俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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相変わらず拗らせ続ける八幡視点です。



05.はてしなく彼は思索の罠に嵌まりつづける。

 思いがけない場所で出くわした教師から思いがけない話を聞いた昼休み。比企谷八幡はこれ以上の誰かとの遭遇を避けるために、特別棟へと足を向けた。

 

 放課後はもちろん昼休みにもあの教室にいることが多かった部長様が、今は保健室にいる。もう1人の部員は、クラスで仲の良い友人達に囲まれているはずだ。ならば部室でなら、彼はゆっくりと時間を過ごすことができるだろう。

 

 通い慣れたルートを辿って目的の場所に到着して、八幡はゆっくりと扉に手を伸ばす。

 

 奉仕部の下僕だとか備品だとか散々な言われ様の八幡だが、そうした言葉を発する女子生徒の口調に侮蔑の意味合いが混じっていたことはない。公式には彼も歴とした奉仕部の一員として登録されているし、そうしたことを彼女が手抜きするはずも、幼稚な嫌がらせをするはずもなかった。

 

「誰もいない……な」

 

 その証拠に解錠はつつがなく行われ、無人の部屋が彼を出迎えた。いつだったかのピンク色の歓迎とはずいぶんな違いである。

 

 思えば、初めてのことではないか。彼がこの教室を訪れる時には常に彼女が中にいて、扉を開けた彼に視線を投げて来たものだ。最初期は訝しげに、少し経って関心なさげに、時に攻撃的に。そして最近は「確認せずとも判っているのだけれど」とでも言いたげにちらりと目を向けて、すぐにマニュアルの解読に戻っていた。

 

 

 自分と彼女との関係は、いったい何と表現したら良かったのだろうか。八幡は座り慣れた位置で椅子に腰掛けながら、そんなことを考える。

 

 同じ部活ではあるが、仲間とか友人とか、ましてや親友などとはとても言えないだろう。そもそも男女の間に友情など芽生えるものなのだろうか。八幡は思春期男子が抱え込みがちな命題を思い、そして瞬時に却下する。異性どころか同性の友人すらいない自分には縁のないことだ。そんなことを考えても仕方がない。

 

 彼女と比べると、もう1人の部員との関係は簡単である。クラスメイトや同級生という言葉が彼らの関係には最もふさわしい。だがそれは、たまたま便利な言葉があったので助かっているだけである。実際の2人の関係を何と表現すれば良いのかと考え出すと、やはり難しいものがある。

 

 彼女の立場からすると、常に一緒にいる2人は親友なのだろうし、教室内で共にトップ・カーストを形成している男子生徒たちは友人と呼べる仲なのだろう。だが我らが部長様とは、未だ相補的な関係には見えず表現に困る関係である。「脈は充分にあるが未だ片想い」という辺りが現状に近い言い回しだろうか。あの黒髪の少女でもこうなのだから、まして自分との関係など端的に表現できなくて当然である。

 

 

「いや……違うな」

 

 八幡は自身の考察を訂正する。彼女から見た彼は端的に「負い目のある同級生」だったのだろう。結果的に会えなかったとはいえ、何度も病院や自宅にまで見舞いに来てくれて。1年も経ってなお面と向かって謝れていないことに気を病んで。そして微妙な味わいのクッキーと一緒に謝罪の言葉を貰ったのだ。そんな彼女が今はもうあの事故の事を気にしていないと、どうして断言できるだろう。

 

 謝罪とクッキーを受け取ったあの時に、やはり関係を終わらせるべきだったと八幡は思う。訓練されたぼっちを自認していたというのに、どうしてあの時に情に絆されてしまったのか。あの日の教室に漂っていた温かな雰囲気に接して、自分には縁のないことだと諦めていた他の生徒との親密な関係を夢想してしまったのが、全ての間違いの源だったのだ。

 

 確かにその後しばらくの間は、振り返ってみると自分でも驚いてしまうほどに上手く過ごせていたと思う。ぼっちの時代に培った経験や観察力・考察力を駆使して、色んな依頼を解決する一助になっていたと八幡は自負していた。だが、彼の存在は決定的ではなかった。あの日に、優しい茶髪の女の子に告げたように、彼がいなくても依頼は解決できていただろう。

 

 

「俺が、馬鹿だった……ってことか」

 

 八幡は自身でも意識せず調子に乗っていた過去の自分を断罪する。見目麗しい女子生徒2人と一緒の部活で、問題解決の為の戦力になれていると誤認して。彼に負い目を持つ彼女ら2人の心情につけこんでおいて、自分ではそれに気付かない。

 

 あの自他に厳しい黒髪の彼女が、事故を起こした車に乗っていたというだけであれほど自責の念を抱いていたのを、彼は知っていたではないか。そもそも運転手にすら責任はなく、道路交通法が何を言おうとも、突然車道に飛び出した自分が悪いに決まっているというのに。

 

 それなのに自分は、彼女らと曲がりなりにも円満に部活を行えていたと思い込んでいたのだ。そんな歪な関係など、いつまでも続くはずがなかったのに。彼女らが無理を続けられなくなる前に気付けたのは不幸中の幸いだったが、彼はもっと早くに2人から離れるべきだったのだ。

 

 

 八幡は、今となっては他の誰よりも、自身があの事故を引きずっていると自覚できない。被害者であるがゆえに。そして彼以外の関係者全員がそれぞれの責務を果たしたがゆえに。

 

 タイプの異なる素敵な2人の女子生徒と接しながら、彼とて全く期待を抱かなかったわけではない。だがそれは正しく妄想の域を出ていなかった。普通の友人関係にすら縁のない彼には、異性との恋愛関係など想像できるはずも期待できるはずもなかった。

 

 そもそも、ぼっちとして長い学生生活を過ごして来た彼が心の奥底で第一に求めていたのは、異性ではなかった。大事なのは性別ではなく、彼と向き合ってくれる存在である。だが、彼女ら2人がその気配を、その片鱗を示そうとしていたというのに。そして彼もそれを認識していたというのに。幻想という言葉で、八幡はそれを片付けようとしている。事故の負い目で気遣っていただけだと思い込もうとしている。

 

 予鈴が鳴り、クラスに戻るべく重い腰を上げた八幡だったが、彼の目は午前中よりも更に濁りを深くしていた。

 

 

***

 

 

 午後の最初の休み時間のことだった。八幡はすぐに教室を出て、先程と同様に特別棟へと向かっていた。時間が限られているので部室に入る気はないが、何となく足が向いたのだろう。そんな彼の許に1通のメッセージが届き、八幡は廊下で立ち止まってそれを読み始めた。

 

『こんにちは、国語教師の平塚です。雪ノ下は少し休んで元気になった様子で、特に問題もなく教室に戻りました。さぞかし心配している事と思いますが、安心して下さい。これで当分の間は彼女の寝顔を見るチャンスは巡って来ないと思います。後悔して下さい』

 

 思わずメッセージの文面にグーパンチを見舞いたくなる八幡であった。とはいえあの教師が、普段の印象とはずいぶんかけ離れたこんな軽口を叩くということは、体調不良だった女子生徒はほぼ完全に回復したと見て良いのだろう。

 

 メッセージはそこで終わらず、今日の部活は中止という連絡が理由とともに書かれていた。実はその文面は他の生徒に送ったものと同一であり、八幡はそれを「各自」という言葉から何となく察した。最初は一斉に送ろうとしたのだろうが、彼をからかってやろうと思い付いて個別に送ることにしたのだろう。

 

 メッセージの最後には、今後の部活動について明日にでも話し合うという文面があり、今日の中止は嬉しいが翌日が憂鬱だと気を重くする八幡であった。

 

 

 そのまま部室の前まで歩いて行く気が失せて、八幡は少し早めの時間にクラスに戻ることにした。もともと短い休み時間である。ほんの数分も残っていないのに、わざわざ自分に話しかけてくる奴もいないだろうと考えて、彼は来た道をゆっくりと引き返した。

 

 クラスに戻って自分の席へと向かいながら、八幡はふと茶髪の女子生徒のことが気になって、横目で様子を窺ってみることにした。午前中は少し暗い雰囲気を身にまとっていたが、僅かでも改善していると良いのだが。

 

 そんなことを願いながら八幡が横目を向けると、意外なことに彼女は満面の笑みを浮かべていた。どうやらメッセージを見て喜んでいるようで、それを傍らの親友2人にも読ませている。

 

 

 ほんの数秒前に、彼女が気持ちを持ち直していることを願ったというのに、八幡は彼女の表情を見て上手く歩くことができなくなった。幸いにも自席までは数歩の距離だったので、彼は目立たぬように、しかし倒れ込むようにして椅子に腰を下ろす。

 

 おそらく、あのメッセージは教師からのものだろうと八幡は推測する。部長様の復活を聞いて喜んでいるのだろうし、そこまでは良い。だが、メッセージの後半には今日の部活が中止になる旨が書かれているはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 八幡が先刻確認した彼女の表情は、曇りの欠片もない笑顔だった。メッセージには良い事しか書かれていなかったという表情だった。今日もしも部活があれば、特段の理由でもない限り、彼も彼女も出席せざるを得ない。きっと部室で気まずい雰囲気になっただろう。だが、だからといって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 もちろん八幡の推測は完全に誤解である。彼女は教師からのメッセージを受け取った時点では気持ちが晴れておらず、傍らの親友2人が何とか元気付けて平静を保っているという状況だった。深刻な会話が周囲に届いて、更なる問題を引き寄せることになると厄介だと考えた2人が、グループ外には音声が届かない設定にして話をしていたほどである。

 

 今の彼女が顔を輝かせて、彼がクラスに戻って来たことにすら気付かず喜んでいるのは、待ち望んでいた黒髪の女子生徒からのメッセージが届いたからである。そしてそこには、彼女にとって喜ばしいことしか書かれていなかった。

 

 だが、八幡にはそんなことは判らない。自分の早とちりに気付くことなく、むしろ先程の彼の考察が的を射たものだったと証明されたような気持ちになって、彼は人知れず精神に深手を負った。その純真さゆえに、喜びの度合いも哀しみの程度も大きくなりがちなのが、思春期の男子高校生の難しいところである。誤解だと判れば、それだけで彼の傷は即座に回復するだろう。しかし思い込みが解けない間は、彼は苦しい気持ちで過ごさざるを得ない。

 

 テストの解説を行う教師の声をほとんど聞き流して、何とか八幡は放課後まで耐えた。そして目立たぬ範囲で可能な限り急いで教室を出て、個室からショートカットで自宅へと逃げ込んだのであった。

 

 

***

 

 

 過ごし慣れた自室のベッドに横になって、八幡は考え事というよりも、過去の自分の行動を思い出してはそれらに繰り返し怨嗟の声を投げかけていた。彼女があれほどに晴れやかな笑顔を見せていたということは、逆に言えば今まで自分はいかに彼女を苦しませていたかという話になる。

 

 既に彼の頭には、彼女がもっと仲良くなりたいと願う女子生徒のことを考慮する隙間はない。黒髪の彼女のことを思って、彼女の回復を喜んでのあの笑顔だと考察を広げる余裕が彼にはなかった。喜びあふれるあの表情は、彼と会わないで済む安心感がもたらしたものだと思い込んだ八幡は、うかつな過去の自分を呪い己に罵声を浴びせながらベッドの上で転げ回っていた。

 

 

 とはいえ幸いにと言うべきか、空腹は等しく万人に訪れる。ましてや無駄に動き回ったり生産性のない思考に取り付かれていた男子高校生なら、その到来が早まっても不思議ではないだろう。

 

 朝方はまだ少しぎくしゃくしていたので、夕食をどうするか妹と打ち合わせができていない。届いたメッセージを確認してみても、妹も距離を少し測りかねているのか、帰宅時間の他には大したことは書かれていない。

 

 気晴らしに料理でもするかと思い付いて、八幡は勢いを付けてベッドから起き上がり、そしてリビングへと下りて行くのであった。

 

 

 万が一、妹との会話の途中で奉仕部の話題が出た時に誤魔化せるようにと、八幡は豆板醤を多めに入れた麻婆豆腐を作ることにした。辛いとか熱いとか言って果たして誤魔化せるのか八幡にも自信はないが、何の策もないよりはマシだろう。ついでにキャベツを多めに入れた炒飯も用意して、スープとサラダを添えれば完璧である。この献立の話だけで会話が終わると万々歳なのだが。

 

 やがて、平常授業に戻り塾にも通って、1日みっちり勉強してきた妹が少し疲れた表情で帰宅した。夕食の支度もお風呂の用意までできていることに比企谷小町は驚くが、昨日の兄妹の諍いを気にして兄が色々と頑張ってくれたのだろうと彼女は思う。ならば自分も、兄の気持ちに応えて一緒に楽しく時間を過ごすのだと。

 

 小町が話題を途切れさせることなく楽しげに話を続けたおかげで、その日の夕食は兄妹にとって心安らぐものになった。何度か高校での話も振られたのだが、テストの返却があっただけで部活もなかったので八幡にはあまり語ることがない。

 

 彼が内心の苦悩を吐露し始めると時間がいくらあっても足りない事態に陥ったのだろうが、兄としてはそんなことを妹に披瀝する気持ちはなかった。妹としても、兄に少し元気がないのは昨日以来の自分との関係も原因だろうと思っていたので、深く追求するのも申し訳ないという気持ちがあった。

 

 やがて夕食が終わり、兄妹はいつものようにソファに移動して、引き続き楽しく雑談を続けるのであった。

 

 

「そういえばさ。沙希さんの授業、評判いいよ」

 

「ほーん。まあ元々から内容は良かったからな。なんであんな眠い声を出せるんだって問題だけだったし」

 

 川崎姉弟の問題解決には八幡も小町も関わったので、彼としても一安心の情報である。中学生に英語を教えて予備校代を稼ぎ、授業の空き時間には自分の勉強もできて教師への質問も可能、弟と過ごす時間も増えるという至れり尽くせりの塾講師転職案である。それが軌道に乗っていると聞いて八幡も嬉しい気持ちになったのだが、とはいえ彼が素直に川崎を褒めるなど期待はできない。小町が密かに予想していた通りに、彼は照れ隠しから捻くれた返答を返してきた。

 

「うーん、その言い方は小町的にはポイント低いなー。内容もだけど、沙希さんが大人気ってことが重要なんだよ!」

 

「あー、そうか。まあ川崎が人気なのは不思議じゃないが、あれだな。ポイントとかで反応がはっきり出るなら、色々と楽なのにな」

 

 てっきり小町を邪険に扱うような、面倒なことに対処する反応を見せると思っていたのに、兄から返って来たのはポイント制度への全面的な賛意である。それは普段の兄からすると変な発言だった。

 

 やはり兄は少し疲れているのだろうと小町は思う。昨日は見学に行った職場にまた遊びに行ってみればと提案してみたが、よくよく考えると兄はぼっち気質である。見学に行った当日に次の訪問の話を出すのは早計だったと小町は密かに反省する。少しだけ間を置いて、彼女は今までよりもさらに元気な声を出して、こんなことを口にする。

 

「では、そんなお兄ちゃんに……小町ポイント大幅アップのチャンスをあげちゃおう!」

 

「はあ……。まあ、貰えるもんなら貰っとくが」

 

「ダメだよお兄ちゃん、そこは乗っかってくれないと。……じゃあ、今度の土曜日、例の場所に行くからヨロシクね!」

 

「ん?ああ、そういやそんな話があったな。了解っと」

 

 

 そんなわけで、ひとまず小町とのわだかまりは解けた。そのまま2人で仲良くデートの詳細を練る兄妹の楽しげな声が、リビングに響いていたのであった。

 




次回は月曜に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
少し表現を修正しました。大筋に変更はありません。(12/2)

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