俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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引き続いて材木座のお話です。



13.もちろん我の依頼はすんなりと受け入れられる。

 すっかり歩き慣れた経路を辿って、比企谷八幡は特別棟の廊下を一人歩いていた。毎日のようにあの教室へと向かっていると、初めの頃にはあった緊張感も薄れてくるものである。そんなわけで八幡はすっかり気を緩めており、その為に廊下の先にあったものに気付くのが遅れてしまった。

 

 目的の教室に向かう最後の曲がり角。窓の外を眺めながら何も考えずに歩いていたせいで、八幡の意識としてはそれが突然目の前に現れたように思えた。それとはすなわち、スカート越しに見える女子生徒の可愛らしいお尻であり、身をかがめて向こう側をこっそり観察している彼女の上半身であり、そのせいで八幡の方へと突き出す形になっているお尻であり、それからとにかくお尻である。

 

 

 思いがけぬ展開に呆気にとられる八幡だが、何かが彼の意識に引っ掛かりすぐに再起動を果たす。そう、ぐずぐずしているとクラスメイトの彼女がやって来る。女子高生の丸いお尻から目が離せない彼の姿を見られてしまうと、彼の残りの高校生活は更に酷いものになるだろう。まさか今より下があると思っていなかった八幡だが、とにかく最悪の事態を回避すべく、彼は小さく咳をして目の前の女子生徒に合図を送った。

 

 

 数秒間お尻をじっくり見られていた事にも気付かず、教室の前に仁王立ちする人物の観察に余念がなかった雪ノ下雪乃は、警戒の対象がすぐに動く事はないと判断して後ろを振り向き己が部員と向かい合った。思いの外に顔が近い事に八幡は赤面するが、彼女の目は真剣そのものである。小声で話をする為に更に顔を近付けて、彼女は八幡に向けて話し始める。

 

 

「比企谷くん。知りたい事はたくさんあるのに、今はとにかく情報が足りないわ。しりぞくべきか否か。資料にもマニュアルにも無かった事態だけれど、貴方は視力は良かったかしら?」

 

「え?あ、おう。視力は……特に普通だ。お前に見えないものが見えるって事はないと思うぞ」

 

 

 知りたい、しりぞく、資料、視力など、尻で始まる言葉が出るたびに敏感に反応してしまう八幡であった。幸いそれは、会話をしながらも定期的にあちらの様子を窺っている雪乃には悟られなかった模様である。

 

 

「そう。……端的に説明すると、部室の前に敵が現れたわ。おそらくゲームの中ボス?みたいな存在だと思うのだけれど。貴方にも後で確認して貰うとして、仮に戦いを挑むのなら二人や三人だと無謀かもしれないわね」

 

「マジか……。あのゲームマスター、えげつねぇな。安心させといてこれかよ」

 

 

 違う、濡れ衣だ。中二病向けの装備を用意するなど私は一貫して弱者の味方だ。どこか別の場所でそんな叫びが発せられた気もするが、当然ながら二人には届かない。

 

 

「安易に命を賭けるわけにもいかない以上、集団で包囲して遠距離からの攻撃のみで仕留めるのが一番でしょうね。いえ、それより前に降伏勧告をして、仮に尋問が出来れば色々と情報が手に入るかもしれないわ。だとすれば、守備の陣形を維持する事を第一に、第二に攻撃手段を複数用意して、その上で……」

 

 

 着々と戦術を練っていく雪乃であった。現れた部員に順次「我こそは剣豪将軍」と名乗りを上げて怯ませれば、以後の話を有利に運べるだろう程度の思惑しかない中ボスさん(仮)とは随分な違いである。彼の運命は既に風前の灯火かと思われたが、考察に耽る雪乃の横から敵の姿を確認した八幡のお陰で、彼は九死に一生を得た。

 

 

「あー、雪ノ下。考え事の最中に悪いんだが、あれ、敵じゃねぇわ」

 

「……え?」

 

 

 おそらくはイメトレでもしているのだろう。急に顔を上げて口を開き、声に出さずに何かを喋り終え、鷹揚に頷くとふんぞり返る。そんな奇妙な動作をする知り合いの様子を見て痛む頭を押さえながら、八幡は傍らの女子生徒に真実を教えるのであった。

 

 

***

 

 

 部室内は重い雰囲気に包まれていた。いつも通りに長机の長辺を隔てて向き合う雪ノ下雪乃と比企谷八幡。教室の奥に坐す雪乃から見て右手側の近い位置に由比ヶ浜結衣。廊下側に控える八幡から見て右手には材木座義輝。そして結衣の後方には見学として三浦優美子と海老名姫菜の姿もあった。

 

 女性陣は、制服の上からコートを羽織り手にグローブを着けている不審者が依頼人だった事に困惑している。一方の材木座は、八幡以外全て女性という状況に「もうやめて!我のワイフはゼロよ」などと意味不明な供述をしており、それが更に女性陣を気持ち悪がらせる悪循環になっている。そして八幡は、材木座が現れた事も、クラス内のトップ・カーストとして君臨している三浦以下の三人娘が勢揃いしている事も予想外であった。

 

 

 先ほど八幡が雪ノ下と並んで教室の前に現れた時、材木座は最初に安堵の表情を浮かべ、次の瞬間には緊張で挙動不審になり、八幡に向けてしきりに説明を請うように口をぱくぱく動かしていた。だが、それに追い打ちを掛けるように廊下の向こうから「ゆきのーん、ヒッキー、やっはろー!」という元気な声が聞こえてきた事で、まるで魂が抜けてしまったかのように材木座は動きを止めた。彼の身体を押すようにして、何とか八幡は彼を依頼人席に落ち着かせたのである。

 

 幸いな事に、材木座が上手く話せない展開を見越してか顧問から部長宛に依頼内容の詳細が届いたので、それを聞き出す必要はない。おそらく三浦達の見学希望を聞いて急いで送ってきたのだろう。が、それでも最低限の意思疎通すらできないようでは、具体策を協議する事はできない。自分が通訳をするしかないかと腹を括った八幡だが、それよりも先に女王二人の会話が始まった。

 

 

「あんさ。奉仕部の説明は昨日聞いたけど、こんなキモい奴の依頼まで受ける必要あんの?」

 

「依頼者に資格を求めるという規定はないわね」

 

「規定はなくても、最低限の条件ってあんじゃん?普通に会話ができない奴を相手にしても意味ないし」

 

「平塚先生の許可もある事だし、こちらが断る理由にはならないわね。それに会話なら、たぶん彼が間に入ってくれると思うわ」

 

 

 内心で決意はしていたものの、それを表明するより先に部長からのご指名があった事に、八幡は少しだけ驚きの表情を浮かべる。だが、驚いているのは彼だけではない。

 

 

「……ヒキオが?でもこいつ、教室で誰とも喋ってないし」

 

「いや、ヒキオって誰だよ……」

 

「ヒキオはヒキオっしょ?それか、あーしもヒッキーって呼んだ方が良いんだし?」

 

「……七回目のベルで受話器を取りたくなるから止めてくれ」

 

「貴方に電話が掛かってくる事は滅多にないと思うのだけれど?」

 

「ばっかお前、そりゃAmaz○nとかTSUT○YAとか……ああ、この世界ではないかもな」

 

 

 元ネタを知ってか知らずか、とにかく八幡に攻撃できる隙があれば見逃さない最近の女王様であった。もう片方の女王は、彼が普通に会話をできている事に意外そうな表情を浮かべている。

 

 

「ふーん。ま、会話ができるなら反対する理由もないし」

 

「なら比企谷くん、お願いね。平塚先生からのメッセージで、自作の小説を読んで感想を教えて欲しいという彼の依頼内容は判明しているのだけれど、具体的にはどうすれば良いのかしら?」

 

「あー、材木座。いつもの口調で良いから話せ」

 

「ほむん。ここに我が昨夜書き上げた原稿があるのだが、友達が居らぬので客観的な評価が判らぬ。我としてはライトノベルの新人賞に値する出来だと思うて居るが、更なる質の向上を目指したい。貴兄ら奉仕部の協力を得られれば、圧倒的じゃないか我が軍は」

 

 

 先程の挙動不審だった材木座よりはマシだが、やはり女性陣には彼の語り口調は受け入れがたいものだったようだ。話している内容は解ったが直接会話をしたくない。そんな彼女らから無言の圧力を受けて、八幡は口を開いた。

 

 

「つまり原稿を読んで、感想なり批評なりして欲しいって事だな。いつまでに読めばいい?量はどれくらいある?」

 

「ムハハハ。流石は八幡。共に天下を手中にせんと誓った前世よりの縁を忘れて居らぬとは殊勝な心掛け。褒めて遣わす」

 

「なあ、俺もう帰っていいか?」

 

「ゴラムゴラムっ!42文字×34行で80枚ほどだ。できれば早いほうが我も次作に応用できるので嬉しいのだが」

 

 

 何だかんだで材木座に話を進めさせるのが上手い八幡であった。

 

 

「……成る程。ライトノベルというジャンルは読んだ事がないのだけれど、読み易いという話だし、その量なら一晩で充分だと思うわ」

 

「ならば契約は完了よの。貴公らの感想を楽しみにして居るぞ」

 

「で、原稿は?」

 

「あ、はい。平塚女史に聞いてたさ、三人分は用意してます。……フハハハハ!」

 

「ちょっと煩いわよ」

 

「あ、はい。残り二名の分みょ、分も今すぐに準備します。はぁ……」

 

 

 さしもの材木座も氷雪の女王を前にして設定を演じきる事はできず、翌日の来訪を約束して彼は先に教室を出たのであった。

 

 

***

 

 

「で、比企谷くん。彼の口調には事情がありそうだけれど、説明して貰えるかしら?」

 

 

 材木座の様子や八幡の応対から何か理由があると察していた雪乃は、彼が教室を出てから部員に問い掛けた。別に隠す事でもなし、ただ正確に伝える事だけは気を付けようと思いながら、八幡は先にまず彼の症状と病名を伝える事にした。

 

 

「あれはコミュ障で中二病だ」

 

「……虚無僧?」

 

「……ちゅー二秒?」

 

 

 きょとんとした表情で、各々が思い浮かべた言われた言葉に近いものを口に出す部長と部員。彼女らを眺めながら、八幡はどう説明したものかと頭を悩ませる。

 

 

「コミュ障ってのはコミュニケーション障害の略ね。他人と上手くコミュニケーションが取れない人達が話題になった時に作られた言葉だったかな。中二病は妄想癖みたいなものだと思ったらいいよ。自分はどこどこの誰々である、みたいな設定を作って、それを演じてる感じかな。誰か戦国武将を模しているような口調だったね」

 

 

 意外な人物から解説が届いて、姫菜のアングラな趣味を未だ知らない雪乃と八幡は驚いたまま言葉を出せずにいる。当面の疑問が解消した事もあって、口を閉じたまま展開を眺める彼らを尻目に、仲良し三人組の会話が盛り上がりを見せていた。

 

 

「それがなんで、ちゅー二秒になるの?」

 

「結衣がちゅーとか言ったら破壊力が強すぎるから、その可愛い顔は大事な人にとっておきなね?」

 

「な!って、ちゅー二秒ってアレがアレの事だよね。ちゃんと分かってるんだから、からかわないでよね!」

 

「あーしには分かんないけど、結衣はちゃんと分かってて偉いし。説明して欲しいし?」

 

「あ、えーと。なんと説明して良いものやら言葉に困りますと言いますか……」

 

 

 発言そのままに困っている結衣に対し、姫菜がフォローに入る。

 

 

「ちゅーじゃなくて、中二の病気で中二病ね。中学二年生ぐらいの子がそうした行動を取りやすいって話から名付けられたの。さっきの彼は多分、演じていないと上手く喋れないんじゃないかな?」

 

「あ、ああ。だいたい合ってる。あいつの過去の話は妄想混じりだから正確には分からんけど……。普通に喋ると男相手でも、どもるし、異性の前だと硬直しちまうんだと。それが、アニメのキャラを演じた口調だったり自分の設定に沿った口調だと、かなりマシになるらしい。あいつ名前が義輝だから、足利義輝の生まれ変わりって設定にしたんじゃね?」

 

 

 いきなり自分の目をじっくり見据えて話を振ってきた姫菜に動揺しかけた八幡だが、材木座が去ったドアの方へと視線を移して何とか説明を終える。

 

 

「だいたい事情は把握したわ。貴方と同じで周囲から孤立しているのでしょうけれど、孤立の仕方は随分違うわね」

 

「まあ、俺の場合はぼっちが好きって事もあるからな。……あいつは大勢に認められたい意識が根強いけど……(俺は、身近な誰かに認められるだけで満足だしな)」

 

 

 言いかけた言葉を途中で引っ込めて、八幡は思考を止める。この世界では、そんな身近な奴など居ない。浮かび掛けた考えを振り払うかのように、彼はそのまま言葉を続ける。

 

 

「ま、そんなわけで、あいつが作家になって多くの連中から普通に扱われるようになったら、俺に寄って来る事もなくなるだろ。だから俺はあいつの依頼にちゃんと応えようと思う」

 

「……言っている事は不適切だけれど、解り易いから不問にしてあげるわ。それならきちんと添削しないといけないわね」

 

 

 くすりと笑いながら、雪乃は原稿を手に気合いを入れる。彼ら二人の会話を興味深そうに眺める見学者二人と、温かく見つめるもう一人の部員。そして気合いの入った部長を一転、怖ろしそうに眺める八幡であった。

 

 

「じゃ、私たちも明日また見学に来ようかな」

 

「姫菜、えらく乗り気だけど何があったし?」

 

「うーん、何て言うかな……。昨日サッカー部の見学に行ってから優美子、どうやったら他人の力になれるかなって言ってたよね?」

 

「……確かにあーしが言った事だけど、恥ずかしいからあんま言わないで欲しいし」

 

「結衣も、奉仕部に入ったのは他人の役に立ちたいって理由だったよね?」

 

「……うん、そうだけど。改めて言われると、確かにちょっと恥ずかしいかも」

 

 

 親友二人の要請を無視して、姫菜は話を続ける。

 

 

「たまたまだけど、依頼に居合わせた縁って事もあるし。結衣からしたら奉仕部での先輩に当たる二人の対応を見せて貰う事で、結衣は勿論だけど優美子も何か得られるものがあるんじゃないかな?誰かの力になる為の、参考になると思うよ」

 

「だから、そんな恥ずかしい事を強調するなし」

 

 

 筋は通っているのだが、姫菜の狙いがそれだけとは二人には思えなかった。もしや奉仕部に新たなカップリングを見出して、資料を増やしたいが為に明日も来るような流れにしたのだろうか?そんな失礼な疑いを持ってしまった二人だったが、そうした発想が出て来る時点で姫菜の布教が順調な証拠でもある。だが、趣味の布教はご勘弁頂くとして、それ以外の事で姫菜が二人に悪い企みを巡らすはずもないのである。

 

 それに、結衣はもちろん優美子としても、明日も見学に来る事には内心乗り気だった。依頼人の事情はだいたい分かったが、それでも彼が依頼を切っ掛けに結衣に関与をして来ないとは限らない。そうした親友を守ろうとする親心が先に立つ彼女ではあったが、事情を知ってしまった彼の創作活動が良い方向に進んで欲しいと思う気持ちも確かにあった。むしろ照れ隠しの為に、結衣への心配を無理矢理大きくしている側面もある。

 

 

「じゃあ、今日は帰ってからみんなで一緒に原稿を読もうよ!」

 

「あの、由比ヶ浜さん。勉強と同じでこうしたものも、みんなで一緒に読むようなものではないと思うのだけれど」

 

「集中して読んでる時に話し掛けないのはマナーだとして、ちょっと休憩の時とかにみんなで感想を言い合えるのは効果があるんじゃないかな?」

 

「それは……その通りかもしれないけれど……」

 

「じゃ、決まりね!……ごめんねヒッキー。男子生徒を部屋に呼ぶのは無理だから……」

 

「ああ、気にすんな。んじゃまた明日な」

 

 

 こうして、所々で見学者の存在が良い方向に働いて、彼女らの部活動は今日も無事に終わったのであった。




次回は日曜日に更新です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
描写が曖昧に思えた数箇所に、ごく簡単に説明を加えました。大筋に変化はありません。(6/17)

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