべては止まっていた。
「あ、貴女は――!」
フランス兵が声を上げる。
知っている。知っている、知っている。
フランス兵たちに動揺が走った。
「もし、まだ、諦めていないのなら! 武器を取って下さい! そして――」
旗を掲げる。
かつて救国を願い掲げられた旗が、今再び――。
「私と共に! 続いてください――!!!!」
女性が旗を掲げワイバーンの群れへと突っ込んでいく。
それを見た、兵士たちは、皆武器を取っていた。
逃げ惑うばかりだった兵士たちが、彼女へと続いて行く。それは、光に誘われた虫のように。
事実、彼女は希望だった。
彼女はサーヴァント。新たなサーヴァントの登場。少しだけ余裕が戻る。超常の力を持つサーヴァントが増えたのだ。
ならば、やれないことはない、それにフランス兵の攻撃もまったく役に立たないということはない。気を逸らすことができる。
「左翼は突撃です。右翼も突撃です。ともかく、突撃です。ワイバーンの攻撃は、人間では防げません。ならば、攻撃あるのみ!」
すさまじい脳筋戦法ではあったが――。
「ああ、ありゃあ正解だわな」
「突撃が、ですか?」
「そりゃそうだ。ワイバーンは強えぇ。だが、そいつはあいつら自身に言えるわけだ」
「???」
「簡単に言やあ、アイツらの攻撃はあいつら自身に効くんだよ」
「! つまり――」
密着するほどに近づいてしまえば、群れとは言え、他のワイバーンは気軽に攻撃できなくなる。また、吹けば飛ぶ存在なれど、数がそろって一体を攻撃すれば――。
「気も逸れる。行くぜ、嬢ちゃん!」
「は、はい!」
そこに切り込む二騎のサーヴァント。超常の力を持った二人が、気がそれたワイバーンから順に倒していく。
「…………」
それを見て、思ったことは一つだった。
――なんだ、これ……
「フォウ?」
「…………」
――僕は、なにをしているんだ……
何もしていない。何もできていない。
ただ、見ているだけじゃないか。
敵が倒されていくのを見ている。
敵が倒されていくのを見ている。
敵が倒されていくのを見ている。
指示が追いつかない。
指示を出せない。
怖くて。
戦いの規模が違いすぎて。
わからない。
何も。何も。
僕は、何のために――。
――何かがひび割れる音がしている。
結局、最後の一体を倒すまで、僕は何一つできなかった。