プロローグ
彼は、呼び名が多い。
48番目。
最後のマスター。
希望。
先輩。
安珍。
クリスティーヌ。
トロイア。
ローマ。
シグルド。
おかあさん。
だが、彼は一般人だ。ただの数合わせで呼ばれ、偶然から世界最後のマスターとなってしまった。ただそれだけの存在だ。
人類史なんてものを背負うには力不足なのを自覚しながら、それでも世界を救うべくして彼は己の意思でマスターとなった。
実に尊い。なんという素晴らしい輝きか。
だが、忘れてはいけない。
彼は一般人だ。どんなにそう在るかのようにふるまっていても、彼は何の力もない世界を救うという心構えもなく成り行きで最後のマスターになってしまった少年なのだ。
運命とは残酷だ。背負うべきものには背負わせず、背負う必要のない者に重荷を背負わせる。
これは彼の話だ。世界を救うために奔走するだけの善性を持った当たり前にふつうの男の子の話――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
炎の中で、その手だけを、僕はつかむことができた。
つかまなければならないと思った。
どうしてだろうと、疑問も感じた。
目の前の少女は、死ぬ。下半身が瓦礫でつぶれて、あと二分ももつかわからない。
そんな少女の為に何をやっているのだろう。
疑問が僕の中を駆け巡る。
自分の命が大切だ。死ぬのは怖い。両膝は震えている。
けれど、
「大丈夫――」
僕の口をでたのは、彼女を気遣う言葉。
――その時、僕は理解した。
何よりも、彼女が大切で。
何よりも、彼女が好きなのだと。
だから、笑顔で君の手を握る。
彼女は助からない。けれど、その気持ちを楽にすることができる。だから、僕は必死で笑った。
それこそが今できる最善。
――それが地獄のハジマリだとしても。
僕は後悔しない。胸を張って言える。あの時の選択は、間違いなんかじゃなかったんだと。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
わたしの手をあの人は掴んでくれました。もう二分ももたない。下半身の感覚はなく、もうすぐ死ぬようなわたしの手をあの人は掴んでくれました。
正直、怖いと思いました。何もできずに死ぬ。それが、怖かった。
けれど、炎の中で、身を焼かれながら、それでもわたしの手を握ってくれた人がいた。
わたしを助けることなんてできない。きっとそのことはあのひとも理解しているはずなのに。
「大丈夫――」
ただ一言、笑顔でわたしの手をつかんでそう言うのです。
虚勢だとわかっていても、嘘だとわかっていても、その一言は、とてもあたたかく聞こえたのです。
死ぬのは恐ろしいはずなのに、わたしを気遣ってあの人はわたしの手を握り続けてくれていたのです。
わたしは、きっと何があっても、この時の手のぬくもりを忘れない。たとえ何があってもあの人の笑顔を忘れない。
だから、わたしはあのひとのために戦う。おそろしくても、怖くても。
それが、わたしにできることだから。信じてくれたあの人の為に。
何度傷つけられても、わたしが間違っても、信じてくれたあのひとの為に。
わたしは戦う。
愛しい先輩と一緒に。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
旅は始まる。
七つの特異点をめぐる旅は始まる。
それは誰にも記憶されず、何にも記録されない、誰も知らない旅。
辛く、厳しく、ただの人には厳しい戦いになるだろう。
けれど、きっとそれだけではない。多くの出会いがあるだろう。多くの別れがあるだろう。
時には、心が砕かれて膝を屈してしまうかもしれない。
時には、心の弱さに飲み込まれ、大切な人を傷つけてしまうのかもしれない。
けれど、きっとまた立ち上がれる。
そう信じている。
これは、
大いなる旅の物語だ――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――2015年
高校を卒業して大学に行かず僕は旅に出た。どこかへ行きたいと思ったのかもしれない。だから、大学にも行かず旅に出た。
そうすれば狭い世界から出られるのではないだろうかと思った上のことだった。そうやって家を飛び出した。両親は放任主義だから何も言われないだろう。というか、背負った鞄の中にはいつの間にか旅費で好きにつかえという両親からの手紙が入っている始末。
どうやらどこまでも僕はまだ子供であるらしい。それもそうだろう。子供でなければこんな無鉄砲な旅になんて出るはずがない。
地図を片手に夜空に光り輝く摩天楼を眺めながらため息を吐く。
「はぁ――」
何気ない日常が続いている。僕の人生はいったいなんなのだろうかと思う。そう僕はこの日常というものに不満を感じていた。
だから、何か変わらないかと旅に出て見知らぬ街を散策に出ていた。日本のとある地方都市。ただ、どこも変わらない。狭い世界の中を移動したところで何も変わらない。何かが変わるわけでもない。
もっと大きな世界に飛び出すべきなのだろう。けれど、本当にそれでいいのかという躊躇いもまたあった。
「はぁ」
だから、溜め息を吐く。ままならない自分という存在に。
「なにか、食うか」
夕食もまだだった。だから気分を変えるために何か食べよう。そう決めてラーメン屋に入った。客のいないラーメン屋だった。
まあ大丈夫だろうと思って、カウンターに座る。
「あの――」
そこにいたのはえらく筋肉質な店主だった。明らかにラーメン屋が持つ肉体ではない。
「客か。何が良い、少年」
「じゃあ、普通にラーメン一つ」
「すぐに出来る、ゆっくりと待つが良い」
すぐにいい匂いがしてくる。なんだ、結構当たりなのかもしれない。そう思う。
水を飲みながら待っていると店主さんが話しかけてくる。
「少年は一人か。見たところ、高校生くらいか」
「卒業したばかりです」
「ふむ、ならば旅行でもしているのか」
「ああ、そうですね。一人旅というか、そんな感じです」
「ほう。高校を卒業してすぐに一人旅とはな。悩みでもあるのか、少年」
「悩み――悩みってほどじゃないけど」
どういうわけか店主さんに話していた。誰もいなかったのもあるのだろうか。そう思いながらここに至る事情を話した。
「ふむ、なるほど――まあ、それはさておき出来たぞ。存分に味わうが良い」
「ありがとうござ――赤い」
出されたラーメンは赤かった。もはや食物のそれを超えた赫さ。ラーメンという料理に置いて、ありえないほどの赤さだった。
見ただけでわかる刺激物という色合い。食べれば最後、もしかしたら炎なんか吐けてしまうのではないかとすら思えてしまう。
それほどまでに赤く、そして、それはラーメンなどではなかった。
「これは――」
「麻婆豆腐だ」
それは麻婆豆腐だった。ラーメン屋に来てラーメンを頼んだはずだった。だが、出て来たのは麻婆豆腐。何かがおかしい。
いや、おかしいところしかない。どうしてラーメン屋でラーメンを頼んだら麻婆豆腐が出てくるのだ。しかもこんなに赤い。
色合いなど申し訳程度のネギの緑のみ。あとは赤一色だ。これが人の食べるものだというのだろうか。箸を持つ手が震える。
「ラーメンはどこに……」
「麺なぞ飾りだ、麻婆の海の底に申し訳程度に沈んでいる」
「これ、スープですらない、全部麻婆のあんかけだ――!?」
麻婆豆腐の底に申し訳程度に麺が本当に沈んでいた。震える箸でつかみ麺をすする。
「か、辛い!?」
予想通り、いや予想以上の辛さだった。なぜならば、辛いと感じる以前に痛みしか感じないのだ。もはや辛さではない痛さだ。痛すぎて涙が出てきて、心臓がばくばくと鳴っている。
これを食べ続ければ最後、余りの痛みに死ぬかもしれないとすら思えるほどだ。汗がだらだらと流れる。気を抜けば箸を落としてしまいそうだ。
これを食べるには、辛さに負けず箸で麺をつかみ口へ運ぶ勇気、唯一の救いである麺を麻婆にほどよくからめてできる限り中和して食べるために正しく配分する知識、痛みを感じながらも食べ続ける根性が必要になる。
食べきれるのか。否、食べきれるのかではない、食べるのだ。なぜならば
「残すことは許さん。もし残すのであればおまえの体を地面に埋めて無理やり麻婆を口から流し込む」
「珍味にはなりたくない……」
フォアグラを作るように無理やりに食べさせられる。食べなければならなかった――。
「ごちそう、さヴぁげした――」
「喜べ少年、君は今、一日分のカロリーを摂取した」
「――――」
もはやツッコミを入れる気力すらない。一日分のカロリーとかもうどうでもいい。それより水がほしい。口の中と腹の中が焼けただれたように痛く、汗と震えが止まらない。
「さて、ところで少年、旅をしていると言ったが、あてはあるのか?」
「――あて?」
「そうだ、目的地。あてのない旅ほど無益なものはあるまい。自由なぶらり旅と言っても大抵目的はあるものだ。目的のない旅などない。何事にもそうなる為の目的というものが存在する。少年、君はどうして旅をする」
「――――」
――どうして?
――それはこっちが聞きたい。
「話した通り、それを探しているの、かな」
「ありきたりな答えだな――ならば大人として若人を導いてやろう。駅前に行くと良い。そこに君の運命が待っている」
「運命?」
「さて、お会計。ラーメン一杯1600円だ」
「高!?」
特製のラー油をこれでもかと使っているから高いのだとか。知らねえよ。
とりあえずそれを支払い夜の街に戻る。汗をかいているせいか風が心地よい。
「さて、駅前だっけ。何があるのやら」
言われた通り、そこに行ってみる。駅前。何もない。ただの駅前広場だ。なにかあるということもなく何もない。
「店主に騙されたか?」
まあ、あんなぼったくりラーメン屋――いや、麻婆屋の店主である。人を騙すくらいしそうだ。
「仕方ない。そこらの漫喫で明日まで泊まって――ん?」
ふいにまるで隠れるように張られている張り紙を見つけた。帰ろうとした時、視線がふっと裏路地の方を向いたと思ったそこに張り紙があったのに気が付いた。
こんなところに張り紙なんてあっただろうか。そう思いながらも気になってその張り紙を見てみる。どうやら献血募集の張り紙のようだった。
「んー、まあ、せっかくだししていくか」
すぐ近くに献血車が来ているようなので、そこに行く。普通に献血だった。ただ、偉く丁重だったのが少しだけ気になったがそういうものだろうと思い、次はどこへ行こうかと思っている時だった。
「君!! 君だよ、君!!」
「えっと、僕ですか?」
「そうだ、君だよ! ああ、良かった。いや、もう見つからないとか思ってたけど、こんな場所で、適格者、それも適合率100%を見つけるなんて!」
「は? え、いったいなんのことですか」
「ああ、っと、そうだった。オレはハリー。ハリー・茜沢・アンダーソン。君に、お願いがあるんだ!」
「お願い、ですか?」
「そう、君をスカウトしたい」
スカウト? この僕が? いったい何の冗談なんだろうか。あるいは詐欺だったりするのかもしれない。
関わらない方がいい。そう思って、黙っていこうと思ったけれど。
「ああ、待ってくれ! 頼むよ、話を聞いてほしい。詐欺じゃないし、お金も取らない。合法的で、これは国連からの正式な話でもあるんだ」
「国連……何か証拠でもあるんですか」
「そうそう、これね、これ」
――カルデア?
聞いたことがない。
「とりあえず、君をあるプロジェクトに適合すると検査結果が出た。そのプロジェクトの局員として君は今、スカウトされているんだ」
曰く、カルデアという組織の局員を一般募集しているらしい。とりあえずもなにも、怪しいにもほどがある。
だが、ふと、ラーメン屋の店主の言葉が頭をよぎった。
「これが運命、かな?」
それにこのままだと延々と付きまとわれそうだし。
「わかりました。僕でいいのなら」
「本当かい! ありがとう! 詳しくは、あとで書類を送るよ。じゃあ、あとはよろしくー」
そして、後日書類と制服が贈られてきた。
「って、山の上かよ!?」
カルデアというのは標高6000メートルはある山の上にあるらしい。行くだけでも大変だ。
「でも、行くか」
いい機会だ。日本を出て、外の世界を見るのは。
だから、僕はカルデアへと向かった。
「ふぅ――」
雪を踏みしめ登山を始めて数日。ようやくその施設は見えて来た。寒いし、高山病に苦しめられもしたが、ついに来たのだ。
「ここが、カルデア――」
運命が始まる場所。僕の旅の終着点であり、大いなる旅の出発点。
僕は、その門をたたいた――。
カルデアへ来る前を妄想。
もう少しいろいろと書きたかったが、まあこんなものでしょう。
ここから全ては始まるのです。素敵な後輩に出会って、出会いと別れを経験しながら少年がマスターとなる。
これがその始まり。