俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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本話から原作六巻に入ります。
本章から読んでみようという方々には、前話をはじめ区切りごとに簡単なまとめを用意していますので、先にそちらに目を通して頂けると嬉しいです。



原作6巻
01.さまざまな思惑をよそに彼は逃亡を試みる。


 秋らしいうららかな日和の九月初日。比企谷八幡は、自転車から飛び降りて元気に中学校へと走り去る妹を見送ると、ゆっくりと高校の校舎に向けてペダルを漕いだ。

 

 天気予報によると、またすぐに暑さがぶり返すという話だが、今日は台風一過の影響か過ごしやすい一日になるらしい。このぽかぽかした陽気に相応しい一日になると良いのだが、と考えながら、八幡は自転車を止めて待ち合わせ場所へと向かった。

 

 

 二学期早々に朝一から面倒だなと思いつつ、八幡は通い慣れたベストプレイスへと歩を進める。通学の道中で、妹が憂鬱を共有してくれたお陰で精神的には助かっているが、それでも相手に会う前から肉体的な疲労感が湧き出て来そうになる。一度立ち止まって廊下で大きく伸びをして、八幡は再び歩き始めた。

 

 目的地が見えてくると、どうやら待ち合わせの相手は既に到着しているらしい。ほぼ同時にこちらに気付いて、小さく手を振ってくる眼鏡の女子生徒。歩きながらぎこちなく片手を挙げることでそれに応えて、八幡は歩く速さはそのままに、海老名姫菜へと近付いて行った。

 

 

「はろはろー。さっそく読んでくれたみたいだね」

 

「まあ、覚悟はしてたけどな。予想通りというか更に斜め下というか。これ、クラスの話し合いで通るのか?」

 

 夏休みに八幡の家に来た時の約束通り、海老名は昨日の夕方頃に、画像とテキストデータを添付したメッセージを送って来た。文化祭ではクラスで劇をしたいという希望を持つ彼女は、その脚本を始業式までに書き上げて主演候補たる八幡に見せると伝えていたのである。

 

「他にやる気のある人がいれば別だけど、こういうのって自分から提案するのは珍しいからね。少しは揉めるだろうけど、消極的な賛成って感じで落ち着くんじゃない?」

 

「はあ、マジか。正直に言うとテキストだけで力尽きたから、画像は見てないんだけどな」

 

「心配しなくても、画像は千葉村のレポートだよ。始業式で全校向けに一般公開されるみたいだし、見てないならその時でも良いんじゃない。この劇のイメージイラストとか、そんなのは一般回線で送れるわけないじゃん。恥ずかしい……」

 

「ちょっと待て。どんなのを描く気なんだよ……ってやっぱ無し。見せなくていい!」

 

 奇妙な理由で照れていたかと思えば、次の瞬間には流れるような動作で画像を目の前に展開しようとする。そんな海老名を必死で制して、八幡は妹と一緒にため息をついた先程の記憶を思い起こしていた。

 

 落ち込んだ八幡を妹が元気付けるという構図は良くあるが、ともに落ち込んでくれるという構図はなかなかレアである。海老名の趣味によって被害を受けた者同士、それによって普段以上に妹との絆を実感して、何とか八幡は口を開く。

 

「ちょっと気になったことを言って良いか?」

 

「もちろん。主演候補の意見はなるべく反映させたいって思ってるよ?」

 

 といってもBLという要素が作品の根底に存在している以上、そこを撤回する気は無いのだろうし言うだけ無駄だろうと潔く諦めて、八幡は読みながら違和感を覚えたことをそのまま告げる。

 

「これ、俺と葉山を念頭に置いて書いてるように見えて、実はちょっと違う気がしたんだよな。改変の余地を残してるっていうか、むしろ改変後の脚本が既にあって、それを隠されてるような気がしたんだが?」

 

「おー、そこまで見破られるとお手上げかな。ヒキタニくん、進路の希望がないなら編集者とか考えてみない?」

 

「それって、BL作家の担当になったらこの手の原稿を山ほど読むことになるんだろ。小町が嘆く未来しか見えねーから却下だな」

 

「小町ちゃんを理由にする辺り、ヒキタニくんらしいよねー。えとね、私も正直に言うと、ヒキタニくんが主演を引き受けてくれる自信が無いんだよね。だから次善の脚本を用意したんだけどさ」

 

「ま、バレてるなら話は早いか。確かに俺は断ろうと思って来たんだけどな。『嫌なら強制はしない』って言ったのはそっちだし、悪いな」

 

「大丈夫だよ。隼人くんの相方候補には目星が付いてるし」

 

「なあ。それってまさか、戸塚じゃねーよな?」

 

 昨夜自室で原稿を読んでいた時から危惧していたことを、八幡は口に出した。外れて欲しいと思いつつもおそらくは無理だろうと覚悟していた通り、海老名は静かに大きく頷いた。

 

 あの可愛らしい同性の友人が自分のせいで犠牲になるのかと思うと、八幡にも罪悪感が浮かび上がってくる。だがそれは後でじっくり問い詰めることにして、八幡はふと気になったことをそのまま尋ねることにした。

 

 

「朝っぱらからこんな話をするのもアレだが……普段から『はやはち』とか言ってるのって、もしかして……」

 

「それは違うよ。私は絶対にはやはちがベストカップルだと思ってるし、二人を主演に劇をやりたいのもホント。そこは疑わないで欲しいかな」

 

「あ、すまん……。って、なんで俺が謝ってんの?」

 

 八幡の素直な反応に、海老名が思わず噴き出している。ばつの悪い思いを抱きながらも、八幡は夏休みに自宅で見た光景を思い出していた。

 

 小町の反応を見て、今と同じように噴き出して、楽しそうな表情を浮かべていた海老名。噴き出すと言えば鼻血だったはずの彼女にもこんな一面があるのかと思った記憶がある。だから八幡は、はやはち推しが擬態で今が素なのではないかと疑ったのだが、本人から即座に否定が入った。

 

 首を傾げながら説明を待つ八幡に、海老名が苦笑しながら語りかける。

 

「ただね。今の段階だとはやはちよりも、はやとつ&とつはやリバーシブルのほうが完成度は高いと思うんだよね!」

 

「ちょっと待て意味が解らん。いや……俺にやる気がないからって意味か?」

 

 葉山と変な関係になることはもちろん、一緒に仲良く劇をするのもできれば御免被りたいと考える八幡は、完成度という言葉から推測した内容を口にした。海老名は意図の読めない笑顔を浮かべながらゆっくりと説明を始める。

 

「例えばさ。男子だとサッカーとかでよく話題にしてるよね。戦術に合った選手が良いのか、それとも選手に合った戦術が良いのか、みたいな話」

 

「あー。俺は話す相手が居なかったから、ネットでその手の記事を見ただけなんだが。まあ言いたいことは解るな」

 

「私はさ、出演者を活かすような、出演者にばっちり合った脚本を作って最高の劇にしたいって考える派なんだよね。脚本を押し付けたり合わせて貰うんじゃなくてさ。だから、今のヒキタニくんだと難しいんだよねー」

 

 目下の自分に足りないと思っていることを見破られた気がして、しかし問題点を共有してくれる他者を得られたような感覚も同時に少しだけ感じて、八幡は思わず口に出して呟いた。

 

「なんか、お互いに闇が深そうだな。……夏休みに雪ノ下姉に会ったけど、あの人ともベクトルが違う気がするし」

 

「雪ノ下さんのお姉さんのことは分かんないけど、こんな趣味を持ってる時点で、たしかに闇は深いかもね。それを見抜くヒキタニくんも大概だと思うけど」

 

 お互いを例に出して具体的に話しているようで、その実は一般論の域を出ない会話を二人は行う。他人が見たいと思う表情を顔に貼り付けることで内心を隠すあの人と、アルカイックな表情を浮かべて内心を隠す目の前の女子生徒と。二人の境遇を思うと違って当然だと八幡は思った。

 

「やっぱり、朝からする話じゃなかったな。悪かった」

 

「じゃあ今度は夜に、はやはちの良さについてじっくり語ろっか」

 

 八幡が話を戻そうとして率直に謝ると、海老名もまた普段通りの雰囲気に戻った。中二病だった頃に、自分の妄想に付き合ってくれる友人が居たらと考えたことをふと思い出して、八幡は内心で苦笑いする。話してみると面白い相手というのは、意外に身近にいるのだなと思いながら。

 

「まあ機会があればな。んで、戸塚が候補だとしても、俺と同じように強制はしないんだよな?」

 

「うん。無理にやらせても良い作品にはならないからね。でも、引き受けてくれると思うよ?」

 

「引っ込み思案の戸塚がか?」

 

「それは一面だと思うなー。意外に責任感が強いし、ヒキタニくんにも頼って欲しいって思ってるはずだよ」

 

「あー、まあ、そうだな。戸塚が自発的にやりたいって言い出すんなら、俺の出番はねーな」

 

 海老名の説明で憂いが一気に消えて、むしろ過保護な扱いをしようとした自分を恥じる八幡だった。そんな八幡に海老名が楽しそうに話しかける。

 

「でもさ。ヒキタニくん、隼人くんのことは心配もしてなければ、引き受けないって可能性すら考えてなかったよね。やっぱり二人は響き合ってるね!」

 

「それ、意味不明だって夏休みにも言ったよな。話が終わりなら、先に教室に行って欲しいんだが」

 

「私は別に、一緒に教室に入っても良いんだけど?」

 

「頼むから勘弁して下さい」

 

 その返答を予期していたように、海老名は小さく八幡に頷きかけると、迷わず背を向けて歩き始めた。「二学期もよろしくね」とだけ言い残して。

 

 

***

 

 

 海老名を見送った八幡は、いつもの自販機で甘いコーヒーを入手して先程のやり取りを振り返っていた。出演を断ったことに後悔はないが、多少の罪悪感は避けられない。文化祭から、少なくともクラスから逃げる手はないかなと考えながら、八幡は飲物を堪能し終えると歩き始めた。

 

 時間に余裕を持って待ち合わせをしたはずが、もうすぐ予鈴が鳴りそうな気配がする。廊下を歩く他の生徒達の様子から、八幡はそう判断して足を速めた。ガラス張りの階段に辿り着いて、二段飛ばしで無心で昇る。

 

 ふと視線を感じて顔を上げると、踊り場に見知った顔があった。温かな太陽の光を背に、雪ノ下雪乃が自分を見下ろしている。一学期初めの感覚に戻って、氷の女王と同じ高さで並ぶのは不敬ではないかと階段の途上で足を止めた八幡だったが、不思議そうに首を傾げている雪ノ下を見て一気に同じ場所まで足早に上がった。

 

「お久しぶりね」

 

「こないだ会った気もするけどな。今日から二学期だけど、変な依頼が来ないと良いな」

 

「そう言いつつも、いざ仕事となれば真面目に働くのでしょう、捻くれ谷くん?」

 

「まあ、働かないとどっかの部長様が怖いからな」

 

 急ぎ足で階段を上っていたはずの生徒達が、二人を遠巻きに眺めている。だが八幡も雪ノ下も、久しぶりのやり取りを行える機会を偶然得られたことで、部室に居るかのような心地になっていた。日頃からぼっちの観察力を強調していた八幡だが、夢中になると周囲が見えなくなるのもまたぼっちの習性であることを、彼は失念していた。

 

 周囲の様子に気付くことなく、二人は会話を続ける。

 

「そういや海老名さんがお前に会いたがってたけど、夏休みに会えたのか?」

 

「残念ながら家の用事が色々と入って、どうにも余裕が無かったのよ。夏休みが終わってからのほうが時間の都合が付くだなんて、変な話だと思わないかしら?」

 

「まあお疲れさん。つか余裕って言うなら、何も土曜日から始業式をしなくても良くねって思うんだが」

 

「文化祭が二週間後に迫っている以上、朔日から始まるのは逆に日程的には助かるわね。もっとも、責任を問う相手は明確だと思うのだけれど」

 

「日程を硬直させた運営のせいだよな。それにせっかくの土曜なのに午後まで拘束されるのも勘弁して欲しかったな」

 

「クラスで役員を決めて、文化祭実行委員会と平行してクラスの催しを話し合って、それが終わってから今学期の部活はじめなのよね。確かに詰め込みすぎではあるのだけれど」

 

「ま、今学期もお手柔らかに頼むわ」

 

 二人の会話が一段落するタイミングを見計らったかのように、階下へと繋がる階段に群がっていた生徒達が中央で分かれる。踊り場で会話をしている二人の姿を遠くから見付けて、明るく元気に駆け寄ってくる女子生徒を導き入れるかのように。

 

「ゆきのん、ヒッキー、やっはろー!」

 

「おはよう、由比ヶ浜さん。今学期もよろしくね」

 

「朝から元気だな。部活は今日からみたいだし、また後でな」

 

「ちょ、ヒッキー。同じクラスなのに何を言ってるんだし!」

 

「ばっかお前、一緒に教室に入るとか恥ずかしくて無理に決まってんだろ。変な誤解をされるのもアレだし、先に行って良いぞ」

 

「じゃあ、ここでゆきのんと喋ってるのは恥ずかしくないの?」

 

「え、あれ、なんでこんなに人が居るんだ?」

 

「もう。ほら、ゆきのんもヒッキーも、そろそろ予鈴だから急ぐよ!」

 

「ゆ、由比ヶ浜さん。廊下を走らなくても間に合うみたいだから、引っ張らないで落ち着いて」

 

 そんな三人の仲の良い様子が噂になって、この日の放課後には全校にまで広まるのだった。

 

 

***

 

 

 始業式が終わって、八幡は微妙な視線を多数受けながらも教室でぼっちを貫いていた。机に突っ伏して、これ見よがしにイヤホンを装着して音楽を聴いているフリをしながら、LHRの開始を待つ。

 

 

 同級生達が八幡に話しかけたそうにしているのは、複数の理由がある。

 

 一つは、始業式で公開された千葉村のレポートを読んだから。海老名が端的に記した奉仕部の活躍の中に、いじめの問題は含まれていない。しかしゲーム大会を開催して小学生を楽しませたこと、塾を動かして小学生向けの英語クラスを創設させたことは書かれていた。八幡が決して奉仕部のおまけではなく、これらに少なからぬ貢献をしたと明記されていたのだ。

 

 更に決定的だったのは、レポートに使われていた写真だった。小学生とゲームに興じる雪ノ下と八幡が大写しになっているだけでなく、別の小学生グループとゲームをしながらも二人の様子を案じる由比ヶ浜結衣の姿も一目で分かる。更に目をこらしてみると、また別の小学生たちと遊んでいる戸塚彩加や比企谷小町の姿も写っている。誰が撮ったのか、ゲームの盛り上がりや中高生達の性格がそのまま伝わって来るような写真だった。

 

 写真は他に二枚あって、小学生の調理を助ける葉山グループの写真、そして中高生が勢揃いして小学生の退村式を見守っている写真が採用されていた。特に後者からは、問題を解決して満足げな表情を浮かべる参加者たちの親しげな様子が垣間見えて、運動部と文化部の融和という目的を見事に体現していた。

 

 

 二つ目の理由は、朝の一件が噂となってクラス全員に知られてしまったからだった。もちろん八幡たちが同じ部活でそれなりに仲良くしていることはF組の生徒であれば誰もが知っていたが、ここまで仲が良いとは思っていなかったのだ。

 

 偶然にも階段の踊り場付近に居合わせて、具体的な会話の中身を耳にしたクラスメイトはもちろんのこと。噂で内容を伝え聞いた程度の同級生であっても、三人が和気藹々と会話に興じていたと聞けば、八幡の印象が一変するのも無理のないことだった。

 

 

 そして三つ目の理由は、騒がしい同級生の行動に原因があった。つまり千葉村で八幡との仲を深めた戸部翔が、朝に由比ヶ浜と一緒にクラスに入ってきた時も、始業式が終わって教室に帰ってきた時も、親しげに八幡に話しかけて来たからだった。

 

 葉山隼人が折を見ては八幡に話しかけている姿を、同級生は一学期から目の当たりにしている。だが戸部が千葉村で口にしたように、多くの生徒達はそれを、八幡がクラスで孤立しないための行動だと受け取っていた。だが戸部の言動からは、そうした気遣いは全く窺えない。八幡と話したいから話しかけるというシンプルな戸部の行動は、クラスメイトの認識に変更を促し、八幡の印象を改善させる一助となっていた。

 

 

 八幡は奉仕部の仕事を仄めかして、音楽を聴く必要があるからと戸部を追い払って、今の小康状態を得た。彼は今、かつてない同級生からの視線を受けて、ストレスが最高潮に達していたのだった。

 

 

***

 

 

 委員長が教壇に上がって、LHRが始まった。最初の議題は文化祭実行委員の選出である。実行委員会が始まる時間までに選定を終えて、委員二名を送り出した後でクラスの出し物を相談する予定になっていた。

 

 とはいえ実行委員になると、クラスの出し物にほとんど関与できなくなってしまう。高二という一番気兼ねなく文化祭を楽しめる学年なのに、クラスの盛り上がりに参加できないのは嫌だ。生徒達がそう考えるのも無理はなく、ゆえに立候補者が出ないことは予測できた。

 

「あー。えーと、委員に立候補したいんだけど」

 

 だから八幡がか細い声で立候補を名乗り出ると、委員長は勿論のことクラス全員が驚きの声を上げてしまった。

 

 クラスから逃げたいという朝からの希望に加えて、本人の意識としては針のむしろ状態だったこともあり、八幡は自分の行動を合理的なものだと考えていた。しかしストレスが彼を行動に駆り立てたことも否定はできない。いずれにせよ、彼の希望は即座に受理されたのだった。

 

「なあ。俺らもしかして、すげー誤解をしてたのかもな」

「ヒキタニくんって、見た目で勝手に決めつけてたけど、実は頼りがいがあるんじゃない?」

「一度ゆっくり話してみたいよな」

「せっかく二学期に話す約束までしたけど、うちの行動って遅かったのかな」

「一学期から話しかけてた葉山くんって、やっぱりさすがだよね」

「ヒキタニくん、マジ頼れる男だべ。実行委員会で疲れたら、いつでもクラスに帰って来て欲しいっしょ!」

 

 そんな風にざわつく教室の中で、葉山は冷静に周囲を観察していた。まだ女子の委員が決まっていない。その人選によっては、先々のことを考えてフォローを入れた方が良いだろうと考えつつ、葉山は静かに盛り上がりが収まるのを待っていた。

 

「じゃあ、女子で誰か、立候補っていませんか?」

 

 委員長が再び口を開いたものの、それに応える声は今度は上がらなかった。八幡のことを見直して、可能なら話してみたいと言っていた生徒であっても、クラスの出し物に参加できなくなるデメリットを受け入れてまでとはさすがに思えない。

 

 自然、女子生徒達の視線は一人に集中することになった。彼と同じ部活なのだから犠牲になってくれとの無言の圧力を受けて、由比ヶ浜は手を挙げそうになる。しかし。

 

「結衣が抜けたら、クラス内で諍いがあった時に誰が収拾するんだし?」

 

 数の圧力などものともせず、女王がそう言い放った。

 

 三浦優美子は裁定はできるが、その後のことは他者に委ねるしかない。つまり後始末に動く人材が居ないと女王の能力は半減する。海老名は事態の収拾もその後のフォローもできるが、それらの行動は気まぐれだ。気が向いた時や当事者が彼女と親しい仲であれば頼りがいがあるが、大抵の場合、海老名は静観を良しとしている。由比ヶ浜の調整能力があるからこそ、クラス内は平穏に保たれているのだった。

 

 三浦の発言が数秒遅かったら、おそらく口を開いていたであろう葉山は、一度肩の力を抜いて再び静観に戻る。

 

「ま、立候補が結衣の希望だったら仕方がないけど、無理に押し付けることじゃないからねー」

 

「あ、やー。希望ってわけじゃないんだけど。あれ、でもあたしって、クラスでの仕事確定済み?」

 

 海老名への返事に続けて小声で「一応は得意分野だからいいんだけどさ」と呟きながら、由比ヶ浜は夏休みの勉強会の後で部活仲間の二人に「頑張る」と言ったことを思い出していた。自分が得意なことで、あの二人の手を煩わせるわけにはいかない。そんなことでは、二人の力になどなれないだろうから。

 

 だが由比ヶ浜が実行委員になれない以上、話は振り出しに戻ってしまった。

 

 

「結局はさ。委員になったらクラスとは別、みたいな感じになっちゃうデメリットが、大きすぎると思うんだよね。だから委員にはクラスにも友達が多い人にお願いして、それに加えて二人の委員とクラスの橋渡しをするような役職を設けたらどうかな?」

 

「やっぱり隼人くんもさすがっしょ!」

 

 満を持して葉山が口を開くと、戸部を始め賛同の声が次々と上がった。しかしようやくストレスから解放されて落ち着きを取り戻しつつある八幡は、葉山の提案に微かな違和感を覚えた。まるで女子の立候補者を誘導しているかのように。更には未来で起き得ることを予測して、それへの対処のために新たな役職を提案しているように聞こえたのだった。

 

 とはいえ、クラスメイトの情報に乏しい八幡に葉山の真意は読み取れない。こっそりと態度を窺ってみても、今の葉山は八幡が苦手な葉山ではない。つまり、葉山の提案に無理筋の要素はあまり無いのだろう。葉山という人間を信頼できるとはとても言えない八幡だが、葉山の能力にはある程度の信頼が置ける。

 

「じゃあさ。女子みんなで助けるから、相模さん、どうかな?」

 

 トップカーストの三人娘を除くと、このクラスで顔の広い女子と言えば一番手は相模南である。こうした声が上がるのは時間の問題でしかなく、そして一度名前が出てしまえばそれを相模が拒否できないこともまた、葉山が予測した通りだった。

 

「そうだね。相模さんなら問題なくやれると思うんだけど、お願いできないかな?」

 

 この一声が決め手となって、実行委員は八幡と相模に決まった。葉山はそのまま言葉を続ける。

 

「それで、さっき言ってた橋渡しの役職なんだけどさ。ヒキタニくんと相模さんにクラスの情報を伝えたり、二人に何かがあったら代わりに実行委員として動いてもらったりってのを考えてたんだけど、どうだろう?」

 

 そんな葉山の発言を受けて、八幡は確信する。相模を選んだことも意図的なら、この新たな役職に選ぶべき人物もまた、葉山の中では確定しているのだろうと。相模の性格を詳しく知らない以上、八幡にはこれからの展開を予測することはできない。だがどんなアクシデントが待ち受けていようとも、そして大部分の同級生のことをほとんど知らない八幡でも、自信を持って推薦できるクラスメイトが一人、存在する。

 

 葉山の意見に賛同するその他大勢の声を完全に無視して、八幡は由比ヶ浜を眺める。責任感を全身に漲らせながらも、それに押し潰されることなく葉山の指名を待っている由比ヶ浜を。葉山が目線だけで意思を問うて、由比ヶ浜は小さく頷いてそれに応えている。そんな二人を不快に思いながらも、八幡は部活以外で彼女と一緒に仕事ができることに、盛り上がる気持ちを抑えられないでいた。

 

「正直この役職って、結衣以外にはできないと俺は思うんだけど。頼めるかな?」

 

「うん、任せといて!」

 

 委員長の進行を待つまでもなく、こうして人事が確定した。葉山はそのままフォローのために話を続ける。

 

「優美子も姫菜も、色々と働いてもらうことになるかもしれないけど、頼むな」

 

「実行委員も結衣も含めて、クラス全員で盛り上がる文化祭にするし」

 

「私も色々と考えてるから、隼人くんの頑張りにも期待してるね!」

 

 海老名の意味深な発言を深く考えることなく、安易に頷いてしまったことを、葉山は程なく後悔することになるのだった。




原作六巻からの変更点(日程について他一件)について、以下で簡単に説明します。
細かな説明は要らないよという方は、ここで引き返して下さい。

次回は一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
説明が不十分に思えた箇所を書き足して、細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(9/22,10/14,4/2)





・日程について
 原作6巻は「文化祭まで一ヶ月近く」(p.17)という時点からのスタートになっています。しかしその場合、体育祭と修学旅行を含めた三つのイベントが約一ヶ月の間に集中するスケジュールになります。

 一方で、原作7.5巻冒頭にある由比ヶ浜のスケジュール帳によると、文化祭は9/14〜15、体育祭は10/10、修学旅行は11/12〜15で、各イベントごとに時間の余裕があります。そうした理由から、本作ではこちらの日程を採用しました。ちなみに夏休みの開始、千葉村、由比ヶ浜の家族旅行、花火大会の日程も全て7.5巻の記載に合わせています。

 二学期の始業式が9/1なのは原作5巻214ページの記載に従いました。曜日を由比ヶ浜の誕生日に合わせるとこの日は土曜日になるのですが、一学期の中間考査が六月にずれ込んだ時と同様に、都合の悪いことは大抵この世界のせいになります。ご了承下さい。


・肩書きの変更
 原作ではルーム長(p.43)という呼ばれ方だったのを、委員長に変更しました。

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