俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回から原作2巻の内容に入ります。
2巻は最終話で章を分けず、それに続く「ぼーなすとらっく!」「幕間」と題した各話も含めた構成になります。その後に章を分けて3巻に入る予定です。
引き続き楽しんで頂けるように頑張ります。



原作2巻
01.そんなわけで彼は風に感謝を捧げる。


 朝の通学路を、比企谷八幡は自転車をこいで進んで行く。彼の後ろには妹の比企谷小町が乗っていて、兄に向けて元気に語り掛けている。仲の良い兄妹の、いつもと変わらぬ通学風景であった。

 

「さっきジャムってたのは、言われないと気付かなかったなー」

 

「いやお前、ジャムるの使い方が間違ってるだろ」

 

「ちょっとお兄ちゃん、なに言ってるか分かんないよ。大丈夫?」

 

「それはお前だお前っ!」

 

 

 システム的な側面から考えると、2人がこうして自転車で通学するのは無駄の多い行動ではある。この世界に閉じ込められた当初に彼らに割り当てられた個室が自宅のリビングと繋がっているからだ。各々の個室は各々が向かう校舎の上空に位置しているので、リビングから個室を経由して通学すれば教室まで短時間で辿り着ける。

 

 実際に彼ら兄妹も、寝過ごした時などにはそのルートで通学している。しかし、そのような通学の仕方を毎日続けるのも何だか味気ないものだ。朝の時間帯にたとえ数分でも睡眠時間を増やせる事はこの上ない幸福感をもたらすが、それも過ぎてしまえば呆気ない。それよりも2人で一緒に通学する事の方が、1日という単位で考えると充実感を遙かに持続させるのである。

 

 そんなわけで彼ら兄妹は今日も仲良くパン食をして、2人そろって家を出て来たのであった。

 

 

「そういえばお兄ちゃん。この世界でも事故ってあるのかな?」

 

「さあな。まあ、お前が乗ってる時は5割増しで気を付けてるから、安心しとけ」

 

「お。お兄ちゃん、今日は妹への愛が良い感じですなぁ」

 

「言っとけ。てか前みたいに『お尻が痛い』とか『傷物にされた』とか外で騒ぐのは無しな」

 

「あれはお兄ちゃんが、でこぼこ道ばっか走ってたのが原因じゃん」

 

「だから学習したんだよ。つーか、ご近所さんに俺の無実を証明してくれ」

 

「うーん。ま、帰ったら考えとくね」

 

「誤解を残したままこの世界に来ちまったってのも、何だかなー」

 

 既にこの世界に閉じ込められてから1ヶ月半もの時間が経過しており、あまり屈託することなくそれを話題にしている2人であった。良くも悪くも、慣れれば慣れるものである。1年以上前の事故の話もまた、彼らにとっては同じ事なのだろう。逸れた話題を元に戻して、妹が兄に話を振る。

 

 

「でもさ、あのギブスってよく効くよね。早く治ったの、あの石膏のお陰じゃない?」

 

「あれ、最近はグラスファイバー製らしいぞ。あとギプスが正解な」

 

「ふぅん。ま、それはどうでもいいや」

 

「おい……」

 

「新学期にね、また4月が来たよって、同じ日のことを思い出してたんだよねー」

 

「今年は入学式が早かったから、日付で言うともうちょい先だな。てか正直、入学式の日に何もなくて、俺も少しほっとしてたんだが」

 

「2年続けて変な事に巻き込まれてるよね。お兄ちゃん、お祓いとか受けた方がいいんじゃない?」

 

「この世界でもお祓いって効果あんのかね?」

 

「ちゃんとお菓子とかお供えしたら効果あるかもよ?小町的にはプレナの……」

 

「それ、お前が食べたいだけだろ」

 

 

 この世界が稼働した当初から運営会社とタイアップしていた企業だけでなく、最近は色んなお店や商業施設がこの世界でも開業している。閉じ込められた側からすれば、捕囚という犯罪行為を続けている運営に協力するかのような動きは不可解でもあり腹立たしくもある。だが、お店が軒並み閉まっている町並みを眺めながら日常を過ごせと言われてしまうと、それもぞっとしない。結局は、無いよりは有った方が良いという結論にならざるを得ないのである。

 

 

 今やこの世界で営業中の店舗は飲食店から衣類やアクセサリーのお店まで多岐に渡るが、何かを手に入れるには代価が必要である。

 

 飲食という点では彼らゲストプレイヤーには3食が保証されており、通常は学校や家などで配膳を受けるのだが、それと同等の食事内容なら外で無料で食べる事もできる。たまには高級食材を食べたいと思えば、差額を上乗せするか、それとも毎日の献立を少し減らして節約すればいつかは可能になる。節約した費用を食事以外の目的で使用できないのが辛いところだが、こうしたやり繰りが認められているので工夫のしがいがあるし、過去の食事内容から1日ごとの栄養バランスが表示される事もまた、挑戦者たちの意欲を駆り立てる要因になっていた。健康的に節約するのだと彼らは盛り上がっている様子である。

 

 だが、いくら兄妹とはいえ、自分の食事を削ってまで妹にお菓子を買って来るのは割に合わない。食べて消えてしまうものに貴重なお金を費やすのも気が進まない。あまり舐めた事を言うようなら、たしなめなければと兄は密かに身構えるのだが、そんな気配を察知できない妹ではない。八幡の機先を制するように、小町は少し話題を逸らしながら会話を続けるのであった。

 

 

「そういえば、去年もらったお菓子、美味しかったなー」

 

「は?お菓子あげるとか言われても、知らない奴にはついて行くなよ」

 

「違うって。お兄ちゃんが助けたワンちゃんの飼い主さんにもらったの」

 

「ああ、由比ヶ浜か。そういや家に来たとか言ってたな」

 

「およ?お兄ちゃん、学校で会えたんだね」

 

「まあ、一応な。……ってちょっと待て。そのお菓子、確実に俺は食べてないよね?」

 

「あ、今日はここでいいや。小町、もう行くね」

 

 言うや否や、自転車からひらりと飛び降りて、逃げるように去って行く小町であった。「おい、俺のお菓子……」と口には出してみるものの、長年の付き合いにより話がうやむやになるのは確実である。と、校舎の前で立ち止まった小町が振り返って、びしっと敬礼をして来た。

 

「お兄ちゃん、いつも送ってくれてありがとー。では、行ってくるであります!」

 

 

 ひとしきりポーズを取った後に笑顔で手を振ってくる妹の姿を見て、八幡も仕方なくそれに応じる。一瞬で絆されてしまった自身を「チョロいなー、俺」と自嘲するものの、妹を責める気が完全に失せてしまったのだから仕様がない。そんな兄の心情を把握してか、ニコニコと笑顔で見送る様子の彼女に背を向けて、八幡は高校へと向かう。

 

 ふと、自転車の前かごに目を落とすと、自分のものとは違う黒い通学鞄が存在を主張していた。溜息を1つ吐いて自転車を旋回させると、向こうから妹が涙目で走ってくる。いつもと少し違った部分はあったものの、いつも通りに仲の良い兄妹の姿が、朝日の差す道路脇にて観察されたのであった。

 

 

***

 

 

 5月も半ばを過ぎると昼間は暑くなるもので、ベストプレイスで過ごす事を諦めた八幡は、昼食を摂る場所を探して校内をさまよい歩いていた。気温まで現実通りにしなくても良いのにと思うが、寒暖の差がなければ衣替えもなくなるかもしれない。それは健康的な男子高校生にはとても残念な事であり、女子高生の夏服姿を合法的に観察できる機会を失わずに済んだと運営に感謝をすべきなのかもしれない。

 

 暑さのせいか思考が妙な方向へと逸れていくのを自覚しながら、八幡は落ち着ける場所を探す。クラスに居場所がないのは長年の事なので今更だが、せっかく部活動をしているのに部室で寛げないのは遺憾である。とはいえそんな事を口に出せば丁寧な招待を受ける事が確実で、そして見目麗しい同い年の女子生徒2人と一緒に昼休みまで過ごすとなると、寛ぐには程遠い状況にしかならないだろう。

 

 そんなわけで八幡は、テニス勝負の時に約束した「いずれ一緒に昼食を」という約束を回避し続けており、今日もまた午前の授業が終わると早々に教室から逃げ出して、屋上へと続く踊り場に来ていたのであった。

 

 

 屋上に繋がる扉は、普段は南京錠で施錠されて通行ができないようになっている。しかし今日に限っては、その南京錠が外されていた。屋上にリア充連中が集まっているのかと、眉をひそめながら耳を澄ます八幡だが、特に騒がしい様子はない。むしろ扉の向こうには静寂の気配が漂っている。

 

 静かさが嫌にしみ入る俺の耳、などと独りごちて、八幡は屋上に出てみる事にした。当てもなく歩き回る事にも嫌気が差していたし、静かに寛げる可能性があるのなら確かめに行くべきだ。少しだけワクワクしながら、八幡は扉に手をかけておもむろに開く。

 

 

 もしもこの先にボス敵が居れば。八幡はふとそんな事を考える。中二病をぶり返したような発想に我ながら辟易するが、しかしそれも仕方のない事だ。

 

 ゴールデンウイーク真っ只中の今月4日、塔の1階がクリアされたという臨時ニュースがこの世界を駆け巡った。塔の2階へと続く扉を開ける為にアイテムを掲げた瞬間にボス敵が襲って来たとか、ボスの名前は駅名に由来するロックなものだったとか、色んな噂が流れたが詳しい事は判らない。いずれにせよ、そんなニュースを耳にして盛り上がらない男子高校生は稀少だろう。

 

 一方で、1ヶ月も経ってようやく1階をクリアできただけという事実は、ゲーム攻略に参加しない彼らゲストプレイヤーの心情にも暗い影を落としていた。大人しく日常を過ごしながら2年が過ぎるのを待つのが賢明かもしれない。状況の変化は彼らの多くに諦めの気持ちを与え、そして開き直るしかないという気持ちにさせるに充分であった。

 

 

 扉の先にはもちろんボス敵など存在せず、視線の向こうでは青い空が広がっていて、遠くの水平線が垣間見えた。校舎の上には彼らの個室が存在しているはずなのだが、景観を損ねないようにという配慮なのか、いかなる建造物も視認できない。現実そのままの光景を独りで堪能しながら、八幡は屋上をゆっくりと歩いて回る。やがて少し影になっている場所を見付けて腰を下ろし、辺りをぼんやりと眺めながら昼食を摂るのであった。

 

 

***

 

 

 昼食を終えて、八幡は壁に背をつけたままポケットから1枚の用紙を取り出した。職場見学希望調査票と書かれているその紙を広げて、彼はしばし黙考する。彼が今現在、脳裏に思い浮かべている内容を素直に書くと、また呼び出しを喰らう可能性が非常に高い。かといって、他に希望する職業も見学したい職場も、彼には全く思い付かなかった。

 

 青い空に勇気を貰って、彼は長年に亘って抱き続けて来た志望の職種をゆっくりと書き記す。その理由を書き連ねる彼の筆に迷いの色は無い。簡潔かつ丁寧に、読む人全てが納得できるだろうと彼が確信する内容を書き終えて、彼は少し気を緩めて息を吐いた。

 

 

 そのとき、風が吹いた。付近の気だるい空気を吹き飛ばすかのように風が舞い、彼の手元にあった用紙を巻き上げ連れ去って行く。必死に手を伸ばして取り戻そうとするものの、風は彼を弄んでいるかのように、届きそうで届かない距離を維持したままそれを彼方へと運び去ろうとしている。ひときわ強く風が吹いて上空に漂う紙を眺め、遂に八幡は諦めた。

 

 肩をすくめ「押して駄目なら諦めろ」と呟きながら、彼はズボンを叩いて帰り支度に入る。「代わりの用紙を貰いに行かないと」と面倒な気持ちで考えながら歩き出そうとした彼の耳に、誰かの声が届いた。

 

 

「これ、あんたの?」

 

 ややハスキーな声で、どこか気だるげな話し方をする謎の女性。既に屋上には他に人が居ないと確認済みである。改めて周囲を見渡しても、やはり人影は見付からない。首を傾げる八幡に少し呆れた口調で、再び声が掛けられた。

 

「どこ見てんの?」

 

「……上か?」

 

 慌てて視線を上に向けると、屋上から梯子を登った先にある給水塔に寄り掛かって、彼を見下ろす女子生徒の姿があった。風によって没収された用紙を片手でひらひらと示しながら、こちらを見ている。

 

 

 細身で長身の彼女は、青みがかった髪を後ろでまとめて背中まで垂れさせている。リボンを外して開かれた胸元。シャツの裾の部分は緩く結び込まれていて、その下には長くしなやかな足が続いている。改めて彼女の顔を眺めると覇気のない不機嫌そうな表情で、泣きぼくろが印象的だ。そんな彼女が先程と変わらぬ口調で話し掛けてきた。

 

「これ、あんたの?」

 

 リボンが無いので彼女の学年が判らない。とりあえず無言で頷いて、八幡は彼女の反応を窺う。そんな彼の様子を目にして1つ溜息を吐くと、彼女は彼に「ちょっと待ってて」と告げてするすると梯子を下りてきた。

 

 

 そのとき、風が吹いた。気だるい空気をまとう彼女からそれを取り払おうとするかのように風が舞い、彼女の膝上を覆っていたスカートをまくり上げる。しかし彼女は平然としたもので、梯子の途中で手を離してスカートを押さえながらすとっと降り立ち、彼の方へと近付いて来た。

 

「……バカじゃないの?」

 

 用紙を渡す寸前に記入内容が目に入ったのだろう。ぶっきらぼうに紙を手渡しながらそう言うと、彼女はそのまま校舎の中へと消えて行った。専業主夫という彼の長年の志望を見知らぬ女子生徒に知られたわけだが、彼は不思議と落ち着いた気持ちでいた。彼女は他人のプライベートな情報を言い触らすような性格ではないと、この僅かな邂逅で見抜いたからだろうか。

 

「……黒のレース、か」

 

 屋上に残された八幡が、そう呟いた。何やら満足げな彼の口調が、彼の落ち着きの理由を如実に示している。風はただ静かに、彼の発言をかき消すのであった。




2巻の主要テーマでもあるお金の話は、少しずつ説明していきますのでご了承下さい。
ゲーム開始から28日目でのボス撃破はSAOに、出現条件は魔界塔士SaGaに、名前はロマサガ2に敬意を表して設定したもので、それ以上の意味はありません。ちょっとしたお遊び要素として受け取って頂ければ幸いです。

次回は日曜日に更新です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
誤字・誤用を修正し表現を少し訂正しました。(8/27,11/15,2/20)
以下の注とリンクを書き加えました。(9/20)

<注>
ゲストプレイヤー:この世界で主に学業や教育・研究に従事する立場のプレイヤーの事。詳しくは1巻4話を、更に補足として1巻15話の冒頭も参照して頂ければ幸いです。

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