俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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真面目な話が続きます。



13.どんな世界でも彼女の意識は家族と共にある。

 放課後のその部室では、見目麗しい3人の生徒たちが集まって雑談をしていた。奉仕部の部長である雪ノ下雪乃と部員の由比ヶ浜結衣、そして由比ヶ浜と同じクラスの戸塚彩加である。

 

 比企谷八幡は彼の妹である比企谷小町と、ついでに今回の依頼人である川崎大志を校門まで迎えに行って、まだ戻って来ていない。部屋の中で彼女らがテスト対策の話をしていると賑やかな話し声が廊下から聞こえて来て、やがて部室の扉がゆっくりと開かれた。

 

「あ、小町ちゃん。やっはろー!」

 

「結衣さん、やっはろーです!雪乃さんと戸塚さんも!」

 

 部屋の内外から元気な少女の声が行き交って、途端に周囲は華やかな空気に包まれる。小町の挨拶に戸塚は「やっはろー」と応え、雪ノ下は少し迷ったのか反応が微妙に遅れたが、結局は礼儀正しく「こんにちは」と返事をした。

 

「てか、その変な挨拶って流行ってんの?あんま小町に変な事を教えんなよ」

 

「出た、シスコン!」

 

 表面的には「うわっ」という表情をしながらの返答ではあるが、由比ヶ浜の目に呆れの色はなく温かい眼差しである。言われた側にもそれは伝わっているのか、特に気分を害するでもなく軽い口調で言い返す八幡であった。

 

「この程度でシスコン認定されてたら、千葉で兄妹なんかやってらんねーぞ。つか、戸塚までわざわざ悪かったな」

 

「ううんっ!ぼくも昨日一緒に居たんだし、同じクラスの川崎さんの為だしね。それとも……ぼくが付き合うと、八幡は迷惑?」

 

 そう上目遣いで尋ねる戸塚の言葉を肯定できる者など、果たして居るのだろうか。彼の圧倒的な女子力を目の当たりにして、八幡はしどろもどろに否定するのみである。

 

「いや、その……。迷惑なわけ無いっていうか。俺は、戸塚が付き合ってくれると、嬉しいっていうか。……付き合って欲しい、っていうか、なんだ」

 

「良かった。それとね、ぼくが依頼に付き合う代わりに、また入れて欲しいってお願いしたんだ。だから勉強会も一緒によろしくね」

 

「お、おう。勉強会に、入れるって話だよな?うん、大丈夫。全く問題ない」

 

 何故か早口で捲し立てるように喋る八幡であった。そんな彼の様子を見て首を傾げる女性陣だが、八幡が変な事を言い出すのにも慣れてしまったのか、幸いにも追求の声は上がらなかった。そして彼女らの視線は、1人の男子中学生へと注がれる。

 

 

「川崎くんは、その真ん中の席に座ってもらえるかしら?普段ならその逆側の依頼人席に座ってもらうのだけれど、そちらには川崎さんが来ると思うから……」

 

「じゃあ小町は、お兄ちゃんの近くに控えていますねー」

 

 奉仕部の3人の席はいつもと変わらず、由比ヶ浜の右隣には戸塚が座る椅子がある。大志はその更に右側、長机のちょうど半ば辺りに準備された椅子に向かってゆっくりと歩いて行き、小町は椅子を兄の近くに寄せて元気に腰を下ろした。

 

「まずは素直に、川崎さんに事情を尋ねてみようと思っているの。それで川崎くんが納得のいく説明を得られれば良し。話してくれないのであれば、こちらで勝手に事情を探る事になるかもしれないのだけれど……。お姉さんのプライバシーも尊重したいので、その辺りは川崎くんと相談しながらという形になると思うわ。大まかな方針としてはそれで良いかしら?」

 

「それで大丈夫っす。今は親にも相談できないし、途方に暮れていたので本当に助かります」

 

 雪ノ下の説明を充分に理解して素直に返事をする大志からは、安心したような様子が窺える。彼としても最終的に問題が解決するのを望んでいるのは確かだろうが、それ以前に相談できる相手がほとんど居ないという状況を打破できた事を実感して、少し肩の荷が下りた気持ちなのだろう。

 

 そんな彼の心情を知ってか知らずか、雪ノ下は静かに、しかし相手を突き放すような冷たい口調とは違った冷静な話し方で言葉を続ける。

 

「お礼は事が済んでからで良いわ。それに、この世界で脱落するような生徒を出したくないのは私も同じ気持ちだから……」

 

「あー。確かお前、最初の演説でもそんな事を言ってたもんな」

 

「あ、この世界に閉じ込められた日の事だよね?あの時のゆきのん、凄かったなー」

 

 これまでの経験から、話した内容の大部分は聞き流されていると諦めていた雪ノ下にとって、部員2人のこの発言は意外なものだった。彼女の姉はそうした傾向を理解した上で、話のポイントになる部分と結論を強調してその他の部分は流すような論説を行う。しかし生真面目な彼女は姉と違って一切の手抜きを良しとせず、発言の始めから終わりまで全てに気を配った論陣を張るのが常であった。

 

 彼女が既に述べている事に対して、それを聞き逃していたなどと思いもしないのであろう偉そうな態度で反論を寄越す、賢しらぶった連中が居た。結論を早く言えと気の急いた事を言いながら、自身の理解力の無さを棚に上げる連中も居た。もちろん雪ノ下はそうした連中を完膚なきまでに論破して来たのだが、10を聞いて1しか伝わらない相手ばかりだと気が滅入るのも仕方のない事であろう。たとえ彼女が、1を求める相手に10の情報量を与えるような話し方しかできないのだとしても。

 

 前提条件を聞き流され、結論しか覚えてもらえないのはよくある事だった。まれに結論に至るまでの考察を褒められて、嬉しい思いをする事もあった。しかし論理の起点にある彼女の意志に言及する人はほとんど居なかったし、せいぜい家族に否定的に評されるのが関の山だった。

 

 だがしかし、彼女の意志を認めてくれる人も中には居るのだ。それも同学年に2人も。

 

 雪ノ下は改めて奉仕部という存在に内心で感謝を捧げる。そして部員やその家族、親しい仲の生徒や依頼人の期待に全力で応える事を誓いながら、少し照れくさそうに微笑むのであった。

 

 

 程なくして、教室のドアが勢いよく開かれた。

 

 

***

 

 

 川崎沙希は4人きょうだいの長女として育った。彼女の2つ下に弟が居て、そして年の離れた妹と弟が居る。両親は共働きで忙しそうだったが、子供が2人の頃はよくある家族の形だったと言って良いだろう。仕事に奪われた時間を質で補おうとするかのように、両親は2人の子供に惜しみない愛情を与えてくれたし、お陰で彼女と弟はすくすくと育つ事ができた。

 

 運動神経は良いものの人と群れるのが苦手な娘を、両親は色々と相談を重ねた末に近所の空手道場に通わせる事にした。両親としては水泳や体操などを習わせたかったのだが、見学に行った先で彼女が一番興味を示したのが空手だったのだ。幼い彼女は幼いながらに自分の弱点を理解していて、見栄えよりも自分で自分の身を護れる術を求めていたのである。独りで過ごしても大丈夫なように。そして、いざという時には家族を護れるように。

 

 彼女が小学校の高学年に上がる頃に妹が産まれ、次いで2人目の弟が産まれた。それによって、彼女の生活は以前とは違った形になった。子供を4人養う為に、まず必要なのはお金である。両親は今まで以上に仕事で忙しい日々を送ることになり、すぐ下の弟や幼い妹弟の世話は必然的に彼女が受け持つようになった。

 

 もともと彼女は同世代の女の子と一緒に遊ぶのが苦手だった。彼女の口下手にも原因があるが、本質的に話が合わないのである。両親の影響で堅実な考え方をする事が多かった彼女は、同世代の女子が恋い焦がれるアイドルなどに興味が全く湧かなかったし、それに関連したグッズを求めるのは単なる浪費としか思えなかった。そんな無駄な出費などしなくても、可愛いものも格好良いものも幾らでもあるじゃないかと彼女は考えていたのである。

 

 空手を嗜む傍ら、彼女は母親から基本だけ教えてもらった編みぐるみに熱中していた。自分の手で可愛らしいものを生み出せる感動を知っている彼女からすれば、値段の割に質の悪いグッズなどには魅力を感じられなかった。そして逆に同世代の普通の女の子としては、彼女が作る貧乏くさい編みぐるみには魅力を感じなかったのである。

 

 彼女が空手を習っている事は周知の事実だったので、表立った虐めなどに発展したわけではない。ある意味ではこの時、彼女は空手によって身を護られたと言って良いのだろう。彼女と同級生の女子とはお互いに関与しない関係を維持するようになり、そして彼女は独りの時間を家族の為に費やした。

 

 

 中学に入る頃には、平日の家族の食事は彼女が作るようになった。幼い妹と弟の服も、彼女やすぐ下の弟のお古を仕立て直して、節約をしながらも見た目がみすぼらしくないものを着せてあげられるようになった。そして同級生と話題が合わず生活臭がにじみ出る彼女には、中学でも深い仲の友人はできなかった。

 

 長身ですらりとした美人に育った彼女は中学に入ると告白される事も増えたが、誰とも知らない相手と付き合うなど堅実な彼女には思いもよらない事だった。どうして彼らは、ほとんど会話を交わした事のない女性に告白などという大それた事ができるのだろうか。

 

 彼女にとっては人気の少ない場所に呼び出されて告白されるだけでも気の滅入る話だが、問題は断った後にもあった。ちっぽけなプライドを取り繕う為なのか、「川崎と付き合ってもコブ付きだしな」などという心ない暴言を受ける事が時々あったのだ。直接それを言われるのも嫌だが、間接的に耳に入るのも辛いものである。弟たちの世話をするのを嫌だと思った事はないが、苦労がないわけではない。それでも家族の為にと思って過ごしているのに、どうしてそんな風に言われなくてはならないのだろうか。

 

 彼女にはもともと進学希望はなかった。得意科目が体育と家庭科である。進学をせず働きながら家の手伝いをして、早く嫁に行くのが親孝行だと思っていたのだが、中学での日々を経て少しずつ考え方が変わってきた。幼稚な考え方の同級生男子を見て、彼らに生計を託すよりは自分で稼げるようになりたいと思うようになったのである。告白に関連した嫌な経験を前向きな方向に転化できたのは、堅実な両親の教育が良かったのだろう。

 

 大学の学費の事を考えると国公立を目指すのが当然である。そして国公立の大学に入る為には少しでも上の高校に進学しておいた方が有利である。彼女はそう考えて家事の傍ら勉強に身を入れるようになり、そして見事に付近では有名な進学校である総武高校に入学できたのである。

 

 

 高校に入っても家の事を優先する彼女の姿勢は変わらなかった。周囲の同級生との関係は互いに関せずという相変わらずのものだったが、それでも中学の頃とは少し雰囲気が変わっていた。彼女の手作りのシュシュに向ける視線は以前と違って温かいものが多かったし、幼い妹や弟の世話をしている事に対しても同情や見下すような態度を向けられる事は少なくなった。少しずつではあるが、周囲の精神年齢も上がってきたという事なのだろう。

 

 家族の事を第一に、次いで勉強の事を考えながら過ごしていた彼女にとって、この世界に捕らわれた事は状況の激変を意味した。そして彼女は、幼い妹弟の世話をしなくても良くなった、などと考える性格ではなかった。

 

 当初は自分だけが捕らわれたと思っていたが、この世界ですぐ下の弟と再会した事で、あちらの世界に両親と幼い妹弟が残されている事を彼女は把握する。たとえ彼女ら2人の食費などが節約できるとしても、授業料など固定の費用に変化がない以上、両親は仕事の量を減らす事はできない。では、まだ小学生にもなっていない妹と弟の面倒は誰が見れば良いのだろうか。

 

 ここで彼女の方針は決まった。弟と一緒に何としてでも1年でこの世界を出て、苦労しているであろう両親を手助けするのである。その為には勉強を最優先しなければならない。

 

 しかし、そんな彼女の方針に異を唱えるかのように、彼女にとって付き合い慣れた問題が眼前に姿を見せる。つまり勉強の為に予備校に通いたくとも、その為の費用が無いのである。同級生の会話を耳に挟んだ限りでは、予備校に通う生徒は親からその分の費用を余分に出してもらって通う事になるのだという。だが、彼女にはそれは不可能なのだ。

 

 幸いな事に、彼女の高校の学費や弟の塾の費用は既に捻出済みである。後は彼女の予備校の費用と、そして弟が仮に別の塾の夏期講習などに参加したいと思った時には気前よく送り出してあげられるだけの手持ちが準備できれば良い。何の疑問もなく後者を計算に入れられる辺り、彼女のブラコンは相当のものだが、当面誰にバレるわけでもないので問題はないだろう。とにかく先立つ物さえクリアできれば良いのである。

 

 こうして彼女は、この世界では珍しい事にバイトに精を出す学生という肩書きを獲得する。バイトの後にファーストフード店やカフェなどで勉強をして帰る方が家で勉強するより捗る事に気付いて、彼女の帰宅時間は日に日に遅くなっていった。そんな無理が祟って、月曜日だというのに遅刻してしまい授業を受けられなかったのは彼女にとって痛恨の極みだったが、幸いな事に国語担当の教師が親身になって授業内容の概略を伝えてくれたので、勉強の遅れは発生していない。

 

 その教師から、今日もまた放課後の呼び出しを受けた。理由を思い付かず首を傾げながら、彼女は放課後の廊下をゆっくりと歩いて、職員室へと向かうのであった。




原作からの微妙な変更点として、この作品での川崎は勉強優先なので無遅刻無欠席を目指しています。ついでに八幡も、ぼっちはノートを貸して貰えないので遅刻や欠席をなるべく避けるよう心掛けています。

なお、雪ノ下の演説は1巻4話をご覧下さい。
もしもご覧頂いて、更に気になる点などをご指摘頂けると本当に助かります。

次回は日曜日に更新です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。(11/15)

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