「いっぱいもらちゃったすね」
「お礼しに行ったのに逆にもらうとはどういうことなのだろう」
カドモンの店から出て、アリシアとシャオンはひとつの包みを手にもってのんびりと歩いていた。
「ま、嫌いじゃないからいいけどね」
中に入っていた物は因縁があるともいえる赤い果実、リンガだ。それもけっこうな数で二十に届きそうな数が詰め込まれている。
初めは受け取れないと断っていたのだが、カドモンどころか奥さん、更には娘であるプラムも受け取ってほしいとお願いしてきたのだ。
それでも渋っていたのだがカドモン達の頑として譲らない態度に、こちらが折れて現在に至るのだ。
「どれどれ、では一個味見をするっす」
小腹がすいたのかアリシアは包みからリンガを一つ取りだす。
切り分けるどころか皮を剥かずに豪快にその丸い果実に齧り付こうとする彼女を見て、自分もそれに倣おうとする。その瞬間、
「きゃっ!」
リンガを食べようとしたアリシアに、何かがぶつかり短い悲鳴が上がる。
予想外の衝撃を受け、彼女は尻餅をついてしまう。
「ああっすいませーん」
ぶつかってきたであろう人物は間延びした声で謝罪する。
シャオンと同じ、この世界では珍しい黒色の髪を二つに分けて結び、ずれた眼鏡と、髪についている桃色の花飾り以外はアクセサリーというものは身に着けていない。
薄縁眼鏡のレンズ越しに見える、眠そうな目蓋からは髪と同色の瞳がわずかに見えていた。
「大丈夫ですかぁ。すいません、私急いでまして、前を向いていませんでした」
衝撃の際にずれた眼鏡を直しながら、彼女はどこか抜けているような声色ではあるが謝罪の言葉を口にする。
そして慌ててアリシアを立たせようと手を伸ばす。だが、
「待てやこのアマッ!」
遠くから、正確には彼女が来た方向から聞こえてきた声に女性はその身を震わせる。
声の聞こえてきた方向と、尻餅をついたアリシア。
それらを交互に見て数秒。差し伸ばされていた手は引っ込まれ、代わりに申し訳なさそうに手を合わせて謝罪の体制をとる。
「すいません、ちゃんとした謝罪はまた今度で!」
そう告げ、急いで走り去っていった。
「どけっ!」
彼女が駆けていき数秒、後を追うように三人の男たちがこちらに向かって走ってきた。当然彼らは勢いを緩める様子はなくこのままでは衝突は免れない。
だが、器用にも彼らはシャオン達を避けて走り去ってしまう。
「大丈夫か、ほら」
「どうもっす」
未だに尻餅をついてしまっている彼女の手を引き、立たせる。
「ただ事じゃなさそうっすね」
目を細めて、女性とごろつき達が去っていった方向を見やる。どうやら女性はこの先の路地裏に逃げ込んだらしい。当然、チンピラたちも後を追って路地裏に入ったはずだ。
「シャオン、いいっすよね?」
「はいはい、わかったよ」
短い言葉ではあったが、彼女が何を言いたいのかはすぐにわかった。彼女との付き合いが長いからか、それとも彼女がわかりやすいだけか。答えはわからない。だが一つだけわかったことがあった。
――どうやら自分が王都に来ると、必ず厄介ごとに巻き込まれるらしい。
そう嘆きながらもアリシアを連れてチンピラたちの後を追うのだった。
◻
「ようやく追い詰めたぜ、この野郎」
「あらあらあらー。これはピンチ? 絶体絶命というものなのかしらぁ?」
まさにその通りで、現在彼女は追い込まれた状況と言える。
前方には高くそびえ立つ壁、左右も逃げ場はなく、当たり前ではあるが背後にはチンピラたちがいる。
女性もようやく自分の置かれた状況を理解した、と思ったが、
「どうすればいいと思いますぅ? おにーさん」
「ふざけてんのかこいつ!」
まるで理解していないかのように明るい口調で、さらにあろうことかチンピラたちに解決策を訊いたのだ。
その態度にからかわれている、もしくはなめられていると思ったのか男の一人が怒鳴り声をあげる。だが彼女は依然としてその表情を崩さない。
「いやですねぇ、私は頭があまりよくありませんけどもぉ、ふざけていたことなんてありませんよぉ? いつだって一生懸命ですよ。そんなこともわからないなんて、おバカさんですねぇ」
「……痛い目みねぇと、自分の立場が分かんねぇみてぇだな、おい」
青筋を立ててみてわかるように怒りをあらわにするチンピラ。だが、当の本人には効果がなかったようで彼女はただ不思議そうに首をかしげている。
その態度が決め手となってしまったのか、チンピラの手が彼女の胸ぐらをつかもうと伸び、
「やぁやぁおにーさん方」
「あん? んだよ、俺たちゃ今取り込んで――」
ごろつきの一人、スバルが名付けたあだ名ではチン、と呼ばれていた男は突然の呼びかけに苛立ちを込めて応える。
そしてシャオンの顔を見て数秒、どうやらこちらのことは記憶に残っていたらしく、怒りで染まっていた表情が驚きと恐れの表情に変わっていった。
「あー! お前はあん時の!」
「知り合いか?」
「あの商い通りでへんなガキを刺しちまった時に暴れたくそ野郎だよ!」
思い出せていなかった他の男たちもその言葉で記憶の底からシャオンの姿を引き戻したようだった。そしてチンと同じように面白いほどにわかりやすく顔色を変えた。
「ご名答、そのくそ野郎ですよ……まだこんなことやってんの? いい加減に懲りろよ」
半ばあきれ、そしてもう半分には敵意を込めて告げる、これ以上目の前で続けるならば容赦はしない、と。
「お、覚えてろよ!」
「はいはい、忘れてやるよー」
一度シャオンの力を見ているからか、抵抗する様子も見せずに捨て台詞を残して蜘蛛の子を散らすように背を向けて走り出す。
こちらとしても面倒事を起こす気はないので追わずにただその情けない姿が消えるまで見届けるだけにとどめた。
「あのー、すみませーん。有り金はすべてお渡しするので見逃していただけませんかぁ?」
「いや、アタシたちはさっきの奴らみたいなもんじゃないっすよ」
女性の見当違いの言葉に若干拍子抜けしながらも自分たちが危害を加えるような存在ではないことを説明する。
しかし彼女は首をかしげている。
「えぇ? なら別のチンピラさんたちですかぁ?」
「……とりあえず、話を聞いてもらえます?」
そう疲れた声で頼み込むと女性は不思議そうな表情を浮かべながらも首肯した。
◻
「いやはや、これはこれはしつれいしましたー。ハムハム。助けてもらっただけでなくこうして果物も頂けるなんて」
女性は貰ったリンガを口にしながら、恥ずかしそうに礼の言葉を口にする。
あれから誤解を解くのに時間を要するかと思われたが、先ほどぶつかった少女だと気づいてもらったおかげで意外にもすぐに理解してもらった。
そして今は追い回されて疲れている彼女にリンガを一つ分けていたわけだ。
「お詫びにワタシのお店に招待いたしますよー。ちょうど新しいお菓子を作っていた途中でして」
「え、でも……」
「なにか急ぎのようでもぉ?」
「流石に暗くなるまでには帰らないといけませんので」
急ぎの用事は別にない。だが、夜までに帰らなければアナスタシアたちが心配するだろう。先の一件で王都はそこまで治安がいいわけではないと再認識してしまったのだからなおさらだ。
「そこまで引き留めませんよー」
シャオンの心配を女性は吹き飛ばすように笑う。
それならばせっかくのご厚意を断るのもどうかと思い言葉に甘えることにする。
「それなら、お願いします。えっと」
「あぁ、私ったら名乗り忘れていましたねぇ」
うっかりしていたと彼女は自らの頭を軽くたたき、舌を出して笑う。子供らしい振る舞いだが彼女の見た目は完全にシャオンよりも年上だ。
もしかすると彼女の立ち振る舞いや間延びした語尾が幼く見せさせているのかもしれない。
「リーベンス・カルベニアと申しますぅ。出身はぁ、えっとぉ、どこでしたっけ?」
「いや知りませんよ。頑張って思い出して下さい」
「あ、思い出しましたグステコ聖王国出身ですぅ。はい」
「グステコ!?」
グステコ聖王国。
北方にある国で気温がとても低く、また貧富の差が激しい国柄で、貧困層では捨て子が珍しくないと聞く。
これだけでもいい印象を与えない国だが、更にイメージを下げる要因となったのはとある事件が絡んでくる。
――グステコ領の悲劇。
少し前に起きた事件で、イゴール・ケナシュ男爵という管理者を含め、その部下が全員殺害されたというものだ。
犯行はすべて魔法によって行われたものだと判断され、犯人を捜しているが今だ見つかっていない。
魔法の専門家であるロズワールすらお手上げだというほどの証拠の隠滅が上手く、犯人を見つけることはできないかもしれないといわれている事件の一つだ。
そんな物騒な事件が起きた国が出身だというならばそれなりの警戒はするだろう。だが、
「えっへん! 驚きましたかぁ」
そのでかい胸を誇らしげに張る彼女の様子を見ていると案外大したことがないように錯覚してしまう。
「まぁ黒髪黒目の見た目からそうだと思ったっす。そういえばシャオンとスバルも同じような特徴っすよね。もしかして同じ出身地なんすか?」
「ん? まぁ違うよ」
この質問をされたのはもう何度目だろうか。
エミリアやロズワールにも訊ねられた時に日本といっても伝わらなかったが、彼女たちにもグステコ出身だと思われているのだろうか。
「それで、リーベンスさんはなんであんな奴らに追われていたんすか?」
「お料理の材料を買っていたらあの方たちにぶつかってしまい、なんだか骨を折ってしまったようで」
典型的な当たり屋の手口だ。まさか異世界でもそのようなものをお目にかけることができるとは想像したくなかった。
「お二人はどこから?」
「アーラム村から野暮用で」
そう気軽に答えるとリーベンスの様子が大きく変化した。
今までのほんわかとした雰囲気はどこかへ置いたように、瞳が鋭くなり、眉をわずかに寄せる。そして小さな声でおずおずと口を開く。
「あの、アーラム村って、ロズワール辺境伯がいらっしゃる村ですよね」
「正確には管理している村ですが……どうなさいました?」
「そこに、ルカという少女がいませんでしたか? 赤髪の似合う女の子でこれくらいの身長なんですが」
両手でその少女の背丈を示すリーベンス。
彼女が示した身長の少女、そして口にした名は心当たりがあった。
村でペトラと共に花冠を作り、そしてシャオンにもプレゼントしてくれた少女。たしかその子の名前がルカのはずだ。
「もしかして、ルカちゃんの母親さんっすか?」
「大正解でーす」
アリシアの言葉にリーベンスはVサインを作って笑顔で肯定する。
だがその表情はすぐに心配そうに曇る。
「娘は、元気に過ごしていますか?」
「ええ、少し照れ屋ではありますが元気ですよ。友達も多いですし」
ペトラを始め他の子供たちとも交流を持ち、今では自ら遊びに誘うほどに成長している。
それを聞いたリーベンスは胸に手を当て大きく、本心から安心した様に息をこぼした。
「……よかった、昔っからあの子ったら人見知りが激しかったので不安だったんです。私は仕事でなかなか王都から離れられませんし、あの子と一緒に住んでも時間も取れなくて、あの子を放っておくことになってしまうので、知り合いが住んでいるアーラム村で預かってもらったんですよぉ」
ルカは自らの母親と接するのに他人行儀で、ずっと気になっていたことだったがリーベンスの説明で納得がいっく。つまり彼女は養子だったという訳だ。
思わぬ告白にわずかに空気が重くなる。それに耐えきれなかったのかアリシアが話題を変えた。
「それにしても大分離れに来ちゃったすけど、まだなんすか? そのお店」
「もう少しですよぉ、貧民街の近くに建てたんですよ」
「なぜにそんな場所に建てたんすか……?」
確かにその理由も気になるがシャオンの頭の中ではそのことよりも別のことが引っかかっていた。具体的に言うならば『貧民街』というフレーズに。
「あ」
「どうしましたかぁ?」
「いや、すっかりカドモンさんとのやり取りで忘れていたけど、俺が王都で行きたい場所、まだあった」
目の前に広がるとある建物を視界に収めたことでそのことを思い出すことができた。
だが、前方にある
「ああ、ロム爺さんの盗品蔵ですねぇ、盗品にご興味が?」
「興味と言いますか、なんと言いますか」
「はいるんすか?」
蔵はボロ屋とまではいかないが進んで入りたいとは思えない見た目だ。いつもは迷いがなくすぐに決断するアリシアも選択するのに迷ってしまうほどには。
「……帰ろう」
正直言って、あの主に会いに行ってもあまり得はない。それどころか逆に損をするだろう。
なぜなら、蔵の一部に大きく穴が開いているのだから、いや正確には開けてしまったからだ。
あの穴を開けたのはシャオンだ。
徽章騒ぎの際に腸狩りという傭兵との戦闘で開けてしまった穴。
幸いにも蔵の主は話が通じる人物ではあるので事情を丁寧に話せば許してもらえるかもしれない。だが、許してもらえなかった場合は――あのでかい棍棒でたたきつぶされるだろう。
それだったら回り右して帰ることにしたほうがいい。
「つれないことをいうのぉ」
早めの決断をし、踵を返そうとした瞬間、それを邪魔するようにシャオンの両肩に大きな手が置かれた。
その手は万力のように肩を握り締め、獲物を逃がさない様にかみつく肉食動物を思わせる。
「どうやら、互いに無事だった様じゃの」
「ロ、ム爺」
油の切れた機械のようにゆっくりと振り返るとそこにはこの蔵の主、ロム爺の姿があった。
相変わらずの巨体に、若干の垢の臭い。
どうやら初めて出会った時と見た目が大きく変わっていることはない様だ。ただ、ある変化してはシャオンの気のせいだったらいいのだが彼のこめかみに青筋が立っているように見える。
「まぁ、なんじゃ? 積もる話もあるしのぉ。特に蔵の有様についての、な」
助けを求めるように女性二人組に視線を向けるが、両人の瞳には心情を映した様に、言いたいことが伝わってきた――あきらめろと。
「ははは、お手柔らかに」
「お前さんの態度次第じゃのう」
そして、そのまま大きな荷物を運ぶようにロム爺はシャオンを肩に担ぎあげ、盗品蔵まで歩みを進めたのだった。
◇
「まったく、目が覚めたら自宅が崩壊しかけとったなど酒の肴にすらならんぞ」
「大げさだな、崩壊はしていなかったんだし笑い話にはなりそうじゃん」
「ぬかせ」
軽くこちらの頭を小突き、不敵な笑みを浮かべるロム爺。
今いる場所は盗品蔵ではなく、リーベンスが運営している店の中だ。
あのまま蔵まで連れてかれて、尋問されるかと思っていたがリーベンスの機転のおかげで彼女が働いている店にロム爺も招待をし、そこで話をすることにまで話を持ってこれた。
彼女の店は彼が住んでいる盗品蔵とはかけ離れた様に清潔感あふれ、家具などもきれいだ。
そのせいかロム爺は落ち着かない様だったが我慢をしてもらうことにする。
「どういう関係っすか?」
「命の恩人?」
「一応、そういうことになるじゃろ」
色々と事情が混みあっていてなんといっていいかわからないが一応はそういう関係になるらしい。ただその関係を聞いてアリシアは軽く頭を押さえ呆れていた。
「……カドモンさんといい、このおじいさんといいシャオンの人間関係が濃すぎないっすか?」
「否定はしない……どちらにせよ、会えてよかったよ、ロム爺。あのときは俺たちは瀕死だったから、状況確認する手段がなくて」
「お前さんも、腹がかっさばかれたと聞いとったが元気そうじゃの」
ロム爺は苦笑を浮かべ、傷一つないシャオンの体を指差す。
大抵の傷を治せる癒しの拳を持っていることを知らない彼からすれば、シャオンの健康そのものの体を見れば疑問がわくのは当然のことだろう。
「あらあらそんな大変な経験をしてきたのですねぇ、はい、お待たせしましたぁ」
会話の途中、リーベンスが色鮮やかなサラダと、酢漬けにされた料理。そして、一つのボトルを持ってきた。
ボトルの中身は見えないが、一緒に持ってきたものから察するに、
「お酒?」
「はいぃ、私は基本的にお菓子を作っていますけど、夜は大人の方のためにお酒も用意してますのぉ。ご老体はもちろんのこと、お二人も飲めますよねぇ?」
確かにシャオンもアリシアも酒を飲める年ではあるが、今はまだ日が明るい。この時間からアルコールを取るのはあまりいいとは思えないのだが。
「ほぅ、うまいのこの酒。ちと弱いが」
彼が飲んでいるのにシャオンたちが飲まないのはどうかと思い口にする。
すると酒を飲んでいるとは思えないほどの口当たりの良さに、軽さ。ジュースでも飲んでいるかと思えてしまうその味に思わず驚く。
アリシアのほうに視線を向けると彼女も同様に口を押え、驚いていた。
確かに美味しい酒だ。だが、飲みやすいから飲みすぎてしまわないように気を付けなければならない。
「酔いが回りきる前に聞くけど、盗品蔵の騒ぎのあとはどうしてた? 職場の見た目が悪くなっちゃったわけだけど」
「心配してもらって悪いがどうとでもやっとるよ。なにも盗品蔵で呑んだくれとるのだけが仕事だったわけでもないわ」
心配をするシャオンに、ロム爺はカカと笑ってそう答える。
実際、貧民街で信用を得ていなければ、盗品を取りまとめる役割に就くことなどできるはずもない。それなりのツテというものでもあるのだろう。
どちらにせよ、あの一件でのケガの後遺症やその後の生活の心配などもないのであれば、安心だ。先ほどまで忘れてはいたが一応気にはかけていたことが解決し、すっきりとした気持ちになる。
「儂からもお前さんに聞きたいことがあったんじゃ」
声を落とし、ロム爺は真剣な表情を浮かべる。
それをみてシャオンも真面目に話を聞こうと振り返る。
「アタシは席を外したほうがいいっすか?」
「いや、お嬢ちゃんが聞いても不都合はない、構わん」
席をはずそうとする彼女を引き留め、ロム爺は静かな声で尋ねた。
「小僧。お前さん、フェルトがどこに行ったか知っておらんか?」
「……聞いてないの? ラインハルトが連れてったって話だよ」
「ラインハルト……『剣聖』のことか? アストレア家がどうしてフェルトを連れていくなんて話になったんじゃ?」
思い起こせばあの一件の最中、ロム爺が意識を失ったのはラインハルトの乱入の前の話だ。その後、事態が解決するまでロム爺がラインハルトと意識のある状態で接触していた記憶はない。つまり、
「可哀想に、目を覚ましたら誰もいない蔵の中だった、ってことか。流石に同情するわ。ほら飲みなよ」
「憐れんでもらって悪いが、儂が目を覚ましたのは衛兵の詰め所じゃ。治療されておったのは助かったが、すぐにお暇させてもらったがの」
「ああ、なるほどそりゃ居心地悪いっすね」
悪事の心当たりがある人間が、義に重きを置く場で目を覚ますというのは生きた心地のしない話だ。詳しい話を聞く余裕もなく、早々に逃げ出すのも不思議ではない。
つまりロム爺は詳しい事情を聞かずに詰め所を離れたせいで、フェルトを保護したというラインハルトとも接触できず、今まで過ごしてきたわけだ。
「仕方ない、俺が顛末を話そう」
「あ、それアタシも聞きたいっす」
「あらぁ、私もいいかしらぁ?」
事情を詳しく知らないアリシアと、ほとんど知らないリーベンスも聞き手に回り皆シャオンに視線を集める。
想定外の聴客が増えてしまったが、知っていることをなるべくわかりやすいように説明した。
腸狩りを無事撃退後、スバルとシャオンは気を失ってしまった。なのでエミリアから聞いた話になる。それを前置きして話を始める。
そもそもラインハルトが蔵にいる理由から話し始め、徽章をエミリアに返そうとした瞬間にラインハルトの表情が焦ったようなものへ変わったこと。そしてあとは流れるようにフェルトの気を失わさせ連れ去ったということまで話した。おまけに自分とスバルが現在はエミリアのいる屋敷で使用人として過ごしていることも添えて。
「と、いうわけで俺が知っているのはここまでだ。どんなことになっているのか詳しく知りたいならエミリア嬢に聞けばわかるだろうけど、今は忙しいから無理かも」
「……坊主、いつの間に出世したんじゃな」
感慨深そうにも羨ましそうにも見える瞳でこちらを見るロム爺。
シャオンはそんな視線に耐えきれず顔を逸らす。
「あー、長年のツテってやつで、ラインハルトの家に直接お伺いとかできない?」
「そこまで万能なら廃屋で酒かっくらって暮らしたりしとるか? しかし、そうなると困った話になる。――よりにもよって、といったころか」
深刻そうな顔をするロム爺を見上げ、シャオンは仕方ないと肩をすくめるアクションをして、
「俺の方でラインハルトと話せるかもしれない。だからなにかわかったらロム爺にも教えるよ。もともと、フェルトがどうしてるかは気になっていたことだしね」
「……助かるわい」
この老人にしては珍しくしおらしい返事を受け、やりにくさを感じながらも素直に礼を受け取る。
「それじゃ、お酒もなくなったし外も暗くなりそうだ。俺たちはお暇させてもらうよ」
「あ、ちょっと待ってぇ」
空にしたグラスを置き、席を立とうとするとリーベンスに引き留められた。
いったい何だろうか? と思っていると彼女は店の奥に入り二つの袋を持ってくる。
「これ、レモムとオレンの実を合わせて作ったクッキー。お二人にあげます」
「いいんすか?」
「ええ、お礼がお酒だけというのもぉ、申し訳ありませんしぃ」
渡された袋の包みを軽くほどくと、彼女の言った通り中にはいろいろな形をしたお菓子が入っていた。
一つ摘みあげ口に運ぶと柑橘類の独特のさっぱりとした風味が口内に広がる。
「ありがとうございます。おいしいですよ」
「そういってくださるとぉ、うれしいですぅ。それと、娘に伝えてください。近いうち会いに行けます、と」
前半は緩く、娘に関する後半部では引き締めた表情と声で話す彼女。
どうやら娘に関するときだけ人が変わるようだ。
「ええ、楽しみに待っておくように伝えておきます」
「きっと、喜ぶっすよ」
今度こそ店を出ようと入り口に向かおうとすると、背後から乱暴に酒を注ぐ音が聞こえた。
振り返るとロム爺はいまだに酒を飲んでいた。どうやらまだまだ飲み続けるようだ。
そう簡単にあの巨体に酔いが回るとも思わないし、彼もそれなりの年だ。止め時は十分にわかっているだろう。
だが、その背中が寂しそうに見えてしまいつい声をかけた。
「ロム爺、気を落とすなよ。必ず見つかるから」
まさかそんな言葉をかけられるとは思っていなかったのか一瞬呆け顔になり、すぐに照れたような笑みを浮かべた。そして、
「ふん! 若いもんが気を使いすぎじゃ! さっさと行け!」
酒のせいか、照れているからかわからない赤い顔でようやく彼らしい怒鳴り声を発したのだった。
◇
貧民街から路地裏に出るころには夕方になっていた。もう少しすれば辺りは完全に暗くなるだろう。
そうなってしまってはアナスタシアたちも心配してしまう。なのでなるべく足早にアナスタシア邸に向かう。
「悪いな、今日はなんか俺が行きたい場所ばっか連れて行って」
「ううん。今日は楽しかったっすよ!」
満面の笑みを浮かべる彼女は嘘をついているようには見えず、素直な感想を述べているようだった。
「そう、か。ならよかった」
自分が行きたい場所に行っただけなのでつまらないという反応をされても何も言えなかっただけに少し安心する。
「ねぇ、シャオン。アタシ、今悩んでいることがあるんだ。とっても大事な、アタシの人生にかかわるような悩み」
唐突に足を止め、声を落として真面目な口調で彼女は切り出した。
きっと彼女は真剣に悩み、そして答えを出すことができなかったからシャオンに打ち明けようとしているのだろう。
一体どんな内容なのか、助けになることはできるのだろうか?
そんな不安を抱きながらも助けになりたいと思う気持ちからシャオンは迷いなく答える。
「……言ってみろよ」
その返答に、彼女はわずかに驚き、そして覚悟を決めたような目つきになる。
そして何度か口を開きは閉じ、を繰り返しようやくその内容を声にする。
「アタシは――」
「やっと見つけたぜ!」
背後から声高に叫ばれ、彼女の言葉はかき消された。
振り返るとそこにはチンピラの一人、トンと数人の男たちの姿が。
「こっちにもいるっす!」
アリシアが示す方向にはチンとカンも同じく男たちを連れてきていた。どうやら昼間の仕返しということらしい。
「へっへっへ、いくらお前が強くてもこの数相手じゃ辛いだろ。しかも女守りながらじゃなおのこと」
「別に俺たちはお前に恨みはねぇさ。だけどよ、そいつが楽に身ぐるみはがせそうなら話は別だ。悪く思うなよ」
トン、チン、カンの三人が連れてきたらしい援軍は各々の武器を手に目をぎらつかせている。なるほど、確かにこれではシャオン達は容易に身ぐるみを剥がすことができる格好の獲物だ。
「そんなわけで、少し痛い目にあってもらうぜ。少し、そう少しだけな」
下卑た口調で笑いながら、チンが隣にいるアリシアを好色な目で眺める。
周囲を囲む男たちの目にも似たような下賤な光が宿っており、彼らが彼女を捕えたあとでどうしようとしているのか、想像したくもない。
ただ当の本人はそんな想像に身を震わせる様子はなく、
「きゃー怖い、って言えばドキドキするっすか?」
「似合わないな」
「うん、アタシも自分でやってて気味悪くなったっす」
おどけた様に鳥肌が立っている腕をこするアリシア。
そのやり取りに、チンピラたちは今度こそ堪忍袋が限界に達したようだ。
明白な敵意を込めて、それぞれが獲物を手にじりじりと包囲を縮め始める。彼らも全員でかかれば敵ではないと判断したのだろう。
集団で個人を叩きのめすのに慣れていると思しき陣形。王都でそれなりにチンピラをやっているわけではないわけだ。ほめられたものではないがその根性は見習えるものがあるかもしれない。
「結局こうなるんすね……悩みの件はまた後で」
「りょーかい、なら早く済ませよう」
アリシアが拳を構え、それに合わせて背後のチンピラたちにシャオンもこぶしを向ける。互いに戦闘態勢をとり、チンピラたちも一層気を引き締めて隙を疑ってくる。
そんな緊張の糸で張り詰められた空間は、一つの声で簡単に切り裂かれた。
「――そこまでだ」
凛と響いた言葉に、チンピラたちの動きが止まり、シャオンの動きも止まる。
声の発生源は路地裏の出口、そこに現れたのは濃い紫色の髪をした美青年だ。
鼻筋の通った美形で、立っているだけでその姿も気品が隠れきれていない。更に土埃などが多い路地裏の中、彼が纏う白い服は汚れることなく、ただ持ち主を美しく見せていた。
誰もが威圧され、見惚れていた中、唯一動いたのは――
「ユリウス?」
アリシアの言葉にユリウスと呼ばれた青年は答えず、ただわずかに視線を彼女に向けた。
そしてすぐに視線をチンピラたちに戻し、口を開く。
「アナスタシア様一の騎士。ユリウス・ユークリウス」
静かに、青年は改めて自ら名乗る。
「主の命に従い、手を出させてもらおう。だけど、できれば抵抗はせずに投降してほしい。私だって無駄な血は流したくはないのでね」
優雅に、高らかに、そして芯のある声で宣言する。
その姿は正に、最も優れた騎士のようだった。
アドバイス、感想お待ちしております。
※2/14、番外編追加しました