俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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この章のボス戦その2です。お好みのBGMと共にどうぞ。



18.こうして彼女らは再戦に至る。

 ホテル・ロイヤルオークラ1階のエレベーターホール前では、慣れない格好に身を包んだ比企谷八幡と戸塚彩加が落ち着かない様子で立っていた。普段は縁のない高級ホテルの雰囲気に気圧されて、どのように振る舞えば良いのか分からないのである。夜は若く、彼らも若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼らの気分は苦かった。

 

 時刻は7時20分。妹の指示通り、待ち合わせの時間から余裕を持って到着した彼らは、きょろきょろと周囲を窺っては俯き、お互いに助けを求める視線を送っては照れたようにそっぽを向くという繰り返しで時間を過ごしていた。

 

 テストまであと数日だし単語帳でも広げるべきかと八幡は思い付くが、どう考えても周囲から浮くことは必至である。待ち合わせ場所で本を読む姿が様になる人もいるのだろうが、自分にそれができるとは到底思えない。それに、場違いではないかと物怖じしている可愛らしい存在が傍らに控えている以上、どのみち集中などできるわけがないのである。

 

 周囲からは見えないように、八幡のジャケットの腰の上あたりをちょこんと摘んだまま怯えている戸塚。彼が手に力を加えたり震えたりするたびに、それが八幡へと伝わって来る。自分がしっかりしなければと八幡は思い、そして少し心の余裕ができたことで、彼は我が家での着替えの場面を思い出すのであった。

 

 

 戸塚を伴って自宅に帰ると、道中で妹にメッセージを送っていたことが功を奏して、既に着替えの支度は済んでいた。戸塚の為に男装と女装の2種類を用意していた辺り、さすがは我が麗しの妹だと八幡は口を極めて褒めちぎったのだが、残念ながら比企谷小町の反応は肉親とは思えぬほど冷ややかなものだった。

 

 変質者を見るような視線で着替えの衣服と共に自室へと追いやられ、リビングを覗いたらダメ。ゼッタイ。と念を押され、服装を整えて手持ち無沙汰で部屋の中をうろうろしていると階下からメッセージが届く。逸る気持ちを抑えて階段を降りると、そこでは男装の麗人とでも言うべきか、凛々しさと可愛らしさが同居した戸塚が恥ずかしそうに待っていた。その姿を見て、ますます戸塚の性別に自信が持てなくなってしまった八幡であった。

 

 どうやら女装も一応は試してみたらしいのだが、戸塚は恥ずかしがるばかりだし妹の発言は要領を得ない。何やら「似合いすぎ」とか「あれで男?」等々うわ言を呟いていて酷くショックを受けている模様である。とはいえ残念ながら時間の余裕はあまり無い。今夜の奉仕部の課外活動を上手く済ませて、この服を脱ぐ時こそは絶対に戸塚と一緒に着替えるんだと八幡は強く決意しながら、自宅を後にしたのであった。

 

 

 強い決意を思い出したことで、八幡の精神は落ち着きを取り戻す。しかし平静を取り戻した彼をあざ笑うかのように、赤いドレスを身にまとった華やかな美女が、真っ直ぐ彼に向かって近付いて来るのが見えた。

 

 親しみやすい顔立ちと大人の落ち着きが同居した彼女は髪をアップにまとめ、首回りは大きく開かれていて、白い地肌はドレスの下の豊かな双丘へと続いている。見てはいけないと思いながらも視線を逸らせない八幡は、彼女の目的が自分だとは露ほども思っていない。彼の背後のエレベーターに向かうのであろう彼女に道を譲るべく、慌てて移動しようとしたところで、ジャケットを掴む戸塚に引き戻されて八幡は変な声を出してしまった。

 

「ぐえっ」

 

「八幡、あれ、もしかして……?」

 

 戸塚が何やら呟いているが、八幡は無様な転倒を避けるべくバランスを維持するのに精一杯でそれどころではない。そして意外な事に、件の彼女は彼らの前で足を止めて、奥ゆかしげに口を開いた。

 

「お、お待たせ……」

 

 視覚情報だけでも限界に近い八幡だったが、彼の前で立ち止まって言葉少なに愛嬌のある声で話し掛けて来る彼女からは、控え目ながらも芳しい香りが漂って来る。聴覚と嗅覚までもが彼女の魅力に晒されて茫然自失の八幡であった。だがそんな彼を訝しく思ったのか、目の前の美女はあろうことか彼の肩をちょこんと指で突いて来る。触覚まで陥落しそうな八幡だったが、幸い彼女の発言で我に返ることができた。

 

「えと、あの……。ヒッキー、だよね?」

 

「……由比ヶ浜か。誰だこの美人ってドキドキして損した……」

 

 八幡の意識としては相手に聞こえぬほどの小声で呟いたつもりだったのだが、緊張からか思った以上に大きな声になってしまった。しかし八幡はそのことに気付いていないし、由比ヶ浜結衣は美人と言われた時点で照れてしまい、その後の八幡の発言はおろか周囲の状況すらも意識に入っていない。そんな2人の様子を眺めて、戸塚はこっそり苦笑するのであった。

 

 

***

 

 

 程なくして、ホテルの入り口方面ではなくラウンジの方角から、漆黒のドレスを身にまとった美女が近付いて来た。

 

 今回は身構えていたので八幡も無様な姿を晒さず済んだものの、艶やかな黒髪を1つにまとめて胸元へと垂れさせたその女性は白い素肌とのコントラストが際立って、見る者をして畏怖の感情を生じさせるほどの存在感を放っていた。とても同い年とは思えない雪ノ下雪乃の姿を見て、八幡は急激に喉の渇きを覚え、自然に呼吸が荒くなる。だが幸いなことに、彼女の発言がいつも通りだったことで彼は事なきを得るのであった。

 

「予定通りの時間ね。戸塚くんはジャケットも似合うのね。比企谷くんは……馬子にも衣装ということなのかしら?」

 

 実は彼女としては最大限に褒めているつもりなのだが、言われた八幡は大きくため息をついて脱力する。とはいえ余計な力も一緒に抜けてくれたのも確かであった。

 

「はあ。お前だって口を開けば中身はいつもと変わんねーだろが。で、平塚先生も居るんだな?」

 

「ええ。ラウンジで打ち合わせをして来たわ。妹さんと川崎くんには?」

 

「簡単に説明しといた。終わったらすぐに連絡するって話にしたんだが」

 

「それで大丈夫よ。川崎さんのバイトの理由については?」

 

「ハッキリとは言わなかったが……どうやら子沢山で生活が苦しい状況ではあったらしい。ただ、あっちではバイトをしていなかったみたいだし、正直分からん」

 

 

 さすがに仕事の話になると話が早い2人であった。問題は彼らがまだ高校生だという事で、由比ヶ浜と戸塚は2人の話に付いていくのがやっとである。必要な情報は交換し終えたと思ったのだろう。雪ノ下が話をまとめにかかる。

 

「川崎さんが何故この世界でバイトをしているのか。彼女と話をしながらそれを探るのが今回の目的ね。他に何か気になる事はあるかしら?」

 

「あー……。一応聞いておきたいんだが、この辺りでエンジェルって名前の店は2つだけって言ってたけど、それは確定なのか?」

 

「ええ。運営に貰ったレア・アイテムのタウンページで調べたから間違いないと思うわ」

 

「……は?お前、どうやってそんなもん入手したんだよ?」

 

 雪ノ下の意外な返答に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった八幡であった。由比ヶ浜と戸塚に至っては声も出せずに驚いている。

 

「マニュアルを解読していたら、時々『運営からの挑戦』というイベントがあるでしょう?」

 

「なんか『○○の理由を推測せよ』とか、その手のやつだよな?」

 

「先日、『この世界でオープンした店舗の傾向を調査した上で思う所を述べよ』という課題が出て、どうやら私の解答をお気に召したみたいね」

 

「それでレア・アイテムかよ。まぁ思った以上に真っ当な入手方法だったが、真っ当すぎて逆に殆どの奴にはクリア不可能だろ……」

 

 レア・アイテムの存在も驚きなら、入手方法も驚きである。こつこつと作業を進める実務的な仕事なら自分に向いているかもしれないと密かに自信を持っていた八幡だったが、物事を積み重ねて高みに至る事に長けた同い年の少女を見て、自分には及ばないであろうその才能を目の当たりにして、こっそりと肩を落とす。だが、側に立つ2人の認識は彼とは異なっていた模様である。

 

「でも、ゆきのんも凄いけど、あたしからしたら話について行けてるヒッキーも充分凄いけどなぁ」

 

「うん。雪ノ下さんの話について行けるのって、うちのクラスだと葉山くんと八幡ぐらいじゃないかな」

 

 雪ノ下からも珍しく八幡をからかう台詞は出て来ず、そして2人の言葉を受けて、褒められることに慣れていない八幡は明後日の方向を向きながら頬を掻く。一行が良い雰囲気でまとまったのを見て取って、由比ヶ浜が全員の顔を見回しながら元気に宣言した。

 

「じゃあ、みんなの力を合わせて、川崎さんの為に頑張ろっ!」

 

 こうしてパーティー4人は良い心理状態のまま、最上階のバーラウンジへと乗り込むのであった。

 

 

***

 

 

 エレベーターの扉が開くと、4人の耳に静かなピアノの調べが聞こえて来た。静けさの中に情感を漂わせる演奏は店内から流れて来る。先ほど待ち合わせをしていたエレベーターホール以上に場違いな雰囲気を即座に感じ取って、思わず身を竦ませてしまった3人に向けて、小声で鋭い指示が出された。

 

「戸塚くんは比企谷くんの後ろに。2人とも真っ直ぐ前を見て顎を引いて。背中を伸ばして堂々としていなさい。由比ヶ浜さんは私と同じように。戸塚くんの肘に手を……それで大丈夫よ。では、ゆっくり歩いて進みましょう」

 

 自らは八幡の肘に手を添えて、雪ノ下はバーの中へと歩みを進める。扉を抜けたところに控えていた中年男性が深くお辞儀をすると軽く頷き返し、彼が頭を上げて先導するのを待ってそのまま従う。比較的早い時間帯だからか、店内には他に客の姿は見えない。少し進んだところで、身振りだけでボックス席かカウンターかを尋ねられ、雪ノ下はカウンターへと視線を向ける。こうして彼らはカウンターに並んで腰を下ろしたのだった。

 

 

 カウンターの向こうでは女性のバーテンダーがグラスを磨いていた。彼らに無遠慮な視線を送ることなく、しかし注文には即座に応じてくれそうな距離感を保っている。おそらくは彼女の世話好きな性格が、仕事の上で役立っているのだろう。客を迎えるその姿勢は洗練されていて、同じ年齢とは思えないほどである。会話をする前から圧倒されていた八幡だったが、左隣に座った雪ノ下に肘を突かれ、やるべき事を思い出した。

 

 整った顔立ちですらりとした長身の女性バーテンダーは間違いなく川崎沙希である。彼女に特徴的な泣きぼくろを確認して、八幡はメッセージアプリを立ち上げ、平塚先生に川崎との遭遇を報告する。そして静かに頷く事でそれを雪ノ下に伝え、いよいよ彼女らの再戦が始まるのであった。

 

 

「こんばんは。川崎沙希さん」

 

「……雪ノ下」

 

 涼しい顔で冷ややかに挨拶を口にする雪ノ下と、彼女を認識して親の仇のような表情を浮かべる川崎。彼女らがお互いに向ける視線は前回と変わらず、他の面々は一気に取り残される展開かと思われたが、川崎がいったん視線を逸らした。そして彼女から見て雪ノ下の左隣に座る八幡を一瞥し、雪ノ下の右隣に座る由比ヶ浜、更にその隣の戸塚を順に眺める。

 

「そんな恰好をしてると高校生には見えないな。よく見ないと分からなかったよ。……何か飲む?」

 

「私はペリエを。由比ヶ浜さんは……同じものでいいかしら?」

 

 何を注文すれば良いのか分からないと涙目で全力で訴えて来る由比ヶ浜を見て、雪ノ下は優しく苦笑いをしながら問い掛ける。それに間髪入れず頷く由比ヶ浜の反対側では、八幡が「ペリー?ハリス?」などと混乱していたが、飲物を頼むのであればこれしかないと腹を括ったのだろう。意外に力強い声で彼は注文を告げる。

 

「俺はMAXコーヒーを」

 

 最高に決まったと内心で自画自賛しながら、八幡は無事に注文を終えた事を喜ぼうとしたのだが、隣席から聞こえて来たため息によって盛り上がった気分が霧消してしまった。

 

「はあ……。彼には辛口のジンジャエールを。戸塚くんは?」

 

「えと、ぼくも八幡と同じで」

 

 苦笑しながらグラスを用意すると、川崎は冷蔵庫からペリエとジンジャエールを取り出し、手慣れた様子で瓶の栓を開けてグラスへと注ぐ。自分に倣って3人が出された飲物に軽く口を付けたのを見届けてから、雪ノ下はおもむろに口を開くのであった。

 

 

「さて。探したわ、川崎さん」

 

「お節介は勘弁って言ったと思うんだけど。それとも、今日は横のそいつとデートってわけ?」

 

「まさか。趣味の悪い事を言わないで貰えるかしら?」

 

「たしか奉仕部だっけ?恵まれない奴に奉仕するのも大変だね」

 

 2人の間で口論が行われているはずなのに流れ弾が直撃を続け、思わず涙目になる八幡であった。何故か少しだけほっとしている由比ヶ浜と心配そうに自分を見つめる戸塚に視線をやって、八幡は少し場を落ち着けるべく口を開いた。

 

「お前らな。他人を傷付けるような醜い争いは止めてくれ。俺は上手いこと話を片付けて、さっさと帰って戸塚と着替えたいんだよ!」

 

 仲裁などという慣れない事を買って出るものだから、思わず冗談っぽく本音を口にしてしまう八幡であった。本人としては「言い争いを続けても無益」といった意味の台詞を言うつもりだったのだが、冷静な発言よりも願望が口を衝いて出た模様である。ちゃんと冗談と受け取ってくれたら良いなと恐る恐る周囲の気配を窺うが、そんな彼に向けられる視線は冷たい。

 

「醜いのは貴方の腐った目と、隠し切れない欲望なのではないかしら?」

 

「ヒッキー、さすがにちょっとキモい……」

 

「今のあんたがいちばん醜いぜ……」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜はもちろん、川崎からも散々な事を言われてしまい、目の腐った人はノックアウト状態である。そして当事者である戸塚は何やら落ち込んだ様子を見せていた。

 

「その、やっぱりぼく、男物が似合わないのかな?」

 

 心配そうに己の服装を眺める戸塚を何とか元気付けて、少し疲労感が漂った雰囲気のまま、彼らは本題へと移るのであった。

 

 

***

 

 

「さて、貴女の帰宅が遅いのはこのバイトの為だという事は判ったのだけれど。弟さんが心配しているし、バイトを辞めるわけにはいかないのかしら?」

 

「ん、ないね。9時半で上がらせて貰ってるし、校則とかに違反する事はしてないのに、辞める理由ある?」

 

 どうにも雪ノ下が発言すると喧嘩腰になってしまい話が進まない。雪ノ下の喧嘩を買えてしまうほど川崎の胆力が凄いので、脅しが効かないどころか逆効果にすらなっている模様である。そうした事情をきちんと理解したわけではないのだろうが、雰囲気が良くないと見た由比ヶ浜が口を挟む。

 

「あ、あのさ。川崎さん、なんでバイトしてるの?この世界で働いてるのって珍しいと思うんだけど……」

 

 それは素朴な疑問であったが、だからこそ川崎は素直にその問いに答える。素っ気なく端的に、しかし嘘偽りなく。

 

「別に。お金が欲しいから働いてるだけだよ」

 

「……運営から貰う金だけじゃ足りないのか?」

 

 この世界では運営から毎月お小遣いが支給される。彼らがベーシック・インカムと称するそれは多額というわけではないが、基本的な衣食住の支出を考えなくても良い現状では、普通に過ごしていると余ってしまう程度の額ではある。そうした前提から思わず八幡が疑問を挟んだのだが、彼に向けられたのは苦々しい表情だった。

 

「それで足りないから働いてるんだけどさ。……専業主夫希望とか、職場見学は自宅希望とか、ふざけた事を言ってる奴には分かんないよ」

 

 痛いところを突かれて八幡は口ごもる。元来ぼっちの彼は人と話すのが得意ではないが、奉仕部で日々を過ごす事で、少しずつ他の生徒達とも普通に話ができるようになって来ていた。だがこうして強く拒絶されてしまうと、長年の苦手意識が表面に出て来てしまう。どう返答したら良いのか混乱気味の八幡に代わって、意外な人物が声を上げた。

 

「あのね。八幡は時々よく分かんない事を言ったりもするけど……困ってる人にいい加減な事を言うような性格じゃないよ。そこはぼくが保証するから、もう少し話を聞いて欲しいな」

 

 見た目だけでなく発言の内容も天使のような戸塚であった。そんな彼に勇気を貰って、八幡は先ほど覚えた違和感について頭の中で考える。川崎から受けた強い拒絶は、しかし力強さが全く足りていないように感じたのだ。本質を抉って来る雪ノ下の発言と比べると雲泥の差であり、部活で幾度となく彼女の非情な攻撃に晒されてきた八幡だからこそ即座にその違いに気付けたのかもしれない。

 

 川崎の拒絶からは反発ではなく、理解されない事への諦めの気持ちが感じられる。そしてそれは八幡が親しんだ感情でもある。長年のぼっち暮らしで諦めを積み重ねてきた八幡だからこそ、川崎の気持ちが身近に感じられる気がした。そして雪ノ下と部活で時間を共にした彼だからこそ、たとえ理解されなくとも孤独に立ち続ける強さを知っている。同時に由比ヶ浜と部活を共にした彼だからこそ、たとえ理解されなくても気持ちを通じ合わせる事を諦めない強さを知っている。

 

 故に彼は、川崎の強い拒絶の言葉にも屈する事なく口を開く。

 

 

「川崎……もしかしてお前、進学とか諦めて働くつもりなのか?」

 

 それは見当違いの質問ではあった。だが川崎の心の琴線に触れる質問でもあった。そんな未来を拒絶したからこそ、彼女はこうしてテスト直前の時期にもかかわらずバイトに精を出しているのである。大学に行く為に。1年で元の世界に帰る為に。予備校に行く為に。そしてその費用を捻出する為に。

 

「そんな事はしない!あたしは勉強して大学に行くって決めてるんだ」

 

「そうか……。じゃあ、まとまった金が稼げたらバイトは辞めるんだな?」

 

「ああ。必要な額を稼いだら勉強に専念するよ」

 

 そんな川崎の返事を聞いて、雪ノ下が不用意な発言をしてしまう。それが可能であるが故の発言なのだが、だからこそ問題なのである。

 

「では、もしも誰かがその額を肩代わりしたら……」

 

「あんたには関係ない!誰かに金を恵んで貰う事も考えていない。親が県会議員だか何だか知らないけど、関係ないでしょ!」

 

 川崎の剣幕に驚いたのか、雪ノ下はグラスを倒してしまった。だが川崎の発言内容の方が雪ノ下にとって痛手だった事が次第に明らかになる。雪ノ下は強く下唇を噛みしめて、部員達が見た事も無いほど余裕のない表情を浮かべている。そんな彼女を見て、傍らの少女が迷わず口を開く。

 

「ゆきのんの家の事は今は関係ないじゃん!」

 

「……なら、あたしの家の事も関係ないでしょ。大志から何を頼まれたのか知らないけど、首を突っ込まないでくれない?」

 

「由比ヶ浜さん……私は大丈夫だから。その、ありがとう」

 

 普段よりは弱々しいものの、ショックから抜け出した雪ノ下がそう告げる。気付けば他の客が店内に入って来ようとしていて、どうやら潮時のようだ。そうした状況を見て取って、八幡は口を開く。

 

「川崎のバイトは9時半までって言ってたよな?話の続きがしたいから、通り沿いのファーストフード店に来てくれ」

 

「は?なんで行かなきゃなんないの?」

 

「今回だけだ。話が終わったら、こちらからは二度と大志に絡まないと約束する」

 

 真剣な口調の八幡を見て、川崎は悔しそうな腹立たしそうな表情で悩んでいたが、弟の事を口に出したのが効いたのだろう。仕方なさそうに無言で頷く。それを確認して、4人は席を立った。

 

 

 こうして、死闘の果てに、戦いは最終局面へと移るのであった。




前回の投稿後にUAが6万を超えました。評価やお気に入りも少しずつ増えていて、数字の変化を見ては喜んでいます。原作2巻もいよいよ終わりが見えてきました。引き続き、読んで下さる方々のご期待に応えられる内容にできるよう頑張ります。

次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
誤字を1つ修正して、少し違和感を覚えた一部の描写を書き直しました。大筋に変更はありません。(10/25)
細かな表現を修正しました。(11/15,2/20)

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