俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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祝・12巻発売!
以下、前回までのあらすじ。

 始業式に先駆けて海老名と待ち合わせた八幡は、クラスの劇に参加しない旨を伝える。自分が辞退することで戸塚が犠牲になるのを心配した八幡だが、戸塚の芯の強さを説明されてひとまず納得した。だが罪悪感は少しだけ残る。

 教室に向かう途上で雪ノ下と鉢合わせた八幡は、普段の注意深さを忘れてその場で話し込んでしまった。途中からは由比ヶ浜も加わって、これにより三人の仲が非常に良好なことは校内で周知されるに至った。

 クラス内で注目を集めることになった八幡は、居心地の悪さや罪悪感から逃亡を試みる。文化祭実行委員に立候補してクラスから距離を取ったつもりだったが、もう一人の実行委員に相模が、更には葉山の提案によって由比ヶ浜が二人とクラスを繋ぐ役割を担うことになり、八幡を取り巻く人間関係は少しずつ複雑さを増していた。



02.がんばるよりも彼女は安易に見える道を選ぶ。

 思いのほか早く文化祭実行委員の選出を終えた二年F組では、各々が昼食の支度に入っていた。話し合いが紛糾すれば食事の時間が無くなる可能性もあっただけに、生徒達の顔は明るい。

 

「委員会が始まる前に、ちょこっと打ち合わせしとこっか。一緒にご飯を食べながらでもいいけど……ヒッキーとさがみんはどう思う?」

 

「うちはどっちでもいいよー。ヒキタニくんは?」

 

「あー、えーっと、俺は昼があれだから、さっさと済ませてくれると、その」

 

 花火大会にて顔合わせはしたものの、いまだ適切な距離感を把握できていないために、比企谷八幡はしどろもどろに返事をする。そんな八幡を優しく眺めつつ、由比ヶ浜結衣がフォローに入った。

 

「さいちゃんの練習に協力しながら外でご飯を食べるのって、気持ちよさそうだもんね。じゃあ、優美子とかを待たせるのも悪いし、ちゃちゃっと終わらせよっか」

 

 八幡の曖昧な言い訳に明確な理由を与えて、八幡抜きで相模南と昼食をともにするルートも三浦優美子の名前を出して回避した上で、由比ヶ浜は話を進める。勉強には向かない由比ヶ浜だが、こうした気配りにかけては敵わないなと八幡は思う。もっとも、八幡の助言のおかげで助かった時もあったので、由比ヶ浜に言わせればお互い様となるのだろうが。

 

 由比ヶ浜は八幡の意図を充分に把握していたので、相模と一緒に食事をすることも一緒に会議室まで移動することも避けたいという彼の要望に応えた形だった。だが「自分ですら二人きりで部室に行ったことはないのに」という気持ちが全く無かったとは言えず、そしてそんな感情は女子の間では伝わりやすい。

 

 相模としては、由比ヶ浜はともかく三浦と一緒に食事をするのは勘弁して欲しい。だから別々なら別々で問題はないのだが、あからさまでこそ無いものの、由比ヶ浜からはこの男子生徒を自分から遠ざけたい意向が窺える。それは少し面白くない。

 

「ヒキタニくんとは、これからも実行委員同士で話す機会はたっぷりあるだろうし、今は簡単な打ち合わせで充分だよね」

 

「お、おう、そうだな。面倒な仕事の話とか、できるだけ後回しにしたいもんな」

 

 親密さをアピールしてくる相模の口調にわざとらしさはない。友達が多いという話だったし、さすがはカースト上位だなと八幡は思う。相手のことをよく知らないので、相模と向かい合わせであれば八幡は疑問を覚えなかったかもしれない。親しげな態度の理由は、今朝からの一連の出来事のせいだろうと済ませていたかもしれない。

 

 だが由比ヶ浜をちらりと横目で確認して、それでは理解が浅いと八幡は気付く。詳しいことはこの場では確認できそうにないので部活の時間を待つしかないが、由比ヶ浜と相模の間には色々と複雑な事情がありそうだ。だから八幡は、相模に当たり障りのない言葉を返した。

 

「ヒッキー、相変わらずやる気なさすぎだし。でも確かに、最初から難しい話とか嫌だもんね。えっと……お互いの情報をどう共有するかってことだけ決めとこっか」

 

 そんな八幡の発言に便乗して、由比ヶ浜は軽く突っ込みを入れる。頭の中で「さすがの誘い受け」という腐った声が聞こえた気がしたが、八幡の配慮に内心で感謝をしつつ由比ヶ浜は言葉を続けた。今は最低限だけ決めて早めに解散しようと考えながら話を進める。

 

「一日が終わってから情報を持ち寄るか、放課後が始まる前に情報を整理するかだな」

 

「やっぱり、終わってすぐのほうが、伝え忘れることが少なくなりそうじゃない?」

 

「だな。じゃあそんな感じで、相模もそれで良いか?」

 

「あ、うん。うちもそれでいいと思うよ」

 

 話し始めた頃は居心地悪そうにしていたのに、由比ヶ浜との会話をこなすことで目に見えて落ち着きを取り戻した男子生徒を、相模は冷静に観察していた。自分だけが部外者みたいで(二人が同じ部活である以上、それは確かにその通りなのだろうが)、不機嫌な気持ちが芽生えそうになる。相模はそれを静かに堪える。

 

 今はともかく、実行委員会が始まってしまえば由比ヶ浜は手が出せない。焦る必要は無いし、二人の会話を聞いている限り、この男子生徒は思っていた以上に有能そうだ。実行委員になってしまったのは予定外だったが、これなら自分の負担が大きくなることも無いだろう。彼と仲良くなることは、相模が目標に至るための一助になるはずだ。

 

「じゃあ、俺はこれで」

 

「あ、ヒッキーちょっと待って。今日は委員会の後に部活があるけど、集まりってどうしよっか?」

 

「あー……。初日だし、あんま話すこともないと思うんだよな」

 

 面倒臭いという感情を隠しもせずに八幡はそう答える。だが相模としても避けられる手間は避けたいのが本音だ。クラスで決めたことに表立って反抗しようとは思わないが、情報の共有ならわざわざ由比ヶ浜に頼らなくとも、普段からつるんでいる同級生に確認すれば済む。

 

「じゃあさ、今日は部活の時にヒキタニくんとゆいちゃんで話してくれると、うちも助かるかも。こっちも他の子にちゃんと聞いとくからさ」

 

「そう、だね。じゃあ今日はそうしよっか」

 

 先行きに一抹の不安を抱きつつも、由比ヶ浜とて無理に三人の集まりを強制しようとは思わない。色々と配慮が必要な相模が加わるよりも、相手が八幡だけのほうが話も早いし楽しい時間を過ごせるからだ。初日という言い訳もあるので、由比ヶ浜はその提案を受け入れることにした。

 

「んじゃ、また後でな」

 

「あ、えっと、うちは直接会議室に行けばいいのかな?」

 

「おう。由比ヶ浜とは部室でだな」

 

「うん。じゃあ二人とも頑張ってね!」

 

 

 廊下に出る八幡と、教室の後ろの方へと戻る相模を見送って、由比ヶ浜は一息つくと自分も二人の友人が待つ場所に移動しようとする。だが三人の会話が終わるのを近くで待っていた女子生徒が、遠慮がちに話しかけて来た。

 

「あのさ。……なんか大変だったら、あたしも協力するからさ」

 

「うん。今のところは大丈夫そうだけど、忙しくなってきたらお願いするから、サキサキも覚悟しといてね」

 

 クラスの為にという意識はあまり持たない川崎沙希だが、親しい友人の為となれば動くことを厭わない。わざわざ協力を申し出てくれた川崎に、嬉しさを隠すことなく由比ヶ浜が応える。

 

「あんたやあいつの代わりに、あたしが立候補できれば良かったんだけどさ。色々とアレだし……」

 

「あたしも同じだし、気持ちは解るよ。だから今はクラスで一緒に頑張ろっか」

 

 実行委員が男女一名ずつであり、かつ男子が先に決まってしまった状態では、立候補にかなりの勇気がいる。小中学生の頃のように露骨にはやし立てたりはしないだろうが、そのぶん水面下で何を言われるか分かったものではない。同じ部活という言い訳があっても、あるいはだからこそ余計に躊躇してしまった由比ヶ浜ゆえに、川崎の迷いは充分に理解できた。

 

 川崎に皆まで言わせず同意を返すと、ほっとした様子と同時に頼りがいのある気配が戻って来た。塾での経験に加えて、勉強会でも見られたように肉親との会話が川崎に良い影響を与えているのだろう。

 

 そんなことを考えたからだろうか、由比ヶ浜の背後から可愛らしい声が会話に加わってきた。

 

「男女一人ずつじゃなかったら、ぼくが立候補しても良かったんだけど……」

 

「やー、えっと、さいちゃんの場合は……」

 

 クラスの話し合いがどうなるか判らなかった以上、今日は中止にするのが合理的だろうに。八幡ならそう思いながらも彼に称賛の目を向けるのだろうが、当人は二学期の初日ゆえに僅かな時間であってもお昼の練習をしたいと考えたのだろう。手早く食事を済ませてコートに向かおうとする戸塚彩加が、すぐ側に立っていた。

 

 そんな戸塚を眺めながら、ジャージ姿だったら男女一名ずつと言われても納得しそうだなと由比ヶ浜は思う。同時に、もしそうなったら彼が大はしゃぎするだろうということも。だが続く言葉を聞いて、戸塚が自分と同じく勉強会のとある一コマを思い出していることを知って、由比ヶ浜は笑顔になった。

 

「だから川崎さんも気にしないで、向こうにいる妹さんや弟さんに自慢できるようにクラスの出し物を頑張ろうよ」

 

「うん。さいちゃんの言う通り、みんなで頑張ろっ!」

 

「そうだね。じゃあさ、誘う時は遠慮なく誘って。協調性にはあんまり自信がないけど、言われた仕事はちゃんとするからさ」

 

 他のクラスメイトからすれば珍しい組み合わせの三人だが、多くはこれも由比ヶ浜の人徳なのだろうと考えて済ませていた。だが相模は内心で、「どうして由比ヶ浜だけが」という思いが湧き上がるのを押さえきれないでいる。

 

 とはいえ、感情が外に出ていない以上は誰に気付かれることもない。

 

 そんな風に思われているとは想像だにせず、三人は盛り上がった気分のまま別れた。クラスの出し物が、小さな子供にはとても話せないような内容になることを、彼女らはまだ知らない。

 

 

***

 

 

 集合時間の数分前に会議室のドアを開けて、八幡は予想以上に多くの生徒が集まっている光景に驚いてしまった。更に面倒なことに、先程のF組と同じく好奇心のこもった目で、たくさんの生徒達がこちらを見ている。居心地の悪い思いで手足をぎこちなく動かしながら、八幡は人が少なそうな辺りに腰を下ろすと人よけのためにイヤホンを装着した。

 

 せっかく戸塚と楽しい昼休みを過ごせたのに、また同じ状況かと八幡はこっそりため息をつく。由比ヶ浜と花火大会に行った時に相模と遭遇して、それは幸い大事には至らなかったものの、以後は用心せねばと考えていたはずなのに。二学期早々に大勢の前で三人で話し込んでしまったことを、八幡は悔いる。

 

 何とか気分を変えて、音楽に集中しているフリをしながらこっそり周囲を見渡すと、相模が女子生徒数人と話し込んでいる姿が目に入った。相模とは僅かな会話しかしていないが、あの調子だと時間ギリギリに来るのだろうと思っていただけに、意外な積極性を訝しく思う。花火大会の時に自分と話してみたいと言っていたことにも、やはり裏の意図があるのだろう。

 

 

 その時、ドアが開いて一人の生徒が会議室に入ってきた。誰かが登場するたびに入り口に視線を向けてはすぐに逸らすという繰り返しだった今までとは違って、彼女が放つ存在感ゆえに、教室内のほぼ全員がその女子生徒の動きを逐一、目で追ってしまう。

 

 そんな注目を集める状況にも、いつものことだと動じなかった雪ノ下雪乃だったが、教室内に見知った顔を見付けて意表を突かれてしまった。その場に一瞬だけ立ち止まって、そのまま雪ノ下は旧知の男の隣に移動すると腰を下ろした。

 

「クラスで欠席裁判……をされるほど認識されているとも思えないし、他薦は更にあり得ないし、担任が平塚先生なら強引に押し付けられた可能性も考えられるのだけれど。どうして貴方がここに居るのかしら?」

 

「お前な……。まあ聞いて驚け。実は自ら立候補したんだわ」

 

「でしょうね。おおかた朝の出来事などがあったせいで、クラスに居るのがいたたまれなくなったといったところかしら?」

 

「そこまで把握してるのなら、わざわざ問いかける必要は無いんじゃないですかね」

 

 気怠げにイヤホンを取りながら、八幡は仕方なく会話に応じる。部室にいる時と同じように話しかけてくる雪ノ下に対して、朝の失敗を繰り返したくない八幡は普段より素っ気なく応じていたのだが、それも雪ノ下にはお見通しだった。

 

「特にやましいことは無いのだし、堂々としていれば良いと思うのだけれど」

 

「いや、それでお前らに……まあ、そうだな」

 

 お前らに迷惑が掛かるのなら、と言いかけて、八幡は口をつぐむ。自分と親しげに話す程度のことは、雪ノ下はもちろん由比ヶ浜にとっても避ける必要は無いのだろう。既にそれだけの地位を、彼女ら二人は高校内で確立しているのだから。

 

「俺の事情はお見通しとして、お前はクラスの方は大丈夫なのか?」

 

 文化祭でJ組が何をやるのか知らないが、雪ノ下が居るのと居ないのとでは作業効率に大きな違いが出るはずだ。雪ノ下ほどの人材をみすみす手放すとはとても思えず、八幡は不思議に思って質問してみることにした。

 

「……色々あったのよ。少しだけ、先程の発言を訂正するわ。堂々としていれば良いとは言い切れない時も、確かにあるのよね」

 

 自分と同じような視線に雪ノ下が晒されて、そして自分とは違って多くの質問が飛んだのだろうと八幡は理解した。八幡と由比ヶ浜が同じ部活でそれなりに上手くやっているという事前の知識があったF組でもああだったのだ。ましてや、J組が全校に誇る才媛たる雪ノ下がよく知らない男と親しげに話していたとなると、大騒動になるのも当然だろう。

 

「ま、やましいことが無い以上は、堂々としてるしかないんじゃね?」

 

「申し訳ないのだけれど、そんな待ちの姿勢は御免だわ。だから私は説明責任を果たした上で、文化祭に関するJ組の全権を求めて受理されたのだけれど」

 

 自分にも責任があるのだし、と考えてフォローに回った八幡だったが、雪ノ下から返って来たのは斜め上の回答だった。冷静に頭の中で雪ノ下の発言を吟味して、八幡は口を開く。

 

「つまりあれか。実行委員もやりつつ、クラスのこともお前が全部監督するってことか?」

 

「最終的な決定権を握っただけで、細かなところにまで口を出す気は無いのだけれど。だから体力のことは心配しなくても大丈夫よ」

 

 八幡の心配を先取りして雪ノ下はそう告げる。とはいえ実行委員の仕事がどの程度の負担になるのか判らない以上、気を付けておくべきだなと八幡は思った。

 

「それでも、あんま抱え込みすぎないようにな。今朝のことは俺にも責任があるし、痛くもない腹でも、探られると気が滅入るからな」

 

「そうね。ただ、私にも少し思惑があるのよ。貴方なら、いずれわかるわ」

 

 秘密めいた表情を浮かべる雪ノ下を見て、おそらく姉に関する事なのだろうと八幡は思う。たとえ正式な依頼が無くとも、部長様のご意向である以上は盛り上がる文化祭にしないとなと、八幡はこっそり気合いを入れ直した。その時。

 

 

「あ、ヒキタニくんも来てたんだ。えっと、雪ノ下さん、だよね。うち、相模南です。ヒキタニくんと同じクラスで実行委員になったんだけど」

 

 いつの間に近くに来ていたのか、相模が八幡の横から雪ノ下に声をかけた。おそらく雪ノ下が会議室に入ってきた時から動きを追っていて、友達との会話を切り上げて話しかけるタイミングを見計らっていたのだろうと八幡は推測する。

 

「雪ノ下です。相模さん、同じ実行委員同士、よろしくね」

 

 隣に座る男子生徒にも一応は声をかけているものの、明らかに意識を自分のほうに向けて話しかけてくる相模に対して、雪ノ下は当たり障りのない返事を行う。

 

 誰かに仲介させて自身を売り込んでくる人は、国際教養科という特異な環境のおかげもあって高校ではほとんど無かったが、親絡みの付き合いでは今も(残念ながらこの世界に来てからも)頻繁に体験している。もちろん姉と比べるとその数は微々たるものだが、それでも高校生を相手に対処を間違えるほど経験に乏しいわけではない。

 

「うち、雪ノ下さんと話してみたいってずっと思ってて。だから仲良くして欲しいなって。えっと、ヒキタニくんと同じ部活なんだよね。今朝は階段のところで何を話してたの?」

 

「部活の予定とか、文化祭が近付いているわねとか、取り留めもない話題ばかりよ」

 

 物理的な配置を見ると自分を挟んで行われている会話なのに、二人の意識の中に俺は入っていないのだろうなと思いつつ、八幡は心の中で納得していた。俺と話してみたいと言った花火大会の時の相模と、雪ノ下と話してみたいと言った今の相模とでは、明らかに気の入れようが違う。

 

 夏休みに腐女子から忠告を受けた時には、既知の連中以外に自分に話しかける生徒が出て来るとは思ってもいなかった八幡だが、少し考えてみれば分かる話だった。俺に興味を持って話しかけてくるのではなく、雪ノ下や由比ヶ浜に取り次いでもらいたいが為に話しかけてくるのならば大いに有り得ると、八幡は納得する。

 

 二人の会話は「普段、奉仕部で何を話しているのか」という話題に移り、推薦図書の名前を次々と出して来る雪ノ下に、相模が引き攣り気味の表情で何とか相鎚を打っている。それを聞いて苦笑いしながら、あまりにも解りやすい相模の行動に雪ノ下も内心で苦笑しているのだろうなと八幡は思った。

 

 相模は確かにカースト上位の存在なのだろう。外見にしろ会話のスキルにしろ、なるほどと納得できる部分は多々ある。しかし決してトップカーストには至らない。その原因は、彼女の思惑があまりに解りやすく、そして相模自身がそうした脇の甘さに気付いていないからだろう。自分では気付けない不用意な発言によって、印象を悪くするタイプだなと八幡は判断した。

 

「そういや、実行委員長は二年から選ばれるって聞いたんだが、それにも立候補するのか?」

 

 模範的な対応の中に茶目っ気を混ぜて、相模を煙に巻いている雪ノ下に向かって、八幡は話の切れ目を活かして問いかけた。さすがに相模が哀れに思えてきたという事情もあるが、さっきから気になっていたのも確かだった。雪ノ下の思惑が何であれ、由比ヶ浜と一緒に彼女を助けると約束をした以上は、無理をさせるわけにはいかない。

 

「今のところ、実行委員長になる気は無いわね。祭り上げられるのはあまり好きではないのよ」

 

「まあ、そうだな。お前なら、祭り上げられてもお手上げとはならんだろうけど。普通なら対応しようがないしな」

 

「それって、委員長を無理に押し付けられるってこと?」

 

「いや、そこまでの話じゃなくて、なんつーか。委員長になってみたけど権限が少なくて何もできないとか、そういう話だな」

 

 雪ノ下との仲を深めるべく、健気に会話に参加しようとする相模に対しても、八幡はようやく普通に返事ができた。これぐらいの距離感で良さそうだなと思いながら、八幡は話を続ける。

 

「それに無理に押し付けるとなると、ほとんどいじめの領域だしな。気に入らない奴をクラスの委員長に祭り上げるとかありがちだけど、大人数で結託されると手の打ちようがないから悪質だよな」

 

「頭の痛いことに、教師に対しても『あの子が相応しいと思います』って言えてしまうのよね。任期を全うする以外にほとんど手がないのが厄介ね」

 

「まあ、遊びでそんなことをやるような歳でもないし、そこまで怨みを集める奴もなかなか居ないだろうし、俺らには関係のない話だな」

 

 そう言って八幡は雑談を終結させる。見知った教師や生徒会長が会議室に入ってきたのが見えたからだ。

 

 話している間は雪ノ下と相模に、そして今は教室の入り口に意識を集中しているために。八幡は近くに座っていた一年生の実行委員が、彼をせんぱいと呼ぶ少女と同じクラスの女子生徒が、彼らの会話を聞いて何やら考え込んでいたことに、最後まで気付かなかった。

 

 

***

 

 

「みんなで頑張ろう、おー!」

 

 この世界に巻き込まれて間もない頃に全校生徒に向けて演説をした時と同様に、城廻めぐりは会議室内のほぼ全員が唱和するまで、この発言を繰り返した。懐かしい記憶を思い出しながら、八幡も雪ノ下も小さな動作でそれに加わる。

 

「じゃあ最初に、実行委員長を決めよっか」

 

 だが話がこの日の本題に移ると、誰も身動きをしなくなった。生徒達のやる気のなさを嘆いていた体育教師が雪ノ下の存在に気付いて、立候補の意思を確認する。姉の話を出された雪ノ下は、しかし淡々とした口調で教師に答えた。

 

「姉が実行委員長を務めた三年前よりも、無役だった二年前のほうが盛り上がったと記憶していますので」

 

 雪ノ下の発言に嘘はない。現場の責任者として文化祭を成功に導いた三年前よりも、確たる肩書きこそ無いものの更に上の立場から文化祭を成功に導いた二年前(城廻が一年生の時の文化祭だ)のほうが、盛り上がりという点でも両親からの評価という点でも上だったのは確かだった。

 

「うん、確かにあの年は凄かったなー」

 

 陰の最高責任者の活躍ぶりを、城廻は懐かしそうに語って聞かせる。それを聞いた実行委員の多くが、その活躍を雪ノ下にだぶらせて、彼女はきっと姉と同じ役割を担うつもりなのだろうと考えるのも当然だった。

 

 その中でも、一番目端の利いた生徒が静かに手を挙げた。雪ノ下から全面的にバックアップを受けられる環境だと思い込んだ相模が、名を成すには最高の状況だと早とちりして、委員長への立候補を名乗り出たのだ。

 

「うちも実行委員長として成長したいので、みんなも一緒にスキルアップ、頑張りましょう!」

 

 雪ノ下の冷ややかな態度にも、八幡が内心で呆れていることにも気付かず、相模はそう宣言する。大きな拍手を受けながら腰を下ろすと、相模は拝むような姿で雪ノ下に話しかけた。

 

「さっき言ってたこともあるし、雪ノ下さんって奉仕部だよね。文化祭への協力、お願いね!」

 

「そうね。一応は形式として、平塚先生の許可を得る必要があるので、詳しい依頼内容を説明して来て欲しいのだけれど」

 

「えっと、平塚先生に言えばいいってことだよね。うん、分かった!」

 

「許可が下りたら、部室まで来る必要は無いので、メッセージで報告して貰えるかしら?」

 

 型通りの返事に終始する雪ノ下だが、逆にその姿勢に頼りがいを感じているのか、相模はこれで成功間違いなしという表情を浮かべている。思わぬ展開にこっそりため息をつきながらも、今はこのまま見守るしかないと考えて八幡は静観を続ける。

 

 部室に来なくても良い理由は、おそらく相模に聞かれたくない話をする為だろうなと考えつつ。その意図が八幡に伝わっていることを確認して、少しだけ目線を逸らしながら小首を傾げる雪ノ下に目の動きだけで応えつつ。ここまで来ると部室に移動するのが楽しみになって来た八幡だった。

 

「この後、奉仕部内で相談をする予定だけれど。数分で済むので、明日の夕方に時間を作ってもらえないかしら?」

 

「えっと、連絡を待ってればいいのかな。雪ノ下さん、うちの為にありがとね!」

 

 城廻以下の生徒会役員は、実行委員長を決めるのにもっと時間が掛かると思っていたのだろう。この日は他に議題もなく、週明けからの本格稼働を約束して、委員会はお開きになった。

 

 

***

 

 

 部室に移動して、疲れた表情の由比ヶ浜を雪ノ下と二人で出迎えて、八幡はようやく色んな事から解放されたような気持ちがした。考えてみれば朝からずっと、これまでにないほど多くの視線を集めていたのだ。こんなのは俺の役柄じゃないと思いながら、八幡はずずっと紅茶をすする。

 

「姫菜の提案だから、あんまり大っぴらには反対できないしさ」

 

 クラスでは腐女子の提案の他には良い案が出ず、彼女の予測通りに無事採用される運びになったらしい。親友とも言える存在ゆえに由比ヶ浜も他生徒との板挟みになって色々苦労をしたのだろうが、こっちも大変だったんだよなと八幡は現実逃避気味に思う。

 

「こちらも、相模さんから依頼を受ける形になったのだけれど」

 

 由比ヶ浜の愚痴を根気強く最後まで聴き続けて、ようやくいつもの陽気な雰囲気を取り戻した部員に安堵の表情を送ると、雪ノ下は委員会での出来事を説明し始めた。特に補足する必要も無いほど必要十分な内容だったので、引き続き八幡は紙コップに淹れてもらった紅茶を少しずつ味わっていた。

 

「それってさ、さがみんに都合のよすぎる形じゃないかな。奉仕部の理念だっけ、それにもそぐわない気がするんだけど……」

 

「だよな。俺もそう思ったのと、最後に相模と明日会う約束をしてただろ。あれの意図が判らなかったんだが」

 

「簡単なことよ。由比ヶ浜さんが懸念してくれたように、奉仕部の理念は、『助けを求める人に結果ではなく手段を提示する事』なのよね。私は一言も、相模さんが望む形で協力するとは言っていないのだけれど」

 

 そういう事かと、八幡は雪ノ下の意図を理解した。由比ヶ浜は首を傾げたままだが、詳しいことは分からなくとも雪ノ下への信頼ゆえに、その表情は既に明るさを取り戻している。

 

「相模さんが実行委員長に相応しい域に至るまで、成長の手助けをしようと思うのだけれど」

 

「それって……スパルタってことだよね?」

 

 まさかの相模改造計画を聞いて、由比ヶ浜の顔が引き攣っている。雪ノ下が主導するからには、教育方針はスパルタにならざるを得ないだろう。相模の前途を思って、心から同情する由比ヶ浜だった。

 

 

 だが、事態は奉仕部の三人にとって思わぬ方向へと進む。

 

 週明けの月曜日、相模は高校に姿を見せなかった。

 




次回は一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(10/14,10/28)

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