俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回から原作3巻の内容に入ります。
重い展開を引き摺って始まるので、この章から読み始めるのは正直お薦めしません。敢えてという読者様には、前話の幕間の話だけは事前に読んでおいて頂けると、以後の展開が理解し易いのではないかと思います。



原作3巻
01.ひたすらに彼女は2人を案じている。


 季節の移り変わりとは、目にはさやかに見えなくとも着実に進行を続けているもので、この世界でも初夏を経て梅雨の時期へと入っていた。この日の朝は、前日の晴れ模様が嘘のように雨がしとしとと降り続けていて、しかし通学路を歩く生徒達は物憂げな6月の雨に打たれてなお、元気な様子で校舎へと向かっている。

 

 雨を嫌って家からショートカットで通学した生徒が多かった影響か、教室は普段よりも早い時間帯から賑わいをみせていた。グラウンドで朝練ができない運動部の生徒達も加わって、各クラスでは朝から元気な声が飛び交っている。それは、少なくとも表面上は2年F組でも同様だった。

 

 

「やべーっしょ!これ、雨が止まなかったら俺らの練習どうなるよ?」

 

「それな、戸部だけ雨の中で練習すりゃ良いんじゃね?」

 

「戸部なら風邪をひきそうにないし、俺らはここから応援してるから頑張って来いよ」

 

 普段と変わらずトップカーストの面々がお喋りをしていると言えばその通りである。しかしいつもとは違って会話は男子主体であり、どこか無理矢理に話を続けているような気配があった。通常ならば途中で話に加わって来るはずの女性陣は聞き役に徹している様子で、それもまた周囲に違和感をもたらしている。

 

 

 昨日の職場見学を経て、男子3名は以前よりも仲良く元気に振る舞っているように見える。前日は葉山隼人以下の男子4人に三浦優美子と海老名姫菜を合わせた6人で行動していたのだが、クラスで広まりつつあった噂の影響で今なお落ち込みがちの3人をなるべく一括で扱って、彼らが相互に会話を重ねられるような距離感を維持していた。

 

 先日のテスト打ち上げの時から続くそうした葉山の配慮が功を奏して、夕方に解散する頃には、3人は屈託なく喋り合える程度には気安い関係になっていたのである。

 

 そうした事情はクラスの他の生徒達の与り知らぬところではあるが、彼ら3人が仲良く過ごす姿は予想外の事ではない。起こるべくして起きたと言えるのだろうし、むしろ今までの、会話を交わしているのに互いの事を視野に入れていないかのような取り繕った関係の方が異常だったと言えるだろう。

 

 知らぬは当事者と他者に関心の無い者ばかりで、彼ら3人の歪な関係性は、クラス内でも判る人には判っていたのである。

 

 故に現下の問題は、彼ら3人に会話の引き延ばしを無言で要求している三浦以下の3人娘に、中でも見るからに空元気を装っている由比ヶ浜結衣に原因があるのは明白であった。そして彼女の突然の不調の理由が判らないからこそ、騒がしく賑やかなクラス内には、どこか不安げな空気が漂っていたのである。

 

 

 予鈴が鳴って、生徒達は各々の席へと帰って行く。最後まで心配そうな表情で由比ヶ浜に寄り添っていた三浦と海老名も、担任の足音が廊下から聞こえて来ると、名残惜しそうにそれぞれの席へと移動した。それと同時に教室の後ろのドアが開いて、こっそり目立たぬように入って来る男子生徒が1人。彼の姿を目に留めて、由比ヶ浜は見るからに安心したような表情を浮かべたのだが、それを確認できたクラスメイトはいなかった。

 

 

***

 

 

 昨日、千葉駅の近辺で同じ部活の同級生と別れてから、由比ヶ浜は涙をこぼしながら俯いて歩き、時間を掛けて家へと帰った。帰宅途上の彼女は頭の中で、たった1つの疑問、すなわち「どうしてこんな事に?」という疑問だけを繰り返していた。しかし、いくら考えても彼女にはその原因が解らなかった。起きた物事に対して思考を重ねることが元々あまり得意ではない由比ヶ浜は、やがて考察を止めて、ただひたすらに先程の疑問の文句を繰り返すばかりだった。

 

 たとえ原因が解らなくても、取るべき行動はある。気が付けば家に着いていた由比ヶ浜は、落ち着ける自室に閉じこもって、原因の追及よりもまずは自分の行動を振り返る事にした。

 

 だが、結局は同じ事である。「どうして自分はあの場に彼を残してしまったのか」「どうして彼に背を向けてしまったのか」と考えるたびに、彼女の思考は停止する。既に取り返しのつかない今になって初めて、彼女はあの場で彼に縋り付くべきだったのだと、彼が何を言おうとも彼の傍らに居続けるべきだったのだと思い至り、そして後悔の念に苛まれる。

 

 とはいえ、果たしてそんな事が可能だったのだろうか。あの時の彼は、既に決断を終えた人に特有の表情をしていて、それを外部から容易に覆せるとはとても思えなかった。少なくとも由比ヶ浜には無理であろう事が痛いほどに理解できて、彼女は己の無力を、同時に彼との関係をこの程度までしか深められていなかった自身の至らなさを噛みしめたのである。

 

 あの時の彼女にできた事は、ただ彼の要望通りに彼の前から去って行く事だけだった。もしもあの場に居続けたところで、彼は同じ主張を繰り返すだけだっただろう。それは時間を掛けるほどに、同じ主張を繰り返させるほどに、彼の心を深く深く傷付ける事になる。友人関係の機微に長けた由比ヶ浜には、その未来を容易く想像する事ができた。彼女にできたのは、一刻も早く彼の前から去る事だけだったのだ。

 

 

 由比ヶ浜はのろのろと立ち上がると机の前まで移動して、そこにあった写真立てを手に取った。もう1ヶ月以上も前の事になるが、テニス勝負をしていた時に撮った写真が飾られている。同じ部活の仲間2人が真剣な表情で、彼女の親友と仲の良い同級生の男子に挑んでいる姿がそこにはあった。あの時の由比ヶ浜は観客席で2人を心から応援して、同時に同じ場に立てない自分を情けなく思ったものだった。だが、結局のところ、自分だけが蚊帳の外なのは今も変わっていなかったのだ。

 

 悔しい気持ちに再び涙を催されて、由比ヶ浜はしばし部屋の中で立ち尽くす。あの2人は何でも自分の手で解決しようとし過ぎる。もっと他人を、あたしを頼ってくれたら良いのに。そう思ったところで、彼女が2人の力になれていない現状には何らの変化もない。そもそも、あの2人の力になれるような何かが自分にあるとは到底思えない。彼は彼女に劣っている事を気にしている様子だったが、由比ヶ浜からしてみれば、2人とも凄い事に変わりはないのである。

 

 今日の職場見学では、確かにゲームマスターは彼女の事を褒めてくれた。しかし由比ヶ浜には、GMの意図が何となく理解できていた。きちんと言語化して説明できるわけではないが、おそらく自分は「珍しい」から褒められただけで、能力を認められたとかそんな話ではない事を、彼女は自覚できていたのである。

 

 どうしてGMがあんな言い方をしたのか解らないが、彼は2人の事を評価していたからこそ、あんな風に酷評してみせたのだ。逆に自分の場合は、評価の言葉に嘘はないと思うが、「酷評するまでには至らない」と思われていた節がある。確かに褒められたのは嬉しかったが、あの2人が貶される事と引き替えなのであれば、あたしの事なんか褒めて欲しくない!

 

 

 無力感に苛まれていた由比ヶ浜だったが、思考の流れから大切な2人の為に怒りの感情を発揮したことで、ようやく気持ちに余裕が生まれ始めていた。フォトフレームを元の位置に戻した彼女は、ひとまず先程の場所に腰を下ろして憤怒の気持ちを落ち着けて、とにかく自分にできる事をしようと己に言い聞かせる。

 

 まずはメッセージを雪ノ下雪乃に送る。おそらく返事は来ないだろうし、迷惑に思われるかもしれないが、そんな事には構っていられない。彼から「頼む」と言われたからには、あたしには責任があるのだ。あの女子生徒の性格を考えると、送られてきたメッセージを読まずに放置する事はないだろう。ならば定期的に送り付けてやればいい。あたしは彼女の味方だと、その気持ちさえ伝わればそれでいい。

 

 その次は、何をしたら良いだろうか。彼の事は今の由比ヶ浜には何も手出しできない。あの事故の光景を思い出すと、もしや見知らぬ人の為に自分の命を投げ出すような無茶をしてはいないかと、いてもたってもいられない気持ちになる。だが、彼女が何をしたところで、今は彼の気持ちを傷付ける結果しかもたらさない。彼女には祈る事ぐらいしかできないのである。

 

 

 ふと気付けば、メッセージが何件か届いていた。いずれも親しい2人の友人からのもので、最初は夕食の予定を尋ねる内容だったのが、次第に由比ヶ浜を案じる内容へと変化していた。我に返って時刻を確かめると、いつもの夕食の時間が迫っている。

 

 とりあえず「帰宅なう。またすぐ連絡する≦(._.)≧」とだけ返事をして、由比ヶ浜は泣き顔を誤魔化す為に洗面所に向かった。「リビングで待ってるよー」という海老名からの返信を横目で確認しながら軽く化粧を施して、「いまいくヘ(*゚∇゚)ノ」と返しながら、彼女は2人と共有する部屋に続く扉を開くのであった。

 

 

***

 

 

 3人で摂った夕食時の会話は、男女6人で参加した職場見学の話に終始した。三浦と海老名は由比ヶ浜の様子を見て、彼女に何かがあった事を即座に悟り、それは落ち着いて話すべき事だと判断したのである。彼女達に奉仕部も加わって対処したクラス内での不穏な噂の後始末が、良い方向に向かっている事を確認できて、由比ヶ浜は少しぎこちなくはあったが嬉しそうな笑顔を浮かべている。

 

 やがて食事を終えて、空調の効いた部屋で各々が温かい飲物を手にした状態で、2人は由比ヶ浜に向けてゆっくりと頷く。少しだけ目の前の2人に話すのが恥ずかしいという気持ちが浮かんだものの、同じ部活の2人には自分を頼って欲しいとか思っているくせに、自分が友人を頼らないのは間違っているかもと思い直す由比ヶ浜。誰の影響なのか、面倒な思考を発揮する片鱗を覗かせつつ、彼女はゆっくりと今日あった事を説明するのであった。

 

 

「あー。ヒキタニくんらしい話だけど、うーん……」

 

 由比ヶ浜の長い話が終わって、取り敢えず海老名が第一声を上げる。呆れているという気配は無く、彼の行動に深く納得しながらも苦笑しているという様子である。

 

「……ヒキオが悔しがる気持ちは、何となく解るし」

 

 意外な事に、三浦の感想は彼に好意的なものだった。不思議そうな表情を浮かべる由比ヶ浜だったが、続く彼女の言葉に納得する。どこか遠くを見るような寂しげな表情を浮かべながら、三浦は発言の意図を説明した。

 

「上には上が居るって事を身に滲みて理解させられて、せっかく才能があったのにテニスを止めた連中が大勢いたんだけど。……自分に構わないでくれって、ヒキオと同じような反応だったし」

 

「……そっか」

 

「でも、上手くなりたいんなら、続けるしかないんだし」

 

 それは独り言のようだったが、かつてのテニス部の仲間達に向けた言葉でもあり、そして彼に向けた言葉でもあるのだろう。三浦とて彼とは知らぬ仲ではなく、むしろ同じクラスの殆どの生徒よりも彼をきちんと理解している。

 

 重苦しい雰囲気が部屋に立ちこめるが、敢えてそれを無視したかのような明るい口調で、海老名が口を開いた。

 

 

「ちょっと話を整理するね。雪ノ下さんは独りにして欲しいと言って家に帰った。ヒキタニくんは自分は奉仕部に必要ないとか口走って、雪ノ下さんの事を結衣に任せて去って行った。何か間違ってる事ある?」

 

「え、あ……。だいたい合ってる、かな」

 

「じゃあ次は確認ね。結衣はまず、雪ノ下さんの事をどうしたい?」

 

「ゆきのんに……あたしが一緒に居るよ、って伝えたい。あたしは難しい話とかできないけど、ゆきのんの味方だよって。だから、返事が来なくても、どんどんメッセージを送ってあげるんだ、って」

 

 それは、先ほど由比ヶ浜が独りで導き出した答えである。彼女の淀みない答えを聞いて、満足げな誇らしげな表情を浮かべた海老名は、そのまま次の問題に話を移す。

 

「じゃあ、次はヒキタニくんの事ね。結衣は、ヒキタニくんが奉仕部を止めちゃう事を、黙って許可するの?」

 

「絶対イヤ!ゆきのんが許可しても、あたしは絶対……」

 

「少し落ち着けし。姫菜も、結衣を煽り過ぎないように気を付けるし」

 

 三浦の仲裁を受けて、我に返った由比ヶ浜は顔を赤くして照れている。そんな彼女を温かい目で眺めながら、海老名は特に反省している様子もなく、冷静に話を整理する役割に戻る。腐った性癖を発揮する機会さえ与えなければ、彼女はなかなかに優秀なのである。

 

 

「じゃあ、優美子の意見を聞かせて欲しいんだけど。ヒキタニくんの事は、私は少し時間を置いてから修復を図れば良いんじゃないかなって思うのね。その場合に、問題になる事とかってある?」

 

「……先走って、退部届とか出されると厄介だし」

 

 三浦の返事を聞いて、照れていた由比ヶ浜は瞬時に焦りの表情を浮かべていたが、なぜか海老名は落ち着いている。彼女はのんびりした口調で、三浦が挙げた可能性を否定し始めた。

 

「たぶんね、それは大丈夫だと思うよ。だって、顧問が平塚先生でしょ?ヒキタニくんが何を言っても、退部届とか受理しないと思うよ」

 

 海老名の解説を聞いて、心から納得した2名であった。他に問題は無いかとしばらく3人で頭を捻っていたが、すぐに思い付くような懸案事項は見付からない。

 

「じゃあ、念の為にヒキタニくんが変な行動に出ないように気を付けつつ、今週いっぱいぐらいは時間を置いて、雪ノ下さんとも協力しながら対処するのはどうかな?」

 

 そう提案する海老名の意見に、由比ヶ浜も三浦も反論の余地は見出せない。話を打ち明けるのが少し恥ずかしいと思ってしまった過去の自分を反省しながら、由比ヶ浜は自慢の親友2人に心からの言葉を伝えようとする。

 

「優美子も姫菜も、話を聞いてくれて、相談に乗ってくれてありが……」

「ストップ。そういうのは、もういいし」

 

 由比ヶ浜の発言の意図を察して、三浦が彼女の言葉を遮る。きょとんとした表情を浮かべる由比ヶ浜に言い聞かせるように、傍らに控える海老名が説明を行った。

 

「こんな程度の事で、いちいち御礼とか要らないからねー。それに、あんまり素直に御礼を言われると、照れちゃう人も居るみたいだしね」

 

 黙って聞いていた金髪の女王が眼鏡の少女を睨み付けるが、睨まれた方はどこ吹く風である。自分が大切に思う2人のそんなやり取りを眺めていた由比ヶ浜に、いつしか自然な笑顔が戻っていた。そんな彼女の表情を確認して、海老名が口を開く。

 

「でもさ。隼人くんが傍観者に徹してて、それで焦らされているうちに、同じ境遇の男子の間に愛が芽生えていく様子は必見だったよ。結衣もあれを見れば……ぶはっ!」

 

「はあ……。ここで擬態しろとは言わないけど、少しは控えるし」

 

 海老名が暴走して三浦が甲斐甲斐しく世話を焼く。そんな光景を見て、由比ヶ浜の顔に再び自然な笑顔が浮かぶ。

 

 

 こうして懸案事項を片付けた仲の良い3人娘は、翌日の彼の様子に一抹の不安を抱えつつも、普段と同じように楽しい夜を過ごしたのであった。

 




少しずつ更新のペースを戻していきたいと思っています。
次回は日曜か月曜に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。(11/18,12/23)
読み返して少し違和感があったので、由比ヶ浜が最後に御礼を言う前後を修正して書き足しました。(11/23)

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