俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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推敲の時間が取れず、1日遅くなりました。申し訳ありません。
盛り沢山な回になりましたが、メインはこの章のボス戦その3、最終決戦です。



19.そこには確かに家族の絆がある。

 ホテル・ロイヤルオークラの1階で平塚静先生と合流して、一行は外に出ると通り沿いのファーストフード店に入った。比企谷八幡と戸塚彩加は着替えと平行して慌ただしく食事を済ませて来たのだが、女性陣は支度をするのが精一杯で何も食べていない。それに男性陣としても急ぎの食事ではいささか物足りなかったので、全員がそれなりのボリュームの食べ物を注文していた。

 

 フォーマルな服装の男女5人が揃ってハンバーガーを食べる姿は、傍目からしたらシュールである。当人達もそのことを理解しているのか、とにかく無言で食事に専念していた。そして早々に食べ終えた者たちも容易には口を開かない。結局、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣が最後まで食べ終わるのを待ってから、話し合いが始まったのであった。

 

「まずは得られた情報を確認しましょう。川崎さんはお金が必要なのでバイトをしている。そして必要な額を稼いだら勉強に専念すると、そう言っていたわよね」

 

「うん。進学の希望は強そうだったよね」

 

 いつものように雪ノ下が口火を切り、そして戸塚がそれに補足を加える。彼もすっかり奉仕部の面々と仲良くなってくれたんだなと、密かに感慨に耽る平塚先生であった。彼女もまた通常通りの立ち位置で、生徒たちの自主性を尊重しながら彼らの側に控えている。そんな風に教師が見守る中で、由比ヶ浜が疑問の声を上げた。

 

「でもさ、あれだけ大学に行きたいって言ってたのに、どうしてテスト直前までバイトしてるんだろ?この世界で借金とかあるのかな?」

 

「あー……高校生で借金はさすがに無理じゃね?現実でも難しそうだが、この世界の運営の態度からしてリアル以上に厳しいと思うぞ」

 

「川崎さんは『必要な額』と言っていたのだけれど……借金ではないとしたら、この世界でまとまった額を支払う事って何かあるのかしら?」

 

 借金という由比ヶ浜の仮説は八幡が否定したものの、雪ノ下が悩んでいるように他の理由が思い付かない。だが、納得のいく説明を考えるよりも別に気になっていた事を思い出して、八幡は恐る恐るそれを話題に出す事にした。

 

 

「てか、さっき必要額を立て替えるとか言い出してたが……」

 

「……ええ。あれは私の失言だったわね」

 

「いや、失言ぐらい俺も幾らでもあるから、それは良いんだが。……奉仕部の理念と違うんじゃねぇのって思ったのと、その……お前は、いくらか知らんがまとまった額を立て替えられるのか?」

 

 硬い口調で答える雪ノ下に対し、問い掛けた八幡も真面目に応じる。口に出してしまった以上は、思っている事を全て出そうと。そして八幡が口にした疑問は由比ヶ浜と戸塚も気になっていたのだろう。雪ノ下の方へと身体を向ける2人からは、その疑問を口にして良かったのかと怖れる気持ちと、そして答えがあるのならば知りたいという気持ちとが伝わって来る。

 

 だが、緊張しながら返事を待つ3人とは裏腹に、雪ノ下の答えは明快なものだった。

 

「金銭をそのまま与えてしまうと、奉仕部の理念に反する事になると思うのだけれど。理由は判らないけれど学生の身分でお金に困っていて、本人に働いてお金を稼ぐ気持ちがあるのだから、一時的に立て替えて返済先を信頼できる相手に移す事は悪くない手だと思うのよ。ただ、学生同士でお金が絡む関係になってしまうと面倒なのも確かだし、私の言い方も良くなかったと思うわ」

 

「えっと、ゆきのんは借金を払ってあげるんじゃなくて、そのぶんのお金を貸してあげようとしてたって事?」

 

 高校生には馴染みのないお金が関わる話題である為に、戸塚もそして八幡も、雪ノ下の意見に対して是非の判断を直ちに下す事ができない。だが意外にも、由比ヶ浜が話の要旨を整理してくれたので、彼らも話を理解することができた。

 

「ええ。さすがに他人の借金を代わりに引き受けようとは思わないわ。でも私の勇み足だったのは間違いないわね」

 

「ぼく、雪ノ下さんがぽんとお金を出しちゃうのかなって……」

 

「それな。てか、借金を引き受けるんじゃなくて代わりに貸すって言っても、正直あんま変わらん気がするんだが。そもそも普通はそんな発想出て来ねーだろ……」

 

 実家がお金持ちの令嬢に対して、普通の男子高校生が抱くイメージはこの程度が限界なのかもしれない。だが、まとまった額のお金を使う事が可能だからこそ生まれる悩みもあるらしい。

 

「発想よりも、どう実行するかが問題なのよ。こちらが助けたい、助けても良いと思ったとしても、大抵の相手には嫌な顔をされてしまうのが1つ目の問題。それと似た話になるのだけれど、お金を通したビジネスな関係とは程遠い、卑屈な態度をされる事が多いのが2つ目の問題ね。それから……」

 

「ゆ、ゆきのん!それよりも、今は川崎さんの事なんだけど……いちおう知っておいた方が良いかもだから聞くけど、無理には答えなくて良いからね。最悪の場合ゆきのんが、さっき言ってたようにお金を貸すのって、アリなの?」

 

 持てる者の悩みはさておき、本題からいささか外れすぎているだけに、慌てて由比ヶ浜がストップをかける。同時に彼女は先ほど八幡が口にして、そして二度は尋ねるのを躊躇していた疑問に優しく切り込む。それに対して雪ノ下は、友人に隠す事は何もないと言わんばかりの自然な態度で答えるのであった。

 

「ええ。私がこの世界に参加すると決まって、実家ではそれなりの額を課金しているのよ。私がそれをどう運用するのか観察できるし、多額の剰余金が出た場合には会社で使っても良いのだし。だから個人が支払える程度の額であれば、貸与する事はおそらく可能でしょうね」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 まとまった額のお金を使えるという事以上に、お金の使い方や捉え方の違いを目の当たりにしてドン引きする庶民3名であった。なお平塚先生は、この程度の洗礼などとうの昔に受けて、すっかり感覚がずれてしまっている模様である。

 

「教師の立場としては、それは本当に最後の手段だな。その前にこちらで引き受ける事になると思うが……。それよりも、他に話し合っておくべき事はあるかね?」

 

「そうですね。先ほど話に出た支払いの目的と、それから……弟さんや小町さんにはどう伝えるべきか、ですね」

 

「それなんだがな。今からあいつらもここに呼んだらまずいか?」

 

 教師の質問に雪ノ下が即座に答え、続いて八幡が内心で考えていた事を提案する。それを少しだけ頭の中で検討して、平塚先生はあっさりとこう答えるのであった。

 

「では今から私が迎えに行って来よう。危険は無いだろうがこの時間だし2人は中学生だ。塾に車を横付けするので、各々の自宅から個室を経由して塾の前まで来てくれとメッセージで伝えて欲しい。道中で大まかな事情も説明しておこう」

 

「では、私達はその間に川崎さんの意図を……」

 

「その辺りは直接、尋ねたまえ。君達は川崎が来るまで勉強を頑張るように」

 

 雪ノ下の発言を途中で遮って、教師は素敵な笑顔で生徒達に告げる。既にテスト問題を作り終えて開放感に浸る彼女は、ゆっくりと席を立って教え子達に背中を向け、軽く片手を挙げた後に堂々と去って行くのであった。

 

 

***

 

 

 川崎大志は2つ上の姉の背中を見て育った。気立てが良く運動もできる自慢の姉は、身体が大きくて愛嬌がないと姉弟が小さな頃には言われたものだが、思春期を迎える頃にはすらりとした美人に成長していた。過去に姉の容姿を貶した連中はやはり見る目がなかったのだと、彼は改めて姉の事を誇りに思ったものである。

 

 2人目の子供の気楽さで、彼は他人の懐に飛び込む事を自然に行えた。彼は誰とでも仲良くなれたし、甘え上手な面があり、そして両親の教育ゆえに真面目な性格だった。どうして姉が友人を上手く作れないのか、彼には全く解らない。だが、そのお陰で姉が自分と一緒に多くの時間を過ごしてくれるのだから、文句などあろうはずがない。友人と過ごすのも時々なら楽しいが、それでも姉と過ごす時間には遠く及ばなかった。そんなわけで、彼の幼年期の記憶は常に姉と共にあった。

 

 彼の周囲が少しずつ変わってきたのは、姉が小学校の高学年になった頃だった。ちょうど下の妹が産まれ、そして続いて弟が産まれた時期である。もともと学校で独りで過ごす事が多かった姉は家族と一緒に過ごす時間が更に増えて、そして小学校ではすっかり孤立していた。とはいえ虐めなどはなかったし、クラスメイトよりも家族と過ごす方が楽しいという姉の言葉に疑いの気持ちは沸かなかった。今から振り返っても、あれは姉の本心だったと思う。

 

 

 嫌な話が徐々に伝わり始めたのは、姉が中学に進学してしばらく経ってからだった。姉の容姿に目を付けて告白したもののあっさり袖にされた誰かが、幼い妹弟の世話をして過ごしている事を理由に姉を揶揄する噂を流したのである。

 

 家族の為に時間を費やす事を馬鹿にする連中の考え方が、彼には全く理解できなかった。だが多勢に無勢である。姉には擁護してくれる友人が居ない。そして彼が周囲の友人に姉の良さを熱弁したところで、噂の震源地である中学校に与える影響など微々たるものだった。彼は小学生にして己の無力を痛感したのである。

 

 彼が辛い思いを抱えながら姉と接していたある日の事。さっさと働いて早めに結婚すると言っていた姉が、家で熱心に勉強をしている姿に遭遇した。驚く彼に少し照れたような表情を浮かべながら、姉は進学の希望を教えてくれた。幼稚な男に生計を託すよりも自分で稼げるようになりたいと語る姉を見て、彼もまた幼稚な男になどなるまいと、家族の為にしっかり稼げる大人になるんだと心の奥底で誓った。

 

 

 中学3年から塾に通いたいと彼が両親にお願いした時、姉も横で一緒になって説得してくれた。彼が行きたい塾は、英語が少し手薄だったが理数系には良い教師が揃っていて、授業を見学した時にここに通いたいと強く思ったのである。実のところ両親には反対の意図はなく、息子が自分の意志を強く主張するまでに成長した事を喜んで、その嬉しい時間を引き延ばす為にああだこうだと言っていただけという事らしいが、許可してくれたのだから文句は言えない。

 

 こうして彼は4月から塾に通うようになり、そしてこの世界に捕らわれてしまったのである。

 

 

 彼は塾に入りたてだったので、当初はログインする予定ではなかった。他の生徒達は以前からこの世界に来る為の準備を行っていて、例えば彼らの家を現実そっくりにして貰う為に写真や動画を提供していた。それから、こちらの世界で勉強したり遊んだりする為に、ノートや参考書から漫画やゲームまで持ち込めるものは全て用意していた。彼も、そのうちログインする事もあるかと勉強道具の支度は調えていたのだが、初日にログインしたのは全くの偶然である。単に運が悪かったのだ。

 

 不運に見舞われた彼の代わりに何らかの幸運が働いて、姉がログインを回避している事を彼は心から願っていたが、残念ながら姉弟はこの世界で再会を果たした。その時の姉の強い眼差しを彼は今も鮮明に覚えている。必ず1年で元の世界に帰って家族と共に過ごすのだと、そう決意する姉は肉親の目から見てもとても美しかった。

 

 

 だが今月に入って、姉の帰宅が徐々に遅くなって来た。外で変な事はしていないと断言してくれるのだが、両親と切り離された環境で姉との距離が遠くなっていく事は、まだ中学生の彼には辛い事だった。姉が何をしているのか知りたいという気持ちは勿論あるが、それ以上に彼は寂しかった。その気持ちを誰かに、できれば大人ではなく同世代の誰かに聞いて欲しかったのである。

 

 しかしそんな希望を抱く彼には残念な事に、塾の友人の多くは真面目な話を相談するには頼りないように思われた。長年に亘って姉を見てきて、そして姉を悪く言う幼稚な連中を見てきて、彼は自分が抱えている問題を打ち明けても意味のない相手を、何となく判別できるようになっていたのである。

 

 

 そんな時、同じ塾に通う少女の兄が、姉と同じ総武高校に通っている事を伝え聞いた。その少女は見た目の愛らしさと活発な行動力で大勢の人気者だったが、恋愛沙汰に繋がるような雰囲気を巧みに回避する事でも有名だった。

 

 この世界で塾の仲間達と時間を過ごすうちに、彼もまた少女に対して淡い憧れの感情を抱くようになっていたので、相談を切っ掛けに何かが起きる事を期待しなかったと言えば嘘になる。だが彼が相談を決めたのは、少女が時々まとう独特の雰囲気に魅せられた事が大きい。大人のような、孤独なような。家族想いのような、醒めたような。そして彼が抱いていた淡い気持ちは、少女と並んで総武高校へと向かう道中ですっかり消えてしまった。

 

 

 少女の兄の話は、塾の友人達からそれなりに聞いていた。姉の噂の事で思い悩んだ経験のある彼としては全てを鵜呑みにする気は無かったが、少なくとも彼の姉と同じように生きにくい人なのだろうという印象を持っていた。

 

 だがカフェで偶然会ったその男子高校生は、いずれも魅力的な女性たちと確かな信頼関係を築いているように見えた。そして何より、その兄妹の仲に彼は理想的な関係を見たのである。お互いを大切に扱う2人と比べると、自分たち姉弟は片側のベクトルが強すぎる。彼はこの時また己の無力感を味わったが、目標にできる関係を間近で目の当たりにできた嬉しさの方が大きかった。要は彼が姉の力になれるぐらいに成長すれば良いのである。

 

 

 総武高校に向けて歩きながら、当初は高校生たちとの再会を楽しみにしていたのだが、ふと傍らの少女の様子がいつもと違う事に彼は気付く。それは快活な少女には縁が無いと思われるような、苦悶に満ちた雰囲気だった。実際に表情に出ていたわけではない。しかし彼には、少女が何かに苦しんでいる事を察知できた。少女の雰囲気が、いつかの姉とそっくりだったから。幼い妹弟の事で揶揄されていた姉から1度だけ感じたあの雰囲気と、同じだと思ったから。

 

 その少女の苦しみを彼が救えるなどとは到底思わない。おそらく彼女を救えるのは、実の兄だけなのだろう。だが彼は、自分の力不足を泣き叫びたいほど自覚しながらも、少女が苦しんでいる時に自分が側に居たいと思った。自分の姉が大切にしてきたものが、そして自分がこの先ずっと大切にしていきたいと思えるものが、そこにあると思ったから。

 

 

 だから彼は、姉の行動を解明して姉の力になろうと決意する。きっとそれが、少女の苦しみを少しでも緩和する為の手掛かりになると思ったから。

 

 姉の為に、そして自分の幼さ故に動き始めた少年は、このようにして大人への一歩を踏み出したのであった。

 

 

***

 

 

 そろそろ現れる頃ではないかと由比ヶ浜が訴えるので、苦笑しながら勉強会の終わりを宣言した雪ノ下は、勉強道具を片付けながらレジへと視線を送る。目当ての人物がまだ来ていない事を確認して、次に未到着の平塚先生と中学生2人の事を考えていると、入り口のドアが開いた。

 

 彼女らの待ち人は「連日のご来店ありがとうございます」という店員の声にも反応する事なく、慣れた様子でドリンクを選んでこちらへと近付いて来る。特に気負った様子もなく、面倒な事を片付けるだけとでも言いたげな雰囲気で。付近で立ち止まった彼女に向けて、雪ノ下が口を開いた。

 

「そちらの席に座って貰えるかしら?何か食べるものは……」

 

「賄いで食べたからいらない。で、さっさと済ませたいんだけど?」

 

 当然と言えば当然だが、川崎沙希は機嫌悪く言い放った。だが八幡の提案で彼女の弟を待っている現状では話を始める事ができない。どうしたものかと悩む4人には幸いな事に、タイミング良く3人組の客が店に入ってきた。

 

「大志……。またか」

 

 新規の客の中に弟の姿を確認して、川崎は吐き捨てるように呟く。以前に奉仕部とやらの部室に行った時に続いて、この連中はまた同じ事をやって来るのか。今回だけと言っていたが、もう少し約束をきちんとすべきだったと彼女は後悔しながら、しかし事ここに至っては仕方がないので弟が席に着くのを待つ事にする。

 

 弟と、比企谷という同級生の妹とが付近に腰を下ろし、そして国語の平塚先生が少し離れた場所に腰を落ち着ける。それを確認した川崎が挑発するように視線で促すと、それに応えて雪ノ下が話を始めるのであった。

 

 

「さて。貴女がお金を稼ぐ理由を教えて欲しいのだけれど」

 

「言わない。あんたには関係ないって言ってんでしょ」

 

 川崎の声は先程と違って覇気が無く、しかし取り付く島もない対応なのは変わらない。このままでは問答が平行するだけで話が進まないように思われたが、この場に現れた彼女の肉親がゆっくりと口を開いた。

 

「姉ちゃん……何をやってるか、俺にもちゃんと教えて欲しい。今は頼りないかもしんないけど、家族として、姉ちゃんの気持ちを共有させて欲しい」

 

「大志は……この事には関係ないよ。あたしは、自分の為にお金が必要なんだ。変な事には使わないって約束できる。あんたには絶対に迷惑を掛けない。だからこの話は、これ以上は勘弁してくれない?」

 

 いつの間にか頼もしい事を言うようになった弟を眩しそうに眺めながら、しかし川崎は血を分けた少年の提案を優しく拒絶する。一方の大志は、この程度で決意が揺らぎはしないものの、無力な自分を実感せずにはいられない。そんな姉弟に向かって、場違いなほどにのんびりとした元気な声が掛けられた。

 

「どうもー。比企谷小町と申します。大志くんには同じ塾でお世話になってます!」

 

「あ、ああ。大志から話は聞いてるけど……」

 

「えっと。沙希さんがさっき『迷惑を掛けない』って言ってましたけど、下の子からすると正直それって、うーんって感じなんですよ。生意気な事を言えば、迷惑かどうかはこっちが決めるっていうか、まあうちのお兄ちゃんの場合は迷惑ばっかなんですけどね」

 

 しれっと八幡を爆撃する小町であった。さっきのバーでの会話といい、何故にとばっちりで攻撃されるの?と涙目の八幡だったが、この流れで文句を言うと妹に一刀両断されるのは確実である。妹の理不尽に耐えねばならぬ兄の悲哀を存分に味わう八幡であった。

 

「それで、何が言いたいの?」

 

 しかし川崎はその間に落ち着いたのか、冷たい口調で小町に問い掛ける。だがそれを受ける小町は平然としたもので、特に口調を変える事もなく話を続けるのであった。

 

「話して欲しい事は、話して欲しいって事です。教えて欲しいって思った時に、ちゃんと口に出して教えて欲しいんですよ。タイミングを逃すと、宙に浮いちゃう事ってあると思うんですよねー」

 

 小町にしては珍しく抽象的な発言に、兄の八幡ですら意外そうな表情を浮かべている。ましてや他の面々には、彼女が何を想定して話しているのか全く解らない。感じ取れたのは、小町の発言の背後には何か確たる根拠があるという曖昧な直感だけである。

 

 だが、川崎には小町の発言を受けて思い当たる過去があった。彼女は幼い妹弟の世話を嫌だと思った事は無い。だが、どうしてその事を、告白を断った男子生徒に揶揄されねばならないのか。どうしてあたしが、という思いを彼女は誰かにぶつけたくて、それを両親にぶつけようとして、しかし家族の世話を嫌がっていると受け取られるのを怖れて言い出せなかった過去があった。

 

 そしてこの中で唯一、悩み事を抱えながらも決してそれを外に出すまいと苦しんでいた彼女の姿を事前に体験していた少年が、少女の発言に背中を押されて口を開く。ふと浮かんだ推測を、自分の話をするのが苦手な姉に伝える為に。

 

 

「……もしかして姉ちゃん、大学受験の勉強に使うのか?塾とか予備校とか」

 

 それは、学費や受験の費用は親に出して貰うのが当たり前の八幡たちには気付きにくい事だった。予備校が実施する模試などの費用も、保護者から費用を受け取った学校側がまとめて支払うので、そもそも生徒達は金銭の行き来を認識できないのである。

 

 とはいえ彼らが責められる理由はない。苦学生が立派なのはその通りだが、だからといって親に教育費を出して貰うのを恥じる必要もない。しかし、そうした理屈を理解していても、どこか後ろめたく思ってしまうのが人の心の難しいところである。故に彼らは、静かに川崎の返答を待つ。

 

「……まあ、大志の言う通りだね。英語とかは行けそうなんだけど、国立なら数学もやんないといけないしさ。できれば夏に目処を付けておきたくてね」

 

 少しだけ時間が掛かったものの、すっかり弱々しい口調で、川崎は呟くように説明する。受けたい授業が多いほど、必要な費用は鰻上りになる。特に1年で結果を出そうとしている彼女ならば尚更だろう。だからこそ、今がテスト直前の時期であるにもかかわらず、彼女は夏を見据えてバイトを続けていたのである。

 

「……勉強の時間は、確保できているのかしら?」

 

「ああ。……実は、バイトの後にここで勉強してたんだ。家よりも外の方が捗るからって、大志には心配を掛けたね」

 

 誰も口を開きそうにないのを見て取って、雪ノ下が静かに端的に疑問を投げかける。そんな気遣いすらも感じ取れない川崎は、既に雪ノ下への敵意も失せてしまったのか、彼女の質問に素直に答えた。だから「連日のご来店」なのだなと八幡と雪ノ下は理解するが、口に出して言う程の事でもない。彼女らを強く拒絶し立ち塞がった川崎の姿は、今やもう見る影もなかった。そんな相手に、知ったような事を誰が言えようか。

 

 誰も口を開かず、沈黙が場を支配する。しかし川崎としても何かを喋っていたいのだろう。誰も問い掛けてくれる者がいない事を悟ると、彼女は呟くように違う話題を持ち出した。

 

「……そういえばさ。もっと割の良いバイトはないかって話をしてたら、客が言ったんだ。ゲームの世界で稼げば良いんじゃないかって」

 

「なっ!貴女はそれを真に受けたのかしら?」

 

「そしたら、こんな事にはなってないよ。一応は調べてみたけどね。扉はともかく、鍵の在処が判らなかった」

 

「……そこまでだ。川崎、ゲームの世界に行くのは明確な校則違反だ」

 

 意外な話の流れになった事で、さすがに平塚先生が収拾に入る。だが川崎とてそれは理解していた模様である。色んな事を諦めてしまって、しかし家族に関する事だけは何よりも大切にしてきた彼女は、たとえ家族の為であっても我が身を犠牲にしかねない選択をするつもりはなかったのだ。彼女の発言を待つまでもなく、その眼差しから彼女の意志を感知した教師は、黙って話をさせるに任せた。

 

「ええ。家族の為にも、万が一にも死ぬわけにはいかないですし。……ちなみに、扉は東京駅の0番ホームにあるらしいですよ。NPCから教えて貰ったので情報は確かです。ただ、普通の手段では行けないみたいですが」

 

 

 つい先程までは現実的な話をしていたはずなのに、すっかり非現実的な雰囲気になってしまった。この空気をどうしたものかと、さすがの平塚先生や雪ノ下ですら言葉を選びかねていたところ、兄に質問を投げかける呑気な声が各人の耳に聞こえて来た。

 

「ゲームの事は分かんないけど、依頼はこれで解決なの?」

 

「あ、そうだな……。川崎のバイトの理由は判明したし、それこそ金を稼ぎにゲームの世界に行くよりは遙かに健全だと思うが、どんなもんかね?」

 

 妹の問い掛けに答えるのは兄の義務だが、だからといって彼の一存で事が決まるわけではない。そんな彼から話を振られて、雪ノ下は答える。

 

「そうね……。確かに直ちに改善すべき点はほとんど見当たらないわね。強いて言えば、バイトの後に深夜までここで勉強している事が問題視されるかもしれないのだけれど。家よりも効率よく勉強できているのであれば、中止させるのも気が咎めるわね」

 

 何だかんだで川崎に絆されつつある雪ノ下であった。だが由比ヶ浜も戸塚も同じ気持ちでいる様子で、2人は八幡に何とかならないかと視線で訴えてくる。

 

「あー……。そういえば川崎、1つ聞いていいか?なぜ、こんなに焦って勉強しようとしてるんだ?」

 

「……まあ、家族の為だね。うちは子沢山だから、早く現実の世界に帰らないといけないんだよ」

 

 小町の発言を受けて、そして大志に指摘されてからの川崎はすっかり素直になっていた。確かに事態は深刻ではあるが、しかし話してしまえば呆気ない事でもある。

 

「状況は把握したわ。では川崎さんの為により良い方法を全員で考える事で、依頼の完了としましょうか。ちなみにお金を出すつもりはないから、安心してくれて良いわよ?」

 

「……なら安心だ。さっきはあんたに厳しい事を言って、済まなかったね」

 

 本調子には程遠いが、少しだけ笑顔を浮かべて、川崎は雪ノ下の挑発に乗りつつ先刻の発言を謝る。それに対して雪ノ下も、素直に謝罪を返していた。

 

「こちらこそ、誤解させるような失礼な言い方をしてしまってごめんなさい。それに、貴女がバイトをする理由やその行動力には頭が下がる思いよ」

 

「たぶん……誰にだってあるよ。やるしかないっていう気持ちになる時が」

 

 彼女にとっては、この世界に姉弟が共に捕らわれたと把握した瞬間が、その時だったのだろう。やるしかないからやっただけだと語る彼女の言葉は、その場にいる全員の心にゆっくりと浸透してくるようだった。だから八幡は、思わずこんな事を口にする。

 

「……そうか。仲間が必要なときはいつでも来い。俺はあんまり役に立たんかもしれんが、雪ノ下の優秀さは折り紙付きだし、対人関係なら由比ヶ浜だ。癒やされて素直な気持ちになりたいなら断然戸塚だな。元気になりたい時は特別に小町の貸し出しを許してやらんでもない」

 

「お兄ちゃん……突然どしたの?変なものでも食べちゃった?」

 

「なんてか、今、そんな気持ちになったんだわ。まあ、そんな事もあるだろ」

 

 たまには格好良い台詞を口にしたくなるような時も、特に男子高校生にはあるのだ。願わくば、無粋なツッコミとか元ネタの詮索とかはしないで欲しいなと、切に願う八幡であった。そして、そんな兄の態度から、先程の台詞はアニメか何かからの流用だろうなと推測して、優しい妹は深くは追求しないであげようと口を開く。

 

「ふーん、まあいいや。それより小町、テストが終わったらこのメンバーで打ち上げしたいなー」

 

「は?遊ぶ事を考える前に勉強しろ」

 

「勉強をする為のご褒美だよ!それに、もっと仲良くなりたいじゃん」

 

 そう冗談っぽく言い放つ小町だったが、八幡はそんな妹に微かな違和感を覚える。理由は判らないが、らしくなく焦っているような、そんな印象を受けたのである。だが妹の顔を改めて眺め直してみても、今となっては先程の違和感を感じる事すらできない。

 

 周囲を見回してみると、兄妹の会話を聞いて一様に苦笑を浮かべている。自分の勘違いかと気を取り直して、八幡はそもそもの話題を思い出そうと努める。確か雪ノ下が、川崎により良い方法を提示しようとか言い出したのだったか。ならば、彼が最初に言うべき事はこれしかないだろう。

 

 

「……川崎。お前、スカラシップって知ってる?」

 




おまけ:作者が抱くボス戦のイメージ。

ボス戦その1
雪ノ下:右ストレートでぶっとばす。

ボス戦その2
雪ノ下:真っ直ぐにいってぶっとばす。
八幡:搦め手から攻める。
由比ヶ浜:ゆきのんのデバフ解除。
戸塚:八幡に各種バフ。

ボス戦その3
小町:光の玉(DQ3)。
大志:超究武神覇斬(FF7)。


次回でこの章の本筋は終了です。
その後は息抜きの小話を挟んで幕間の話、そして章を新たにして3巻の内容に入る予定です。

次回は日曜日に更新の予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。(11/15)

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