俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 夏休みを自堕落に過ごしていた八幡は、自宅に続けざまに同級生女子を迎えていた。由比ヶ浜がサブレを預けに、海老名が二学期の相談に現れて、もはやぼっちとは名ばかりの状態である。そんな八幡のもとに、翌日の予定を尋ねるメッセージが届いた。



02.(ブラコンと)あざとさと切なさととつ可愛さと。

 翌日、比企谷八幡は実にすがすがしい気分で目覚めた。午前中はテニススクールがあるので、待ち合わせは午後、各自で昼食を済ませてからという話なのだが、まだ早朝の時点で気が急いて仕方がない。

 

 今日は外で遊ぶ予定だが念のためにと、誰にともなく言い訳をしながら、八幡は朝からいそいそと働いていた。妹の部屋を除いて家中の掃除を済ませると、そのまま朝食の支度に入る。夏休みに入って以来、充実の専業主夫ぶりを見せる八幡だったが、今日ほど家事が完璧な日はなかったと妹は後に語っている。

 

 まだ寝ぼけまなこの比企谷小町を促して食事を済ませ後片付けを終えると、八幡はそのまま昼食の準備に入ろうとした。気が急きすぎである。

 

「お兄ちゃん、いつも午前中は勉強してたけど、今日はしないの?」

 

「まあな。今日に備えて昨日のうちに済ませておいたんだわ」

 

「なんだろ、この無駄な有能感は……」

 

 妹の呆れ声も八幡の耳には届かない。あえて聞かせるように大きく息をはいて、小町は兄に問いかける。

 

「じゃあ待ち合わせの時間まで予定は無いんだよね?」

 

「あー、まあそうだな。そういや小町、今日着ていく服ってこれで大丈夫かな?」

 

「それでいいんじゃない。それよりさ」

 

 投げやりな口調で、それでも律儀に返事を返して小町は言葉を続ける。

 

「サブレが来てからカー君が落ち着かないみたいでさ。ちょっと散歩でもさせようかなって」

 

「ほーん。ま、外に出しておいたら勝手に歩き回って勝手に帰ってくるんじゃね?」

 

「じゃなくて、サブレを散歩に連れて行くんだよ」

 

「ああ、確かに疲れてる時って気晴らしに外に行くよりも家で寝させろってなるもんな」

 

「やっぱりペットって、飼い主に似るのかなぁ?」

 

 目の前の兄に加えて、休日に家でぐったりしていた両親の姿を思い出しながら小町が呟く。

 

「さあな。ま、散歩に連れて行くなら気を付けてな」

 

「えっ。お兄ちゃんも一緒に行くんだよ?」

 

「いや、だから今日は予定が……」

 

「お昼ご飯の後でしょ。この世界だとペット連れでもほとんどのお店に入れるし、サブレを連れてお散歩に行って、お昼ご飯を食べて解散でいいじゃん。お兄ちゃん、小町とデートしたくないの?」

 

 少しだけ唇を尖らせて、しかし目は笑っている小町に向けて、八幡が否を返せるはずもない。きざなセリフでも言ってやろうかと思いつつも自分には似合わなさそうなので、八幡は普通に答える。

 

「ほいじゃ、一緒に出かけるか。小町も勉強中心の毎日だったし、息抜きにもなるだろ」

 

 変に凝ったセリフよりも妹への気遣いを自然に口にするほうが遙かに効果的だと、気付いていないのは本人ばかり。少しだけ照れた表情を見せつつも、喜びを過度に表に出さないようにと妙なところで拘りながら、小町もまたいそいそと外出の支度に移るのだった。

 

 

***

 

 

 夏真っ盛りとはいえ午前中は日差しもそれほど強くはなく、やわらかい風が途切れなく吹いていた。リードをつけたサブレに導かれるようにして、兄妹はのんびりと陽のあたる坂道を昇る。

 

「そういや自由研究はできたのか?」

 

「うん、まあ無難な感じでね。お兄ちゃんに手伝ってもらった去年は変に目立っちゃったからさ」

 

「その辺りの調整って、面倒臭そうだな……」

 

「手伝ってもらって悪いなーって思うんだけど、周りから浮いちゃうほうが、あとあと面倒だからね」

 

「ま、目立たないようにってのは分かるけどな。俺も他の連中が行きそうにないタイミングで予備校の予定を入れてるし」

 

「明日から五日間だっけ。お盆の時期だし確かに少なそうだよね。夕方には帰れるんだっけ?」

 

「その代わり朝一からだけどな。……こう見ると、この辺りも微妙に変わってんだな」

 

 お互いの顔を見ることもなく、二人は視線をきょろきょろと彷徨わせながら会話を続けていた。

 

 現実では撤退した大手チェーン店がこの世界では営業を続けているケースもあるにはあるが稀といって良く、民家などは完全に現実に即している。新築の家や取り壊されて空き地になっている空間を眺めながら、八幡は物思いに耽る。

 

 変わってしまったことを惜しむ気持ちとは、いったい何なのだろうか。多くの人が過去を懐かしみ変貌を遂げた今を見て寂しがる。ならば変化することは、成長のためとはいえ何かを切り捨てることは、手放しで褒められるべきことではないのだろうか。

 

 きっと、変わらないことで、成長や未来から逃げ出すことでも得られるものはあるのだろうと八幡は思う。要は取捨選択の問題だろうと。そして八幡はあの子のことを思い出す。正確には、あの小学生に向けて部長様が話していた内容を。

 

 あの時の彼女の言葉を、「逃げることをためらわないで欲しい」と口にした彼女の姿を八幡は脳裏に蘇らせる。逃げることで失うものと、逃げることで得られるもの。それを見極めて欲しいと彼女は言いたかったのだろう。

 

 何も失わずただ得られるだけの選択肢があれば、誰だってそれを選ぶだろう。だがそんなうまい話は大抵が詐欺だ。父親の薫陶を受けて人一倍そうした気配に敏感だった八幡は、騙されることに臆病になった八幡は、最近ではそうした場面で立ち止まることが多かった。ただ立ち止まって状況が変化するまで耐える。これならば無様な姿を晒す危険性は少ないだろうと思うがゆえに。

 

 しかし、と八幡は思う。他人からの好意というものもまた、うまい話に見えるものだ。今までは一律に突っぱねておけばそれで良かった。自分には無関係だと、何かが去って行くのを待つだけで良かった。だが自分に向けられる好意も僅かながら存在するのだと知ってしまった今となっては、見極める必要が出て来た。

 

 それを受け入れて前に進むのか、それとも一目散に逃げるのか。あるいは今まで通りに立ち止まって待つのか、あえて立ち向かう選択だってある。そしていずれにせよ、変化してしまった物事は元通りにはならない。

 

 ならばせめて、成り行きに任せるのではなく自分で選びたいものだと八幡は思った。たとえ後になって後悔する選択だったとしても、それを他人に選ばせるような、それを他人のせいにするような無様な真似は御免だ。自意識が高いのは百も承知で、それでも八幡は自分で決断を下すことに拘る。

 

 

「おーい」

 

 不意に八幡の手を暖かいものが包み込んだ。サブレのリードを持っていないほうの手で、小さくとも意図を疑う必要のない手のひらで、妹が自分の手をにぎにぎして来る。それをしっかり握り返して立ち止まると、八幡は息をはく。

 

「すまん、ちょっと考え込んでたわ」

 

「なに考えてたの?」

 

「いつか、今の関係も変わっちまうんだろうなって。……それ、持つわ」

 

 妹から受け取ったリード越しにサブレの興奮を感じながら、一貫して自分に好意を示し続けるミニチュアダックスに八幡は苦笑いを送る。そして「誰との関係を念頭に置いているのか」を掴みきれず気軽に口を開けない小町をよそに、八幡はその場で話を続けた。

 

「俺は大学も家から通学範囲内にする予定だし、限界まで働かないつもりだが……。俺が変わらなくても、周りが変わることもあるんだよな」

 

「でも変わらない人だっているし、お兄ちゃんこそ変わる時は一気に変わっちゃう気がするけどなー。高校に入った時もそうだったじゃん」

 

「あー、そういやそうか」

 

「たぶんお兄ちゃん、中学の同級生のこととか忘れてるんだろうけどさ。噂ってなかなか無くならないもんだよ。それに残された側がどんな風に思うのか、とかも鈍いよね?」

 

「それを言われると、返す言葉がねーな」

 

 入学式の日に遭遇した事故のことを、更には小町が事故の時の気持ちを吐露した公園での一幕を八幡は思い出す。横手のほうを眺めていた小町は、そんな兄の言葉を打ち消すように、繋がった手に力をこめて語る。

 

「お兄ちゃんとの間では終わった話だけど、同じことを他の人にはしないでね。小町だから良かったけどさ、あれ、辛いんだよ?」

 

「……だな。断言できるほどの自信はねーけど、可能な限り善処するわ」

 

「うん。どうでもいい人には言わせとけばいいんだけどさ。配慮したほうがいい相手には、ちゃんと考えてあげてね」

 

「配慮か……。そういや雪ノ下は一人暮らしだけど、あの一家だと残された者の気持ちとか関係なさそうだな」

 

「雪乃さんの家庭環境を知らないから分かんないけど、あのお姉さんは凄かったよねー」

 

「できるならもう会いたくねーな。ついでに、似たタイプに成長しそうな一色にも会わないで済むなら嬉しいんだが」

 

 あんな域にまで成長するとは思っていないものの、本質的には似たタイプだろうと考えて八幡は軽口を叩く。その希望が叶うはずもないことは自明なのだが、本人だけはそれを理解できていない。ほんのすぐ横を眺めながら、小町が言いにくそうに口を開いた。

 

「お兄ちゃん、あのさ」

 

「おいおい、このタイミングで陽乃さんが出て来たら泣くぞ?」

 

「じゃあ、わたしだったら喜んでくれますか、せ〜んぱい?」

 

 小町のすぐ横では、一色いろはがニコニコしながら立っていた。

 

 

***

 

 

「で、なんでお前ここに居んの?」

 

「え〜。その言い方は酷くないですか〜?」

 

 先程の失言を聞かれてしまったと腹を括った八幡は、取り繕うことなく質問を投げた。問われた一色も平然とそれに応じる。しばらくは様子を見ていようと一歩引いた小町をよそに、二人は会話を始めた。

 

「正直、こんな午前中から一人で出歩くようなキャラとは思ってなかったんだが」

 

「ですよね〜。わたしも変な人に絡まれたら怖いなって思ってたから、せんぱいに会えて良かったです」

 

 片手はリードで、片手は小町の手で塞がっているのをちらりと確認して、一色は八幡のシャツの裾をちんまりと、しかし相手がしっかり気付く程度の強さで握りしめる。思わずびくっとしてしまった身体を意思の力で固定して、八幡は話を続ける。

 

「戸部とか呼び出せば良かったんじゃねーの?」

 

「それがですね〜。今日は朝からサッカー部の備品を買い出しに来たんですよ〜。戸部先輩もついて来た一年生も、大きな荷物を抱えて高校に移動してるので今は無理っていうか……」

 

「どうせお前、『一人で帰れるから大丈夫ですよ〜』とか言いながら、大荷物の連中を涼しい顔で見送ったんだろ?」

 

「むっ、せんぱいの中でわたしって、どういう扱いなんですか!」

 

「あー、なんつーか、あれだ。一言でいうと、あざとい」

 

「なんでですか〜。もう、可愛い後輩に失礼ですよ、せんぱい?」

 

「あのな。俺は天然あざとい小町と日々仲良く暮らしてんだぞ。養殖あざといお前の演技を見破れないわけねーだろが」

 

「なるほど〜。だから『会わないで済むなら嬉しい』って考えてるんですね〜?」

 

 部外者だと思っていたら急に流れ弾が飛んで来て、小町は「これだから」と赤面している。その傍らで一色は、口調も顔の表情も変わらないのに、話す内容だけを急に変えた。擬態を見破られたと理解して、それでも焦る様子をかけらも見せない一色。それに少し虚を突かれた八幡は、一呼吸おいてから返事を口にした。

 

 

「バレてもその口調は変えないのか?」

 

「う〜ん。特に変える必要はないと思いますけど〜。せんぱいがご希望なら、違う話しかたにしましょうか?」

 

「いや、別にいい。つーか『会わないで済むなら嬉しい』は失言だわな。面倒な目に遭いたくないってだけで、特にお前を意識して言ったわけじゃなかったのに、なんでか具体例で口に出て来たんだよな。正直すまん」

 

「別にいいですよ〜。無意識にわたしの名前が出て来たってことは、普段からせんぱいがわたしを意識してくれてたってことですよね〜?」

 

 とっておきのウインクを送りながら、一色は悪戯っぽく微笑む。警戒心は強くとも女性と甘い時間を過ごした経験がほとんどない八幡は、目に見えてうろたえ始める。話を早く終わらせたいという意図もあるにはあったが、せっかく素直に謝ったのにどうしてこんな仕打ちを受けているのかと、八幡は恨み言を頭の中で呟く。

 

「お兄ちゃん、口では否定してたのに、実はいろはさんのことを……?」

 

「ちょっと待て小町。話を勝手に進めるな」

 

「ど、どうしよう小町ちゃん。わたし、今まで告白とかされたことないんだけど〜。あ、でもまだちゃんと言われたわけじゃないし……」

 

「嘘つけ。あざと可愛いお前が告白されてないとか、ありえねーだろ。頼むから小町も変な小芝居を煽るなって」

 

「あー、うん。お兄ちゃんってあれだよね」

 

 なぜか急に冷めたような突き放したような口調で話し始める妹に首を傾げつつ、八幡は急に顔をうつむけてしまった一色に話しかける。

 

「お前も俺なんかをからかう暇があったら、ちゃんとサッカー部の面倒を見てやれよ。葉山とかがインターハイに出られなくて悔しがってんじゃないかって、教室で聞き耳を立ててた時に誰かが言ってたしな」

 

「お兄ちゃん、情報源は聞き耳なんだ……」

 

「まあな。寝たふりをしつつ、いかに精度の高い情報を集められるかで、ぼっちの行動の質は左右されるからな。移動教室なのに俺だけ知らないなんて目に何度遭ったことか」

 

 そんな八幡の戯れ言を聞き流しながら、一色は静かに頭を働かせていた。先程だしぬけに「可愛い」と言われた衝撃は何とか克服済みだ。

 

 千葉村でも二泊三日を過ごした仲ではあるが、女性同士で過ごす時間が長かったこと・基本的には葉山グループとして行動していたことで、このせんぱいとの直接の付き合いはほとんどなかった。びくびくと自分を窺う様子から、女性慣れしていない男子と同様にこのせんぱいも照れているだけなのだろうと一色は考えていた。

 

 しかし今日の出会い頭の失言といいここまでの会話といい、浮かび上がってくるのはこれまでにないタイプの男性像だった。自分の擬態が少なくとも葉山には見透かされているのだろうと考えていた一色だったが、ここまで見通してなお平然と会話を続けられると、少しばかり自信が薄らいでしまう。

 

 未だ一色は八幡の全体像を把握できていない。八幡の軽口や、女性経験が少ないことが丸分かりな態度によって、同じようなタイプの男性を多く見てきた一色は経験則から深入りする必要性を感じていない。

 

 だが少しだけ、千葉村の時よりも心持ち大きくなった八幡への興味を、この日の一色は持ち帰ることになるのだった。

 

「お兄ちゃんの戯れ言は置いておいて。せっかく久しぶりに会えたんですし、いろはさん今からお昼をご一緒しません?」

 

「え〜っと、兄妹水入らずでお出掛け中だったのに、いいんですか?」

 

 どうしたものかと決めかねて、とりあえず一色は八幡に問いかけた。その時。

 

「ひ、比企谷っ!」

 

 黒のドレスをまとった何者かが、三人が佇む場所に向けて猛烈な勢いで近付いて来ていた。

 

 

***

 

 

「せっかく両手に花の状況だったのに、何だか済まなかったな」

 

「いえ、その、先生も無事に披露宴を抜け出せたみたいで何よりです」

 

 平塚静はこの世界でも結婚式に出席する羽目に陥っていた。それは同業の親戚の女性が「どうせだから日程通りに、この世界で式を挙げたい」と言い出したのが原因だった。

 

 今現在の段階で、外の世界と映像通話を行うには条件が二つある。通話を行う両者が同じ場所に(自宅なら自宅に)居ること。そして両者が肉親であることである。

 

「なあ比企谷。親戚はどこまでが肉親に入るんだろうな?」

 

 こちらの世界で挙行された式や披露宴の様子は、現実世界のホテルに設置された巨大モニターに映し出されているらしい。既にリアル世界の両親と食事を共にした八幡にとってその光景を想像するのは難しくないが、まさか二つの世界を結んで結婚式ができるとは、話を聞くまで思ってもみなかった。

 

「列席者の中には友人とかって居なかったんですか?」

 

「今回はこちらの世界での挙式で、現実に戻ってからも行うつもりらしいな。だから今回は親族だけの集まりだと」

 

「んで、ホテル備え付けの教会から出て来たら俺の姿が目に入ったので、生徒への指導を言い訳に抜け出してきたと。小町も一色もかなり引いてましたし、とりあえずは別行動にしましたけど、後でフォローしておいて下さいよ?」

 

「だって比企谷、あれは地獄の時間だぞ。コース料理を食べる暇もなく、『その世界なら今までにない出会いがあるんじゃないのか』だの『今度の見合い写真はデジタルで送る』だの、もう少しこの世界に捕らわれたことへの同情があっても良いと思わないか?」

 

「まあ命の危険がないってのは周知されましたし、最大でも二年で解放されるわけですしね。もうあっちの世界からしたら、ちょっと遠い外国に行ってるのと変わらない扱いでしょうね」

 

 冷静な生徒からの説明にがっくりと項垂れる教師は、普段の凛とした佇まいからは程遠い。少し気の毒になって来て、八幡は、切なそうな表情のまま俯いている先生に一つの提案を行う。

 

「じゃあ先生、あんまり食べてないんですよね。一緒にラーメンでも食べに行きませんか?」

 

「ラ、ラーメン?」

 

 ラーメンという言葉だけで、人はここまで至福の表情を浮かべることができるんだなと八幡は思った。

 

 

***

 

 

 近くにある有名店に並びながら、八幡は平塚先生と雑談を行っていた。ようやく教師にも落ち着きが戻って来て、生徒は内心で胸をなで下ろしていた。

 

「しかし、君がこの状況で妙な理屈をこねないのは意外だな」

 

「順番に並ぶのは嫌いじゃないですよ。秩序が保たれていれば気にならないんですけど、フォーク並びを無視する客とかいたら嫌ですね」

 

「ふむ。君なら町田康の小説のように奇行に奔りそうではあるな」

 

「それ懐かしいですね。あと、自分もいつかリア充とかクラスの人気者になれるのかなって思ってた頃は、どうでもいい行列に並んでもみたんですけどね」

 

「なるほど。リア充を敵視する段階を挟んで、今は気にならなくなった段階かね?」

 

「リア充もリア充で大変なんだろうなとは思うようになりましたね」

 

「孤独と自由はいつも抱き合わせなんだろうな。そして君は自由を満喫していたわけだ」

 

「好きかどうかも分からないのに流行ってるから並ぶとか、そんな不自由は嫌ですね」

 

 そんな会話を続けていると思いのほか列が早く進んで、二人は店内に招き入れられた。麺の固さを指定して、二人は食事をしながら話を続ける。

 

「専業主夫志望の割には施しは受けないとか、君の基準が私には判らないのだが」

 

「その辺りは気分ですかね。そういえば先生は、夏休みの仕事とかって?」

 

「ああ、二学期の授業に備えて色々と支度をすることもあるし、地域の仕事もあるしな。正直休む暇がないよ。次の週末も花火大会で駆り出される予定だし。君は見に行かないのかね?」

 

「今のところ予定はないですね」

 

「ふむ。自治体のイベントだから、雪ノ下たちも来るかもしれないぞ?」

 

「陽乃さんのほうなら、相手するのが面倒なのでパスで。雪ノ下が来るなら由比ヶ浜から招集が掛かりそうですし、それは拒否しても無駄っぽいので大人しく参加してきますよ」

 

「君は陽乃のことをどう思う?」

 

「まあ優秀なんじゃないですかね。正直、姉妹で同じレベルってどんだけ育て方が凄いんだって思いますけど、近寄りたくはないですね」

 

「なるほど。君はやはり陽乃の内面に気付いているんだな」

 

「親しみやすい外面をまとってるってことですよね?」

 

「それを継続している内面の意思も含めてだよ。強かさと言っても良いが。陽乃は内面に気付かれるとかえって喜ぶ性格でな、お陰で私は色々と巻き込まれたよ。文化祭で二年連続でベースを弾かされたりな」

 

「それを聞くと、ますます関与したくないって思いますけど?」

 

「それでも、君が奉仕部に所属する限り避けては通れないさ。陽乃が暴走しないように対処するつもりだが、平常運転でもかなりの影響力があるのが頭の痛いところだな。だから比企谷が巻き込まれてくれる方が私としては助かるのだが?」

 

 にやにやと笑みを浮かべながら、しかし目だけは真剣に、教師は教え子に話しかける。面倒臭そうに頭を掻いて八幡は答える。

 

「まあ、俺にできる範囲のことしかしませんよ?」

 

「それで良いさ。誰しも限界はあるし、それを許せる時が来るものだよ。今の君なら無力感に苛まれるのだろうが……比企谷、その先だよ。行列の秩序が保たれなくても、望みが叶わなくても、人にはそれぞれの性格に応じてその先が用意されているものだ。嘘くさい一般論だと、今の君は考えるかもしれないがね」

 

「いえ……。いちおう覚えておきますよ。んで、それを実感できた時にはお礼に来ます」

 

「ああ、それで良いさ」

 

 ともに麺のお代わりをしてスープを全て飲み終えて、こうして平塚先生による臨時の講義は終わった。

 

 

***

 

 

 この後も用事が立て込んでいるという平塚先生と別れて、八幡は少し早めの時間に集合場所に到着した。この後の予定のことを思いながら、八幡は過去を思い出す。

 

 戸塚彩加とは映画を見に行く約束になっているが、実のところ八幡は家族以外と映画を見るのはこれが初めてだった。家族と見たのも、今は亡きマリンピアの映画館で小町と見たのが最後だ。中学からは一人で気楽に映画を見に行っていたので、八幡は少し緊張していた。

 

「ところで私は誰でしょう?」

 

 緊張で周りが見えていなかった八幡は、不意に肩をつつかれてビックリしてしまった。声の主に顔を向けると、そこには意外な人物が立っていた。

 

「えっと、城廻先輩?」

 

「うん、そうだよー。比企谷くんって何度も呼んでるのに返事してくれないんだもん。何かあった?」

 

「あの、ちょっと考え事してたので、すみませんでした」

 

「なんにも無いならいいよー。比企谷くんは誰かと待ち合わせ?」

 

「あ、はい。今から映画でも見に行こうって」

 

「そうなんだー。えーっと……それって、ご一緒してもいいかな?」

 

「俺はいいですけど、待ち合わせ相手もいいって言うとは思いますけど……」

 

 戸塚が断る場面など想像できず、しかし一般的には約束になかった人を勝手に参加者に加えるのは問題なのではないかと考えて、八幡は歯切れの悪い口調で答える。

 

「待ち合わせの相手って、知ってる子かな?」

 

「そうですね。テニス部の戸塚って分かります?」

 

「部長会議でも頑張ってくれてた子だよね。ちょっと話してみたかったしちょうど良かったかも」

 

「はちまーん」

 

 そこにタイミング良く戸塚が姿を見せる。城廻めぐりが八幡と並んで立っているのを見て少し驚きながらも、戸塚は二人に可愛らしい声で挨拶をした。

 

「遅くなってごめんね。会長、こんにちは」

 

「こんにちはー。比企谷くんとは偶然会ったんだけど、これから映画をご一緒してもいいかな?」

 

「ぼくなら大丈夫ですよ。会長も色々と大変だと思いますし、しっかり息抜きして下さいね」

 

 八幡が想像していた以上に天使な対応を見せる戸塚だった。それを見て昇天しそうになりながら、八幡は何とか会話を進める。

 

「あ、でも今日はホラーを見ようって言ってたんですけど、大丈夫ですか?」

 

「うーんと、たぶん大丈夫だよー。もう駄目ってなったら先に出てるから、その時はごめんねー」

 

 そうして三人は映画館へと入っていった。最前列には真夏なのにコートを着た男がいて、映画が始まる前から鼻息を荒くしていたが、八幡は見なかったフリをすることにした。

 

 なぜか八幡を真ん中に挟んで、映画鑑賞が始まった。手すりに手を載せようとして両隣とかち合ってしまい恥ずかしい思いをしたり、怖い場面や大音量があるたびに両側から服をつままれたり。そんな理由であまり内容が頭に残らないまま、八幡にとって初めての友達との映画鑑賞は無事に終わった。

 

 映画館を出て、下りた先のカフェに腰を落ち着けて四人は一息つく。

 

「なあ。今さら突っ込もうとは思わねーけど、お前いつから一緒に居たんだ?」

 

「ふむ、上映が終わって退場する時であるな。見知った顔を見付けてしまい、両手に花とはこの不届き者めと近付いてみたのである。我としては奉仕部に緊急連絡すべき事案だと思うのだが?」

 

「頼むから止めてくれ。つか戸塚も笑ってないで止めてくれよ……」

 

「ごめんごめん。八幡と材木座くんが仲良さそうに話してるから口を挟めなくて。ちょっと悔しいなって思ってたんだよ?」

 

「ぐはぁ」

 

 そんなとつ可愛い発言を聞いて材木座義輝がダウン寸前にまで陥っている。そうした男子生徒三人のやりとりを、城廻は楽しそうに眺めるのだった。

 

「つか戸塚の話だと、お前って夏コミの原稿を書いてたんじゃねーの?」

 

「うむ。原稿は完成したのだが、遊戯部の二人にダメ出しされてな。パクリが酷すぎるからさすがに自重しろと言われてしまったのだ」

 

「おい、偉そうに言えることじゃないだろ。あの二人に感謝しとけよ」

 

「そういえば海老名さんも何か書いてるって言ってたよね?」

 

 八幡は文化祭の劇のために脚本を書くという話は知っていたものの、夏コミの話は初耳だった。

 

「え、あの人、夏コミでも何かやるのか。多才なのは良いけど、あんまこの世界でやおい文化を広めて欲しくないんだが」

 

「んーと、比企谷くん、やおい文化って何?」

 

「あ、ぼくも知りたい!」

 

「八幡……説明は主に任せた!」

 

 平然と裏切った材木座を一睨みして、八幡は仕方なく口を開く。

 

「あれだ、やまなしオチなし意味深長の略らしいんだけど、要は同人誌のことらしい。同人誌は分かりますよね?」

 

「うん。谷崎や川端の『新思潮』とかだよね?」

 

「最近は漫画家さんが出したりもしてるんでしょ?」

 

 城廻と戸塚からの曇りなき回答を聞いて、八幡は思わず小声で材木座に助けを求める。

 

「なあ。もう別の話に強引に持ってった方が良いよな?」

 

「然り。まさかやおいが『やめて、おしりが、いたい』の略だなどと、この二人には知られるわけにはいかぬでござる」

 

「なにそれ俺も初耳なんだけど。お前すげー詳しいのな」

 

「ぐふぉうっ!」

 

 その後は何とか話題を逸らして、こうして珍しい四人組の集まりは意外に話が尽きないまま終わった。この出会いがどんな未来に繋がるのか、それを朧気ながらも予測できているのは、この場では一人だけかもしれない。

 

 

***

 

 

 その翌日、予備校から帰ってくると八幡は席を温める間もなく個室へと移動した。由比ヶ浜結衣が旅行から帰ってきたのだ。急かしたことを謝ってくる由比ヶ浜を宥めながら、数日前と同じようにリビングに招き入れる。

 

「結衣さん、お帰りなさい!」

 

「小町ちゃん、ただいまー」

 

 既に日が暮れかけているからか、いつもの挨拶を口にせず由比ヶ浜は話を続ける。

 

「これ、ご当地のお菓子だって。小町ちゃんと一緒に食べてね」

 

「おー、なんか悪いな。つかリア充って大変だよな」

 

「ん、どしたのヒッキー?」

 

「いやだって、クラス全員に向けて土産物のお菓子を配ったりとか。休み明けとかに、俺には真似できねーなって思いながら見てたんだけど」

 

「あー、でもそれが好きな子もいるしさ。あたしも苦にはならないタイプだから」

 

「あとあれだ。クラス全員って言いながら、俺だけ分け前がなかったりな」

 

「まあ、お兄ちゃんあるあるですよねー」

 

「うーん。でもどうだろ。今のヒッキーだと、そんなことはないんじゃないかな?」

 

「おお、お兄ちゃんってばいつの間に地位向上を果たしちゃったのよ?」

 

「いや、知らんけど。つか、この間、海老名さんがうちに来たんだけどな」

 

「あ、姫菜から聞いてるよ。話がスムーズに済んで良かったって言ってた」

 

「なんか海老名さん、やたらと俺を高評価してたんだが、お前どんなことを喋ってんの?」

 

「って言われても……優美子と姫菜には依頼のこととかも話してるから、ヒッキーの活躍もよく知ってるからじゃないかな。あ、特に姫菜は遊戯部とのゲームの詳しい話とかもゆきのんから聞いてたし、だからじゃない?」

 

「あー、そっか。そういや直接喋った記憶があんま無いから忘れてたけど、千葉村のゲームの詳細とかも知られてるんだよなー」

 

「もしかしてヒッキー、あのゲーム嫌だった?」

 

 小学生が相手でも「ルールの中で全力を尽くすのは当然」と言い切った雪ノ下雪乃の姿を思い出しながら、少し心配そうな口調で由比ヶ浜が尋ねる。

 

「嫌じゃないけど、もう少し上手くできたんじゃねーかなって思ってるんだわ。だからなんての、間違った部分を訂正してない答案を見られてるような感じっつーかな」

 

 それを聞いて由比ヶ浜が思わず噴き出した。

 

「ゆきのんもそうだけど、ヒッキーも間違ったところを真剣に受け止めすぎだって。完璧しか駄目って言われたら、あたしなんて困っちゃうよ?」

 

「いや、お前はもう少し危機感を持ったほうが良いと思うんだが?」

 

「むー。これでも中間より期末のほうが成績は上がってたんだからね!」

 

「ま、だからこのまま頑張れってことな」

 

「お兄ちゃん、ホントに誤魔化しかたが上手くなってるよなー」

 

 できるだけ二人の会話に口を挟まなかった小町だが、思わずこう呟いてしまうのだった。

 

 八幡の心配の根幹には、相変わらずの自己評価の低さが原因として存在しているのだが、小町も由比ヶ浜もそこには気が付かない。とはいえそれは八幡本人が克服すべき問題であり、二学期に彼が挑むべき事柄なのだろう。

 

「あ、そういえばさ。パパとママに成績上がったよって言ったら、プレゼントもらったの」

 

「ほーん。何をもらったのかって聞いても良いのか?」

 

「お兄ちゃん、そこは聞かない選択はありえないよ!」

 

「たはは。あのね、家にある浴衣のデータを送ってもらったんだ。だから……」

 

 一気に身体を緊張させて、由比ヶ浜が続きを口にする。

 

「だからヒッキー、あたしと一緒に、金曜日の花火大会に行かない?」

 

「だとよ。小町も行くよな?」

 

「お兄ちゃん。小町に頼ってないで、そろそろ自分で対処しなよ。小町はそろそろ勉強に戻るけど、結衣さんもまた遊びに来て下さいね。その時には花火の話も聞かせて下さい!」

 

 そう言って小町は自室に戻っていった。妙な雰囲気になって口を開きにくい二人だったが、妹にあそこまで言われて黙っているのは情けないと思った八幡が頑張って話を始める。

 

「その、雪ノ下も一緒なのか?」

 

「ううん。ゆきのんだけ行けないのは残念だし、(出し抜いてるみたいで)申し訳ないなって思うんだけど、家でする用事があるからその日は行けないんだってさ」

 

「そっか。……んじゃ、二人で行くか?」

 

「えっ……と。ヒッキー、いいの?」

 

「まあ、お前がせっかく浴衣を着られる機会でもあるし、ちゃんと口に出して誘ってもらって、それを無下にするのもなんかあれだしな」

 

 ごにょごにょと説明を続けながら、同時に内心では「勘違いしないでね」と由比ヶ浜の声で念を押されている自身を想像しながらも、こうして二人の約束は成った。

 

 なお、前回と同様に個室経由で由比ヶ浜を送っていったのだが、二人ともに恥ずかしさで限界だったこともあり本来の用件をすっかり忘れてしまっていた。個室の入り口で由比ヶ浜を見送った五分後に「サブレ忘れてた!」と言いながら由比ヶ浜が戻って来たことは、その後の二人の間で長くネタにされる事になるのだった。




更新が遅れて申し訳ありません。

次回は一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(8/26)

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