俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回のあらすじ。

 八幡の本物発言とその後の対話を受けて、各人は動きを見せる。

 それぞれに譲れない想いを抱えながら、雪ノ下は逃げ出し、一色は立ちはだかり、由比ヶ浜は追い掛けて、留美も追い掛けたいと願う。
 八幡もまた三人と一緒に追い掛ける意思を明らかにして、再び五人は一堂に会した。
 その場にて雪ノ下は、留美と八幡の依頼を受けると表明する。

 今日のところはこのまま解散と相成って、そして夜が明けた。



07.かつての記憶を胸に抱いて彼女はしっかりと前を見据える。

 翌日の放課後、奉仕部の部室にはいつもの三人が集まっていた。

 しかし教室内の雰囲気は、いつものそれとは程遠い。

 

 長机の長辺と同じだけの距離を隔てているにもかかわらず、今日の比企谷八幡はどうしても二人と目を合わせることができない。

 

 いや、問題は八幡だけにあるのではなくて、時折ちらりと二人に横目を向けることもあるのだけれど、視線が交差しそうになるたびに雪ノ下雪乃がぱっと顔を背けるので、あわてて八幡も首を横にぐいっと動かしてしまって、またふりだしに戻る繰り返しになっていた。

 

 もう何度目になるのか判らないのだけれど、仕切り直しとばかりに八幡がずずっと音を立てて紙コップのお茶を(すす)っていると。

 

「ほら、いつまでも照れててもキリがないからさ。二人とも、ちゃんとあたしの目を見て?」

 

 ぱんと手を叩いて注目を集めると、由比ヶ浜結衣が二人に向かってそう提案した。

 

 おっかなびっくり指示に従う二人に、順に優しく頷いて。

 そして由比ヶ浜は再び口を開く。

 

「じゃあ、これからのことを話そっか。昨日ゆきのんがさ、留美ちゃんとヒッキーの依頼を受けるって言ってたけど、その続きでいいんだよね?」

 

 顔を見るのも見られるのも照れくさいのは先程までと変わらない。

 それでも話し合いの内容を提示してくれたおかげで、八幡はどうにかこうにか雪ノ下とも視線を合わせることができた。

 

「そうね。ただ、留美さんの依頼には明確な目標があるのだけれど、比企谷くんの依頼は……本物を求める旅路がずっと続きそうな気もするのだけれど?」

「ぐっ……お前あれだろ。昨日から俺が悶え苦しんでたのを知っててわざと言ってるだろ?」

 

 ようやく目を合わせたと思ったら、普段にも増して攻撃的な態度を向けられたので怯んでしまったのだけれど、かろうじて言い返すことはできた。

 それでも雪ノ下に手心を加える気は無いみたいで。

 

「両手で顔を覆いながらベッドの上でごろごろ転がっていたとか、何の前触れもなく突然ソファに身を投げ出したとか、そうした奇行にも言及したほうが良かったかしら?」

「ソファから床にばたっと落ちて、そのまま動かなくなったりとか?」

「そうそう。そんな報告もあったわね、由比ヶ浜さん」

「小町ぃぃぃ。何を二人に報告してんだよ……」

 

 裏切り者の正体を悟った八幡が、妹に聞こえるわけは無いと知りつつも嘆いていると。

 

「えっ、違うよヒッキー」

「あれっ、そうなのか?」

 

 やはり最愛の妹が俺を裏切るなんてまちがっていると、ほっと息をついた八幡に。

 

「小町さんは私たち二人だけじゃなくて、一色さんと留美さんを加えた四人に宛てて報告してくれたのだけど?」

「ちっ……小町ならそれぐらいやるって、見抜けなかった自分が情けねーな」

「え、ヒッキーが落ち込む理由、それ?」

「当たり前だろ。千葉の兄は妹のどんな期待にでも応える義務があるんだっつーの」

「ゆきのん……ヒッキーが自信まんまんでシスコンを自慢してくるんだけどさ」

「そういえば、比企谷くんにとって黒歴史とは、胸を張って披露するものだということを忘れていたわね」

「いや、ちょっと待て。いくら俺でもそこまで誇らしげに……ああ、うん。この話は止めよう」

 

 雪ノ下が好戦的な理由はよく分からない。

 それでも稀によくあることなので特に気にならないし、むしろ罵られることで長年棲み慣れたカースト底辺に居る自分を自覚できるから、却って気持ちが落ち着くぐらいだ。

 

 我ながら変な性癖だよなと苦笑を漏らしつつ、再び八幡は口を開く。

 

 

「でだ。俺の依頼は……っつーか正直に言うと依頼ってつもりは無かったんだけどな。確かにお前らと話がしたいとは言ったけど、本物が欲しいってほうは、それ自体が目的になるのはなんか違う気がしてて。だから留美の依頼があって、それの解決に向けて一緒に動ける状況のほうが俺的には望ましいっつーか。……すまん、話す内容がちゃんとまとまってないよな」

 

 口を動かしながらも、自分が混乱しているのがよく分かった。

 

 その原因は、昨日の話し始めの時に八幡が言った「話を最後まで聴いて、どう思うかを聞かせて欲しい」という内容に加えて、「本物が欲しい」と口走ったことまで含めて二人が「依頼」だと見なしてくれているからで。

 そして、それを自分が疑いもなく確信できているからだろう。

 

「だいたい予想どおりだし大丈夫よ。ただ……貴方には、海浜総合高校との合同企画を手伝う仕事もあるのよね?」

「あ、いろはちゃんのお手伝いだよね。……うん、じゃあその話からしよっか。えっと、ヒッキーはさ。あたしたちを合同企画に巻き込んでもいいのかなって、悩んでる感じだったよね?」

 

 たちまち先週末の記憶が八幡の脳裏によみがえる。

 重苦しい雰囲気にならないようにと三人がそれぞれに気を遣って、けれども些細な言葉尻を各々が深刻に捉えてしまって、何度となく会話が立ち消えになった。

 

 もう、あんなのは御免だと思いながら口を開く。

 

「今から思えばな。俺がその手の微妙な配慮を、上手く裁けるわけがないのに……。それでも、苦手だろうが経験が無かろうがやるしかないって。それが俺の責任だろって、考えててな。でも、そんなところで意地を張るなんて俺らしくないっつーか。さっさと開き直って、土下座してでもお前に……由比ヶ浜に、助けを求めたら良かったんだよな」

 

 そう言いながら由比ヶ浜へと視線を向けて。

 そこで初めて八幡は、ごく自然に目を合わせている自分に気がついた。

 

 気負い過ぎるにも程があるよなと内心で苦笑を漏らしていると、目線の先から頼りがいのある声が耳に届く。

 

「あのね。あたしだって、いつもうまく解決できるかっていうと難しいんだけどさ。でも、そんな時にはさ、ゆきのんやヒッキーに相談しちゃえって。それか、優美子と姫菜も巻き込んじゃえってさ。それでもダメなら沙希とかさいちゃんとかさがみんとかね。ヒッキーにお願いして中二を呼んでもいいし、ゆきのんのためならJ組の全員が助けてくれそうじゃん。だからさ、あたし一人だと難しくても、たぶん大丈夫だからさ。ヒッキーは変なことで悩んでないで、ちゃんとあたし()()を頼って?」

 

 その提案にしっかりと頷いて、けれども今の気持ちをどう言葉にしたら良いかと八幡が悩んでいると。

 

 

「この件で、私から一つ提案があるのだけれど……聴いてくれるかしら?」

 

 声のほうへと視線を移すと、いつになく遠慮気味の気配が伝わってくる。

 先程と比べると落差が著しいので、内心で首を傾げながら。

 けれどもそのおかげで八幡は、雪ノ下とも自然に目を合わせている自分を意識せずに済んだ。

 

「うん。もちろん聴くから、ゆきのん話して?」

「ええ……ありがとう。その、私も、おそらく由比ヶ浜さんも、合同企画を手伝うことに対して特に忌避感などは無いのだけれど。それを前提として比企谷くんに提案したいのは、今回の依頼は貴方が全てを差配してみてはどうかしら?」

 

 雪ノ下の発言に首を捻っていた八幡が、おそるおそる口を開く。

 

「すまん。ちょっと話の繋がりがよく解らないんだけどな。合同企画の話をしていたはずが、なんで途中から依頼の話になってるんだ?」

 

 二人がきょとんとしているので、仕方なくぼそぼそと。

 

「お前が言ってる依頼って、留美の件だよな。それが合同企画とどう繋がるのか……?」

 

 そこまで告げると合点がいったようで、いくぶん申し訳なさそうな顔を向けられた。

 しおらしい雪ノ下が物珍しくて、むしろ落ち着かないなと八幡が考えていると。

 

「昨夜のうちに一色さんには報告書を出させたのだけれど、要するに合同企画には留美さんたち小学生も加わっているのよ。貴方もそれを知っているとばかり……」

「昨日ゆきのんが居ない時に、留美ちゃんの依頼のことは聞いてたけどさ。合同企画のことは夜になってから知ったんだよね。それをあたしがゆきのんに、ちゃんと伝えてれば……」

「あー、なるほどな。留美と一色がどこで会ったのか疑問だったんだが、そういうことか。んで?」

 

 完全に元通りになるにはもう少し時間が掛かりそうだなと、言葉をかぶせるようにしてフォローしながら小さく頷きつつ。

 というか昨夜のうちに報告書を出させる雪ノ下さんパネェっす、などと八幡が戦慄していると。

 

「両校の初顔合わせに先だって、海浜側から川崎さんの塾に声を掛けたみたいね。この世界で頑張っている小学生にも参加してもらって、当日だけじゃなくて準備段階から楽しんで欲しいという趣旨だったので、留美さんも他の小学生も大盛り上がりだったと言っていたわ。それに、千葉村の合宿に参加していた一色さんが生徒会長になったことまで伝わっていたみたいで……」

 

 会長選挙の結果はともかくとして、夏休みの合宿のことまで海浜側が把握していたことに底知れぬ違和感を感じて。

 雪ノ下が控え目な理由の一端に、なんとなく気付いてしまった八幡だった。

 

 とはいえ()()が理由なら苛立ちまじりになるのが常だっただけに、やはり妙だなと納得できないままで居ると、続きの言葉が聞こえてきた。

 

「裏の話は後回しにするとして、ここまでの事情を知った私は、留美さんの依頼と合同企画をひとまとめにして処理するべきだと考えたのだけれど……残念ながら良い手が思い浮かばないのよね。だから姑息な手法には定評のある比企谷くんに」

「おいちょっと待て。俺の評価が変な具合に定まってる気がするんだが?」

「冗談よ、と言えれば良かったのだけれど半ば本気なのよね。とはいえ貴方の気分を害したのなら謝るわ。いずれにせよ、何か手を考えて欲しいというのは本当よ。当事者二人を強引に向き合わせたところで解決なんてするわけないって、貴方も理解できるでしょう?」

 

 千葉村での出来事を思い出して、かつての()()()ならそんな方法を提案してきただろうなと何だか懐かしく思ってしまった。

 今の彼ならどうだろうと思わなくもないけれど、あまり奴に関心を持ちすぎると身の危険を(八幡の与り知らない薄い創作物の中で)感じるので深入りしないことにして。

 

 頭の中で色々と考察を重ねながら、八幡はそれを少しずつ言葉に出していく。

 

「留美ともう一人を、強引じゃない形で向き合わせれば良いんだよな。んで、そいつは俺らの文化祭に来てたって昨日お前が言ってたけど……それは、たぶん小町が上手いことフォローしてたんだろな。ただ、そのやり方だともう時間が足りない、か。まあ、俺の評価とか関係なしに、むしろ俺の方からやらせてくれって願うべき案件なんだが、あれだ。一つ疑問があるな」

「何かしら?」

 

 間髪入れずに問われたので、息をつく暇がないなと苦笑しながら口を開く。

 

「それなら俺に、依頼から合同企画までの全てを差配させる必要はないだろ?」

「ええ。そうね」

「じゃあ、なんで……?」

 

 

 困惑の目で見つめられるのを、こそばゆく思いながら。

 雪ノ下は静かに思考を巡らせていた。

 

 その疑問に端的に答えるならば、彼が総指揮を執る姿を「私が見たいから」になるのだろう。

 とはいえそれは、今の自分の心情を説明するには不足しているにも程がある。

 

 まず大前提として、私が部員の二人に依存しているという現実があって。

 だからこそ今回だけは、いつものように部員の助けを借りながら部長として依頼を解決するという形を回避したい。

 

 それよりも彼と役割を入れ替えて、局所でも私は結果を出せると改めて二人に示しながら。

 そうした助力を彼がどう受け止めるのかを見て、これ以上の依存を防ぐための参考にしたいのだ。

 

 いや……正直に言うとほんの少しだけ、彼が私に依存してくれるのではないかと期待する気持ちも微かにある。

 

 なんだか姉さんみたいな考え方だなと我ながら呆れる気持ちもあるのだけれど、頼りになる姿を見せて上の立場の者を少しずつ骨抜きにするとか、何から何まで私に頼らざるを得ない状態にまで誰かを依存させる展開を考えてみると確かにぞくぞくするし、その標的が彼ならば相手にとって不足はない。

 

 ただ……残念ながらそれは、彼が求める本物ではないだろう。

 そして間違いなく、彼女が望む関係でもないはずだ。

 それに私としても、一時(いっとき)は楽しめてもすぐに退屈を覚えると思う。……姉さんと同じように。

 

「姉さんに備えたいから、という理由だと、貴方は納得してくれる?」

 

 今の状況を打破するために、姉と同じように振る舞うという手は確かに有用だ。

 だけどそれでは単なる()()()()で終わってしまう可能性が高い。

 それだと何らの意味も無いのだ。

 

「いや。それなら……あれだな。お前の信頼には、応えたい、とは思う、けど……」

 

 彼の苦悩の根本には責任感があるのだろう。

 言葉に詰まるのは人を率いることに対する怯えもあるのだろうけれど、誠実さのせいでもあるはずだ。

 

 だからこそ、私の()()が信頼などとは程遠い、もっとおぞましい何かであると知られるのが、とても怖い。

 どうしてこんなタイミングで依存を自覚してしまったのかと、運命というものがもしも存在するのならば恨む気持ちすら湧きあがって来るほどだ。

 

「ゆきのんは、さ。……えっと、言い方が悪かったら言ってね。でも、たぶん、合同企画よりも、留美ちゃんの依頼よりも、もっと大事なことがあるんだよね。その、陽乃さんのこととか……」

 

 姉のことも大事だけど、それ以上に私は自分のことが大事なのだ。

 その証拠に、私はかつて留学という選択をして自分を優先し……姉から逃げた。

 

 そんな私が、あの齢にして逃げられた相手のことを思い遣れる彼女に向かって、何を言えるというのだろうか。

 

「正直に言うとな。なんかよく分かんねーけど、なにか違和感があるんだわ。たぶんそれは由比ヶ浜も同じだと思うし、だから言い淀んでたんだと思うんだけどな。けど、まあ、それが何だろうと関係ねーなって気が、ちょっとしてきたな。要は雪ノ下が陽乃さんに備えて、その代わりを出来る範囲で俺がやって、もし綻びが出ても由比ヶ浜が……」

「そこは違うの。由比ヶ浜さんには、私を助けて欲しいのよ」

 

 依存を自覚して唯一良かったと思うのは、まずは何をおいても()()から抜け出すべしという結論を下せるので、優先目標が明確になることだ。

 

 下手に心の余裕がある時には、周囲のことやら何やらと考慮すべきことが次々と出て来るので、重要なことでもつい後回しにしてしまう。

 

 けれど今の私には余裕なんてかけらも無いからこそ、こんなことすら口にできる。

 依存を疑われかねないような口ぶりは避けようだなんて、そんな些事には頭を悩まされずに済むのだ。

 

「さっき私は、留美さんの依頼と合同企画をひとまとめにして処理するべきだと言ったのだけど……できれば、姉のことも含めて何とかしたいと思っているの。その為には、貴方には申し訳ないのだけれど由比ヶ浜さんの協力が必要なのよ」

 

 これは本心であると同時に詭弁でもある。

 依存の対象たる二人をまずは別々にしないことには話が進まないからだ。

 

 ここで重要なのは、私が(現時点ではまだ)二人のそれぞれに対して依存しているわけでは無いということ。

 つまり、依存の対象が「二人」だからこそ容易くこの状況に陥ったとも言えるし、だからこそ彼に、あるいは彼女に依存するという状況にまでは至らなかったとも言える。

 

 もちろん今のこれは危うい状況だ。

 

 私は、もしも彼女に裏切られたら仕方がないと思えるほど、彼女の人間性を信頼しているし。

 私は、もしも彼に任せて無理だったら仕方がないと思えるほど、彼を仕事面で信頼している。

 

 これらの信頼は、これまでに三人で積み重ねて来た時間に由来するのだけれど。

 いつなんどき、それらが理由なき盲信へと変貌しても不思議ではないからこそ……私は敢えて彼女を近付けて、敢えて彼を遠ざけて、そして何としてでもこの状況から抜け出てみせる。

 

「とはいえ、比企谷くん一人に仕事を任せるのは、色んな意味で不安なのだけれど……」

 

 言葉の余韻を残したまま、我知らずくすっと笑みを漏らして。

 そして雪ノ下は続く言葉を口にする。

 

「貴方の身近には、頼りがいのある相手がもう一人ぐらいは居るはずよ?」

 

 彼が求める本物に、今の私が相応しいとは思えない。

 けれどもこの部員やあの後輩なら、本物という言葉が持つ重みにも耐えることができるだろう。

 

 それに、私だって本物と呼べる関係性を諦めてしまったわけではなくて。

 むしろ「偽物なんて欲しくはない」と心底から思える私だからこそ、本物があるのならば目にしてみたいし、自分もそれに関わりたいと思うのだ。

 

 昨日の放課後にも確認したとおり、彼が抱える問題の根本を解決するために積極的に協力するという役割は、誰よりも自分が適任だと自負している。

 

 なぜなら、それはこの奉仕部で私がずっとやって来たことだから。

 

 だからこそ、この役割だけは誰にも譲るつもりはないし。

 だからこそ、今のこの依存状態を一刻も早く解決したい。

 

 今までとは違って、私の前にはちゃんとした筋道が一本通っている。

 依存から抜け出すことと、私ならではの役割を果たすことと、今回の依頼と平行して姉との問題に正面から取り組むことは、相互に複雑に絡み合ってはいるけれど、確かに一本の線で繋がっている。

 

「だから……由比ヶ浜さん。比企谷くん。今回は二人に、今までの私の役割をお願いしたいのよ。比企谷くんには依頼と合同企画の総指揮を、由比ヶ浜さんには姉への対処全般と舞台の創出を。そうすれば、向かい合うに相応しい舞台さえ得られればきっと、私と姉さんの問題は解決できると思うの」

 

 依存状態にまで堕ちたからこそ、全てを一度に片付ける機会が巡ってきた。

 そう考えると本当に不思議なもので、かつて後輩が立会演説会で口にした(目の前に居る彼に教えて貰ったという)「塞翁が馬」という言葉に、深く感じ入ってしまう自分が居る。

 

 そんなことを考えていると、その彼がおもむろに口を開いた。

 

「なんか、あれだな。昔読んだ漫画でな、勇者と大魔王が戦うんだけどな。勇者の仲間たちは、勇者をできるだけ無傷で大魔王のところに辿り着かせるぞって、みんなで身体を張って強敵を引き付けて、それを実行するわけよ。まあ漫画のキャラを引き合いに出すのも変な話だし、総指揮を執れとか言われてもぶっちゃけ不安は尽きないけど、それでもあの作品を連想したからにはな。半端なことをしたらまた材木座に怒られ(ストラッシュを出され)そうだし、俺は俺なりに全力を尽くすわ」

 

 以前なら、漫画を理由にするなんてふざけているのかと憤慨しかねない話だけれど。

 つい一昨日に漫画のキャラたちに深い共感を抱いたばかりの私は、比企谷くんの言葉が相当の重みを伴っているのだと気付くことができた。

 

「えっと、要するにあたしは、ばんぜんの状態でゆきのんを陽乃さんと向き合わせればいいんだよね。それってさ、ヒッキーが留美ちゃんたちを向き合わせるのと、なんだか似てるよね。あたしとヒッキーが今までのゆきのんの代わりをしながら、向き合ってもらえるように手配するって感じ、かな。……うん、それってあたしが選挙の時に言ってたことと繋がるし、だったら任せて」

 

 演説を聴き終えたあの時に、私は由比ヶ浜さんが自分と同じ高みにまで登って来てくれたのだと実感した。

 だからこそ、任せてという言葉を何の留保もなく信頼できる。

 同時に、これは盲信ではないと確信できる。

 

「じゃあ、これで決まりね。……少し疲れた気がするのだけれど、留美さんが来るまでは頭を休めたほうが良いかもしれないわね」

「つっても、対策を立てといたほうが良いんじゃねーのか?」

「それが、合同企画は動き出したばかりでまだ何も決まっていない状況だし、相手の娘の話をもう少し詳しく訊かないことには難しいと思うのよ」

 

 まあそれなら無理に仕事を進めることもないかと、そんなことを考えているのが手に取るように解って、思わずぷっと笑いを漏らしそうになってしまった。

 すると右隣から、今にも挙手しそうな勢いで明るい声が耳に届く。

 

「はいはいはい。じゃあさ、ちょっと気晴らしに別の話をしようよ。例えば……あ、そうだ。ヒッキーって数学どうだった?」

「ふっ。よくぞ訊いてくれたな由比ヶ浜」

「あ、やっぱりヒッキー満点だったんだ!」

「いや、あの……なんでバレてるの?」

「だって昨日、数学の先生に答案もらった時さ。先生もヒッキーもうるうるしてたじゃん」

「え、いや、俺べつに涙ぐんだりとかしてないし。普通だし。むしろあれぐらい楽勝っつーか」

「貴方がそこまで言うなら次も期待できるわね。いっそ本格的に理系を目指して、物理の勉強も始めてみてはどうかしら?」

 

 かなり本気で口にしたつもりなのだけれど、真っ青になりながら顔を小刻みにぷるぷると動かして拒否する意志を伝えて来るのが何だか微笑ましい。

 

 特に意図したわけでは無いのだけれど、由比ヶ浜さんが褒めて私が引き締めるという形で楽しくお喋りをしていると、メッセージの着信音が耳に届いた。

 

 

***

 

 

 夏以来すっかり顔なじみになった教師に入校の手続きをして貰って、職員室を後にした鶴見留美は総武高校の廊下を堂々と歩いていた。

 

「八幡と雪乃さんと結衣さんにはメッセージを送ったし。部室ってこっちで合ってるよね?」

 

 そんな小声が漏れてしまうのは、実はドキドキしているせいだと留美は思う。

 

 そうした内心が表に出ないようにと気を付けているつもりだけど、昨日と違って今日は一人だし、何度リラックスしようと心がけてもいつの間にか両手をぎゅっと握りしめている。

 その繰り返しだった。

 

「昨日の八幡のあれって……心の叫びとか、そんな感じだったよね」

 

 だったら別のことを考えようと、留美は昨日から耳にこびりついて離れない声を呼び起こした。

 

 いくら同じ目線で話をしてくれる相手でも、向こうは高校生なのだから留美からすれば大人も同然だと思っていた。

 それに普段の印象からして、あまり何かに熱くなるような性格じゃないんだろうなと思っていた。

 

 ちょっと考えてみたら、そんなの違うってすぐに分かったはずなのに。

 だって私はあの二人と、それから同い年のみんなといっしょにゲームをして、軽い雑談なんかじゃ比べものにならないぐらいに重たくて濃いやり取りをしたのだから。

 

 あの二人が、自分から見て大人な側面を多く持っているのも確かだけど。

 同時にあの二人は、私たちですら及ばないほどの子供っぽい感情を、つまり負けず嫌いな側面を持っていた。

 

 それはまたたく間に私にも伝染して、今も自分の中にある。

 夏前の、何かを諦めかけていた私には想像もできなかったほどの熱が、感情が、私の中でうずまいている。

 

 それをあの二人に、あるいは昨日すっかり仲良くなったあの人も含めた三人に、あるいは彼だけに向けても良いのだけれど。

 特に()()()()()は、私にはまだ早い気がするから。

 

 だから、まずはこれを()()()にぶつけて。

 もしそれがうまくいったら、その時には私はもう、まだ早いなんて思わないようになるのだろう。

 

 

「失礼します」

 

 こんこんとノックをしたら「どうぞ」という声が聞こえてきたので、ドアを開けてぺこっと頭を下げてから中に入った。

 

「留美ちゃん、やっはろー!」

「やっ……??」

 

 何を言われたのかよく分からなかったので、目立つような反応はせずにとまどいの言葉も飲みこんで、誰も座っていないイスに向かってすたすたと歩いた。

 やっぱり廊下とは違って、この部屋の中は落ちつくなあと思いながら。

 

「……なあ、雪ノ下。実は今の今まで気付いてなかったんだがな。もしかして俺らって、由比ヶ浜の変な挨拶を変だと思えなくなってねーか?」

「奇遇ね。私もたった今、まったく同じことを思ったところよ」

「ちょ、二人とも今さら何を言い出すんだし。やっはろーって、どう考えてもいい挨拶じゃん!」

「……ああ、なるほど。やっほーとはろーを組み合わせたんですね。その、私はいい挨拶だと思わなくもないというか」

「う、留美ちゃんに真顔で気を使われちゃった……ぴえん」

 

 最後の言葉も意味がよく分からなかったけど、たぶん悲しいとかそんな感じだろう。

 そんなふうに納得して、イスに深く座りなおした。

 

 

「そういや、一色は?」

 

 部員を宥めている部長様の姿を横目に眺めながら、八幡がそう問い掛けたものの。

 留美は何やらご不満な様子で。

 

「知らない。けど、しんぼくかいって言ってたかな。ごめんっていろはさん言ってたけど、昨日も来たから一人で行けると思ったし、べつにいいんだけど」

「ほーん、なるほどな。親睦会ってのは、親しく仲睦まじくなりましょうってな会だから、あれだな。今日行かなくて正解だったわ」

「あ、じゃあ私も、ここにくる用事があってよかったのかも。今日の話し合いでもなんにも決まらなかったし、はっきり言うと時間のムダ」

「……比企谷くんと話していたら、留美さんが順調にぼっちへの道を歩みそうな気がするのだけれど」

「うーん、でもさ。親睦会って実際、合わない人には合わないもんね。留美ちゃんの性格を考えたらさ、おおぜいと仲良くなるよりも、数は少なくても深く付き合える相手を選ぶほうがいいと思うし」

「それもそうね。じゃあ早速なのだけど、相手の女の子のことを教えてくれるかしら?」

 

 雑談から依頼の話へと瞬時に意識を切り替えた雪ノ下の言葉に応えて。

 留美は件の女の子との馴れ初めや想い出の数々を語ってくれた。

 

 結果としては残念ながら、問題の解決に即座に繋がるような情報は得られなかったものの。

 順番にハブられるという馬鹿げたことさえ起きなければ、きっと二人は今でも仲良く過ごせていたのだろうと。そう確信できるほどに、留美の気持ちは伝わってきた。

 

「比企谷くんの、今後の方針は……?」

「あー……そういやそうだったな。いつもの役割に慣れ切ってたから油断してたわ」

 

 その反応はずるいのではないかと雪ノ下が考えていたとはつゆ知らず。

 少し悩んだ末に八幡は口を開く。

 

「できれば相手の女の子からも話を聞きたいとこだよなあ。小町に頼めば何とかなると思うんだが、勉強の邪魔をしたくない上に、あれだよな。呼び出しに応えて出て来てくれたとしても、警戒心を上げるだけの結果になりかねないのがネックだよな」

 

 そこまで言い終えたところで、普段はあまり感情を表に出さない留美から焦るような気配が漂って来たので。

 

「警戒されて逃げられるってのが一番のバッドエンドだから、その辺は慎重に行くとしてな。留美の気持ちをちゃんと伝えられるような状況を、何とかして俺らが作るから……けどな。それでももしかしたら、お互いに納得できたとしても結局は離ればなれになるって結末は有り得るわけだが。留美は最悪、それでもいいか?」

 

 そう問い掛けて目を見た瞬間に、こいつなら大丈夫だと八幡には思えた。

 

「二人とも納得して別れるなら、べつにいい。だってそれなら、またいつか会った時にもふつうに話せると思うから。けど、今のまま別れちゃったら、次会った時にも何を言ったらいいか分かんないと思うから……」

 

「なるほどな。じゃあ留美は、そいつに言っておきたいこととか聞いておきたいことを考えて、いざ本番ってなった時に上手く喋れるように準備しておいて欲しい。そのな、奉仕部の理念ってのがあってな。実は雪ノ下が作ったやつなんだが、要するにな。俺らが手助けできるのは、留美が話せる場を設けるところまでなんだわ。その後は、留美が自分でやるべきだと俺らは思うし……留美ならできると思ってる。それで、いいか?」

 

「うん。それぐらいなら、一人でできる」

 

 迷いなくそう言い切った留美は、二人の間に何の障害も無かった頃の想い出を、そんなかつての記憶を胸に抱いてしっかりと前を見据えているように見えた。

 

 自分もかくありたいと強く心に思いながら、雪ノ下はつとめて明るい口調で留美に向かって話し掛ける。

 小さな友人への心ばかりのお礼として、今の自分にできることを考えながら。

 

 

「一人でやろうと覚悟を決めると、大抵のことはできてしまえたりするのよね。例えば……そうね。合同企画の内容は、まだ何も決まっていないみたいだけれど。当日はクリスマス・イブなのだし、こんなのはどうかしら?」

 

 三人に向かってそう問い掛けながら、雪ノ下は部長の権限を使って部室の一部分を換装した。

 

 窓際にエレクトーンが突如として現れたので、驚きの声を上げる一同を尻目に。

 雪ノ下は軽やかな足取りでそちらへと移動すると、静かに音を奏で始める。

 

「あっ。この前奏って、あの曲だよね?」

「おう。これが早押しクイズなら留美の勝ちだな。てか由比ヶ浜も知ってるよな?」

「ゆきのんが言ってたとおり、クリスマス・イブだよね?」

 

 そんな三人の言葉に頬をほころばせながら、雪ノ下は両手と両足を使ってイントロのフレーズにベースやドラムスの音を足して行くと。

 一人で再現した前奏に続けて、歌詞を()()()歌い始めた。

 

「えっ。英語の歌詞なんてあるの?」

「いや、俺はそこまで詳しくなくてな」

「あたしも日本語しか知らないんだけど、ゆきのんが訳してるんじゃないよね?」

 

 こうした反応に苦笑しながらきっちり八小節を歌い終えると、演奏はそのまま続けたものの少しだけ音を控え目にして、雪ノ下は三人に向けて話し掛ける。

 

「これは”Christmas Eve English Version”というタイトルで、本人自らが歌っているのだけれど。私も留学前までは存在を知らなかったのよ。でも、向こうで初めてクリスマスを迎えた時に、クラスメイトの一人が『日本にもすごく素敵なクリスマスソングがあるの、知ってるよ』って教えてくれて。考えてみれば、あちらでの毎日が辛くなくなったのは、あの前後からだったわね」

 

 日曜日にあの顧問に勧められた時には、果たして留学時の話なんてできるのだろうかと危ぶむ気持ちが先に立ったのを覚えている。

 でも、口に出してみればたわいもないものだ。

 

 この二人ならきっと大丈夫だと、自分に信じ込ませるようにしてその(じつ)身構えていた一昨日の私に、今の気持ちを教えてあげられると良いのだけれど。

 部員の二人だけではなく小さな友人にも昔話を伝えることができて、こんな些細な成功を心の底から誇らしく思えるのだから困ったものだ。

 

 あの教師には改めてお礼を言いに行くべきだなと、そんなことを考えながら演奏を続ける雪ノ下は、この後の展開を知らない。

 

 ドア一枚を隔てた廊下では、自慢の教え子が助言をしっかり活かした瞬間を偶然耳にして静かにむせび泣く、平塚静の姿があった。

 




次回は二週間後に、その後のアニメ期間は定期更新を頑張ります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
細かな表現を修正しました。(12/31)

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