俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回は八幡視点です。



08.ゆるやかに彼の周囲が動きはじめる。

 前日の夜に妹と楽しく時間を過ごして気持ちが少し軽くなったはずだったのに、比企谷八幡はこの日も起きてみれば憂鬱な気分を引き摺っていた。今日の放課後には嫌でもあの2人に会うことになるだろう。その場で退部を申し出る自身の姿を想像しただけで、彼は全てを放り出してどこかへ逃げ出したい心境に駆られた。

 

 妹との会話を寝不足を装って適当にやり過ごして、今日も早めの時間に登校するという彼女を見送ると、八幡は時間が許す限り、独り自室で放心していた。

 

 自分の恥ずかしい行動を後悔したり、それがもたらす影響を危惧して学校に行きたくないと思った時はあったが、今回はそうした過去の出来事とは少し事情が異なる。今はまだ起きていないということ。自分の行動が短期的には悪い状況を引き寄せると理解していること。そして今はまだ逃げようと思えば逃げられることなどである。

 

 

「なんで、上手くいくと、思い込んでたんだろな……」

 

 過去の黒歴史は多々あるが、それらの行動に出るまでの間は、彼は良い未来を夢想していたものだった。悪い結果になるなど夢にも思わず、この行動が最適だと、行動を起こすのは今この時だと思い込んでいたのである。彼が口を挟めば会話が盛り上がるはずだと、彼が告白をするのを相手は待っているはずだと、行動の直後まで彼は信じて疑わなかった。他者からの反応が返ってくるまで、彼は自らの勘違いに気付くことはなかったのである。

 

 何度か同じような経験をして、さすがの八幡も行動の途中で相手の不穏な空気を察することができるようになった。だがその時点で何か取り繕ったことを言おうとしても既に手遅れなケースがほとんどで、そして行動に出る前に対象者の反応を読むことは彼には依然として難しいことだった。事前に舞い上がってしまうのが原因なのか、それとも、そもそも自分は他人の心をまるで読めない出来損ないに過ぎないからなのか。

 

 いずれにせよ、彼はこの年齢にして他人への期待を捨てて、ぼっちとして過ごすことを決意したはずだった。高校1年の間はそれで何も問題はなかったのである。だが、生活指導の教師によって変な部活に入れられてから、彼を取り巻く全てが変わった。

 

 

 彼女ら2人に自分は何を期待していたのだろうと八幡は思う。素敵な複数の女の子になぜか惚れられるとか、ライトノベルでもあるまいに。普通の女子高校生に興味を持って貰えるような長所が自分には無いと知っている彼からすれば、そんな期待などできるはずもない。そんな風に斜に構えようとする八幡だが、とはいえ思春期男子の悲しい性で、そうした期待を全く抱かないというのも難しいものである。

 

 誰しも、自信というものを全く持たずに日常を過ごすことはできない。たとえそれが客観的には根拠に乏しいものだったり、他者を意味なく見下すものであったとしても。自信を持たない人はそれだけで精神的に不安定になるものである。では、彼はどうだったか。

 

 黒歴史を多く抱え他者への期待を捨てようと決意した八幡だが、それでも彼には密やかな自信があった。同じ中学からは誰一人挑戦しようとしなかった進学校に入学できたことは、彼にはとても重要な意味があった。独りの時間に濫読した小説、同じく時間を費やしたアニメやゲームからは、自分のセンスというものへの朧気な自信を得た。ネットでそれらへの感想を漁ることで、彼は自分の受け取り方のほうが優れていると、自分の分析の方がより深く真理に近いものだと確認できたのである。

 

 同時に彼は上には上がいるとも認識できていたので、それで有頂天になることはなかった。狭い範囲で得意になっているだけで、自分には普通の同級生から尊敬されるような長所は無いと、彼は頑なに考えていた。だが八幡自身は気付いていないが、一般の生徒に受けるような長所を持たないと彼が思い込むほどに、密かに彼が自信を持つ事柄を誰かに認めて欲しいという欲求が無意識下で増大していたのである。もしもそれを認めてくれるのがあの2人であれば、どんなにか素晴らしいことだろうか。

 

 

 今の八幡には、ここまで詳しい自己分析を行うことはできない。精神的な余裕がなく、他者と接した経験に乏しいゆえに。だが彼は、自分が何かをあの2人に期待していたと気付いていたし、それには性的な要素が全く絡んでいないとも思えなかった。あの2人が女の子だからこそ期待した部分があるのだろうと、彼は高校生にありがちな潔癖な思考で受け止める。だからこそ、彼は責任を取らねばならないのだと。逃げることなく、きちんと2人に退部を告げなければならないのだと。

 

「事故のせいで、そのマイナスをプラスに変えるとか、漫画なら王道なんだがな……」

 

 残念ながら、自分がヒーローなどとは縁遠い身だと知っている八幡には、出逢った切っ掛けを覆すことが可能だとは思えなかった。現実は非情である。どこまで行っても、彼と彼女らとは事故の気まずい過去を引き摺って、真実に打ち解け合うことなど無いのだろう。ならばこちらから、形式としては被害者だが事故を引き起こした張本人として、潔く関係を断ち切るべきなのだ。

 

 どうしてこんなにも2人との関係を断つことを焦っているのか、その決断に彼のどんな心情が影響しているのかを考察することなく、八幡は溜め息を1つついて登校の支度に移る。そして昨日と同様にショートカットをして、時間ギリギリに教室に滑り込むのであった。

 

 

***

 

 

 テストの解説で終わった昨日とは違い、本格的に授業が始まったお陰で、八幡は何とか集中を維持することができていた。ぼっちとは寄る辺のない者、誰にも頼ることはできない身である。自分で授業を聞いて自分でノートを取るしかない立場を定期的に自分に言い聞かせて、彼は午前中の授業を乗り切った。

 

 休み時間のたびに彼はすぐに廊下に出て、人がいなさそうな方向へとあてもなく歩いて行った。同じクラスの女子生徒の様子が気にならないと言えば嘘になるが、昨日見た屈託のない笑顔が今の彼には重くのし掛かっていて、とても視線を向ける気にならなかった。

 

 部活が休みと知って昨日はあれほど喜んでいた彼女である。今日の放課後のことを思って暗い表情でいても不思議ではないし、自分のせいで彼女に嫌な思いをさせるのは本意ではない。とにかく今日でちゃんと終わらせるから、2人には今後関わらないから今日だけは勘弁して欲しいと、彼はそんなことを内心で懺悔しながら休み時間を過ごす。一夜明けても誤解に気付かない八幡であった。

 

 

 お昼休みになって、彼は早々に教室を出ると購買に向かった。昨日は部室に誰もいなかったので避難先として活用できたが、今日はおそらく部長様が鎮座ましましているだろう。それに昨日は雨に打たれるという馬鹿げたことをしてしまったが、冷静に考えるとその行動は痛々しい。昨日は幸い誰にも気付かれなかったと思うが、2日続けて取る行動ではないだろう。

 

 晴れていれば何も悩むことはないのだがと内心で恨み言を呟きながら、彼はベストプレイスをぼんやりと眺める。無事に昼食は入手できたが、彼には落ち着ける場所がない。休み時間なら適当に歩き回って時間を潰せるが、動きながら食事を摂るわけにもいかない。昨日から降り続く雨は今もなお止む気配を見せず、静かに地面を叩き続けている。

 

 

「やはり、ここに居たか」

 

 そんな彼に、昨日に続いて話しかける声があった。部活の顧問でもある平塚静教諭の姿を目にして、いつも以上に逃げ出したい気持ちに駆られた八幡だったが、何とかそれを堪えて相手の出方を窺う。退部の為には、遅かれ早かれ対峙するしかない相手なのだ。

 

「……ふむ。まだ少し本調子ではないようだが……。車を出すから、ラーメンでも食べに行くかね?」

 

 生徒の励まし方が昭和の上司さながらの平塚先生であった。教師に誘われても気を遣うだけになりそうだから、元気付けようとするのならば放っておいて欲しいと思いつつも、八幡はなぜか悪い気はしなかった。だから彼は苦笑しながら軽口を叩く。

 

「いや、これ買っちゃいましたし。それに特定の生徒を特別扱いとかしたら、教育委員会に怒られますよ」

 

 もちろん教師の側としても言い分はある。もし誰か他の教師が彼女の行動を問題視したとしても、精神的に落ち込んでいる生徒へのフォローという形で丸く収める自信が彼女にはあった。

 

 若いから当然という理由もあるが、彼女は伊達に面倒な雑務を引き受けているわけではない。いざという時に物を言うのは普段からの行動だと知っている彼女は、目の前の生徒の為であれば、日頃積み立てた信用に訴える事を躊躇しないだろう。

 

「大人の事情を心配する暇があったら、君はまずいつもの調子を取り戻したまえ。教師の心配をするなど……十年早いんだよ!」

 

「あなたには功夫が足りないわ、でしたっけ?まあ、十年の差って大きいですからね」

 

「グ……ズ……ギャアアアム!」

 

 まだお昼だけどお家に帰ろうかなと、残念ながら目の前の生徒には通じていなさそうな断末魔を上げながら、密かにむせび泣く平塚先生であった。

 

 黒髪の女子生徒から、彼を元気付ける手段を考えておいて欲しいと頼まれた平塚先生だったが、彼女にできるのはこの程度である。教師と生徒という立場の違いもあれば、非常に不本意な話ではあるが年齢の差も、ごく僅かほんの少しぐらいはあるのかもしれない。やはり生徒同士に任せようと少しだけ寂しそうな表情を見せて、彼女は口を開く。

 

「どうやら自分で何とかする気はあるようだし、ならば私は何も言わないでおくよ。君達のことは君達で決めたまえ。だが……見たところ、君は昼食を摂る場所に困っている様だが?」

 

 しかし、彼よりもちょっとだけ年長の者としては、言い負かされたままでは終われない。教師は一転して楽しそうな表情を浮かべて、手の掛かる生徒にこんな提案を行う。

 

「私は職員室で作業があるが、空き教室を手配しよう。付いて来たまえ」

 

 独りで過ごす孤独の時間が思春期の生徒達にとって悪いことばかりではないと知っている彼女は、せめて自分に手助けできることをと考えたのである。彼がじっくりと独りの時間を使って、良い未来を選んでくれることを願いつつ、彼女は生徒を空き教室に残して去って行くのであった。

 

 

***

 

 

 少し毒気を抜かれた気分になって、八幡は残りの昼休みを過ごした。本来ならば午後の授業が始まるギリギリまでクラスには帰らないつもりだったが、何だか自分が幼稚なことをしているような気がして来て、彼は少し早めに教室に戻ることにする。長い髪をポニーテールにまとめた女子生徒が彼の帰りをやきもきしながら待っていたことに、彼は当然ながら気付かない。メッセージを受け取った時の表情を彼女に見られていたことにも。

 

 部長様からの直々のメッセージを目にして、八幡は肩すかしを食らったような心境に陥った。今日の放課後に全てを片付けると意気込んでいたのが、今日も部活は中止だと言われたのだからそれも当然だろう。生徒会からの相談が何なのかは少し気になるが、しかし退部する彼には関係のないことである。辞めるのが今日から明日に延びただけだ。

 

 再び硬い表情を浮かべようと考える八幡だったが、なぜか上手くいかなかった。彼は明らかに安心しているのだ。退部が明日に順延になったことで、彼は安堵しているのだ。そんな自分を少し情けなく思いながら、彼は簡単に返信をしたためる。何か余計な事を書いてしまったら、自分が考えていることを残らず吐露してしまいそうな気がして、彼は端的に了解の旨を返した。

 

 返事を終えても、困ったことに昼休みはまだ少し残っていた。手持ちぶさたの彼は同じクラスの女子生徒の様子が気になって仕方なかったのだが、笑顔の彼女を目にしてショックを受けるのも嫌なので確認することもできない。何度か彼女の方角へと視線を向けようとして、そのたびにぎこちなく向き直り、自分の机の一点を見つめ直す八幡であった。

 

 

 その後は何事もなく授業を終えて、彼らは放課後を迎えた。今日の部活は中止と知って昼休みに安心したのも束の間、八幡は再び落ち着かない気分に襲われていた。

 

 もしも一旦気持ちが切れた今の状態で、やっぱり中止は無かったことにと言われてしまうと非常に厄介である。そんな可能性はほとんど無いと解っているのに、彼は変な思い付きから思考を逸らすことができない。もし今日部活があれば、彼は退部のことを言い出すなど不可能だろう。もしやこれは部長様の高度な策略ではないか。

 

 自分の中で冗談にして余裕を取り戻したいのか、それとも大真面目にそんな可能性を危惧しているのかも判らなくなって、彼は一刻も早く教室を出ようと決意した。ホームルームが終わるやいなや、八幡は静かにしかし滑らかな動作で教室を出て、そして個室を経由してショートカットで帰宅する。そうした行動の全てを観察されているとは思いもせずに。

 

 連日の早い時間帯での帰宅になったが、残念なことに家でやるべきことがない。帰宅後すぐに勉強に取り組む気にはなれないし、かといって集中力に欠いた現状では本を読むのも遊ぶのも味気ないだろう。それに、なんだか独りでじっとしているのも気が滅入ってきた。

 

 理想を言えば何かで身体を動かしたかったところだが、独りでできる事など限られているし、万が一でも知り合いに見られるのは避けたいところである。自意識過剰だと自分でも判ってはいるのだが、そう考えてしまうのだから仕方がない。

 

 どうしたものかと少しだけ悩んだ末に、彼は私服に着替えて家を出るのであった。

 




次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
誤字を1つ修正しました。(12/16)
細かな表現を修正しました。(2/20)

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