引き続き、タイトルが本当にごめんなさい。
ボツにするのも忍びなくて、当初の予定通り使うことにしました。
体育祭から二日後の金曜日。放課後の生徒会室にて、役員を中心に少人数からなる選挙管理委員会が設けられた。投票予定日は一ヶ月以上も先だが、中間試験と二年生の修学旅行が間に入るので、これでもギリギリの日程だ。
「試験一週間前で、月曜日からは部活もお休みだからね。選管の仕事は今日中に済ませるぞー!」
今日の最終下校時刻までに告示を済ませて、月曜の朝には日程を認知してもらえる状態にしておく。ちょうど二週間後の試験最終日から立候補を受け付ける予定だ。と、そこまでは事前の打ち合わせでも問題は無かったのだが。
「でも会長。受付期間と投票日は、結局どうするんですか?」
役員からそう問われて、城廻めぐりは「うーん」と口にしながら少しだけ俯いてしまう。とはいえ項垂れていたのは一瞬だけで、素早く気持ちを立て直して顔を上げると、情報を口に出しながら整理し始めた。
「要は立候補がどうなるか次第なんだよねー。最初の一週間で名乗りを上げてくれたらいいんだけど。でも、どうせ予備の期間を設けるなら、最初から二週間にしても……けど、間際になっても候補が決まらなかったら、二年生は修学旅行に行っちゃうし、投票日まで日にちの余裕がないから繰り下げるしかないし。うーん……」
城廻が言うように候補者の動向に左右される部分も大きいのだが、それに加えて動かせない日程が多すぎることも影響していた。話がしやすいようにと、その辺りの時系列を整理してきた藤沢沙和子が情報を模造紙に具現化して、それを本牧牧人が壁に貼り付ける。
二人から書記・副会長の内諾を得られて助かったと、そんなことを思い出しながら城廻は予定表を眺めた。以下のような内容だ。
10/12(金) 選挙管理委員会設置、告示
10/15(月)~26(金) 部活停止期間
10/22(月)~26(金) 中間試験
10/26(金)~11/2(金) 立候補受付
11/2(金)~9(金) 同上(予備期間)
11/12(月)~15(木) 修学旅行
11/22(木) 立会演説会、会長選挙
11/26(月) 同上(予備日)
11/26(月)~12/7(金) 部活停止期間
12/3(月)~7(金) 期末試験
「うん。予備期間や予備日のことは、表に出さないでいってみよっか。期間内に立候補が無かったら九日まで一週間延長にして。二年生が修学旅行に行くまでに候補が決まれば、投票日も予定通りで大丈夫だし。やっぱり、期末の一週間前に投票は避けたいよねー」
半ば自分に言い聞かせるように話す城廻だが、嫌な予感は消えてくれない。
自他共に認める最有力候補とは相談の結果、「受付の締め切り日まで動向を明らかにしない」ことで合意している。積極的に立候補をする意思が彼女に無いのは、残念ではあるが安堵もする。誰であれ候補者が出てくれれば、問題なく事が進むのだから。彼女に無理強いをする必要も、あの先輩の提案に乗る必要もなくなるのだから。
一方で、予備期間が過ぎても立候補が出ない場合は、彼女ら二人のいずれかに頼み込む形になるのだろう。それでも修学旅行の前に候補者を公表できるし、その展開なら信任投票だ。だからきっと、大丈夫。
理屈ではそれで間違っていないはずなのに、なぜか胸騒ぎがする。もちろん二人ともに断られる展開になったらどうしようもないが、彼女らはそんな性格では無いと充分に理解している。むしろ、だからこそ「他に手立てが無いと判明するまでは気楽に頼めない」という状況に陥っているのだから。
二年生が修学旅行から帰って来て、その時点でも候補者が二転三転するようなら投票日を延期せざるをえないが、そんな仮定は現実離れにも程がある。そして、そんな超展開でもない限り、予備日は必要ない。そう城廻は結論付けて、内心の不安を打ち消そうと努めた。
かの「事実は小説よりも奇なり」というバイロン卿の言葉を身を以て味わうことになろうとは、城廻は夢にも思っていなかった。
***
無事に中間試験が終わった金曜日の放課後。奉仕部の部室には久しぶりに三人が顔を揃えていた。
「二人の表情を見れば、何となく予想はつくのだけれど。試験の手応えはどうかしら?」
「あー、俺はいつも通りな感じかね」
まずは比企谷八幡が、やる気の無さそうな態度を装って短く答える。次いで由比ヶ浜結衣が。
「あたしは、まあスタートが低いから平均にはまだまだだけどさ。でも一学期の期末よりもできたかなって」
「そう。何度か勉強会を開いたのに、まだ平均には届かないのね。それなら期末こそは毎日缶詰にして……」
当人としては、試験ごとに着実に成長していると自覚できているので胸を張って答えたものの、質問者にはご満足頂けなかったらしい。何やら不穏なことを口にする雪ノ下雪乃に、呆れ声が届く。
「試験が終わったばっかだし、まだ結果も出てないんだし、ちょっと落ち着け。それよりも、会長選挙の受付が始まったな」
「会長の他にも、『その他役員』という形でひとまとめにして立候補を受け付けているわね。とはいえ本牧くんと藤沢さん以外になり手がいるのか、蓋を開けてみないと判らないと聞いているのだけれど」
八幡が話を先送りにした上で話題を変えると、雪ノ下もそれに従った。発言からは少し分かりにくかったがその態度から、雪ノ下なりの冗談だったのだろうと推測する。同じ結論に達したらしい由比ヶ浜が話に加わった。
「でもさ、それより会長が誰になるかだよね。ゆきのんはギリギリまで考えるって言ってたけどさ。先に誰かが立候補したらどうするの?」
「候補者次第ではあるのだけれど。敢えて務めなくても良いのであれば、このまま奉仕部部長の肩書きを大事にしたいところね」
今のは分かりやすいなと八幡が思う間もなく、気付けば由比ヶ浜が抱き付いていた。目をうるうるさせて、頭を相手の胸元でぐりぐりさせている。抱き付かれた雪ノ下も驚きの表情は一瞬だけで、お団子頭に優しく手を当てていた。
文化祭の準備期間に二人して休んだ辺りから、こうした光景を何度か目にして来たが。最近ちょっとゆりゆりし過ぎじゃないですかねと内心でぶつぶつ言いながら、紳士たる八幡は視線を二人とは反対側の廊下に向ける。すると。
「三人とも、揃っているな。……由比ヶ浜、そうした行為は部室では慎みたまえ」
お堅いことを言いながらも生徒たちをからかう気が満々の平塚静が、目を細めながら部室に入ってきた。
「んで、何か依頼が来たんですか?」
顧問の発言を冗談だと理解しながらも、あたふたと慌てている由比ヶ浜や何でもない顔をしている雪ノ下に代わって、八幡が問い掛けた。
せかせかと椅子まで歩いて腰を下ろすと、お茶の支度を思い付いて腰を上げかける雪ノ下を制して、平塚はようやくその質問に答えた。
「残念ながら、依頼は何も無いな。『お悩み相談メール』も出だしこそ良かったものの、最近は……もっとも、生徒たちの悩みが無いのは良いことではあるのだがね」
「依頼ではないとすると、まさか採点作業に嫌気が差して気晴らしでここに来たわけでは無いでしょうし……」
「おお、さすがだな雪ノ下。いや、他にも用事はあるし、採点が大事な仕事だと頭では解っているのだがね。答案用紙と睨めっこを続けていると、気が滅入ってくるのだよ。それに今回は成績優秀者の採点から始めたものだから、後になるほど……まあ、空欄が多くて採点自体は楽なのだがね。私が教えたことがここまで伝わっていないのかと、暗澹たる気分になるよ」
生徒を相手に本気で愚痴っている平塚だった。別の用件のことは完全に後回しにして、少し口調を緩めてそのまま話を続ける。
「それにしても。由比ヶ浜も比企谷も、今回の中間は頑張ったみたいだな。雪ノ下も、点数自体に変化は無いが、細かな部分を見ると理解が深まっているのがよく判るよ。もっと難しい問題を出せばより明確になるのだが……解けない生徒が続出して、下のほうで差が出ないからな。すまないが、了承してくれると助かるな」
「理系の科目でもよく言われることですし、お気遣いなく。それよりも、由比ヶ浜さんが頑張っていたのは知っているのですが、比企谷くんは、先程もやる気の無さそうな声で『いつも通り』と……」
「でもさ、ヒッキーの仕草がちょっと怪しかったよね。何か誤魔化してるみたいな感じでさ。ゆきのんも気が付いてたよね?」
全く誤魔化せていない八幡だった。ふて腐れている男子生徒をそっちのけにして、話が進む。
「まだ全員の採点が終わっていないから、暫定だがね。今回の中間試験で、国語は学年トップが雪ノ下、二位が葉山と比企谷だよ。頑張ったと言って良いと私は思うのだが?」
ちっ、と舌打ちが聞こえて来たものの、発した本人もそれが何に対してなのか把握しきれていない。密かに勉強を頑張っていたのが二人にバレたことに対してなのか。それとも、頑張ったつもりだったのに同点止まりで、抜けなかったことに対してなのか。
「我が校は試験の点数を公表していませんし、平塚先生が結果を方々で言い触らすとも思えませんし。だから葉山くんには『学年二位』という結果しか伝わらないはずよ。期末こそは、きっちりと単独二位になって欲しいのだけれど?」
八幡の意図を後者と判断して、最初は平塚に向けていた視線を移しながら雪ノ下がそう述べた。
舌打ちをもう一度、そして八幡がそれに答える。
「お前な、簡単に言ってくれるけどな。一教科だけなら行けるだろって、まさか葉山を抜くのがこんなに大変だとは思わなかったわ。つーかお前、抜かれる可能性を微塵も考えてないだろ?」
「だって満点を取れば、誰にも抜かれることは無いでしょう?」
過去最高には程遠いとは言え、三〇位以内には入りそうな良い笑顔だなと八幡は思う。そんな雪ノ下の笑顔鑑定士ぶりはさておき、この発言に焚き付けられた人物が一人。
「良かろう。次こそは雪ノ下の満点を阻止すべく、九〇点満点+超難問が一〇点分の期末試験を用意してやろう」
ほんの先刻に口にした言葉を簡単に翻して、大人げないことを宣言する平塚だった。
「えーと、じゃああたしは九〇点分を頑張ればいいんだよね?」
「まあ、そうだな。超難問で時間を取られて普通の問題が解けなくなるとか、アホらしいからな。でもなあ……俺はミス無く九〇点をもぎ取って、その上で超難問に挑む必要があるのか。葉山を抜くの、一回休みってわけには……ですよねー」
教師が本気だと受け取って、由比ヶ浜は己のなすべきことを口にする。
一人だけ逃げやがってと言いたいところだが、「あの由比ヶ浜が勉強に前向きになるとはなぁ」と思うと、文句を口にしたくなくて。代わりに八幡はお伺いを立ててみたものの、目線だけで二人から却下された。
「ああ、そういえば用件を忘れるところだったな。体育祭の衣装を頼んだ業者から連絡が来ていてな。試験期間中だからと返事を保留にして貰ったのだが、『見た目の感想などを教えてくれたら、費用を全額返却しても良い』と言ってきたよ。まとまった量の文章さえ貰えれば、編集なりレイアウトなりは向こうでやるという話なのだが?」
「それは、私たちの写真と一緒に外部に公開されるという意味でしょうか?」
試験の話が一段落して、ようやく顧問は用件を思い出した。難しそうな表情になって、雪ノ下が問題点を指摘すると。
「いや。あくまでも会社を訪れた顧客にだけ、その場限りで見せる以外には使用しないと念押ししていたよ。見本が出来た時点でこちらに確認して貰うと言っているし、写真も顔が写っているものは極力避けるという話だが?」
そうした会社の姿勢は、衣装の見積もりを持って来た彼女らの話とも一致する。そう考えて雪ノ下は一つ頷くと、八幡に向かって告げる。
「当事者の私たちの意見は後で付け加えるとして。まずは外部の目で、感想をひととおりまとめて欲しいのだけれど?」
試験が終わったその日に仕事。しかも独りで文章を書くだけかと項垂れる八幡だったが、放送席から見たチバセンの光景は今も脳裏に焼き付いている。他の誰かがその感想を書くぐらいなら自分がと、そう考えてしまう程度には思い入れがある。
「へいへい。ま、適当にまとめて週明けにでも持ってくるわ」
「急かしたくは無いのだけれど。早めに書き上がれば、メッセージに添付して送ってくれても良いわよ。由比ヶ浜さんも早く読みたいでしょう?」
二人に宛ててメッセージを送れという意味かと首を傾げる八幡に、今度は由比ヶ浜が。
「あのね。明日はゆきのんのマンションで、いろはちゃんとディナーの予定なんだ。体育祭の時にちょっと約束があって、それで……」
「ああ、なるほどな。チバセンで三浦に挑ませた時の交換条件が、雪ノ下の手作りディナーってことか。んじゃまあ、明日一緒に読んで貰えるように、何とか今日明日で頑張ってみるわ」
断片的に知っていた幾つかの物事が、明確な形で繋がって。それに気を良くした八幡が、前向きな返事を口にしたものの。
「……どうして貴方が、一色さんとの交換条件の話を知っているのかしら?」
「い、いや……知ってたっつーか、一色の性格的にそんな感じだろうなって思っただけなんだが?」
「ヒッキーって、いろはちゃんの性格に急に詳しくなったよね?」
「その、詳しいっつーか、レッテル貼って適当に言ってるだけだぞ。それが当たってたとしても、たまたまだ。たまたま」
またこの展開かよと思いながら、不用意な発言を避けるにはどうしたら良いんだろうと内心で途方に暮れる八幡だった。
そんな三人の丁々発止を、平塚は口元を緩めながら見守っている。お陰で採点をもう少し頑張れそうだと、そんなことを考えながら。
***
翌日の土曜日、既に時刻は夕刻に差し掛かっている。雪ノ下はマンションに由比ヶ浜と一色いろはを迎えて、二人に振る舞うためのディナーを用意していた。
「雪ノ下先輩って、ホントに手際がいいですよね〜」
「一色さんも勘が良くて飲み込みが早いから、これぐらいならすぐに作れるようになると思うのだけれど?」
キッチンで話に花を咲かせる二人だが、由比ヶ浜はと言うと。
「焼いてきてくれたクッキーだけで充分だから。貴女はソファで寛いでいて欲しいのだけれど」
家主にそう言われて、メイドさんから接待を受けていた。自分も話に加わりたいと、何度か腰を上げたものの。
「後で部屋の掃除が大変だから、食材には触れないでくれると助かるわね。それにしても、焦げたクッキーも少なくなったし、そろそろ別の料理を覚えても良いとは思うのだけれど……」
「あ、そう言えば。牛乳と混ぜるだけで作れるデザートがあるじゃないですか。あれ、生クリームで作るのもおいしいですよ〜?」
「お嬢様、こちらが公式ページのレシピになります。いかがでしょう、これをご自宅で何度か作られた後に、我々に振る舞って頂くというのは?」
雪ノ下には釘を刺され、一色からは誰にでも作れそうな一品を提案され、メイドさんにも何故だか警戒されている。「馬鹿にしすぎだからぁ!」と叫びたくなるのを堪えてソファに戻ると、由比ヶ浜は持参したクッキーの包みを手に取ってふて腐れていた。
ディナーを食べ終えた後で、食後の紅茶に添えて出されたそのクッキーを口にして。全員から味を褒められてご満悦に至るのは、もう少しだけ先の話である。
「そういえば。一年生の間では、会長選挙は話題になっているのかしら?」
ディナーを食べながらの歓談の最中。途切れた話題を穴埋めする程度の軽い気持ちで、雪ノ下が選挙の話を持ち出した。しかし問われた一色は微妙な表情で首を横に傾けている。
「テスト期間の前に告示されたのは見たんですけど〜……あれ、どうなってましたっけ?」
「今日から一週間に亘って、立候補を受け付けているのだけれど」
そう言われても、やはり一色の反応は鈍い。代わって由比ヶ浜が口を開いた。
「一年生にとっては、選挙って言われても身近に感じないかもねー。あたしも去年はそんな感じだったしさ。誰かやりたい人がやるんじゃない、みたいな?」
「確かに、そんな程度の受け止め方かもしれないわね。一色さんは、藤沢さんとは……?」
「文化祭で雪ノ下先輩と一緒に副委員長をやってたな〜、ってぐらいですね。立候補したんですか?」
「書記ならやっても良いと、内諾を得たらしいわ。城廻先輩から伺っただけで、実際に届けを出したのかは未確認なのだけれど。それよりも……」
雪ノ下の説明を聞いた一色は「ふ〜ん」と頷いているものの、さほど興味は無さそうだ。
確かに地味で引っ込み思案に見える藤沢沙和子と、ゆるふわで人目に付く一色では接点が無いのだろう。自分以外の誰かが会長になる場合は、あと一人ぐらいは役員が出ないと大変だろうなと雪ノ下は思う。とはいえ一色がそんなことをするとも思えないので、話題を変えようとしたところ。
「ちなみにですけど〜。藤沢さんって、最初から生徒会に興味があるような感じでした?」
「いいえ。文実の委員に選ばれたのも、単純にじゃんけんか何かで負けた結果だと言っていたわね。それが副委員長に立候補して、今度は生徒会役員になるのだから、分からないものね」
「ゆきのんが仕事してるのを見て、憧れたのがきっかけだったっけ。あ、その前に。ゆきのんが話してるのを聞いて、勇気を貰ったのが大きかったって言ってたよね」
意外な質問を受けて、二人は藤沢から聞いた話を思い出しながら順次口を開いた。それを聞いて少し考え込んでから、一色がぼそっと呟く。
「人が変わるのって、やっぱり他人が原因なのが一番多いのかもですね〜。憧れとか、あと対抗心とか、細かく見ていくと色々だなって思いますけど……」
「一色さんは……不躾な質問かもしれないのだけれど、変わりたいと思っているのかしら?」
「わたしが変わりたいってわけじゃなくて……変わりたいって思って頑張ってる人は、何となく応援したくなるな〜って感じですね」
「いろはちゃん、サッカー部のマネージャーもかなり真面目にやってるもんね」
そう言われて、表には出さないものの内心で少し照れる。ストレートな物言いや、天然な流れで褒め言葉を出されると、つい過剰反応してしまう。
一色はずっと男子に囲まれて、ちやほやされて過ごして来たので、おべっかにはめっぽう強い。褒め言葉の中にほんの僅かでも別の目的を感じ取ってしまうと、たちまち気持ちが覚めてしまう。「可愛いと褒めたら好感度が上がるかも」といった中高生男子の思惑などは全てお見通しだ。
そんな一色はいつの頃からか、発言の裏を読む癖が付いていた。「どうせ下心があるんだろうな〜」と思いながら耳を傾けて、そうで無かったことなど数えるほどだ。
だがそれ故に、変な意図を感じ取れなかった時には、以前にも増して困惑するようになった。不純物の無い気持ちをそのまま告げられるのは、昔から苦手ではあったものの。最近とみに弱くなったと一色は思う。それを変えたいとまでは思わないが、この変化は自分にとって望ましいものなのか、不安になる時は確かにある。
そもそも、わたしが男子との付き合いを後回しにして、こうして同性の先輩と週末を過ごしているというのは驚天動地の大事件だ。同じクラスでグループを組んでいる女性陣とも休日を過ごしたことは何度かあるが、その前後には男子との予定が入っているのが常だった。むしろ空き時間を埋めるために、仕方なく女子だけで集まったと言ったほうが正確かもしれない。
だが、最初は由比ヶ浜が、そして今では雪ノ下も、一色にとっては男子よりも優先したい存在になっている。他にも、同じ男子生徒を狙う仲である三浦優美子や、あの変なせんぱいの妹にあたる比企谷小町も、もっと深い話をしてみたい相手だ。
わたしはいつからこうなったのだろうと考えるも、結論は一つ。入学式で由比ヶ浜に取りなして貰ったのが、全ての発端だったのだろう。
最初に事態を収拾してくれた男子の先輩からは、下心がありありと伝わって来た。でも、当時はまだおどおどした雰囲気も残っていた由比ヶ浜のお陰で、もしや魔法で中身だけを入れ替えたのかと突拍子も無いことを考えてしまうほど、かの男子生徒からは下心を感じなくなった。それが全ての始まりだったのだ。
自分の変化が果たして正しいことなのか否か、未だ判別が付かない。でも少なくとも、悪くはないと思う。由比ヶ浜に導かれての変化ならば、悪くは無い。改めてその結論を自分に言い聞かせながら、一色は意識を会話に戻した。
「どうせ葉山先輩狙いだろって、長続きするわけないって思われてたみたいですね〜」
「陰では好き勝手なことを言うものね。でも、貴女の行動だけがそれを否定できると、私は考えているのだけれど?」
「こういうの、ゆきのんらしいなって思うよね。いろはちゃんもそう思わない?」
由比ヶ浜の言葉を脳内で正確に補完して、一色は頷きながら口を開く。
「ですね〜。最初は正直、正論でぐいぐい押す感じなのかな〜って思ってたんですけど。雪ノ下先輩って不器用だな〜って判ってからは、意味が違って聞こえますね」
「一色さん。それと由比ヶ浜さん。貴女たちは何が言いたいのかしら?」
ゴゴゴゴゴという効果音が聞こえて来そうな雰囲気を醸し出してみたものの。
「お二人の発言には私も同感です、
雇っているメイドさんにも裏切られる雪ノ下だった。
「はあ、まあいいわ。でも、変わりたい人を応援したいのであれば、生徒会役員になるのも面白いとは思うのだけれど?」
「う〜ん、どうでしょうね〜。生徒会ってあんまり目立たないし、わたし的にはしょぼいって言うか……あ、そっか。率先して表に出る生徒会なら、アリかもしれませんね〜。この間の体育祭だと、優勝の立役者を生徒会主催で表彰したら面白そうですし」
少し拗ねたような口調で投げやりに提案を出すと、いい加減な口調ではあるものの、少しだけ目を輝かせて返事をされた。役員になるならないは個人の自由だし、一色の意思を尊重するのも当然のことだが。その発言から才能を感じ取って、雪ノ下の表情が柔らかくなる。文実で藤沢の発言を聞いた時にも、同じようなことを考えたなと思い出しながら。
「え、でもさ。赤組と白組の同時優勝だったけど、いろはちゃんが表彰するとしたら、やっぱり隼人くん?」
由比ヶ浜が思い付いた疑問を口にすると、悪戯っぽく微笑んだ後輩は。
「白組は葉山先輩で決まりですけど〜、赤組はせんぱいを表彰したら面白そうですね」
「逃げ足の速い比企谷くんを表彰できるとは、私には思えないわね」
「そ、そうそう。それにヒッキーってさ、何て言うんだろ……こう、立役者とか功労者とか、そういうのになるのを全力で避けてるんじゃないかって思ったりもするんだよね」
八幡がそうした扱われ方を喜ぶとは思えない二人が、素直に反論を述べるものの。実はこれらの反応は、一色の思惑通りだったりする。
「じゃあ、せんぱいってわざとあんな風にしてるってことですか?」
「いいえ、そこに比企谷くんの意志は感じないわね。だから意図的なものではなく、結果的にそうなってしまうだけだと思うのだけれど」
「だね。あたしの言い方が悪かったなって思うんだけどさ。わざとやってるんじゃないかって言われたら、ヒッキーは嫌がるだろうし……さっき言ったこと、無しにして欲しいな」
知りたかったことを聴けたのもあって、一色は頬を緩めて頷いた。先日の体育祭の辺りから飾らない表情が徐々に増えているのだが、本人はそれをまだ自覚できていない。
その後も気楽な会話を重ねながら、この三人で過ごす時間はあっという間に流れていった。わたしだけ帰りたくないなと思ってしまった一色の希望を、由比ヶ浜が見逃すはずも無く。その結果、一色は合宿などの機会を除けば初めて同姓と(意外と身持ちが堅いので異性とも未経験なのだが)一夜を共に過ごすことになるのだった。
***
同じ頃、八幡は自宅で文章を書き連ねていた。リビングで寝転んだまま作業をしていたのを妹に見咎められた結果、今は何故か机に並んで座っている。
隣で英単語を覚えようとして飽きて、年号暗記に手を出してまた飽きて、今度は数学の参考書を取り出した小町に呆れながら。八幡は「コーヒーでも作ってやろう」と思い付いて立ち上がった。
「ねえ、お兄ちゃん。……小町、合格できるかな?」
「……俺には分からんけど、あれだ。小町が行きたいところに受かって欲しいなって思うわ」
互いの顔が見えない配置で、兄妹はそんな会話を交わしている。
「でもさ、もし合格できても……」
「あのな、小町。平塚先生を知ってるだろ。あの人なら、こう答えると思うんだわ。『その悩みは、合格してから考えたまえ』ってな。あと……一色がこの間、そのことを心配してたぞ。要するに、あれだ。お前には、相談できる相手がそれだけ居るんだからな」
「お兄ちゃんは、全部一人で決めたんだよね?」
「ぼっちは限界があるからな。頼れる相手が居るなら頼ったら良いし、親が養ってくれる間は極力働きたくねーなって俺なら思うぞ?」
盛大に話を逸らされた気もするが、もやもやしていた気持ちが少し軽くなった。
「あ、小町はミルク増し増しでお願い!」
「はいよ。まあ、最初からそのつもりで作ってたんだがな」
そんな風にして、二人だけの夜が過ぎていく。入試まで、もう四ヶ月を切っていた。
原作7巻に続く。
次回のまとめ回を挟んで原作7巻に入ります。
ただ、全文を読み返すのに時間が掛かるので、次回の更新は「できれば月末までに」という曖昧な形にさせて下さい。
また、本章の一話でお伺いした件ですが、当分は今まで通りの書き方を続けます。
もしも解りにくい箇所などがあれば、お気軽に感想なりで書いて頂けると、こちらとしても助かります。
では、原作7巻もよろしくお願いします。
追記。
一括変換でやらかしたのが原因か、一色の一人称が全て「私」になっていたのを修正しました。(6/19)
細かな表現を修正しました。(8/3)