俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

56 / 170
今回は由比ヶ浜視点です。



09.きっと彼女は決意を果たすことになる。

 テストの返却と解説だけで普段よりも早い時間に授業が終わった昨日の放課後、由比ヶ浜結衣は仲の良い2人と楽しい時間を過ごして気分をリフレッシュできた。丸一日にわたって連絡が無かった部活仲間の女子生徒からメッセージが届いたおかげで、肩の荷が半分下りたように感じられたことがその要因である。

 

 彼女はまずあたしが元気になろうと改めて自分に言い聞かせた。親しい仲の2人と一緒に過ごす時間はこれからも多く得られるのだろうが、だからといって楽しく遊べるせっかくの機会を塞ぎ込んだ気持ちのまま消費してしまうのは彼女たちにも失礼だ。

 

 親しき仲にも、などと堅苦しい事を考えたわけではないが、それが友人に対する当然の礼儀だと考える由比ヶ浜は、その日は率先して場の盛り上げに貢献した。彼女が得意とする役割を完璧に果たしたことで、昨日の放課後は参加者のいずれにとっても楽しい一時となったのである。

 

 

 一夜明けて、すっかり元の調子を取り戻せたと思っていた由比ヶ浜だったが、残念ながら事はそう簡単には運ばなかった。今や彼女にとって唯一の気掛かりとなっているクラスメイトの男子生徒が、昨日と変わらぬ調子で今日も孤高を貫いていたからである。

 

 休み時間に続いてお昼休みにもすぐさま教室から出て行く彼の背中に「俺と関わるな」と大書されているような気がして、由比ヶ浜は朝方の元気を使い果たし、いつしか沈み込みがちになっていた。こんな事で、今日の放課後に一緒に部活などできるのだろうか。そもそも、彼はもう部活に来てくれないのではなかろうか。

 

 2日前のことになるが、職場見学当日の夜に頼れる友人たちと相談した際、彼が部活を辞めるという未来は顧問の先生がいる限りは実現しないだろうという話になった。だが、いくら理性でそう言い聞かせても、もしもの事を考えてしまうと心中はたちまち落ち着かなくなる。彼が奉仕部から去ってしまった未来を想像するだけで、由比ヶ浜の楽しい高校生活は味気のないものへと変貌を遂げてしまうのである。

 

 彼女は複雑な考察は得意ではない。もしも部から去るのがあの女子生徒だったとしたら、由比ヶ浜は今と同じような感情を抱くのだろうか。もしも部を辞める生徒の相違によって受ける印象に違いがあるのであれば、それは何に由来するものなのだろうか。そうした疑問を彼女が覚える事はない。彼女にとっては嫌な未来だという以上の詳細など必要ないのである。

 

 だから由比ヶ浜は決意を固める。詳しいことを考えるのは自分の性分に合わない。とにかく自分が果たすべきは、彼を奉仕部に引き留めることである。前日の気の置けない友人たちとの楽しい時間のお陰で、自身が果たすべき役割について自信を取り戻すことができた由比ヶ浜は、物事を単純に考えることに決めた。

 

 あれもこれもと考えた結果、全てを疎かにしてしまうのではなく、目の前にある事を1つずつ片付けていこう。そう考えて、少し無理矢理ではあったが由比ヶ浜は笑顔を浮かべた。そして自分の心境を目の前の2人に説明しながら、彼女は来たるべき放課後に備えるのであった。

 

 昨日から降り続く雨は今もなお止む気配を見せず、静かに教室の窓ガラスを叩き続けている。

 

 

***

 

 

 てっきり午後の授業が始まる直前まで戻って来ないと思っていたのに、予想外に件の男子生徒は少し早めの時間に教室に帰ってきた。気のせいか、午前中には明確に感じられた張り詰めた気配が少し和らいだようにも思えて、由比ヶ浜は首を傾げながらも表情を少し緩ませる。

 

 あまりじろじろと見ていると他のクラスメイトから変な風に思われるかもしれないので、由比ヶ浜は意識を自分の周囲に戻して、雑談に加わるチャンスを窺う。教室では普段通りに過ごすのだと思いながら友人たちの会話を耳に入れようとしたちょうどその時、彼女にメッセージが届いた。

 

 

『拝啓。雨が降り止む気配がなく、じめじめした毎日ですね。毎食ごとに献立の写真を送られても反応に困るのだけれど、その後も変わりなさそうで何よりです。さて、昨日の今日で申し訳ないのですが、唐突に生徒会から相談を持ち込まれて、今日の放課後に話を聞いてくる予定です。どうやら長くなりそうなので、部活は休みにしてはどうかと提案されました。明日も部長会議があるので部活がどうなるか、その辺りも話を聞いてこようと思っています。今日のところは部活は中止ということで、楽しい放課後をお過ごし下さい。かしこ』

 

 

 せっかく放課後の部活に向けて意気込んでいたというのに、予想外の展開に由比ヶ浜は頭を働かせることができない。首を捻りながら、無言でメッセージを示しつつ助けを求める視線を寄越す彼女の姿を見て、三浦優美子と海老名姫菜は思わず微苦笑するのであった。いつもと同様に周囲に声が漏れない設定に変えて、彼女らは思ったことを順に口にする。

 

「なんて言うか、間が悪いって言ったら良いのか、時間が稼げたと良い方向に受け取ったら良いのか、うーん……」

 

「難しく考えても仕方ないし、今日の部活は無しって事だけ受け止めれば良いし」

 

「うん、まあそうだね。どうする?今日も遊びに行く?」

 

 そう提案してくれる海老名だが、今日の放課後は部活があると思っていたので彼女ら3人は別行動の予定だった。三浦は久しぶりにテニスで身体を動かすと言っていた気がするし、海老名も創作活動で手を動かすと言っていたはずだ。由比ヶ浜はそうしたことを思い出して、かぶりを振って提案を断る。

 

「優美子も姫菜も、今日は別行動って言ってたじゃん。あたしは、その……ちょっとだけ成績も上がったし、もう少し勉強にも時間を使ってみようかなー、なんて思ってたりして、えっと……」

 

 しどろもどろの口調ではあったが、由比ヶ浜が口にする内容はその場凌ぎの言い訳ではなく本心からのものであると、彼女ら2人はきちんと理解していた。たとえ進学校であっても、下手にガリ勉のようなことを言い出すと渋い顔をされる場合があるのだが、3人の仲は既にそんな次元ではない。それに彼女らにしてみれば、由比ヶ浜が誰と誰を意識してこんな事を言い出したのかまで丸分かりである。

 

「じゃあさ、私は空き教室で夏コミのプロットを練る予定だから、その横で勉強したら?」

 

「なつこみのぷろっと?」

 

 中臣鎌足と同じような発音で、聞き慣れない言葉を繰り返す由比ヶ浜であった。勉強に関する単語かと思ったが、練るということは食べ物なのだろうか。おやつまで用意してくれるとは勉強には最適の環境と言えるのだろうが、さすがに甘えすぎではなかろうか。

 

 由比ヶ浜がそんな見当違いなことを考えているとはつゆ知らず、だが無邪気な疑問を浮かべている様子が伝わって来るので、海老名は珍しく暴走することなく普通に説明を行う。

 

「うん。やっぱり締め切りがないと中途半端になっちゃうからね。夏コミっていう夏のイベントがあるんだけど、その時期に間に合うように作品を仕上げようかなって」

 

 自分が打ち込んでいることを気を許した2人に説明できる嬉しさのあまり、彼女は腐った気配をまとうこともなく普通の高校生のような笑顔を浮かべている。そんな表情の海老名を目にして嬉しい気持ちが伝染していることを自覚しながら、作品の内容には決して触れないようにと互いに目配せを交わす2人であった。

 

 

***

 

 

 放課後の行動を相談していたらお昼休みが終わってしまったので、由比ヶ浜は次の休み時間にメッセージを返信することにした。明日の部活もどうなるか判らないと書いてあるのが不安材料だが、彼女が好きこのんで予定を変更しているわけではないとは由比ヶ浜も理解できるだけに、強くは言えない。

 

 結局、部活が無いのを寂しく思う気持ちと、彼女に会えないのを残念に思う気持ちと、写真をちゃんと見てくれている事へのお礼および今後とも送付を継続する誓いと、あれやこれやを音声入力で詰め込んで返事を済ませて、由比ヶ浜の休み時間は終わった。昨日までは無理矢理に気持ちを奮い立たせてメッセージを送っていたきらいがあったが、今の彼女は自然体に近い。かの女子生徒との仲はほぼ元通りになったと、由比ヶ浜としても手応えを得ているのだろう。

 

 そのまま放課後を迎え、由比ヶ浜は海老名からの提案を受け入れることにした。もう1人の部員との関係を早く改善したい気持ちは強くあるが、彼は今日もホームルームが終わってすぐに姿を消した。仕方がないと何度も自分に言い聞かせながら、1つずつやるべき事を済ませていこうと決意を新たにする由比ヶ浜であった。

 

 雨は依然として降り続いている。

 

 

***

 

 

 テスト期間でもないのに放課後にも夕食後にも勉強をして、その日の由比ヶ浜はいつも以上に熟睡して次の日を迎えた。たまには勉強するのも良いものだ。それにこの調子だと次の期末試験でも良い結果が得られそうだ。わずか1日の勉強だけで調子に乗ってしまう由比ヶ浜であった。

 

 女子のトップカーストの中でもムードメーカーと言うべき由比ヶ浜の機嫌が良く、そして彼女と仲が良い2人の女子生徒も昨日の放課後にそれぞれ満足のいく活動ができたことで、今日の2年F組は普段通りの活況を呈していた。ここ数日の微妙な雰囲気を憂えていた生徒たちも、今日は安心して過ごせている様子である。

 

 残念ながら、今日も時間ギリギリに教室に入ってきた男子生徒だけは、そうしたクラスの盛り上がりにも我関せずという態度である。由比ヶ浜がこっそりと観察したところ、彼は昨日にも増して暗い空気を漂わせているように見えた。そんな彼の印象は彼女の心を当然のごとく傷付けたが、だが3日連続となるとある程度は慣れるものである。

 

 彼女が薄情で冷淡な性格だからではなく、彼女が既に決意を終えているがゆえに、この日の由比ヶ浜は一向に上向かない様子の彼を見ても必要以上に落ち込むことはなかった。とにかく彼女が果たすべきは彼を奉仕部に引き留めるという、ただそれだけの事なのである。

 

 

 この日もお昼休みにメッセージが届いて、やはり部長会議の為に部活は中止になるという話だった。彼女らにとって意外だったのは、中止になるのは奉仕部だけでなく、おおよそ全ての部活が今日は中止になるという事である。生徒会からの一斉通知という形でそれを知ったクラスメイト達は大騒ぎをしているが、一足先にそれを知った由比ヶ浜たちも喧噪から無縁ではない。

 

 生徒会が部長会議をいかに重視しているかがその通知からは伝わって来るが、理由が判然としないだけに、クラス内では生徒会役員へのぼやきの声なども出始めていた。なお、そこで会長を悪く言う声が出ない辺りはさすがと言って良いのだろう。

 

 総武高校には部活もあれば同好会もあるが、それらを分けるのはひとえに予算の有無である。予算の分配を求めない同好会は今回の生徒会の決定にも従う必要はないが、部活である限りは今日は活動を認めない。とにかく部長会議の結果を待て、という通知である。生徒会がこれほどに権力を振りかざす姿は、入学以来誰も見たことのないものだった。

 

 詳しい事情は判らないが、同じ部活の女子生徒が生徒会の決定に一枚噛んでいるのは間違いないのだろう。展開によっては生徒会が四面楚歌の状況に陥りかねないと思えるほどに、クラス内の混乱はまるで収まる気配がない。騒がしい同級生たちを眺めながら、責任感の強い黒髪の彼女に彼らの怒りの矛先が向かわないようにと密かに願う由比ヶ浜であった。

 

 

「じゃ、放課後どうするし?」

 

 仲の良い女子生徒を心配するあまり心ここにあらずという様子の由比ヶ浜だったが、冷静な声を耳にしたことで少し落ち着きを取り戻した。単に遊ぶ予定を相談するだけという軽い口調の三浦だったが、その真意は遊ぶ相談ではなく傍らの友人たちを落ち着かせる事にあったと、当の2人はすぐさま気付いた。

 

「私は……ちょっと予定があるから、今日は無理かな」

 

 何かを考えながらも、海老名はすぐに反応を返す。彼女が言う予定は前もって決まっていた事ではなく、むしろたった今できたような口調だったが、彼女がそれ以上の説明をする気配を見せない以上は詳しいことは判らない。

 

 だが、そのうち話してくれるだろうと海老名を信頼している2人は、そんな彼女の様子にも不満げな反応を見せていない。自然な流れのまま、今度は由比ヶ浜が三浦の問い掛けに答える。

 

「うーん……。じゃあ適当にお店をぶらついて、お茶でもする?あたしはちょっと外に出たい気分なんだけど……」

 

「ならそれでいいし。姫菜も無理すんなし」

 

「大丈夫だよー。じゃあ夜に報告して貰うから、2人で楽しんできてね」

 

 すっかり普段の調子を取り戻して、海老名はそう答えた。周囲では未だ騒ぎが収まっていないが、これもなるようにしかならないだろう。とにかく部長会議の結果を待つしか手はないのである。

 

 

 こうして落ち着かない雰囲気を午後の授業にも引き摺って、この日も放課後を迎えた。仲の良い3人娘は一旦解散して、海老名は1人でいずこかへ、そして残った彼女らは3()()で行きつけの喫茶店にて時間を過ごすことになるのであった。

 




前回の更新後に通算UAが8万を超えました。
本章に入ってからの八幡は悩んでばかりで申し訳ないですが、章が終わる頃には少し成長した姿をお見せできるように、何とかそこに物語を持って行きたいと思っています。
引き続き、本作を宜しくお願いします。

次回は月曜に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(12/16,23)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。