俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回は八幡視点です。以下、ここまでのあらすじ。

 職場見学での出来事を月曜日からずっと引き摺っていた比企谷八幡は、現実逃避の心境で出掛けた先の東京駅で思いがけない情報に出くわした。NPCとの対話を通して、その情報が身近な人々に直ちに悪影響を及ぼすものではないと確認できた八幡は、一仕事を終えた充実感と心地よい疲労感をまといながら帰宅したのであった。



13.ゆきゆきて彼女は兄の幸せを願う。

 一夜明けた木曜日。久しぶりに爽快な気分で目覚めた比企谷八幡は妹に朝食を用意してやろうと考えて、勢いよくベッドから起き上がった。窓の外を眺める代わりに天気予報のアプリを立ち上げると、夕方頃には雨が上がって久しぶりにお日様を拝めるという話である。

 

 そういえば、昨日の外出中もずっと雨が降っていたはずだ。しかし行きはなるべく頭を空っぽにして歩こうと思っていた為に、帰りはふわふわとした多幸感の為に、彼は傘を差したのか合羽を着たのかすらもまるで思い出せなかった。

 

 昨日までと今現在の爽やかな気分との違いによって、気の持ちようによって見えるものや受ける印象・記憶がこれほど変わってくるものなのか。そんな事を思う八幡は、以前に小説で読んだような事が自分の身にも起きていることを訝しくも嬉しく思う。今なら簡単に魔法やかめはめ波が使える気がする、などと考えながら、両手を盛んに動かしつつ彼は階段を下りて行くのであった。

 

 

 リビングに入ると、そこには既に妹の姿があった。兄の様子が以前とほとんど変わらない状態にまで戻っていたことを昨夜確認できて、比企谷小町もまた今日の朝は清々しい気分で目覚めた。午前中は雨なので今日も一緒に通学することはできないが、そのぶん少し豪華な朝ご飯を用意して兄を叩き起こしに行ってやろうと彼女は考えていたのである。

 

「あちゃー。お兄ちゃん、もう起きて来ちゃったか」

 

「……もしかして、早くに出る用事でもできたのか?」

 

「そーじゃないんだけどさー。……小町のフライング・ダイビングなんとかが炸裂するはずだったのになー」

 

「ちょっと待て。その被害者は俺か?」

 

 驚愕の表情を浮かべる八幡だが、小町からすれば当たり前すぎて返事をする気も起きない。兄以外の誰に向かって、彼女がボディ・アタックを敢行するというのだろうか。ニコニコしたまま口を開かない妹を見て、彼は「小町ちゃんの恨みを買うこと何かしたっけ?」などと見当違いな独り言を呟いている。そんな兄を見やりながら、彼女は笑顔のまま朝食の支度に戻るのであった。

 

 

 ともに思惑が外れる形になった兄妹だったが、朝から一緒に食事の準備をするというのも実際に行ってみると悪くないものだった。手際よく分担して、当初よりも早めの時間にご飯の用意を終えて、兄妹は食卓に着いた。

 

「ほーいえばさ、今日の放課後……」

 

「おい、いつも言ってるけど喋るか食べるかどっちかにしろ。……昨日の夜に打ち合わせた通りだよな?」

 

「うん。部活がどうなるかは判らないんだよね?」

 

「そうだな。部長会議がどうなるか……雪ノ下が昨日生徒会に呼ばれたのは多分それが原因だろうし、すんなり終わりそうにないかもな」

 

 昨夜にも部長会議のことは妹に説明していたが、雪ノ下雪乃が生徒会に呼ばれたことと関連付けて考えはしなかった。だが少し視野を広げて再考してみると、このタイミングでの生徒会からの接触にはきな臭いものを感じざるを得ない。

 

「雪乃さんって、やっぱり頼りにされてるんだねー」

 

「そりゃお前、論破とかさせたら雪ノ下に太刀打ちできる奴なんてほとんど居ないだろ。何なら流れで俺も含めて論破されるまであるぞ」

 

「じゃあその部長会議ってのも、何とかなるんじゃない?」

 

「まあ、結果は見えてんじゃね?……ただ、時間がどれだけ掛かるかで、下々の部活動に影響が出るんだけどな」

 

 

 部長様から部室待機を命じられるか、それとも部活の中止を通知されるか。結局のところ八幡からすれば指令待ちの状況に変わりはない。部室待機になってもう1人の部員と2人きりで時間を過ごすことになれば気まずいが、それも自らがまいた種だと思えば我慢するしかないだろう。

 

 昨日までは頑なに退部という選択肢しか考えていなかった八幡だったが、今は少し決意が揺れている。だがやるべき事は変わらない。退部する場合でも、あの2人には決断に至る経緯を話しておきたいと八幡は考えていた。今は結論の部分は未定にして、しかし彼が思い悩んでいた内容を2人には伝えたいと思っていた。

 

 八幡には2人に引き留めて欲しいという希望はない。構って欲しいが為に退部をちらつかせるような情けない振る舞いは、特にあの2人の前では絶対に避けたいと彼は考えていた。彼が2人に説明をしたいと考えているのは、今回の件が彼女らの中で尾を引くことがないようにという彼なりの気遣いである。

 

 だが、2人からの反応を遮断して、己の思う事だけを一方的に通知する行為は、果たして気遣いと呼べるものなのだろうか。残念ながら今の八幡にはそこまで考察が及ばない。肥大した自意識が原因なのか、それとも他人の気持ちを考えられないのが原因なのか。これは第三者からの指摘を待つしかないのだろう。

 

 

「部活があるなら仕方ないけど、沙希さんの授業、間に合うなら聞いてみて欲しいなー」

 

「塾で待ち合わせって、八幡的にはハードル高いんだが……」

 

 小町ポイントを意識したような言い回しをする八幡だったが、もちろん妹には通じない。今夜は久しぶりに晩ご飯を外で食べようという話になって、昨夜せっかく待ち合わせ場所まで決めたのだ。今さら予定を変更する気は小町にはなかった。

 

「お兄ちゃんの気にし過ぎだって。この世界だと中には保護者しか入れないから、みんな警戒とかしないし」

 

「あー、まあその点では心配しなくて済むから助かるな」

 

「およ?……もしかしてお兄ちゃん、小町のことを心配してくれちゃったりなんかしちゃったり?」

 

「うぜぇ……。ま、塾に行く前にメッセージ送るわ」

 

 お互いに照れている内心をお互いに隠せたつもりになって、この朝の兄妹の会話は終わった。その後は一緒に後片付けをして、昨日までと同様に小町が先に、そして八幡は時間ギリギリに学校へと向かったのであった。

 

 

***

 

 

 2年F組の教室に着いて、昨日までと同様に独りで過ごすのだと八幡は己に言い聞かせた。冷静になると、昨日の夕方から随分と浮かれていた気がする。よくよく考えてみると、NPCから温かい対応を受けて喜ぶとか、平塚先生のことを全く笑えないではないか。

 

 孤独を意識するがゆえに面倒な思考が再燃しつつあった八幡だったが、しかし自分の感情には嘘はつけないものである。一時的には昨日まで以上に暗い雰囲気を発していたものの、すぐに彼は頭を切り換えることができた。たまたま落ち込んでいた瞬間をクラスメイトの女子生徒に見られていたなど、彼には思いもよらぬ事である。

 

 彼が休み時間のたびに廊下に出るのは連日のことだったので、その行動を意識もしない大多数はもちろんのこと、彼に注意を配っている少数の生徒にも変な印象は与えなかった。しかし八幡の内面は昨日までとは違っていた。平塚先生から空き教室をあてがわれたお陰で行き先があるという安心感と、昨日の放課後以来の高揚した気持ちが、彼の精神状態を改善したのである。

 

 

 お昼休みには彼にもメッセージが届いて、今日は全ての部活が中止になることを知った。その情報から状況が予想以上に面倒な事になっていると理解した八幡だったが、それでも彼の雪ノ下に対する信頼は揺るがない。あの部室で彼女と何度も論戦を行い何度も論破された彼だからこそ、安心して結果を待つことができるのである。

 

 彼は今日も返信内容を簡素に止めたものの、少しだけ迷った後に末尾に「お疲れさん」とだけ付け足すことにした。八幡なりの激励のつもりだったのだが、彼女は彼が状況を把握した上で挑戦的な物言いを送ってきたのだと受け取った。「この程度のことなど、疲れる前に簡単に片付けてみせるわ」などと彼女が盛り上がっていたとは、彼は知らない方が幸せであろう。色々な意味で。

 

 

 放課後になって、彼は今日もまた授業が終わってすぐに帰宅した。部活がない上にショートカットで帰宅したので、待ち合わせの時間までにはまだ充分に余裕がある。

 

 久しぶりに好みの小説を引っ張り出して、八幡はしばし楽しい時間を過ごした。ここ最近は学校にも本を持って行くことがなかったのだが、気分が上向いた証なのだろう。昨日までは何かを読もうという気になれなかったのに、今日の休み時間には手持ちぶさただったのだ。明日からは持って行くようにしようと思いながら、彼は本を片付けた。

 

 外に出ると日が差し始めていたので、八幡は自転車で出掛けることにした。今週は雨が多かったので妹と一緒に登校できていない。久しぶりに自転車で一緒に帰れるとなれば、小町はきっと喜んでくれることだろう。そう考えながら、彼は通り慣れた道を辿って妹が待つ塾へと向かうのであった。

 

 

***

 

 

 通い慣れたイタリアンなチェーン店にて腰を落ち着けて、八幡はすぐにドリンクバーを取りに行って良いのか、それとも順番を譲った方が良いのか迷っていた。彼の隣には妹が座っていて、向かいの席には川崎沙希と川崎大志が座っている。

 

「……なんでこのメンバーなんだ?」

 

 先に川崎姉弟にドリンクを取りに行かせて、彼は横に控える妹に問いかけた。確証はないが、妹はこの展開を狙っていたに違いない。事前に詳細を教えなかったのは八幡を逃がさない為だろう。そうした事情が兄にばれているのは承知の上で、小町は平然と答えを返す。

 

「だって、面白そうじゃん」

 

 お嫁さん候補に発展しそうな女性との会食の場を兄の為にセッティングした、などとは口が裂けても言わない小町であった。ドリンクを持って帰ってきた川崎姉弟と交替で、兄妹は飲物を取りに行く。特に会話を交わすことなく席まで戻って来て、改めて4人での話が始まるのであった。

 

 

「お兄ちゃんさ、沙希さんの授業は聞いてたんだよね?」

 

 まさか聞かれていたとは予想もしておらず、思わず飲物を吹き出しかける川崎であった。そんな彼女を気まずげに眺めながら、仕方なく八幡は口を開く。

 

「まあな。お前が勧めるから最後の方だけ聞いてみたけど、あれだ。内容も良かったし、何てか……ちゃんと先生してんだな」

 

「あ、あんた達のお陰だよ。……授業の内容は先生の授業ノートをそのまま使わせて貰ってるだけだしさ」

 

「でもでも、沙希さんの話し方ってすごく印象に残りますし、ホントに解り易いですよー」

 

「姉ちゃんの教え方は俺の同級生も絶賛してた」

 

「はいはい。あんたらは、お世辞とか言う暇があったら勉強しな」

 

 照れている事に加えてぼっちの性格が出て、八幡に少し上滑りの返事をしてしまった川崎だったが、あまり長引かず冷静になることができた。小町や大志の褒め言葉には適当な対応ができている辺り、教師としての経験が蓄積されつつある証拠なのだろう。

 

 だが川崎は、小町の目が怪しく光ったことには気付かなかった。

 

 

「じゃあ……昨日の授業のことで質問してもいいですか?」

 

「ん?ああ、いいよ」

 

「関係代名詞の授業の後で、お兄ちゃんのことを聞きに来たのってどうしてですか?」

 

 再び飲物を吹きそうになった川崎だが、何とか堪える。とはいえすぐに返事はできそうにない。一方の小町は「授業の後のことでしたねー、てへっ」とでも言いたげに可愛らしく舌を出している。

 

「は?……俺って何か聞き込みされるような悪いことしたっけ?」

 

「あー、うん。ちょっとお兄ちゃんは黙っててね」

 

「……ちょっと教室で前とは違う感じがしたから、気になっただけだよ」

 

「まあ、今週の頭から兄の様子は少し変でしたよねー。でも、昨日の夜はいつも通りだったので、もう大丈夫だと思いますよー」

 

「そ、そう……。なら良いんだけどさ」

 

 小町の勢いに押されながらも、何とか川崎は言葉を返す。一方で八幡は、自分の精神状態をつぶさに妹に把握されていたことに驚きを隠せない。「俺ってそんなに分かりやすいのか……」と少し落ち込み気味の八幡であった。

 

「お兄さん、何かあったんすか?」

 

「……おい、お兄さんって呼ぶな」

 

「ちょっと、うちの弟に殺気を飛ばさないでくれない?」

 

 だが空気を読まない大志の発言のお陰で、八幡も川崎も普段の調子を取り戻せた模様である。せっかく不意を突けたのにと内心で悔しがる小町だったが、彼女の反応から大体の事情は察したので良しとしようと考えを改める。

 

 

 小町の見立てでは、おそらく川崎の独断ではなく、何人か兄を心配している人達が居るのだろう。先程の川崎の返答や態度から女子グループに特有の雰囲気を感じ取って、彼女には妹経由で情報を探るという役割が与えられたのだろうと小町は思う。

 

 純粋な兄に対する興味から質問されたのであればもっと嬉しかったのだが、複数の女子生徒が兄を案じているというのであれば、また別の嬉しさがこみ上げてくる。きっと奉仕部のあの2人も含まれているのだろうし、小町の知らない女性だって居るかもしれない。そんな事を考えて密かに盛り上がる小町であった。

 

 既に昨夜、兄から事情のあらましは聞いている。職場見学に端を発した話を聞きながら、月曜日に「働いたら負けだ」と言い始めた兄の言葉を遮った過去の自分の行いを少し反省した小町だったが、確かに兄が陥りそうなパターンだなという感想を持った。この状態の兄を正常化するのは骨が折れるだろう。

 

 だが幸いなことに、今の兄には同じ高校内で何人か話せる相手がいる。奉仕部の2人には兄の側から少し壁を作っている感じだが、彼女らの性格を思えば正論で、あるいは元気よくその壁を突き破ってくれるだろう。兄がこよなく愛する同性の友人や、目の前の女性だって、きっと力になってくれるだろう。

 

 すっかり雑談の場と化したイタリアン・レストラン内の親密な空気を感じ取りながら、場を盛り上げる発言を適度に挟みつつ小町は改めて思う。兄は一体いつの間に、ここまでの人間関係を築いていたのだろうかと。妹の贔屓目もあって、初対面では受けが悪くても長い付き合いをするには良い物件だと密かに彼を評していた小町だったが、やはり兄には狭くとも深い人間関係が似合うのかもしれない。

 

 願わくば、兄と仲の良いこれらの人達との関係が今後も良い形で続きますようにと、そしてその中の誰かと兄が相思相愛の仲になれたら嬉しいのになと考えながら、特別ゲストを交えた兄妹の久しぶりの外食の夜は楽しい雰囲気のまま更けて行くのであった。

 




1年前にはまさか自分が作品を書くなど夢にも思っていませんでした。
その意味では、楽しく読ませて頂いた他作品のお陰で本作があると言っても過言ではないと思います。
素晴らしい作品を書いて下さった作者様やそれを支えた読者様のお陰で、私も何か書いてみようという気持ちがいつしか芽生え、そして今があります。
作品を書き始めてからは常に読者様に支えられて、お陰で無事に年末まで書き続ける事ができました。

以上の方々に改めて御礼を申し上げて、年末の挨拶とさせて頂きます。
本当にありがとうございました。
皆様にとって来年が良い年になりますよう、心から願っています。


次回は1月9日(月)に更新する予定です。
数話更新した後は、年度末まで月1程度の更新しかできないと思いますが、どうか宜しくお願い致します。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
タイトルの「ゆきゆきて」は、芭蕉の門弟・曾良の「行き行きて倒れ伏すとも萩の原」を意識したものです。「どこまで行っても」ぐらいの意味合いで受け取って頂ければ幸いです。(12/29)
細かな表現を修正しました。(1/12)

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