俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 材木座の依頼を受けて、「次の依頼で結果を出す」という決意を胸に、八幡は遊戯部との勝負に挑む。ゲーム内容の交渉からゲーム中の戦術まで全てを雪ノ下に託された八幡は、見事にその期待に応えたのであった。



23.今ふたたび彼は元いた場所へ帰り来る。

 特別棟の2階にある遊戯部の部室にて、奉仕部の3人は勝負に勝った喜びを満喫していた。

 

 比企谷八幡は自身が主導した勝負の流れを思い出して改めて手応えを感じていたし、由比ヶ浜結衣は彼が結果を出したことで満面の笑みである。雪ノ下雪乃もまた彼に全権を委任した己の差配に満足しつつ、自分の期待に見事応えた八幡に微笑みを送っている。

 

 そんな3人の目の前では勝ち誇った材木座義輝が遊戯部の2人に向けて何かを得意げに話しているが、その内容は勝利の喜びに浸る彼女らの耳には届いていない。

 

 だがその話にも区切りが付いたのか、ようやく彼らがこちらに向けた視線に由比ヶ浜が最初に気が付いて、彼女の合図によって改めて奉仕部と遊戯部が向かい合う形になった。

 

 

「正直、俺たちの完敗でした。奉仕部の皆さんが真剣にゲームに挑んでくれたおかげで、負けて悔しいけど今は気持ちが充実してるっていうか、今日の勝負ができて良かったです」

 

「剣豪さんへの失礼な要求は撤回しますし、書き上げた作品は喜んで批評しますね」

 

 挑発に乗りやすい側面もあった秦野だが、それだけに勝負が終わってからの切り替えも早いもので、彼は率直に勝負の感想を述べる。続いて相模も彼の性格を反映してか素直に自分たちの要求を取り下げて、材木座の希望を受け入れる旨を宣言した。

 

「はぽん。我が先に告げたように、今日の勝負は我が相棒あってこそである。諸君も我の次ぐらいに此奴を崇めるが良い」

 

「おい、人を勝手に拝む対象にすんな。つか今回の勝負って、お前を崇めるような内容じゃなかっただろ……」

 

 言葉は厳しいが八幡の口調に刺々しい気配はなく、両脇の彼女らも材木座の発言を苦笑する程度で聞き流している。どうやら彼は先ほど遊戯部の2人に八幡の自慢をしていたみたいで、それも情状酌量の余地があると雪ノ下が判断した理由なのだろう。意図せず彼女の毒舌を避けられた材木座であった。

 

「これで材木座くんの依頼は解決ということで良いかしら?……貴方の依頼はうちの部員にとって有益だったと認めても良いのだけれど、これ以上は調子に乗らないように気を付けなさい」

 

「うん。中二の依頼だから大丈夫かなって心配してたけど、()()()()()()になって良かったー」

 

「由比ヶ浜さん!」

 

 遊戯部との勝負という材木座の依頼が八幡の自信を復活させる決定的な要因になったことを雪ノ下は評価するが、彼に釘を刺すことも忘れない。だがそんな彼女の配慮も、不安から解放され嬉しさのあまり余計なことを口走ってしまった由比ヶ浜には届かなかった。そして雪ノ下が反射的に彼女の発言を咎めたことが、彼に不信を抱かせることに繋がる。

 

「……おい。()()()()()()って、どういう事だ?」

 

 穏やかな雰囲気が一変して、八幡は疑り深そうな視線を由比ヶ浜に向けた。

 

 

「むう……。八幡、それは……」

 

「いえ、私が説明するわ。貴方は黙っていなさい。……どうすれば比企谷くんが自信を取り戻して奉仕部に復帰する形になるのかと相談していた時に、材木座くんが提案してきたのよ。全力で勝負をすれば、お互いにより深く解り合えてわだかまりも解けるはずだと」

 

「ゆきのん、あたしに説明させて。……あのね、中二が出した案は最後の手段にしようって話になってたのね。でもヒッキーが、最後のところは断言してくれないけど、あたしたちが思ってたよりも歩み寄ってくれたから。だからあたし、中二の話はなくなったんだと思ってて。それなのにヒッキーが言ってた『次の依頼』が中二の話になっちゃったから、あたしずっと心配で……。黙ってれば良かったのに、嬉しそうなヒッキーの顔を見てたら、つい口に出ちゃって……」

 

「由比ヶ浜さん。私が貴女の言葉を遮ってしまったのが致命的だったのだから、貴女が気に病む必要はないわ。それに材木座くんの依頼の話を進めたのは私なのだから、全ての責任は私にあるわ」

 

 代わる代わる説明してくれる雪ノ下と由比ヶ浜をぼんやりと眺めながら、八幡は事態を上手く把握することができない。そんな彼の様子を見て、雪ノ下は全員に向けて提案を行う。

 

「申し訳ないのだけれど、内輪の話になるので場所を変えましょう。ここから先は私たち奉仕部の話なので、心配には及ばないわ。ただ、その前に貴方たちに証言をお願いしたいのだけれど……」

 

 この急展開にも臆することなく、まずは相模が雪ノ下の意図を理解して、彼女の言葉にかぶせるように発言を行う。八幡に向けて真剣な表情で訴えるように。

 

「ええ。さっきの勝負、俺たちは真剣に勝つ気でやりました。接待プレイとかは絶対にやりません。途中で比企谷先輩を精神的に揺さぶろうと敢えて挑発的な問題を出したりもしましたが、それも勝負の上での話ですし、謝る気はないです」

 

「剣豪さんと感情的に対立してたわけじゃないですけど、いらっとする部分があったのも事実ですし、白黒付けるって話も本当です。俺ら、勝負の提案を受けて楽しみにしてたんですよ。金曜日に剣豪さんからあれが比企谷先輩だって教えられて勝負の日を心待ちにしてたんですけど、あの時にこっちの事に気付いてましたよね?ゲーセンに連れて来てた人、めちゃくちゃ可愛い人でしたね」

 

「ぬう……。まさか気付いていたとは、さすがは八幡。だが、お主に戸塚氏は渡さぬ!」

 

 次いで秦野も八幡にとって意外な話を教えてくれた。あの時のことかと、八幡は戸塚彩加と2人だけで過ごした放課後の時間を思い出す。微かな印象しか残っていないが、確かに材木座の横には2人ぐらいひょろっとしたのが並んでいたようにも思う。そして八幡は材木座の煽りを右から左にと完全に聞き流した。

 

 自分の知らないうちに色んなことが起きていたんだなと、他人事のように考えながら唇を噛みしめている八幡を促して、奉仕部の3人はひとまず部室へと足を運ぶのであった。

 

 

***

 

 

 誰もが一言も喋ることなく部室へと帰り着いて、まず雪ノ下はお茶の支度を始めた。由比ヶ浜もそれを手伝っているが、八幡はいつもの席に座ったままで身動きすらもほとんどしていない。とはいえ彼もここで逃げ出すようなことは考えておらず、先程の秦野のセリフではないが白黒をはっきりさせたいという気持ちだった。

 

 やがて各々の前にお茶が置かれ、そして2人の少女がいつもの席について、普段と同じように雪ノ下がまず口を開いた。彼女はいきなり本題に入る。

 

「言葉を飾らずに説明すると、私は材木座くんの提案を受けて、貴方の自信回復に繋がるような勝負の場を用意したわ。そのことに関して私は何も言い訳できないし、するつもりもないわ」

 

「ゆ、ゆきのんだけのせいじゃないよ!あたしだって話は聞いてたんだし、それにさっき証言してくれたように勝負はずるじゃないし。……勝ったのはヒッキーのおかげなんだから、そんな、哀しそうにしなくても……」

 

「あー……。なんだろな。哀しいってわけじゃねーんだわ。俺のために色々と考えてくれてたんだなって思うし、そもそも最初から俺のせいなんだから、文句とか言えない立場だしな。でも、なんつーか、あれだな。お釈迦様の掌の上ってか、やっぱり俺が奉仕部にいる意味はあんのかなって」

 

 どうやら八幡は再び無力感に苛まれている模様である。だが彼がきちんと対話をする意思があると確認できて、雪ノ下はひとまず胸をなで下ろす。彼が話を拒絶しない限りは、そしてこちらが諦めない限りは、話をまとめられる可能性は残っているのだ。傍らに座る由比ヶ浜の存在すら意識の外に追いやるほどの集中力で、雪ノ下は八幡と向き合う。

 

 

「そう。貴方は、知らぬ間にお膳立てされた状況を良しとしていないのね」

 

「……そうだな。もしお前が俺の立場だったらどうだ?()()()()()()()()()()()()()()()()って事実を突き付けられて、それで納得できるか?」

 

「無理ね。仕組んでいた犯人には報復するとして、仕組まれた状況に対しては……そうね。全てをひっくり返したくなったり、厭世的な気分になるのも解らなくはないわね。でも、状況は状況として、不満があれば自分で再構築すれば良いのではないかしら?」

 

「それが理不尽な状況だったら迷わず再構築するんだろうが、お前にとって都合の良い状況だったらどうだ?」

 

「……知らない間に仕組まれた幸福な状況など、長続きしないものよ。いつかは自分の足で歩き始めるしかないのだから」

 

 先程までよりも遙かに重い言葉の響きを受けて、八幡はかすかに動揺する。完全に聞き役に回っていた由比ヶ浜もまた八幡に向けていた目線をすぐ横に移して、その心配そうな眼差しは変わらない。雪ノ下の迫力に圧倒されないようにと考えながら、八幡は対話を続ける。

 

「それで自分の足で歩ける奴は良いんだろうが……。その状況を仕組んだ奴が、自分では及ばない相手だって可能性もあるんだわ。その、お前には縁がないんだろうけどな」

 

「……そうね。自分よりも優れている相手に対しては、状況によっては大人しく従うのも仕方がないのかもしれないわね」

 

 一転して弱々しい口調で呟くように話す雪ノ下から視線を外して、残る2人は思わずお互いに見つめ合う。すっかり回復したと思っていたが、彼女も今なおゲームマスターとの会話を引き摺っているのではないかと考えたからである。残念ながら今の2人には、雪ノ下が長年にわたって積み上げてきた無力感を察知することはできない。

 

「……でも、いつかは自分の意志で、歩き始めることができる()()だわ。その時にこそ見返してやれば良いのではないかしら?」

 

「どうだろな……。まあ俺としては、優れてる相手にはいはいって従うようなのは好きじゃねーんだわ」

 

 雪ノ下の返答に対しては単なる先送りではないかという感想を持った八幡だが、どうにも話が広がりすぎている。当面の問題はそこではないだろうと考えて、彼は話を元に戻した。八幡の判断は概ね正しい。今の彼には認識できない部分も含めて。

 

 

「でも……勝負をしようって話をヒッキーには内緒で進めたのは確かだけど、勝負はちゃんとしてたじゃん。勝てたのはヒッキーのおかげなのに、どうしてこんな話になっちゃうの?」

 

「そうだな……。俺としても、さっきの勝負は気持ちいいぐらいの内容だったんだが、だから逆にってのはあるのかもな。その、会心の勝負に水を差されたような感じっつーか」

 

「うーん。でもさ、勝負のきっかけも今さら変わらないし、勝負の結果も変わらないじゃん。ゆきのんもヒッキーも難しいことを考えられるのは凄いなって思うけど、無理に難しく考えなくても良い時もあると思うし……。単純に『勝ったー!』って喜んじゃダメなの?」

 

「あー……まあ、お前はそれで良いんだろうけどな」

 

「ヒッキー、それどういう事だし!」

 

 沈黙を続けている雪ノ下に代わって由比ヶ浜が対話を続ける。話の内容は進まないものの、教室内の空気は少しだけ明るいものへと変化し始めていた。全く怖さを感じない彼女の怒りを受けて、ようやく八幡の顔にも少し苦笑いのようなものが浮かんだ。それを確認して、雪ノ下が再び口を開く。

 

「……そうね、この話をこれ以上広げるのは止めておきましょう。由比ヶ浜さんが言う通り、状況を直ちに変えることはできないのだから、むしろこの状況をどう活かすかを考えるべきかもしれないわね」

 

「……まあ、そうだな」

 

「材木座くんの依頼を受けて、貴方の仕事ぶりは充分な評価に値するものだったわ。私はあの時の、4月のテニス勝負の最終盤を思い出していたのだけれど、貴方の手応えはどうだったかしら?」

 

「そうだな……。確かに俺が指示を出して雪ノ下が従うって、あん時以来か。まあ、悪くはないな」

 

「あの時のヒッキーも、さっきの勝負の時のヒッキーもすごく頼もしくて、あたしはやっぱり、この3人でこれからも部活を続けたいなって思ったんだけど……」

 

「ええ。私もこの3人でどんな風に依頼を解決できるのか、先の未来を見てみたい気がするわね。……貴方はどうかしら?」

 

 

 今からの返答次第でこれからの日々が決まるのだと八幡は強く意識して、それゆえに少しだけ間を置いて気持ちを落ち着けて、ゆっくりと思っている通りのことを口に出す。彼が考えていることを誰かがこんなにも真剣に聞いてくれる場は、たとえ相手が目の前の2人であってもめったには得られないだろうと思えたから。

 

「……そうだな。テニス勝負が終わった後で考えたんだが、俺に何か誇れる部分があるとしたら、それはぼっちの時間に培ったものなんだわ。他人とは違ってぼっちだったから、他人とは違う部分が育ったっつーか。そのおかげで、お前らとは違う部分で依頼の解決に貢献できるのが嬉しくてな」

 

「だから、俺が奉仕部に残りたい理由って、かなり利己的な理由なんだわ。お前らがいるから、奉仕部だから依頼が舞い込んできて。お前らだから、俺にも活躍の機会を与えてくれて。他の環境だったら、俺に仕事とか任されるわけねーからな」

 

「正直、ぼっちでいても俺は特に寂しくなかったし、毎日が辛いとも思っていなかった。けど、テニス勝負の時とか、自分が持っている何かを発揮できる機会があるのは良いもんだな、って正直思ってな。お前らと一緒だったら、これからもそんな機会があるかもなって」

 

「でもそれは、見方によっては奉仕部に寄生してるだけっつーか……」

 

「そんなことないよ!」

「比企谷くん、それは違うわ」

 

 八幡の独白を静かに受け止めていた2人が、同時に彼の発言を遮る。こうした経験は何度目だろうと思いながらも、八幡は思わず浮かべた笑顔を引っ込めることができない。

 

 どちらから先に続きを口にしようかと目で相談している2人に軽く咳払いをして、彼は独白を続ける。途中で口を挟もうとする彼女らを今度は未然に遮りながら。

 

「そのな。お前らは優しいから、俺を見捨てることはないだろうなって思ったら、自分で、俺のほうから離れないと、みたいなことを考えたりしてたんだが……。あれだ。俺のことが、俺のやりかたが嫌いだと思ったら、その時は遠慮なく言ってくれ」

 

「……けど、それを言われない間は、俺は奉仕部で自分の力を試してみたい。さっき言ったように思いっきり利己的な理由だから申し訳ないんだが、俺はそういう理由で奉仕部に居たいって思ってるんだわ」

 

 

「……別に、難しいことではないでしょう」

 

 八幡の語りが終わったと認識して、雪ノ下はいつかと同じセリフで話を始める。

 

「貴方は利己的な理由で奉仕部に残留したい。私は3人で先の未来を見てみたい。由比ヶ浜さんは3人で部活を続けたい。では、出すべき結論は?」

 

「うん。それに始め方が正しくなくても、だからって全部が嘘とか偽物じゃないって、あたしは思うんだ。だって、あたしたちの関係だって事故から始まったわけだしさ。今さら、ヒッキーの利己的?な理由とかぐらい、何でもないよ」

 

 更には由比ヶ浜も、彼女なりの考え方を披露する。事ここに至っては、詰んでいる状況を八幡も受け入れざるを得ない。相手が雪ノ下と由比ヶ浜の2人だからこそ、彼と同じ奉仕部の仲間だからこそ、この展開に至ったのである。

 

「仕方ねぇな。……ごめんなさい奉仕部に居たいですお願いします」

 

 東京わんにゃんショーの会場で妹に言われたセリフをそのまま口にして、八幡は素直に頭を下げた。彼の動作を見た2人の少女はともに笑顔を浮かべて、片や歓声を上げ片や静かに頷いて彼の選択を受け入れている。

 

 

 こうして、職場見学の際に生じた行き違いは無事に収束したのであった。

 

 

***

 

 

「えっ、ケーキ?……なんで?」

 

 話し合いを終えて、雪ノ下がお茶を淹れなおし、由比ヶ浜がそれを手伝う。八幡には話をややこしくした罰として、材木座や遊戯部の2人はもちろん戸塚や平塚先生宛にも問題解決の一報を出すという仕事が与えられた。お茶の支度を終えた2人もそれぞれ三浦や海老名、川崎たちへの速報を終えて、部室には久しぶりにまったりとした空気が広がっていた。

 

 大きな問題が片付いてしまうと、目を背けていた小さな問題が浮上してくるのが常である。由比ヶ浜の誕生日祝いをどう話題に出したものかと、この期に及んでも悩んでいた雪ノ下は、とりあえず食べ物の話題から入ることにしたのである。

 

「その、今日はおそらく、由比ヶ浜さんの誕生日だったと思うのだけれど……」

 

「ゆきのん、覚えてくれてたんだ!……って、あたし言ったっけ?」

 

「全知全能のユキペディアさんは何でも知ってんだよ」

 

 そのまま軽口の応酬をしながら、2人は由比ヶ浜に事情を説明していった。それを聞いた由比ヶ浜は嬉しそうに、外に出かけることを提案する。駅前のカラオケなら持ち込み可なので楽しく盛り上がれるだろうと言われ、友達の誕生祝いをした経験に乏しい2人はそういうものかと受け入れる。

 

「他のみんなも呼びたかったけど、いきなりだと難しいよね……」

 

「由比ヶ浜さん。確かにいきなりは難しいと思うのだけれど、祝い事は遅れても何度しても良いものなのよ。誰かさんの部活復帰祝いも兼ねて、また別の日に開催しては?」

 

「うん、そうだね!……じゃあ今日は3人で、いっぱい歌うぞー!」

 

「おい。雪ノ下の体力の無さをちゃんと考慮してやれよ」

 

 もちろん八幡の言葉はスルーされて、時間が半分過ぎた段階で息も絶え絶えの雪ノ下であった。彼女の頭を膝に載せて介抱しながら、由比ヶ浜は八幡と雑談を始める。

 

 

「でもさ。あたしたちの関係って、なんて言えばいいんだろうね」

 

「そりゃお前、部活のな、仲間……とか?」

 

 由比ヶ浜としては今まで忘れ去っていた悩み事がふと頭をもたげて、何の気なしに口にしたことだった。だが目の前の男の子は挙動不審気味に、言われてみると意外に嬉しい言葉を口にしてくれた。

 

「仲間……うん、仲間っていいね。もしかしたら友達よりいいかも」

 

「そ、そうか……。俺にはいまいち友達と仲間の違いが判らんというか、何なら友達の定義からして理解不能だが」

 

「ヒッキーって、友達がいるのに『俺は友達がいない』とか言いそうなタイプだよね」

 

「それが本当にいないんだよなぁ……」

 

 苦笑しながら由比ヶ浜が言うと、八幡は遠い目をして哀しそうに呟く。その時、由比ヶ浜の膝の上から第三者の声が会話に割って入った。

 

「あら。土曜日に『さらば友よ(Good-bye, old friend.)』と語り掛けてくれたのは誰だったかしら?」

 

「それは俺じゃなくてオビ=ワンだろ。……つーか、あん時も思ったけど、お前も映画とか観るんだな」

 

「ええ。……留学していた時に、あちらでお世話になっていたご家族と一緒に観に行ったのよ。それまでは家族とも、友人とも行ったことがなかったのだけれど」

 

 何となく、詳しく質問するのが憚られる雰囲気を感じて、2人は曖昧に相鎚を打つ。だが雪ノ下はまだ由比ヶ浜の膝上から起き上がれないほど疲れていて、そうした微妙な反応に気付いていない。

 

「こちらに帰って来てからも、そういえば映画には行っていないわね。でも、留学していた時は毎日が楽しかったわ。ご主人が映画にも音楽にも造詣のある方で……」

 

 独白を続ける雪ノ下を優しい目で見つめながら手で髪を梳いてあげる由比ヶ浜と一緒に、八幡は穏やかな表情で彼女の話す昔話に集中する。どうやら雪ノ下は留学先では楽しい日々を送れていた模様である。彼女の語りが一段落したところで、由比ヶ浜は小さな声で雪ノ下に語り掛ける。

 

「じゃあ、また今度みんなで行こうよ。友達と映画に行くのって楽しいよ」

 

「そうね。でも、友達の定義があまりよく解らないのだけれど……」

 

「あたしたちは、もう友達じゃん!ね、ヒッキーも」

 

 由比ヶ浜の剣幕に押されて、八幡もらしくない言葉を口にする。

 

「そ、そうだな。雪ノ下、俺と友達に……」

 

「ごめんなさい、それは無理。……たぶん、比企谷くんとは友達にはなれないわね」

 

 あっさりと断られて涙目の八幡だが、由比ヶ浜の顔にも緊張の色が漂っている。友達ではないというのであれば、この少女にとってこの男子生徒は何だというのだろうか。緊張に耐えきれなかった由比ヶ浜は、最後までためらいがちではあったものの決定的な質問を口にする。側にいる八幡が絶句する内容の質問を。

 

「ゆ、ゆきのん?ヒッキーとは友達になれないって、その……。恋人とか、ってこと?」

 

「それも無理ね。比企谷くんと恋人になることもないと思うわ」

 

 問い掛けられた質問に素直に返す雪ノ下に、質問した由比ヶ浜のほうが罪悪感を覚える。だがそれでも、彼女の答えを得て、由比ヶ浜は自分が嫌になる気持ちと安心する気持ちとが同時に浮かび上がってくるのを避けられなかった。

 

 一方で当事者の八幡としても、彼女の返事は納得できるものだった。雪ノ下はいつも正しくあろうとして、決して嘘をつかない。ましてや今の状態では、彼女の返答に疑いの余地はない。それに八幡としても、誰かと自分が恋人関係になるという事態を想定することができないのが正直なところである。妄想ならともかく、現実に誰かと付き合っている想像ができない自分を恥じる気持ちがどこかにあった八幡だったが、雪ノ下の返答を聞いて逆に安心できたのであった。

 

「部活の、仲間……という言葉が先ほど聞こえた気がするのだけれど。私も良い言葉だと思うわ」

 

 今の八幡には、恋人だの友達だのという関係よりも、この雪ノ下の言葉のほうが何倍も嬉しいものだった。緊張を解いた由比ヶ浜と思わず見つめ合って、八幡は今ようやく今日の依頼に対する報酬を得られた気がした。それは逆進的に依頼を無事に解決できたという充実感をもたらして、彼は今回の件をより広い視点で捉えることができるようになった。

 

 そうして再考してみれば、自信を失っていた彼のために他人が勝負の場を用意してくれるなど、彼の人生には未だかつて無かったことではないか。そこに思い至って初めて、ようやく八幡は仕組まれた状況へのもやもやした苛立ちを完全に払拭できたのであった。

 

 

***

 

 

 時間ギリギリまで由比ヶ浜の膝上で静養したおかげか、何とか歩けるまでに回復した雪ノ下はお店の外で今日の解散を宣言する。由比ヶ浜も一応は夕食会への誘いを口にしたのだが、次の約束もある事だし今日は無理強いできないと理解している。八幡が当然のように逃げに徹していたのは少し腹立たしいが、いつもと変わらない彼の反応を見て嬉しいとも思ってしまう、複雑なお年頃の由比ヶ浜であった。

 

 最初に雪ノ下をタクシーに押し込めて、次いで三浦と海老名が待つ夕食会のお店に移動する由比ヶ浜を、八幡はぎこちない笑顔で見送る。俯きながら彼女が去るのを待つしかなかった一週間前とは全く違う清々しい気持ちを胸に、彼はお店の前で独りになった。

 

 一緒に帰りたいからお店の前で待っていて欲しいと妹から連絡があったので、八幡はそのままぼんやりと暮れかけの空を眺める。一年で最も日が長い時期なので、まだ空は明るさを保っている。

 

 

 この1週間で彼らは危機を乗り越え再会を果たした。困難と向き合ってそれを見事に乗り越えた奉仕部の3人は以前にも増してお互いに信頼を抱いていて、それは3人のこれからの毎日を彩り豊かなものへと変化させる。長雨を背景とした味気ないこの1週間の風景とは違って、明るい日差しに照らされた素晴らしい日々が彼らを待ち受けていることだろう。

 

 この1週間で八幡は課題を乗り越え彼の居場所へと帰還した。とはいえ彼が果たしたのは、彼と普通に接してくれる人たちを危険な目に遭わせたくないという覚悟をNPCに示した程度のことでしかない。だがそんな些細なことが、思春期男子には特別な意味を持つのだ。この世界で少しだけ成長した八幡は、ぼっちの時期に培った知識や思考力を総動員して、これからも奉仕部の力となるのだろう。

 

 

 暮れなずむ空を眺めながら、今日あった出来事を漏らさず語って聞かせながら、妹と合流した比企谷八幡はゆっくりと家路を辿る。いつもと少し違った部分はあったものの、いつも通りに仲の良い兄妹の姿が、夕暮れの照らす道路脇にて観察されたのであった。

 

 

 

 原作3巻、了。




大将・雪ノ下&由比ヶ浜の戦果。
・無事に奉仕部は元通りになりました。


その1.原作3巻の構成について。
 各登場人物がそれぞれの思惑を抱えて動く本章は、複雑な構成にし過ぎたかと何度も悩むこともありましたが、何とかこの結末に繋げることができてほっとしています。各キャラの魅力をもっと上手く引き出せるように、かつ読者様を置き去りにするような小難しい展開にならないように、この経験を今後に活かしていきたいと思っています。

その2.今後について。
 前回の更新でお伝えした通り、次回は3/27に更新する予定です。本章の番外編・ぼーなすとらっく・原作との相違点及び時系列をまとめた回を挟んで原作4巻に入ります。

その3.謝辞。
 こうして原作3巻末までも無事に完結できたのは、ひとえに作品を読んで下さる読者様のお陰です。皆様からのお気に入り・評価・感想に支えられて、この作品の今があります。改めてこの場で皆様に、篤く御礼申し上げます。変わらず作品を見守ってくれる大切な友人にも心からの感謝を込めて、3巻の結びとさせて頂きます。


追記。
勝負が仕組まれていた事について、八幡はその行為の意味や価値に気付かない(後日ようやく気付く)という設定でしたが、カラオケ屋さんでの会話を経てそれに気付く形に変更しました。少し物分かりが良すぎるようにも思えて、当初は気付かない(この日の時点では、仕組まれた事に拘るのがどうでも良くなった)という設定にしました。しかし気付きまで至ったほうが物語としてはスッキリすると考え直し、その形に本文を修正しました。(3/2)
その他、細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(3/2,4/6)

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