シャオンの目の前には一人の人間がいた。
ただし、顔は詳しくは見えない。なぜならその人間は首から上が黒い靄がかかっており、先を見通すことが出来ないからだ。ただ、体つきから人間は女だと判断できた。
そして、目の前の女の物語は進んでいく。
女はどこにでもいる、生まれも育ちも平凡な村娘のようで、物語に出てくるような特別な能力もなければ、富や名声を持っている人物でもない。
父母に愛され、兄弟に愛され、女もまた家族を愛する、極々普通の女、シャオンが彼女に感じた感想はそれだった。
家の決めた許婚がいて、凡百の村娘と同様に定まった生涯を送り、終えるのだろう。
シャオンは事情がわからないがそれでも彼女の纏う雰囲気からそれなりに幸せを感じているのだと察することが出来た。
ただ、そんな女の平凡は、村を訪れた下衆な権力者によって打ち砕かれる。
寒村であろうとも、権力者との間には拭いきれない格差がある。当然、要求は断れない。
金も、食べ物も、なにもかもほしいものはすべて差し出さなければいけない。”女”もだ。
だが、不幸にも女は愛されていた。家族に、許婚に、村々の人々に。
女を要求したことをきっかけに権力者の横暴に耐えかね、人々の怒りは小さな火種をきっかけに燃え上がり、それはやがて戦火を生む。炎は延焼し、村々は軍となり、ついには権力者は館ごと焼き尽くされる。
平穏だった光景が、あっという間に死と、肉の焦げる臭いがする光景に変化する。
「すごいね、人間の可能性というものを見た気がするよ」
心の底から本当にそう思っているシャオンは素直に小さな拍手をする。だが、数回手を叩いた後には彼の関心は別のものへと移る。
「――ただ、普通の彼女にとってこの出来事はいいことなのかな?」
たったの一晩で女の立場は大きく変わったのだ。英雄であり、姫であり、そして――民衆を誑かした魔女というものに。
戦火は瞬く間に燃え広がり、やがて小国を、周辺国を、大国を焼き尽くす。その発端とされた女の存在は知れ渡り、人々は彼女を天上の美姫と噂する。
だが実際の彼女はいたって普通の人間。そのことに誰も気付かない。家族も、許婚も、人々も、誰も女を見ていない。
手を振れば歓声が、道を歩けば人波が、声をかければ感涙が、女へと向けられる。
「耐えられるかな? この期待に」
結果がわかっていることからシャオンはつまらなさそうにつぶやく。
当然、平凡な少女は大勢の期待に応えられない。だが世界はそんな事情を知ったことないとでも言いたいように進んでいく。
燃え上がる首都、積み上がる死体、狂喜に打ち震える人々。
共に過ごした村人たちも、彼女を愛した家族も、女の幸福を願った許婚も。もう、誰も、どこにもいない。
――彼女は平和を、愛をなくし、血塗られた平穏と偽りの愛を手に入れた。
望んでいない期待を与えられ、それ以外を失った彼女のとった行動は逃亡。そして、それをだれも止められない。
勿論、干渉できないシャオンもただ見ているだけだ。
ただ、その女がシャオンとすれ違う時に小さな声が彼女の口から発せられた。
「こ、こんなの『愛』なんかじゃ、ない」
そんな声が聞こえたと同時に衝撃がシャオンの体を襲い、世界がひび割れ、崩れていった。
◆
「愛ってなんだろうね」
「んー?」
赤い果実をその小さな両手で掴み、童女は齧り付く。
童女もとい傲慢の魔女テュフォンは兄であるシャオンの小さな言葉を聞き取り、伸びの入った声ではあるが再度聞く姿勢を見せている。
聞かせるつもりはなかったのだが、こうなってしまってはごまかしがきかない。仕方ないので詳しい話をすることにする。
「いや、変な夢を見ちゃてさ。実は――」
「んー、あに疲れてるのか―? だめだぞー? 自分をたいせつにしないのはー」
赤い頬を膨らませて怒っているように忠告する彼女。彼女の価値観では自らの体を大切にしないのは『悪』なのだろう。そして悪ならば彼女は肉親であろうと関係なく裁く。
シャオンもそれは例外ではない。
話は逸れたが、彼女に夢の内容を話したが、あまり反応はない。
「テュフォンにはわからないなー。そういうむずかしい話はドナに任せればいいぞー」
「でも先生は今は忙しいらしいし」
自らの恩師を頭に思い浮かべるが彼女は彼女で忙しいらしく、多くの人と契約をしに行ったり何らかの魔法を研究しているようだ。
だからエキドナに相談はできない。とはいっても、こんなことを相談できるような頼りになりそうな友人なんて――
「なにやってるの、アンタ達」
「――ちょうどよかった、ミネルヴァ。相談したいことがあるんだけど、いいかな?」
シャオンがミネルヴァにそんなことを言うのがよほど予想外だったのか、彼女はキョトンとした表情を浮かべたあと、意味が分からないと言いたいように首を傾げた。
◆
あのシャオンが自分を頼った。
それだけで姉貴分であるようなミネルヴァは、うれしくなりやる気を出した。
勇んでシャオンの話を聞いて、ミネルヴァはひとつの仮説を立てていた。
魔女の中でも常識はあるほうかもしれないが、そこまで頭がいいわけではない彼女が立てた仮説だ、勘が9割を占めているといってもいい。だがそれでも抱いた仮説は筋は通っているものだ。
「アンタ、それって――」
――カーミラの過去なんじゃないの?
そんな言葉が出そうになったが、彼女の事情を勝手に伝えてもいいのだろうかという優しさが言葉を紡がすことを止めた。
「何か知っているのかい?」
眠ってしまったテュフォンを撫でながら期待の眼差しでこちらを見るシャオンにミネルヴァは首を横に振る。
「……いえ、たぶん気のせい」
専門的なことはわからないが、ミネルヴァの直感だとそんな夢を見た理由はシャオンが今も巻いているマフラーにあるだろうと感じていた。
カーミラのシャオンに対する想いは異常とも思えるほどに重い。そしてそんな彼女が彼を想って作ったマフラーだ、何らかの力があってもおかしくはないだろう。
想いが、夢という形でカーミラの過去を映した、これがミネルヴァの考えた結論だ。しかし、証拠はないし、合ったとしても個人的事情を伝えられるほどミネルヴァは無神経ではない。腹は立つが。
「……ごめんなさいね、残念ながらあたしにもわからないわ」
「そっか」
僅かに顔を曇らせるのを見て罪悪感が襲うが、何とか堪えて別の話題を出す。
「それより、アンタ近いうちに彼女への贈り物をちゃんと用意しているんでしょうね!」
「ああうん。ちゃんと高価な贈り物を……」
彼女というのは色欲の魔女カーミラのことだ。
真面目なシャオンのことだから当然用意はしていると予想できたが、念のために聞いたのだ。まぁ、それも結局意味がなかったようだが。
しかし、シャオンはミネルヴァの問いに答えてから何かを考え込むような姿で固まっていた。
「シャオン?」
「……いやなんでもないよ」
何かを隠すような、悩むような表情を浮かべながらそう答えた弟分に若干の不信感を覚えながらも、ミネルヴァは追及することはなかった。
◆
カーミラは不機嫌そうに頬を膨らませ、僅かにではあるが涙で顔を濡らしていた。そんな彼女を普通の人間が見れば心臓が止まり死に至るだろうが、今は彼女の周囲に人はいない。いたところで彼女は気にしないだろうが。
「カーミラ」
「あ、しゃ、シャオンくん」
カーミラは自らの誕生日を祝ってくれなかったシャオンくんに対して疑問と、見捨てられたかもしれないという恐怖を感じ、僅かながらの怒りも感じていたのだ。身勝手ではあるが彼が彼女の誕生日を祝ってくれるのが当たり前だと考えていたからだ。
そんな彼女の機嫌が損なった原因と出会い
そんな彼女の複雑な心情を気にした様子もなく、シャオンは小さな小箱を手渡した
「一日遅れだけど、キミへの贈り物だ。誕生日おめでとう」
「あ、あけても……いい、の?」
小さく頷くシャオンをみてカーミラはゆっくりと丁寧に箱の包装を解く。
中から姿を現したのは一つの”蝶”だ
といっても本物の蝶ではなく、精巧に作られた髪飾り。青色の、透明感のある大きな蝶の髪飾りが箱の中に入っていたのだ。
「僕が一日マナを込めて作ったものだ。そのせいで、とは言いたくないけど当日に渡せなくなってしまったんだ。ごめんね」
カーミラは箱と、シャオンの顔を何度か見比べようやく状況を把握できた。どうやら彼は昨日、つまりはカーミラの誕生日の間一日マナを注ぎ込んでこれを作ったのだと。
でも、なぜそんなことを? 彼のことだから何か用意はしていたはずだろうに。その思いが彼にも伝わったのか彼も首を掻きながら恥ずかしそうに答える。
「うーん、なんでだろうね。ただ、本当になんとなくだけど一から想いのこもった贈り物を渡したくなったから?――まぁ、あの夢を見たからなのかな?」
「夢?」
「気にしなくていいよ、それよりつけてみないのかな?」
シャオンは珍しく、カーミラの追求を避けるように話を逸らす。カーミラもカーミラで贈り物をもらったことでそこまで気になる案件ではなくなったので突っ込みはしない。
「お、お揃いの”蝶”の髪飾りに、な、なるのかな?」
「うん? ああそうだね。ボクがつけているものと色違いだね」
そう言われて初めて気づいたのかシャオンはその白髪の中にある一つの赤色――カーミラに渡した青色の蝶の髪飾りとは別の髪飾りに手を当てる。
「……まぁ、偶然かな?」
「そ、そうなの?あ、そうだ……つけて、くれる?」
「――勿論」
一日遅れの誕生日。
カーミラにとって大きな出来事ではあったがそれだけではない――すべてに平等だった青年の精神が揺らいだのだから。
うん、まさか体調崩して投稿が遅れるとは思わなかった、すみません。