俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回は「平塚先生の事件簿」みたいなお話です。



16.あれこれ考えた末に彼女は手掛かりを得る。

 エレベーターに乗ってホテル・ロイヤルオークラ最上階へと導かれた平塚静は、慣れた様子でバーラウンジに向けて歩みを進めた。店内のステージではピアノ演奏が催されていて、しっとりとした音色に気怠げな雰囲気を漂わせた調べが店の外にまで伝わって来る。

 

 解放されたままの扉を抜けると、そこには落ち着いた佇まいの中年男性が控えていた。彼女に向けて深々とお辞儀をして来店を歓迎した上で、彼は余計な事など何も喋らずゆっくりと先行して彼女をカウンターへと導く。「こちらに」「ありがとう」というやり取りが2人の会話の全てであった。

 

 

 カウンターの前には一面ガラス張りの窓があり、三日月が浮かぶ外界の様子が鮮明に観察できる。そして窓に映る彼女の姿は夜空に映えて、どこに出しても恥ずかしくない様相である。前話で詳述した装いは、結婚式に参列するのに相応しい服装という雑誌の特集を見てそのまま一式を注文したもので、それをあっさりと着こなせてしまう辺りに彼女の素の魅力が窺い知れる。問題は、喋らなければ完璧なのにという注釈がつく事だが、今日この時に関してはあえて言挙げする必要は無いだろう。

 

 この世界を構築する際の手助けになるように、参加者は自宅の写真を各々が許可できると考える範囲で提供していたが、着慣れたこのコーディネイトが写真に収まっていたのは幸運だった。よもやこの世界で結婚式に招かれる事はあるまいと半ば恨み半ば安心していた彼女だが、こうして着る機会が生じるのだから面白いものである。

 

 窓に映る自身の姿から意識を戻して、彼女はカウンターの向こうに控えるバーテンダーを観察する。年齢は先ほど案内を受けた男性よりも若い。おそらく30前後だろう。整っているとまでは言えないが親しみの持てる顔立ちの男性で、こちらを急かさず同時に蔑ろにもしていない絶妙の物腰で佇んでいる。見事なものだと思いながら、彼女は注文のために口を開いた。

 

「そうだな……。”Vodka Martini. Shaken, not stirred.” (ウォッカ・マティーニ。ステアせずシェイクして)」

 

 思わずジェームズ・ボンドを気取ってしまった彼女を一体誰が責められるだろうか。おそらく彼女以外の関係者全てがつっこみを入れる事になるだろう。

 

 だが彼女の眼前に控えるバーテンダーは少しだけ微笑みを浮かべて、まるで彼女に「どこかで1度は言ってみたい台詞ですね」と賛意を送っているかのような眼差しを向けてからカクテルを作り始めた。流れるような手つきに見惚れていると、彼女の前にコースターと空のグラスが置かれ、注文の品が注がれる。「どうぞ」という声に従ってグラスを持ち上げそれを少しだけ舐めてから、彼女は意識を切り替えて行動に移るのであった。

 

 

 まず最初に、彼女はメッセージアプリを立ち上げて、宛先を新着順にソートする。彼女にとってはとても残念な事に、目の前のバーテンダーの名前は無い。ついでに案内してくれた中年男性の名も表示されている中には無い。実際に言葉を交わした相手はリストに自動的に登録されるのがこの世界の仕組みである。つまり、彼らはNPCで間違いないのだろう。

 

 アプリを消して、また少しだけカクテルを口にしながら、彼女はゆっくりと店内を見回す。数組の客とピアニスト、そして2人のNPCが店内に居る全てである。実際に話してみないと判らないが、どの人物も少なくとも外見からは、高校生をこのようなお店に引っ張り込もうとする人種とは思えない。勿論それは、外面を巧妙に装う事に長けた人物と腐れ縁の仲である彼女にとって何の慰めにもならないのだが。

 

 彼女は視線を目の前のバーテンダーに戻して、両肘をついて少し身を乗り出しながら、彼に話し掛ける事にした。

 

「少し尋ねたい事があるんだが。……ここは未成年でも入店できるのかね?」

 

「時間帯によっては可能です、マム」

 

 温かな表情のまま、バーテンダーは返事を口にした。相手がNPCである以上は、こちらが主導的に質問を重ねた方が良いだろう。彼女はそう考えて、具体的に1つずつ質問をしていく事にした。

 

「例えば高校生なら?それと、未成年でもアルコールは注文できるのかね?」

 

「申し訳ありません、マム。質問にお答えする前に、もしも運営に問い合わせすべき内容を含んでいるのであれば、以後の会話を録音しておく事で手続きが省略できる可能性があります。勿論それは強制ではありませんが、録音しても宜しいでしょうか?」

 

「ふむ。……では録音をお願いしよう。それと、マムと呼ばれるのは少し落ち着かないので、以後は控えて貰えると嬉しいのだが」

 

「畏まりました」

 

 

 そのまま質問に答えてくれると思っていたが、バーテンダーは無言を貫いている。考えてみれば、質問の内容を繰り返して、そこから録音しておいた方が都合が良いだろう。彼女はそう思い付いて、改めて先程の質問を繰り返した。

 

「ここは高校生でも入店できるのか、そして未成年でもアルコールを飲めるのか。それが私の最初の質問だ」

 

「夜の10時までであれば入店は可能です。未成年者の飲酒はこの世界全体で禁じられています。つまり未成年者がアルコールを注文する事は勿論、成人した同行者が注文したアルコールを飲ませる事も不可能です」

 

「成る程。では違法なドラッグなども禁じられていると考えて良いのかね?」

 

「違法ドラッグは当然ですが、合法ドラッグと呼ばれるものも禁じられています。これは未成年者に限らず、この世界にログインしている全ての人に当て嵌まります。運営はこの世界において、人を頽廃させかねないものに慣れ親しむ経験を積ませる事を、徹底的に避ける方針です」

 

 運営の自己弁護が過ぎる気もするが、これだけ方針が明確なのは心強い。少なくとも彼女の生徒達が裏の世界に身を落とすような事態は、この世界ではあまり心配しなくても良いだろう。張り詰めていた気持ちを少しだけ緩めて、彼女は話のついでに思い付いた疑問を口にする。

 

「とはいえ、成人ならば酒と煙草は大丈夫なのだろう?それは片手落ちではないのかね。酒も煙草も依存性という点では多くのドラッグと同様の危険性があると聞いているのだが?」

 

「仰る通りです。とはいえ日常生活の延長という側面を重視して、飲酒と喫煙はいわば特別扱いになっております。ご承知かもしれませんが大人になると、飲んで頭の働きを曖昧な状態にでもしなければ、やってられないと思う時がありますので」

 

 目の前のNPCに人生を語られて、彼女は思わず苦笑する。本当に良くできた対応で、これが生身の人間相手の会話ではない事を残念に思うほどだ。このNPCを製作した運営の人間にも色んな事があったのだろう。とはいえそれは、今の彼女が考えるべき事ではない。バーテンダーに同意の眼差しを向けてから、彼女は自分の身分を明かして話を進める事にした。

 

 

「私は高校の教師をしている者なのだが、この店に生徒が出入りしている可能性が浮上したので調査に来たのだよ。飲んで全てを諦めざるを得ない事態に陥る前に、悪い未来を断ち切りたいと思ってね」

 

「それは正しく、そして勇気ある行いだと私は思います。ですが当店に関する限り、高校生は10時までに退席をお願いしています。そして今までに例外はありません」

 

「ふむ。少なくとも今までに高校生がここに来た事はあるのだな。度が過ぎた問題行動を起こした者は、今までに居なかったのかね?」

 

「貴女の定義する度が過ぎた問題行動の範囲が、私には判りません。とはいえ、教育という側面は運営が非常に重視しておりますし、それ故に未成年者の逸脱した行動には特に目を光らせております。そして運営が問題視するような行動が今までに観察された事は無い、とだけお答えします。これ以上の事は運営に直接お尋ね下さい」

 

「いや、その答えで充分だ。問題行動を危ぶむのは、また別の機会に回しても良さそうだな。……では、夜に独りでここに来る高校生は居るのかね?10時までに店を出れば問題ないとはいえ、孤立している思春期の少年少女を唆そうとする良くない連中が居ないとは限らない」

 

 先程のバーテンダーの回答に満足して、少し考えた末に彼女はそう問い掛けた。酒やドラックを用いなくても、話術によって若者を誑かす事は可能なのだ。自分も若者のつもりである彼女は、甘い囁きがどれほど効果的かをよく知っていたのである。

 

「独りで当店にお越し下さるお客様は数名ほど居られますが、その中に未成年者は含まれておりません。また、別々に来店されたお客様が肩を並べて出て行かれた事もありません。勿論エレベーターに乗り込まれた後の事は、私どもも関知しておりませんので、保証できかねますが」

 

「いや、そこまでは私も求めていない。だが、という事は……すまない、少し考えさせてくれ」

 

 

 優しい表情でゆっくり頷くバーテンダーに頷き返して、彼女は頭の中で考察を進める。川崎沙希の性格からして、メイドカフェに行く可能性は低いと彼女は考えたし、通話をして来た教え子も同じように考えている様子だった。だが、ここに独りで客として訪れた高校生は居ないと、目の前の彼は断言した。彼女らの見通しが間違っていたのだろうか。

 

 彼女はそこまで考えた上で、その可能性を取り敢えず棚上げした。せっかく実際にここを訪れているのだ。まずは確認できる事を全て確認しておいた方が良い。そう考えて、彼女は再び口を開く。

 

「ここに連絡をしただけで、まだ訪れていないという可能性は?」

 

「ご新規のお客様で、まだ来店されていない予約段階のお客様ですね?お電話を頂いた代表者の方しか確認できませんが、その中に高校生は含まれていません。また、皆様がログインされた際のデータにアクセスするので、年齢偽装の可能性は無いと考えて良いと思います」

 

 彼女自身も部室で耳にしたように、川崎は自分で「エンジェルに連絡」したはずである。ならばこの可能性も潰えたと考えて良いだろう。他にここで確認すべき事はあるだろうか。

 

「……客として来る以外の目的で、ここに連絡をする可能性は?」

 

 それは彼女にとっては苦し紛れの発言でしかなかった。だが、対面のバーテンダーはNPC故の素直さで彼女の疑問に応じる。

 

「まず、ご家族の帰りが遅いので、当店に問い合わせをするという可能性がございます」

 

「ふむ。今までにそれを理由に高校生から問い合わせがあった事は?」

 

 彼女が知る限り、生徒に加え保護者までこの世界に捕らわれた家族は無かったはずだ。仮に一家揃ってこの世界に捕らわれてしまえば、学費など諸費用の支払いが困難になる。現実世界で振込の手続きをできる人が誰もいなくなるからだ。あまり表立っては言えない事だが、未払いの可能性があればあらかじめ把握しておけるように、早期に学校関係者がそれを調査したはずである。

 

 そうした理由で、彼女は期待をせず機械的に問い掛けたのだが、バーテンダーの回答は彼女の予想通りであった。

 

「高校生に限らず、問い合わせの連絡が店に来た事はありません。なにぶん、連絡をしたい時には直接連絡が可能な状況ですので」

 

 聞く人によっては「ならば最初から言うな」と怒りかねない返答だったが、彼女は彼の発言に残念そうな気配が漂っていた事で、そうした気分にはならなかった。現実世界でも最近は怪しいが、それでも彼女が産まれる前の時代ならあちらの世界では充分に有り得た事が、この世界では殆ど起こり得ない。その事に対して、彼は残念がっているのだろう。

 

 時代に取り残される悲哀のような感傷をNPCから感じるのも変な話だが、ここまでの会話を通して、彼女は目の前のバーテンダーに実在の人に対するのと同じような親しみを感じていた。彼がNPCでさえなければ、と何度目かの呟きを脳内で繰り返して、彼女は話を再開する。

 

 

「そういえば……彼女が独りで来る事ばかり考えていたが、頻回にここを訪れる、高校生を含む一団は居るのかね?いや……高校生で、週に何度もここにやってくる生徒は居るか?と聞いた方が適切だな」

 

 彼女のこの質問は、彼女にとって想定外の要素を含んでいた。つまり先ほど苦し紛れに「客として来る以外」の可能性を尋ねた上で、今回「客として」という制限を発言の中に加えなかったのは、全くの偶然である。だが、彼女があれこれと考えを尽くしたからこそ、この偶然を招き寄せたと言って良いだろう。

 

「お客様として、週に2回以上の頻度でご来店される高校生は、現時点では存在しません。但し、バイトとして平日に当店を訪れる高校生は居ります」

 

「な……!それは何という名前の生徒なのだろうか?いや、まず我が校の生徒なのか確認したいのだが」

 

「申し訳ありませんが、バイトの個人情報をお伝えして良いのか、私には判断が付きかねます。貴女が担任ならばお知らせしても良いのか、同じ学校の教師ならば良いのか、同じ学区の教師ならば良いのか、それ以外の場合でも良いのか、それは運営に判断を仰ぐべき要件だと私は思います」

 

 やっと得られた手掛かりを前にして、勢い込んで詳細を求める彼女だったが、それに対するバーテンダーの口調は苦いものであった。自分ではどうにもならない権限の問題であるが故に、彼にはどうする事もできないのである。

 

 やはり運営に連絡して情報の開示を申請すべきかと彼女は考えたが、本能的に面倒な気がして彼女はそれを躊躇する。だいたい権威だとか規則だとかそうしたものを備える上の存在は、彼女としては苦手なのだ。

 

「ならば、答えられる範囲で教えて欲しいのだが。……そのバイトは平日にここに居るのだね?」

 

「貴女の誠実な姿勢に敬意を表して、少しだけおまけしますと……そのバイトは平日に、そして明日もここに居る予定です。そして、そのバイトはNPCではありません」

 

 実在の人間とまるで区別の付かない様子で、彼はウインクをしながら彼女にその情報を教えてくれた。それに対して彼女も曇りのない笑顔で応える。NPC相手に良い雰囲気になっている平塚先生であった。彼の返答には理由があって、途中から運営が2人の会話をモニタしていた事がおまけ情報に繋がっているなどと、彼女は知らない方が良いだろう。知らない事が人を幸せな気持ちにしてくれる事は、世の中に幾らでもあるのである。

 

 

「とても有意義な時間を過ごせた。また次回はゆっくり時間を取って来よう」

 

「お客様のまたのご来店を心よりお待ちしています。願わくば、その際には貴女の悩み事が完全に解決していますように」

 

 運営を介さない滑らかな口調で、NPCにすぎないはずのバーテンダーは心からそう思いながら、生徒に対して親身になれる彼女を見送る為に先導する。深々とお辞儀をする彼に見送られて、彼女はエレベーターに乗り込みロビーへと降りて行った。

 

 この店でバイトをしている高校生が川崎である保証は無い。もしかすると他校の生徒かもしれない。だがその場合でも、彼女の自慢の生徒達が視界を広げる要因にはなるだろう。

 

 試験直前という時期を危ぶむ気持ちはあるが、しかし良い機会である。だいたい試験直前だけ勉強して何とかなるものでもないし、結果が思わしくなければ彼女が補習をしたり他の教科の先生方にもお願いをすれば良いだけだ。だが、このような勉強の機会は作って得られるものではない。

 

 翌日の部室でどのように話を持って行こうかと考えながら、彼女は楽しげに笑顔を浮かべて、ホテル・ロイヤルオークラを後にするのであった。




次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
「客として来る以外」を尋ねた時点で条件を1つクリア→次に「客として」と限定せず質問した事でバイトの情報を解禁という流れが少し伝わりにくいと思えたので、簡単に説明を加えました。(10/20)

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