過去最高に、難産でした。
目の前を埋め尽くすのは、砂。砂、砂、砂のみだ。
一面の砂。所謂砂漠、というものに青年はいた。
照りつける太陽、裸足の足裏に伝わるのは照らしだす日光によって熱しられた砂の感触のみ。
だが少年は汗一つ流さず、とある場所に向かっていた。
「――マナが揺らいでる。ここが、先生の言っていた場所だね」
そう呟くと青年は空に両手を掲げ、”何か”を無理やりこじ開けるような動作をする。
すると、砂ばかりだった空間に、一つの”歪”が生まれた。
その歪の中は生命というものが一切感じられず、好き好んできたいとは思えないような空間だった。
その奥に一つの、斜めに立った棺がたたずんでいるのが見える。
こんな場所にそんなものが存在しているだけで不思議なのに、もっと驚くことは
棺桶の中に存在する少女は灰色がかった肩ぐらいまでの髪を、二つくくりにしている。
うっすらと見える肌は色白で華奢、胸は体相応に小さい。
少女の年齢は見た目から、青年――シャオンは妹であるテュフォンよりも少し年上といったところだろう、と予想する。
棺の中に入れられて、拘束具に全身をがんじがらめにされた上に、その両目を固く固く黒の目隠しで封じられている少女。
そんな少女が目隠しの下から涙を流している。
「なんで泣いているんだい?」
「……吐きたくないですよぅ。お腹空きましたよぉ……泣きたくないですよぉ。お腹減っちゃいますからぁ……」
少女は問いかけに答えない。いや、答える余裕もないのだろうか?
だが、彼女が漏らす言葉から、目の前の少女が空腹で涙を流しているのだということに気付く。
といっても今少年の手元には食物といえるものはなく、空腹を満たすことはできない。
だが目の前で今にも死にそうにしている少女を放っておくことなどもできない。
シャオンはため息をつき――ためらいなく自らの左腕を引きちぎった。
「お食べ、生憎と、僕のようなものの、手しかないけど――」
左腕の断面を少女に向けると興奮した様に、よだれを垂らす。
「そ、そ、そ、それでいいですぅ。いいですからぁ、ダフネに、ダフネのお口にくださぁい。はやくぅ、ねぇ、はやくぅ……っ」
「と、言っても先生の言うことが正しいなら君に直接触ってはいけない。だから、投げ渡すよ」
激痛に苛まれ、顔を歪めながらも、痛みを押し殺し自らの腕だったものを彼女の口をめがけ、投げ渡す。
すると少女は涙だけでなく、口から別の液体を流しながらそれをなすがままに受け取った。
瞬間、咀嚼するような描写もなくシャオンの腕は虚空に、正確にはダフネの胃の中に消えたのだろう。
その様子をみて話に聞いていた通り『化物』染みているな、と思いながらも拳で軽く腕をたたき、傷を治す。
「ふぅ、助かりましたぁ」
「僕の名前はシャオン。ただの、シャオンだ。君は『暴食の魔女』、ダフネだね?」
「そぉですよぉ。貴方はシャオンっていうんですかぁ、へぇー、じゃぁヤオヤオってよびますよぉ」
泣き止み、間延びした声で礼を言われ、先程までおこなわれていた凄惨な光景などどこにもないように感じてしまう。
事実、腕を引きちぎったシャオンも、その腕を食べたダフネも気にしていないのだからなかったようなものだが。
「それでぇ? ヤオヤオは一体なんでぇこんなところにきたんですかぁ? こんな砂漠に来るなんてよっぽどのぉ暇人くらいですよぉ?」
「先生――エキドナに連れて来てほしいと頼まれたんだ」
「ドナドナがですかぁ?」
自らの恩師である女性がそう呼ばれているのを聞いたのは初めてだ。
シャオンはわずかに苦笑し、
「ああ――拒否するなら、無理矢理連れていく」
表情を一変させ、低い声でそう宣言するシャオン。
しかし、肝心の宣言相手であるダフネは、
「別にいいですよぉ。ダフネもここにいたいとは思いませんしぃ」
大きくあくびをしながら、抵抗する意思は見せない。
「……拍子抜けだなぁ。でも、話が早いのは助かるね。それじゃあ結界を抜けるための魔術を使うから少し待っててね」
「ならぁ、その間にもう一ついただいてもいいですかぁ?」
「……流石に僕も痛いのは嫌だから我慢してよ。早めに終わらせるから」
その答えに僅かに悲しそうに眉を下げるダフネを相手取らず、急いで術式を組み立てていった。
◻
ダフネとシャオンが結界を抜けるとそこに広がっていたのは一面の緑だ。
草原のほかには、川が流れ魚も飛び跳ねているのがわかる。
遠くからは人々の活気あふれる声が聞こえ、まさに、”生命の国”といえる。
「シャオン兄ちゃんっ!」
「おや、どうしたんだい」
こちらに駆け寄ってくるのは一人の少年だった。そしてそのままの勢いでシャオンの体に抱きつく。
抱き着かれたシャオンはわずかに体勢を崩していたが、しっかりと受け止め少年の頭をなでる。
「うんとね、おとーさんがお昼食べていかないかって!」
「ああ、といいたいんだけど」
ちらりとダフネを見ながら小声で呟く。
その様子を見てようやく少年は彼女の存在に気が付いたようだ。
「……友達?」
「そぉですよぉ。ヤオヤオとダフネは『親友』ですよぉ。だから、できれば、ダフネもぉ、お呼ばれしたいなぁって」
「はぁ、兄ちゃんの友人ならばきっと良い奴なんだろうけど……友達は選んだほうがいいぞ?」
その見た目、しゃべり方、雰囲気全てから不審者丸出しの彼女を見て少年は若干の引きを見せている。
「あと――服装はもう少し押さえ目に……」
「気にするだけ無駄だよ、魔女ってそういうものだからね。どうしても恥ずかしいなら彼女の存在は無視していいからね」
「そ、そっか」
少年も男だ。
ダフネの格好は拘束具に包まれているだけでなく、服というものが意味をなしていないほど肌が露出しているのだ。年頃の子には目に毒だろう。
「はやくぅ、行きましょうよぉ」
そんな思春期の困った感情を無視するようにダフネは早く昼飯を食べに連れていくように催促する。
「う、うん!」
「やれやれ」
呆れながらも、少年を先頭に国の中に入っていった。
◇
エキドナは自らの愛弟子であるシャオンを探していた。
久しぶりに開かれた茶会だったが、シャオンの姿がなかったのだ。
親しいセクメトやテュフォン、彼に惚れているカーミラなどに所在を聞いても皆知らない様だった。なので、ちょうど彼に用事があったエキドナは困り果てていたのだった。
そんな中、とある口論が耳に入ってきた。
「だからぁ、思うんですよお。大きく育ったりぃ、際限なく増えたりすればぁみぃんな助かるんじゃないかって」
「ふむ、それじゃあやっぱり強くすればいいんじゃないかな。長生きすれば成長するし、知識も身につく」
「でもそれじゃあ、食べにくくありませんかぁ?」
「食べがいがあるほうがいいんじゃないか?」
口論の内容から誰と誰が話しているのかはすぐにわかった。
「なんの話をしているんだい? シャオン、ダフネ」
二人はテーブルを境に、向かい合っていた。
白髪の青年シャオンは紅茶で唇を湿らせがら、棺の中にいる少女ダフネはエキドナが作ったクッキーを取り込みながら話し合っている。
エキドナが声をかけると皺を寄せていた表情が嘘のように、シャオンは笑みを浮かべる。
「ああ、先生。実はですねダフネが生み出すという魔獣についてちょっと議論をしてまして」
「議論? どういうことだい、ダフネ」
どういう話か読み取れず、棺で横になっているダフネに訊ねる。
「飢餓を解決するにはぁ、強い魔獣を生み出すかぁ、どうするかぁという話題ですよぉ」
「僕としてはより強い魔獣を産み出して、食べにくくすれば食べたときの感動もより増すかと思ったんですけど」
「それで空腹で死んじゃったらぁ駄目じゃないですかぁ」
「まぁ、空腹は最高のスパイスとは言うけど……君が度が過ぎるだけじゃないかな?」
「ヤオヤオも極限の空腹を味わったら……平気でしたねぇ」
そう短くない仲だ、彼らの討論が平行線で終わってしまうことは予想できる。そして長引いてしまうことも経験からわかっていた。
仕方ないので終わるまで出直そうかと思ったが、エキドナの中にふとした好奇心もとい探求心が生まれた。
――彼らの議論。この議論の結果のせいでいったいどれぐらいの命が奪われるのだろう? そして、彼らはどう感じるのだろう。
「ねぇ、二人とも、ちょっといいかな?」
エキドナは知識欲の赴くままに、訊ねる。”その魔獣が生まれたら、大勢の命がなくなるのではないか”、と。
するとシャオンとダフネ、その両方が何を言っているんだとでも言いたそうに首をかしげる。
「食べられた側の気持ちなんてぇ、そんなの知りませんよぉ。ダフネとしてはぁ、食べられるほうがぁ悪いと思うんですけどぉ」
「食べられるほうが悪い、とは僕は思いませんが。ダフネが生み出した魔獣たちに負けたのならそれは”その程度”の価値しかなかったんでしょう。実際に立ち会わなければわかりませんが」
「ここでは意見が一致するんだね」
先程まで対立していた二人組は揃って同意見を口にする。
ダフネはケラケラ笑いながら、シャオンは紅茶を口にしながら答えた。
「別にダフネとヤオヤオはそこまでぇ仲が悪いわけじゃないですからぁ」
「いいわけではないけどね」
ほとんどの存在を平等に見ているシャオンだが、ダフネに対してはわずかながらに扱いが厳しい気がする。本人は無自覚だろうし、ダフネも気にしている様子はないので突っ込まないでおくが。
「それで、一体どんな魔獣を生み出そうとしているのか、ワタシも話に入れてもらってもいいかい? なに、参加費として追加の茶菓子ぐらいは用意するよ」
「別に構いませんよぉ? クッキーを用意してくれるならぁ大歓迎ですしぃ」
「なら僕は新しく紅茶を淹れ直しましょう」
この平行線の討論に乗り掛かった舟だ。エキドナもたまには参加してみよう。
一人、魔女が加わるだけで結果が変わるかもしれないのだから。
◻
茶会が閉会し、魔女たちも帰る中、シャオンとエキドナだけが残っていた。
「見事に皿も、テーブルも跡形もなく食べられましたね」
「お陰で後片付けはだいぶ楽だけどね」
だいぶ楽というよりはほとんどすることがなくなってしまったが。
「それで?」
「うん?」
「用件は何ですか? わざわざダフネとの会話に入るためにこちらに来たのではないでしょう?」
シャオンは確信を持った瞳でエキドナを貫く。
その様子に参ったとでも言いたげに手を上げて頷く。
「ああ、そうだね。シャオン、君を私の弟子として頼みたい、いや正確には提案がある」
「提案?」
意味が分からず首をかしげる愛弟子に向かって笑みを、
「――人工精霊を、作ってみないかい?」
三日月のように、口元をゆがませて笑みを浮かべた。
・『白鯨』の討伐難易度が上昇しました。
・『大兎』の討伐難易度が上昇しました。
・『黒蛇』の討伐難易度が上昇しました。
どうしよう、モツ姉さんの話投降したいけど三章も投稿したい……