俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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各キャラを書くのが楽しくて、気付けば文字数が非常に多くなってしまいました。。
お時間の余裕がある時に、楽しんで頂ければ幸いです。

以下、前回までのあらすじ。

 初日の文化祭は、校外およびリアル世界からの来客を受け入れる午後になっても平穏に過ぎていた。その理由を推測するなどして独りの時間を満喫しつつ、八幡は二年F組の教室前で受付の席に座っていた。

 だがそこに中学の同級生が現れる。相も変わらず、カースト下位の者にありがちな歪んだ見下し方をしてくる連中に辟易する八幡。思いがけず由比ヶ浜が助けに来てくれたものの、奉仕部の二人を貶すような物言いをされてしまい我慢の限界を超えた八幡は、連中が目の敵にしていることを解消してやろうと考える。俺が文実を辞めるから他の生徒には関わるなと言い残して、八幡は去って行った。

 八幡の意外な反応に、みっともないほど狼狽えながら、連中もこの世界から姿を消した。由比ヶ浜のもとに集まって、今後の対策を練ろうとする女子生徒たち。一方の八幡は、遠回りの末に過ごし慣れた場所へと辿り着いていた。歩いてきた方角を窺いながら、心中の複雑な感情を声を出すことで解消していた八幡の肩を、誰かがちょこんと突っついた。



17.かわいくともあざといのが厄介だと彼は思う。

 その教室の中では、男子生徒と女子生徒が真っ二つに分かれて言い争っていた。それには加わらないものの、心情的には男子生徒たちの(と言うよりも、正確には自分の)味方である数人の女子生徒に背中を押されて、一色いろはが廊下に姿を見せた。

 

 半身でクラスを振り返って、可愛らしく口を尖らせて「む〜」と独り言をつぶやいて。それ以上は背後を気にすることなく、一色は歩き出した。いかにも文化祭を楽しんでいますと言わんばかりの表情と身のこなしで、時折すれ違う顔見知りの生徒には愛嬌を振りまきながら、一色は人口密度の少ない辺りを目指して歩いて行く。

 

 

 今年の文化祭の出し物は、手作りのケーキやお菓子を前面に出した喫茶店に決まった。一色の趣味がお菓子作りであると、誰かから(おそらくサッカー部の一年あたりから)聞き出したのだろう。一色に対抗意識を燃やす女子生徒たちがわざとらしく、自分をクラスの出し物の責任者に祭り上げようとした時のことを思い出しながら一色は歩く。

 

「せっかくの土日を、悪知恵を働かせるために費やすだなんて、暇な人たちですよね〜」

 

 始業式の後に行われたLHRでは良い案が全く出ず、そして週明けの月曜日に再開された話し合いで、彼女らがそんな提案を出してきたのだ。

 

 そのグループから文化祭の実行委員が出たことは知っているが、そこが悪知恵の出どころであるのを一色は知らない。文実で会議が始まる直前に、その委員がとある雑談を耳にして着想を得たことも。その雑談を交わしていたのが、一色とは浅からぬ縁の二人。つまり、また手作りの夕食を食べたいものだと考えている凛とした佇まいの先輩と、一見して大したことは無さそうなのに意外に観察眼が鋭いと身を以て知った気怠そうな佇まいのせんぱいであることも。

 

 一色としては、クラスの出し物のためにお菓子を作るぐらいなら何の問題も無いが、責任者にされてしまうと厄介だ。あの子たちはどうせわたしの足を引っ張る気なのだろうし、男子生徒たちが協力してくれるとしても、その報酬をわざわざ自分が出すのも面倒な話だ。

 

 クラスの出し物が成功しようが失敗しようが、さほど思い入れは無いというのに。どうしてわたしが、働いてくれた男の子たちの話を聞いてあげたり、場合によっては何人かで一緒に遊びに行ったりしなければならないのか。そんな時間があれば、もっと自分のために、自分を磨くために使いたいのにと一色は思う。

 

「まあ、上手く利用できたから良かったですけどね〜」

 

 有志の出し物で葉山隼人がバンドをすると知って、一色はそこにキーボード担当として名乗りを上げた。メンバーが全員二年だということ、既に夏休み後半からバンドが動き始めていたことを理由に葉山は返事を濁したのだが、前者はともかく後者に関しては、人数が多すぎてパート分けの段階で行き詰まっていることを一色は知っていた。お調子者の先輩から得ていた情報だ。

 

 とはいえ、もともと大所帯ゆえに一色加入の話は立ち消えになるかと思われたが、二学期に入って風向きが変わった。奉仕部で仕事があるから、クラスの出し物に専念するからと、二人の女子生徒が立て続けにバンドへの不参加を表明したのだ。葉山以外のメンバーが自分の演奏で手一杯なこともあり、普段の奔放な振る舞いとは違って(その言われようはどうなのかと一色は頬を膨らませたのだが)演奏面で他者のフォローができる一色は、無事にバンド加入を果たした。

 

 一色が今回利用したのは二つ。一つは、葉山の名前をちらつかせつつ、バンド練習があるのでクラスの責任者は務められないと言って逃げたこと。その結果、言い出しっぺのあの子たちがクラスの出し物も取り仕切ることになって、それはそれで多少の面倒はあったのだが、自分が責任者になるよりは遙かにマシだ。

 

 そして二つ目は、文化祭の数日前に行われた試食会で作ったお菓子を、出来映えを教えて欲しいという名目で葉山に食べてもらったこと。

 

 もちろん、ほぼ同時に、葉山以外の三人の男子生徒にも同じものを食べてもらった。だがタッチの差とはいえ、一番最初に食べてもらうなら葉山が良いと一色は思ったし、葉山としても、他の男子生徒が食べ始めるのを待ってから食べるような姑息な真似はしなかった。おそらく葉山だけに食べてもらおうとしても断られただろうから、これは一色と葉山がお互いに妥協をした結果と言えるのだろう。

 

 ちょうどバンド練習に行く時間に完成するように時間を調整して、できあがったお菓子を全て持って行ってしまったことで、同級生男子からは少しだけ不評を買ってしまった。しかしそれも、葉山先輩大好きアピールをしながら「慌てて全部持って行っちゃった(てへ)」と口にすることで解決できるのだから楽なものだ。葉山たちの食べ残しを(と言っても汚いものではないのだが)綺麗に平らげてくれて、一色はご満悦だった。

 

 男子生徒との仲を重視する一色ではあるが、数はそれほど多くないとはいえ同性の友人も存在する。一色と仲の良い女子生徒たちは、どちらかと言えば大人しい性格の子がほとんどで、しかし見た目なり成績なり運動能力なりで他の生徒を大きく上回っている部分が何かしらあった。一色も含めクラスを牛耳るような野望には乏しいのでトップカーストというわけではないが、クラスの中で無視できない一団であるのは確かだった。

 

 そんな彼女らと休日を共に過ごす時などに、一色は手作りのお菓子を振る舞うことがあった。だが、男子生徒に食べさせたことは今まで無かった。その初めてが葉山だったことで、一色は一定の満足感を得たが、同時に心の片隅では「こんな程度か」とも思っていた。だが冷静に考えて、この高校で誰が一番と考えると、葉山以外の名前が出て来ない。だから自分の行動は間違ってはいないのだろうと一色は思った。

 

 一色は気付いていない。かの豊満な体つきの親しみやすい先輩の誕生日を祝うために(同時に、奉仕部が元通りになったお祝いのために)、あのせんぱいの家で開催された集まりに参加した時のことに。各自が一品ずつ持参という話だったので、ケーキを焼いて持って行ったことに。それを、大勢の女子生徒に混じって一人だけ居た、かのせんぱいに食べられていたことに。実は初めてが彼だったと知った時に一色が何を思うかは、今の時点では誰にも分からない。

 

 

「外からの人は味覚が鈍いって話なのに、わたしのレシピに言い掛かりをつけるのは、意味が分かんないな〜」

 

 目下の問題を思い出しながら、一色が小さくつぶやいた。お菓子作りの経験が無い同級生のために、いくつかレシピを書いたのだが、それを責められるとは思ってもいなかった。

 

 味が不評なのは、一色としても悔しい気持ちがある。しかしその原因は一色には無いはずだ。実際、他のクラスの生徒たちや、数は少ないもののこの世界に巻き込まれた校外の人たちには、一色たちの手作りのお菓子は好評なのだ。

 

 だが、リアル世界からの来客には、微妙な味の善し悪しは伝わらない仕様らしい。わたしのレシピを見て初めてお菓子を作って、それが不評で哀しむ気持ちは分からないでもない。誰かを恨みたい気持ちも分からないではないが、わたしだってそんなことで責められたくはない。

 

 わたしを責めようとする女子生徒たちに男子が一斉に反発して、結果的には余計に話がこじれてしまった。逆にあの子たちこそが悪いと男子生徒らが責め立てたことに、普段は中立的な立場の女子生徒たちが反発したからだ。確かに、味の問題に関してはあの子たちにも責任は無いわけで、一色たちのグループとしても男子を積極的に支援することには及び腰だった。

 

 少し時間を置けば、双方とも冷静になるだろう。そう言った友人の見込みはおそらく正しく、当事者のわたしがいったん場を外すことも、言い争いを早く収拾するには良い選択なのだろう。

 

「けどやっぱり、面白くないですよね〜」

 

 不満をつぶやきながら、とりあえず目に付いた自販機で飲物を購入すると、一色はとある場所で立ち止まる。購買の斜め後ろという位置なのに、周囲の壁などが微妙な配置だからだろうか。生徒には気付かれにくいその場所のことを、一色は六月に偶然知った。

 

 あの時。合羽姿で雨に打たれて孤独に身を浸しながら、自身を哀れな主人公という役柄と同化させていた、とあるせんぱいの姿を見付けてしまい。怪しい人が居ると思って写真を撮ったのが、この場所を知った切っ掛けだった。改めて思い返しても、あの時のせんぱいはこの上なく怪しかったと一色は思う。

 

 飲物を一口含んで、友人から連絡が来るまでどう過ごそうかと考えていると。まさに先ほど連想していた怪しい人が、後方を何度も振り返りながらこの場所に姿を見せた。こちらのことには、どうやら気付いていないようだ。

 

 せんぱいは、何か心の中では収まりきれない感情を抱えているのだろうか。何度か不審な挙措を見せた後で、おもむろに天を仰ぎ始める。おそるおそる彼の背中に指を伸ばそうとするも、うなり声を上げ始めたので、びくっと動きを止めてしまう一色。だが何とか思い直して、一色は彼の背中を指でちょんと突く。

 

「あーうー。……うひゃあっ?」

 

 奇声を発しながら振り返る比企谷八幡の顔を睨み付けて、彼に触れた指を逆の手の指で包み込みながら。驚きたいのはわたしのほうですよと、心の中で叫ぶ一色だった。

 

 

***

 

 

「で、なんでお前がこんな所に居るんだ?」

 

「せんぱいこそ、誰かから逃げて来たんですか?」

 

 しばし顔を見合わせて、互いに少し落ち着きを取り戻した二人は、ぽつりぽつりと会話を始めた。夏休みに会った時に、一色のあざとい外面の奥を八幡が見通していること、見通されてなお一色が平然とそれを続けられることをお互いに認識し合っているので、二人の会話に遠慮は無い。

 

「い、いや。逃げて来たわけじゃねーぞ。戦略的撤退っつーか、転進ってやつだな。つか、なんでそう思ったんだよ?」

 

「さっきから歩いて来たほうをずっと気にしてますし、そりゃあ逃げてきたんだろうな〜って思いますよ?」

 

 呆れ顔でそう答える一色に、八幡は。

 

「いや、だから、逃げたわけじゃ……はあ、まあいいや。確かに逃げたと言われても否定できねーしな。んで、お前は?」

 

「え〜っと、お前とか言わないで、ちゃんと苗字で呼んでもらえませんか?」

 

 逃げてきたことを素直に認めたというのに、八幡は更なる試練を課されていた。不満そうな表情の中にも愛嬌を混ぜることを忘れない、何をしても何を言ってもあざとい後輩の姿を見て、八幡は目を泳がせる。

 

 もちろん名前で呼べと言われるよりは遙かにマシだが、舐めた性格の後輩とはいえ見た目は可愛らしい一色を苗字で呼ぶなど、八幡からすればハードルが高い。あの二人ですら最初はなかなか慣れなかったのにと思いながら、八幡は口を開く。

 

「いや、だって、お前も先輩って呼んでるじゃねーか」

 

「先輩のことを先輩って呼ぶのは、みんなしてるじゃないですか〜。せんぱいだって、生徒会長のことは城廻先輩って呼んでましたよね?」

 

「いや、だってお前の場合は……はあ、まあいいや。んで、一色は何があったんだ?」

 

「な、なんでそんなすぐに諦めて苗字で呼んじゃうんですか。も、もしかして。わたしのこと、口説いてたりします?」

 

「はあ。もう俺には、お前が何を考えてるのかさっぱり分からん……」

 

 先ほど驚かされたことへの意趣返しという気持ちもあって、少し八幡をからかってやろうと考えていた一色だったが、八幡が普段以上に「押して駄目なら諦めろ」の精神を発揮するものだから却って藪蛇になっていた。真顔で問い掛ける一色に対して、今度は八幡が呆れ顔になっている。

 

「ごほん。えっと、特に何がってわけじゃないんですけどね〜。ちょっと息抜きというか、連絡待ちです。せんぱいは誰に追われてるんですか?」

 

「まあ、お前が……一色がそう言うんならそれでいいけどな。俺は、その、あれだ。暗闇に包まれし時代のおぞましき遺物から、とかかね」

 

「そ〜いうのはいいんで。要するに、恥ずかしい過去から逃げ出してきたってことですよね?」

 

「な、なんでお前、さっきの言い方で理解できちゃうのよ。もしかして隠れオタクとか……」

 

「そんなわけないじゃないですか。せんぱいみたいな人が昔言ってたことを思い出して、こんな感じかな〜って……実は大正解だったりします?」

 

 八幡からのあり得ない質問に素で答えると、一色は再度確認を入れる。その問い掛けに答えず、視線を遠くに飛ばしている八幡を見て、ようやく一色は先ほど驚かされたことを帳消しにできた気がした。もはや背後を窺うことも忘れて、一色との会話に意識の大部分を持って行かれている。そんな八幡の様子を見て更に気を良くした一色は、姫の気まぐれのような慈悲を行う。

 

「ここまで追ってくる可能性があるのなら……場所を変えませんか?」

 

「あ、忘れて……そうだな。つか、その言い方だと、お前も付き合ってくれるってことか?」

 

「せんぱい。お前呼び一回ごとに、借り一つにしますよ。友達から連絡が来たらすぐにそっちに行きますけど、それまでなら別にいいですよ?」

 

 平然と「付き合って」などと言ってくる八幡に、冷静を装いながら別件で注意を与えて。一色はそのまま首を軽く傾けて、目をきょとんとさせながら同意を返す。さすがに照れくさそうな八幡の様子を窺っていると、覚悟を決めたのか、意識がしゃんとしたのが伝わって来た。

 

「んじゃ、頼むわ。どこか場所の当てでもあるのか?」

 

「そうですね〜……じゃあ、奉仕部の部室の前に再集合で」

 

「あー。それって、別々に移動するってことか?」

 

 同級生にして同じ部活の女子生徒にこんこんと言い聞かされてきたことだが、どうやらリア充はいついかなる時にも集団行動を是とするらしい。最近ようやく、時と場合と相手によってはそれを受け入れられるようになってきた八幡だったが、一色の提案はそれとは異なるものだった。首を捻りながら八幡が疑問を述べると、一色は。

 

「え。だって一緒に歩いてて、変なふうに言われたら困るじゃないですか」

 

 真顔でそう言われてしまうと、それはそれで哀しいものだなと思ってしまった八幡だった。だが別行動のほうが気楽なのも確かなので、一色の意見に抗議する気持ちは沸かなかった。

 

 近い将来、八幡に「別行動を提案しても良いんだ」という無駄な知識を与えたことを一色が後悔する事態になるか否かは、現時点では誰にも分からない。

 

 

***

 

 

 誰かに追われているのはせんぱいですし、先に行ってくれていいですよと言われ。八幡はそれに従って早々に移動を開始した。せっかく購入した千葉のソウルドリンクをほとんど飲めていないが、それは向こうに着いてからにしようと八幡は思う。

 

 道中で見知った誰かと遭遇することもなく、部室の前で大人しく一色を待っていると、何やら鼻の辺りがむず痒くなってきた。一つ大きなくしゃみをして、八幡はふと先ほど考えていた人物のことを思い出す。独りで当てもなく歩いていた時に、俺が信じて任せられる相手に含めないのは良くないと反省した、性別だけは未だに信じられない彼のことを。

 

「さっきの話を聞いたら……連絡してくるだろうな」

 

 そう考えた八幡は、あの二人の対応を想像した時と同様に、気恥ずかしいような情けないような嬉しいような奇妙な感情に陥る。だが彼になら、あの二人にはできないようなこともできるのではないか。具体的には、今日のことを理由に晩ご飯に誘うことが。むしろ、向こうから連絡が来る前に自分から動いたほうが、後々恐縮しなくて済みそうな気もする。

 

 それが言い訳なのか、それとも一片の矜持なのか自分でも分からないままに。八幡はアプリを立ち上げると、お誘いのメッセージを送付した。送り終えて一息ついていると、廊下の向こうから一色の声が聞こえてくる。

 

「せんぱい。上です、上」

 

 一色の提案が部室で過ごすというものなら、何か理由をつけて回避しないとなと思っていた八幡だったが、どうやら純粋に待ち合わせ場所として選んだだけらしい。一色から大きく距離を空けて、「スカートの中を覗かれた」などと冤罪をかけられないように身構えながら(ふくらはぎや、ふとももの裏が綺麗だなと思うぐらいは勘弁して欲しい)、八幡は特別棟の階段を上がっていく。

 

 階段の上は踊り場になっていて、そこのガラス戸が開いていた。その先は空中廊下に繋がっている。特別棟と校舎を結んでいる廊下は、この階では屋根がなく吹きさらしになっていて、夏場は暑さのために、冬場は寒さのために、この空中廊下を使う人はほとんど居ない。

 

 一色は空中廊下の真ん中辺りに立っていた。屋根が無いとはいえ、廊下には手すりもあるし、両側はともにガラスで外部から遮蔽されている。そのガラス越しに降り注ぐ夕日を眩しそうに眺めながら、一色が八幡を待っていた。

 

 

 俺は、どうして一色の誘いを受け入れたのだろうと八幡は思う。中学の同級生と遭遇したのはつい先程だし、二年F組の教室を離れたのは独りになりたいと思ったからだ。一色を適当にあしらって、さっさとまた独りになれば良かったのにと。

 

 とはいえ八幡には心当たりがあった。午前中に体育館で行われたオープニングのセレモニーを八幡は思い出す。人前で緊張して、マイクに頭をぶつけた相模南のことを。

 

 あれを見て八幡は「励まされようが貶されようが同じ」だと、「何も言われないのがまだ一番マシ」だと言った。気を遣われるといたたまれなくなるし、かといって攻撃的な物言いをされるのはやっぱり嫌だ。だから触れられないのが一番だと。

 

 そして、やはりそれは正しかったと、八幡は先ほど自らの身で味わうことになった。

 

 一色とは、夏休みに偶然会った時のやり取りがあったので、お互いに遠慮の気持ちが無かった。それにおそらく一色は、俺のことなどはどうでも良いと思っているはずだ。だがだからこそ、今の俺にとっては会話をするのが楽な相手だ。

 

 好きの反対は嫌いではなく無関心だと言ったのは、マザー・テレサだったか。その言葉を最初に知った時には微妙な感情を抱いたし、今も「反対」という言葉には少し抵抗があるのだが、それでも無関心という項目を持ち出してくる感覚は理解できると八幡は思う。好意を向けられるのも嫌悪感を向けられるのも勘弁して欲しい時に、無関心というのは本当に助かるのだ。

 

 他人から認識すらされない状態は、やはりつらい。けれども、せっかく認識されても罵倒されるだけなら、それもつらい。場合によっては、下手に慰められるのもつらい。認識はされて、しかしすぐに目を逸らされる程度の無関心が一番良いと、そう思えてしまえる状況が時にあるのだ。

 

 つい先日も思ったことだが、俺は少し弱くなったのだろう。ぼっちとしての強度は確実に低下している。最近では、それが良いことなのか悪いことなのかも分からなくなってきた。少なくとも、この変化には良い面もあるのだと、知ってしまった。

 

 だからだろうか。以前なら突っぱねるだけだっただろうに、今もこうして一色の提案を受け入れている。文化祭の盛り上がりを離れて、見た目だけは本当に可愛らしい後輩と二人きりで、こんな場所に居る。そんな自分をふと俯瞰で見てしまい、不思議な気持ちに浸る八幡だった。

 

 

「それで、せんぱいは過去に何をしでかしたんですか?」

 

 一色の声に同情の色は無く、からかうような気配こそあるものの攻撃的なものではない。ただ待ち時間を過ごすための話題を提供するようにと、わたしを退屈させないようにと命じるお姫様のような物言いで問い掛けてくる。

 

 だから八幡も、変に虚勢を張ること無く、そのままを答えることができた。

 

「別に、ぼっちをやってただけだ。ただ、カースト下位の連中からしたら、いじりやすい対象だったみたいでな。さっき久しぶりにその連中に会って、昔と同じように見下してくるから、一言ちょっと言ってやっただけっつーか」

 

「でも、そのあと逃げてきたんですよね?」

 

「あー。その場に由比ヶ浜が居てな。俺が居ないほうが話が早いかと思って、後を任せたというか……はい、逃げました」

 

 少しだけ虚勢を張ろうとしたが、一色にじっと見つめられてあっさり陥落した八幡だった。

 

「結衣先輩が頼りになるのは分かりますけど……わたしもバンドのことで少し迷惑をかけたので、偉そうなことは言えないんですけどね〜」

 

 一色があいつを名前で呼ぶようになったのは、あいつの誕生日という名目で俺の家に集まった時だったよなと八幡は思い出す。そういえば、あの時に一色はケーキを焼いてきてくれたのだったか。女子の人間関係は八幡にとって、どうにもつかみ所のない部分があるのだが、一色でもあいつには気配りをするんだなと八幡は思った。

 

「まあ、確かに言い訳なんだがな。俺が何を言っても、俺が悪いって結論は変えそうに無い連中だから、俺が居てもできることが無いんだわ。情けねーけどな」

 

「何を言っても突っ掛かってくるような相手だと、当事者が場を外すのが正解なのかもですね〜」

 

 どことなく投げやりな口調ではあるものの、一色の発言に真実味のような感触を覚えて、八幡は一色の様子を窺う。ともに飲物を片手に手すりに片ひじを乗せて、ガラス越しに遠くを眺めながら横並びで話を始めたはずが。いつの間にか、顔だけはお互いに向けて話す格好になっていた。

 

「それが正解だとしても、なんか納得いかねーって気分は残るよな。でもま、ああいう連中に態度を変えさせるには、自分がカースト上位になるとか、肩書きを変えるようなことでも無いと難しいんだろうなって思ってたんだが。案外、そうでもないのかもなって思ったな」

 

「ん〜と。それって、どういう意味ですか?」

 

「自分の心の持ちようって言ったら、胡散臭そうに聞こえるかもしれんが。なんか、思ってたことを口に出せただけでも違うっつーか。それでもう解決なんじゃねって思ったんだわ。ちょっと分かりにくいか?」

 

「そうですね〜。せんぱいがカースト上位になるとか、その人たちが絡んで来ないような肩書きを手に入れるのは、難しいだろうな〜とは思いますけど……」

 

「おい。お前、分かってて言ってるだろ。つーかそれは俺も重々承知してるから、わざわざ言語化しないでくれない?」

 

「え〜。ちょっとした冗談じゃないですか〜。あとせんぱい、お前呼びは借り一つだってさっき言いましたよね?」

 

「うげ、マジか……。まあ、通じてるみたいだし話を戻すぞ」

 

 意外に素直に借り一つを受け入れている八幡を見て、却って言い出したほうの一色が、何か悪いことを押し付けているように思えてしまう。そんな軽い罪悪感を払いのけるような気持ちで、時おり強く吹く風には語尾を伸ばすことで対応しながら、一色は話を続ける。

 

「その人たちに向かって、今までは言えなかったことを言えたから、せんぱいの中では解決したような気持ちになったってことですよね。でも結衣先輩とか、あと雪ノ下先輩とかも、その話を聞いても解決したとは思わないんじゃないですか?」

 

「まあ、そうなんだよな。あいつらが対策を立ててくれたり動いてくれるのは嬉しいんだが……」

 

「せんぱいって、あれですよね〜。付き合ってるのに何度も何度も『好き』って言わせて、相手の気持ちを確かめないと気が済まない人みたいですよね〜」

 

「え、っと。なんでそうなるんだ?」

 

「だってそうじゃないですか〜。自分の中では解決してるって言うのなら、結衣先輩とか雪ノ下先輩には動かなくていいって伝えればいいだけなのに、それは言わないですよね?」

 

 あの二人なら、自分のために動いてくれるのだろうと思っていたし、それは二人を信頼しているからだと思っていたが。もしかすると俺は、二人を試すようなことをしているのかもしれない。八幡はそう考えて自己を省みる。だが考えれば考えるほど、それを否定する材料が皆無に近いと思い知らされるだけだった。

 

「そ、れは……」

 

「あ、別にそれが悪いって意味じゃないですよ〜。確かめられて嬉しいって人も、大勢いるみたいですし。それに、せんぱいの中では解決してるっていうのも、いいことだと思いますけどね〜。それって、言ってみて初めて分かった、みたいな感じだったんですか?」

 

「あー。正直に言うと、葉山の受け売りなんだわ。あいつが前に『第一歩を踏み出すのが一番難しい』とか言ってて……あ、いや。その前に雪ノ下も言ってたな。たしか『たとえ小さなことでも、成功の一歩を踏み出せれば違ってくる』とか何とか。だから、解決策は既にあったんだよな。俺が気付かなかっただけで」

 

 

 雪ノ下陽乃と話し合いをした時に、葉山が口にした言葉を。そして取材に来た記者たちを眺めながら、部長様と映像通話を行った時の言葉を、八幡は思い出していた。だが感傷に浸る時間など与えぬとばかりに、一色が食い付いてきた。

 

「もしかしてせんぱいって、葉山先輩とかなり仲がいいんですか?」

 

「いや、特に深い関係には無いから止めてくれ」

 

 とある腐女子からの悪影響によって、反射的に拒絶反応をしてしまう八幡だった。もしも万が一何かの手違いが起きて俺の抱き枕とかが販売される運びになったらあの人に買い占められそうだよなと、八幡は思わずそんな妄想を働かせてしまう。だが、一色にとっては関係の無い話だ。葉山が腐の世界にでも堕ちない限りは。

 

「あ、そっか。考えてみれば、千葉村でも一緒でしたよね〜」

 

「おい。もしかしなくても、俺が居たのを忘れてただろ?」

 

 こてんと首を動かして「なんのことですか?」と伝えてくる一色に、八幡は盛大なため息で応える。一色に俺への関心が無いというのは、たしかに今の心境的には助かるのだが、このままだと変な性癖に目覚めそうだなと思ってしまった八幡だった。

 

「じゃあ……さっきの借り一つですけど、葉山先輩のレアなネタ一つでどうですか?」

 

「有志のトリでバンドをやるらしいぞ。これで返済完了だな」

 

「それって、わたしも出るんですけど……。レアには程遠いネタじゃないですか〜!」

 

 そういえば、ハニトーの返済はどうしようかなと考えながら八幡が気軽に答えるも、当然ながら一色は納得しない。最初は呆れながらの返事だったのが、徐々にお怒りの度合いを見せていた。仕方が無いので、八幡は話を逸らすことにする。

 

「んで、おま……一色も同じような感じだったんだろ。クラスの出し物とかが原因かね?」

 

「え、せんぱいちょっとキモいです。それって、俺だけがお前を理解してるんだぞ的なあれですか?」

 

 しかし一色からの反応は散々なものだった。途中からは少し早口になったものの、それほど長い台詞では無かったので、八幡は何とか聞き取ることができた。

 

「違うっつーの。出し物は何をしてるんだ?」

 

「む〜。一応は喫茶店になると思うんですけど、手作りのケーキとかお菓子を売りにしている感じですね」

 

「あー、あれか。味覚の問題とかで揉めたのかね。さっき由比ヶ浜とも、食べ物を扱ってるクラスとかが一斉に修正を出してきたら大変だなって話をしてたんだが……明日は、裏方の仕事なら手伝っても大丈夫かね?」

 

「その、尋ねておいて勝手に悩み始めるのはどうかと思うんですけど〜。でも、せんぱいだし仕方が無いですね……」

 

「あ、すまん。どうせ、お前が上手に作ったケーキとかに、変な言い掛かりを付けられたんだろうけどな。美味しいものが理解できない可哀想な奴なんだと思って、憐れんでおけば良いんじゃね。実際、お前の手作りケーキってかなり旨かったからな」

 

「あれっ。せんぱい、いつわたしのケーキを……って。あ、ああ〜っ!」

 

 八幡の二度にも及ぶお前呼ばわりすら、一色の頭には残らなかった。八幡としては、先ほど思い出したケーキの話を気軽に出しただけのつもりだったのだが、一色にとっては一大事である。

 

「せんぱい。今すぐ綺麗さっぱり忘れて下さい。あれは無かったことにしてくれると、ひっじょ〜に助かります!」

 

「は。何言ってんのお前?」

 

「だから、ケーキを食べたのは無かったことにして下さいって言ってるのに〜。もう、なんで、よりにもよって、せんぱいなんですか。わたし、初めてだったのに。知らない間に食べられちゃってたなんて……」

 

「ちょ、おま。ちょっと語弊がある言い方は止めて欲しいというか、話がぜんぜん見えて来ないっつーか、むしろ嘆きたいのは俺の方なんだが……」

 

「だからわたしの初めてを返して欲しいって言ってるじゃないですか〜。無かったことにして下さいって……」

 

「誰にも聞かれてないからいいけど、その表現は本気で誤解を招くから止めてくれって……」

 

 二人に宛ててメッセージが届いていることにも気付かず。八幡と一色はしばらくそんなふうにして、奇妙な言い争いを続けるのだった。

 

 

***

 

 

 同じ頃、二年F組の教室を雪ノ下雪乃が訪れていた。そこで待っていた由比ヶ浜結衣を始めとする女子生徒たちから、まずは簡単に事情を聴取する。

 

「そう。話は概ね理解できたのだけれど……」

 

 そう言って、雪ノ下は周囲の面々を順に視野に入れた。由比ヶ浜のすぐそばには三浦優美子と海老名姫菜が控えている。そして三浦の隣には葉山も居て、その横には戸部翔の他に大岡と大和も居る。雪ノ下が女性陣と話をしている間に、情報を聞いた彼らもまた教室まで戻ってきたのだ。

 

 少し視線を伸ばすと、八幡に代わって廊下で受付の仕事をしている川崎沙希の後ろ姿が目に入った。先ほど教室に入る時に一言、事態の収拾を頼まれている。その期待には背かないと雪ノ下は思う。

 

 その他のF組の生徒たちは、こちらを遠巻きに眺めている。それなりの数の生徒が控えているが、いずれも噂を聞いて徐々に集まって来たのだろう。その中に相模と、相模と同じグループと思しき一団を認めて、雪ノ下は彼女らの様子を記憶に止めておく。何かを言いたげな海老名の目の動きからして、彼女らには注意を払っておくべきだろう。

 

「比企谷くんが中学生の時の話が、今回の事態の引き金になっていると考えて良いのよね。とはいえ、あまり過去の話を大勢に広めるのは良くないと思うのだけれど……あなた達は他に何か、今回の件に関して気になることとか、知っていることはあるのかしら?」

 

 クラスのその他大勢に向かって、雪ノ下は問い掛ける。教室に居る生徒全員が、自分の発言をしっかり耳にしていると理解している雪ノ下は、まずはそこから片付けようと考える。首を横に振るばかりで有用な情報をまるで持たない生徒たちを、雪ノ下は笑顔でねぎらった。

 

「ありがとう。また何か気になることを思い出したら、私でも由比ヶ浜さんでも良いから連絡をしてくれると助かるのだけれど……お願いね。では、相模さんはどうかしら?」

 

「う、うちは……さっき、ゆいちゃん達に言ったので全部なんだけどさ」

 

「そう、分かったわ。お友達も同じだと考えて良いのよね?」

 

「う、うん。みんなうちと一緒に居たし、うちらしか知らないような話は無いんじゃないかな」

 

 そう答えた相模に一つ頷きを返すと、相手は目に見えてほっとしたような表情を浮かべた。相模個人には問題は無さそうだと考えつつ、雪ノ下は教室にいる全員に言い聞かせるように言葉を発する。

 

「では、文化祭実行委員会の副委員長として、そして比企谷くんが属する奉仕部の部長として、この件は私が預かります。生徒のプライバシーを考慮して、会話は外部に漏れない設定にするつもりなのだけれど。こちらのことはあまり気にしないで、せっかくの文化祭なのだし楽しんで来て下さい」

 

 雪ノ下がそう告げると、安心したように大勢の生徒が教室から出て行った。その中には相模たちの姿もあったが、特に誰もそれを咎めようとはしない。何人か手持ち無沙汰な様子の生徒が教室に残っているものの、それを気にすることなく音声の設定を行うと、雪ノ下は周囲の者だけに聞こえる声で話を始めた。

 

 

「先週、姉さんが来て、私と葉山くんの過去の話が噂になった時に、ここに居る人たちには何もメッセージが届かなかったと言っていたわよね?」

 

「ああ。たぶん俺に直接情報が行ったりとか、優美子に情報が行って怒られたりするのを避けたかったんじゃないかな」

 

 葉山の返答に一つ頷いて、雪ノ下は思考を進める。対八幡という観点から生徒間の関係性を整理すると、反対派の急先鋒は相模一派と考えて良いのだろう。相模本人が微妙な立ち位置なのは良い意味でも悪い意味でも気になるが、それはひとまず置いておこうと雪ノ下は思う。

 

 そしてその他大勢は中間派と考えて良いのだろうが、情報次第でどちらにも転びかねないとはいえ、現時点においても八幡に批判的という域には至っていないように見えた。

 

 確実に八幡を擁護してくれると期待できるのは由比ヶ浜・三浦・海老名・川崎の四名だけだが、先週の一件におけるメッセージ伝達の範囲からして、葉山以下の男子生徒四名は反対派から味方とは見なされていない。ならば遠慮なくこちら側に取り込ませてもらおうと雪ノ下は思う。

 

「そういえば、戸塚くんの姿が見えないのだけれど?」

 

「さいちゃんにも、情報は伝わってると思うんだけどさ。二回目の公演が終わってから、テニス部の後輩に相談を受けたみたいで……やっぱり無理にでも呼んだほうがいいかな?」

 

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。その必要はないわ。戸塚くんには別ルートで動いて貰ったほうが良いと思うのよ。だから、もしもメッセージが来たら、そう伝えて貰えるかしら?」

 

「うん、わかった!」

 

 そのまま雪ノ下は頭の中で状況を整理する。八幡に代わって受付をしてくれている川崎は動かせないが、自分を入れて八名の手駒があれば、何とかなりそうだと雪ノ下は思う。

 

「まずは明日の対策から話を始めるわね。比企谷くんの中学の同級生は、明日も来るという話なのだけれど。相手がいつ来るか分からないという状況は避けたいわね」

 

「……それなんだけどさ。俺たちに任せてくれないかな?」

 

「ああ。さっきこの三人で話してたんだけどさ」

 

「俺っちも大和も大岡も、去年から練習試合とかで、他の高校とは繋がりがあるんだべ。リアルの連中に連絡するのは難しいけど、海浜とか、この世界に巻き込まれた連中だったら簡単に連絡できるっしょ!」

 

 三人の男子生徒からの意外な反応に、雪ノ下は訝しそうな視線を向けている。しかしそれにも怯むことなく、三人は自分たちに任せて欲しいという意図を態度で示していた。一学期にF組で妙な噂が広まった時には、雪ノ下にあれほど怯えていたというのに。今の彼らは一歩も引く気配を見せない。

 

「その、もう少し詳しい理由を聞いても良いかしら。戸部くんは千葉村でも一緒だったけれど、大岡くんと大和くんは率直に言って、比企谷くんとそれほど仲が良かったとは思えないのだけれど?」

 

「罪滅ぼしって言うと変かもしれないけど、俺たちがもっとしっかりしてたら、ヒキタニくんを変な噂に巻き込むことも無かったんじゃないかってさ」

 

「あの頃の俺らって、正直に言って隼人くんに頼り切りっていうかさ。そんな情けない関係じゃなくて、男連中でしっかり関係を作れていたら、あんな噂とか無かったはずだって」

 

「俺っちは、そこまで深く考えて無かったべ。でもま、ヒキタニくんが困ってるなら、動かないわけは無いっしょ!」

 

 大岡も大和も、過去の自分たちの罪業がバレても良いと言わんばかりの態度で、雪ノ下と向き合っていた。既に噂が広まってから数ヶ月が過ぎて、今更あの時の犯人を追求しても誰の得にもならない。そんな現状を理解して、自己保身のためではなく要らぬ混乱を招かないために、二人は詳しい話に関しては口をつぐむ。

 

 それはやはり卑怯な振る舞いなのだろうと二人は思う。だが、言うべき時を逃してしまうと、言っても仕方が無くなるのだということを、二人はこの数ヶ月間で身を以て理解した。噂を流すという馬鹿げた行動に出た自分たちが悪かったのは当然として、悔い改めるのを許されないことが、誰にも話せない秘密を抱えて生き続けることが、これほど辛いとは二人は思ってもいなかった。特に、何も知らない戸部のことを思うと、二人はやりきれない気持ちになる。

 

 だが、それもこれも全ては自分たちが招いたことだ。それに、一人で抱え込まずに済んでいるだけ自分たちは助かっている。そう考える二人は、自分たちが八幡の役に立てる機会を見逃そうとは思わない。こんな程度では自己満足に過ぎないと分かってはいても、それでも行動に出ないという選択肢は彼らには無い。八幡と、そして戸部のためならば、自分たちが動くのは当たり前だと彼らは思う。

 

 すぐ近くでは鼻から大量の血を流している者がいるが、介抱係の金髪のおかんを除けば誰もそれには反応していない。三人の男子生徒を順に何度か眺めた後で、雪ノ下が口を開いた。

 

「貴方たちが言いたいことは分かったわ。でも一つだけ。葉山くんを除け者……というと語弊があるかもしれないのだけれど。葉山くんとは別行動なのは、何故かしら?」

 

「こっちは聞き込みみたいなものだしさ。とにかく動けば動くほど成果が出るような仕事だから、俺たちだけでも大丈夫だって」

 

「隼人くんには、もっと頭を使うような役割を任せたら良いんじゃないかって。俺ら、昔は隼人って呼んでたのに、いつの間にか隼人くんになってるしな。雪ノ下さんが凄いのは知ってるけど、隼人くんもけっこう凄いんだぜ?」

 

「ヒキタニくんが困ってるから教室ではあんまり話しかけない方が良いぞ、とかって、隼人くんはいつもいいアドバイスをくれるんだべ。俺っちとかだと雪ノ下さんの発想についていくのは難しいけど、隼人くんなら何とかなるっしょ!」

 

「そんなおだてるようなことを言っても、俺だけを仲間外れにした事実は消えないからな。じゃあ、そっちの方は頼む。ヒキタニくんと同じ中学の生徒を見付けて、明日の予定を聞き出すこと。それを、できるだけ目立たないようにやって欲しい。できるか?」

 

「おう」

「俺も大丈夫」

「目立たないように頑張るっしょ!」

 

 約一名だけは微妙に不安が残るので、後で葉山の監督下において行動させることになった。戸部だけを残して、大和と大岡はそのまま校外へと去って行った。

 

 

「では、闖入者たちへの対策は一旦終わりにして、次に行きましょうか」

 

「え、でも。もし予定を聞き出せなかったり、相手に話が伝わったりしたら……」

 

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。その場合でも何とかなるようには備えておくから」

 

 二人のやる気を削がないためにも口には出さなかったが、雪ノ下は運営を巻き込むことを考えていた。この世界での仕様によって、八幡と中学の同級生とのやり取りは揉め事と認定され録画が残っているはずだ。話を聞く限り、彼らを出禁にするほどでは無さそうだが、要注意人物としてリストに入れるぶんには問題ないだろう。

 

 その場合、現実世界の校舎前にて来訪者の選別をしている運営の人たちが(今回の場合は、正確にはリストを参照したAIが)彼らを認識した時点で連絡が入るので、時間的な余裕はさほど無い。だから二人が首尾良く情報を得てくれた方が助かるのは確かだが、失敗に終わっても何とかなるという雪ノ下の言葉もまた事実だった。

 

「問題は、クラスへの影響と文実への影響だね。クラスはこんな感じだけど、文実のほうは?」

 

「私の目が届く範囲では問題は起きないと思うのだけれど。比企谷くん個人への不満ややっかみは、少なくないというのが正直なところね。だから出回る情報次第では、少し面倒なことになるかもしれないわ」

 

「姫菜が復活したら詳しい話を聞いて欲しいんだけど、どうも相模さんの一派が、ヒキタニくんの話をおもしろおかしく広めてるみたいでさ」

 

「さがみん本人は、そんな感じじゃ無いんだけど……」

 

「そうね。当人よりも話を聞いた周囲のほうが、激高したり過激な行動に出るケースがあると思うのだけれど。今回もその形だと考えて良いのかしら?」

 

「あんまり認めたくは無いけど、そんな形だろうね。俺もそれとなくは宥めてるんだけど、すぐに違う話を始めたりして、ちゃんと聞いてはくれないしさ」

 

「振られた本人よりも、周りが『どうして振ったんですか!』って言ってくるようなパターンだべ?」

 

「その具体例は適切だと思うのだけれど、何だか頭が痛くなってくるわね……」

 

 雪ノ下と葉山のやり取りを中心に、時おり由比ヶ浜と戸部が口を挟む形で話が進んでいた。ようやく血が止まった海老名は、三浦の膝に頭を乗せて、女王様にうちわで扇がれながらぐったりしている。そんな二人の様子を見て少し気持ちに余裕が生まれたのか、葉山が気楽な口調で尋ねる。

 

「でもさ。雪ノ下さんなら、何か良い案が浮かんでるんじゃない?」

 

「そうね。……一応、考えている案はあるのだけれど。ただ、比企谷くんへの悪印象がこれ以上広まれば、どうなるかは分からないわね」

 

「そんな、ヒッキーがこれ以上って……」

 

「ええ。だから由比ヶ浜さん……あなたを頼らせてもらっても、いいかしら?」

 

 静かな口調に強い信頼を潜ませて、雪ノ下がそう尋ねる。一瞬だけ驚きの表情を浮かべた由比ヶ浜は、すぐに破顔してこう答えた。

 

「そう言ってもらえるの、待ってたよ!」

 

「葉山くん、聞いての通りよ。私と由比ヶ浜さんはそちらに集中したいので、貴方は状況をこれ以上悪化させないように、采配を執って欲しいのだけれど」

 

「俺が、かい?」

 

「だって、隼人くんしか居ねーべさ?」

 

「戸部くんの言う通りよ。大和くんと大岡くんの推薦もあるのだし。それに、貴方は比企谷くんとはクラスメイトでしょう。明日もこのクラスを訪れることが予想される闖入者への対応は、全て貴方に一任するわ。それと可能な範囲で良いので、変な情報が回りすぎないように、ある程度の統制をして貰えると助かるのだけれど?」

 

「ちょっとそれは、陽乃さん並に要求が高くないかな。でもま、せっかくの雪ノ下さんからのご指名だし、俺ができる範囲のことはするよ。戸部、それから優美子と姫菜も協力して欲しい。じゃあ……ここで二手に分かれようか」

 

「ええ。では、お願いね」

 

 

 その言葉に見送られて、葉山は二人からは少し距離を置いて、自身が引き連れた面々と相談を始める。それを眺めながら、雪ノ下は由比ヶ浜に話しかけた。二人だけで相談ができるのならば、隠すことは何も無い。

 

「由比ヶ浜さん。まずは役割分担なのだけれど。明日は仕事が山積みになりそうだし、比企谷くんを遊ばせておく余裕は無いと思うのよ。だから……申し訳ないのだけれど、比企谷くんを私と由比ヶ浜さんの監督下に置いて、ほとんどの時間を三人で過ごす形になると思うわ」

 

「え、っと。別にそれで大丈夫だけど……ゆきのんは、何か気になることでもあるの?」

 

 由比ヶ浜には隠すことなど何も無いのだが、雪ノ下はどこか奥歯に物が挟まったような言い方をしてくる。それを不思議に思って問い掛けると、雪ノ下は慌ててかぶりを振った。

 

「いえ……その、クラスにはほとんど顔を出せなくなると思うのだけれど、大丈夫かしら?」

 

「うん、今日の調子だとぜんぜん大丈夫。姫菜は、まあ、話題によってはあんな感じになっちゃうけど、クラスの出し物のことは超真剣にやってるしさ。優美子も居るし、サキサキもさりげなくフォローしてくれたりするから、心配しないで」

 

「そう。では本題に入るわね。私は今からプログラムを組もうと思うのだけれど……」

 

「それって……でもさ、ヒッキーだと……」

 

「なるほど、確かにその通りね。では、由比ヶ浜さんには動きの確認と……」

 

「うん、大丈夫。ゆきのんの負担が大きいかもだけど、あたしも傍で一緒に見てるからさ」

 

「仕事の量は重要ではないわ。由比ヶ浜さんが今言ったように、私が困った時に傍に居てくれて、貴女に頼れる時には頼れるというだけで、その、それが、重要なのよ」

 

「照れてるゆきのん、可愛いなー。って、その目はちょっと、怖い、かも……」

 

 詳しい打ち合わせも順調に終わって、二人は何やらじゃれ合っている。珍しく年相応のふくれっつらを見せていた雪ノ下が、ぽつりとつぶやく。

 

「……比企谷くんの反応が楽しみね」

 

「だね。でもさ、正直に言うとあたし、ヒッキーにも怒ってるんだよね。一番はあたし自身に怒ってるんだけどさ。でも、相談してねって言ったのに……」

 

「そうね。誰かを見くだすことで仲間意識を作るようなのは嫌だと、由比ヶ浜さんが言っていた通りの相手だったのに。貴女が怒りたくなるのも無理は無いと思うわ」

 

「あれ。もしかして、ゆきのんも怒ってる?」

 

「ええ。普段は色々と屁理屈を言うくせに、こんな時だけ言い訳をしないで黙って立ち去るだなんて、ちょっと卑怯だと思うのだけれど。これでは、私たちも言い訳できないじゃない。もちろん、何に対しても誰に対しても言い訳をするつもりはないのだけれど、それを強いられるのは少し気に入らないわね」

 

「ちょ、ゆきのん、落ち着いて……」

 

「でも由比ヶ浜さんも、ちゃんと仕事をした人には、報われて欲しいと思うでしょう?」

 

「……だね。でもさ、それと同じぐらい『なんかもう!』って言いたい気持ちもあるんだよねー」

 

 そんなふうに八幡への不満を言い合いながらも、二人は楽しそうに笑顔を交わしている。誰かさんが今頃くしゃみをしているかもしれないわね、などと付け足しながら。

 

 

 そんな二人の様子とは対照的に、葉山たちは真剣な表情で話し合いを続けていた。葉山が話を主導して、そこに各々が口を挟む形で対策を進めていく。

 

「モニター越しに何かを言ってくるようだと対応が難しいけど……大岡と大和に言って、何とか部分的なログインをしてもらう形に誘導したいな」

 

「結衣から聞いた限りだと、モニター越しに何かを言ってくるよりは、ログインして直接言ってきそうな性格みたいだけどね。けどその場合でもさ、ログアウトして逃げられたら終わりなんだよねー」

 

「逃がさない方法か……ヒキタニくんなら何か考えつくかもしれないけど、俺には難しいな」

 

「隼人で難しいなら、ヒキオにも難しいと思うし。それに、居ない奴を頼っても仕方が無いし」

 

「優美子のそのフォローは嬉しいけどさ。ヒキタニくんの思考経路って、どこか独特な気がするんだよね。だから俺とか、時には雪ノ下さんにだって思い付けないようなことを、ヒキタニくんなら言い出すんじゃないかなって。俺の変な願望なのかもしれないけどさ」

 

 そう言ってからしまったと思って海老名の様子を窺うも、どうやら真面目に頭を働かせるモードに入っているみたいだ。もしかしたら血が枯れてしまったという可能性もあるのかもしれないが、深くは考えないでおこうと葉山は思った。

 

「じゃあ、ヒキタニくんに連絡を取ってみるべ?」

 

「いや、それは止めておこう。俺たちが連絡するよりも適任が居るし、たぶんもう動いてるんじゃないかな」

 

 葉山は思う。今回のクラスで行われた劇の共演者として、あいつのことは俺がよく知っている。俺が一番とは思わないし、そこに拘るつもりも無いが(そこに拘り始めたら身の破滅だと、葉山は再び海老名の様子をこっそり窺う)、彼に任せておけば大丈夫だと思えるほどには彼のことを知っている。その「彼」という呼称が正しいのか、一抹の不安は残るのだけれど。

 

「確実を期すなら、外部の協力者が欲しいところだな。でも、連絡の手段が限られてるのがネックかな。よっぽど行動力がある奴とか、この世界の誰かに恩を感じてる奴がいたら、ニュースを見て連絡をくれるかもしれないけどさ」

 

「それって、どういう意味だべ?」

 

「まあ、あり得ない話だけどね。俺たちのリアルの自宅まで訪ねて来てくれるような奴が居たら、親に音声通話を繋いでもらって、そのまま詳しい相談ができるだろ?」

 

 それが奇しくも、午前中に八幡が由比ヶ浜たちに説明した案と同じであることを葉山は知らない。そして、自分の説明を聞いた戸部が何かを考え込んでいることにも、葉山は気付かなかった。

 

「……たぶんだけど、大丈夫な気がするべ」

 

「ああ。始まる前から悲観的なことを考えていても仕方が無いからな。雪ノ下さんも考えてると思うけど、運営を巻き込んで何とか逃がさないような形を整えて、上手く話を付ける方向で行こう。じゃあ、もう少し話を詰めていこうか」

 

 そうして、彼らの話し合いはそのまましばらく続くのだった。

 

 

***

 

 

 話し合いが終わってからも、サッカー部の繋がりを活かして他校の生徒たちと連絡を取って。再び合流した大和と大岡も交えて四人で夕食を済ませると、戸部は葉山たちと別れて、個室からショートカットで自宅に移動した。

 

「こんな時間に呼び出すのは……気が引けるけど仕方ないべ」

 

 そうつぶやいて、戸部は両親に向けて映像通話を申請する。戸部の頼み事を聞いた両親は息子の非常識を指摘したが、最後には言う通りにしてくれた。そして。

 

「これでたぶん大丈夫だべ。たぶんだけど」

 

 そう言って、戸部は明日に備えてそのまま眠りに就いた。

 

 

***

 

 

 八幡の一件を報告されて、しかし城廻めぐりは雪ノ下に全てを一任した。可能ならば先週と同じように動きたかったが、当事者のフォローはあの子たちに任せようと城廻は思う。それよりも、今の城廻には、他にやるべきことがあるのだから。

 

「もしかしてあの時、はるさんは何か予感があったのかなー?」

 

 生徒会役員たちと別れて帰宅の途に就いた城廻は、ふと先日の水曜日のことを思い出した。卒業生代表として総武高校を訪れた陽乃と、ホテルのレストランで会食した時のことを。

 

 

『文化祭は順調そうだけどさ。めぐりが気にしてた、あっちのほうは?』

 

『うーん、なかなか人材が出てこないんですよね。雪ノ下さんが凄すぎるのもあって……』

 

『まあ、雪乃ちゃんがどう動くかだけどさ。他に具体的な候補は?』

 

『誰も出なかったら、本牧くんが出るとは言ってくれました。でも、どちらかと言うと縁の下で支えるのが合ってるって、本人も自覚してて……』

 

『雪乃ちゃん以外にもう一人いた、あの副会長ちゃんは?』

 

『まだ一年なのと、誰か支えてくれる人が居たら良いんですけど、もともと気弱な性格みたいで。本牧くんと組み合わせるにしても、もう一人ぐらいは強力な支え手が欲しいですねー。今の段階だと書記ぐらいが適任だと思うんですけど、でも、立候補して人前で演説とか大丈夫かな?』

 

『その辺りは、じゃあさ。めぐりの任期中に規約を変えて、人前に出るのが苦手な人材を逃がさないように、会長だけを選出するのも一つの手だね。それで、選ばれた会長が他の役員を指名……だと権限が強くなり過ぎるか。じゃあ、人事案込みで会長選挙って形が無難かもね』

 

『でも、立候補が出ないと結局は……』

 

『それは、わたしにも何ともできないよねー。勝手に向かって来るような人材が居たら、話は楽なんだけどさ』

 

『そういえば会長って、いつもはるさんに挑みかかってましたよね。「絶対に先輩の思い通りにはさせないよ。絶対に」って、あの時の会長、格好良かったなぁ』

 

『こらこら。今の生徒会長はめぐりなんだから。でも、確かに懐かしいね。あの子なら、めぐりが困ってたら飛んで来るんじゃない?』

 

『どうしても会長って言うとあの人を思い浮かべちゃって。どんな呼び方よりも、会長って呼ぶのがしっくり来るなーって』

 

『めぐり。もし困ったことがあったらね、現実世界のあの子を呼び出すことも、頭の片隅に入れておいたら良いよ。この世界と現実とで、分断されてるように思うかもしれないけどさ。あの子の行動力なら、そんなの問題にもならないよ。たしかご両親とも顔見知りだったよね?』

 

『うーん。そんなふうに会長に迷惑をかけたくはないんですけどねー。でも、そうですね。後輩たちを守るためなら、その手もあるって覚えておきます』

 

『うん、そんな感じで良いんじゃない。でも正直に言うと、文化祭であの子を呼び出すような事態には、なって欲しく無いなー。せっかく管弦楽部のOB・OGを集めて、土曜日の有志に出る予定だからさ。ま、そうなったとしても、めぐりの判断は尊重するけどね。そういえば、比企谷くんが……』

 

 

 自宅に帰った城廻は、両親に向けて映像通話を申請する。よく知った仲とは言え、こんな時間に呼び出すのは非常識だと、怒られるかもしれないなと身構えていた城廻だが。自分の認識が甘かったことに、かの人の行動力をずいぶん低く見積もっていたことに、城廻は程なく気付かされるのだった。

 

 

***

 

 

 戸塚彩加からの快諾を得て、妹に連絡を入れた上で意気揚々と待ち合わせ場所に向かった八幡だったが、そこには怪しげな男が待ち受けていた。いつもと変わらぬ彼の服装を、今更どうこう言う気にもなれない八幡は一言、念のために確認を行う。

 

「……戸塚だよな?」

 

「然り。かの御仁の海よりも広き思いやりと海よりも深き心配りには、拙者つくづく感服つかまつった!」

 

「お前の比較対象って海しかないのかよ……」

 

 一日分の疲れがどんと肩の上に乗っかってきた気がしたが、這いつくばった姿勢で戸塚を迎えるわけにはいかない。疲れるようなことばかりを言ってくる材木座義輝の相手を適当にこなしながら、八幡は一日千秋の思いで戸塚を待った。幸いなことに、さほど時間を置かず戸塚が姿を見せる。

 

「その、城廻先輩にも連絡してみたんだけどね。どうしても外せない用事があるから八幡に謝っておいて欲しいって、逆にお願いされちゃって……」

 

「いや、そりゃ生徒会長なんだし、文化祭の初日だし、仕方ねーだろ。つか、城廻先輩が忙しいのって、俺が問題を起こしたのが原因かもしれないしな。もしそうだったら、こっちが謝らないと……」

 

「その辺りの詳しい話は聞けなかったんだけどね。じゃあ、行こっか」

 

 駅前なら何でもあるし、と言って二人を先導する戸塚の背中を、八幡は頼もしげに眺めている。何でもあるところに行けば良いって、実は八幡に教えてもらったことなんだけどなと思いつつ。背中に視線を感じながら、戸塚は第一候補のお店の近くで足を止めた。

 

 

 二人から同意を得られたことで、戸塚はイタリアンなチェーン店に足を踏み入れた。何度か来たことがあるだけに三人とも慣れたもので、それぞれ好きな食べ物とドリンクバーを注文する。

 

「詳しい話は、あんまり聞かないほうがいい?」

 

「いや、なんつーか……俺の中では、結構どうでもいい話になってたりするんだけどな」

 

 食べながら話に加わろうとする材木座を「行儀が悪い」と言って排除して、八幡はそのまま戸塚と会話を続ける。

 

「我慢してるとかじゃなくて、八幡は別に平気だってこと?」

 

「なのかね。あいつらに思ってることをそのまま言えたから、後はもういいやって感じになったんだよな。まあ、今更かよってのは自分でも思うけどな」

 

「でも、今更って言うけどさ。八幡が気にならなくなったのなら、それはいいことだって思うんだけど……」

 

「それ、さっきも……自分の中で解決してるならいいか、ってな。俺もそれは思うわ」

 

 一色にも同じことを言われたなと思い出した八幡は、彼女と会っていたことをどう説明したものやら迷ってしまい、結局は話を濁した。少しだけ間を置いて、そのまま八幡は言葉を続ける。

 

「でもな。この間ちょっと思ったんだが、それって雪ノ下が小学生の時には克服してたことだったりするんだよな……」

 

 先ほど中学の同級生と対峙していた時に思い出したことを、八幡は内心で繰り返す。

 

『優しい性格の持ち主ほど、貧乏くじを引くことになる。自分が動いた結果が、自分が誰かを選んだ結果が想像できてしまって、あげく何もできなくなるからだ』

 

 雪ノ下は小学生の時に一度は何もできなくなって、しかしすぐに自ら動いてその状況を打破した。俺は高二にもなってようやく、自分から動くことができた。そういえば、あまり意識はしなかったが、あの時に動けたのは「自分から行く」と宣言した由比ヶ浜の影響もあったのかもしれない。気付かないうちに、あいつから勇気をもらっていたのかもしれないなと八幡は思った。

 

 

「八幡は、雪ノ下さんと由比ヶ浜さんとは、対等でいたいんだよね?」

 

「そう……かな。まあ、そうだな。部長と部員とか、それぐらいの格差なら気にしないんだが、明確な上下関係になるのは嫌かもな」

 

「ぼくからしたら、八幡は雪ノ下さんや由比ヶ浜さんと同じぐらい凄いなって思うけどなぁ。あ、そういえばね。八幡の今日の話を聞いて、ぼく、韓信の股くぐりの話を連想したんだけど……もしかして、意識とかした?」

 

「あー、その、あれだ。正直、意識はしたんだけどな。でも、大人しく股をくぐる域には程遠いなーって」

 

「平然と股くぐりができちゃう韓信って、やっぱり凄いよね。でも八幡もさ、思いがけない手で相手に一撃を浴びせて、それですぐに撤退しちゃうって、やっぱり韓信みたいだなって。それでね、色々とフォローをしてくれる由比ヶ浜さんが蕭何で、頭が良くて交渉とかもできちゃう雪ノ下さんが張良だって考えたら面白いなぁって。あ、勝手にそんなふうに言われたら、八幡も迷惑だよね……?」

 

「いや、今さら戸塚が何を言っても、迷惑とか思わねーから気にすんな。それに、その配役はなんか良いなって俺も思うわ。その……実は俺も同じようなことは考えてたんだけど、雪ノ下は劉邦だって思っててな。んで、さっき言ったようにあいつらとは対等でいたいから、配下になるのはなーとか妄想してて」

 

「でもじゃあ、劉邦って誰になるんだろ?」

 

「それなあ……。平塚先生もちょっと違うし、誰か他の人を据えるのもやっぱり違うしな。今んとこ三人で上手く役割分担ができてる気はするんだが、劉邦を皇帝にするとか、はっきりした目標みたいなのがないと、いつまで続くかって気もするんだよな」

 

 すっかり二人だけの世界に入っている八幡と戸塚を尻目に、材木座はせっせと追加注文を行っていた。

 

「八幡は、奉仕部って関係だけでは終わらせたくないって思ってるんだね」

 

「なんか、今日の戸塚は攻めてくるよな。まあ良いけど……そうだな。さっきのと似た話になるんだが、別の妄想を聞いてくれるか?」

 

 戸塚が大きく頷くのを見て、そのまま八幡は話を続ける。由比ヶ浜から相模の不幸体質を聞いて、その時に連想した古いラノベの話を。

 

「かなり昔の作品だから、名前ぐらいしか知らないかもな。俺も親父の本棚にあったから知ってるだけだし、それに今から話すのは『戦記』じゃなくて『伝説』のほうなんだけどな。まあ聖騎士みたいな奴がいて、暗黒戦士みたいな奴もいて、そいつらはいずれ覇権を掛けて争うしかないだろうって、みんな思ってたんだわ。けど大賢者さんがな、『二人の上に立つ人が居れば良いじゃない』とか言い出してな。子供心にすげーって思ったんだわ」

 

「あ、そういう話ってすごい好きかも。それで、どうなったの?」

 

「いや、それ以上はネタバレになるから、気になるなら今度貸すわ。んで、そこからはさっきの劉邦と同じでな。俺があいつらと対等で居るためには、何か上位の存在を置いたら良いんじゃね、的な」

 

「うーん。でもさ、誰か他の人が加わるのは嫌なんだよね。じゃあ、何か宗教とか……は難しいよね」

 

「それよりは、理念とかかね。ま、妄想の話はこれぐらいにしとくか。それより、あの後どうなったのか、聞いてもいいか?」

 

 

「あ、そうだね。えっと、相手はすぐにログアウトしたって言ってたよ。でも、自分たちが言ってることは本当だって、明日また来るって言ってたみたいで……」

 

「はあ。つくづく手間の掛かる連中だよな。何年も前の話に、よくそこまで拘れるもんだわ。自分らの話でも無いのにな」

 

 そろそろ仲間に入れて欲しい材木座が何やらわめいているので、話しながらつまめるものを注文しなかった奴に慈悲は無いと、八幡はそう宣告した。それを聞いて早く食べ終わることに専念し始めた材木座を見て、戸塚が苦笑いをしている。

 

「それから雪ノ下さんを呼んで、葉山くんとかと対策を練ってるって言ってたよ。それに、八幡が平気だとしてもさ。その、友達を悪く言われたら……ぼく、なんだか嫌だな」

 

「うむ。戸塚氏の言や善し。復讐するは我にあり。八幡よ、雪ノ下女史がその連中をけちょんけちょんにする様を、明日は鑑賞しに行くとしようぞ」

 

「お前、もう食べ終わったのかよ。あと、けちょんけちょんとか今日び使わねーからな。それに……まあいいや。とにかくお前の案は却下な」

 

 せっかく、可愛らしい戸塚の姿を頂きましたと勝利宣言が口から出かかったというのに、材木座の発言で台無しだ。あざとさを伴わない可愛らしさがどれほど尊いか、いつか絶対に解らせてやる。八幡はそんなことを思いながら、それでも律儀に材木座の相手をしていた。そんな二人を、相変わらず仲がいいなと微笑ましく眺めながら、戸塚が話を進める。

 

「それでね。こっちが待ち構えていても、ログアウトして逃げられちゃったら困るなって話になってるみたいでさ」

 

「あー、それはそうだよな。ログアウト、か……」

 

 戸塚の説明を受けて、八幡はしばし考察に耽る。部分的なログインの仕様は、今日一日で色々と理解できたつもりだ。初めは視覚と聴覚だけという認識だったが、ジェットコースターのがたがたを感じられないとか、味覚が不十分なのが原因なのに味に文句を言われたりとか。人間の感覚というのは不思議なもんなんだなと、思い知らされた気がした一日だった。そういえば……。

 

「なあ。もしかしたら、なんだけどな……」

 

 そう言って八幡は思い付いた仮説を説明する。それを聞いて目を輝かせている戸塚にはぎこちない笑顔を返し、「やるではないか」という視線を送ってくる材木座には罵倒で応えた八幡は、全く違う用事を思い出した。

 

「陽乃さんにメッセージを送るのを忘れてたから、ちょっと話から抜けるな」

 

 そう言って、文面を考える事に意識を集中する。

 

 

 水曜日に来校した陽乃に、八幡は一つ相談を持ち掛けた。陽乃に頼み事をすれば埋め合わせに何を要求されるか分からないので、普段ならそんなことはしないのだが、あの時の八幡には勝算があった。妹を絡ませて、その上で陽乃を楽しませることができれば、過酷な取り立ては回避できるのではないかと考えたのだ。

 

 しかし今となっては、その望みは潰えた。それどころか、多大な借りを作ることを承知の上で、頼まなければならないことがある。

 

 先ほど戸塚に説明したように、中学の同級生のことは八幡の中ではどうでもいい話になっていた。しかし他の生徒がどう思うかは別だ。自分に対するクラスメイトの対応を、そして実行委員の態度を冷静に観察してきた八幡は、静かに断を下す。この文化祭で、自分が表舞台に出るのは止めた方が良いと。

 

 それは、八幡にとっても苦渋の選択となる。あの二人と一緒にバンド演奏をする道が断たれるからだ。だが、文化祭の成功という一番の目標を優先するのであれば、仕方のない犠牲だと考えるべきなのだろう。

 

 そして、たった一日の練習時間で自分の代役を務められるような人材を、八幡は他に知らない。それに、自分のせいであの二人の演奏が聴けなくなるだなんて、そんな事態にはなって欲しくない。となると、八幡に取れる行動は一つだけ。

 

『明日のことで相談があるんですけど、少しで良いので話す時間をもらえませんか?』

 

 陽乃に宛ててメッセージを送って、八幡は身振りだけで「返事待ち」だと二人に伝え、そのまま目を閉じようとした。その時。

 

『高く付くから止めた方が良いと思うなー。清水の舞台から飛び降りて来なさい。お姉ちゃんより』

 

 間を置かず返って来たメッセージを見て、「あの人にはどこまでお見通しなんだよ」と八幡は思う。だが、そこまで言われたら仕方が無い。明日はできるだけ自分に罵倒が集まるように、あの二人が悪く言われるようなことの無いように、振る舞わなければならない。

 

 それが困難なことは理解できるのに。もしもあの二人が罵声を浴びるようなことになったら、自分がどんな行動に出るか八幡自身ですら予測できないのに。それでも、それに挑めることが八幡は嬉しい。あの二人と同じステージに立つ自分を想像するだけで、気分が高揚するのを感じる。

 

「……結局は、予定通りって感じだな。んで、何の話をしてるんだ?」

 

 八幡はそう言って、戸塚と材木座の話に加わった。男子生徒にありがちなくだらない雑談を堪能しながら、八幡は明日に向けて思いを馳せるのだった。

 




微妙に更新が遅れ気味で、申し訳ありません。
原因:なんで書き終わらないんだろ?→文字数確認→Σ(゚д゚;) ヌオォ!?

次回の更新は3月15日頃……は厳しいので、20日までには何とかという予定にさせて下さい。
その後の予定が厳しくなるだけなので、できる限り早めに更新したいとは思っています。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

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