俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 八幡と雪ノ下、八幡と由比ヶ浜が順に二人きりの時間を過ごし、それに続けて小町と教師も加えた五人で対話を行っていた頃。他の生徒たちも今日を振り返りながら明日に向けて頭を働かせていた。それぞれの思惑を抱えながら、合宿の一日目がようやく終わった。



10.ここでようやく彼は同じ土俵に上がった。

 どこかからスズメの鳴き声が聞こえてくる。それに電子音が加わって、チュンチュンとピピピという音が耳障りに響き始めてようやく、比企谷八幡は重いまぶたを開いた。

 

 昨夜は遅くまで複数の女性と(うち一人は実妹だ)濃密な時間を過ごしたせいで、ログハウスに帰ってからもすぐには寝付けなかった。だから眠り足りないと感じてしまうのだろう。

 

 ようやく動き始めた頭でそんなことを考えながら、八幡は視界に大きく映り込んでいる可愛らしい寝顔を眺める。無遠慮に目を下に動かすと、どうやらすぐ側で小さく丸まって眠っている様子だ。まだ夢の中なのだろうか。

 

 このまま起きたくないなと思いつつ、戸塚彩加の寝姿を記憶に焼き付けることに全力を注いでいると、目の前の天使が目を覚ました。

 

「あ、目覚まし……。八幡、おはよ」

 

「お、おう」

 

「もう少ししたら起こそうと思ってたのに、ぼくも寝ちゃってたみたい」

 

 どうもこれは現実の光景らしい。タイマーを止めて上体を起こし大きく伸びをする戸塚は布団をかぶっておらず、八幡の横でつい一緒に眠ってしまったのだろう。

 

 アラームをセットしておいて良かったと呟いている戸塚を見つめながら、看病イベントからの寝落ちってこんな感じなのかなと変な事を考える八幡だった。

 

「八幡が疲れてるように見えたから、葉山くんと戸部くんには先に行って貰ったんだけど。ぼくたちもそろそろご飯に行こうよ」

 

「あー、そういうことか。待たせて悪かったな」

 

 状況を把握して八幡は勢いよく起き上がった。朝食は青少年自然の家まで食べに行く必要があるので、手早く支度をして布団を片付けてから、二人は並んでログハウスを出た。

 

 

***

 

 

 広い食堂に入ると既に小学生たちの姿は無く、お馴染みの面々が顔をそろえていた。二人の登場にすぐに気付いた平塚静が口を開く。

 

「おはよう。君たちが最後だな。比企谷がなかなか起きそうにないと聞いていたが、ゆうべはお楽しみだったのかね?」

 

「なっ!」

 

「はあ……。それなりに有意義だったんじゃないですかね」

 

 部屋のあちこちで過剰な反応が見られたものの、当の八幡は教師の性格を知っているだけに涼しい顔で反応する。いわば、からかわれ慣れている形だが、昨夜の対話の内容が内容だけに八幡は思わず「他の連中とこんな状態に至るには、どうすれば良いんだろうな」などと考えてしまうのだった。

 

「後でまとめて伝えれば良いかなって、先に話を始めてたんだけど、悪かったかな?」

 

「いや、俺が寝てたせいだしそれで良い。先に朝食も済ませたいし、話に区切りが付いたら教えてくれ」

 

 平塚先生の軽口にも影響を受けなかった葉山隼人が爽やかな口調で確認を取る。返事をしながら八幡が周囲を見回していると、奥の方から比企谷小町が食事を載せたお盆を持って歩いてきた。

 

「お兄ちゃん、こっちこっち。戸塚さんのぶんもありますよー」

 

「あ、じゃあヒッキーのはあたしが受け取るから、さいちゃんのご飯をお願い」

 

 八幡が動き出す前に座るべき席が決まってしまった瞬間だった。教師のからかいはともかく、昨日の今日でいきなり顔を合わせるのは少し恥ずかしい八幡だったが、潔く諦めて指定の席に向けて歩いて行った。

 

 

 雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣が並んで座る真正面の席に八幡は腰を下ろした。二人への意識が強く周囲が疎かな八幡は特に疑問に思っていないが、その横に座った戸塚は中高生が明確に二つのグループに分かれていることが少し気になった。特に同じクラスの三人娘が離れた配置になっているのは不思議な光景だった。

 

「戸塚さんも、どうぞー」

 

 しかし戸塚が疑問を口にするのを妨げるかのようなタイミングで小町がお膳を持って来てくれたので、まずは食事に集中することにする。ただでさえ食べるのが遅くて申し訳なく思う時が多いのだ。戸塚は食べ物をしっかりと噛みながら、素材を味わいながら朝食を堪能した。

 

「あたしがやったげるね」

 

 戸塚の横では八幡がお代わりしていて、それを提案をした小町ではなく由比ヶ浜が茶碗を受け取って、いそいそとお櫃からご飯を盛っていた。そんなほのぼのとした光景を目の当たりにして、戸塚の意識から先程の疑問が薄れていった。

 

 

「じゃあ、とりあえず現時点での情報をまとめたから、聞いてくれるかな」

 

 八幡と戸塚が朝食を終えるのを待って、葉山が口を開く。そして昨夜の男女別の話し合いを整理してまとめた結果を、午前中の予定と一緒に教えてくれた。

 

 まず男性陣には夜のキャンプファイヤーの準備という力仕事が待っている。女性陣にはさして仕事が無いので、小学生を観察する班と休憩する班の二手に分かれる。距離を置かれている当人に接触できる機会を窺って、できれば詳しい事情を聞き出すのが目的だという。仕事を終えた後は男性陣も二手に分かれてそれを手伝う。

 

 そこで得られた情報をもとに、お昼に集合した時に最終的な方針を検討する。一つの案として、本人の意識を変えることよりも周囲全体に何かしらの働きかけを行うことで、場の空気を改善するという解決策が取れないものか。葉山は男子からの提案をそう紹介していた。

 

「ふむ。場の空気に注目するのは良い策だと私も思う。だが具体案が難しいのも君たちなら理解しているはずだ。無茶なことをさせるつもりはないので、心しておくように」

 

 指摘すべき点を明確に口にした上で、平塚先生は生徒たちの自主性を尊重した。最終的な責任を自分が引き受けるという気概と、それにもかかわらず細かな口出しはしないという包容力を示しながら、教師は生徒たちの行動に承諾を与えた。

 

 

 少しだけ間を置いて、彼女は別の用件を伝えるために再び口を開く。

 

「ところで、夕方のスケジュールについてだが。本来ならば肝試しの予定だったが、このデジタルな世界でお化けなど馬鹿馬鹿しいという意見が出たみたいでな」

 

「言われてみたらその通りっしょ!」

 

 夜の班会議で小学生が口にした意見に、戸部翔が諸手を挙げて賛同した。真面目な話の時は大人しくしていたものの、ここぞとばかりに盛り上がる戸部を見て、周囲は苦笑している。そんな戸部に一つ頷いて、平塚先生は話を続ける。

 

「それとは別に、この世界にも幽霊が出るのではないかと怖れる声もあるらしい」

 

「え、そうなの?」

 

 由比ヶ浜が小学生の怯えを素直に受け取って、傍らの女子生徒に少し心配そうな眼差しを向ける。問われた側は仕方がなさそうに口を開いた。

 

「そんなはずは無いと言いたいところだけれど。あの運営なら、幽霊を見せるためのプログラムを嬉々として仕込みそうなのが困ったところなのよね……」

 

「え。つまり本物の幽霊ってことですよね〜?」

 

 雪ノ下の説明を聞いて、無理矢理に語尾を伸ばそうとはするものの、一色いろはも普段の調子からは程遠い声になっていた。にもかかわらず「怯えている自分を演出しているだけでは」と八幡に疑われていることは、お互いのためにも知られないほうが良いのだろう。

 

 一色の様子を窺ったことで、今日はなぜか反応が薄い三浦優美子と海老名姫菜が気になった。八幡はそのまま彼女らに目を向けようとして、自分の袖を掴む可愛らしい手に気が付いた。どうやら戸塚も幽霊が怖いらしい。

 

「あれだ。幽霊って正体不明だから怖いって部分があるだろ。れっきとしたプログラムだったら実在する動物とかと変わらんだろうし。運営の性格はともかく、今さらこの世界で俺らを危険な目に遭わせることもないだろうしな。だからもし幽霊が出ても、動物を見るのと同じような感覚でいたら良いんじゃね?」

 

 八幡の解説を聞いて、戸塚や由比ヶ浜はもちろん一色までもがほっとした表情を浮かべていた。その反応を、一色とは集団の中で年下という共通点もあり、一緒にお風呂に入るなどして関係を少しずつ深めていた小町が興味深そうな目で見ている。

 

「話の盛り上がりをぶち壊す時もありますけど、こういう時のお兄ちゃんの説明って、不思議な説得力があるんですよねー」

 

「なるほど。ではそんな比企谷に、肝試しの代わりのイベントを考えて欲しいのだが」

 

 生徒たちの反応を楽しげに眺めていた平塚先生だったが、八幡が会話に加わったことで本来の目的を思い出した。雑談がこれ以上広がる前にと、教師は希望を端的に口にする。

 

「えっと、なんで俺が?」

 

「その疑問は当然だな。説明しよう。幽霊に怯える声は小学生から上がったのだが、子供たちは憶測で怯えていたのではなく、『幽霊がいた』と言って怯えていたらしい。具体的には昨日の夕方、カレーを作っていた時だな」

 

「それってもしかして……」

 

「さっさと事を済ませようと、君ができる限り気配を隠して小学生の各班を見て回ったのが原因ではないかと私は考えているのだが。何か申し開きはあるかね?」

 

 がっくりと頭を垂れる八幡に苦笑しながら、平塚先生はこう言って話を締め括った。

 

「小学生が楽しめるイベントが望ましいが、百歩譲って子供たちに()()()()をもたらすイベントなら許可しよう。しっかり考えたまえ」

 

 

***

 

 

 教師に言われたことを考えながら、八幡はキャンプファイヤーの準備に勤しんでいた。自分の失敗が招いたことではある。しかし、あの女の子の状況を変えるための具体案をイベントに組み込めるのだと考えれば、普段はやる気のない八幡でも積極的に知恵を絞りたくなるものだ。

 

 女性陣からは、状況に変化があればすぐに連絡が来る手筈になっている。できれば早めに情報が欲しいと思いながら、八幡は手を淡々と動かして木材を組んでいた。そんなふうに効率よく仕事をこなす八幡に、薪を運んできた戸塚が話しかける。

 

「ちょっと休憩しようかって」

 

「おお、もうこんな時間か。んじゃこれ終わったらそっち行くな」

 

 仕事に切りを付けて、八幡は薪割りをしていた戸部と葉山に合流した。この後は彼らも二手に分かれる手筈になっている。今さら気を遣う相手でもなし、別行動になる前に顔を出しておくかという気持ちで八幡は集団の末尾に控えていた。

 

「何か良い案があると良いんだけど、昨日の今日では難しいね」

 

 葉山が少し困ったような表情で話しかけてくる。

 

 先ほど明るみに出たステルスヒッキーの失敗があるだけに、今は大人しく集団行動に従っている八幡だが、葉山と仲良く喋っている構図はいつまで経っても慣れない。より正確には、慣れたと思える時と慣れないと思える時があって、今は後者だ。おそらく自分と相手と、両方に問題があるのだろうと考えながら、八幡は返事を返す。

 

「とにかく情報次第だな。今のところは、下手の考えにしかならんだろ」

 

「休むに似たり、か。確かに今は別のことを考えたほうが良いのかもね」

 

「だな。適当な雑談とかしてたほうがマシじゃね?」

 

 そう言われて、昨日からずっと気になっていたのだろう。戸塚が意を決して口を開いた。

 

「じゃあぼく、八幡が昨日言ってた話を教えて欲しいな」

 

「あ、あれだべ。家康と鯉の話っしょ?」

 

「うん。何だか面白そうな話だなって、実は早く聞きたかったんだよね」

 

 真面目に語るべき話があるだけに、戸塚も我慢をしていたのだろう。葉山も苦笑しながら賛同して、三人は八幡の話を聴く体勢になっていた。

 

「そこまで期待されると逆に怖いんだが、まあいいか。家康が禁裏に献上しようと思ってた鯉と、信長からもらった酒を、三河武士が勝手に飲み食いし始めてな」

 

「え、それって大丈夫なの?」

 

「もちろん大丈夫じゃなくて、家康は首謀者を斬る気満々だったけど、最期に言い分を聞いてやるかってそいつと対面したんだわ。で、その時は領内で鶏を盗んで死罪待ちとかそういう奴が多くてな。酷い飢饉でもあったんだろな。だからその三河武士は言うわけよ。『この状況でも法に従って人を死なすって言うのなら、俺が真っ先に殿に殺されるわ』ってな。それで勝手に同僚に酒と鯉料理を振る舞って、自分もたらふく食べてから牢に入ったんだと。牢越しに家康を『鶏とか畜生を人より大事にするバカ殿め』とか罵って、まあ許された」

 

「許されるんだ……」

 

「形式的な決まり事よりも人材が大事なのは確かだからな。それに家康は、信長の手前とか禁裏に申し開きがとか余計な事を考えてたから目が曇りかけてただけで、部下に罵られて『自分がこいつらを護る』って発想に辿り着いたみたいでな。そのための法だし同盟だし官位官職だろってな」

 

 

 その時、葉山に一つの閃きが走った。誰かの手前とか申し開きとか、余計な思考に絡め取られて動けなくなっていたのは、まさに自分の事ではないかと。広い視野を持って他への影響を考えるのも確かに悪くはないだろう。しかしそれが自分の大事な存在を苦境に追いやることに繋がるのであれば、何の価値も無いではないかと。

 

「信長に会って酒の味を訊かれた時に、家康は素直に自分の責任だって事の経緯を謝ったらしい。でもそこに例の武士が登場してな。『それがしの責任だから斬れ』とかって信長にも言い放つわけよ。でも同盟国の部下をそんな理由では斬れんわな。『殺してしまえ』の信長が『頼むから帰ってくれ』って……」

 

 葉山が唐突に得た気付きをもとに自省を深めていることに他の三人は気付かない。奇しくも昨夜、小町と奉仕部の三人に教師が教えた「責任」について、葉山は考え始めていた。八幡の話はそのまま雑談として続いていたが、葉山にとってその先の話はさして重要ではなかった。

 

「三方原で家康が信玄に大敗した時にもその武士が出て来てな。『殿の身代わりをするから早く逃げろ』って敵に向かって行ったらしい」

 

「最期まで凄い活躍だったんだね」

 

「んで、普通に生きて戻って来たらしい」

 

「その人、凄すぎっしょ!」

 

 八幡はこの話を披露できたことに喜んでいるし、戸塚と戸部は話を聞けて喜んでいた。そして葉山もまた別の理由で喜んでいた。既に「自分の手で解決する」という拘りは克服していた葉山だが、ここで初めて「誰のために?」という意識が芽生えたのだ。気付いてみれば当然のことだが、気付かない間は気付けないものだと、葉山は内心で苦笑する。

 

 あの小学生を助けたいと思ったそもそもの動機が、自分のためである事を葉山は否定しない。そこを偽っているようでは話にならない。しかし行動の理由は状況に応じて変化することもあるのだ。

 

 現在の問題を解決することによって、過去と比べて成長した自分という幻想を得る。昨日と違って今の葉山は、そんな理由には拘泥しない。もちろん過去の罪滅ぼしのためでも無い。かつての幼馴染みと似た状況にある()()()()()()、自分にできることをする。そして自分にできないことは、たとえ内心では複雑な思いがあろうとも、最適な人材に解決を委ねる。それが嫌だと言うのならば、将来に向けて自分が成長するしかないではないかと葉山は思った。

 

「秀吉絡みのやつは、とんち話みたいなもんだからな。朝鮮半島で戦争してる時に秀吉が死んだら困るってんで、死んでないアピールのために生臭料理を出したんだわ。で家康宅にも料理して食べてくれって生きた鯉が届いたんだけど、『太閤の病気快癒を祈ってお前の命を助ける』とか言って食べなかったんだと。実際には喪中だから生臭を食べるのも問題だし、かといって実は秀吉が死んでるって疑われるような行動はダメだしって状況で、家康はそんな感じの切り抜け方をしたらしいな」

 

 葉山に直接的な気付きを与えたのは、この男子生徒の雑学だった。だが葉山はその解釈に満足しない。小さな頃から知っているあの女の子が、自分の知らないうちに変化するのではないか。自分が知らない姿に成長するのではないかと危惧したことが、その焦りがこの気付きをもたらしたのだと葉山は思った。

 

 それは目の前の男の影響を認めたくないと思っての解釈ではない。単なる一つの知識や会話が原因なのではなく、この男の存在そのものが原因なのだと、葉山は思った。だからこそ、自分がこの男に対抗するためには、自分に合った形で成長をしなければならないと。

 

 

 話に区切りが付いて、戸部と戸塚が感想を言い合っている最中。件の小学生からメッセージの返事が来たというしらせが届いた。

 




次回は月曜に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(7/7,7/15)

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