俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 ペット用品と由比ヶ浜への誕生日プレゼントとを購入するために、八幡と雪ノ下は2人でららぽーとに向かった。一方、駅前で2人と別れた由比ヶ浜は、ようやく気付いた自身の恋心を持て余しながら、ひとり帰宅の途に就いた。



19.はなやかに彼女はこの世界でも輝きを放つ。

 南船橋で電車を降りて、比企谷八幡と雪ノ下雪乃はショッピングモールの方角へと歩を進めた。道中に並んでいるお店は現実さながらで、この世界で誰が大型家具を買うのかと首をひねりながら、八幡はゆっくりと車道側を歩いていた。もはや無意識のレベルで、並んで歩く女の子に合わせた行動を取ってしまう八幡であった。

 

「俺だったら、無くなった巨大迷路とか屋内スキー場を再現したいところだけどな」

 

「そうね。営業していた時には来ようとは思わなかったのに、無くなってしまってから惜しむのも不思議な話ね」

 

「失って初めて解る価値、みたいな話なんだろな。まあ、惜しまれないものもたくさんあるとは思うが」

 

「そうね。……貴方がもし奉仕部からいなくなったとしたら、どちらになるのかしらね」

 

 特にからかう様子もなく、雪ノ下は穏やかな口調でそう口にした。戸塚彩加や由比ヶ浜結衣とは違って挑んでくるような気配のないその発言に、八幡は苦笑しながら気楽に答える。

 

「普通なら、惜しまれるのを期待するんだろうが……。俺がもしいなくなったら、さっさと忘れて欲しい気がするな」

 

「それは無理ね。貴方のその特徴的な濁った目やひねくれた発言の数々は、忘れられるはずがないもの」

 

「おい、って言いたいとこだけど、それなんだよな……。小町が言うには、中学時代の俺の行動とか、今なお語り継がれてるらしいし」

 

「黒歴史、と言うのだったかしら。軽率な行いであれ、行動には責任が伴うということは、貴方も知っていたと思うのだけれど」

 

 さすがに学年でも国語の成績が飛び抜けている2人だけに、自らに関することでも仮定は仮定として、感情を排して客観的に淡々と話が進んでいく。

 

 

 職場見学の後に由比ヶ浜と決別して、八幡は彼女に対しては気まずい気持ちを抱えていた。先程2人で話をして、由比ヶ浜の感情に触れることでようやく安心できたものの、もしも彼女があの時のやり取りを受けて深く傷付いていたらと考えると、八幡は今でも冷や汗が流れる心地がする。心配をかけたことは本当に申し訳ないと思いつつも、彼女が自分に笑顔を向けてくれたことでようやく人心地ついた八幡であった。

 

 一方で彼と由比ヶ浜の対話が始まる前に場を去っていた雪ノ下に対しては、八幡は気まずい気持ちは抱いていなかった。もちろん週の前半には奉仕部を辞めるつもりでいたので、それをどう雪ノ下に説明したものかと悩む気持ちはあったのだが、それは説得に骨が折れるという理由であって、自分の行動が彼女に何か悪い影響を与えるのではないかと危ぶむ気持ちは欠片も浮かばなかった。

 

 そして両者に共通しているのは、八幡は自らの行動を彼女らに曲解されたり、悪意を持って解釈される可能性をほとんど考えていなかった。今までの人生で幾度となく同世代の悪意にさらされてきた八幡は、そうした危険性にこそ最大限の注意を払って過ごしてきたはずなのに。

 

 だが、部活で時間を共にすることで彼女らが変な誤解をするような性格ではないと思えたからこそ、八幡には未知の悩みが目の前に現れたのである。いっそ彼女らが他人を簡単に見捨てるような性格であれば、話は簡単だったのに。諦めて終わりという話にできたのにと八幡は思う。

 

 既に日にちが経っているので、由比ヶ浜が雪ノ下に事の次第を伝えていることは八幡も覚悟していた。彼女が仲の良い2人の友人に相談しているであろうとも考えていた。それらはもちろん可能であれば避けて欲しい事態だが、それで由比ヶ浜の気持ちが楽になるなら良いではないかと。自分の行動が原因なのだから仕方がないと、八幡は自分に言い聞かせていたのである。実は生徒会長や別のクラスメイトやあまり接点のない後輩にまで情報が伝わっているとは夢にも思っていない八幡であった。

 

 

 歩道橋を渡って、2人は小町が指定したエリアを目指しながら会話を続ける。

 

「責任か……。まあ、さっき由比ヶ浜が言ってたように、次の依頼で白黒つけるわ。無用の長物ならいる意味がないし、役に立てたら、その……もう少しだけ部にいさせてくれ」

 

「あら。私としては下僕にいなくなられると困るので、きちんと指示に従ってくれると約束できるのならば無用の長物でも構わないのだけれど?」

 

「それ、既に無用じゃなくて有用な存在になってないですかね。てか、お前の指示ならだいたい正しいんだろうけど、自分の意思を持たない奴を使いたいんなら、そういうのが好きな奴を選べばいいんじゃね?」

 

「……そうね。でも、自分の意志と言っても、どこからが自分の意志なのかしら?それに不測の事態を考えれば、曖昧な指示を受けても細かな部分は各自で判断できる人材が望ましいと思うのだけれど」

 

「だからお前は、どんな規模の依頼を想定してんだよ」

 

 結果を出したらという条件付きではあるが、せっかく八幡にしては素直に残留の希望を告げたというのに、ここぞとばかりに挑発してくる雪ノ下であった。久しぶりの感覚を懐かしく思いながら八幡も応戦して、彼の何気ない一言は密かに彼女の痛いところを突く。何とか誤魔化して話にも区切りがついたのだが、もしもこの会話を2人を知る第三者が傍聴していたら、雪ノ下の八幡への評価の高さに驚いていたことだろう。知らぬは当人ばかりである。

 

 

「つか、お前は説得とか、そういうのをして来ないのか?」

 

「ええ。今日のところは純粋に買い物に付き合って欲しいだけよ。貴方を屈服させるのは、また別の機会にね」

 

「なんかあれだな。『決勝で待つ』みたいな感じだな。お前って主人公っぽいけど、実はボス敵のほうが似合うんじゃね?」

 

「そうね。誰かの前に立ちはだかるのも悪くはないかもしれないわね」

 

「待て。確かに俺が言い出したことだが、お前が悪堕ちとか洒落にならんからやめてくれ」

 

オビ=ワン、フォースと共にあれ。(Obi-Wan, May the Force be with you.)

 

さらば友よ(Good-bye, old friend.)……じゃねーよ!俺はウータパウとか行かねーからな」

 

「ええ。由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントを買いに行きたいのに、変な場所に行かれると困るわ」

 

「お前な……」

 

 雪ノ下もこの手の映画を観るんだなと、普段とは違った印象を得て気持ちが少し軽くなった八幡は、彼女が口にした劇中のセリフにセリフで返す。だがちょうど目的のエリアに到着したこともあってか、雪ノ下は唐突に現実的な話に戻して八幡を置き去りにした。せっかく乗ってやったのにと、少し涙目になる八幡であった。

 

 

 2人の買い物は目的が明確だったからか順調に進み、雪ノ下がペット用品を購入している横で八幡は由比ヶ浜へのプレゼントを見繕った。プレゼントの品物よりも時間を無駄にしない合理的な行動を雪ノ下に褒められて、八幡は微妙な表情を浮かべている。彼女が酷評しないということは彼の選定が合格だという意味に他ならないのだが、未だそこまでは理解が及ばない八幡であった。

 

 そのまま台所用品のお店にやってきた2人は、由比ヶ浜のクッキー作りに協力した時の事を懐かしく思い出しながら彼女に合うものを相談した。黒地に猫の足跡をあしらっただけのシンプルなエプロンを雪ノ下が試着して、八幡に感想を求める。

 

「つーか、素材が良いんだから似合うに決まってんだろ……」

 

「これ、それほど頑丈な素材ではないのだけれど……」

 

「いや、エプロンの素材じゃなくて、お前だお前」

 

 照れくさそうに曖昧な感想を告げたせいで、更に恥ずかしいことを言わされてしまう八幡であった。彼と相談をしながらいくつかの候補を検討した結果、彼女が由比ヶ浜のために選んだのはピンクが基調のシンプルな装飾のエプロンだった。

 

「おい。これで由比ヶ浜がやる気を出してまた大量破壊兵器とか作ってきたら、責任を持って処理しろよ」

 

「比企谷くん、連帯責任という言葉を知っているかしら?」

 

 先程プレゼントへの感想をもらえなかった仕返しとばかりに八幡は軽口を叩くのだが、あっさりと迎撃されて本日何度目かの涙目になっている。そんな彼を横目に、雪ノ下は最初に試着した黒いエプロンをピンクのそれに重ねてレジへと移動するのであった。

 

 

 無事に用事を果たしてあとは帰るだけだと、八幡は肩の荷が下りたような心境で外に出た。彼と一緒に歩くことにもすっかり慣れた感のある雪ノ下が、先に店を出て通りで待っている八幡の隣に自然と並ぶ。しかし、そんな2人の平穏な時間をかき乱す声が、唐突に辺りに響き渡った。

 

「あれー、雪乃ちゃんだー!」

 

 

***

 

 

 この世界が稼働を始めたその日、雪ノ下陽乃(ゆきのしたはるの)は現実世界で予想外のニュースを受け取った。彼女が誰よりも大切に思う妹も含め、仮想空間にログインした全ての人がログアウトできない事態に陥ったというのである。

 

 第一報を受けた時点では運営の何らかのミスだろうと軽く考えていた彼女だが、とはいえ妹が関わっている以上は詳報を求めざるを得ない。人員を動員して、更には自らも調査を始めた彼女は、この事件は運営が意図的に引き起こしたものであるという結論に至った。運営が犯行声明を出す半時間ほど前のことである。

 

 もともと彼女が所属する大学の研究室は今回の仮想空間への参加を決定していた。彼女が時間通りにログインしていなかったのは単純に親に止められたからである。少数での実験で問題が起きなかったとはいえ、全く新しい技術で作られた斬新な機械に真っ先に飛び付くのは彼女の立場を考えると軽率ではないかと指摘されたのだ。

 

 とはいえ彼女の両親は新しい物をただ嫌悪するような頭の固い人達ではない。両親の言い分としては、大勢がログインしてから数時間ほど様子を見て、それで問題がなければログインして良しというものだった。妹が普通にログインしていることを思うと片手落ちのようにも思えるが、2人の娘が揃って未知の世界にログインするという事態が彼らの目には危うく映ったのである。

 

 経営者として結果を残しているだけに、彼女の両親は新しい技術への興味は人一倍にあった。彼らが妹のログインに横槍を入れなかったのは、彼女の機嫌を損ねることを怖れたからでは無論なく、情報を精査した上で滅多なことは起きないだろうと判断した結果である。彼女のログインを遅らせたのも、万が一に備えてという程度の意味合いでしかなかった。

 

 だが、彼女にしろ両親にしろ、運営がこうした犯罪行為に手を染めるとはさすがに予想外であった。事実は小説よりも奇なり。だが、そんな決まり文句を口にして嘆いているだけの者は彼女の肉親には一人もいない。もちろん、彼女自身を筆頭に。

 

 現時点での情報を整理した彼女は運営の意図として、参加者の生命を脅かすような行為が徹底的に避けられていることを見抜いた。彼女は運営の犯行声明を聞くことはなかったが、結果として彼らの脅し文句に踊らされなかったのは僥倖と言うべきだろう。たとえ結論は同じでも、情報を再度検証する時間が無駄になっただろうから。

 

 彼女は大学の研究室から会社にいる両親に通話を繋ぎ、仮想空間へログインする旨を伝えた。綺麗にまとめるだけの時間はさすがに得られなかったが、彼女が収集整理した情報は重要度別に分類して送信済みである。それらを根拠に、彼女は両親にログインの許可を求めた。

 

 彼女は言った。せいぜい海外に留学するのと変わらない程度のリスクしかない。わたしにとっては昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏なものだと。仮想世界での学習効率は現実とは比べものにならないし、この事件に巻き込まれた人達との繋がりはこの上なく強固なものになるだろう。自分が参加することで妹のフォローも可能である。現実世界での面倒な繋がりを一時的に絶てるのも先々を考えると有用だろう。考えれば考えるほどメリットばかりが浮かび上がってくるのだと。

 

 さすがに彼女の両親は、彼女を行動に駆り立てる根源的な要素が妹にあることを見抜いていた。だが同時に、彼女が並べ立てるメリットはいずれも納得できるものだった。彼女が分析した通り、生命の危険さえなければ、メリットがデメリットを大幅に上回ることは明白なように思われた。結局のところ、検証すべきはその一点のみである。

 

 だが彼女の両親は独自にそれを検証することはしなかった。彼らにとって理想的な形で育ってきた娘が、王道を歩んでいたように思えた娘が突然、突拍子もない事を言い出したのである。同時にその行動には説得力のある分析が伴っていた。これを遮るようでは娘のためにならないと、両親は腹を括ったのである。

 

 かくして、彼女は他の犠牲者より数時間遅れでこの世界にログインすることになったのであった。

 

 

***

 

 

 どこかで聞き覚えがあるような誰かに似たような声の主を探して、八幡は黒髪の美人を発見した。艶やかな髪と透き通るほどの白い肌。なぜか少し違和感を覚えるものの、親しみのある表情を浮かべて華やかに立つその女性は清楚な輝きを放っている。同行していた友人達にへりくだるでもなく顎で動かすでもなく、先に行くことをごく自然な形で命じた上で、その美女は彼らのほうへと近付いてきた。

 

「姉さん……」

 

 東京わんにゃんショーの会場で犬に遭遇した時と同じように、雪乃は無意識のうちに八幡の背後へと身体を傾けていた。そんな彼女の動きを見逃してくれるわけもなく、件の美女は楽しげに口を開く。

 

「雪乃ちゃんがデートだなんて、お姉ちゃんショックだなー」

 

「……デートではないわ」

 

「またまたー。彼氏さん、紹介してもらっていいかな?」

 

「だから、彼氏ではないと……」

 

「雪乃ちゃんの姉の陽乃です。雪乃ちゃんのこと、よろしくね!」

 

「はあ、比企谷っす」

 

「……ふぅん。比企谷、ね。……うん、覚えた!」

 

 おどけたような口調とは違って、先程から八幡を観察する陽乃の視線は肌寒ささえ覚えるほどの鋭さだった。だが彼の名乗りを聞いて、一瞬だけ彼女は何かを考えるように視線を緩める。同時に何か得体の知れない圧迫感が彼女からは漂ってきたのだが、不意に彼女が微笑んだことで全ての圧力が消え失せた。

 

「お姉ちゃんのメッセージに全然返事してくれないと思ったら、いつの間にか比企谷くんと付き合ってたなんて、お姉ちゃん寂しいなー」

 

「だから彼氏ではないと。だいたい毎朝毎晩メッセージを送ってくるのはやめて欲しいと何度も言っているのに、迷惑メールが全く減らないのはどういうことかしら?」

 

「えー。だって愛する妹に話すことがありすぎて、朝晩だけだと足りないぐらいだけどなー。あ、でも比企谷くんとメッセージする時間が無くなるって言うのなら、お姉ちゃんも少しぐらいは我慢するよ!」

 

「だから違うと何度言えば……。この男は単に同じ高校の同学年というだけよ」

 

 部活での関係を告げれば確実に面倒なことになると考えて、雪乃は敢えて情報を最小限に止めた。だがその程度の関係の男子生徒と2人きりで出かけているというのも奇妙な話である。

 

「ふーん。つまんないなー」

 

「共通の知り合いに贈る誕生日プレゼントのことで協力してもらっただけなのだから、変な風に受け取らないでくれると嬉しいのだけれど」

 

 遅まきながら情報の不自然さに気付いて解説を加える雪乃だが、既に陽乃は興味をなくしてしまったような表情で彼女の弁明を聞き流している。何とか誤魔化せたかと胸をなで下ろす雪乃は、姉の興味が失せたのは彼女が追加情報を口にする前だったことには気付かなかった。

 

「ま、誕生日プレゼントとか青春って感じだよねー。あまり羽目を外さないように、比企谷くんがしっかり支えてあげてね」

 

「だから違うと言っているのに困ったものね。比企谷くん、そろそろ帰るわよ」

 

「たまには実家に帰ってきて欲しいなー。比企谷くんからも説得してくれない?」

 

 姉妹から話し掛けられてたじたじの八幡を尻目に、陽乃はすっと妹に近付くと、彼女の耳元で囁く。

 

「一人暮らしのことで怒ってたお母さんも、この世界にはいないんだしさ」

 

 お母さんという言葉を聞いて、雪乃は瞬間的に身体を強張らせた。それが周囲にも伝播して空気が固まってしまったような気持ちがして、仕方なく八幡は口を開く。

 

「その、誕生日プレゼントって、もらって嬉しかったものとかあります?」

 

 この状況で自分に向けて話しかけてきた高校生男子に目を向けて、陽乃は少しだけ彼を見直す気になった。とはいえ彼の質問に答えたのはあくまでも気紛れのゆえである。彼女の内心としては適当なところで撤退して、自分には意図的に隠されていたのであろう情報を確認したいのが本音であった。

 

「うーん。みんなが色々と考えてプレゼントしてくれたものだから、どれも嬉しかったけどなー。比企谷くんは?」

 

「あー。俺はその、宇宙イモぐらいしかもらったことがないので……」

 

「宇宙イモ?」

 

「なんか『宇宙一おいしい』とか幟が立っていた屋台で買ったやつみたいで。略して宇宙イモ、って言ってたんですけど、俺に渡した後に逃げるように去って行ったので詳しいことは分かりません」

 

「それ、貴方が誕生日だという衝撃の事実が発覚したので、手持ちの物を与えて逃げただけでは?おそらく貴方に会ったのも偶然でしょう?」

 

「やめろ雪ノ下。詳しい分析を俺は望んでいない」

 

「ふ、ふーん。比企谷くんってば、冗談で場を和ませるなんて、面白い性格なんだねー」

 

 さすがに意表を突かれて、陽乃は撤収の支度に入った。頃合いとしてはいい感じになったのだから、もう少し彼の評価をおまけしてあげても良いかもしれない。陽乃はそんなことを考えながら別れの挨拶を口にする。

 

「じゃあ、比企谷くんが雪乃ちゃんと付き合うことになったら、たっぷり時間をかけてお茶しようねー。雪乃ちゃんにはまた今晩メールするね!」

 

「だから要らないと……」

 

 だが雪乃の言葉を聞くことなく、陽乃はゆっくりとしかし決して振り返ることなく、2人の前から去って行ったのだった。

 

 

***

 

 

 一見したところ友好的な対話のようにも思えるが、当事者にとってはまるで嵐のような時間がようやく終わった。大きな溜め息をついたあとで、雪ノ下はゆっくり口を開く。

 

「ごめんなさいね。うちの姉っていつもあんな感じなのよ」

 

「あー、なんてか外面がすげーな。強化外骨格ってか、あれを作って維持してんのって、疲れないのかね?」

 

「……え?その、貴方は姉の態度や表情が作ったものだと、そう言いたいのかしら?」

 

「ん、違うのか?まあ普通の高校生なら見抜けねーだろうけど、俺は親父から英才教育を受けてるからな。ギャラリーのお姉さんとか、親父が色々と騙されてきた手口は聞いてるから、初対面でフレンドリーな相手には身構えることに決めてんだよ」

 

「……何だか、そんな理由で見破られた姉が少し可哀想に思えてくるのはなぜかしら?」

 

「それにあれだ。姉妹で顔は似てるのに、さっきお前がアナキンのセリフを言った時の笑顔と、全然違うじゃねーか」

 

 駅に向かってゆっくりと歩いていた2人だったが、八幡が少し恥ずかしそうに遠くに視線をやりながら口にした言葉を聞いた雪ノ下は、思わず立ち止まって先程と同じように身体を強張らせた。しかしその反応は驚きがもたらしたものである。あの時とは違って強張りは一瞬で解け、それと同時に彼女は柔和な笑顔を浮かべた。

 

「そう言えば、先程もらって嬉しかったプレゼントを質問していたわね。……パンさんは分かるかしら?」

 

「ん?ああ、あのディスティニィーの?」

 

「ええ。パンさんの原作の原書を誕生日にもらって、辞書を頑張って引きながら夢中で読んだのだけれど……あれは素敵なプレゼントだったわ」

 

 遠い目をしながら雪ノ下は呟く。辞書を頑張って引いていたという話からして、おそらくは小さい頃の話なのだろう。プレゼントしてくれたのは彼女の肉親か、それとも……。そこまで考えていた八幡の視界に、ふと話題のパンさんのぬいぐるみが入って来た。

 

「んじゃ、あのクレーンゲームのぬいぐるみとか、もらったら嬉しいもんかね?」

 

「え?ええ、もちろん嬉しいに決まっているのだけれど……?」

 

 雪ノ下の返答を受けて、八幡は力強くゲームコーナーへと進んで行く。そしておもむろに手を挙げて、店員さんにぬいぐるみを取って欲しいとお願いをするのであった。

 

 

 思いがけない八幡の行動に呆気にとられていた雪ノ下だったが、彼女は八幡が確保したぬいぐるみをしっかり抱きしめて決して離そうとはしなかった。そのまま駅まで並んで歩いて、こうして2人のお出かけは無事に終了したのであった。

 




中堅・雪ノ下の結果。
・本人にやる気がなく乱入者により無効試合に。
・「大将戦で待つ」というメッセージは伝達済み。
・数学の話を持ち出して、意識せず八幡の視野を広げることに成功した。

次回は明日更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(3/2)
誤字報告を頂いて、ディスティニー→ディスティニィーに修正しました。ありがとうございます!(10/22)

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