宿に隣接する馬屋に地竜を繋ぎ、部屋を借りたシャオン達は少し早めの就寝に向けて動き出していた。
夕食というには粗末すぎる食事を無理に詰め込み、軽く水浴びして垢を落としシャオンは明日の段取りを確認するために少し小さめの広間でアリシアと――途中で加わったリーベンスと話し合うことになった。
――昼間竜車の前に跳び出てきたリーベンス。当たり前だが彼女がそんな行動をしたのには訳があったのだ。
「たまったお休みをもらったので村に帰ろうなんて、いいことではあるけどもう少し計画性を持ちましょうよ」
「えへへ」
照れたように笑う彼女は、ある程度お金がたまったのでお店を少し長めの休みとし、娘のルカに会いに村へ帰るというのだ。
しかし、急に決めた休み。彼女は焦って移動手段を探したが白鯨の関係もあり、そう簡単に見つからない。
悲しみに暮れる中、竜車に乗るシャオン達を見つけたので居ても立っても居られなくなり、あのような蛮行を行ったのだという。
「だからって走りだそうとした竜車の前に跳び出るとかやめてくださいっすよ」
アリシアの言う通り、心臓に悪いのでやめてほしい。
下手をすれば、せっかくのお休みが永久の休みになってしまったかもしれないのだから。
「まぁ、いいっす……ふぁ。アタシは部屋に戻ってるす。お二人も早く体を休めてくださいっすよー」
あくびを一つしてアリシアは自分の寝室へと向かう。残されたのはシャオンとリーベンスのみ。店主もどこかへ行き、他の客も自室にいるのだろう。
特別話すことは後はないので、シャオンも早く体を休めようとしたとき、
「――なにかありました?」
「え?」
いつの間にか頼んでいたホットミルクを口にしながらシャオンへ確信めいた視線をぶつけるリーベンスがいた。
「いい親であるとは思えませんが、これでも一児の母ですよぉ。若い子が何か抱え込んでいるっていうことくらいわかりますぅ」
どや顔でこちらを見る彼女の表情には隠し事などなさそうに見える。
しかし、もしものことがあれば大変だ、適当に話をはぐらかそうと考えた瞬間。
「話してみては? 抱え込んでるとパァン! と破裂しちゃいますよ」
――掌をたたき、大きな音を立てて楽しそうに笑う彼女を見て、深読みしすぎていたのだと考え直す。彼女に人をだますことなどできそうにない。
ほんとうに、ロズワールの下についてから人を疑うことが多くて嫌になってくる。
「そう、ですねでは」
疑ってしまった罪悪感を晴らすかのようにシャオンは口を開いた。
「実は……友達と仲たがいをしまして」
王選の情報を避け、スバルの情報すら避けてシャオンは今の悩みを打ち明ける。
「ふむふむふむ、むふふ。なるほど。それは大変でしたねぇ」
「はい、まぁ……俺が悪いんですけどね」
スバルがエミリアを想っているのを知っていたのにあまりにも前に出過ぎた。
スバルの役割をシャオンが食ってしまったのだ、すべてシャオンが悪いのだ。
そう自己嫌悪の沼につかり始めた時リーベンスの口が開いた。
「うーんとですねぇ、少々きつい言い方になりますけどぉ」
ミルクを一口飲み、リーベンスは眼鏡を置き、こちらを黒い瞳で射貫く。
「勿論、客観的に見ればそのお友達の方が悪いですよ。でも、貴方もわるぅい」
「それはわかって――」
「わかってませんよぅ、全然」
鼻先に指を突きつけられ、思わず鼻白む。そして彼女はそれを愉快だとでも言いたげに口を三日月のように歪め、笑う。
「だって、貴方何が悪いかこれっぽっちも理解していませんもの。思い込みで違うところを悪く思っているだけ……いえ、違いますね。あえて避けてる?」
人が変わったように流暢な言葉で彼女はシャオンを糾弾する。
「貴方の悪いところは、『しっかりと意見を伝えていない』こと。貴方にも事情があったのでしょう? それを伝えようと――」
「しましたよ! でもっ!」
「――では、今このような状況に、そのような気持ちになることはないのでは?」
「っ!」
――見事に、見抜かれていた。
それを自覚すると同時に熱が引き、浮かせていた腰を落とす。
彼女は悪くない、当たってしまうのあまりにも失礼だろう。少し冷静になったからかもしれないが。すぐにその判断ができたのは僥倖と言えるだろう。
「ヒナヅキさん、いえシャオンくん。人生の先輩としての教えです」
落ち着いたと判断したのかリーベンスは諭すような声色でシャオンに話しかけていく。
「本当に伝えたいことは、腕がもげても、足が砕けても、それこそ心臓が破裂してでも――命に変えてでも伝えなさい。そうすれば後悔なんてしない。魂に濁りが混じることなどなくなる」
歴戦の騎士のように鋭く、深い眼光にシャオンは思わず息を呑む。まるで、別人のような変わり方に驚きを通り越して恐怖を感じてしまいそうだ。
そしてその様子を見た彼女は脅かしてしまったのかと思い、僅かに雰囲気をやわらげ、悲しそうな笑みを浮かべて次の言葉を聞こえるかどうかの声量でつぶやいた。
「……自分語りではありますけど、私も、亡き夫に……伝えたいことを伝えられませんでしたから」
「……え?」
「っと、らしくもなく話しすぎちゃいましたねぇ。明日のこともあるし、私も早く休みましょうか」
追及を避けるようにすぐにリーベンスは席を立ち、彼女の部屋へと向かう。シャオンもこれ以上突っ込む気にはならなかったので幸いではあったが……。
「……魂に、濁りか」
彼女に言われた言葉を繰り返す。
その言葉の意味は分からないが、シャオンの胸の奥には確かにその言葉がくすぶっていた。
◻
「ここまでなんにも問題なくこれてよかったすよ!」
「ええ、天気もいいですしねぇ」
場所は山中、リーファウス街道を抜けて林道に入り、メイザース領の入口へと辿り着いたところであった。
いくつかの森林地帯と丘を越えて、一時間もかからずに目的地に着くというところ、シャオンはあることに気づいた。
「……アリシア、一つ聞いていいか」
「なんすかー?」
竜車を操りながら声だけで返事するアリシア。
その走行スピードに影響が出ていないことを確認し、なるべく動揺させない様に意識をしてとあることを伝える。
「今日、今までに誰かと、いや生き物とすれ違ったか?」
「――――」
僅かに竜車の走行に乱れが生じたが、すぐに元の安定した動きに戻る。
だが、彼女の顔色は先ほどとは違って暗い。
「……まずい、っすか?」
「いや、わからない。だけど、偶然にしちゃおかしいだろう」
人どころか動物、小鳥すら見当たらないのだ。怪しいと思う気持ちが生まれるのは必然だ。そして彼女もきな臭いと判断したのか、警戒心を強めている。
「どうかしたんですか?」
話を聞いていなかったリーベンスに説明をしようとするよりも早く、
「――――ッ!」
アリシアの前から鮮血と、甲高い叫び声があたりに響いた。しかしその血は彼女のものではなく、この荷台を引く地竜のものだ。
「シャオン! リーベンスさんを連れて外に出るっす!!」
「え?」
状況がわからず、首をかしげるリーベンスの襟をシャオンは乱暴につかみ、竜車の扉を蹴破って飛び出る。
高速で走っていた竜車から飛び出たのだ、当然体は風に流され浮遊感を感じる間もなく地面へとたたきつけられようとしていた。
だが何の策もなく飛び出たのではない、こちらには魔法があるのだ。
「リーベンスさん捕まってて! フーラっ!」
左手を地面にかざしシャオンは身を守るために風刃を生み出す。録に威力調整もせずに放ったそれは地面を削り取り、穴を開ける。
しかしわずかながらに重力に逆らうことができ、刹那ほどの浮遊感を感じた。だがこれだけでは止まることはできない。覚悟を決めて地面に落ちることを決める。
シャオンの体では彼女の体全てをかばうことは無理、だから頭を抱き込むようにかかえ、地面へと接触する。
硬い土が、尖った石が肉を削るが急所は守っている。だがそれでも痛みと、飛び出る血液は止まらない。
「ぐぉ……いってぇ」
全身を擦り、傷を負っても勢いは止まらず、ようやく止まったのは木にぶつかってのことだ。
頭も打ったが意識はなんとか保っている。これぐらいの傷なら水魔法で十分に治療もできる。腕の中にいるリーベンスも傷はすくない。
二人の無事を見届けアリシアも勢いよく飛び降りた。
御者がいなくなった竜車は近くの岩に勢いよく衝突し、開花した花のように裂け、その命は潰える。
「状況説明!」
「地竜が襲われた、つまりは襲撃っすよ!」
めぐるめく状況の変化の中、わかったことは単純だ。
地竜への攻撃、移動手段の消滅。
これだけでもきな臭いがやはりシャオンの頭の中に引っかかる要素は別にある。それは――
「道理で、誰ともすれ違わないと思ったんすよ。いずれ戦うことにはなると思ってたんすけどね」
そう、アリシアの言う通り。誰とも会わなかったことだ。
だが彼女とシャオンの認識は微妙に違うらしい。彼女の口振りではまるで、犯人がわかっているような言い方だ。
その疑問を晴らそうとアリシアに声をかけようとしたが、彼女は近くに落ちていた拳サイズの石を手に取り、大きく振りかぶって近くの大木に向かって投げつけた。
石は木にめり込むと同時に破裂し、貫通することはなかったが大きくえぐるという結果を残した。
意味が分からない、下手をすれば気が触れたとも思えるような行動。
その結果は、すぐに表れた。
「早すぎるっすよ――魔女教」
苦虫を噛んだような、忌々しげに呟いたその言葉。
その言葉に反応するかのように、石がめり込まれた木の裏から黒装束の男が姿を表したのだった。
◻
魔女教徒。
嫉妬の魔女を崇める集団。四百年前、いるかもわからない魔女が台頭してた頃から活動している筋金入りの狂信者たち。
名前を出すだけでも人々は怯え、怒り、そして嫌悪の感情を隠さない。最悪の、問答無用で討伐されるべき存在。それが、魔女教徒。
エミリアの王選参加が明るみに出た時点で覚悟はしていた一件だ。
そして現在の状況はエミリア陣営であるシャオン達を殺めようとしているという訳で間違いないだろう。
「リーベンスさん、貴女足腰に自信はあるっすか?」
「すいません、全然ですぅ」
「話が通じる相手、ってわけじゃないわな」
黒装束の人影が次々と湧き上がり、シャオン達と、走ることができなくなった竜車を十数名が取り囲む。
人影は倒れ伏した首の裂けた地竜を見やり、確実に絶命していることを確認し、視線をこちらへと戻す。
黒装束たちは頭まですっぽりとフードを被っており、その顔も性別すらも判然としない。呼吸しているのかすら定かでない影たちは揺らめくような、滑るような動きであっという間にシャオンに近づいた。
別に彼らの動きは特段素早いわけではなかった、ただあまりにも自然すぎて反応ができなかったのだ。
思わず息をのみ、離れることすら出来ずにいると微かに聞こえてきたのは声だ。
「――導きを……」
「――ぅあ?」
何とか聞き取れたその言葉の意味はわからない、わからないが聞き流すことはできない。そんな強制力をもった声色にシャオンは動けない。
耳を傾けようとしたとき骨が砕けるような音と、空気が押し出されたような音がシャオンの耳に届き、それと同時に目の前の黒装束の姿はどこにもなかった。
「なにぼさっとしてんすか。らしくない」
「あ、ああ悪い」
拳を返り血で濡らしながらシャオンを嗜める彼女に若干引きながらも、感謝の言葉を伝える。
どうやら彼女の拳が魔女教徒を撃ち抜いたようだった。
彼女は手の血を払い捨て、目を細めて周囲を見渡している。
「シャオン、二手に分かれるっていうのがいいと思うんすけど」
「その意味は?」
「リーベンスさんを庇って戦えるほど安い相手じゃないし、数も多い。だったら悪くないはず」
確かに彼女の案はそこまで愚策というものではない。相手の戦力も、具体的な目的も不明。いや、わかっていることは一つある。それはエミリアが狙われているということだ。
だったら目の前の敵は囮で、本命が別の場所からアーラム村に向かう可能性がある。
恐らくエミリアたちがいれば撃退はできるだろう。だが、村に一切の犠牲を出さないというのは厳しい。
だから最善策としては彼女の作戦にしたがい片方が残り、もう片方が村へ伝令。村を守るために村に戦闘要員を一人、そしてこちらへ一人応援を呼んできて貰うのがベストだろう。
「でも、殿役は俺のほうが」
「シャオンの力はすごいっすけど持久戦はそこまで強くないっすよね?」
アリシアはシャオンの言葉を予想していたかのように流暢に説明をする。そして、それは図星を突いていたので何も言えない。
魔法もマナ切れになってしまってはこの人数差では対応できない。能力も副作用があることを考えれば無駄打ちもできない。格闘戦に至っては普通の人間であるシャオンにとっては数で押されてしまっては数分も持たない。
「その点、アタシは鬼化すれば体力も持つし、衰えはない。足止め役には適していると思うんすけど」
「……お前がその鬼の力でリーベンスさんを村に届けてからもどってくればいいんじゃないか?」
「リーベンスさんの体がもたねぇっすよ」
鬼の彼女が全力で走ったら一般人のリーベンスに対する負担は大きくなってしまう。そもそも加減して走ればいいと思うが、彼女の性格から無意識にでも加減してしまうから無理なのだろう。
そもそもシャオンは別に彼女の実力を疑っているわけではない。
村で起きた魔獣騒ぎから彼女が鬼化した際の戦闘力は聞いているし、実際に何度か手合わせをしたこともあるから保証はできる。
――ただ、それでもぬぐえない不安があるのだ。
「大丈夫っす、エミリア様やラムちゃんやベアトリス。ロズワール様が気づきさえすれば何とかなるはずっすから。だからそっちは村安全を確保してくださいっす」
彼女はこれ以上何を言っても引くことがないだろう、もしもこれ以上口論を続けるならばシャオンの意見を無視してでも足止めに徹するだろう。
だったらこちらが言う言葉は一つだけだろう。
「――死ぬなよ」
「――善処はするっす」
親指を立てて応えるアリシアではあったがその指はかすかながらに震えが見てとれた。
それは鬼としての本能からくる歓喜からか、それとも別の感情か。
個人的には後者であってくれた方が嬉しいのだが、そのほうが女性らしいし。
そんな思考を潰そうと、魔女教の一人が拳よりも二回りほど大きい火炎を投げだした。だが、シャオンは避けない、防御の姿勢も怯みもしない。なぜなら、彼女がいるのだから。
「こんなかわいい女の子いるのに無視なんてひどいっすね」
アリシアは左腕を振り火球と相殺させる。
いくら手甲をしているからと言って無傷で済むわけがない。爆音と肉の焼ける臭いがシャオンにも伝わってくる。
「ほら、さっさと行って援軍連れてくるっすよ」
しっしっと言う手の仕草を見てシャオンは背を向け走り出す。
勿論不安がなくなったわけでもない。だが、それでも振り返らない。だって、シャオンが知っている彼女だったらひるむ様子を微塵も見せずに――
「そんな扱いをしたんだから、覚悟してよ?」
――獰猛な笑みを浮かべているのだろうから。
◻
「だ、大丈夫なんですか!? アリシアちゃん一人に任せて!」
「喋らないで!舌噛みますよっ!」
声を荒げるリーベンスを更に声を荒げて口を閉ざすように言う。すると僅かに視界が暗くなると同時に、上空から何かが飛来する音が聞こえた。
シャオンは慌てて拳を上に突き出す。
「ぐっ!?」
飛んできたのは鎖が付いた十字剣。それがシャオンの掌を貫いていた。
この空中からの一撃に反応できたのは偶然だ。だから致命傷は防げても、無理矢理防いだことによる負傷はでかい。
痛みをこらえながらもシャオンはリーベンスに叫ぶ。
「リーベンスさん! 走れるなら急いで走って! 振り返らずに! 急いでっ! 屋敷の主に、銀髪の彼女に事情を話して!」
「――っ!」
シャオンの剣幕から事態を把握したのか、リーベンスは僅かに迷った瞬間勢いよく走りだした。
それを見て追いかけようとする魔女教徒の体を林の方へ投げ飛ばす。殺しはしていないだろうが、しばらくは起き上がってこないだろう。
だが安心にはまだ早い様だ。
「おいおい、何人いんだよ」
首をめぐらせ、魔女教徒の数を確認する。
シャオンの言葉に応えるように次々と林道の各所にその黒い影が生えるように生まれる。その数は瞬く間に十を越え、二十に近い人数となる。
その多さはもちろん、さらに異常なのは、意味のわからない出現をした彼らが姿を現したにも関わらず、延々と先と同じ静寂が続いている事実。
わずかな息遣いすら感じさせず、静かにこちらを観察する黒装束たち。
襲撃を受けたのだから当然彼らが友好的な存在でないことはわかる。だが、今何も動かないでいるのはなぜだろうか?
――うかつに動けない。
ここまで理解できない状態が続くと簡単には動けない。だからシャオンは焦る気持ちを抑えて、様子を見ることにした。
そうして睨み合いが続くこと、どれぐらいだったのだろうか。
あまりに緊張感が張り詰め過ぎてしまい、時間の流れがひどく曖昧なものになってしまったのを感じていた。
心臓が痛いくらいに鳴っているはずなのに、その心臓の鼓動が自分にすら聞こえないほどの、暴力的な静寂――そして、その均衡は始まりと同様にあまりにもあっさりと崩れ去る。
それも――、
「――――」
「は?」
一斉に、黒装束たちはシャオンに向かって、恭しく頭を垂れて見せたのだ。
先ほどまで敵対していた連中が、意味のわからない敬意をこちらに払ったのだ。なんの言葉も発することができず、ただただ目の前の光景に唖然とするしかない。
「――試練を」
「試練を」
「導き手よ、試練の開始を」
「魔女を下ろす試練を」
突如発せられた言葉は反響し、連鎖し、大きな声となっていく。
意味の分からない単語で、意味の分からない状況を作られ僅かに思考に空白が生じる。
そして――一斉に飛びかかってきた。
「っと!」
完全に意表を突かれ、シャオンの体へと無数の刃が襲う。
敬意を示したはずなのに打って変わって攻撃。そんな状況に訳が分からな過ぎて――
「――ああ、もういいや」
頭の何かが切れた。
考えることを諦めた途端に倦怠感と睡魔がシャオンを襲った。
――今すぐに眠りにつきたい。だが、それには煩わしすぎる。
その声が、その心音が邪魔だ。だから、
「全員ここで潰す。それが最適解だ」
ありったけのマナを、ありったけの力を振り絞りシャオンは、
「ふぅ、ああ……面倒臭い」
ため息を吐くと同時に、見えない手を薙ぎ払った。
◻
「シュッ!」
アリシアの拳がまた一人、顔面にめり込みその衝撃から破裂する。
血と肉が彼女の顔を濡らすがそれすら化粧だとでも言いたげに気にせずに、別の敵へと拳を振り下ろす。
また一人と亡骸が地に落ちる。
すると林から奇襲を仕掛けようと飛び出た一人がいた。
予想外の攻撃。だが、鬼化したアリシアにとっては遅すぎる速さだ。体をひねって、逆に撃退しようとする。だが、
「――――」
「なっ!」
なにかに足を取られ、回避ができずに十字剣が肩を深く裂く。
激痛と共に熱を感じ、思わず目をつぶってしまう。だが、すぐに、
「ちっ! こんのっ!」
十字剣が刺さったまま目の前の魔女教徒の腕をへし折り、流れるように首を無理やり引きちぎった。
そして足が動かない理由を見るために、下を見る。するとそこには――腕があった。
そして腕の持ち主は、先ほど殺した教徒のものだった。
確実に仕留めたはずだったが、いや実際に頭を潰しているのだ。だが、それでも動く……まるで屍人と戦っているようだ。
「でもって、普通の人間であるっていうところがおっそろしい……」
痛覚もあるだろう、感情もないはずがない、意思だって残っているはずなのだ。
そこにはちゃんとした人間である機構が備わっているはずだ、だがそれを感じさせないほどの不気味さがある。
「……まぁ、それで止まる理由にはならないっす」
進んで狂人への道に堕ちた奴らのことを思う余裕などない、こちとら明日を生きる生者なのだから。
そう言い聞かせ足首を掴む手を、手甲から魔鉱石を打ち出して無理矢理切断する。当然足首も被害を受けるが鬼の力ですぐに治療された。あまり痛みになれてしまうことは嫌だがこれぐらいなら大丈夫だろう。
「……残り、十二くらい?。これは思ったよりも早く合流できそう……?」
ざっと見渡す限りでは魔女教徒の数はそこまで多くはない。このままいけばとりあえず
「――おお、なんということデスか」
嘆くような叫びとともにそれは現れた。
一人の男。黒い装束の男たちに囲まれるその男は、自らも黒の法衣に身を包んでいる。
身長はアリシアよりも高く、深緑の前髪が目にかかる程度の長さに一切の乱れなく整えられている。
それだけだったら几帳面な神父のようにも見えなくはない。
だがそうはならないような要因が彼にはあった。
「ワタシの指たちから連絡が途絶えたとおもえば……なんという有様、なんという惨状、なんという怠惰な結果デスか!」
虫のような感情を微塵も読み取れない目と、痩せこけた頬。そして何よりも――吐き気がしそうなほどに漂う死臭がアリシアの本能に訴えかけてくる――こいつはほかの奴とは違う、と。
警戒を十分に強めて、背中に流れる冷たい汗すら気にせずに問いかけた。
「誰よ、あんた?」
「ワタシは魔女教、大罪司教――」
腰を折った姿勢のまま、器用に首をもたげて真っ直ぐアリシアを見つめ、
「『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」
自らの素性を、腹が立つほどに礼儀正しく名乗ったのだ。