俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回のあらすじ。

 現実世界の家族とディスプレイ越しに話をしながら、川崎は塾の教え子たちを待っていた。
 会議を終えていち早く外に出て来た八幡は、そこで京華を紹介され、そして川崎の母とも挨拶を交わす。

 合同企画について意見を交換したり、運営による検閲の話や雪ノ下父の動きなどを教えられながら、八幡は川崎との会話を堪能していた。
 けれども無自覚に漏れ出ていた疲労感を指摘されたので、川崎の助言を素直に受け入れた八幡は早々に帰宅すると翌日の手配を済ませて眠りに落ちた。

 八幡との別れ際に、東京駅の扉を見に行く約束を再確認した川崎は、家路に就く想い人の後ろ姿をずっと見送っていた。



11.したたかに準備された奥の手を彼は繰り出す。

 翌日の放課後。コミュニティセンターの一室では気合に満ちた顔つきの生徒たちが、ロの字型に置かれたテーブルを囲んでいた。

 進行役を務める男子生徒の口調も、今日は堂々たるものだ。

 

「飾り付けの話はさっさと片付いたし、いよいよメイン・サブジェクトだね」

 

 この日は集まってすぐに会場のデザイン・コンテストを実施した。

 

 昨日の今日だし小学生が考えることだからと、どこか甘く見ていた部分があったのだけど、ひと目で却下したくなるような奇抜な案や幼児の落書きのようなデザイン画は一つも無くて。

 どうやら発想力が欠けている子と絵心が足りていない子を上手く組み合わせるなどして、時間が足りない中でも一定以上の水準に仕上げさせたのだとか。

 

 監督役を務めた高校生たちのこうした方針や、昨日までとはうって変わって楽しそうで誇らしげでもある小学生たちの様子を見ていると。

 まだ時間の余裕があるのだから、この中から一つの案を採択するよりも各々の長所を持ち寄って共同のデザイン案を構築すべきではないかとの提案が総武側から出て、圧倒的多数の賛成により受理された。

 

 昨日の光景をなぞるかのように数人の高校生に率いられて、今日は意気揚々と別室に移動した小学生たちを見送り終えると。

 デザインには関心がないことが丸わかりの発言に続けて、玉縄が会議の幕開けを示唆した。

 

「え~と、主題ってことですよね。一晩で調子が戻ったみたいで何よりです」

 

 よそ行きの笑顔をまとった一色いろはが言葉を返すと、たちまち玉縄を始めとした海浜の男子生徒たちからふにゃふにゃした雰囲気が伝わってきた。

 こんな程度の擬態でこの効果なら、一色が本気を出せばこいつらは一体どうなるのだろうかと比企谷八幡が内心で怖れを抱いていると。

 

「ああ、いろはちゃんにも心配をかけて悪かったね。フォロワーをシェアしてインフルエンサーをマネタイズしてきた僕としたことが、レバレッジのベネフィットにモチベのアントレプレナーがノマド化してソウルのメランコリーが加速してたって言うかさ」

 

 すぐ右隣に座っている一色はもちろん、左隣の本牧牧人も左側のテーブルに一人鎮座している鶴見留美も唖然としていることに誰一人として気付いていないようで、海浜陣営は今日もとても。

 

「それあるー!」

 

 お元気なようで何よりだなぁと現実逃避をしたくなってきた八幡だった。

 

 

「じゃあ、さくさく行きましょうか」

 

 語尾をのばす気が起きないのか、それともサービスする必要はないと判断したのか。

 一色の真意は分からないものの、どうやら絶好調らしい玉縄にも怯むことなく話を進めようとしているので、隣席の後輩に頼もしさを感じていると。

 

「そうだね。昨日僕たちはPDCAサイクルを持ち出そうとしたんだけど、そんな形式的な部分にこだわっても仕方がないって話になってさ」

 

 玉縄も普通の口調に戻ってくれたので、今日は実のある話し合いができそうだと密かに安堵した八幡は。

 

「だから今日は、OODAループを参考にしようと思ってるんだ」

 

 バキッと音を立てて右手の筆記具を真っ二つにできたら少しは気が晴れるかなと詮無きことを考えていた。

 

「えっと、さっきから知らない言葉がたくさん出てますけど……」

「そうだね。小学生には少し難しかったかな?」

「いえ、興味がないのでべつにいいです。それよりも、さっき話し合いの主題って言ってましたけど、なにを話し合うんですか?」

 

 呆れる気持ちは外には出さず、質問をばっさりと斬り捨てた留美は、玉縄の目をしっかり見据えて疑問を口にする。

 

「何って……それはもちろん、合同企画についてだろ?」

 

 呆れ気味に答える玉縄から視線を外して、ちらりと総武側を眺めると。

 

「もう少し具体的に、議題を整理したほうが良いんじゃないかな。合同企画でやりたいことをブレストで色々と挙げただけで、まだ何も決まってないからさ」

「それでも方向性は見えてきたと思うんだよ。だから現状を悲観的に捉えるよりもポジティブにさ?」

 

 留美の目線を受けた本牧が現状を伝えてみたものの、下の者に言い聞かせるような物言いで暖簾に腕押し状態だ。

 

 とはいえ八幡への反応と比べると、上から目線は同じでも趣が少し違う気がした。

 昨日はある種の対抗意識のようなものが伝わって来たのだけれど、一色や留美や本牧との対話からはそれが感じ取れないのだ。

 

 おそらくは一色が指摘していた「憧れ」がその原因で。

 逆に言えば、文化祭のステージで見た面々を除けば、玉縄は自分のほうが上だと根拠なく思い込んでいるのだろう。

 

 もうしばらく様子見を続けようと八幡が考えていると。

 

「じゃあ方向性をまとめて、企画の内容を決めちゃいましょうか」

 

 一色が本腰を入れて説得を始めたので、このまま話が進むのではないかと期待を抱いてみたのだけれど。

 

「いや、そうじゃないんだよ。あのね、いろはちゃん。何かを決めるってことは、それ以外の選択肢を否定することになるからさ。さっきのデザインを思い出して欲しいんだけど、色んな長所を持ち寄って、って話になったよね?」

 

「会場のデザインとは違って、企画は準備にも時間が掛かりますし、気長に話し合う余裕なんて残ってないと思いますよ~?」

「ノンノン。いろはちゃんは知らないだろうけど、ブレストでは否定するのはご法度なんだよ。だから、いろはちゃんには申し訳ないんだけどさ……その提案は、ダメだよ?」

 

 ちっちっと人差し指を動かしながら得意げに語る玉縄をちらっと見やって。

 意識高い系の話を聞いていると、こっちが意識他界系になるんだよなあと思いつつ、ため息を一つ。

 そして八幡は、早々に手を打つことを決意する。

 

 もちろん今いる面々でも、いずれは話をまとめられるに違いないと八幡は思う。

 この後輩にはそれが可能なだけの力量があると、八幡は誰よりも詳しく知っているし、本牧のフォロー能力も先代に鍛えられただけあって中々のものだ。

 

 けれど相手に話をまとめる意思が無ければ早期決着は難しい。

 

 昨日この建物の入口付近で、家族想いの同級生と喋った内容を思い出しながら。

 このままだと黒幕の思惑どおりに、話が平行線のまま時間だけが過ぎていくのは目に見えているので、こうなったら仕方がないと八幡は腹をくくった。

 

『じゃあ、この部屋まで来てくれるか?』

 

 あらかじめ用意しておいた文面を送ると、すぐに既読がついて。

 そして程なくして、こんこんという音が耳に届いた。

 

 

***

 

 

「むっ。ドアをノックするのは誰だい?」

 

 どこか芝居がかった身振りとともに玉縄が問い掛けると、そろそろと引き戸が動いて。

 現れたのは、制服の上にダッフル・コートを着た女子生徒と、その背後にも更に四人の姿が。

 

「あ、あの……」

 

 ドアの動かし方や、そもそも彼女の性格からして予想はしていたのだけれど。

 見るからに緊張した様子で言葉を続けられずに突っ立っているので、八幡が軽く頷いてみせると。

 

「うちら五人っ、総武の助っ人で来た、んだけど……えっと」

 

 今度は勢い込んで喋り始めて、なのに集まる視線に耐えきれずに尻すぼみになってしまった弱メンタルの持ち主は、毎度おなじみ相模南だった。

 

 目だけをきょろきょろと動かしながら、なすすべなく立ちつくしていると、場違いなほど軽い口調が耳に届いて。

 

「ほらほら、早く入って下さいよ~、相模先輩?」

「ふぇっ……あ、うん。だよねっ。先輩って、相模先輩って……うちってやっぱり一色ちゃんに頼りにされうひゃあっ!?」

 

 脇腹あたりをつつかれてしまい変な声を出して身悶えている相模を尻目に、下手人も含めた友人四人はしれっと室内に足を踏み入れると、そのまま下座のほうへと移動して。

 

「ほら、南はここね」

「ちゃんと言ってあげないと、一色さんの上座に座りそうだもんね」

「甘い、甘いよっ。南の行動力を侮らないで!」

「あー、たしかに。海浜のあの人の横とかに天然で座りかねないのが南だよねぇ」

 

 視線を向けられた玉縄は状況を把握しきれていないのか、ぽかんと口を開けたまま相模と四人の間で視線を行き来させている。

 

 それならさっさと話を進めておこうと、八幡が口を開いた。

 

「ほら、相模は本牧の横な。コートは鞄と一緒に隅のほうにでも……ああ、そんな感じで良いんじゃね。てか、他の四人は下に荷物を置いて来たんだよな。なんでお前だけコートも着たままだったんだ?」

 

 そんな八幡の疑問には、四人が苦笑まじりに答えてくれた。

 

「五人そろって一階で連絡を待ってたんだけどね」

「南はいつでも逃げられるようにって」

「って言うか実際に何度も逃げようとしててさー」

「うちらが脱がそうとしてもコートを必死で掴んでて、往生際が悪いよねー」

 

 小心者の実態を知る人が増えるほどに相模の雑魚キャラ化が進んでいる気がするのだけれど、本当にこいつは大丈夫なのかなと本気で心配になってきた八幡だった。

 

「なるほどな。まあ……今は話を進めるか。んじゃ、残りの四人は……」

「そこの長椅子に座ってもらって、相模先輩がやばくなったら手助けするって感じでお願いしますね~」

 

 会長選挙では一緒に戦った仲なので、一色も気兼ねなく指示を出しているし、四人も気安くそれに応えて壁側にある長椅子に移動した。

 位置的には留美の背中を眺める形になっている。

 

 

「じゃあ改めて、今日から助っ人に来てくれた相模先輩です!」

「あ、えっと、相模です。それと、うちの友達の……」

「あっ、もしかして?」

 

 一色の紹介を受けて席から立ち上がった相模だったが、喋っている途中で玉縄が口を挟んだ。

 さすがにむっとした表情の相模に向けて言葉を続ける。

 

「総武の文化祭で、実行委員長だったよね?」

「えっ。そ、そうだけど……?」

「そっか。あの時の実行委員長が、助っ人、ねぇ……」

 

 玉縄の口調ががらりと変わったので、部屋にはぴりっと張りつめた空気が漂った。

 こめかみのあたりを思わずぴくっと動かして、それでも八幡は動じることなく様子見に徹する。

 

「な、なんか文句でもあるの?」

「……これってジャストアイデアなんだけどさ、エビデンスを出さないと君はアグリーできないみたいだね。けど、僕だけじゃなくてさ、総武の文化祭に行った奴はみんな言ってたよ。『あの委員長って何だったの?』ってさ」

 

 たちまち真っ青になって小さくぷるぷると身体を震わせながらも、相模は両足に力を込めて、座り込んでしまわないように耐えていた。

 この可能性は昨夜のうちに伝えられていたからだ。

 

『海浜の連中も閉会式まで居たみたいでな。だからステージ上でお前がやらかしたのも知ってるだろうし、厳しいことを言われる可能性もあるぞ?』

『うち、やっぱやめる……って、前だったら言ってたけどさ』

 

 体育祭に会長選挙と、自分なりに役に立てたという自負がある。

 あの三人の活躍と比べたらあっさり霞んでしまうような働きぶりだとは思うけど、それでも労を厭って結果だけを求めていた頃のうちとは違うのだと大声で主張できるくらいには、相模は今の自分に手応えを感じていた。

 

 だからこそ、直々に連絡をくれて「頼む」と言ってくれた八幡に二つ返事で応えたのだ。

 

『うちにできることなら、なんでもするから、任せといて!』

 

 きっと感動に打ち震えて喜んでくれると思っていたのに、「なんでもするって、安易に口にしないほうがいい」とか真面目な口調で言い始めるし。

 もしかして、うちで破廉恥なことを想像してるのかなってドキドキしながら尋ねてみたら、「変な事とかは考えてない」って素っ気ないし。

 

 唐変木(トーヘンボク)朴念仁(ボクネンジン)はこれだから困ると、とある体育祭運営委員長の口調を真似ながら聞き覚えの言葉を使って頭の中で罵っていた昨夜の記憶を思い出して。

 

 くすっと笑いを漏らすと同時に顔を上げた相模は、玉縄をまっすぐに見つめて口を開く。

 

「うち一人だと、また失敗するかもしれないけど……今は助けてくれる友達もいるし、うちよりもよっぽど頼りになる後輩もいるし、同級生がなんだか凄いんだよね。ま、それでもうちがやらかす可能性はあるけどさ。もしそうなっても、()()()()が助けてくれるから大丈夫だと思うけど?」

 

 ふふんと得意げに喋ってはいるものの、よくよく聴けば他人任せなのが相模らしいなと八幡は思う。

 でも不思議と不快では無かった。

 

 自分にできることを精一杯までした上で、それでもやらかした場合に初めて他人を頼るのだろうと思うから。

 言い方を換えれば、やらかした場合に備えてリスクヘッジをしているだけで、相模が本気なのは分かるから。

 

「せんぱいって、ほんと頼りにされてますよね~?」

「年上から『お姉ちゃん』呼ばわりされてた会長様には負け……いや何でもないです」

 

 すぐ隣から小声が耳に届いたので軽い口調で返そうとしたのだけれど、ふと悪寒が走ったので途中で口を噤んだ八幡だった。

 

 

「じゃあそういうことで、企画の内容について具体的な話し合いをしましょうか。相模先輩も座っていいですよ~」

 

 軽い雑談で気分を戻した一色が口火を切ると、おそらく重々しい雰囲気になるのを嫌って口出しを控えていたのだろう。

 

「それあるー!」

 

 何があるのかは相変わらずよく分からないものの、一色と自分とに向かって親指をぐっと立てながら頷いてくれた折本かおりの勢いに押されて、相模がすとんと腰を下ろして肩の力を抜いていると。

 

「いろはちゃん。その話はさっきダメだって言ったよね?」

「え~、でも~、企画の内容の話はダメだって、そんな感じで否定するのはダメじゃないんですかぁ~?」

 

 苛立ちを隠せないままダメ出しを行う玉縄を軽く受け流して。

 ほにゃんと困惑顔になりながら首を傾けて、一色が無邪気な口調を装って尋ねかけると。

 

「それよりも、ゼロベースで話し合うほうがプライオリティが高いと僕は思うな。メリデメを意識しないとリソースのバッファがタイトになってリスケする羽目になるからさ」

 

 早口で喋るうちに調子を取り戻した玉縄は、一呼吸を置いただけでそのまま言葉を続ける。

 玉縄の発言を律儀に解読していた八幡は、お前が言うなと思ってしまったせいで反応が遅れてしまった。

 

「だから僕は、SDGs(持続可能な開発目標)を掲げるべきだと思うんだ」

「……はぁ。結局またお仕事ごっこか。国連の事務員にでもなったつもりか?」

 

 玉縄が妙なことを口走る前に、発言を遮れていれば良かったのだけれど。

 しまったと思う気持ちと、発言内容に呆れる気持ちとが重なって、思わず某部長様ばりのガチな切り返しをしてしまった。

 

 もしも八幡が一介の参加者に過ぎなければ、この発言は存在ごと抹消されて何事も無かったかのように話し合いが続いていただろう。

 あるいは八幡の発言を面白がって過剰な反応を示してくれるようなシスコンもとい黒幕が臨席していれば、展開も違っていただろう。

 

 けれども今の八幡は、助っ人とは言え総武の生徒会の名を背負っている立場であり、軽々な発言は慎むべきだったのに。

 

 これは後で一色から「なんで二人ともああいうこと言っちゃいますかね~」と詰られる展開だなと、勝手に部長様を巻き込みながら二人並んで怒られている場面を想像していると。

 

「……あのさ。難しい言葉を覚えて、仕事ができる自分を演出したい気持ちは、うちも正直よく分かるんだけどさ。実際に仕事と向き合って、実際に仕事をしていかないと、結果なんて出るわけないし誰も尊敬してくれないよ?」

 

 冷え冷えとした室内に、思いがけない擁護の声が響き渡った。

 それも発言者が相模なのだから、驚かないほうが難しいなと八幡が失礼な感想を抱いていると。

 

「ま、()()()の指摘が腹立つってのも、うちには充分に理解できるから、そっちばっか責めようとは思わないけどさ。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よく考えたほうがいいんじゃない?」

 

 たしかに狙い通りの展開にはなっている。

 結果ばかりを追い求めて途中の経過をなおざりにしていた点では同類とも言える相模を、敢えて玉縄にぶつけることで、停滞した話し合いを強引に動かそうと考えていたのは八幡だ。

 

 けれども相模がこれほど主体的に動くとは思っていなかったし、ましてや失言のフォローまでしてくれるとは良い意味で予想外だ。

 

「くはっ……そりゃそうだな」

 

 苦笑の途中でなぜだか心が晴れ晴れとしてきたので、変な笑いかたに続けて同意の気持ちを伝え終えると。

 小さな声が耳に届いた。

 

「今のは、生徒会入りを断った時の相模先輩ですね」

「ん……ああ、なるほどな」

 

 いつの間にか相模を完全に下に見て、メンタルの心配ばかりをしていた気がするのだけれど、相模だって二学期に入って以降のあれこれによって随分な変貌を遂げているのだ。

 

 もちろんその中には、弱メンタル雑魚チョロイン化という悪化要素も含まれているけれども、それを補って余りあるほどの良い変化が今の相模を形作っている。

 

 何かに怯えて尻込みしたわけではなく、自分たちには合わないと主体的に判断を下して断りの言葉を口にした時の相模の姿を思い出しながら、その成長ぶりを頼もしく感じていると。

 

 自分もまた成長ぶりを披露してみせるとでも言いたげに、年に似合わぬ冷静な声が聞こえて来た。

 

「なにかをごまかしたり、相手にだけムリをさせたり、みんなにガマンさせたりしながら関係を続けてても、そんなの偽物だし、いいことなんて一つもないって私も思います。玉縄さんが、雪乃さんや結衣さんや八幡に、えっと、あこがれてるなら、一人でできることくらいは一人でしておかないと、どんどん置いて行かれるだけ、だと思います」

 

 相模が口にした仕事の話を、留美は我が身に置き換えて対人関係の話として受け止めたのだろう。

 

 疎遠になった元友人との関係を再構築するだけではなく、()()()をも見据えた決意表明とも取れる留美の発言を受け止めて、その真意を悟ることなく八幡が頬をほころばせていると。

 

「え、今のちょっと聞き間違い、だよね。うち、その、あの、名前を呼び捨てしてたように聞こえたんだけど……?」

「あ、えっと、八幡ですか?」

「え、えっ、ええっ……!?」

 

 顔を左に右にと動かすごとに奇声を発している相模から、八幡は反射的に視線を逸らす。

 そして留美のほうを向いたタイミングで相模の友人達にちらりと目線を向けると同じように驚いている様子なので、八幡は内心で頭を抱えた。

 昨日の焼き直しのような展開は勘弁してくれと現実逃避をしかけたものの。

 

「お姉さんも、呼びたいならそう呼べばいいと思いますよ?」

「おねっ……、え、うちも呼び捨て……は、はちゅ?」

「あの……さっきから思ってたんですけど、お姉さんって頼りになるのか、ならな」

「うんっ、お姉さんは頼りになるよー。うちがお姉さん……お姉さんっていい響き……うん、お姉さん、頼りにされたら何でもす……」

 

 すぱこーんと良い音がして、友人の務めを果たした女子生徒が元の席に戻るのをじっと見つめる一同だった。

 そのまま視線が自分に集中するのを自覚して、やむなく八幡は口を開く。

 

「あのな。昨日も言ったけど、あんま安易に何でもするとか」

「言ってない」

「いや、ツッコミが無ければ確実に言ってただろ?」

「言ってない」

「じゃあ、お前は頼りになるやつだって」

「言ってな……えっ。それ、違う……くなくて、うちのことお姉さんって、やっぱそういう意味……なの?」

「どうなんだ?」

「あっ、えっと、頼りになると思わなくもないというか」

「ほら、言ってただろ?」

「うん、うんっ、言ってた!」

 

 そんなやり取りによって、部屋中に弛緩した空気が漂う中で。

 独り玉縄は、忸怩たる想いを抱えながら考え事に耽っていた。

 

 

 海浜総合高校は三つの高校を統廃合して創立された、比較的歴史の浅い学校だ。

 三校が合わさったので規模も大きいし設備も豪華だし校舎も綺麗なのだけど、大きな集団よりも小さな集まりや個人が優先されがちで、まとまりに欠けるきらいがあった。

 

 それは卒業生も例外ではなく、巣立つと同時に母校との縁が切れてしまう者が大半で、とは言っても嫌っているというわけでもなく、良くも悪くもドライな感覚なのだろう。

 

 ()()()卒業生はそんな感じだが、旧三校の卒業生となるとまた事情が変わって来る。

 自分たちの母校は消えてしまった母校ただ一つ、海浜とは何の関係も無いと考えている者ばかりだからだ。

 

 おそらく、歴史が無いのが問題なのだろうと玉縄は考えていた。

 例えば、誰もが名前を知っているような有名人が海浜の卒業生から出て来れば、知らんぷりを決め込んでいる旧三校の卒業生もころっと掌を返して、自分もあの有名人と同じ高校で云々と言い始めるのではないかと思っていた。

 

 そうした大人の狡さに辟易する気持ちが無いとは言えない玉縄だが、現実は非情だ。

 

 親身になって母校のことを気に掛けてくれる卒業生が皆無の現状は、思っていた以上に厄介だった。

 他の高校なら問題にもならないようなことが、真面目に対処すべき難問へと姿を変えて歴代の、そして新しく発足した生徒会をも苛んでいる。

 小中学校の入学式や卒業式でずらりと並んでいた来賓各氏は、無意味な張りぼてなどでは無かったのだと、こんな形で知ったところでそれこそ意味が無い。

 

 だからこそ、動機など何でもいいから頼れる卒業生が現れて欲しいという想いを、このところの玉縄はずっと胸に抱いてきた。

 

 玉縄のその想いは、どこに出しても恥ずかしくない本心からのものだ。

 なぜなら特別待遇を願っているわけではなく、世間一般の高校並かそれ以下の環境を求めているだけなのだから。

 

 けれども外には出せない本心もあって。

 

 つまり玉縄では、誰もが知るような有名人には決してなれないだろうという残酷な自覚と。

 そして、仮に卒業生の誰かが有名になったところで、将来性を期待できない自分なんぞの説得に応じて母校の手助けをしてくれる可能性は皆無に近いという推測がそれだった。

 

 自分に際立った能力が無いことなど、誰よりも玉縄本人が一番よく知っている。

 だからといって、無気力にただ任期を全うするだけの生徒会長にはなりたくないと思うからこそ、玉縄はせめて虚勢を身にまとっているのだ。

 

 だと言うのに、昨日今日の自分への対応は何だ!?

 

 小学生から後輩に同級生まで、幅広い年齢の女子生徒と戯れている男をちらりと見やって、玉縄は再び自分の殻へと閉じ籠もる。

 

 生徒会役員や今回の合同企画を手伝ってくれている面々はいずれも気の良い奴らで、特にノリの良いセリフでみんなを盛り上げてくれるあの女子生徒には玉縄もひとかたならず心が乱れもとい今はその話は関係ないとして、つまり不満に思うなど失礼千万な話だとは思うのだけど、頭の片隅には冷酷に評価を下す自分が居る。

 

 結局のところ、虚勢を張るのが精一杯の、玉縄とさして変わらぬ能力しか持たない一同なのだと。

 

 こうした状況だからこそ、()()()と親しくなれたのは幸運を通り越して僥倖に近いとすら玉縄は思っていた。

 

 海浜とも旧三校とも何の関係も無い人なのに、同じ地域の高校を卒業したというただそれだけの縁で、玉縄の悩み事を親身になって受け止めてくれて、OGみたいな扱いで良いからねとまで言ってくれて(頼りになるようなOB・OGなんて一人も居ないとは言えなかった)。

 

 毎回のように心苦しい報告しかできない自分を慰めて、一般企業で実際に行われている手法を丁寧かつ心底から楽しそうに(なにせ四六時中笑い通しなのだ)教えてくれて。

 

 なのにこのままでは、今日もまた不甲斐ない報告しかできそうにない。

 

 思えば初めて会った時から、あの人には情けない姿ばかりを晒している。

 

 総武との交渉役を勝手に名乗った末に面倒ごとを引き起こすという憎めない事態を引き起こしてくれたあの女の子を安心させてあげるべく、ダブルデートまがいの現場に乗り込もうとしたところで声を掛けられたのが発端だったのだけど、玉縄の度量の広さを認めてくれて、そして我がことのように苦しげな表情を浮かべながら(なにせ少し話すごとに堪えきれずに下を向いては感情を抑える繰り返しだったのだ)自分が最優先で取り組むべき行動を教えてくれた。

 

 その助言が適切だったのは、あの女の子の対応がころりと変わったことからも明らかで、当日のメールは素っ気ないのを通り越して刃が見えるような書き方だったのに、翌日以降は文章がずいぶんと柔らかくなった。

 

 そんなふうにお世話になりっぱなしだからこそ、そしてあの人の読みが正確無比であるからこそ(話し合いの現状も、事前に可能性の一つとして教えてもらったものだ。聞いた時にはまさかと思ったし、それが現実となった時には苛立ちが収まらなかったのだけれど)、今から打つ手が正しいのだと玉縄には信じられた。

 

 

 騒々しいやり取りがちょうど一段落したみたいなので、玉縄は重々しい口調で語り始める。

 

「それで、企画の内容を詰めていくという方針に、変わりは無いのかな?」

 

 この場で誰よりも意識している男子生徒に向けて伝えたつもりだったのだけど、彼は目線だけを横に動かして、それに呼応するかのように可愛らしい総武の生徒会長が間を置かず口を開いた。

 

「ええ、できれば内容を詰めたいと思っていますけど〜。いきなりどうしたんですか?」

 

 この程度の返事ぐらい自分の口から伝えれば良いものを、後輩の可愛い娘を隠れ蓑にして何を気取っているのだろうか。

 

 そもそも玉縄は当初からこの男が嫌いだった。

 

 努力と偶然とが重なって、入学以来ずっと密かに意識してきたあの女の子と並んでライブを観るという幸運を得られたというのに、当の彼女はステージ奥のドラム男にご執心で(後で聞いたのだが中学の同級生らしい)、彼が大映しになって以降は大爆笑の繰り返しだった。

 

 それでなくてもタイプの異なる美女二人とバンドを組んでいる時点で第一印象は最悪だったし、アンコールでは更に三人の美女が加わって(()()()を初めて見たのはその時だ)、そんな五人に囲まれながら唯一の男性として堂々と演奏している姿には、男なら誰もが嫉妬したのではないかと玉縄は思う。

 

 けれども度量の広さという点では玉縄にもそれなりに自信がある。

 自分の能力の無さを認めるなんてなかなかできることじゃないと、あの人からもお褒めの言葉を頂いたぐらいなのだから、実際に大したものなのだろう。

 

 演奏の序盤には、それなりにネチネチとこき下ろしていた気もするし、個人の拙さを指摘するのはそれほど難しいことでは無かったのだけれど、三人をひとかたまりとして見た場合には(バンドとはそういうものだ)その拙さすらも一つのアクセントとなって他の楽器の(特にギターの)演奏に彩りを加える結果になっていた。

 

 自分にさしたる能力が無いと自覚している玉縄だからこそ、本当に能力があると認めた相手には敬意を払う。

 いけ好かない男も含めたこの三人はいずれも凄いやつらなのだと、そう認めるに至った玉縄は、演奏が終わる頃には憧れの対象として素直に見るようになっていた。

 

 だと言うのに、昨日と今日の印象は最悪だ。

 

 才能があるのは疑いの余地が無いし、憧れの気持ちにも偽りは無い。

 なのに何故、この男は才能の無い者たちに親身になって、その能力を活かそうとはしないのだろうか?

 

 あの小学生のように生意気を言っているわけでもなく、先ほど加わった女子生徒のように無様な姿をさらけ出したわけでもない。合同企画の結果が惨憺たるものになれば自分もそれと同類になるのだろうけれど、その場合は総武の会長も、そしてこの男も同罪だ。いずれにせよ偉そうに言われる筋合いは無い。

 

 とにかく自分としては、覚えたばかりのカタカナ語を口に出す程度の、お仕事ごっこと揶揄されるような働きぶりだとしても、できることはしているつもりなのに。

 

 どうしてこの男は()()()のように、人より優れた能力を劣った人たちのために使おうとはしないのだろうか。

 自分に賛同する女子生徒ばかりを優遇して、自分たちの努力をあざ笑うかのような、そんな器の小さな男に過ぎないのであれば、こちらにも考えがある。

 

 あのライブは本当に凄いものだったと、この男の本性がどうあれそれだけは愚直に認めているからこそ、それは玉縄にとって意地を貫く理由となった。

 

 

「じゃあ、二手に分かれよう。僕らはブレストを重ねて見えてきた方向性に手応えを感じてるんだけど、そっちは余計なものは切り捨てて具体的に話を詰めたいって考えてるんだよね。それなら別々に企画をまとめて、どっちが優れているのかを目に見える形で比較したほうが良いと僕は思う」

 

「え〜と、それって……合同企画の意味あるんですか?」

「ああ、あるよ。僕らの方針に賛同してくれる人は誰でも、こちらに参加してくれて構わない。逆に君たちのやり方のほうが良いって思うやつは、海浜の生徒だからって排除しないで面倒を見てくれないかな?」

 

 そう言ったものの、玉縄の心臓はばくばく動いていた。

 もしもあの女の子が、総武側に行ってしまえば……。

 

「あるある、それあるー。要するにあれだよね、さっきのデザイン・コンテストみたいなのを海浜と総武でやろうって話だよね。それ絶対あるって!」

「じゃあ、折本さんも僕らに協力してくれるかな?」

「うんっ、それいける!」

 

 居てくれるだけで百人力だと思いながら、ほっと胸をなで下ろしていると、相手側からも反応があって。

 

「そういう話なら、けど明日だと期限がきついな。なら……」

「ではでは〜、月曜日にお互いの企画を披露し合うって予定で、その代わりに月曜日に完全に決めちゃう形でどうですか?」

 

 口を開くたびにキュートで魅力的だと思ってしまうし、可愛らしくてチャーミングだという点ではとにかく格別なのだけど、玉縄の隣の席はもう埋まってしまったのだ。

 だから残念だけど、僕が心を揺さぶられることはもう無いよと考えながら、急に跳ね上がった心臓の鼓動をあえて無視して玉縄は口を開く。

 

「ああ、何でもいいよ。ついでだし、総武側の希望があれば今のうちに言っておくと良い。たいていの事は受け入れてあげるよ?」

 

 そんなふうに余裕のある姿を見せつけようとしたところ。

 

「そうですね〜。じゃあ、当日のスケジュールなんですけど〜、合同企画の後でみんなで歌でも歌いませんか?」

「……は?」

 

 玉縄や海浜一同はもちろんのこと、留美や相模一派や本牧に八幡までもが呆気にとられていると。

 

「わたしはこれでもサッカー部のマネージャーも兼務してるので、男の子がすぐに対決したがる気持ちは理解してるつもりですけどね〜。でもそれって、勝ったほうはスッキリするかもですけど、負けたほうは割と引きずったりして、ぶっちゃけ扱いにくいんですよ〜。だから、えっとラグビーか何かで言いますよね、ノーサイドって。そんな感じで、企画が終わった後はみんなでクリスマスソングでも歌って、はい終わりって形にしたいと思います。なにか反論とかありますか〜?」

 

 机に肘をついて顎に手を当てながら一色の発言内容を吟味していた八幡が、納得顔で口を開く。

 

「じゃあ会場で合同企画をやって、それから歌も歌って、それで幕が下りる流れだな。ま、いいんじゃね?」

「ああ。僕にも異論は無いな」

 

 八幡に対抗意識を燃やしながら、端的に答えることで鷹揚さが伝わるはずだと玉縄が考えていると。

 

「じゃあ、歌のことはわたしが企画しておきますので、みなさん楽しみにしてて下さいね〜」

 

 あれ、もしかしてこれやばいやつじゃね?

 

 そのことに誰よりも早くに気付いた八幡だったが、既に太腿のあたりが一色の指でロックオンされていた。

 親指と人差し指を伸ばした銃の形で八幡を明確に脅しつつ、机に隠れて他からは見えないのがまた小憎らしいと言うかあざといと言うかまあ可愛いと、心の中でぐらいは認めてやっても良いのだろう。

 

 余計な事は喋らないと、八幡が白旗を揚げたのを感じ取った一色は、ぷにっと人差し指を軽く押し付けてから手を戻して。

 そして主導権を握ったまま一同に向けて語りかける。

 

「見た感じ、海浜と総武で完全に分かれるみたいですね〜。留美ちゃんはこっちで良いかな?」

「はい。お願いします」

「ではでは、お互いのやり方で企画を練って月曜日に披露し合うって形で、今日もお疲れさまでした〜!」

 

 こうして一色によって会議の終結が宣言されて。

 

 そして八幡は、あざとかわいい後輩をどう言って夕食に誘ったものかと、会議中とは比べ物にならないほど頭を働かせながら、そっと溜め息をこぼしていた。

 




予定ではこの日の出来事を一話で書き切るつもりだったのですが、後半が間に合わなかったので前半だけ切り離して月内に更新する形にしました。
なかなか更新できなかったのは玉縄の口調と次話の内容が原因で、とはいえ後者も解決はしているので、なる早で頑張ります。

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