事件は、ロズワール邸の食卓で起きた。
「もうだめだ! 耐えきれない!」
「危ないですよ、スバルくん。病み上がりなんですから」
意味不明な発言と共にがっくりとうなだれる肩を優しく叩き、背後からスバルの顎のラインに指を這わせながら献身を口にするのはレムだった。
たった一人『魔獣騒動』を経てスバルになついたレム以外は、普段が普段だったからか、スバルの意味不明な行動及び言動は皆慣れている。
「でも、なんだか本当に今は苦しそうね」
エミリアの言う通り、実際にスバルの表情は青く額に汗を浮かべており、その言葉が嘘ではないということは明らかである。
「まさか、呪いの後遺症とか……」
最悪の想像を口にして、全員が顔を見合わせる。それからエミリアは憂いを瞳に宿して己の銀髪に手を入れ、その中から灰色の小猫を摘まみ出した。
目をこするパックはスバルの顔の前に座らされ、すんすんとピンク色の鼻を鳴らし、
「うーん、リアが心配するような感じはしないよ? マナが空っぽだから生気は相変わらず弱々しいけどー」
テーブルに突っ伏すスバルの頬を肉球で叩きながら、パックが声でそう報告する。
だが、
「指先の震えに浅い呼吸。まるで依存度の高い薬物への禁断症状のようだな」
「いつそんなの摂取したんすか」
「……ーズが、足りない」
心配をよそに、スバルはテーブルに突っ伏したまま、右手の中にパックを確保したまま、かき消えるような声で囁く。
「――え?」
わずかにでも聞き取れたのは、すぐ側に身を寄せていたエミリアだけだったらしい。
エミリアはこぼれ落ちそうなスバルの言葉を聞き逃さないよう、さらに口元に耳を近づけ、再びスバルの言葉を聞こうとする。
そんな彼女の献身を裏切るように、唐突に跳ねるように体が持ち上がり、周囲の驚きすら気にせずに、スバルは声高に叫んだ。
「――マヨネーズが、足りない!!」
その言葉を知らない人間、つまりシャオンを除いた屋敷の面々が首をひねった。
◇
「マヨラーにとって、マヨネーズを感じられない日が続くことがどれだけ苦痛か。それがもう二十……いや、一週間も続いてんだ。常人なら発狂しててもおかしくない。俺の狂人的な精神力だからまだもってるが……もう限界だ」
テーブルをたたき、スバルは熱く宣言する。
わざわざ動きをつけてまでの熱弁だが、レム以外には効果がない様だ。
「マヨネーズなしでも食事はうまい、確かにうまいさ。このパンみたいな奴も、スープ的な液体も、サラダチックな盛り合わせにしたって、水かどうかも怪しいような飲み物と相まって最高にうまいさ。でも、マヨネーズがないのは事実だ」
「つまり、食べ慣れたマヨネーズ、調味料がないからダダこねてるってことだな?」
「シャオンはわかってねぇよ!! わかってない!」
馬鹿を見るような眼と共にスバルに訊ねるが、涙目に否定される。
「目的もなく、生き甲斐もない俺が、次に見る夢だ。……それが、この異世界にマヨネーズをもたらすこと。それで、なにが、悪い」
「悪いことしかないんじゃないかしら」
ラムの言葉すら気にせずにスバルはマヨネーズの魅力を熱弁し続ける。
そんな彼の熱く、静かな意気込みを清聴し、胸を叩いたのは、
「わかりました。スバルくんのその要望、レムにお任せください」
青髪を揺らし、目をキラキラと輝かせるレムだった。
「そもそも、お屋敷の厨房を与るのはレムの担当です。そのレムの料理が満足していただけないなら、相応の手段を講じるのが務め。――そうですよね、姉さま」
「え、あ、うん。そうね。その通りだわレム」
「はい! 頑張らせていただきます、姉さま!」
「や、やってくれるのか。レム」
感動に瞳を潤ませて自分を見上げるスバルに、レムは再び胸を叩いてやる気をアピール。それから彼女は手を広げ、
「やってみせましょう。ではスバルくん、その調味料のレシピを……」
「――え?」
「――え?」
陥る沈黙。それを破ったのは――
「……まさか、そのレシピがわからない、なーんてことないっすよね? ははは」
アリシアの言葉のみだった。
◇
朝食の後、使用人たちは、正確にはロズワールとの修業があるシャオンを除くメンバーが、マヨネーズ作りを命じられた。
本来の仕事がおろそかになるかと考えたが、使用人が以前よりも三人に増えたのだ。業務に関しては何ら問題ない。
ただ、問題としては、
「それがなくちゃ生きられないって口にしておいて、その作り方もわからないとは……」
「きっとスバルくんはレムを試しているんですよ」
「いやー、あれはどう見てもそんな考えあるようには見えなかったっすけどねー」
呆れるシャオンとアリシアとは別に、スバルを妄信的に尊敬しているレム。
意図しようが意図してなかろうが結局彼女がスバルを尊敬することには変わらないのかもしれない。
「それじゃあ、アタシは一階を。シャオンは三階、レムちゃんは二階の分担で」
アリシアはそう告げ、階段を下りていく。
それを見てシャオンも自らの担当場所である三階に足を運ぼうとしたが、
「……シャオンくん、ありがとうございます」
「ん? 急にどうしたよ」
「魔獣討伐の時のお礼をまだ言えてなかったので」
レムの言葉に足を止める。
「別に大したことはしてないさ。むしろ犯人を取り逃がしたんだ、礼を言われる立場じゃない」
「それでも、です」
遠慮するシャオンに、レムは譲らない。
そして彼女の頑固さは十分にわかっているので素直に受け取るとしよう。
「……スバルくんは、レムにとっての英雄です」
唐突にレムは話す。
その声は弱く、瞳はまるで、なにか眩しいものでも見ているかのように細められている。
「スバルくんはとても強い人です。でも、レムはそうではありません」
レムは悔しそうにこぶしを握り締め、悲し気に眉を下げる。
「証拠もなく、直感ですけど。レムが想像できないようなことで、レムが力になれないようなことでスバルくんは悩んでいるときがあります……でも、シャオンくんは違います。貴方は、気づいています。力になれます」
シャオンはレムの言葉に驚き、目を見開く。
レムは、彼女自身が言ったように直感的ではあるがスバルが抱えている『死に戻り』という点までは気づいていないが、何かを抱えている、というところまでは気づいたのだ。
「……もしもレムが力及ばず、スバルくんについていけなかった時、きっとシャオンくんが支えになると思います」
「……ずいぶんと高い評価で」
正直な話を言えばシャオンがスバルの悩みを解決しているというのは嘘ではないはずだ。
彼一人では足りない戦力を補う役目だけではない、『死に戻り』を共有できる人物として精神的な支えになっていると、少なからず自負している。
「ええ、だから少し、嫉妬してしまいます」
ほほえみながらそう告げたかと思えば次の瞬間には頭を下げ、
「お願いします。スバルくんをこれからも助けてあげてください」
「――うん、頼まれた。頼まれたけど」
ポンポン、とレムの頭を軽くたたく。
大人が子供にやるように優しく、けれど力強くもあるように。
「そういうふうに諦めるのは感心しないよ、レム嬢。確かにスバルには想像できないような悩み事もあって、俺にしか解決できないようなものもあるだろうさ。でも、それがすべてじゃない」
シャオンは全知全能で、万能な存在なんてものではない。
いつもスバルを助けられるとは限らないのだ。
「逆に俺ができなくてもレム嬢にできることがあるかもしれない。いや、絶対にある。だから、お前もスバルの助けになるんだよ。いや、なってほしい」
「レムで、いいんでしょうか」
「レムだから、いいんじゃないか? あいつの面倒をしっかりと見れるのはレム嬢ぐらいだぞ」
「それは……そうかもしれませんね」
ようやく笑みを取り戻したレムを見て、シャオンはようやく掃除を開始したのだ。
◇
場所は、屋敷の庭。
ここでいつもロズワールにシャオンは魔法を教わっている。
だが、今日行われているのはいつもの授業、というよりは模擬戦に近いものだった。
「エルゴーア!」
拳よりも僅かに小さい火球がシャオンの掛け声とともに顕現する。
一つの球、それは徐々に数を増やし、二十もの数にまでなった。
一個の火は小さい。それでも持っている熱量はそれなりのもので、当たればただでは済まない攻撃だ。
だが、ロズワールは避ける動作すら見せずただ指をつきだす。
「ヒューマ」
その呟きとともに、ロズワールの周囲を囲うように一つの氷の輪が生まれる。
輪はゆっくりと、だが確実に広がっていき、それは火球の一つに触れ、
輪は火球と相殺した、だが彼の魔法はそれで終わる訳がない。
「……マジすか」
粉々になった氷の破片が残る火球に触れていく。
瞬間、それらの火球はすべて消失した――たったそれだけで、シャオンの生み出した火球はすべて対処されたのだ。
「本当の火属性の魔法というのは、こういうものだーぁよ」
笑みを深め、ロズワールの周囲にマナが濃く浮き出し、溢れ出ていた力の奔流が具現化する。
生まれたのはシャオンが出したものと同じ大きさの火球。
だが、離れていても肌が焼けるような熱を持つその火球は、シャオンの生み出したものよりも数倍の威力があるということがわかる。
まるで小さな太陽、彼はそれを生み出したのだ。
「――アルゴーア」
ロズワールの掌がシャオンの方へと向けられる。
即ち、それは掌中にあった火球を投じる動きだ。火球はゆっくりと、確実にこちらの体を焼き尽くそうと迫りくる。
それを眼前に、回避行動をとろうとする。だが、
「――っ!?」
足が動かず、つんのめってしまう。
慌ててその原因を確認しようと足元を見る。そこには――
「ちょろちょろ動かれると面倒だからね、凍らせてもらったんだ」
地面に足を縫い付けるように氷が生えていたのだ。
以前パックがエルザに行ったような技、まさかそれを自分が受けるはめになるとは夢にも思わなかったが。
「あ、アルヒューマッ!」
よけることはできない、ならば迎え撃つのみだ。
覚悟を決めればあとは容易い。
イメージするのは盾だ。硬く、何者にも破ることを許さない強固な盾。
一枚では足りない、二枚でも足りない。一体何枚必要なのかもわからない。
だから、シャオンの中にあるマナすべてを使い、前方にありったけの盾を何枚も重ねていく。
「ッ!」
炎の豪球が、盾と接触する。
氷がとけ、蒸気がシャオンの視界を遮り、マナ同士がぶつかるり、衝撃が体を襲う。
幸いだったのはロズワールがシャオンの足を氷で地面に張り付けていたから、体が吹き飛ぶことはなかったことだろう。
もしも吹き飛んでしまったら盾は消滅し、小さな太陽がシャオンを焼き尽くしていたのだから。
「――ぁああああっ!」
一体どれぐらいの時間がたったのだろう。
五分、十分それ以上。もしくはシャオンがそう感じているだけで数秒の出来事だったのかもしれない。
そうした中、事態は急に終わりを迎えた。
「……ほう、面白いことをしたものだ」
ロズワールの言葉と共に衝撃が収まり、不意に視界が晴れた。
目の前には半透明の盾が一枚、そしてその盾の先には興味深そうな笑みを浮かべているロズワール。
「――はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った」
ロズワールの火球は完全に打ち消すことができた。一枚だけ残っている盾がその証拠だ。
ただ、こちらはもう魔法を使うことはできない。始めに出された条件はクリアできない。
勝負はシャオンの負けということになる。
しかしロズワールは勝ち誇る様子はなく、むしろ肩を落として残念そうな表情だ。
「すごいねぇ、今のは加減なしに放ったんだけど。いやいや私も年かーぁな」
「全然平気そうじゃないっすか」
同じ、最上級に当たる魔法である「アル」系統の魔法を使用したのに、肩で息するシャオンとは対照的にロズワールは鼻歌を歌いそうなほどに余裕がある。
そんな状態で褒められても嫌味にしかならない。
「勝負は私の勝ちだ。でも、私の一撃は防いだ。うん合格点をあげよう」
ロズワールが指を鳴らすと、足元の拘束が解かれ自由になる。
そして、疲労感から尻餅をつく。
「……いいんですか?」
「流石に大人げないかなぁと思ったからねぇ」
今回行ったロズワールとの模擬戦の勝利条件は、『シャオンが魔法の一撃をロズワールに当てる』か、『ロズワールから合格点をもらう』だった。
残念ながら、前者は達成できなかったが後者は無事達成したようだ。
もしも達成できなければまた一から、体に覚えさせるといわれていたので、安心した。
「基本的な魔法の使用は十分。あとは、無詠唱ができれーぇば私の弟子として申し分ないだけど、きついでしょ?」
「そもそも無詠唱って、いまいちやり方わかんないんですけど」
魔法を使用する際に魔法名を口に出すのはイメージのためだ。
マナを形にし現実世界に顕現させる、これが魔法の基礎中の基礎。
だからイメージしやすいように口に出すのが主流だが上級な魔法使いはその工程すら省けるらしい。当然、目の前の彼もそれに当てはまる。
「術式起動の際に、なにか合図を入れるんだーぁよ。そうすればその合図さえできれば無詠唱で魔法を使える」
アドバイスを受けるが、その合図を定着させるのが難しいのだ。
ロズワールは心情を読んだのか苦笑し、指を立てて更に説明する。
「最初は攻撃を目的とした魔法を無詠唱で発動させるんことは難しいだろーぅね。でも、最後のあの盾を発動させることぐらいはできるんじゃないかな?」
「そうですか?」
「うん。まずは、前方にただ盾を出す。このことをとある合図だけで発動できるようにすればいいんじゃないかな? おすすめとしては、指を鳴らすとか、指で体をたたくとかだーぁね」
ロズワールが右手で指を鳴らすと、シャオンの前に火球が生まれ、ロズワールが反対側の手で足をたたくと今度は小さな氷柱が生えた。
「なるほど……」
「慣れるまではこんな感じだね。逆に慣れたら合図は頭の中でできるようになる。そうすれば相手に悟られずに魔法を使えるだろう、私が君の足を固定したようにね。あ、そうだ、話は変わるけど――」
説明をしていたロズワールは急にシャオンに目線を合わせ、ささやく。
「――君の体もだいぶ筋肉がついてきたようだーぁね」
その声とその見た目と、こちらを嘗めるように見る視線と、それを発したのが男であるということに、身の危険を、具体的に言えば貞操の危機を感じ、急いで立ち上がり距離を取る。
「冗談だよ」
「冗談に聞こえないんですよ!」
笑顔でそういうロズワールだったがそもそも、その笑みが胡散臭い。
「アリシア君とともに鍛えているんだったね……どれ、では私も一つ技を教えよう」
「……技? 今からですか? 明日からでもいいんじゃ……」
魔法の使用でシャオンの体は疲労困憊だ。
今肉弾戦の修業をしたところでまともにできないだろう。
だが、彼はシャオンの言い分を無視し、
「スバルくん的に言うには『第二ラウンド開始』ってところかーぁな?」
「鬼! 悪魔! ピエ――」
ロズワールの拳がシャオンを襲った。
◇
「――そんなわけで、これが俺の故郷に伝わる究極の調味料マヨネーズである。素の蒸かし芋に付けることでより味がわかるという考え。さあ、実食あれ!」
「正直期待していなかったけど、本当に作ったんだ」
ボロボロの状態のシャオンの前に広がるのは温かな湯気の立つ蒸かし芋と、それにトッピングされたマヨネーズのみのシンプルなものだ。
「これはまーぁた、思い切った食事だね?」
「マヨネーズのすばらしさをみんなにもわかってほしくてな。ラムやレム、ついでにアリシアには無理を言って、余計なものは一切合財取り払ってもらった。なにか文句があるなら全部俺に責任があっから言ってくれ。そしたら」
「そうしたら?」
「魔獣騒ぎの件での功績で、この昼飯の無礼をチャラにする……!」
「君はほんとーぉに、功績の使い方が下手だねぇ」
ロズワールは苦笑してスバルの無礼を許容。
彼からすれば、スバルの拙い言い訳などあっさりと見抜いていたことだろう。特にスバルの後ろで、申し訳なさそうに佇むレムの姿があるのだからなおさらだ。
もっとも、蒸かし芋を出すことになんの躊躇いもなかったらしいラムは、瓜二つの妹の隣で堂々と胸を張っている。
「どうよ、エミリアたん。食べられそう?」
「初めて見るから、ちょっと恐いかな。スバルがあれだけ言ってくれるくらいだから、おいしいって信じたいんだけどね」
さすがのエミリアも苦笑を浮かべ、なかなか皿の上に手が伸びない。
誰か一人、屋敷のメンバーが口にできれば自然に進んでいくのだろう。
残されたメンバーとしては、スバルと同郷であるシャオンを除くと――
「どうしたっすか? ベアトリスちゃん」
「……ベティーはちょこっと、用事を思い出しただけなのよ」
アリシアの声で、ベアトリスに視線が集まる。
見れば彼女は席を立とうと腰を浮かしていた最中だった。
今までだったら止めた人物はいなかっただろう。だが、
「なぁ、ベア子」
「ふん、何を――むぐっ!」
今は、天敵ともいえるスバルの存在がいるのだ。
注目の的になってしまったのが彼女の運のつき、スバルは彼女の開いた口に無理やり芋を突っ込ませる。
いきなり口に入った芋と、未知の存在であろうマヨネーズの味に目を回すも、涙目ながらに咀嚼を開始する。
「むきゅむきゅ?……むきゅむきゅきゅ」
「おお、むさぼり始めた」
マヨネーズの味に意識が追い付いたのか、ベアトリスは驚いたように瞬きを一度し、一気に咀嚼し完食。
そして、悔しそうにしながらも二つ目の芋へと手を出したのだった。
彼女の陥落を受けて、ようやく昼食がいつものように開始された。
「あ、おいし。やだ、止まらなくなっちゃう」
最初は警戒していたエミリアも蒸かし芋をいくつも口にして、ご満悦の様子だった。
「確かにマヨネーズだな」
「おお!合うっすね! うまいっす!」
試しにシャオンも口にするとそれは元の世界で味わったことがあるものと相違ないもので、正直美味いといえる。
アリシアもシャオンが食べたのを見て、恐る恐る口にし、その絶妙なおいしさに目を輝かせている。
ロズワールも「これはおいしいねぇ」と貴族級の舌も満足させられたようで、スバルは満足そうだ。
「よっし、大成功と。レム、よくやってくれたな」
思いがけず高評価の状態に満面の笑みを浮かべ、スバルは後ろでいまだに固まっていたレムの肩を叩く。
レムはその呼びかけに恐れ多いように俯き、
「いえいえ、レムのしたことなんてそれほどでもないですから。これも全て、スバルくんの行動の賜物ですよ。レムは没頭しすぎて、昼食の準備も忘れてしまうくらいで……姉様とスバルくんがいなかったら、ロズワール様にどんな叱責を受けたか」
「集中させすぎた俺が悪いんだよ。このマヨネーズのおかげで食卓にさらなる花が咲かせられる。感謝、してるぜ」
レムの低すぎる自己評価を、スバルは勢いで押し流してしまうことにする。ここでいつまでも引っ張っていたら彼女は譲らないだろうという判断だろう。
「――レムの、おかげですか?」
そんなスバルの思惑に見事に乗っかり、レムは顔を明るくする。
彼女のお手軽さに苦笑しつつも、頷き返し、
「おお、もちろん。レムがいなきゃ、今日の成功はあり得なかった。誇っていいぜ」
「お役に立てましたか?」
「もう、バリバリ。おかげでマヨネーズ依存症の俺の命は救われた。そりゃもうホントに危険域だったんだから」
「危険域……」
「危うくマヨネーズにどっぷり浸からなきゃ死ぬかもレベル。おかげさまで命拾いだ。神様、仏様、レム様、エミリアたんって具合だな」
大げさに感謝の言葉を口に出していくスバル。
レムはそんなスバルの言葉に生真面目な顔でうんうんと頷き、
「わかりました。任せてください」
「――うん? わかった。超任せるぜ! それじゃあ俺もいただくか!」
スバルもその料理を味わおうと芋を手に取る――その後ろで、レムが静かに決意を固めるように、ガッツポーズしているのに気付かずに。
「……いやーな予感がすんなぁ」
「なにをぶつぶつと言っているのかしら……もむもむ」
「口元にマヨネーズがついてるっすよ、ベアトリスちゃん」
ただ、止めずに見ておくことにしよう。
彼女がスバルに対して何かしようとしているのは事実なのだから。
◻
日が落ちた執務室、光源として存在するのは月の光のみだ。
現在、ここにいるのはその部屋の主であるロズワールのみだ。
雑務をすべて終わらせ、ラムのマナ補給も滞りなく終わらせた。あとは睡眠をとるだけ。
「それにしても、レムがあそこまで懐くとーぉはね」
スバルが提案した『マヨネーズ』というものを生み出そうとし、屋敷の業務を忘れてしまうまで熱中するほどの入れ込みようだ。
更には彼が冗談で言ったことを真に受けて本当に浴槽一杯にマヨネーズを仕込むという暴挙にも踏みでた。
ロズワールにとって長く付き合ってきた使用人のそんな劇的な変化はうれしくもあれば、寂しくもあった。
「ま、いい変化だということにしておいて――思ったよりも早かったね」
机の引き出しから一枚の封書を取り出す。
白いその手紙は封が閉じられているが恐らく、書いてあることは予想通りの内容だろう。
そして、その予想が的中すれば今日のような楽しいことはもう起きないだろう。
いささか、残念ではある。残念ではあるが――
「……でも、これでようやく動き出す」
嬉しそうに笑みを浮かべる。
机の上に置かれた封書。
その裏側の差出人の名前が書かれている欄、そこには小さく、きれいな文字で記されていた。
――アナスタシア・ホーシン、と。
モツ姉さんの話は今度時間があるときに投稿することにいたしました。申し訳ございません。
投稿した際には最新話としてではなく、幕間として追加させていただきます。
きちんと報告もしますのでご安心を。
そして――次回から三章が始まります。