俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回は八幡視点です。



02.きっと彼は考え過ぎて失敗を招く。

 その日、比企谷八幡はどのようにして家に帰ったのかほとんど覚えていない。考え事に耽りながら、重い足取りで感覚的に歩を進めていたら、気付けば家の近所まで帰って来ていたのである。

 

 メッセージを確認してみると、未読のものは無かった。妹からの連絡が無いという事は、彼女はまだ帰って来ていないのだろう。あの2人からも連絡は無い。それらを確認して一呼吸ついた八幡は、しかし念の為と考えて気持ちを入れ替える事にした。今のくたびれた姿を大切な妹に見せる事はできない。それに、何と言って説明すれば良いのかも分からない。

 

「……帰るか」

 

 当面はできる限り普段通りを心掛けて、怪しまれた時は面倒臭そうに振る舞うことで誤魔化そうと彼は考える。その上で八幡は次の行動を口に出して、それを自分に言い聞かせてから、何とか歩き始めるのであった。

 

 

 自宅に辿り着いて、予想通りに妹が帰宅していない事を確認して、八幡は自室に入ってベッドの上に寝転がる。考える事が多すぎて嫌になるが、考えないわけにもいかない。とりあえず明日をどう凌ごうかと考え始めたものの、すぐに思考は千々に乱れ、そして彼の脳内では先程の光景が映し出される。

 

 あの時にあんな事を言い出したのは突発的な行いだったが、しかし彼女に告げた内容はずっと以前から密かに考えていた事である。彼はあの2人の力になれない自分自身を恥じていたし、あの2人とはそもそも住むべき世界が違うと考えていた。

 

 もしも彼がそんな気持ちを表明したとしたら、2人はそれぞれ違った根拠を持ち出して、そしておそらくは2人とも結論の部分は否定してくれただろう。うち1人からはそれ以外の至らない部分を徹底的に追求されて、総じて見ればマイナスの評価を頂戴する羽目になる気もするが、それでも彼のつまらない悩みなどは歯牙にも掛けず否定してくれた事だろう。

 

 彼女が他人との付き合いを損得だけで考えていない事を、八幡は迷わず断言できる。同様に、もう1人の心根の優しい女の子が他人を突き放す事などないと彼は言い切ることができる。だが、だからこそ彼の悩みは深くなるのである。こちらから手を切らないと、彼女らはいつまでも、こんな自分に対してすら手を差し伸べ続けてくれるだろうから。直接の手助けはなくとも、決して見放そうとはしないだろうから。

 

 

 彼は自分の悩みが取るに足らないものである事を自覚している。しかしだからといって、その悩みから解放されるわけではない。自分でも馬鹿らしいと思いながらも、つまらない拘りを捨て切れないのである。そして、そんなちっぽけな自分を客観視して、更に落ち込む繰り返しであった。

 

 彼は同じ部活だった2人の事を懐かしく思う。そして同時に疎ましくも思う。なぜ自分のような取るに足らない存在を気に掛けるのか。入学式前の事故の件はいずれも清算したはずだ。彼と彼女らとは、同じ部活で過ごしたこの2ヶ月に亘る時間だけを共有しているに過ぎない。それも、このまま時が過ぎれば薄れて行くのだろう。なのに、なぜ。

 

 彼には2人の気持ちが理解できない。より正確には、信じる事ができないのだ。他人からの好意とか特別扱いというものは、彼にとっては幼い頃から縁遠いものだった。それゆえに、ほんの僅かな思いやりでも、ごく些細な気遣いでも、彼はそれらを受け取る事に躊躇し、それらにどう対応すれば良いのか解らないのである。いじめなどの辛い過去は無かったが、しかし経験がない故に、彼は色々と拗らせていたのであった。

 

 

「……小町だけ、か」

 

 メッセージを改めて確認してみると、どうやら妹はもうすぐ帰って来るらしい。相変わらずあの2人からの連絡は無い。それが当然だと自らに言い聞かせながら、彼は肩の力を抜いて息を吐く。彼女らからメッセージが来ない事で自分が安心しているのか、それとも残念に思っているのか、今の八幡にはそれすらも判らない。

 

 妹を出迎えるのは億劫だったが、しかし落ち込んでいる姿を見せて心配させるわけにもいかない。ほんの今朝までは、両親の居ないこの世界では妹と過ごす時間を増やさなければと義務感を発揮して、同時にその時間を楽しみにしていたというのに。妹と過ごす時間を回避したいと考える自身に嫌気が差して、八幡は更に自己嫌悪を深くしながらも、気合いを入れて起き上がる。

 

 リビングに行って、妹が帰って来たらすぐにコーヒーでも出せるようにお湯を沸かして、職場見学の事は適当に話を端折って。これからの行動を逐一、頭の中で言語化しながら、八幡はのそのそと部屋を出て階段を下りて行くのであった。

 

 

***

 

 

 八幡にとっては幸いな事に、妹の比企谷小町は返って来たテストの結果が良好だったせいか、上機嫌で喋り続けている。時どき相鎚を挟むだけで後は勝手に話し続けてくれる妹に、彼は密かに心からの感謝を捧げ、喋り続ける彼女を微笑ましい気持ちで眺めていた。しかし小町はそんな兄の表情が気に入らなかった模様である。

 

「てかお兄ちゃん、笑顔が気持ち悪い事になってるけど、何かあった?」

 

 藪蛇とはまさにこの事で、慣れぬ笑顔など浮かべるものではないと反省しきりの八幡であった。仕方がないので彼は職場見学の話で誤魔化す事にする。

 

「職場見学に行くって言ってただろ?お兄ちゃんな、『働いたら負けだ』と心から……」

 

「また馬鹿な事を言い出そうとしてるよこの愚兄は……」

 

 小町からの冷たい視線を間近で受けて、何か変な性癖に目覚めそうになる八幡であった。専業主夫を目指す身としては、相手がどんな性癖の持ち主でも対応できるよう我が身を磨いておくべきなのかもしれないが、変な形で大人の階段を上ってしまうのはできれば避けたいところである。そんな馬鹿な事を考えて少し落ち着いた八幡は、そのまま妹との会話を続けるのであった。

 

「つか、ゲームマスターが鬼畜でな。我らが部長様ですら軽く捻られてたし、どんだけ優秀なんだよって感じだったんだわ」

 

「ほえー。雪乃さんでもダメなら、働いてる人達って超エリートな感じ?」

 

「あー、でも案内してくれた人とかは普通っぽかったけどな。うちの部員並みの集中力だったし」

 

「じゃあさ。せっかく招待されたんだし、また雪乃さんや結衣さんと一緒に遊びに行ってみたら?」

 

 何気ない会話の流れの中で、兄の就職問題と結婚問題を一挙に片付けようと企む小町であった。運営からの招待を契機にして、兄がより良い未来を掴み取ってくれる姿を夢想する彼女は、八幡が一瞬だけ顔をしかめた事に気が付かない。

 

「まあ、そのうちにな。つか、人の事より受験生は勉強しろ」

 

 せっかく兄の身を案じてあげているというのに、返って来たのは非情な言葉である。唇を突き出して不満を表明した後に、小町はマグカップの中身を一気飲みして兄の顔を見る。

 

「じゃあ、今から小町、部屋で勉強するから。集中したいから晩ご飯は勝手に食べてて!」

 

「あー、了解。明日の朝は俺が準備しとくわ」

 

 兄から提示された冷戦の終結時刻を頷く事で了承して、小町はそのまま自室へと去って行った。家族として一緒に過ごす時間を妹から奪ってしまった事に八幡は自省の念を強くするが、しかし彼も限界が近かったのである。妹には申し訳ないが、勘弁して貰うしかない。

 

 先ほど「()()()部長」「()()()部員」と言った時に声が震えていなかったか。そして、彼女らを固有名詞で呼ぶ事に、こんなにも躊躇してしまうのは何故なのか。八幡はなるべくそれらの疑問を考えないようにしながら、妹の後を追って自室へと引き籠もるのであった。

 

 

***

 

 

 翌日は朝から雨が静かに降り続けていて、兄妹一緒に自転車で通学するのは難しそうな空模様だった。前日に予告した通りに、八幡は少し早めに起きて、2人分の朝食をテーブルに並べて小町が下りて来るのを待っていた。

 

 階段を下りる足音などは聞こえなかったが、ゆっくりと時間を掛けてリビングのノブが動く。続いて静かにドアが開いて、パジャマ姿の妹が部屋の中へと入って来た。

 

「お兄ちゃん、おはよ」

 

「ん、おはようさん。昨日はなんか悪かったな」

 

「まあ、お兄ちゃんだからねー。健気な小町だから良いけど、外では気を付けてね」

 

 小町に底意がないのは明らかなので、八幡は反射的に沸き上がった気持ちを何とか抑える。外で話すような相手など、既に八幡にはほとんど居なくなってしまったというのに。しかし、せっかく仲直りをしたのに、朝からまた微妙な雰囲気など御免である。

 

 小町としても、兄が何かを言いたそうな表情を浮かべた事には気付いていたのだが、昨日の今日で嫌な雰囲気になるのは避けたいところである。少し心配ではあるものの、最近の兄には高校で何人か親しい友人ができた事だし、必要以上に過保護になるべきではないだろう。小町はそう考えて、元気な口調で今からの予定を相談する事にした。

 

「こんな天気じゃ自転車はダメかもねー。小町は生徒会の用事があるから早めに出るけど、お兄ちゃんは?ギリギリまで粘る?」

 

「おー、それも良いかもな」

 

「久しぶりのショートカットだし、粘り過ぎて遅刻とかしないようにね」

 

「へいへい。小町も、あれだ。気を付けてな」

 

 そんな八幡の発言に、言葉ではなく敬礼で返す小町の可愛らしさは、兄の八幡ですら一瞬とはいえ息を呑んだ程である。生徒会の用事を一緒に行う男子生徒は居ないだろうなと、八幡は胡乱な事を考えるが、妹に嫌われるのが怖くて確認する事ができない。

 

 今までも明るく元気だった小町だが、テスト直前のあの日以来、より自然により天然に振る舞えているように見える。妹のそんな姿を眩しそうに眺めていると、彼女から少しだけ元気を貰えた気がした。八幡は高校に行きたくない気持ちを何とか退け、とにかく今日を頑張って過ごそうと、気持ちを入れ替えるのであった。

 

 

***

 

 

 朝のSHRが始まる直前に、八幡はこっそりと教室に滑り込んだ。ほとんどのクラスメイトは彼の存在に気付かなかったが、彼にしっかりとした視線を送って来る女子生徒が1人。彼女からの視線を意識しないように身構えながら、八幡はぎこちなく教室内を歩いて自席に腰を下ろす。

 

 目が合ってしまうとお互いに困るだろうからと、八幡は彼女に視線を送る事なく机の一点を見つめて時間を過ごす。今日はテストの返却と解説だけで1日が終わる予定で、本格的な授業は明日からである。つまり今日は放課後の時間が長い。いきなり退部届を出すわけにもいかないし、何か部活を回避する理由でも無いものか。

 

 

 休み時間が来るたびに、得点を報告し合う同級生の盛り上がりを尻目に、八幡はすぐに席を立って教室の外へと避難した。彼の事をほとんど気に掛けていない大多数のクラスメイトは勿論の事、彼の数少ない知り合いにとっても彼の行動は普段のそれとかけ離れたものではなかったので、特に変な風には思われていない。

 

 3人組の女子生徒だけが彼の動きに気を配っていたが、彼女らとて他にも付き合いがある以上は、彼の事にのみ専念できるわけではない。それに、彼との距離感に悩んでいるだけに、具体的な行動に出る事を躊躇する気持ちも強い。お互いに関わりを持たないまま、時間だけが過ぎて行った。

 

 

 お昼休みの時間になって、八幡はやはり即座に教室を出て行った。相変わらず雨は降り続いていて、彼の後を追って教室を出ようとする生徒はほとんど居ない。

 

 購買に寄り道をして食べ物を調達した後で、八幡は昼食を食べ慣れたベストプレイスへと向かった。よもやこの雨の中で、彼があんな場所で過ごしているとは誰も思わないだろう。雨合羽を装着して、いつもの場所に腰を下ろして、八幡は久しぶりに完璧な孤独にその身を浸す。もしもその姿を端から見られたらどんな風に思われるかなど、今の彼には配慮できるはずもない。

 

 やがて購買が静かになった事を確認して、八幡は雨が当たらない辺りに移動して昼食を始める。味のしないパンを機械的に飲み込んで、飲物でそれを押し流す。淡々と食事を終えて、彼は孤独を満喫していた。これからは、こんな毎日に慣れなければならないのだ。

 

 

 天使を眺めながら過ごしていた昼休みはあっという間だったのに、今日はやけに時間の経過が遅い。まだ昼休みが半分以上も残っている事を確認して、八幡は1つ溜め息をつくと立ち上がった。MAXコーヒーでも補充しておかないと、午後の時間は更に辛いものになるだろう。

 

 この世界でも既に通い慣れた自販機まで辿り着いて、八幡は己のソウルドリンクを購入する。幸いな事に人影はまばらで、この様子だと身を隠す場所を探す必要は無さそうである。八幡は自販機から少し離れた辺りで、ちびちびと飲物をすすりながら時間が過ぎるのを待つ事にした。

 

 

 不意に肩を叩かれて、驚いて振り返ると、そこには白衣を身にまとった生活指導の教師が無言で立っていた。平塚静教諭にどう対処したものかと悩む八幡だが、直接顔を合わせてしまったからには、なる様にしかならない。無言で首を傾げる事で、まずは相手の出方を窺おうとする八幡だったが、教師も何をどう言えば良いのかと悩んでいる様子である。

 

 やがて、彼女の中で結論が出たのだろう。教師は端的に、事の次第を彼にこう告げるのであった。

 

「比企谷。雪ノ下が朝から体調不良で、保健室で休んでいるのだが……。一緒に来るかね?」

 




前回の投稿後にUAが7万を超えました。いつも読んで頂いてありがとうございます。今後も読者様に楽しんで頂ける内容にできるよう頑張りますので、引き続き宜しくお願い致します。

次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
少し表現を修正しました。大筋に変更はありません。(11/28)

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