「なぁ、スバル、まだか!」
「まだだ、ここで撃っちまったら木に邪魔されちまう!」
走り続け、もう足の感覚がなくなってきたように錯覚する。
別れてから数分は立つ。だがいまだに作戦は開始できていない。
スバルから聞いた作戦が重要なのは”場所”だ。だが、追われながら適当な場所を探すのはやはり難しい。
ふと、開けた場所に出た。十分なスペースもあり、何より頭上があまり木に覆われていない。これだったら条件は十分だろう。
「ここなら―‐」
スバルの言葉が止まる。なぜなら目の前に村でメイリィが抱えていた子犬の魔獣がうなり、立ちふさがっていたからだ。
「いい加減、因縁にけりをつけなくちゃな。邪魔されたらたまったもんじゃないし」
折れた剣を子犬に向ける。このサイズの魔獣ならば魔法にさえ気を付ければ今の武装でも十分だと判断したのだろう。
だが、子犬に変化があった。
「……おいおい、質量保存の法則ってご存知ですか?」
スバルの文句に対して全力で同意を示す。なぜなら目の前の子犬がシャオンたちの数倍の大きさに膨れ、変貌したのだから。
「シャオン! 目標地点はここだけど、どうする!?」
「もうタイムリミットも近い、やるしかない!」
目の前の魔獣が行動をするよりも早く、作戦を開始しようとする。だが、魔獣の姿がぶれたかと思うと、シャオンにとびかかってきていた。
「っ!」
「シャオンっ!」
激痛、そして頭を打ち付けたからか脳が揺れ意識を持っていかれそうになる。
「あと少しだってのに……!」
魔獣はシャオンの上にまたがり、体重をかけてくる。自分の数倍のものが乗っているのだ、それ相応の痛みも襲い掛かる。
そして最悪なのは両方の腕をふさがれてしまっていることだ。おかげで魔法を放つことはできない。体感的にわかるが、不可視の腕も発動できない。完全に拘束されてしまった。
「離しやがっ、れぇ!」
万事休すかと思ったが、スバルが遠くから拾ってきた石を投げつけた。
わずらわしいと思ったからか魔獣はわずかにスバルに注意が向き、シャオンにかけていた重さがわずかにやわらいだ。
「ナイスサポート、そして――」
自由になった右手を魔獣の頭部、そこに向け、
「――エルゴーアァ!」
マナではなく、”オド”を使ってシャオンは無理やり魔法を発動させる。
自分のなにかが削れていく感触と共に、手のひらより数倍にでかい程度の火球を魔獣に向けて放たれた。
弱っている獲物からの思わぬ反撃に魔獣は回避行動をとることができず、火は魔獣を貫通させ、顔面を焼失させ、その体を横なぎに倒れさせた。
「スバルっ! 行ったか!?」
「ああ、無事いった!」
上空を見上げるスバルはほどなくして、焦りの表情を浮かべる。
いったい何があったのか聞こうとしたが、
「――離れろっ!」
「――ウルゴーア」
空から降り注いだ炎弾の直撃によって、永遠に中断されることとなった。
「ううぉああ!?」
二人の体は衝撃で後ろへ吹き飛ばされていた。
突如、目の前の地面が爆ぜたのだ。高温になった突風を伴い、すでに傷だらけで痛みを訴えかけていた全身にさらに火傷のダメージを追加する。
流星群のように降り注ぐ火球が魔獣たちを的確に貫き、火達磨にしていく。
口に入ってしまった土を吐き出しながら、その喜劇とも悲劇ともつかない事態を生み出した人物が、へらへらと笑いながら姿を現したことに気付いた。
「……遅すぎるうえに、雑ですよロズワールさん」
「これはこれは手厳しい。しぃかし? 君ももっと早く目印として火の魔法を使ってくれてもよかったんじゃーぁないの?」
藍色の長髪を風になびかせ、青と黄色の色違いのオッドアイ。痩せぎすの長身を見慣れた奇抜な衣服に押し包み、彼は上空から優雅に降り立ち、笑う。
屋敷の主。宮廷魔術師。肝心なときにいない役立たず――ロズワールの到着だ。
彼は着地した足の裾を払い、それから長い髪を背に流すとスバルを見下ろし、
「改めてみぃると、ずぅいぶんと、ひぃどい有様だ」
「くんの超絶遅ぇよ、ロズっち。それにしても、よくすぐに場所がわかったな」
「村でエミリア様にさぁんざん釘を刺されたかぁらねぇ。『無茶でも無謀でも、追い詰められたらきっと魔法を使うから、空を飛んでたら見落とさないで』ってぇね」
裏声を使ってエミリアの声まねをするロズワール。もしも体力に余裕があったら一発殴っていたかもしれない。
「でも、実際はスバルくんじゃなくてシャオンくんが発動しているとはねぇ、これは君への評価を改めなくちゃねぇ」
いい意味だろうか、悪い意味だろうかは彼の笑みからは判断できない。声色から少なくとも悪い意味ではないと思うが。
「ベア子め……あっさりエミリアたんにばれてんじゃねぇか」
エミリアにばれないよう、うまく誤魔化す係は彼女では力不足だったらしい。
こうしてロズワールの奇跡的な介入があったことを思えば、まぁ結果オーライと言うべきなのかもしれないが。
「ロズワール様――っ」
茂みを揺らしながら姿を見せたのはラムだ。レムに肩を貸す彼女はロズワールの姿に気付くと、それまでの冷静な面を一瞬で氷解させ、
「お手をお煩わせして、申し訳ありません」
「いんやぁ、いいとも。そぉもそも、これは私の領地で起きた出来事だ。収める義務は私にある。むしろ、よくやってくれていたとも」
労いの言葉に頬を赤くして、ラムは胸を押さえながら厳かに頷く。
その二人のやり取りを横目にしながら、スバルは深くため息をこぼし、
「――スバルくん!」
スバルは飛び付いてきたレムの抱擁を受けて「ぐぇ!」と悲鳴を上げ、尻餅をつく羽目になった。
美少女からの熱い抱擁、通常時ならば役得と喜ぶべき場面だが、今のスバルには取っては傷を痛めるだけの地獄になってしまうだろう。
「レム、今は、体の、あちこちが……あ、意識とか」
「生きてる。生きててくれてる。スバルくん、スバルくん」
レムは感情の制御が利いていないのか、スバルの言葉も耳に入らず力の限り抱きしめている。
負傷した全身が余さず苦痛の悲鳴を上げ出し、スバルは自由になる左手で必死にレムの背中を叩いて苦しみをアピール。
あの様子ではもう意識を失うのも遠くない。
「また、この、パターン……」
「いいや、しっかりと起きてろ。主役がいなきゃエンディングは迎えられないだろ」
歯を食いしばり、スバルに対して癒しの拳を放つ。
たちまちスバルが負っていた傷は、消え去り、代わりにシャオンの体に疲労感が襲う。
「――おまえ……」
遠ざかる意識。聞こえなくなる声。最後に、
「――十分にお前も主人公だよ、馬鹿」
これまでの疲れが吹き飛ぶようなスバルの言葉に、ゆっくりと暗闇の世界に落ちていった。
◇
場所はロズワール邸最上階、中央の主の部屋である。
「――スバルくんのその後の経過はどーぅだい?」
押し黙るラムにロズワールが問いを投げかける。
ラムはその問いに小さく首を横に振り、
「体の方はほとんど治っています。シャオンの”能力”とベアトリス様のおかげで健康体です」
「ベアトリスか……ホントどうしたことだろね、珍しい。付き合い長いけど、あの子がそこまで誰かに肩入れするなんて初めて見たよ。一目ぼれとかかね?」
「ラムの見たところ、そういった感情には見えませんでしたが……」
ベアトリスの治療風景を思い浮かべながら答える。彼女の様子はどうみても好意的なものではないようにラムには見えた。
そのままロズワールは「だけど」と前置きしてから上目にラムを見上げ、
「首を振る否定から入ったということは、命が助かったことを単純に喜べる状況ではないってことなんだろうねぇ」
「はい。いくつか問題が」
問いかけに首肯し、ラムはその後を続けるのに一拍の間を置いた。一度、自分の中で伝えるべき内容を整理してから改めて、
「バルスは枯渇状態からゲートを無理やり活性化させていました。その上で命に関わる負傷を治癒魔法で癒しましたから……ゲートをこじ開けて酷使しすぎた影響で、まともに機能するまでどれほどかかるか」
「大精霊様とベアトリスの見立てなのかな?」
「はい」
己の手を組み、ロズワールは瞑目してその情報を噛み含める。
ゲートの損傷、それはマナとの生活を切り離すことができないこの世界を生きる上で、非常に厄介な障害を抱えたということに等しい。
宮廷魔術師という立場にあり、人より身近にマナを扱うロズワールだからこそ、今のスバルの状況の不便さが一際痛感できた。
せめて一日でも早い回復を望むが――、
「ゲートの修復は個人差があるとはいえ、それも何年がかりのことになるか。彼には酷な選択を強いてしまったことになるね」
重々しいロズワールの言葉にラムは頷きで肯定を示し、さらに続ける。
「それよりも問題は、呪いの件です」
「――発動の危機は去ったはずだね?」
「術者のウルガルムは一掃によって不在。よって呪いが発動することはありませんが……術式はいまだにバルスの体の中に残されたままです……複雑に絡んだ糸を外すのは、ベアトリス様でも困難とのことです」
「専門家の彼女がそういうなら、そうなんだろうねぇ」
スバルの体を蝕む呪いの魔手は、想像以上に根深く息づいてしまっている。
術式は解体が困難なほど彼の肉体を縛り付けており、あのベアトリスをして挑ませることを躊躇わせるほどだ。
とはいえ、術者を失った術式自体には脅威というほどの問題は存在しない。
通常、組まれた術式の発動は術者本人の認識なくして発動は不可能であり、特に今回の呪いは対象から術者へマナを移譲する類の術式だ。その移譲先が存在しないために、呪いの発動は前提条件からして整うことがない。
故に、スバルの肉体に残る術式は放置していて問題になるものではない。
ただし、
「そこを問題にする以上、頼んでいたことの確認は取れちゃったわけだ」
ロズワールの主語のない問いかけに、しかしラムは迷いなく頷く。そうして返答を待つ彼に、ラムは己の額に触れながら、
「死骸の確認ができた個体に限りますが、発見されたウルガルムは全個体が『ツノナシ』にされていました」
ラムは淡々とロズワールにそう報告する。
ロズワールは彼女のその態度に吐息、それから背もたれを軋ませ、
「私が見た限りでもそぉだった。おそらくは群れ全てがそうだったんだろう」
「でも、可能でしょうか。あれだけ多数の魔獣の角を折るなんて……」
「工夫をすればできるもんだよぉ? まぁどの方法をとったのかまではわからないけどねーぇ」
ロズワールの言葉にラムが納得を示し、それを目にしながらロズワールは片目をつむって彼女を見る。オッドアイの黄色が閉じ、透き通る青い目がラムを見据え、
「しぃかし、だとすると事情が変わってきちゃう。ましてや、スバルくんは二度にわたる我々の恩人だというのに」
物憂げなロズワールの声にラムは「ええ」と同意を示し、
「角を折られた魔獣は折った相手に従う。――屋敷を、あるいはロズワール様の領地を意図して荒らした愚か者がいることになります」
「まーぁた王選絡みになっちゃうかなぁ。ガーフィールのところへの誘い出しといい、よほど私たちが邪魔だとみえる」
顎に触れながらそう思案するロズワール。
「話を戻そう。その魔獣の『親』になるかな。目星はついてるのかな?」
「シャオンが戦闘をしたそうです。ただ、取り逃がし、足取りは完全に途絶えてしまいました」
「逃げきられたか……あるいは消されちゃった?」
「どちらとも言えません。ただ、親――メイリィという少女の存在を知っている村人は誰一人いませんでした」
村民は口を揃えて見知らぬ少女であったと答えた。彼女と行動を共にした子どもたちも、ふらっと輪に加わった人物であると証言している。
大人たちはスバル達と同様の余所者であったと判断し、子どもたちはそもそも相手の素姓を疑わしいと思わなかった。二つの心理に潜り込まれてしまい、遅れてその存在に気付いたこちらは後手に回る形になってしまった。
ラムの報告を一通り聞き、ロズワールは「参ったね」と髪の毛を弄りながら、
「王都では腸狩り、領地では魔獣使い。変なレパートリーに絡まれたもんだよ」
ロズワールは目を細め、
「ふむ、計画を早め、シャオンくんをもっと鍛えてあげなくちゃねぇ。具体的には”全力の私の魔法を防げるくらい”には」
明らかに何かを企んでいる表情にラムは何も言わず、ただ彼を見つめているだけだった。
◇
「ん……?」
シャオンは腹部に感じる重みによって目を覚ました。
寝ぼけ眼をこすり、よく見てみるとシャオンの腹の上に眠るようにして体を丸めているのは、アリシアだった。
「……はぁ」
年頃の女性がなにをしているんだ、とため息をつきながら彼女の体を揺らす。だが、微塵も起きる気配はない。
「起きろー起きないと給料なしだぞー」
耳元でそうつぶやくとアリシアは勢いよく飛び上がり、
「それは困るっす! ただ働きほど嫌なものなんてないっすから!」
「なんでお前がここにいるんだ?」
「いやぁ、スバルとエミリア様はなんかいい雰囲気だし、レムちゃんは忙しそうだし。ロズワール様とラムちゃんに至っては大人な雰囲気だしてて近寄れないし。ベアトリスちゃんはそもそも出会えない」
よよよ、と泣く真似をしながらアリシアは語る。つまるところ、
「……さみしかった、と」
「うぅ、アタシにはパートナーがいないんだぁ……ミミやヘータロー、ティビーのモフモフが懐かしい」
ベッドの上、正確にはシャオンの体の上で暴れるアリシア。
だがさすがに病み上がりだということを彼女も考えてか体に負担をかけるような騒ぎ方ではない。
無駄に気遣いができる彼女に苦笑しながらふと、窓の外を見ると完全に黒く染まっていた。
「……だいぶ寝ていたな」
「それほど疲れていたんすよ。スバル達もお見舞いに来ていたけど目覚めなかったから仕事に行っちゃったっす」
シャオンのひとりごとを拾い、アリシアは泣きまねをやめて応えてくれる。
「訊かないん、すか?」
「なにが」
「――アタシが鬼だったこと」
スバルたちが森でどのような戦いをしたのかは短い時間でだが耳にしている。
彼女は鬼族である、と。そして目の前にいる少女は差別をされるのか不安がっているのだろう。
この世界では鬼という存在がどのようなものかはシャオンは知らない。だが、彼女の不安から好ましい存在には思われていないようだ。だが、
「聞いてどうするよ? これからお前を鬼様と畏れ、崇めろと?」
「違うっす! アタシは! アタシはそんなつもりじゃ――」
「ほーい、ごっつんこ」
「あうっ!?」
叫ぶアリシアにスバルがレムにやったようにシャオンも頭突きをする。
それなりの痛みを伴ったが、落ち着かせることはできたようだ。
「俺の言い方も悪かったけど、話は最後まで聞け。お前、この屋敷の主知っているよな?」
「ロズワール、辺境伯っすよね」
「ああ、別名”亜人趣味”。それに本人はピエロメイクの変人だ」
この世界では彼女と彼の関わり合いは今までよりも薄い。
魔獣討伐の際と、シャオンが眠っている間に交流があっただろうが、その程度だ。だが、あの容貌を目にしたのだ。見てはいないが絶対に驚きを覚えたはずだ。
「ぶっちゃけた話、あんまお前が鬼だって言われても驚かない。それにあんまり言いたくないけどここには上級な精霊が二人、鬼族が二人、ピエロ一人に――ハーフエルフが一人いる」
指を数えながら屋敷のメンバーを確認していく。頭の中に浮かぶ彼らの姿はどれも個性的なメンバーであることを伝えてくる。
「普通の人なんて俺とスバルぐらいしかいない。でも、俺もスバルもだれも差別なんてしていない。安心しろ、なんて偉そうなことは言わない。でも、もう少し俺らを信用してほしい」
何も言えず、唖然となっているアリシアに指を突き付け、
「それに頼まれても扱いは変えない。お前に対しての扱いは一生そのままだ」
「思ってたんすけどあたしの扱いだけほかの人より低い気が……」
「この話はこれで終わり、次の話だ」
小さく文句を口にするアリシアをスルーし、この話にけりをつける。そんな話よりも未来の話をする必要がある。
「……これからが大変になる、お前はいいのか?」
「王選のこと、すね」
頷き、肯定を示す。
「お前の主であるアナスタシアという人はエミリア嬢の敵になる。つまりお前は別陣営に組するわけだ。さっきは扱いを変えないなんて言ったけど、どうするんだ?」
「うーん、お嬢がどうしても戻ってこいって全財産使うなら考えてもいいっすけど、そうじゃなければアタシは帰らないっすよ」
あっさりといいのけるアリシアに。今度は彼女ではなくシャオンが驚く番だったようだ。
彼女はもともとの主よりもたった数日の関わり合いであるこちらの陣営に力を貸すというのだから。
間抜けな表情をしているであろうシャオンに向かって小さく笑い、
「まだまだ未熟っすからね。今回の一件で改めて身に刻まれたっすよ」
「そう、だな。俺もまだまだだなって、実感させられた」
今回の騒動で、いったいいくら自分の力不足を感じたのだろう。
スバルの負傷、レムの単独行動、村の子供たちの誘拐。さらに、犯人の逃亡を許した。
考えるたびに、自らに力が、知恵があればと思ったのだ。そうすれば、今回の件ももっと楽に解決できたのだから。
「強くならなくちゃな」
「お供するっすよ、未熟者同士、気が合いそうだし」
アリシアはこちらにこぶしを掲げる。それに合わせシャオンもこぶしを掲げ、互いに軽くぶつけ合う。硬い手甲の感触が傷に響き、わずかに顔をゆがめそうになるがこらえる。
「さて、それじゃあスバルたちに目を覚ましたって伝えにいくっすよ」
「いい雰囲気だから邪魔したくないんじゃないのかよ」
「一人じゃ無理っすけど二人ならぶち壊せるっす!」
シャオンを置いて走っていく様子を見て、呆れ、肩を落とす。
「……一人で行かせるのも面白いかもな」
ついてきていると思ったシャオンの姿がなく、慌てる彼女の姿を想像しながら、笑みを浮かべシャオンは部屋の扉を閉めた。
今回は少し雑だったと思います。急いで書き上げましたから。
では幕間を挟んで、”三章”に入らせていただきます。
今までよりも一番複雑な章なので丁寧に書きますので更新は遅くなります。ご了承ください。