俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

39 / 170
この章のボス戦その1です。



14.ここに彼女らの初対戦がはじまる。

 部室の扉に手をかけて、平塚静教諭はいつもの通りにそれを勢いよく開けた。室内には親密な空気が漂っていて、それに気付いた彼女は少しだけ表情を崩しながら部屋の中へと入って行く。教師の後ろにいた川崎沙希は詳しい事情を聞かされていない模様で、この用事が済んだ後の事を考えながら先生の背中に続いていたので、教室にいる面々に気付くのが遅れてしまった。

 

「川崎はこの椅子に座りたまえ」

 

 そう言われて腰を下ろそうとした時になって初めて、彼女は自分と向き合う位置に座っている肉親の姿に気付いたのである。

 

「大志……。あんた、こんなとこで何してんの」

 

 疑問を投げ掛けるというよりは詰問に近い喋り方で、彼女は対面の弟に向けて口を開く。それに対して川崎大志は、とても一言では説明できない事だけに口ごもる。じっと弟の様子を観察していた彼女は1つ息をついて、長机の周囲に集まった面々を順に確認していった。

 

 彼女から見て右手には、同じ学年の有名人である雪ノ下雪乃が上座を占めていた。その隣には同じクラスの由比ヶ浜結衣と戸塚彩加も控えている。妙な組み合わせだなと内心で首を傾げながら視線を左手に移すと、付近の中学の制服を着た女子生徒がいる。弟が時々話題に出して来る比企谷小町という名前の女の子が、もしかすると彼女なのかもしれない。その隣には最近何度か遭遇した同じクラスの男子生徒がいる。名前は知らないが、専業主夫を志望したり遅刻をしたりと、世の中を舐めた軽い男という印象だ。あまり弟に変な影響を与えないで欲しいのだが。

 

 周囲を確認する彼女の様子を眺めながら、平塚先生は雪ノ下を挟んで由比ヶ浜と反対側に椅子を落ち着けて腰を下ろす。そしてそれが合図であったかのように、雪ノ下が口を開くのであった。

 

 

「さて、川崎沙希さん」

 

「雪ノ下……」

 

 お互いに呼び掛けあっただけだが、その声音は対照的だった。冷静さを通り越して冷ややかとさえ表現できそうな口調の雪ノ下に対して、川崎のそれは今にも親の仇とすら言い出しかねない敵意が込められている。思いがけず白熱する2人の間の空気によって、他の生徒たちは口を挟む余裕もなく彼女らの様子を見守るのみである。

 

「そこの弟さんが貴女のことを心配しているという話なのだけれど。学校外での素行について、何か申し開きする事はあるかしら?」

 

 相手から向けられた敵意など涼しい風で受け流して、大上段から斬り込む雪ノ下であった。熱い対決が好きな女性教師は苦笑しながらも目を輝かせている。そして比企谷八幡は、いきなり裁判のような事をおっ始める部長の姿を見て全力で他人のふりをしていた。

 

「あんたには関係ないよ」

 

 余分な事は何も喋らず、ただ端的に会話を打ち切ろうとする川崎であった。どうやら余計なお節介を持ち掛けて来たみたいだが、彼女がそれに乗る必要はない。他の生徒との交流の機会が乏しかったので、親身になってくれる相手にどう対処していいのか分からない川崎だが、眼前の女子生徒は彼女にとって敵である。ならば慣れた対応で問題ない。

 

「現に弟さんから私たち奉仕部に相談が持ち掛けられているのだから、関係はあるわね。それに私としても、同じ高校の生徒が放課後に他人に言えないような事をしているのだとしたら、無関係では済まされないわ」

 

「奉仕部?……部活の事は分かんないけど、大志が心配するような事は何もないし、あたしも人様に迷惑をかけるような事はしてないよ。あんたの勘違いで人を悪者にしないでくれる?」

 

 どうにも会話が噛み合わない2人であった。とはいえ他の生徒たちが口を挟める雰囲気ではないし、彼女らを眺める教師は当面は不介入の姿勢である。そして2人の対話は少しずつ熱を帯び始める。

 

 

「私の勘違いであれば後できちんと謝罪しても良いのだけれど。放課後に貴女が何をしているのか話せないというのであれば、貴女の言葉を信じる事は難しいのではないかしら?」

 

「個人的な事をぺらぺら喋る趣味はないんだよ。とにかくあたしは悪い事はしていない。それ以上の説明って、要る?」

 

「……そうね。確かに、初めて喋るような相手に個人的な事を話すのは気が進まないという貴女の意見には同意するわ。でも、それは弟さんにも言えない事なのかしら?」

 

 自分に非があれば謝罪の用意があると言ってみたり、川崎の主張に一部同意したりと、雪ノ下はうまく会話をリードできている自覚があった。その最大の要因は、先程の雑談の中で部員たちに認められた確固たる意志が彼女の中にあるからだ。自分の目が黒いうちは決して脱落者など認めないと、彼女は内心で誓いを新たにしながら再び対話に集中を戻すのであった。

 

「だから大志が心配するような事は何もないって言ってんの」

 

「現に貴女を心配している弟さんに向かって、同じ事が言えるのかしら?」

 

 雪ノ下にそう詰め寄られて、川崎は一瞬口ごもる。自分の予備校のための費用や弟の予定外の出費にも対応できるようにバイトをしている事は、誰にも教えたくない。かといって、バイトが終わった後に外で勉強してから帰宅している事も、何だか気恥ずかしくて喋りたくない。確かに深夜の帰宅が続いている事を弟が心配する気持ちは理解できる。しかし彼女は勉強を最優先に過ごさなければならないのだ。集中して勉強できている今の環境を、できればこのまま継続したいと彼女は考えているのである。

 

 遅い時間帯に家の外で勉強している事は、高校生としては本来褒められた事ではない。しかしこの世界では、他者から危害を受ける可能性はほとんど無い。中高生の夜の外出をシステム的に制限する事はもちろん容易だが、運営側は深夜のコンビニへの散歩などが良い気分転換になる事を知っていたし、そうした行為を妨げたいとは思わなかった。ならば身の安全が確保された環境にすれば良いという発想で、彼らはこの世界を構築しているのである。

 

 だから川崎からすれば、家の外で勉強している事さえ告げておけば万事は上手くまとまる可能性が高かった。それができなかったのは、ひとえに彼女が他の生徒たちとの交流に慣れていなかった点にある。何をどこまで話していいのか判断がつかず、結果として何も喋らないか全て話すかの両極端の選択しか思い浮かばなかった事に彼女の問題があった。ゆえに彼女は肉親の情に訴える。

 

「大志。あんたが心配する事は何も無い。家族に誓って、あんたに迷惑を掛けるような事はしない。だからもう少し、今の生活を続けさせて」

 

「……それでもし、貴女が悪い道に嵌まり込んでしまったらどうするのかしら?私は、この高校の全ての関係者が無事に揃って外の世界へ戻れるように全力を尽くしたいと思っているし、だからこそ今の危うい貴女をそのまま釈放するわけにはいかないの」

 

 

 それは雪ノ下からすれば勇み足の発言だったと言って良いだろう。彼女が信奉する意思を明確に表明して、それによって川崎に自分が敵では無いと伝える事は悪い手ではないのだが、残念ながら彼女は少し踏み込み過ぎてしまった。その原因は、彼女の意思を部員に認められて必要以上にやる気になっていた事や、彼女も対人の会話経験が乏しく相手との距離を上手く測れなかった事だけではなかった。

 

 雪ノ下が対話の当初から川崎に冷たい視線を送っていたのは、彼女自身に原因があった。つまり、ろくな説明もなく弟に迷惑を掛ける姉という存在に対して、弟と妹という性別の差はあれども同じく下の子という視点から反感を抱いていたのである。

 

 そして不幸な事に、川崎の側にも雪ノ下に反発する要因があった。

 

「あんたのその余計なお節介が、あたしには迷惑だって言ってんの。全校生徒に向けて偉そうに演説してたけど、あたしはあんたの指図は受けないよ」

 

 川崎の当面最大の目標は、姉弟そろって1年でこの世界から出る事である。他の生徒たちと違って、彼女らの家庭はただでさえ余裕のない状況だったのだ。彼女が自分の時間を幼い妹弟のために費やして、それでなんとか維持できていた家族の暮らしは、今やかなり厳しいものになっているだろう。

 

 川崎とて雪ノ下の演説に当初から反発していたわけではない。事件当夜の時点で、生徒や教師の『内部分裂を防がなくては』という姿勢を打ち出すなど誰にでもできる事ではないし、『一部の人だけが可能な案を採用することは、結局は誰にとっても得のない展開に』という指摘も深く頷けるものがあった。川崎家の状況が逼迫したものでさえなければ、こうして雪ノ下に反旗を翻す事はなかっただろう。無事に元の世界に帰る事だけを優先できる状態なら、彼女は喜んで雪ノ下に協力していたかもしれない。しかし前提条件が覆せない以上、譲れないものは譲れないのである。

 

 今の川崎にとって雪ノ下は、生徒の足並みを揃えるために自分の足を引っ張ろうとする敵である。裏切り者と呼ばれようとも、彼女は他の生徒の事など考慮しないで、彼女自身の目標に向けて邁進しなければならないのだ。

 

 

「それで、平塚先生。話がこれで終わりなら、あたしは帰ってもいいですか?」

 

 雪ノ下が気合の入れた反論を行おうと口を開きかけた瞬間、川崎は機先を制して先に声を出す。長年すぐ下の弟とあれこれ言い争いをしていた経験から、川崎は雪ノ下の気配を察知して先んじる事ができたのである。妹属性が姉属性に一歩及ばなかったという事なのだろう。

 

「……ふむ。川崎には突然の話になったが、お互いの主張は出せたみたいだしな。とりあえず今回はいったんお開きにしようか」

 

「これで終わりにして欲しいんですけど。……まあ、帰してくれるならいいです。大志も変なところで油を売ってないで、帰って勉強を頑張んな」

 

 そう川崎は言い捨てて、教室を後にするのであった。

 

 

***

 

 

 部室では、残された面々が困惑した表情のまま、誰も口を開く者がなかった。家族に誓ってという川崎の話し方からして、すぐに悪い事になりそうな様子は無い。しかし雪ノ下が言った通り、もしもこの先に悪い展開に陥ってしまって、あの時に手を打っておけばと後悔するのも避けたいところだ。

 

 対話をしていた当事者である雪ノ下は何やら思案を続けているし、大志はどうすれば良いのか判らない様子である。その他の面々にしたところで先ほどの雪ノ下以上の意見があるわけでもなく、むしろプライベートな事に首を突っ込みすぎたかと危ぶむような雰囲気もある。

 

 そんな中、生徒たちの様子を観察していた平塚先生がようやく口を開いた。

 

「さすがの雪ノ下でも、一筋縄ではいかない様子だな」

 

「そうですね……。やはり情報が足りないですね」

 

 教師の挑発気味の発言に対して、最初は考察に頭を引き摺られた状態のまま生返事を返しただけだったが、瞬時に頭を切り替えた雪ノ下は問題の急所を指摘した。要は依然として判らない事が多いままなのである。

 

 弟にすら何も告げていない上に、川崎の普段の交友関係を考えても、本人以外から情報を得るのは困難である。そうした事前情報から直接対話に踏み切った雪ノ下だったが、初戦の戦果は思わしいものではなかった。だが、話し合ってみて解る相手の性格というものもある。

 

「ただ、ああは言ったものの、川崎さんの性格からして即座に酷い事態に陥る事はないと考えて良いと思います」

 

「ふむ。実際に拳を突き合わせてみて、信頼できる性格だと見抜いたのだな?」

 

「おそらく漫画雑誌の読み過ぎだと思いますが、概ね妥当な表現なのが少し腹立たしいですね」

 

 教師に対して遠慮のない発言をする雪ノ下であった。本人としては今日の昼休みに『教師を使うのが上手くなって来た』と言われて嬉しくて、少し調子に乗って可愛らしい事を言ってみただけなのだが、平塚先生は少々落ち込んでいる模様である。

 

 

「あの……。役に立つ情報なのか判んないっすけど……」

 

 そんな中、大志が何かを思い出したのか、小声で話を始める。見目麗しい女性陣や戸塚には話し掛けにくかったのか、彼は小町を視界に入れつつ八幡に向けて話し掛けた。

 

「姉ちゃん、こないだ独り言で『エンジェルに連絡、忘れないように』って言ってたっす。もし姉ちゃんが変な店に行ってたら……」

 

 エンジェルと変な店が結び付かず首を傾げる女性陣を尻目に、八幡は深く頷く。エンジェルと名の付く店に川崎が出入りしているのであれば、事態は想像以上に切迫しているのかもしれない。

 

「大志。お前の不安が俺には伝わったぞ」

 

 長い沈黙を強いられた事もあって、少し大仰な言い回しで返答する八幡に、大志は我が意を得たりと感動した眼差しで応える。

 

「お、お兄さんっ!」

 

「ははは、お兄さんって呼ぶなよ。……SATSUGAIするぞ?」

 

「だから比企谷くん、犯罪予告は止めなさい」

 

 いつかのファミレスでのやり取りを懐かしく思い出しながら、雪ノ下はひとまず八幡に注意を促す。その上で彼女は今後の方針を語るのであった。

 

「では、そのエンジェルという、お店なのかは判らないのだけれど……。それを手掛かりに、川崎さんが変な事をしでかすのを阻止する方針でいきましょうか。初戦は残念な結果だったけれど、あれで勝ったと思わない事ね」

 

「だからお前、何と戦ってんだよ?」

 

「あら。意外かもしれないのだけれど、私は案外負けず嫌いなのよ?」

 

「意外もなにも、お前は見るからに負けず嫌いだよ!」

 

 そんな八幡の叫び声を合図にして、今日の部活は終わりを告げたのであった。

 




前回の投稿後にお気に入りが200を超えました。皆様のお支えがなければ、ここまで作品を書き続ける事はできませんでした。本当に感謝の言葉しかありません。

総文字数が20万を超えた頃にふと検索してみたら、俺ガイル原作800弱の中で20万字以上の作品は33作ありました。うち、お気に入り200未満は本作含め4作だけでした。数字は残酷ですが、たとえマイナーな作品でも、自分が読みたい・書きたいと思う結末があって、そして3桁を超える方々がお気に入りを維持して下さっている現状がありました。

お盆に連載を再開して以来、より多くの方々に読んで頂けるようにと取り組んだ事の大半は効果がなく、1話と最新話のUA比率(約3%)は悲惨なものです。大多数から見向きされない現実は辛いものですが、それでも私が今書きたいのはこの章の最終話と次巻に繋がる幕間のお話で、それらを本作にお付き合い下さっている読者の方々にも読んで欲しいという思いのお陰で、こうして更新を続ける事ができています。

少し重苦しい話になりましたが、とにかく区切りまでしっかり書き切る事を目指して今まで通りこつこつと話を進めていきますので、よろしくお願いします。


次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
誤字を修正しました。(10/9)
細かな表現を修正しました。(11/15)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。