俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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文字数が嵩んだので、途中の箇所まで飛べるリンクを設けました。
場面転換で使用している「*」は通常は三つですが、それを五つに増やして目印としました。
・後半に飛ぶ。→150p1

前回のあらすじ。

 文化祭の借りを返すために駆け付けた相模たちが他陣営の様子を教えてくれたので、一色と八幡は彼我の差を正確に認識できた。雪ノ下と由比ヶ浜を応援する面々を確認していると、そこに戸塚が、ついで川崎が現れる。
 二人の意思を確認した八幡は、お互いの健闘を誓い合った。

 三候補も選挙参謀の三人も、戸部からすれば全員が手助けをしたいと思える面々だ。そんな苦悩する友人のために、代わって大和が協力を申し出た。
 戸部は海老名の、大岡は葉山のために動いていると聞いて、八幡と一色と相模は「戸部だし、さもありなん」と申し出を受け入れる。大和もそれに応えて、さっそく一同に溶け込んでいた。

 いまだ人数は少なくとも、まとまりのある話し合いに八幡が手応えを感じていると。
 三陣営の会長候補と参謀に宛てて、平塚からのメッセージが届いた。



07.はらの底から笑い転げて彼女はようやく気付く。

 その日は金曜日だったので、何もなければ普通に遊びに行って無為に時間を過ごしていたのだろう。いつもの週末と違ったのは、放課後に廊下で呼び止められたのが発端だった。

 

「総武と合同イベントって……やばい何それマジ楽しそうなんだけど!」

 

 生徒会長に就任したばかりの男子生徒が仰々しく語り始めても、しばらくのあいだ折本かおり(おりもとかおり)の意識は校外に向いていた。

 どこに行って何をしようかと考えながら上の空で聞き流していると、突然そんな予定などどうでもいいと思える話が飛び出したので。思わずぐいっと詰め寄りながら大きな声を出してしまった。

 

「で、どんな感じになるの?」

 

 早く続きを知りたいのに、目と鼻の先にいる相手はなぜだか顔を赤くして慌てている。

 あまり話をしない仲とはいえ、ノリが良いのが特徴だとは認識されているはずだ。ということは、自分が思っていた以上に過剰な反応だったのか?

 そこまで考えて、折本は内心で首を傾げる。

 

 もしそうなら、恥ずかしいのはこちらのほうだ。

 だから会長がきまりの悪い様子なのは、みんなに内緒で話を進めたかったのに大きな声でとっておきの情報をばらされたからだと考えついて。

 悪いことをしたと少しは思わなくもないけれど、こんな楽しい計画を黙っておくなんてどだい無理な話だ。だから大人しく諦めてもらおうと折本は結論付けた。

 

「ほらー、会長っ。早く教えてって言ってるのにさー」

 

 そんなふうに自分なりに納得した折本は至近距離から平然と話を促す。

 

 他の生徒のことは気にしなくてもいいと。きっと大喜びしてくれるから大丈夫だという意図を込めて、うんうんと意味なく頷きながら重ねて催促すると。一瞬だけ首をがくっと落とされたのはなぜだろうか。

 でもすぐに詳細を教えてくれたので、特に深い意味はなかったのだろうと折本は思った。

 

「へえー。じゃあテスト明けに動き出す感じかぁー。でもさ、本格的な打ち合わせは来月に入ってからでもいいけど、一緒にやろって話ぐらいは伝えておこうよー。……えっ、その話?」

 

 イベントの話を周囲にばらしてしまった責任があるので役に立ちそうな事を提案してみると、呼び止めた理由はそれだと言われてしまった。

 用事があるから話しかけたに決まっているのに、そんなのはすっかり忘却の彼方。イベントの話に夢中になり過ぎだったし、我ながらうっかりだったなと折本は思う。

 

 それにしても言われるまで完全に忘れていたのだが、総武高校の文化祭に行った時に向こうで会長と偶然会ったので、最後のライブを一緒に観た。ステージの上にレアな顔を見付けてからは、隣の人のことなんてまるっきり頭から吹き飛んでしまったので記憶に残っていなかったのだ。

 

 でもだからこそ、合同イベントをやるなら総武と一緒にと考えたのはあのライブ体験があったからだと説明されると、素直に頷けた。常に楽しいことを求めてすぐに気持ちが移ろいがちの折本には珍しく、あの演奏の記憶は二ヶ月経った今もなお強く心に残っているからだ。

 

「なんで私にって思ったら、そういうことかー。うん、じゃあ会長も忙しいだろうし総武には私が行ってくる。……えっ、いいっていいってそんなの別に気にしなくてもさー。久しぶりに話したいなって思ってたやつもいるし。うん……。だからさ……。あー、それに会長にはさ、卒業生とか先生とかにも話をつけてもらわないといけないじゃん。だからこっちは任せてくれていいよ!」

 

 話の途中で何度となく口を挟んでこようとする会長に、これくらいはお安い御用だと繰り返し伝えて。でもさすがに途中からは面倒くさくなってきたので他の仕事を話題に出して、少し強引に話を打ち切った。

 

 生徒会長なんだから遠慮しないで仕事をどんどん任せればいいのにと内心でぶつくさ言いながら。折本は顔をぐりんと動かして、すぐ横でのんびり話を聞いていた仲町千佳(なかまちちか)の両目をじっくりと覗き込むようにして口を開く。

 

「千佳も一緒に行くよねー?」

「えー。わたしはいいよー」

 

 気のない返事だが、折本からすれば予想通りの反応だ。にやりと口の端を持ち上げながら言葉を続ける。

 

「例のサッカー部の葉山くんだっけ。総武に行けば会えるかもよー?」

「えー。わたしはいいよー」

 

 セリフは同じでも声に照れくささが出ている。

 そんな分かりやすい友人の反応に、にんまりと笑みを漏らしながら。仲町の手を掴んだ折本は会長の呼び止めも、廊下は走るなという教師の注意も右から左へと聞き流して、一路校外へと足を向けた。

 

 

***

 

 

 一色いろはを伴って部室に入ると、そこには先客四人の姿があった。

 

 扉を開けると同時に会話がぴたっと止まって、八つの目がこちらをじいっと窺って来たので、比企谷八幡はひとつ軽く頷いてからいつもの席へと足を向けた。

 その身振りにも行動にも深い意味はない。強いて言えば、応対は任せたと背中越しに伝える程度の意味合いしかない。

 

 そうした意図をしっかりと把握した一色はドアの近くで立ち止まったまま、やれやれと言いたげな表情と手つきを一同に向けて披露すると、軽い調子で口を開いた。

 

「遅くなってごめんなさいです~」

「まだ平塚先生が来ていないから大丈夫よ。それにしても、こんなに早く一堂に会する事になるとは思ってもいなかったのだけれど」

 

 苦笑まじりにそう語る雪ノ下雪乃は柔らかい表情を浮かべていて、声にも優しいものが混じっている。

 それは、椅子をすぐ近くまで移動させて雪ノ下と仲良く話し込んでいた由比ヶ浜結衣も同じだった。

 

「でもさ、選挙だからって気楽に話せないのはちょっと寂しいなって思ってたんだよね。だからこの部屋で、ゆきのんといろはちゃんと喋れるのって何だか嬉しいなって」

「ですね~。よいしょっと」

 

 にこやかに頷きながら同意の言葉を返した一色は、八幡のすぐ横に準備されていた椅子をセリフに合わせて持ち上げると、そのままとことこと雪ノ下の隣まで近寄って行く。

 そこでゆっくりと椅子を下ろしてちょこんと腰掛けて、候補者三人は害のない雑談に花を咲かせていた。

 

 

 一方、椅子の背もたれに触れたと同時に一色の話が始まったので座るタイミングを逃してしまい、そのままの姿勢で固まっていた八幡は、窓際に立つ葉山隼人が手招きをしてくれたので窮地を脱した。

 椅子から手を離してその場で軽く身体を伸ばすと、のそのそと教室の奥に足を向ける。

 

 葉山のすぐ隣には海老名姫菜が立っていて、おそらくは二人で話をしていたのだろう。由比ヶ浜が雪ノ下と喋りたがった結果、この組み合わせになったのだろうと八幡は推測した。

 

 クラスでも同じグループに属する者どうし、話題には事欠かないとは思うけれど。雪ノ下と由比ヶ浜とは違って、この二人は雑談に終始していたのか定かではない。

 奉仕部の二人なら(少なくとも今の段階では)その手の小細工はしないと断言できるけれど。この二人の間で秘密の協定が結ばれていても何ら不思議ではないなと八幡は考える。

 

 もっと早く来るべきだったなと思いながら、考えることが多すぎる現状に八幡が内心で辟易していると。

 

「やあ。いろはの惨敗は避けられそうかな?」

「さすがに余裕だな。まあ順当に行けば惨敗なんじゃね?」

「はやはちの盛り上がり的にも、一騎打ちだと厳しいって意味でも、ヒキタニくんにはもうちょい頑張って欲しいんだけどなー」

 

 選挙よりもカップリングの話を真っ先に出してくる辺りは海老名らしいと言えるものの、暴走の気配がまるで感じられないのは、それだけ由比ヶ浜陣営が本気だという証拠だろう。

 でもこの反応を見る限り、葉山が発言の裏に隠した意図には気が付いていないみたいだ。なら俺の選択で正解だったなと八幡は考える。

 

「しょせん俺らは黒子だからさ。ヒキタニくんの暗躍が目立つような選挙よりも、候補者が正々堂々と競い合う方がいいって俺は思うけど?」

「お前が黒子とか自称しても説得力がないんだが。まあ、何をしても目立つってのは同情したくなる時もあるけどな」

「でもさ、昨夜の動きは静かなものだったよねー?」

 

 これは思っていた以上に海老名が根に持っているという意味なのか。それとも何らかの秘密を隠すために敢えて不仲を強調しているのか。

 よくよく気を付けないと、可能性の袋小路に陥ったまま戻って来られなくなるなと八幡は思う。

 

「それだけ必死なんだよ。何であれ得るのは大変だけど、失うのはあっという間だからね」

「それなあ。俺の先輩としての威厳も、失うのは一瞬だったんだよなあ」

「でも、いろはに『椅子を運べ』って言われないだけマシだろ?」

 

「さっき自分で運んでたもんな。てか俺より下に戸部がいるってのは、喜んで良いことなのかね?」

「どっちにしてもさ、威厳なんて最初から無かったって思えば気が楽になるよ。そんなのより、私レベルにBLが好きな友人って得るのは本当に大変なんだよねー」

 

 三者三様に、選挙とは関係の薄い悩みごとを口にして揃ってため息を吐いていると。

 廊下のほうから、かしましい話し声が聞こえてきた。

 

 

***

 

 

 いつものようにドアを勢いよくがらっと開けて、平塚静がのっそりと部室に入ってきた。

 その直前に「先に事情を説明するから、君たちはここで少し待っているように」という声が聞こえていたので、六人は平塚の顔をじっと見つめたまま動こうとしない。

 

 そんな中にあって、八幡はなぜだか気分が落ち着かない。心臓が早鐘のように鼓動を刻みはじめ、十一月だというのに背中に汗をかいている。この上なく嫌な予感がするのだが、それが何なのかまるで予測が付かない。

 

「簡単に言うと海浜からの合同イベントのお誘いだな。両校の新しい生徒会の初仕事として何としてでも実現させたいので、今日は向こうの会長代理がまずは挨拶に来たという話だ。私個人の意見としては、イブにリア充が盛り上がるのを横目にイベントの監督をするのは断じて避けたいところなのだがね」

 

 どうせ予定なんてないくせに、という言葉を一同は喉の奥に呑み込んだ。

 そして八幡は、嫌なのは嫌だけどこの程度の話で良かったと、こっそり胸をなで下ろしていた。

 

 あれは油断だったと、後になって後悔してみても現実は変わらない。

 

「では、入って来たまえ」

 

 用事はすぐに終わりそうだし、このまま立っているかと考えて。海老名にだけは席を勧めて、そのせいで入り口から目を逸らしてしまったのも痛恨と言えば痛恨だった。

 

 だが、結局はどんな形であっても失言は避けられなかったのだろう。

 廊下から漏れ伝わって来る声だけで、本能では理解していたのだから。

 

「じゃあ、失礼しまーす。って、あれっ。ギターとベースの子……だよね?」

「かおり、かおり。あっち見て。ほら、葉山くん」

「え、葉山くんもいるの……って比企谷じゃん!」

「……折本、か」

 

 名前なんてとっくに忘れたと思っていたのに、すっと口から出て来てしまった。

 中学の頃とは違う、見慣れない制服に身を包んで。

 手に持っている鞄はなぜか都内の有名私立校のもので。

 パーマの当てかたにも少し垢抜けた感じを覚えるけれども。

 釣り目がちの顔が驚きの色に染まっている様は()()()と同じ。

 

「うわ、え、もしかして比企谷が立候補したの?」

「……いや、俺じゃない」

「あ、だよねー。じゃあ、あれだよね。せ、選挙参謀ってやつ……ぷ、ごめん。でも参謀……比企谷が……くくっ」

 

 八幡が強く唇を噛み、折本が爆笑へと転じかけたその瞬間。

 

「折本かおりさんと、お連れのお方のお名前は私には分からないのだけれど。まずはそちらのお席にお座り頂けないかしら?」

 

 体感温度が急激に下がっていくのを自覚した。

 慇懃無礼とはまさにこれだなと、ひとつ息を吐いてそう考えられるほどには八幡に余裕が生まれ。他方、折本は笑い声どころか一言たりとも口に出せそうにない。何か言葉を発したら、その瞬間に一刀両断されるイメージしか湧いてこない。

 

「ふむ。選挙参謀という言葉を最初に使ったのは私なのだがね。箸が転んでもおかしい年頃の君たちに聞かせるには不適切だったみたいだな。まあ、まずは席に座りたまえ。それと雪ノ下とは知り合いかね?」

 

 反応できない二人を見かねて、平塚が助け船を出した。

 たどたどしい足取りで席に向かう二人の背中に続けて問い掛けると、慌ててぷるぷると首を横に振られたので。もう一度「座って楽にしなさい」と声をかけてから視線を奥に移す。

 

「比企谷くんの呟きと、お連れさんの呼び掛けから推測しただけです。まずはお互いに自己紹介をする必要がありますね」

「そっか。ゆきのんにも聞こえてたんだね」

「せんぱいが名前を覚えてるなんて、珍しいですよね~」

 

 一色・雪ノ下・由比ヶ浜・海老名が反時計回りに椅子に座って。窓際には葉山と八幡が、ドアの近くでは平塚が立ったまま。依頼人席には折本と仲町が腰を下ろして。

 そんな配置で、重い雰囲気のまま両校の話し合いが始まった。

 

 

***

 

 

 ひととおりの自己紹介を終えて、それでも折本たちは本調子にはほど遠かったので。事前に話を聞いているのであろう教師にもっと詳しく説明してもらおうと考えて目線を送ると。

 

「会長の代理という用事に加えて、中学の同級生に会いに来たとは聞いていたがね。まさかそれが比企谷の事だったとは読めなかった。この平塚の目をもってしても!」

 

 火に油を注ぐようなことを言い始めたので、八幡は密かに頭を抱えた。

 古い漫画のネタに食い付いて欲しそうな顔をしているが、こうなったらスルー上等だろう。しょぼーんとしてても相手をしてあげないんだからね、などと考えていると。

 

「えっと……合同イベントの話よりも、先にこっちを片付けよっか。あのね、折本さんはヒッキーと会って、どうしたかったの?」

「あの……ヒッキーって比企谷のこと、だよね?」

「やばくないしウケないからねー」

 

 さすがに空気を読めと仲町から釘を刺されて、喉まで出かかった言葉を呑み込むのに四苦八苦している折本の姿が目に入った。

 変わってないなと八幡は思い、同時にそう思えた自分に少し胸をなで下ろす。

 

「ごほん。えーっと、うーんと……。比企谷と会ってどうするかって、正直あんまり考えてなかったんだよねー。会ったらその場のノリで適当にって感じでさー」

「でもでも、せんぱいに会いに来たからには、何か理由があったんじゃないんですか~?」

 

 腕を組んだり頭をしきりに捻ったりしながら、折本は軽い調子で由比ヶ浜の質問に答えた。

 あっけらかんとした回答に多くが呆気にとられている中で、一色が目をきょとんとさせながらも質問を重ねると。

 

「理由っていうか……これってきっかけ、かな。九月にね、ここの文化祭に来たんだけどさー」

「私たちのバンドを観たのがきっかけなのね?」

 

 折本の話がまどろこしいと考えたのか、ぴんと背筋を伸ばしたまま雪ノ下が口を挟んできた。

 びくっと身体を跳ねさせる折本を見て、良い反応だなと八幡は思った。

 

「あのさ、さっき私のフルネームを呼んだ時にも思ったんだけど。もしかして、エスパー?」

「それはないよー」

「はあ。自分の発言ぐらいは覚えておいて欲しいのだけれど。私と由比ヶ浜さんを見て、ギターとベースの子だと言ったでしょう?」

「あー、そっかー。自分で言っちゃってたかー」

 

 仲町と雪ノ下からダメ出しをされても平気で笑っていられる折本を見て、由比ヶ浜とは別方向のアホの子だよなと八幡は思った。

 そして、そんなお気楽な感想を抱いた自分を訝しむ。

 

 どうしてあんな奴に、という感情は八幡の中に根強く存在していたはずなのに。実際に再会してみると、あの時に自分が行動に出た理由を改めて理解できた気がしたし、折本を恨む気持ちも薄らいでいた。

 

 考えてみれば不思議なものだ。たった二年か三年ほど歳が違うだけなのに、過去の自分がまるで違う人間のように思えてしまう時がある。その一方で今のように、自分はやはり自分なのだと思える瞬間も珍しくない。

 

 きっと、自分では成長しているつもりでも人はそれほど変わらないし。同時に、変わらないと思っているのは自分だけで、周囲から見れば明らかに変わってしまった部分もあるのだろう。

 

 そんなことを考えていたからか、こんな話になっても平然と聞き流せた。

 

 

「面倒だからずばっと訊くね。バンドを観た中学の同級生が訪ねて来たってだけだと、動機としては弱いと思うんだよねー。だから折本さんに教えて欲しいんだけどさ。過去に二人の間で何があったの?」

 

 話がややこしくなるのでヒキタニくん呼びは封印して、海老名が敢えて直球を投げ込んだ。

 

 由比ヶ浜も一色も雪ノ下ですらも躊躇していた質問を口にできたのは、八幡の心境の変化に気付けたからだ。

 寄り添うように座っている三人とは違って、横目で八幡の様子を窺える位置だったこと。

 京都駅で昨日、深いやり取りを交わしたおかげで、八幡の雰囲気の違いを見抜けたこと。

 

 そうした偶然と必然とが重なり合って放たれた質問に、折本はこう答える。

 

「比企谷に告られて、断って、それぐらいかなー。でもさ、中学の時の比企谷ってつまんないやつだなーって思ってたんだけど、バンドやってる比企谷ってぜんぜん違って見えてさ。うん、だから、この二年の間に何があったのか興味が湧いたって感じかなー?」

 

 告白されたことも、それを断ったことも。なんでもない事だと言わんばかりの軽い口調で簡単に片付けると、折本はそのまま話を続けた。

 納得のいく回答にようやく辿り着けたので、うんうんと繰り返し首を上下に動かしながら目を輝かせている。

 

 

 そんな様子を見せつけられても、八幡の心は凪いでいた。心拍数も体温もいつも通りだし、背中の汗はいつの間にか乾いてしまって新たに出てくる気配もない。

 

 昔と同じ自分と変わってしまった自分。

 昔と同じ折本と変わってしまった折本。

 

 そんなふうに自他を客観視できるのはきっと、奉仕部で過ごした時間のおかげだろう。つまり、二人と接する時間を重ねたおかげで折本のことを清算できたのだなと八幡は思った。

 

 中学の時には、そんな芸当は不可能だっただろう。

 そもそも告白からして、自他の区別がついていない状態で突っ走っていただけなのだから。

 

 折本のことがまるで見えていなかったのかと言われると、それは違う。つい先程も確認したとおり、折本の長所にはかつての自分も気付いていた。

 人懐こくて世話好きで、阿呆のような底抜けの明るさで周りを元気にしてくれる。

 

 それを否定することは、別方向とはいえアホの子という点では共通する由比ヶ浜の良さをも否定するということだ。意外と世話好きな雪ノ下の長所も、あざとい擬態の下に人懐こい性格を隠し持っている一色のことも。

 そう考える八幡は、折本の長所ではなくかつての自分の未熟さをこそ否定する。

 

 こいつだけは俺のことを理解してくれる。

 こいつの考えを理解できるのは俺だけだ。

 

 そんなふうに考えた瞬間に相手の長所はたちまち雲散霧消して、後にはできの悪い人形が残るだけなのに。自分に都合の良いようにしか動いてくれない木偶(でく)の坊に成り果ててしまうのに。

 中学の時の俺は、それこそが得がたい特別なものなのだと思い込んでいた。

 そのことに、つい最近まで気付けなかった。

 

 自分とは生い立ちも考え方も性別も違う誰かと通じ合えるのは嬉しいことだ。

 でも同時に、違う他人だからこそ「やり方が嫌い」だと指摘して貰えるし、「人の気持ちを考えて」と言われると前を向いて立ち上がる勇気が湧いてくる。

 今の失敗を覆す未来があるのだと、そう考えることができるからだ。

 

 だから八幡は、折本の発言にこう応える。

 

 

「ぼっちで過ごしてたら、人の為に働かされて。んで、気が付いたらこうなってただけだ。だからまあ、偶然とか成り行きとか、そんな感じじゃね?」

「あー。比企谷って独りでいるの好きだったよねー」

 

 中学の頃を思い出してぷっと笑いを漏らしている折本と、そんな反応を見ても今となっては何らの痛痒も感じないなと苦笑している八幡の周囲に、瞬時にして冷たい空気が満ちた。

 

「クッキーの依頼の時に、比企谷くんはこう言っていたわね。『学級委員でちょっと親しげにされただけで、惚れて告白して振られて言い触らされてぼっちになる』と。それともあれは、ナル谷くんの話だったかしら?」

「ぶっ。ナル谷って、それあったー!」

 

 中学時代の話ゆえに仲町も今回ばかりは口を挟めず、寒々とした室内に独り折本の声が響き渡った。

 ひとしきり笑い転げた後で、ようやく場の雰囲気に気付いた折本が首を捻っていると。

 

「あたしも思い出した事があるんだけどさ。ヒッキーに初めてメッセージを送ってもらった時にね。夜の七時にメールを送っても翌朝まで返事がなかったり、『ウケる!』って一言だけだったりって言ってたけど、あれ折本さんだよね?」

「いやー、だって全然話したことなかったからさー。超ビビって……あれ?」

 

 折本の言い分も分からなくはない。

 けれども八幡とともに濃密な時間を過ごしてきた一同からすれば、そんな扱いは承伏しかねるのが正直なところだ。

 

 たしかに八幡には、女子に警戒感を抱かせるような不器用な側面がある。

 だけど同時に、他人を思い遣れる優しさも持ち合わせている。

 

 いくら八幡がへらず口を叩いて否定しようとしても。

 カースト底辺のぼっちという環境にあってなお性根までは腐らず、他者を攻撃する以上に自省と諦観を強くして、ひとたび仕事を任されると手段を選ばずやり遂げようとするほどの責任感を備えていると、この場にいる全員が理解している。

 

 そのことを誰がどのように説明すべきかとお互いに様子を窺っていると、口を開いたのは意外な人物だった。

 

「そういうの、あまり好きじゃないな……」

 

 そこでいったん言葉を切って折本に向かって優しく微笑んだ葉山は、まるで分別のある大人が何も知らない子供を慰め諭すような口調で話を続ける。

 敵意を剥き出しにするよりも、この話し方のほうが効果があるはずだと考えながら。

 

「比企谷の表面だけを見て、勝手に警戒したり笑い物にしていただけじゃないかな。君が告白を断ったのは仕方がないと思うけどね。それを言い触らしたり、それが原因で比企谷が孤立しても笑っていられるのは、俺には理解できないな。メールにしても、もう少し違うやり方があったんじゃない?」

 

 平塚が「ほう」と言いながら顎に手を当てて、女子生徒たちは言いたかったことを先に言われて四者四様に残念がっていて、仲町は不安げに身を震わせながら折本と葉山の顔をかわるがわる眺めていて。

 

 そんな状況なので仕方なく葉山に身体を向けて口を開こうとした八幡の耳に、折本の要領を得ない言葉が聞こえてきた。

 

「えっ、だって言い触らしたのは比企谷だって……そ、それに比企谷は孤独が好きなポーズをしてるだけだって……たしか、メールの返事なんてしたら付け上がるだけだって……なんで、聞いてた話と違うじゃん。なんで?」

「か、かおり?」

 

 綺麗に整えられたショートボブを右手で搔き毟っているので、仲町が抱き付くようにして止めさせると。はっと何かを思いついた折本が、やおら立ち上がった。

 

「ごめんっ。ちょっと調べたいことができたから帰るね。今日の夜にでも比企谷に……連絡するのって、良くないよね。じゃあ誰か……」

「いや、俺で良い。だいたいの予想は付くけどな、あんま気にすんな。つか合同イベントの打ち合わせはどうするんだ?」

 

 仲町を巻きつけたまま話を進める折本に、八幡がそう問い掛けると。

 立ったまま「あっ」と言って固まっているので、ぶらんぶらんと揺れているものが代わりに口を開いた。

 

「今日は挨拶だけの予定だったし、また試験明けにって事でどうかなー?」

「あ、うん。千佳の言うとおりにしてもらっていいかな?」

 

 膝をゆっくりと曲げて仲町の足を床に着けながら、折本が一同に向けて問い掛けると。

 会長候補の三人が揃って首を縦に動かしたので、ようやく折本の顔に微かな笑いが戻った。

 

「じゃあ、えっと。嫌な事を言わせちゃったり、気分悪くさせちゃってごめんね。比企谷のこと、よろしくお願いしまーす!」

 

 最後に、息子の友人に向かって母親が言うような類いの軽口を残して、折本と仲町は教室を出て行った。

 

 

*****

 

 

 ばたんと扉が閉まると同時に、複数の口から軽いため息が漏れた。続いて視線が八幡に集中したので、目を泳がせながら口を開く。

 

「なんか、あれだな。選挙の話を忘れそうになるよな」

 

 その発言に応えてくれる者はなく、しかし八幡の頭の中では「貴方の・ヒッキーの・せんぱいの・ヒキタニくんの・比企谷の過去の行いが原因だ」という声が六重奏で響いていた。

 葉山の声がいちばんむかつくな、などと考えていると。

 

「はあ。いいわ、選挙の話に戻りましょうか。葉山くんと比企谷くんも座ってくれていいわよ。平塚先生は……?」

「私は職員室に戻るとしよう。立会が必要な話になるとは思えないのだが、どうかね?」

「ええ、大丈夫です。わざわざありがとうございました」

 

 雪ノ下がいつものように進行役を引き受けてくれて、平塚が部室から出て行った。

 

 椅子に座って良いとは言われたものの、立ったままのほうが罰を受けている感じがして落ち着くので、八幡は軽く首を振って雪ノ下の勧めを固辞した。

 猫背気味にぬぼーっと突っ立っていると、やはり座るのを遠慮した葉山が嬉しそうな顔を向けてくる。

 

「……なんだよ?」

「いや、別に?」

 

 唇の動きだけでそんなやり取りを交わして、二人はぷいっと視線を逸らして前を向いた。おかげで腐女子には悟られずに済んでいる。

 

 

「早くクラスに戻りたいと考えているかもしれないのだけれど。ひとつ大事なことを言い忘れていたのでちょうど良かったわ」

「え~と、それって、選挙に関係することですよね?」

「ゆきのんはたぶん、活動の時間を制限したいんだよね?」

 

 雪ノ下が口火を切ると、話の先が読めないので一色は小首を傾げている。

 一方の由比ヶ浜は事前にその可能性を伝えられていたのか、すらすらと推測を口にした。

 そういうことかと頷いている八幡の反応を知ってか知らずか、雪ノ下が言葉を続ける。

 

「ええ。大雑把に言えば、選挙活動は校内にいる時だけに限定したいのよ。土日はゆっくり過ごしたいし、もうすぐ期末試験でしょう?」

「それってさ。朝は部活の朝練の時間から、夜は最終下校時刻までって感じだよねー。じゃあ昨夜の動きは例外ってこと?」

 

 正論で話を進めようとする雪ノ下に、海老名が待ったをかける。

 

 見事にしてやられたという悔しさもあるにはあるが、初動の遅れを少しでも挽回できるように隙を窺っているというのが実情に近い。本音では由比ヶ浜も海老名も、選挙運動で土日が潰れてしまうのは避けたいところだ。

 とはいえ、いちばん劣勢な陣営は反対だろうなと考えていると。

 

「まあ、俺が言うのも間抜けっぽいけどな。昨夜のことは気付かない方が悪いとしか言いようがないし、もう終わった話だろ。土日に物量作戦を始められたら人手不足の俺らには太刀打ちできないから、基本的には賛成だな。一色もそれでいいか?」

「形だけの確認とか、別にいいですよ~」

 

 面倒くさそうに右手をぺいぺいと動かしながら。その実あっさりと全権を委任してくれる一色に苦笑いを返して、八幡は話を続ける。

 

「あんま厳密に制限しても実現性に疑問が残るし、とりあえず主要な連中だけは大々的に動くのは禁止って感じでどうだ?」

「それってさ。土日にどっかの運動部の部長が部員を勧誘するとかは、防げないってことだよねー?」

「貴女たちの支援者が勝手に勧誘するぶんには、問題は無いという話にもなるわね」

 

 お互いの利点を口に出しつつ、海老名と雪ノ下は頭の中でデメリットを検討する。

 

 支持者の動きをへたに制限すると、盛り上がりに水を差す形になってしまう。それに各陣営の支持層がおおまかに色分け済みの現状では、自分たちが大々的に動いたところで効果は薄い。投票日まで近いようでいて微妙に遠いのも、動きにくさに拍車をかける。

 

 だとすると、残る問題はひとつだけだと考えて海老名が口を開いた。

 

 

「じゃあさ。活動時間はさっき私が言った通りで、制限の強さはヒキタニくんの提案に従うとしてさ。禁を破った場合はどうするの?」

 

 海老名としては当然の疑問だと、そう頷いたのはにこやかに笑みを深めた葉山だけで。その他の面々はなんだか困ったような表情を浮かべている。

 

「そのな。俺の考えが甘いだけかもしれないけどな。この場ではっきり禁止だって約束したことを違えるようなやつは、ここには居ないんじゃねーかな」

 

 少し照れくさそうに頭をがしがしと掻きながら八幡が言葉を発すると、それを是とする表明が続いた。

 

「うん。あたしもしないし、姫菜も優美子もしないと思う」

「私も葉山くんも、そんな勝ち方は望んでいないわ」

「わたしは別に、せんぱいが勝手に破るぶんにはいいと思うんですけどね~」

 

「なあ。それって俺を使い捨てにしようとしてねーか?」

「いろはが言いたいのは逆だろ。前に俺も『あと一点とか考えなくていいですよ~』って試合中に脅されたことがあってさ」

「葉山先輩。なにが言いたいんですか?」

 

 そんなふうに内輪の空気を出されては、海老名もお手上げだ。

 自分も同じ輪の中に入れて貰えている現状に、慣れないなと思いながら。同じような事を考えそうな男子生徒に視線を向けると、ふっと目が合った。

 

「わざわざ禁止だって確認しなくてもな。実際の選挙だと、例えばネガキャンとか凄いけど、そんなのを企てるやつは居ないだろ。勝つために他の陣営が思いつかない手を繰り出すのと一線を越えるのとは、全く別の話だからな。だからまあ、そっちが出し抜いても別に謝らなくて良いし、口約束でも大事な約束なら全員が守るはずだ。ま、その辺は由比ヶ浜に任せるのがいちばん楽だと思うぞ?」

 

 自分と考え方が似ている相手に諭されると、反骨心が湧いて来るのはなぜだろうか。

 でもおかげで、先程の悩みは大きくなる前に解消できた。

 

 この集団の中に自分が居ると考えると、なんだか荷が重く思えるけれど。由比ヶ浜と一緒の集団に居ると考えると心が軽くなる。きっと八幡はそれを教えてくれたのだろう。

 そこまで言われたら笑うしかないなと考えて、海老名が珍しく頬をほころばせていると。

 

「最終下校時刻まではまだ間があるので、そろそろ解散にしましょうか。由比ヶ浜さんと一色さんの健闘を楽しみにしているわね」

「うん。ゆきのんが凄いのはとっくに知ってるからさ。立候補したからには最後まで諦めないからね!」

「お二人と競えてるだけでも楽しいんですけどね~。でも負けたら悔しいので、わたしも頑張りますよ〜!」

 

 三候補が健闘を誓い合って、一同は揃って部室を出るとおのおのの支援者が待つ教室に戻った。

 

 

***

 

 

 一年C組のドアを開けると、中にいた全員が厳しい顔つきでいっせいに振り向いて、即座に肩の力を抜いて笑顔で迎えてくれた。

 話し合いが白熱していたみたいだなと考えながら、八幡は逸る足取りで元の席に戻る。

 

 八幡の席のすぐ左手には大和がいて、その奥には相模南と取り巻きの四人が順に座っている。クラスを後にした時には相模の後ろに四人が控える形だったのに、今や同一円上に椅子が並んでいる。一色の椅子を挟んで同級生の四人が弧を描いて、八幡のすぐ横まで続いていた。

 

「……まあ、会長になってからの話ですし今は関係ないですね~」

 

 呼び出しの理由を一色が説明し終えて、続けて八幡が先程の約束を伝えると、なにやら相模がそわそわしている。

 

「トイレに行きたいなら我慢しなくて良いぞ?」

「なん、ってこと言うのよ、もう。そうじゃなくて、うちが考えてたのは時間が無いなってこと!」

 

 選挙活動は最終下校時刻までだと聞いて焦っているのだろう。そう考えた八幡は、相模の行動を推測して口を開く。

 

「んじゃ、話し合いの内容は他のやつに聞くから、相模はすぐに動いてくれ。たぶんあの二人は雪ノ下の陣営にいると思う。ついでにその線で……」

「ヒキタニくんの数少ない友達だもんね。文化祭の時にうちのことを一緒に探してくれたみたいだし、任せといて!」

 

 そう言って走り出そうとする相模に、八幡は思わず待ったをかけた。

 

「あ、ちょい待て。なんかお前、性格変わってねーか?」

「へっ?」

「いや、あのな。あんま言いたくねーけど昔のお前って、最小限の労力で最大限の結果をって考え方だったと思うんだが」

 

「あー、まあそれは否定しないけどさ。でも体育祭の運営委員会に参加したじゃん。あの時に、ちゃんと仕事を見てくれるのって嬉しいなってうちら思ったんだよね。だから今はその、結果だけじゃなくて内容重視ってやつ?」

 

 意外な返事を聞いて、ようやく腑に落ちた。つまりは雪ノ下の姿勢がついに実を結んだという事だろう。

 まさかこいつを、こんなにも頼もしいと思える日が来るなんて。

 そう考えた八幡は、ふっと鼻から息を漏らして口を開く。

 

「なるほどな。じゃあ、三人まとめて連れてくるのを楽しみにしてるな」

「あっ、えっと、うちもそのつもりだけどさ。無理だったら、その、ごめんね……」

 

 こういうところは変わっていないなと思いながら、俯きがちの相模に向けて苦笑まじりに返事を伝える。

 

「あのな。さっき自分で内容重視とか言ってただろ。結果が出る出ないは雪ノ下や由比ヶ浜の統制次第って部分もあるし、今日はもう遅いしな。だから出来る範囲で頼むわ」

「……うん。行ってくる!」

 

 頭を上げた相模が勢いよく教室を去って、後には男子二人と女子九人が残った。

 扉が閉まると同時に、今度は大和が口を開く。

 

 

「一色さんの推薦人とファン連中の扱いだけどさ。情報収集に特化させたらどうかって話になってる」

「えっ。でもその情報って、信じていいのかな~って?」

 

 一色の反応も目の付け所も悪くはないなと考えながら、八幡は大和の真意を探る。そしてぽつっと口にしたのは。

 

「……情報の紐付けか?」

「ああ。誰がどの情報を仕入れて来たのかを明確にするのはどうかなって」

 

 そう答えながら、大和は一学期のことを思い出していた。

 

 職場見学で葉山と同じ班になるために、大和は大岡と共謀してライバル二人を出し抜こうと考えた。同じサッカー部の戸部翔と、二年F組で孤立しないように葉山が何かと気にかけていた八幡と。その二人が辞退してくれる事を願いながら、クラス内に悪い噂を流した。

 

 自分たちの悪評も流したのは、もちろんカモフラージュのつもりだった。けれど噂は二人の予想を超えた広がりを見せる。そうなって初めて、自らの愚かさをようやく自覚した。

 

 自分たちの手に負えない規模まで広がった噂を見事に消火してくれた面々には、今も昔も感謝しかない。雪ノ下のことは正直怖いと思うけれど、感謝の気持ちに偽りはない。

 

 事件が一気に解決したので、二人が名乗り出る意味は無くなった。そんなことをしても無用な混乱しか生み出さない。そう悟った二人は、誰にも言えない罪を抱え続けることがどれほどつらいものなのか身を以て理解した。

 

 だから、少しでも罪の意識を軽くしたいという気持ちはもちろんあった。けれど馬鹿げた事件に巻き込んでしまった戸部と八幡に必ず償おうと考えたのは、単純にそうしたいと思えたことが大きい。

 

 その感情は戸部や八幡と接する時間が増えるほどに勢いを増し、一方で後ろ向きの負の感情は時が経つほどに小さくなっていった。そうした心境の変化を自覚しつつ、大和は大岡と二人で定期的に贖罪を誓い合った。その想いは今も衰えることなく続いている。

 

 

 全ては自分たちが招いたことなのだから、自業自得という結論で何もかもを片付けるべきなのだろう。けれども大和はひとつだけ納得できないことがあった。噂が広がった時に、同級生に「有り得る」という目で見られたことだ。

 

 大和が「三股をかけている屑野郎」だなんて、そんな大それたことは俺には絶対に無理だ。自分の優柔不断な性格は自分がいちばん知っている。なのに同級生は、表立っては何も言わないくせに、裏では悪いふうに受け取るのだ。あるいは、おもしろおかしく受け止める。

 

 あの時に大和が連想したのは中学の頃の記憶だった。クラスをまとめる役割を人に押し付けて、表立っては何らの責任も負わないくせに。裏では裁定が悪いだの何を考えているのか分かりにくいだのと悪口を並べ立てるクラスメイトに、大和は何度もうんざりさせられた。

 

 高校に進学してからはそんな役割を引き受ける必要も無くなって、部活でもクラスでも気楽に過ごせていると思っていたのに。古傷というものはいつまで経っても消えてくれないのだと、まざまざと理解させられた。

 

 とはいえ、怪我の功名と言うべきだろうか。そんな過去を持つ大和だからこそ情報の扱いには敏感になったし、情報そのものへの興味も湧いた。

 

 それが真実か否かよりも、多くの人が信じやすいか否かで情報の伝播速度が違って来る。同時に、その情報が匿名か否かでも拡散のスピードは違って来る。無責任な噂は広がるのもあっという間だが、きちんとした裏付けのある情報は存在自体が稀だ。

 

 つまり、情報に紐が付くほどに、その動きは鈍くなり価値は跳ね上がる。

 

 過去の過ちは決して無かったことにはできない。けれどもその苦い経験を活かして、人の役に立つことはできる。ましてやそれが必ず償うと誓った相手ならば、大和にとっては望むところだ。

 

 

 決して打ち明けまいと決めた想いを強く心に抱きながら、大和が八幡の反応を窺っていると。

 

「なるほどな。情報の操作とかは考えてるのか?」

「偽情報とかを入れてもさ、手間の割には効果が薄いと思うのな。だから段階的な開示にして、基本の情報は誰でも確認できるけど、仕入れたやつの情報は俺らだけが……みたいな形でさ」

 

 今の八幡の問いには答えることができたものの、実はこの辺りが大和の限界だった。基本方針は提案できても、それをどうやって実行すれば良いのか分からないのだ。

 

 そんな大和の心の中を読んだわけでもあるまいに。八幡がにやりと笑いながらこう続ける。

 

「あのな、今さっき相模に動いてもらっただろ。あいつが連れてくる連中がちょうどその手の事に詳しいんでな。面白いことになると思うぞ。特にファン連中には情報の量とか正確さに応じて表彰とかしてやれば、すごい勢いで動いてくれるんじゃねーかな。推薦人連中も嫌でも動くしかないし、こんなのよく思いついたよな」

 

 さっき相模が言っていたのはこの事かと、大和もようやく理解できた。

 ちゃんと仕事を見てくれる誰かがいるだけで、こんなにも充実した気分に至れるのだから。

 

 中学の頃から心の奥ではずっと求め続けてきたものがようやく眼前に現れた気がして、そこで大和はひとつ疑問を思い出した。

 

「あのさ、実はヒキタニくんに訊きたいことがあるんだけどな。ぼっちで居た時に、陰でこそこそと悪いことを言う奴らがいただろ。そういうのって気にならないのか?」

 

 突然の問い掛けに首を傾げてみたものの、特に難しい話でもないので八幡はすぐに口を開く。

 

「そういうのを気にしてたらキリが無いだろ。それよりも俺は、ぼっちの時にも妹がいたし今も数は少ないけど見放されたら嫌だなって思う連中がいて、そいつらに悪く言われるほうが遙かに嫌だな」

 

 きっとあの噂が流れた時もどうでも良いと思っていたのだろう。八幡が見放されたくないと思うあの二人が、「弱みを握られている」なんて噂を真に受けるわけがないのだから。

 

「まあ、そうだな。でもさ、一色さんの推薦人連中って、陰ではこそこそ言ってるんだろ?」

「ああ、そういう話な。でも一色なんて俺以上に達観してるからなー」

 

 大岡を葉山のところに行かせたのは、行動力があるほうが雪ノ下・葉山との相性が良いと考えたのも確かだし本人の希望もあったからだが、大和が八幡と一色の手助けをしたかったという理由もあった。

 

 誰であれ、たとえそれが雪ノ下でも由比ヶ浜でも葉山でも海老名でも三浦優美子でも、誰かに陰口を叩かれることは避けられない。

 けれども冷静に比較すると、八幡や一色のほうが圧倒的に数が多い。八幡は意味なく見下される事が多く、一色はそもそも敵が多かった。

 それでも、二人は平然と過ごしている。

 

 なにか秘訣があるのなら、それを知りたいものだと大和は考えていた。

 そして今、得られた答えはとても単純なものだ。

 

 一学期の行いがもしも戸部や葉山にばれたら、二人に見放されてしまうかもしれない。

 でも、罪人(つみびと)がこんなふうに考えるのはまちがっているかもしれないけれど。見放されるのは嫌だと、そんな強い気持ちを抱けるようになったのは、実はあの失敗のおかげでもある。それをどう考えたら良いのだろうか。

 

 きっとこれは、自分たちが長い時間をかけて考え続けるべき問題なのだろう。

 そう思えただけでも、この陣営に参加した甲斐があったなと大和は思った。

 

 

「せんぱい。わたしだって悪く言われたら、傷つくこともあるんですよ~?」

「はいはい。つーか俺だって傷つくのは傷つくぞ。ただ気にしても仕方がないって話だし、一色も同じだろ?」

 

「同じじゃないですよ~。まったく、鈍感なせんぱいとわたしを同列で語られたら困ります!」

「へいへい。じゃあ敏感な一色には、有権者の反応を読んで欲しいんだがな」

 

 あざとく絡んでくる一色を軽くあしらって、八幡は真面目な話に戻した。ここからが本題だと考えていると。

 

「いろはちゃんって、その、感じやすいってこと?」

「へえー。なんでそんなことを知られてるんだろねー?」

「でもさ、南の扱いも上手いもんだと思わなかった?」

「あっ、じゃあやっぱり相模先輩も?」

「南もまんざらでもない感じだしさー」

「とは言っても、南ってチョロいからなー」

「誘われたらほいほい行きそうで、南って見てて怖い時があるよね」

「その点いろはちゃんは安心してたのに、感じやすいのかぁー」

 

 ここぞとばかりに相模と一色の友人計八人にネタにされてしまい、気勢をそがれてしまった。普段ならさっさと抗議の声を上げそうな一色も、珍しく顔を赤くして固まっている。

 

 じとっとした目で一同を見渡すと八通りの可愛らしい反応が返ってきたので。徹底的に無視するのが得策だと判断した八幡は、わざとらしく大きなため息を吐いてから話を戻した。

 

 

「あのな。葉山と海老名さんの反応を見る限り、例の二位狙い作戦は雪ノ下にはバレバレで由比ヶ浜には気付かれてないと思う。ここまでは良いか?」

 

 投票で三位まで順位をつけるという話を出した時点で、おそらく雪ノ下には見破られていたのだろう。だから戸塚彩加にはお願いして川崎沙希には話さなかったのは正解だったなと八幡が再び考えていると、珍しく一色が真面目な声で尋ねてくる。

 

「雪ノ下先輩にバレた理由と、結衣先輩には気付かれていない理由って何ですか?」

「雪ノ下はまあ、俺の思考を読んだんだろな。んで由比ヶ浜ってか海老名さんは、二位狙いのデメリットが大きいと見て却下したんだと思う」

 

 一同の頭の上に大きなはてなマークが浮かんでいるのが見えた気がして、八幡は目をぱちぱちとさせながら言葉を続ける。

 

「あのな、頭の良い奴が陥りやすいんだがな。どう考えても割に合わないからそんな行動には出ないだろう、みたいな感じで勝手に却下してくれるのな。さっきの俺の屁理屈を覚えてるか?」

 

 全員の反応を確認してから解説を続ける。

 二位狙い作戦の欠点は、一位を一位として認めてしまう点にある。つまり自ら序列を確定させてしまうという危険性が常に付きまとっている。

 

「相手が雪ノ下ならまだ良いのな。けど由比ヶ浜とは直接二位の座を争っている状況だろ。由比ヶ浜のほうが上だと自分から認めるのは、かなりリスキーなんだわ。海老名さんの立場からすれば、あの言い訳を俺らに言わせた時点で優位に立てるわけだ。だから、まさかそんな作戦には出ないだろうってな」

 

 しきりに頷きながらもどこか納得のいかない顔をしている面々に向けて、八幡の解説が続く。

 

「でもな、大っぴらに認めさえしなければ、別に由比ヶ浜が上でも良いんだよな。なんでかって言うと、選挙の前日まではそんな順位なんて全く無意味だし、俺らが三番手なのは周知の事実だろ。だから俺らが本当に目指すのは……」

「知名度を上げること、ですよね〜」

 

 結論の言葉をすいっと奪って、一色がにんまりと不敵な笑顔を浮かべている。

 さすがに憮然とした表情で、どうやり返してやろうかと八幡が考えていると。

 

「なるほどな。戸塚に頼んだのは、一色さんの名前を広めるのが目的ってことか」

「まあ本音を言えば、当日までに二位の座を確保したいのは確かだけどな。一色の名前が雪ノ下や由比ヶ浜と同じぐらいの頻度で語られる辺りが最低ラインかね。それ以下だと、演説だけで逆転するのはたぶん無理だろな」

 

 大和の落ち着いた物言いで冷静になれたので、一色との場外バトルは回避して真面目な話を続けた。女子八人からつまらなそうな反応が出ているのはたぶん気のせいだろう。

 そう思いたかった八幡だが、真面目な声を耳にしたので淡い期待は消えた。

 

「じゃあ、さっきせんぱいが『有権者の反応を読む』って言ってたのはどういう意味ですか?」

 

 女子八人からネタにされない為には一色と真剣なやり取りを続けるのが無難だが、あまりにも共謀が重なると逆に材料を与えてしまう。相手をし過ぎても、しなさ過ぎてもダメというのは難易度が高いよなと考えながら、わずかに間を置いて問いに答える。

 

「はい、ここで問題です。雪ノ下には国際教養科とか文実の生徒が肩入れしてて、由比ヶ浜には三浦や海老名さんの信奉者も含めて支援者が大勢いるよな。じゃあ、有権者の最大派閥ってどの集団だと思う?」

 

「えっと……J組が一年から三年まで集まったっていっても、割合的には最大でも一割なんですよね?」

「由比ヶ浜さんたち三人の支援者も、けっこう重なってるの多いよね」

「あ、じゃあせんぱいが狙ってるのって……」

 

 一年と二年の女子に続けて、答えが分かった一色が先程の謝罪とばかりに八幡に発言権を回してくれたので。

 

「まあ、あれだ。いわゆる無党派層だな。その反応を読めるのは、一色しかいないと俺は思ってる」

 

 友人ひとりひとりを大切にする由比ヶ浜とは違って、ファンを時にぞんざいに扱える一色だからこそできる事もある。

 そんな八幡の解説を聞いて、そのぞんざいな扱いはどうなんですかね〜と考えつつも一色の表情は明るい。

 

「なんだか、変な感じですよね〜。圧倒的に劣勢なのは変わってないのに、せんぱいが変な事を言い出すと希望があるように思えて来ちゃいますし。ちょっと詐欺師とか目指してみます?」

「いや、何言ってんのお前。画廊に騙された親父の血を引いている俺に詐欺師とか、どう考えても無理だろが」

 

 二人の独特のやり取りも飛び出したので、女子八人にも笑いがこぼれて。

 そんなふうにして一色陣営は、良い雰囲気の中で選挙戦の一日目を終えた。

 

 

***

 

 

 その日の夜、八幡のもとに二人の女子生徒からメッセージが届いて。

 

 迎えた土曜日の正午。

 八幡はなぜか葉山と並んで、駅前で女の子を待っていた。




更新が遅くなってごめんなさい。
十連休はとても楽しみなのですが、それに先立つこの十日ばかりは二度と体験したくない気がします。。

次回は連休明けの十日頃とさせて下さい。
元号が令和になっても、本作を宜しくお願いします。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
細かな表現を修正しました。(5/18)

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