俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回の続きで、2巻への橋渡し回の後編です。
今回も設定の話が多く、途中まで少し重い話になっていますが、読み終えてほっこりとした気持ちになって貰えたら嬉しいなと思いながら書きました。



02.そうして彼と彼女は再会を果たす。

 今から半月前のその時、比企谷小町は彼女が通う中学校に隣接する塾の大教室にて、事件の概要を知らされた。その日、彼女の兄が通う総武高校を始め、県下の複数の高校や大学の研究室で人類初のVR世界が体験できる予定になっていた。それら全ての人達がVR世界に閉じ込められたのか、それとも一部だけの話なのか。詳しい事は判らなかったが、確定しているのは、彼女と同じ塾に通う中学生全員が、この世界に捕らわれてしまったという事実である。

 

 

 運営はVR世界を構築するにあたって、当初からゲームという側面と教育・学術という側面の両立を目標にしていた。先行者のアドバンテージを活かし彼らのVR技術をスタンダードなものにする為には、遊戯と育成と研究という3つの要素を同時に満たす事が必須だとゲームマスター以下の責任者達は考えたのである。

 

 ゲームに参加するプレイヤーの募集はことのほか上手くいった。ソフトが事前予約だけで完売という大盛況である。一方で、教育・学術業界への働きかけは失敗の連続だった。都内の有名高校や大学の反応は芳しくなく、ならばと京阪神に話を持って行っても状況は変わらなかった。全国でも名の知れた有名校は長年積み重ねた自分たちの教育方法に自信を持っていて、VR世界ならではの長所よりも慣れぬ事を導入する短所を重く見ていた。大学も、煩わしい事務仕事が増える昨今、新たな要素を組み込む余裕は無さそうだった。

 

 形式的な断りの言葉の裏側を推測すると、彼らは一様に「他で有用性が証明されてから導入しても遅くはない」と考えている様子だった。もしかすると、横並びの環境を乱される事を警戒したのかもしれない。日頃から大学合格者の数や研究成果などで激しい競争に晒されている立場である。故にこそ、自分たちだけがVR技術を導入する事で他より劣る結果になったり、逆に自分たち以外の学校が導入して他より優れた結果になるのを怖れたのかもしれない。

 

 

 いずれにせよ、運営の当初の目論見は失敗に終わった。彼らは目標を変更して、地域では上位だが全国的な知名度はさほどではない野心ある高校に話を持って行った。何度となく営業職を派遣して、ようやく千葉県下の幾つかの高校が参加を決断した。だがそれは、当初の目標を大きく下回る数でしかなかった。彼らは近隣地域に対象を絞って期間ギリギリまで営業活動を続け、県下の複数の大学の研究室と、そして幾つかの学習塾から参加を取り付ける事が出来たのである。

 

 もしかすると、運営の暴走にはこうした経緯の中で貯め込んだ鬱屈も大きな要因になったのかもしれない。プレイヤーをVR世界に閉じ込めるという暴挙をいつ決めたのか、それがどこまで共有されていたのか判らないが、上層部が心理的に追い込まれる状況だったのは確かだろう。いずれにせよ、起きてしまった事はもう覆らない。このようにして、本事件は数多くの未成年者を巻き込むに至ったのであった。

 

 

***

 

 

 月曜日の午前0時。小町たちが通う塾でも周囲を覆っていた障壁が消え去って、外の世界に出る事が可能になった。半月に亘った彼女らの閉ざされた毎日は総武高校のそれと似通ったものだったが、やはり中学生と高校生では精神的な成熟度が違う。塾内の雰囲気は暗く、そんな中で小町は持ち前の明るさと前向きな姿勢で、多くの生徒を慰めながら過ごして来たのである。

 

 塾の教師によって外へと出られない様に再び制限が掛けられ、その日も彼女らは中学のカリキュラムに沿って授業を受けた。塾に隣接する中学は小町ら多くの生徒達が通っている学校で、そこは当初から解放されていたので、彼女らは昼間の時間はそちらで過ごし放課後に塾の教室に移動する毎日だった。中学で使う教材は直ちに運営から配布されたが、塾の教師達は慣れぬ教科も教える事になってしまい大変そうだった。小町が暗い表情の生徒達に気を配っていたのは、そうした事情もあっての事だったのである。

 

 

 多くの生徒達は自分が通う塾でもVR世界に参加できる事を家族に報告しており、もしも家族が同じようにこの世界に居るのであれば、この塾を訪れる事が予想された。塾の教師達はそう考えて、生徒達を外の世界に出すよりもまずは待つ事を選択した。生徒達を外に出して気晴らしさせてやりたい気持ちもあったのだが、義務教育の期間ゆえに決定には慎重を期さねばならない。本来ならば塾にそこまでの義務は無いのだが、そうして責任を引き受けられる辺り、彼女らは良い教育者に恵まれたと言って良いのだろうし、それは文字通り不幸中の幸いと言えるのだろう。

 

 

 だが困った事に、小町は兄にVR世界参加の事を告げていない。もちろん母親には報告していたが、兄には秘密にしておいてこの世界でビックリさせてやろうと考えていたのである。

 

 単なる勘に過ぎないのだが、彼女は兄もまたこの世界に閉じ込められている事を確信していた。それは日頃から兄をからかっていたように面倒な事に巻き込まれやすい兄の不幸体質を信じていたからではなく、兄が自分をこの世界で独りぼっちにする事などないという妄信的な信頼故であった。

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、かつて家出をした時に兄が迎えに来てくれた時の何とも言えない表情と、そしてそれ以降、兄が必ず自分よりも先に家に帰って「おかえり」と言ってくれた時の面倒臭そうな声である。他人に悪く言われる事の多い兄だし、実際に小町としても不満に思う点は色々とあるのだが、それでも彼女が居て欲しいと思う時には必ず側に居てくれた。黙って、面倒臭そうに、しかし決して離れる事なく。今回もきっとそうに違いない。

 

 

 小町の頭の中に、もしもという発想はない。もしもこの世界に兄が居なかったら自分がどうなってしまうかなど、欠片も思いはしなかった。生まれてこの方、半月もの日々を兄と会わずに過ごした事など皆無である。だから自分は兄に会いに行かねばならない。自分の無事を伝える為に。そして妹に会えなくて落ち込んでいるであろう兄の事を元気づける為にも。

 

 兄に会いたいという気持ちを表に出すのが恥ずかしいので、兄の為に行くのだと必要以上に自分に言い聞かせながら、彼女は塾の教師に外出許可を求める。兄もかつてこの塾に通っていた事があり、しかし友人関係などが原因で長続きしなかったのだが、幸いな事に覚えられていたようだ。少し苦笑しながら「小町ちゃんの方から迎えに行ってあげた方が良いかもね」と言ってくれた先生にお礼の言葉を告げて、彼女はまず総武高校を訪れ、その後に1人で帰宅の途に就くのであった。

 

 

***

 

 

 見慣れた玄関の扉に手を伸ばす。ここに至って小町は初めて、家の中に兄が居ない可能性を思い付いた。高校を訪れた際に、見知った教師から生徒達の今日の行動を知らされた彼女は、兄と再会する場所が自宅である事を喜び他の事を考えていなかった。実際、帰宅までの道のりなどまるで記憶に残っていない。

 

 兄がこの世界に居る事は既に確認できている。しかし、一旦帰宅した後で長居する事なく高校に帰ってしまう事は、あの兄ならば充分に有り得る事だ。せっかくここまで来たのに、すれ違いになるのは寂しい。小町が高校を訪れて再会するパターンも悪くはないが、自宅で小町を出迎えてくれるパターンには遠く及ばない。

 

 

 少しだけ姿勢を整えて深呼吸をして、小町は改めて扉に手を伸ばす。「もしも家に居てくれたら、小町的にはすっごくポイント高いんだけどなー」などと期待を込めた軽口を叩きながら、少しだけ震える手に力を込めて、彼女はおもむろに玄関を開けた。

 

 決定的な証拠を確認するのを後回しにして、彼女はまず現実そっくりの廊下とその先にある扉に目線を送る。ゆっくりと左右を見渡し、やはり現実通りの家の中の光景を目にして、彼女は決意を固めて視線を下方に移す。彼女の視界が、きちんと揃えられた見慣れた靴を捉えた。

 

 

 兄が家の中に居てくれた事に安堵したのか、はたまた兄と久しぶりに会える事に興奮したのか。プラスとマイナスが慌ただしく移り変わる内心の動揺を何とか抑えようと試みながら、彼女はゆっくりと扉を閉めて施錠する。兄の靴の横に自分の靴を並べて脱いで、しかし普段とは違って「ただいま」を言う事なく、彼女はそっと足音を殺して階段を上り兄の部屋へと向かった。ここはやはり、当初の予定通りに兄を驚かすに、しくはないのだ。リビングの電気が点いていない以上、兄は自室に居る可能性が高い。

 

 兄の部屋の前で少し呼吸を整えて、小町は一気に部屋の中へと突入するのであった。

 

 

***

 

 

 自室のベッドの上で仰向けになっていた比企谷八幡は、玄関を開ける音が聞こえた気がして耳をそばだてる。何となく扉が閉まるような、何となく鍵を掛けるような音が聞こえた気もしたが、確かかと言われると心許ない。少しだけ身構えていたが、やがてここが現実ではなくVR世界だった事を思い出して力を抜いた。誰もここにはやって来ないのに。やはりナーバスになっているようだ。

 

 八幡は気を取り直して、今後の予定を検討する事にする。サイ○かスタ○に行って来いという話だったが、見知った連中に出くわすのも面倒だし、いっその事サボってしまおうか。彼がそんな不埒な事を考えた瞬間、ドアが開いて誰かが部屋へと乱入して来た。

 

 

「じゃーん、小町登場!」

 

「うお、すまん!サボらないから。ちゃんと行くから!」

 

 余計な事を口走りながら、反射的に謝ってしまう八幡であった。

 

 予想外の返答が返って来た事で、小町は一気に冷静に戻ってじとっとした目で兄を眺める。そりゃ、格好良く落ち着いた口調で小町を出迎えてくれる事は期待していなかったが、ちょっとこの対応は頂けない。せっかく久しぶりに会えたというのに、何もかもが台無しである。本当は、予想より斜め下のこの反応によっていつもの距離感を思い出し落ち着けた部分もあったのだが、それへの照れ隠しの気持ちもあって、彼女は兄に容赦の無い指示を出すのであった。

 

 

「ちょっとお兄ちゃん、そこで正座」

 

「は?いや、ちょっと待て小町。ってか小町だよな?」

 

「ふーん。お兄ちゃんってば、長年連れ添った妹の事が判らないんだ。健気に兄に尽くして来たのに、よよよ……」

 

「あー、すまん。そのわざとらしい泣き真似は確かに小町だわ」

 

「うーん。その判定の仕方は、小町的にはポイント低いなぁ……」

 

 さすがに長い期間を仲良く過ごしてきた兄妹だけあって、この程度の会話でも通じる事は沢山ある。小町は兄が少し落ち込み気味なのを瞬時に見抜いたし、八幡は妹が何故かご機嫌なのを把握した。ならば悪い事にはならないだろうと、大人しく妹の言う通りに床に正座をする八幡であった。

 

 

「で、正座させられた理由は?」

 

「あ、えっと。てかお兄ちゃん、さっきの反応は何?」

 

「あー。この後、お茶して高校に帰って来いって話なんだが、面倒だからサボろうかなと……」

 

「はあ、全く……。どうせ誰かと会うのが嫌だからサボろうとか、そんな感じだよね」

 

「うぐっ」

 

 一瞬で意図を見抜かれてしまう八幡であった。俺ってそんなに単純なのかなと悩み始める八幡を楽しそうに眺めながら、小町は敢えてわざとらしく、少し拗ねた風を装いながら口を開く。

 

 

「ま、それは良いとして。せっかく久しぶりの再会なのに、何か言う事はないの?」

 

「あー、小町に会えて嬉しいわ。いつ見ても世界一可愛い」

 

「小町はそこまで嬉しくはないけど、ありがとお兄ちゃん。……でも、ちょっと安心したかな」

 

「は?何にだよ」

 

「この世界にお兄ちゃんが居てくれて。この家で小町を待っててくれて」

 

「……まあ、たまたまだけどな。てか、お前もこの世界に居るとは思わなかったし」

 

「内緒にしてて驚かそうと思ってたからねー」

 

「そか。はあー、お前までこの世界に閉じ込められるとか、そんな事がありませんようにって祈ってたのに。神頼みも役に立たねーな」

 

 兄がいきなり予想外の事を口にした事で、小町の動きが止まる。これだからこの兄は侮れない。そんな事を言われてしまったら、平静を保つのが難しくなるではないか。そんな妹想いの兄を正座させている自分の方がずっと子供に思えてしまうではないか。

 

 なので小町はわざとらしく溜息を吐きながら、兄に向かって手を差し伸べていったん立たせる。そして「えいっ」と言いながら腹に掌底を入れて、兄をベッドに突き倒した。「いきなり何すんだよ」と文句を言う声を無視して、彼女もベッドの端に腰を掛ける。足をぶらぶらさせながら、小町は口を開いた。

 

 

「お兄ちゃんが小町の事を大事に想ってくれるのは嬉しいんだけどね。でも、小町がいないと、絶対お兄ちゃん、やさぐれるでしょ」

 

「え?小町ちゃん。やさぐれる、なんて言い方どこで覚えたの?」

 

「そーゆーのは良いから」

 

「あ、はい」

 

「お兄ちゃんを安心して任せられる女の人が早く見付かると良いんだけどねー。ま、仕方ないから、しばらくは小町が相手したげるね。あ、今の小町的にポイント高い!」

 

「へーへー。ま、こうなったら仕方ないしな。それに、なんだ。この世界で独りぼっちになったと思ってたから、小町が居てくれると、その、助かるわ」

 

 柄にもなく照れながら本音を伝えて来る兄の様子を見て吹き出しながら、小町は先ほど兄の靴を確認した時に感じた安堵とは似て非なる感情に包まれていた。それが安堵という気持ちなのに変わりはない。しかし兄が居てくれた事に対して抱いた感情と、兄の力になれると解って抱いた感情とは、やはり受け取り方が違って来るのである。だから彼女は、きちんと思った事を兄に伝える。

 

 

「あのね、お兄ちゃん。もしも距離が離れる事になっても、お兄ちゃんは独りぼっちじゃないからね」

 

「あー、そっか。……そうだな」

 

「うん。だから変に不幸ぶって、これ以上は黒歴史?を作らないでね」

 

「おい、待て。容赦ねーな」

 

「だって、お兄ちゃんが卒業してからも中学でたまに話題に出るし。そのたびに小町、ちょっと肩身が狭いんだから」

 

「え、マジで?俺ってそんなに語り継がれてんのかよ……」

 

「うん。だから、小町を困らせないように、高校ではちゃんと過ごしてね」

 

「あー、相変わらずぼっちだし確約はできんが……。ま、俺なりに頑張るわ。今の八幡的にポイント高い!」

 

「はいはい。高い高ーい」

 

「俺は赤ん坊かよ。つか、お前も中学で無理すんなよ」

 

 そう言いながら身を起こすと、そのまま自然な流れで、八幡は掌を妹の頭に乗せる。先程まで抱いていた鬱屈とした感情が消え去っている事を自覚して、そのお礼も込めて、彼は優しく妹の頭を撫でた。現実世界での兄妹の空気をそのままこの世界でも再現して、2人はしばらく無言で、しかし満ち足りた気持ちで時を過ごす。

 

 

 その後、八幡の自転車に2人乗りしてサイ○に行き、他からは見えにくい奥まった席で、八幡と小町は久しぶりに2人きりの夕食を摂った。そしてそのまま門限ギリギリまで、楽しく話をして過ごしたのであった。

 

 

 

 原作2巻につづく。

 




次回は日曜日に更新です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな説明と一部の表現を修正しました。大筋に変更はありません。(8/21,11/15,2/20)

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