俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回は戸塚の話の続きと、それと同じ頃に起きているお話です。



16.ひそかに彼女にも人に言えない過去がある。

 クラスメイトの比企谷八幡と由比ヶ浜結衣が並んで座っている場所へと、戸塚彩加は近付いて行く。意を決して歩き出したものの、何を話せば良いのか、二人は仲が良いのか、色んな疑問が頭の中に浮かんでは消える。彼らの元に早く辿り着きたい気持ちと、もう少し時間が掛かって欲しいと思う気持ちが、彼の心の中でせめぎ合っていた。

 

 

「おーい!さいちゃーん」

 

 

 しかし、そんな彼の思考を吹き飛ばすかのように、元気の良い女の子の声が辺りに響き渡る。隣に座る男子生徒の視線を辿って彼に気が付いた結衣は、大きく手を振りながら彼の名を呼んだ。その声に励まされて戸塚は歩みを早め、最後にはとててっと小走りで彼らの前へと急いだ。

 

 

「よっす。練習?」

 

「うん。……こんな状況だし、うちの部は弱いから、新入生も同級生も部活に来てくれなくて。でも、少しでも上手くなりたくて。お昼の練習許可を申請したら今日からできるようになったんだ」

 

「そっか……。さいちゃん、授業でもテニスだったよね?凄いなー」

 

「ううんっ。好きでやってる事だからね。あ、比企谷くんってテニス上手だよね」

 

「へ?そーなの?」

 

「うん。基本に忠実っていうか、フォームが凄く綺麗なんだよ」

 

 

 座っていた二人の近くに腰を下ろしながら、戸塚は結衣と会話を続ける。可愛らしい()()()()()が仲良く話している間に割って入るなど出来るわけもない八幡は、自分に話が振られてもなお口を挟めず、それよりも俺はあの空の様子が気になるんだと遠くを熱心に見ているフリをしていた。

 

 しかし、そんな八幡でも、さすがに真正面から話し掛けられると答えざるをえない。

 

 

「比企谷くんって、昔テニスやってたの?」

 

「え?あ、いや……。特に部活とかやってねぇし、体育の授業だけなんだが」

 

「そうなの?この間の体育の時に壁打ちしてるのを見たんだけど、強弱を付けて打ち返してるのに、一歩も動いてなかったよね」

 

「え、ヒッキーほんとに凄いんだ」

 

「てか、体育は男女別なのによく見てたな」

 

「あ、えっと。……ぼく、男の子なんだけどな」

 

 

 その瞬間、八幡は身動きを止め思考も放棄した。一つ一つの言葉の意味は解るが言っている意味が解らない。しかし、何とか少しずつ首を動かして、彼は傍らの女子生徒に問い掛ける。

 

 

「……マジ?」

 

「うん。……てか、同じクラスなのに何で知らないの?」

 

「……え?」

 

「あ、あはは。……多分、ぼくの名前も覚えてないよね。同じクラスの戸塚彩加です」

 

「な、何かすまん。クラスに友達が居なくてな」

 

「何だか哀しいこと言ってる!」

 

 

 再び仲が良さそうに会話をはじめる同級生の男女を眺めながら、戸塚は自分が覚えられていなかった事に内心で安堵していた。一年前、クラスで孤立しそうになっていた彼を助けようとして出来なかった事に、もしも気付かれていたら。戸塚の心の中にはそんな不安があったのだが、彼の対応を見る限りは全く気付いていないみたいだ。それで自分の罪が無くなるわけではないけれども、今まで厄介な事に巻き込まれず過ごして来た戸塚としては、冷たい対応を取られるのが怖かったのだ。

 

 内心の不安がひとまず解消されて、そして仲良く喋っている二人に元気を貰って、彼は再び口を挟む。

 

 

「二人は仲が良いんだね。前からそうだったっけ?」

 

「んー。同じ部活になってからかな」

 

「え?由比ヶ浜さんって部活入ってたの?」

 

「うん、ついこないだ。さいちゃんも何か悩みがあったら訪ねて来てね」

 

「おい、平塚先生を通さないと駄目だろが」

 

「平塚先生が顧問なの?何だか楽しそうなメンバーだね」

 

「まあ、部長があの雪ノ下だしな。……って、由比ヶ浜。たしか飲物を取りに来たんじゃねぇの?」

 

「あ、やば……」

 

 

 脱兎の如くとはこんな感じなのだろうなと、走り去る彼女を唖然とした顔で見送る八幡であった。そして「始めは処女の如く後には脱兎の如し」などと孫子を気取りながら口にした八幡は、もう一人のクラスメイトの事をすっかり失念していた。

 

 

「あの、比企谷くん……。由比ヶ浜さんはその、しょ、処女かもしれないけど、あんまり口にする事じゃ……」

 

「いや、その……。そういう意味じゃなくて、だな。あー……名言ってか、昔の人が言った事なんだわ。だから俺じゃなくて、孫子って奴が悪い、んじゃね?」

 

 

 歴史上の偉人を悪者にして無罪を主張する八幡であった。だが戸塚にとっては、その八幡の反応は新鮮で、そして嬉しいものだった。性に関する話になると「戸塚王子はそんな話をしちゃダメ」と女子によって物理的に遠ざけられる事が常だった彼は、この程度の会話でさえほとんど経験がなかった。それに、自分が聞いた事もない昔の人の名言をすらっと会話に出して来た事も、彼には嬉しかったのだ。

 

 だから彼は、少しだけ勇気を出して目の前の同級生に一つのお願いをする。拒否されたらどうしようかと緊張して、少しだけ顔を赤らめながら、違った意味に取られかねない微妙な表現で。

 

 

「比企谷くんとお話してると楽しいね。由比ヶ浜さんの気持ちが分かるよ。……もし良かったら、また、して欲しいな」

 

「お、おう。また。……えーと、会話の事な?」

 

「……本当は、比企谷くんがテニス部に入ってくれたら良いんだけど。……もう部活に入ってるなら無理、だよね?」

 

「あー。……すまんな」

 

「ううんっ。比企谷くんとお話して、ちょっと元気でたから。ぼく、頑張るね!」

 

 

 こうして、お互いの心の中に良い印象を残して、彼ら二人の顔合わせは無事に終了したのであった。

 

 

***

 

 

 話は少し遡って、昨日の昼下がりの事だった。午前中は来週の打ち合わせの為にクラスに集合していた生徒達も、午後には自由行動になったので、グラウンドや体育館で遊んだりクラスでお喋りをしたり各個室にさっさと帰ったり、めいめいが好きなように過ごしていた。

 

 三浦優美子は、普段一緒に過ごしている二人の親友と別れて、昔の友人と会う為に先方の個室を訪れていた。相手は中学の同級生で、部活仲間でもあった女子生徒である。

 

 

 彼女は中学の三年間をテニス部で過ごした。その腕前はなかなかのもので、県選抜に名を連ねたほどである。だが高校では、彼女は部活に入ろうとは思わなかった。

 

 中学最後の試合になった県大会の準決勝。相手は中学一年の頃から全国大会でも活躍していた県下随一の実力者である。今までの対戦経験や県選抜での交流によって、彼女は彼我の差を正確に認識していた。まともに試合をすれば、三対七で自分が不利。しかし裏を返せば、三回に一回は勝てる差だと。

 

 勝負は白熱した展開になった。常に相手が先行する流れだったが、土壇場で彼女は粘りを発揮し続け、格上の相手に追いすがった。試合はデュースを多く繰り返した末にタイブレイクへともつれ込み、そして4度のコートチェンジを経て、遂に彼女は敗れた。

 

 

 あの試合で燃え尽きたのかと問われると、そうかもしれない。しかし一方で、彼女には別に不満な点があった。ダブルスでも団体戦でも、彼女の中学が早々に敗退していた事である。

 

 実力不足で負けるのは仕方がない事だ。彼女もそれを責めようとは思わない。部の中で実力が抜けている彼女をシングルスに専念させて彼女の勝利を最優先する部の方針も、当然の事だと彼女は受け止めていた。だが、それを言い訳にして練習に手を抜く部員の気持ちが彼女には理解できなかったし、負けて当然という態度で試合に臨む部員は、とても許せるものではなかった。

 

 

 彼女は生まれつき女王気質なところがあった。それが我が儘な性格へと発展しなかったのは、彼女の両親の育て方が良かったのだろう。基本的には放任主義だが、大事な点だけはしっかり指摘するという育て方は彼女の生来の気質と相まって、基本的な事さえ踏まえていれば敢えて干渉しないという君臨方針に発展していた。それは逆に言えば、物事の筋目や基本を疎かにする輩には容赦をしないという事である。

 

 中学の三年間をテニスに捧げた彼女は、人によって才能に差がある事を嫌というほど目にして来たし、才に恵まれても相応の努力を行わないと資質に劣る者に置いて行かれる実例を何度も目の当たりにして来た。では、才分に恵まれないのに努力を怠る者は、どう扱えば良いのだろうか。

 

 

 県大会が終わって中学に戻り、部室で反省会が行われた。とはいえ大部分の部員はその後に続く打ち上げに意識を奪われていたし、反省会といっても例年通り三年生が下級生を激励する、形だけのものになるはずだった。彼女の一言さえなければ。

 

 部長の型通りの挨拶が終わり、この大会で引退となる三年生が順に一言ずつ発言した。そして彼女の番が回ってきて、彼女はその言葉を口にした。

 

 

「試合前からへらへらしたり、負けてにやにやしたり、普段から練習に手を抜いたり、あんまテニス舐めんなし」

 

 

 誰も、部長以下の同級生も顧問の教師も身を固くして何も反応して来ないのを見て、彼女はゆっくりと立ち上がり部室を後にした。あれだけ言っても何も言い返して来なかった連中に腹が立ったが、彼女はそれ以上に哀しい気持ちでいっぱいだった。三年もの年月を一緒に過ごした同級生が、実は自分とは違った世界で生きていた事に気付かされたような気持ちだった。

 

 彼女が自分の事を優先したのが間違っていたのだろうか。もう少し同級生の事も考えて、実力を伸ばす手助けをしていれば良かったのだろうか。

 

 

 一口に女王気質といっても、人によって色んな違いがある。誰よりも優秀な能力を前面に出して皆を引っ張っていくタイプもいれば、個人の能力は平凡だが部下の使い方が上手いタイプもいる。彼女は前者のように振る舞おうとして、しかし個人としては結果を残せず、他の部員を背中で引っ張る事もできなかった。

 

 このまま高校で部活を続けても、おそらく同じ結果になる。テニスをするのは好きだったし、それに中学の三年間を捧げた事にも後悔はない。だが、部の人間関係が今の彼女には厭わしかった。高校でテニスを続ける事よりも、自分がどうすれば良かったのかを彼女は知りたかった。自分の気持ちを誰かに理解して欲しかった。

 

 

 彼女は基本的に物事をシンプルに考える質である。気持ちを理解して貰えなかった同級生を見下す意図がなかったとは言わないが、もっと頭の良い連中なら自分の思考を受け止めてくれるのではないかと考えたのだ。

 

 彼女は中学の授業でも基礎はきっちり修めていたので、少し頑張れば偏差値が高い高校を目指せる位置にいた。部活で培った集中力と、物事の勘所を掴むのが得意な生来の資質が噛み合って、彼女は無事に総武高校へと進学を果たした。

 

 彼女にとって意外だったのは、勉強が得意とは思えなかったテニス部の部長も同じ高校に入学した事である。彼女と進路指導の教師との立ち話を偶然耳にして、彼女との関係をあのような形で終わらせたく無いという決意を秘めて勉強に取り組んだ少女の思いを、彼女は未だ知らない。高校に入学後も、彼女ら二人は表立って会話を交わす事はなく、ここまで別々に過ごして来たのである。

 

 

 高校生になって最初の一年、彼女は内心で失望していた。勉強ができる同級生は多かったが、話の内容は浅いものが多く、彼女の過去の話を打ち明けたいと思う相手はいなかった。彼女は当然のようにクラスのトップに君臨したが、その毎日は退屈だった。時には理不尽な事を言って同級生の反応を探ってみたものの、それは女王様の我が儘としか受け取られなかった。

 

 

 二年に進級して、彼女は同じクラスで面白そうな二人を見付けた。一人は大人しそうな外見の内側に芯の強さを秘めた少女。一人は元気で社交的な外見の内側に強さと自信のなさとを隠し持った少女。自らも人には簡単に言えない思いを内面に抱えていた彼女には、二人が表に出さないようにしている事に気付くのが容易だったし、そしてそれは二人の少女も同様だった。

 

 二人の親友を得て、彼女は意識を大きく広げる事ができるようになった。特に、あの雪ノ下雪乃と向き合った時に二人が支えてくれた事が大きかった。中学の時のテニスのような、他人を納得させるだけの能力は今の彼女には無い。だが、他人の長所を見抜いてお互いに助け合う事に関しては、中学の頃とは比べものにならないはずだ。親友二人との付き合いを通して、彼女はそれを自覚したのである。

 

 

 この世界に巻き込まれた為に女子テニス部も苦労している事は、サッカー部を見学に行った時に視界の片隅で確認していた。そして先日の部活見学によってスキルの話を詳しく知った事で、彼女は物心両面で手助けできる手応えを得た。精神面からのアプローチばかりだといずれ行き詰まる。しかし、スキルの数値という目に見える物で補完すれば、もっと上手く事が運べるかもしれない。

 

 既に彼女には中学時代の後悔はない。今の彼女にあるのは、自分が誰かを手助けできるという自覚であり、そして嫌な別れ方をした中学時代の友人と単純にもう一度話してみたいという欲求である。彼女が送ったメッセージに「個室で待ってる」という返事が来て、彼女らは実に一年半ぶりに二人きりで向き合うのであった。

 

 

***

 

 

 二人の会話は、各々が思っていた以上にスムーズに進んだ。かつての女子テニス部の部長にして近い将来にも部長に就任する予定の少女は、あの時に何も口にできなかった事を詫びた。三浦もまた、己が他の部員と上手く接する事が出来ていなかった事を素直に謝った。たった一つの出来事によって関係がこじれてしまったが、元々彼女らは中学の三年間を一緒に過ごした仲間である。懸案事項さえクリアできれば話は早かった。

 

 入部の意志はない事。しかし手助けできる事なら協力したいという意志を三浦は伝え、あっさりと了承を得た。男子テニス部と違って部員の参加率は良かったが、目標が定まらず練習が気の抜けたものになりがちというのが現状である。ならばそれさえ解消できれば、そしてテニスの楽しさをもう一度思い出して貰えれば、話は解決できそうだという結論になったのだ。

 

 

 翌日の放課後に練習に顔を出すと約束して、彼女らは別れた。積もる話もある事だし一緒に食事でも、という気持ちはお互いに持っていたが、しかし二人には既にそれぞれの友人関係がある。「いずれまた」という言葉に万感の想いを込めて、今日のところは解散の運びになったのだ。

 

 

 その日、二人の少女の寝顔は、この世界に来て一番と言えるほど満ち足りたものであった。

 




少しずつ評価が増えていて、本当にありがたい事です。もしも可能であれば、どんな些細な事でも構いませんので、ご不満な点を書いて頂けるととても嬉しいです。今から一巻末までの展開を覆す事はできませんが、今後の参考として大いに役立てたいと思います。

次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(8/12,13)

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