俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 文化祭の実行委員会に出席した八幡は、そこで雪ノ下と再会した。クラスの出し物の最終決定権から実行委員まで、およそ文化祭に関するJ組の全権を握ったという雪ノ下は、思惑あっての行動だと八幡に告げる。委員長を決める話し合いの中で、陽乃が二年前に無役で大活躍したことを城廻から教えられて、それが雪ノ下の思惑に繋がるのだなと八幡は理解した。

 雪ノ下が裏で全面的に支えてくれると早合点した相模は、肩書きに目が眩んで委員長に立候補する。抜け目なく奉仕部の話も持ち出して雪ノ下に協力を要請した相模だが、それを引き受けた雪ノ下の真意は、相模を委員長に相応しい域にまで教育することにあった。

 しかし週明け早々の月曜日、相模は高校を休んだ。



03.みのがして今回だけは不問にしようと彼女は提案する。

 週明けの月曜日、F組では朝から騒がしく生徒達が動き回っていた。今日も視線を集めるのかなとこわごわ教室に入ってきた比企谷八幡は、拍子抜けとも安堵ともつかない心境でいったん席に着く。

 

 八幡としては可能なら時間ギリギリに登校したかったのだが、中学で生徒会の雑用があった妹を送ってあげる必要があり、中途半端な時間になってしまった。注目を集めていない現状には一安心したものの、そうなると今度は普段と違うクラスの様子が気になるもので、八幡はこっそり聞き耳を立てることにした。

 

「あ、おはよ。今日は早いね」

 

「おう、小町を送ってく必要があってな。って、戸塚は朝練はどうしたんだ?」

 

「文化祭まで放課後の部活がお休みになるから練習したかったんだけど、相模さんのことを聞いて気になっちゃって」

 

 だが戸塚彩加が話しかけてくれたので、八幡は朧気ながらも状況を把握できた。相模南がさっそく何かをやらかしたのだろう。

 

 土曜日に由比ヶ浜結衣を交えた三人で話していた時にも、できる限り手を抜きたいという相模の思考は伝わって来た。文化祭の実行委員長に立候補したのも、雪ノ下雪乃が陰ながらタクトを揮うのであれば、労せずして表の名声を得られると考えたからだろう。

 

 可能な限り楽をしたいという発想は、八幡も嫌いではない。だが、施しを受けたり一方的に養われるだけの立場に甘んじたり、そうした他人に迷惑をかけるような行為となると話は別だ。長くカースト底辺として過ごしたために迷惑をかけられる側だったこともあり、自意識の高さもあって微妙な気持ちを抱いてしまう。

 

 夏休みに教師とラーメンを食べた時にそうした話題を出されて、照れ隠しのために話を逸らしたことを思い出しながら、八幡は口を開く。

 

「相模がなんかサボったのか?」

 

「サボったんじゃなくて、病欠みたいだよ。微熱もあるみたいだし、台風が来て気温の変化も大きかったから体調を崩したんじゃないかな」

 

 病欠なら仕方がないかと、八幡は勝手な先入観で相模を見ていたことを少しだけ反省する。程なくその反省は撤回されることになるのだが、どんな理由であれ相模が欠席となると、今は多方面に影響が出てしまう。それを思って、また面倒なことになりそうだなと考える八幡だった。

 

「ヒッキー、やっはろー。ゆきのんと少し相談したんだけどさ」

 

 八幡が戸塚の言葉を頭の中で反芻していると、教室の中だから少し自制したのだろう。後ろから小声でいつもの挨拶をして、由比ヶ浜が話しかけて来た。耳元でささやかれる声に身体をびくっと反応させた八幡は、何でもない風を装いながら、由比ヶ浜に軽く頷くことで先を促す。

 

「お昼に奉仕部の部室で集まろうって話になったんだけど、大丈夫?」

 

「昼に部室に行けば良いんだよな。戸塚、悪いけど今日の昼練はそういうわけで……」

 

「うん。ぼくのことは気にしないでいいから、実行委員も頑張ってね」

 

「あたしはもう少し、さがみんの友達とかから情報を集めとくから。じゃあ後でね」

 

 精力的に動き回る由比ヶ浜を、八幡は戸塚と一緒に見送った。おそらく由比ヶ浜は、相模欠席の第一報を聞いてからずっと動いているのだろう。教室で情報を集めながら雪ノ下にも報告を入れて、八幡が登校した頃にはほぼ対応を固めていたのだろう。

 

 そうした由比ヶ浜の働きに応えるべく。未だ内心では気恥ずかしい気持ちが湧き上がるのを避けられない八幡だったが、今日は大人しく部室で一緒に昼食を摂ろうと覚悟を決めるのだった。

 

 

***

 

 

 授業が終わってすぐに教室を出て、購買でしか入手できない少し高価な飲物を二人のために購入して、八幡は奉仕部の部室へと移動する。ドアを開けると、そこではいつものように雪ノ下が待っていた。どうやら由比ヶ浜はまだ到着していないらしい。

 

「こんにちは、比企谷くん。今日はごめんなさいね」

 

「おう。……って、お前が謝ることじゃないだろ?」

 

 無言で静かに首を振って応える雪ノ下の仕草を、三人が揃って話が始まったらすぐに分かるという意味なのだろうと受け取って、八幡はそれ以上は何も言わずいつもの席に腰を下ろした。

 

「やっはろー。ってヒッキー、なんで先に行くし!」

 

「いや、一緒に部室に行くとか恥ずかしくて無理だろ。あと、これを買いに行ってたからな。お前も雪ノ下も、朝から色々と動いてお疲れさん」

 

 購買限定の飲物を差し出されて、二人の女子生徒は少しだけ固まってしまった。もしや気持ちの悪い行動を取ってしまったかと、八幡は瞬時に後悔する。しかし、口に出しかけた文句をどう処理すれば良いか分からず口ごもりながらも小声でお礼を告げてくる由比ヶ浜や、苦笑しながらお礼を言って受け取る雪ノ下を見て、今度は照れ臭くなって来てそっぽを向く八幡だった。

 

 

「では、食べながら話を進めましょうか」

 

 確かに一緒に昼食を食べるつもりではあったが、確認すらされないことにほんの少し物足りなさを感じつつ、八幡は配膳を受け取った。今さら八幡がこの程度のことで逃げるとは思っていない二人にとっては当たり前の行動なのだが、男子高校生とはかくも面倒な思考の持ち主なのである。

 

 そんな八幡の葛藤に気付くことなく、雪ノ下が分かりやすく現状を説明する。

 

 相模が体調を崩したという戸塚から得た情報は、問題の一部分に過ぎなかった。確かに気候の影響もあるのだろうが、微熱は風邪の前兆ではなく、いわゆる知恵熱の可能性が高いと雪ノ下は推測する。なおその際に、こうした知恵熱の使い方は誤用であるとユキペディアさんが熱っぽく語ってくれたのはご愛敬。

 

 そして雪ノ下は、先ほど謝った件を口にした。つまり相模が熱を出したのは、雪ノ下が一晩で作った相模のための教材に原因があるのだという。

 

「いや、お前の作った教材ってだけで破壊力が高いのは分かるけど、さすがに病気になるほどじゃないと思うんだが……違うの?」

 

 日曜日の夕方に会う約束をしていたのは、それを渡すためだったのかと納得しながら、八幡はおそるおそる問いかける。冷静になって考えてみると、雪ノ下が本気を出せば、教材だけで相模を病気にできそうな気がしてきた八幡だった。

 

「夏休みに勉強会のためにまとめてくれたやつも破壊力は高かったけどさ。でも、少しでも覚えやすいようにって気を遣ってくれてるのが伝わって来たし、あたしでも病気になるまでは行かなかったんだけど……」

 

「その、二人して破壊力が高いと言われると、少し反論したくなるのだけれど」

 

「でもさ、昨日さがみんが友達に送った写真を見たら、あたしも『うっ』ってなったんだけど」

 

 そう言いながら由比ヶ浜は、同級生から転送してもらった写真を二人に見せる。この世界ではテキストのデータだけを目の前に表示させて読むのが一般的だが、あえて質感を伴った本の形で具現化させることも可能だ。写真には、有名大学の赤本や電話帳もかくやと思わせる厚さの、雪ノ下謹製による文化祭対策マニュアルが、たけのこの里(空き箱)とともに写っていた。

 

「まあ、あれだ。勉強ができる奴って自分を基準に考えがちだけど、普通はこんなのを一晩で作るのはもちろん、読破するのも無理だからな」

 

「その、内々で読む物だからと著作権などを考えずに、色々とコピーをして作っただけなので、それほど手間はかからなかったのだけれど……」

 

「ゆきのんのことだから、読みやすいようにとか色んな配慮はしてくれてると思うけど。この量を見ただけで気分が悪くなるって子もいたんだよね……」

 

「ざっと目を通して欲しいとは言ったものの、困った時に辞書を引くように使って欲しいと言ったつもりだったのだけれど……」

 

「つーか、この空き箱は大きさ比較の為なのか?」

 

「この量を見て、読む気が全然出て来なくて、気付いたら一箱空けてたって言ってたみたい」

 

 二人の反応を見て、自分が思っていた以上に教材に問題があったことをようやく理解して、珍しく居心地の悪い思いをする雪ノ下だった。とはいえ八幡としては、由比ヶ浜の発言に気になる点があったので、これ以上は追求することなく話をそちらに移した。

 

「とはいっても、雪ノ下が一般人向けを大きく逸脱した教材を作ったのって、悪いことではないんだよな。辞書的に使うなら尚更だし。それより気になったのが、結局相模って、これを全く読んでないってことなのか?」

 

「……うん、たぶんね。読まなきゃって思いながら時間がどんどん過ぎていって、熱っぽくなってくるし寝ないといけないし、でも全然読めてないしって感じだったみたい」

 

「なんかあれだな。カースト上位の割にはひ弱っていうか。相模ってどんな性格なんだ?」

 

「うーん。普段は友達も多いし普通に色々こなせるんだけど、どう言ったらいいかな。……本番に弱い、とか?」

 

「あー」

 

 深々と納得してしまった八幡だった。

 

 話のついでに八幡は、相模と由比ヶ浜の関係や、遊戯部と勝負した時に由比ヶ浜が口にした噂について教えてもらうことにした。本当なら土曜日に聞きたかったのだが、クラスの出し物が腐っていたせいで由比ヶ浜の疲労感が尋常ではなく、あまり突っ込んだ話ができなかったのだ。

 

「一年の時は同じクラスで、わりと目立つグループだったんだけどさ。二年になって、あたしが優美子や姫菜と仲良くなってからは距離ができちゃって。さがみん、クラスであたしより下の扱いを受けてるのが嫌なんだと思う。でも、色々と気を遣う部分はあるけど、あたしはさがみんと友達だって思ってるんだけどな……」

 

「さがみん、遊戯部の相模くんとは小中高が同じみたいでさ。姉弟じゃないのに同じ苗字だからって、結婚とかどうとか、小学生の頃からからかわれてたんだって。さがみんも、相模くんが悪いんじゃなくて、からかってくる子が悪いんだって分かってたのに、高校も同じだって判った時は我慢の限界だったみたいで。それを周りの子が聞いて、同じ高校を受験した相模くんのせいだって色々と酷いことを言い触らしたみたいでさ」

 

 つくづく運に恵まれないタイプというか、余計な事を口にしてしまって後で後悔するパターンなのだろうなと八幡は思った。上条さんやスパーク君とは少し違った印象を受けるが、不幸体質と言えば相模もそうなのだろうと、八幡は今も続いているライトノベルや昔父親の書棚で見付けたライトノベルを連想しつつ理解した。

 

 

「でもこれ、相模の体調が回復しても、教材を全く読めてない状態なんだよな。それで実行委員長とか大丈夫なのか?」

 

「平塚先生や城廻先輩からも、引き継ぎの資料をもらっているはずなのだけれど。それを読んでいれば、最低限の仕事はできるはずよ」

 

 八幡と由比ヶ浜が話している間に気持ちの整理をつけたのか、雪ノ下が普段に近い声色で答える。

 

「でも相模の性格を考えると、その辺りの資料もギリギリまで読み始めない気がするんだよな……」

 

「あたしも正直そんな気がする」

 

「始まって早々に頭の痛い状況になってきたわね……。由比ヶ浜さん、相模さんは明日には出て来られるのかしら?」

 

「無理して読まなくて良いから、って言えば明日は大丈夫だと思う。けど……」

 

「ええ、それで良いわ。相模さんのお友達にそう伝えて貰えるかしら?」

 

 何となく雪ノ下から覚悟を決めたような気配を感じて、八幡は疑問を投げる。

 

「今日の実行委員会はどうするんだ?」

 

「状況を説明して、明日に延期するしかないでしょうね。由比ヶ浜さん、申し訳ないのだけれど、一緒に出てくれないかしら。放課後時点での相模さんの容態を説明したり、他にも補足をお願いするかもしれないから」

 

「うん、もともとそういう役割だし大丈夫。あ、部活は文化祭まで休みってことで良いんだよね?」

 

「そうね。生徒会の方針としては、部活中止ではなく自由参加という扱いみたいだけれど。私達に余裕がない以上は、休部にしたほうが良いでしょうね」

 

 それが合理的な判断だと分かってはいても、やはり寂しいのだろう。由比ヶ浜がことさら元気な声で雑談を始める。

 

「でもさ、さっきは悪い風に言っちゃったけど。あんな教材を作っちゃうなんて、やっぱりゆきのんは凄いなって。何だっけ、多くても大丈夫、みたいな話をこないだ漢文で習ったよね?」

 

 多い日でも大丈夫、などと妄想してしまい口ごもる八幡だったが、幸い二人にはバレていない模様である。珍しく授業の話を持ち出してきた由比ヶ浜に微笑みかけて、雪ノ下が説明を始める。

 

「それは『多々益々弁ず』ね。多ければ多いほど良いという意味なのだけれど、私はそれとは違うわね。目の前のことから順番に一つずつ片付けるしかできないから、自ずと限度はあるわ。むしろ比企谷くんのほうが、上手く手抜きをしたりして、多くの人を扱えるかもしれないわね」

 

 からかうような口調ではあったが、予想外のタイミングで雪ノ下からお褒めの言葉を頂いて、ぽかんとした表情を浮かべてしまった八幡だった。

 

「いや、お前らの方が人望があるし、俺には無理だろ」

 

「ゆきのんもヒッキーもお互いに謙遜してるけど、二人とも凄いってあたしは思うけどな。あ、『お互い』って夏休みの勉強会で出て来たよね。たしか、”mutual”……だっけ?」

 

「ええ、正解よ」

 

「ゆきのんが教えてくれた通り、単語で覚えるよりも言葉の組み合わせの方が覚えやすいね。”mutual security treaty”って、口に出して言いやすい気がするし。たまに最初の単語が出て来なくて困るんだけどさ」

 

「まあ、日米安保の正式名称は、”The treaty of mutual なんたらかんたら”らしいけどな」

 

「そうね。ちなみに旧安保は片務的な条約だったので、新安保になって”mutual”という言葉が追加されたのよ。こんな風に現代史と合わせて覚えると、更に理解が深まるわよ」

 

 自分のせいではあるものの、完全に授業が始まってしまい苦笑する由比ヶ浜だった。しかし二人はこれを授業ではなく雑談とでも考えているのか、気楽な口調で話が続く。

 

「現代史と関連付けるなら、安保よりは”MAD”とか教えた方が良いんじゃね?」

 

「貴方、”destruction”という単語に浪漫を感じていそうだものね」

 

「まあ、中二病になったことのある奴なら同意してくれると思うけどな」

 

 そんな二人の会話を微笑ましく聞いていた由比ヶ浜だが、全く関係のない話を思い出した。

 

「あ、そういえばさ。バンドってどうしよっか?」

 

「そうね……。今日みたいにお昼休みに集まって練習するか、それとも実行委員会が終わってから集まるかね。最終下校時刻が過ぎても、申請を出していれば部室は使えるはずだけれど」

 

「有志がどれくらい集まるか、早く把握したいよな。練習しても無駄だってなったら嫌だし」

 

「大丈夫よ。いざとなったら無理矢理にでもねじ込むから」

 

 良い笑顔を浮かべて過激なことを言う雪ノ下だった。苦笑しながら由比ヶ浜が口を開く。

 

「えとね、選曲なんだけどさ……」

 

「なるほど。確かにそれは良案かもしれないわね」

 

「それだったら、俺はこの曲とか……」

 

「これならあまり難しくはないし、良いかもしれないわね」

 

 このようにして、奉仕部三人の昼休みは、楽しい話で幕を閉じたのだった。

 

 

***

 

 

 この日の放課後、会議室では定刻に実行委員会が始まった。しかし当然ながら教室の前方には実行委員長の姿はなく、代わりに雪ノ下と由比ヶ浜の姿があった。八幡はそれを下座から見守る。

 

「奉仕部の雪ノ下です。実行委員長の相模さんが本日病欠した件について、説明します」

 

 相模から協力を頼まれたこと。委員会をスムーズに運営するために必要な複数の能力をいかにして修得するか、その為に読破すべき本やら動画やらをまとめ演習問題まで収録した教材を作成したこと。その他にも過去二十年間の文化祭を振り返って、ケースごとに対策を整理したこと。その他諸々まとめたものも合わせて、文化祭対策マニュアルと名付けて相模に託したこと。そのせいで相模が体調を崩したことなどを雪ノ下は説明した。

 

「昼過ぎには普通に近い体調に戻ったみたいで、明日には出て来られると言ってました」

 

 引き続いて由比ヶ浜が相模の病状を説明して、その上で雪ノ下は今後のスケジュール案を提示する。

 

「一日のロスは厳しいですが、委員長だけ決めて土曜日に解散したのは、各々が週末に資料を読んで仕事をきちんと把握した上で、週明けから一気に動こうと考えたからだと思います。つまり相模さんが先日口にしたように、我々下級生のスキルアップを見据えて、生徒会や先生方がこのような形にしたのだろうと考えています」

 

 二年生や一年生が成長できる機会を与えようとしているのだろうと、雪ノ下は説明した。生徒会長の性格を考えてもこれは確実だろうと雪ノ下は思っていたし、事実その通りなので、生徒会役員の中には苦笑している者もいる。

 

「なので今回だけ、予定の一日延期を提案します。相模さんも、仕事への責任感から体調を崩したのだと考えて、今回だけは責めないで欲しいと私は思います。委員長以下、実行委員全員で、文化祭を成功させましょう」

 

 事前に由比ヶ浜から言われていた通り、相模については事実を少し歪曲して伝えて、一体感を煽る形で雪ノ下は発言を終えた。だがそれに踊らされない冷静な者も中には居る。奇しくも、雪ノ下と同じクラスのもう一人の実行委員が手を挙げて発言を求めた。

 

「雪ノ下さんの提案に基本的には賛成ですが、それで我々の負担が増えることを懸念しています。僕はクラスで保健委員を務めていて、雪ノ下さんが無理をして体調を崩さないように気を付けろと、クラスのみんなからきつく言われています。絶対に無理をしないって、この場で約束して貰えますか?」

 

 六月にあった職場見学の翌日。睡眠不足で登校してきた雪ノ下の体調を案じて、保健室に引っ張っていったのがこの男子生徒だった。女子の比率が圧倒的なJ組ゆえに男子は肩身の狭い思いをしているのだが、そんな状況でもこの生徒は、必要とあらば歯に衣着せぬ物言いをためらわない性格だった。ゆえに雪ノ下は実行委員の相方としてこの男子生徒を指名したのである。

 

「先ほどの説明の通り、私には今回の件で責任があると考えています。そのため、今後の委員会運営に問題を来すようなら、私は副実行委員長として奉職する覚悟があります。副委員長は一年生が就任するのが慣例ですが、過去には複数名の就任例もありますので、それに類した形になると思います」

 

 だが、J組の保健委員に向けて、全く正反対の返事を告げる雪ノ下だった。彼はもちろんのこと、教室内の大多数が首を傾げる中で、八幡と由比ヶ浜だけは雪ノ下が続いて口にする内容が予想できた。責任感が強く正攻法が似合う雪ノ下が好みそうなロジックゆえに。

 

「どのような肩書きになるにせよ、私は文化祭のために力を尽くそうと考えています。だから貴方には、みなさんには、私が過労で倒れてしまわないように協力してくれることを望みます」

 

 責任ある立場の者として、大勢を引っ張っていくとはこういうことなのだろうと八幡は思う。やはり自分ではなく、雪ノ下のほうが多数を率いるには相応しいと考えながら。だからこそ自分も自分なりに、雪ノ下の仕事を少しでも減らしてやらないとなと、教室前方にいる由比ヶ浜と目配せを交わす八幡だった。

 

 

***

 

 

 実行委員会はその後すぐにお開きになって、今日は各自クラスを手伝うことになった。会議室の前で雪ノ下と別れて、八幡は逃げるタイミングを失って由比ヶ浜と一緒に教室に向かう。緊張しながら足を動かしていた八幡だったが、普段以上に気を遣って何くれと話題を振ってくれる由比ヶ浜のお陰で、教室までの道中は思った以上に楽しい時間となった。

 

「配役が決まって、やっと動き出したとこみたいだね。あたしは優美子たちと合流するけど、ヒッキーはどうする?」

 

「んじゃ、俺は戸塚と……ぐえっ」

 

「さいちゃん、今は隼人くんたちと真剣に打ち合わせしてるみたいだし、ヒッキーも一緒に行こ!」

 

 希望を聞いておきながら、結局はそのまま八幡を連行する由比ヶ浜だった。とはいえ戸塚のことを思うと由比ヶ浜の言葉には頷けるだけに、後で必ず会いに行こうと心中で固く誓いを立てて、八幡はトップカースト三人娘と時間を過ごすことになった。

 

「あのな、ちょっと良いか?」

 

 始業式の朝に海老名姫菜の出演要請を断ったこともあり、少しだけ罪悪感が残っていた八幡は、監督・演出・脚本を兼ねる腐った女子生徒に話しかけた。

 

「どしたのヒキタニくん。もしかして特別出演の決心でも……」

 

「いや、それは無い。じゃなくてだな、具体的な数字までは言わなくていいけど、演技スキルって高いよな?」

 

 面と向かってみると名前はもちろん姓でも何となく呼びにくさを感じて、八幡はぶっきらぼうな物言いで海老名に尋ねる。さすがに八幡の意図が読めないのか、海老名は不思議そうに口を開いた。

 

「まあ、けっこう高いんだけどさ。これって演技の実力じゃなくて、演技してた時間の長さを判定するんだよね?」

 

 この世界のスキルは、基本的には当人の実力や熟練ぶりを無理矢理に数字で表現しているだけで、目安としての意味しか持たない。ある一定の数字を超えたら能力が身に付くとか、そうしたゲーム的な要素は存在していないはずだった。

 

 そう理解している海老名は、ゆえにテストの点数を聞く程度の意味しか持たないはずの質問を受けて困惑している。しかし、奉仕部で依頼人を待つ時間を利用して、この世界について書かれたマニュアルの解読を雪ノ下たちと一緒に行ってきた八幡は、海老名が知らない特殊な仕組みを多数把握していた。

 

「事前に申請が必要なのと、監督か演者の演技スキルが200以上って条件があるんだけどな。演劇の時に、小道具を使って人を宙に浮かすとかやるだろ。そんなことをしなくても、その場限定で浮いたり回ったりできるようになるんだわ」

 

「それ、ちょっと面白いじゃん。申請したことしかできないんだよね?」

 

「街中とかで人間離れした行動をされても困るしな。この世界ではリアル感を重視してるし、場所とか時間とか目的とか色んな制限はあるけど、劇のためなら上手く活かせるんじゃね?」

 

 八幡がこの仕組みに気付いたのは、実はステルスヒッキーが原因だった。千葉村でステルスヒッキーを使用した時に痛い目を見て、いくら気配を隠すのが得意だと言っても現実以上に他者から気付かれない状態になるのはおかしいと、八幡は疑問を持った。そしてマニュアルと格闘した結果、八幡は演技スキルから派生する特殊効果を解明したのだ。

 

 八幡や海老名以上に普段から大仰な演技をして過ごしている材木座義輝の協力を得て、八幡は夏休みの間にこの仕組みの理解を更に進めて、海老名に説明したようなルールを把握するに至った。テニス勝負の時に材木座が何度か姿を消したのも同じ仕組みによるのだが、これらは個人限定で発動にもムラがある。しかし運営への申請というプロセスを挟むことで一般化できるというルールだった。

 

「出演できないお詫びってことで、劇で使ってくれ」

 

「ぷっ。ヒキタニくんって、ぼっちを気取ってる割にはあれだよね。義理堅いって言うか、むしろ過保護?」

 

「それな、この間の待ち合わせの時に戸塚の話をしただろ。あの時に自分でも思ったから、あんま言わないでくれない?」

 

 とはいえクラスに最低限の貢献ができたことで肩の荷が下りた八幡は、戸塚に話しかけるタイミングが一向に訪れないことを嘆きつつ、三人娘の仕事ぶりを眺めながらしばし時を過ごした。

 

 

「ん、メッセージか?」

 

「あたしもメッセージ……ってゆきのんだ!」

 

「予想はしてたけど、あんま良い話じゃねーな」

 

「だね。でもいつかは来るって思ってたし、何とかなるよ」

 

 明後日の水曜日、雪ノ下陽乃がOB・OG代表として来校し、実行委員会に参加するというしらせが届いた。




先日、最新12巻の一場面を、別視点から想像力を働かせて書いてみました。

「原作の裏側で。」という一話完結の作品で(13・14巻が出た時に再利用するかもですが)、サブタイトルは「それゆえに一色いろはは画策し、このように由比ヶ浜結衣は受け止める。」です。

発売直後でもあり著作権を考慮して会話文の引用は最低限で済ませたので、少し読みづらい部分があるかもしれませんが、目を通して頂けると嬉しいです。


次回は一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(10/14,4/2)

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