とある村のこと。流行り病で体調を崩していた子供の治療をした際のことだ。
「うん、これで大丈夫かな?」
顔の赤みが抜けた子供の様子を見てシャオンはそう診断する。よほどの無理をしなければ命の危機にはならないだろう。
「あ、ありがとうございます! あの、お礼なんですが」
「いや、いらないさ」
シャオンとしては別に礼を求めて行った行動ではない。単なる自己の欲望に従った行動だ。しかし、子供の父親であろう男性は納得がいっていないようで、引き下がらない。
「で、ですがそれでは私たちの気が収まりません! あ、少しお待ちを!」
男は家の奥に走っていくと数分後には手にあるものをもって戻ってきた。
「これを」
「これは……?」
渡されたのは見るからに高そうな酒瓶だった。
「我が村で伝わる銘酒です、どうかお納めください」
直角に腰を曲げて受け取るように頼み込む男性を見てシャオンはため息をこぼす。
「わかったよ、素直に受け取ろう」
渋々ながらも受け取ると、男性は笑みを浮かべる。
そういえば酒の類を飲んだことはなかったな、と思い、今回の茶会にでも持っていこうと決めたシャオンだった。
「いまお飲みになってみては?」
「いまかい?」
「ささ、どうぞ」
酒瓶と一緒に用意していたのか、グラスも男の手の中にあった。
もともと頼まれたら断れない性格であり、これ以上長引いてしまうのもよくないと思い、注がれた酒のにおいを一度嗅ぎそして――一気に仰いだ。
◇
「あれ? シャオンじゃない。こんなところでなにしてんのよ」
「んー?」
間の抜けた返事を聞き、耳を疑う。
シャオンは少しずれてはいるが、礼儀正しい男の子のはずだ。恐らく聞き間違いだろうとそう判断し、もう一度話しかけようとした途端、
「ミネルヴァ姉さんだー」
「姉さん!?」
「んふふ、面白いかおー」
「ひょっ、ひょっと!」
シャオンは手を伸ばしてミネルヴァの頬に触る。いや、これは触るというよりもこねるといったところだろうか。
ぐにぐに、こねこね。
頬の感触をしっかりと味わうように、パン生地をこねるようにしっかりとこねられていく。
「もう、いきなり何なの!?」
「あうー」
無理矢理離れると名残惜しそうな表情を浮かべる。ミネルヴァはそんな表情を浮かべる弟分に罪悪感を抱く。しかしその隙をついたのか、
「髪きれいー」
「きゃっ!」
いつのまにか背後に回り込んだシャオンが彼女の髪を撫でてほめ始める。
普段の彼では絶対にやらない行動の数々。冷静でいようとしていた彼女の精神はピークを迎え、唯一できたことは――
「え、え、エキドナァァァ!」
大声でこの状況を何とかしてくれるであろう友人の名前を叫ぶことだった。
◇
「どうしたんだいミネルヴァ。キミが大声を出すことは珍しくもないけど、ワタシの名前を叫ぶなんて」
叫び声を聞き、駆けつけたのは白と黒の二色で構築されているような少女、エキドナだ。
強欲の魔女と呼ばれる彼女は全知を持つともいえる存在。しかしそんな彼女も人の子、急な事態には戸惑いを隠すことはできない。だから、呆けても仕方がないのだ。
「おー先生だー」
「――は?」
エキドナに近づくシャオン。
その動きはまるで雛が親鳥の下に赴くときのようにおぼつかないもので、いつ転んでしまうかわからないほどに危うい。
そしてそのままの歩調でエキドナに抱き着く。それには邪な感情は感じられず、子が親に甘えるようなものだった。
だが、
「……どういうことだい? これは?」
「知らないわよっ!」
エキドナが知るシャオンはこういった行為をする人物ではなかったはずだ。これではまるで子供、それもだいぶ幼い子供のようではないか。
「むふふー、先生いいにおいですへー」
「この臭い、滑舌……そうか、酒を飲んだね? シャオン」
「う?」
愛らしく首をかしげるシャオンの息からは僅かに酒の臭いが感じられる。原因はわかった、そして危険性がないことも十分に理解できた。
「なんだ、酔っぱらっているわけね」
「そういうことだね。この事件が起きたのが今日でよかったよ」
幸いにも問題児であるテュフォンやダフネ、ついでにセクメトは今回の茶会にはいない。なので問題というものはカーミラに知らせるかどうかという問題のみに突き当たる。
「――アタシは知らせないで酔いを醒まさせるに1票」
「――ではワタシは敢えて知らせずに二人を出会わせ、反応を見ることに票を入れようかな」
片方は争いを避けるため、もう片方は自らの知的好奇心を満たすための案を提示する。
「絶対に! 争いが生まれるから反対よ!」
「やってみないと分からないじゃないか。未知というものは予想がつかないものだ、案外平穏に終わるかもしれないよ? 彼のことを考えるならば、ぜひやってみるべきだ」
「嘘を言うな! 愛弟子のことを考えたら普通、そんな考えに到達するわけないでしょ!」
「魔女だからね、普通じゃないのは当り前さ」
ミネルヴァの怒りの意見をエキドナは笑いながら流す。しかしミネルヴァはエキドナに比べ頭が回らない。よって、言い争いはエキドナのほうが勝つのは必然だった。
ただ、その言い争いをしていたせいで、問題の中心にいたシャオンの姿を見逃すことになり、エキドナも意外と抜けているのだった。
◇
「ふぅ」
カーミラは現在マフラーを編んでいた。
愛しの彼のために、ではなく。シャオンに自分とお揃いのマフラーを身に着けてほしいという願望からだ。
幸いにも今は亡き母親から編み物は教えてもらっていたので、作成は滞りなく進んでいた。そんな中、
「んー? カーミラだー」
「あ、シャ、シャオンくん。どう、したの?」
彼自身が自分へ会いに足を運ぶことなどそう多くない。何かあったのだろうか?
「カーミラにあいにきたのー」
「――――」
照れた顔で発せられた言葉に、カーミラの思考は一度停止し、その後高速で回転し始めた。
――それは、どういうことだろうか?
カーミラの、自分の”色欲の権能”が効果を発揮してしまったのだろうか? もしもそうならば、なんとかしなければならない。権能に惑わされたシャオンなど、カーミラの求める彼ではない、愛を感じる彼ではないのだから。
そして、もしも元に戻らなければ彼を――
「よしよしー、難しいこと考えてるねー」
「……むえ?」
思考の海から引っ張りあげたのは、カーミラの頭に感じた彼の体温。いや、正確には彼がカーミラの頭を撫でていることが原因だ。
「え、ええっ!?」
「よしよしよーし」
慌てふためくカーミラを置き去りにし、テュフォンの頭を撫でるようにカーミラの頭を撫でまわす。当然密着する必要があり、カーミラの心臓は高鳴るが、それよりもその時にわずかに鼻腔をくすぶる酒のにおいから、彼が酒気を帯びていることに気付いた。
「しゃ、シャオンくん。よ、よって、る?」
「うん。 うーん? うむ、よっているともー。えへへ」
どこか誇ったように胸を張って、肯定をし、途端に笑みが弾けた。
「えへへへー、お酒っておいしいねー?」
「そ、そうだね?」
確かにいつもの彼と比べると頬に赤みが差しているだったら酒が抜けたら、いつもの彼に戻るはずだ。ならば彼の命を奪う必要はなくなる。
しかしそんなカーミラを置いて、シャオンは鼻歌を歌っている。
「たまにねー、皆の色が見えるんだ―」
「い、いろ?」
「うん、色」と口にしてシャオンは、カーミラの膝上に頭をのせて横になった。所謂、膝枕の体制に移行したのだ。
「しゃ、しゃおんくん!? な、なに――」
「そのたびに嬉しくなって、そのたびに悲しくなって、そのたびに、視界が黒くなって」
カーミラの動揺した声を無視して、シャオンは有無を言わせないように、続きを口にする。
「草も花も空も、みんなもきれいな色なのにね、僕だけが、なんの色もついていないんだ。なにもね。まるで僕だけ仲間はずれみたいでさ」
まるで見えていない、届かない星を掴もうとするかのように、彼は手を宙へ伸ばす。そしていい加減な動きで泳がした後、まるで急に酔いが醒めたかのようにポツリとつぶやいた。
「――さみしいな、って思った」
珍しいほどにわかりやすい感情の吐露。
下を見ると、シャオンの黒い瞳とカーミラの桃色の瞳がぶつかった。
普段だったら目が合ってしまったら数秒も持たずに逸らすカーミラだったが、僅かに目を潤ませ、泣きそうになっているシャオンを見てしまっては視線を逸らすことなどできなかったのだ。
「だ、いじょうぶ、だよ?」
震えながら、それでも彼女は、色欲の魔女カーミラは、勇気を振り絞って語り掛ける。
「シャオンくん、は……一人じゃ、ないよ。み、みんなが、おいて、いっても。私だけは絶対に見捨てない、そこにはちゃんと、愛があるから」
慣れない笑みを作ってまで、慰めるように言葉を紡ぐ。前半はとぎれとぎれに、後半は彼女の信念にかかわる事柄だからか揺るぎない意志を感じさせる口調だった。
それを受けてシャオンは何を感じたのかわからない。だが、
「――そっか」
小さく、それこそ彼女でなければ見逃してしまいそうなほどの微笑を浮かべ、安心したかのように息を漏らす。そして、
「なら、安心した……ごめん、ねていい?」
「う、うん」
了承を得ると彼は大きなあくびをし、カーミラの膝の上で頭を横にする。
「ねぇ、カーミラ」
「な、なに?」
「ありがとね。僕は君と知り合えてよかったよ」
その言葉を最後に、シャオンの口から寝息が聞こえ始めるのを見て、
「――おやすみ、なさい」
マフラーを編む作業を再開したのだ。
どこかであった、日常。
ガラス細工のように綺麗で、儚い日常の一コマ。
カーミラちゃんかわいい。
次回から鬱展開が徐々に始まります。また、原作よりはグロくないかもしれませんがところどころそういう要素がありますのでご注意を、一応該当する話には前書きで警告しますが。
カーミラちゃんかわいい。