指を鳴らし、もう一度ロズワールは言葉を繰り返した。
「もう一度言うよ? ヒナヅキ・シャオン。君はエミリア様の騎士になる気はあるかい?」
「それは、どういった意味ですか?」
言葉の意味が分からず、失礼にあたるが、質問に質問で返してしまう。だが、相変わらずロズワールは気分を害された様子はなく、うっすらと笑みを浮かべている。
「そのままの意味だーぁとも。今回ばかりは何の含みもない、エミリア様を守る騎士になってほしい」
騎士、というのはやはりあの騎士だろうか。物語などに出てくる甲冑を着込み、剣を携え戦うあの騎士。少年にとってのあこがれのような存在。なおさら自分とはかけ離れたものだろう。
「君が先ほど見せた人智を外れたような能力、乾いたスポンジのようにどんどんと知識を吸収していくその才能。それに? エミリア様の話じゃあまだ何か隠しているようじゃーぁないか?」
隠しているものというのは恐らく不可視の手についてだろう。
盗品蔵でエミリアの前で使った不可視の手、その存在をあまり明かしたくはない。
あの能力は強力だ。中でも、不意打ちに関しては他の追随を許さないだろう。しかし、その存在を知られているのならば不意打ちの成功率は大幅に下がってしまう。なので、できればその詳細は隠していたいのだが……
その不安を察したのか、ロズワールは小さく笑う。
「別に、それを暴こうとはしないかーぁら、安心していいよ。それより、どうだい?」
「……ほかに、適任がいるでしょう」
シャオンの頭の中に、三白眼の少年。ナツキスバルの顔が思い浮かぶ。
ほかの人物ならまだしもエミリアの騎士となるには彼ほどの適任はいないだろう。ロズワールも同じ人物を想像したに違いない。
だが、彼はシャオンの意見を否定するように小さく首を横に振る。
「彼は、弱すぎる。」
鋭く、冷たい、だが覆ることのない事実をロズワールは口にする。
ナツキスバルは、確かに弱者だ。そこらにいるごろつきにすら無残にやられるだろう。物語に出てくる騎士ではなく、村人などのわき役のほうが似合っているかもしれない。
だが、
「――お断りします」
「理由を訊ねてもいいかい」
まるでシャオンがそう答えるのがわかっていたかのように、大して驚きを表には出さず、ロズワールは理由を問う。
「確かに騎士としての強さ、才能などは私のほうがあるかもしれません」
事実、スバルにはシャオンのように不可視の手や癒しの拳などの戦闘に役立つ特殊能力はなく、また魔法の才能もほとんどない。
かといって特別力が強いわけでも、頭がいいわけでもない。本人も認めている通りないない尽くしの人間と言える。百人に聞いても恐らくは全員が向いていないと答えるだろう。
――それでも、
「――それでも、彼女を思う気持ちは、スバルには到底及ばないと、自負しておりますので」
シャオンにはエミリアを、たった一人の女性を助けるために命を懸けるほどの勇気はない。
それはシャオンにとってスバルを尊敬する大きな理由の一つだ。
「なーぁるほど、よくわかった」
「ええ、それでは――」
納得したようなロズワールの言葉に会話を切り上げ、今度こそ湯船から出る。そんなシャオンに向けてロズワールは一言、
「もしかーぁして君は、スバル君に嫉妬している?」
「……失礼します」
その問いに振り返らず答え、わずかに足を速め入浴所から出ていく。
歩みの中、ロズワールの言葉が頭の中で反響する
『嫉妬している?』
嫉妬。それはシャオンが一番嫌う言葉だ。
嫉妬する側も、される側も誰の得にもならない。なぜ存在しているかもわからない感情だ。
「……ちっ」
今のシャオンは苛立ちが心の中で沸き起こり、感情を爆発させないように唇をかみしめることで精いっぱいだった。
――だから、不敵な笑みを浮かべながら浴場の外を眺めていた彼の姿に気づかなかった。
◇
「また、違う展開か」
「どうしました、シャオンくん」
首をかしげながらシャオンの独り言に反応するレム。それに対して、ただ何でもないと答える。実際は何でもないわけはないが。
一度目の世界ではラムが魔法についての勉強を手伝ってくれた。しかし、現在の世界では彼女の妹であるレムがその役割を担っている。
まったく同じ展開になるようにするには同じ行動をする。いい作戦だと思ったが、そこまで世界は簡単にはできていなかったようだ。
「いーや、世の中うまくいかないもんだなぁと」
「はぁ……? とにかくロズワール様から魔法の座学のお手伝いをするようにと”申しつけられまして”」
「ふーん、ラム嬢は? レム嬢よりもまぁ……暇だろ?」
流石になぜ前回とは違う動きをしているのかなどと聞くことはできないので遠まわしになぜラムが来ないかを聞き出す。すると彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、小さな声で答えた。
「姉さまは……スバルくんの勉強のお手伝いを」
この出来事も、一週目の世界では起きなかったことだ。
「……シャオンくんはスバルくんとどういうご関係で?」
「どういうって」
確かに、彼と自分はいったいどういう関係なのだろう。
改めて考えると彼と自分は関係が浅い。年齢も違い、歩んできた人生も違う。だが、赤の他人で済ませられるような関係ではないだろう。
「王都で偶然であった同郷同士?」
「それだけ、ですか?」
拍子抜けしたとでも言いたそうな表情にこちらとしても何も言えない。
「なぜ、王都に?」
「うーん、流れるままに?」
馬鹿正直に異世界から召喚された、などといえば妄言を言う不審者と思われるだろう。ただでさえレムは他の人よりもシャオンたち二人を疑っているきらいがある。
「貴方は――」
「レム嬢ってさ、スバルのこと苦手?」
続けて質問をしようとするレムを遮り、逆にこちらから問いかけた。
唐突なことに彼女は一瞬、驚いていたがすぐに答えた。
「そんなことは――いえ、そうですね」
「否定しないんだ」
「そこまで確信を持った目で見られたら隠し通すことはできませんから」
そんなつもりはなかったのだが、彼女にはそう見えていたらしい。ならば否定せずにそういうことにしておく。
「……嫌う理由を聞いても?」
「
「そ、そうなの?」
予想だにできなかった解答に驚きを隠せない。
臭い、というのは体臭と言う意味だろうか。だとしたら香水でもつけろとしか対策が思いつかないのだが。
しかし、
「そんなに臭いのか?」
「ええ。あんな魔女の臭いがする輩、姉様を傷つけたそんな存在がこの屋敷にいるだけでレムは、怒りでどうにかなってしまいそうです」
「レム嬢?」
笑いながらのシャオンの言葉にレムは憎悪が込められた声で答える。
「姉さまも、ほかの誰もが気づかなかったとしても! レムは、レムだけはその臭いに気付きます! 決して償われることのない、咎人の臭いに!あの日の惨劇を忘れはしません!」
彼女の口から告げられていく怨嗟の声。それはだんだんと強くなり、声だけでなく目も鋭くなっていく。
「ロズワール様から命じられ、仕方なく監視をするようになりましたが、一日目でもう辛いです。もう、この怒りを抑えられません」
「レム嬢、落ち着いて」
拳から血が出るほどの力で握りしめるレム。シャオンの言葉すら耳に入っていないようだ。
「姉さまをあんな目に合わせた、私の幸せを踏みつぶした輩がまたレムと姉さまの大事な居場所を壊そうとする! そんな輩を視界に入れているだけで吐き気がする!」
「レムっ!」
「っ!」
レムの肩を揺らし、無理やり意識を現実に戻す。すると申し訳なさそうに目を伏せる。
「……すいません、取り乱しました」
謝罪の言葉を口にするが部屋に流れる微妙な空気は変わらない。
「……お前がどれだけスバルを苦手としているかはわかったよ。でもな、できればだけどあいつをその”臭い”とやらだけで判断しないでやってくれ」
頭をかきながらのシャオンの言葉にレムの眉がピクリと動く。
「別に人を嫌うのをやめろとは言わない、人には苦手な奴が何人かはいるだろうからな。でも俺とスバルは――まだ君たちとあって一日しかたっていない。それなのに、内面を知らずに嫌うのはそう、もったいなくないか?」
「もったい、ない?」
「そう。だって外観からじゃわからない魅力があるかもしれないんだぞ? それを知らないで敵意を向けてかかるなんて損だとおもうけど?」
「そう、なんでしょうか?」
「そうそう。ロズワールさんだって見た目はあんなんだけどすごく頭がいいし、鋭い」
「確かに……そうですね」
先ほどまでの表情は嘘のように笑みを浮かべるレム。部屋の中の雰囲気もだいぶましになったようだ。
「ちなみに、俺からはする? その……魔女の臭い」
「いえ、まったく」
それもそうだ。もしもしていたら彼女がここでそんな話をすることもないだろう。
「すみません、シャオンくん。勉強の時間なのに変な質問をしてしまって」
「いや、大丈夫」
「その代わり今日はびっしりとお付き合いします」
やる気が満ちた瞳で数冊の分厚い書物をシャオンの前に重ねていく。下手をすればこれらを終えるころには夜が明けてしまうかもしれない量だ。
「お、お手柔らかに」
「お断りします」
にっこりとした笑みはまるで、悪魔のようだとシャオンは感じた。
◇
それからは予定通りに進まなかった一日を除いて、順調に同じ経路をたどっていた。
相変わらず仕事の内容は増していたが、それ以外にはイレギュラーが発生していない。スバルの方も初日以外は何事もなく進んでいたようだ。
そしてスバル自身もこの世界の言語を必死に覚えようと努力しているらしい。まだまだ時間はかかりそうだが。
「そして結局また出会うのか」
「ぐわあああ、やーらーれーたー」
苦笑いを浮かべながら目の前で行われている寸劇を眺めている。劇の内容は騎士が悪い敵を倒すといった王道物のようだ。
「ここにわるものはたおれた! せかいはへいわになったのだ!」
現在シャオンはラムと共に買い出しで村に訪れていた。勿論、前回同様アリシアに出会うためだ。しかし、ラムが離れていってから彼女を探していると子供たちとの演劇に参加しているのを発見したのだ。
「うー私がやられても第二第三の私が――」
主演は村の子供。お決まりの台詞を口にしながら倒れていく悪役を演じるのは金髪の少女、アリシアだ。
劇も終盤に差し掛かり、悪者にとどめを刺した勇者が剣を掲げ勝利を宣言している場面だ。
「見てた? ぺトラ!」
少年は自身の活躍を想い人に見てもらいたかったようだが、
「はい、花冠の出来上がりだよ」
「きれい……」
肝心の姫様は劇には見向きもせず小さい子に花冠の作り方を教えているだ、あの恋が実るのは難しいだろう。
そんな項垂れる少年にアリシアは近づき肩を一叩きする。
「あー、少年。強く生きるっす」
「うぅ、アリィつらいよー」
こちらの存在に気が付くまではまだ時間がかかりそうなのでそんなやりとりを眺めながら、シャオンは昨夜のやり取りを思い出していた。
「レムは、監視と言っていたな……」
やはり、自分たちはロズワールに疑われているのだろう。
そして、監視役はレムだけでなくラムもだろう。
別に怪しむのは予想通りなので気にはしない。だが、もしこちらを疑っているならば一つ気になった事がある。それはロズワールがシャオンを騎士になるよう勧めたことだ。
シャオンとスバルは怪しい人物。そんな人間にいずれ王になるかもしれない者の騎士になるよう誘うだろうか?
「考えても仕方ない、か」
いつまで考えても答えは見つからず堂々巡りだ。なので現在するべきことを整理することにする。
まずは、アリシアを雇わせることだ。
正直、彼女を屋敷に招き入れるかどうか悩んだ。情抜きで考えれば彼女の怪しさは一番であり、彼女を引きいれることでシャオンに対する警戒も増すだろう。考えれば考えるほどこちらにとってはデメリットしか出ない。
だが、今回の世界では出来るだけ前回の再現をすると決めたのだ。主要人物の不足など、許してはいけない。
前回と同じようにアリシアをロズワールに出会わせ、三度目の報酬を条件に彼女を屋敷で雇わせ、そして、同じ部屋に泊まらせる。ただし、そこで眠りにつかずスバルの部屋に向かう。
これが今日のシャオンが果たすべき目標だ。
「あのー、そろそろいいいっすか?」
「はい?」
考え事をしていたからかいつの間にか近くにアリシアが来ていたことに気づかなかった
「にいちゃんへんなかおしてかんがえてたー」
「うさんくさいー」
「くさいー」
「縮めてそこだけ言うのはやめてくれないかな? 意味大分変わってきちゃうから」
一緒についてきただろう子供たちの笑いながらの罵声を軽くたしなめながら、アリシアに顔を向ける。
「それで、話って?」
「実は――あたしを雇ってほしいっす!」
息を吸い込んで大声で、そう前回と同じ宣言をした。
◇
「だめだーぁね」
ロズワールがいる執務室にその部屋の持ち主である彼の声が響く。
「え?」
「聞こえなかったかぁい。私は彼女の雇用に反対すると言ったんだ」
止まってしまった思考を再び回転させる。特別に変な行動はとらなかったはずだ。しかし彼の返答はアリシアの事情を聞いても揺るぎのない否定の姿勢のままだ。
「……風呂での一件、断ったからですか?」
しかしロズワールは首を振る。
「違うよ。ただ、彼女を迎え入れるメリットが少なすぎるからねぇ」
前回はそんなことはなかったはずだ。またイレギュラーか。
「三つ目の報酬として――」
「それとこれと話はべつだーぁあよ、あれは君に対してのものだ。君以外の願いを聞き入れることに使われるならそもそもの権利をなかったことにさせてもらおーぅか」
「でも前回の――」
「前回?」
「――なんでもない、です」
焦りすぎて、つい口が滑ってしまった。彼らは死に戻りについて知らないのだ。今そのことを説明しても何の意味もない。
「シャオン、いいっすよ」
不穏な雰囲気を察したのか肩をたたき、すまなそうに笑うアリシア。
「話だけでも聞いていただき、ありがとうございました。ロズワール辺境伯」
「雇うことはできないが、一晩だけならこの屋敷に泊まってもかまわない。もう日は落ちてきている」
「ロズワール様、それは流石に危険では?」
ロズワールの提案にラムが意見する。だが、その意見を否定するように大きく扉が開かれ、
「いいんじゃないか?」
恐らく話を外で聞いていたであろうスバルが親指を立てながら入室してきた。
「……バルス、入室を許可した覚えはないわ。出ていきなさい」
「細かいことは気にすんなよラムちー俺とお前の仲だろ?」
睨みを聞かせるラムをスバルはへらへらとした笑みで受け流す。
「構わないよ、別に聞かれちゃ不味い話ではなかったしね」
「さっすが話がわかるぜ、ロズっち」
主から言われてしまっては何も言えず引き下がるラム。
「部屋はどうするんだい? 客間は開いているけども」
「そこで提案があります。シャオンとアリシアを同じ部屋泊めればいい」
「ほぉ?その心は?」
「別に俺が恋のキューピットとなってこいつらの仲を取り持つなんてことはしないし、できそうにない。残念ながら俺の恋愛経験を参考にしてしまうと大変なことになるし、むしろ現在は俺の方がキューピット募集中」
別に彼女に対してそんな感情は抱いていないのだが、今は何も言わずに成り行きを見守ることにする。
「バルスの恋愛経験なんて当てにしたところで痛い目を見るのは火を見るよりも明らかなのはわかるわ」
「そこ、おだまりっ! あー、こいつの実力は俺だけじゃなく、エミリアも、あのパックも保証する。なんたってあの腸狩りを相手に生き残っただけじゃなく返り討ちにしたんだからな。つまりは、シャオンが彼女の見張り役に適しているんじゃないかって話」
その言葉にロズワールは数秒考え、目を開いた。
「いいだーぁろう。では、部屋に案内して差し上げなさい。シャオンくん」
そうして予定とだいぶ違ってしまったがタイムリミットであろう五日目に前回の世界とほぼ同じ条件で迎えることができたのだった。
◇
一度目と同じようにシャオンの部屋にアリシアを入れ、のんびりと話をする。変化があったことと言えば彼女の表情がわずかに硬いのと、服装が給仕服ではないことだけだろうか。
「これからどうするんだ?」
「とりあえずは勘に任せて進んでみるっす」
「食糧、もらえるように伝えておくよ」
「ああ、それは助かるっす」
彼女は軽々しく言っているがそれはとても大変なことだ。しかし自分ができることはもうほとんどなく、できたとしても彼女の旅の手助けぐらいだろう。
「さて、そろそろ眠るっすか。シャオンも明日早いんすよね?」
「ん? まぁ」
「だったらもう床に就くことにするっす! あ、悪いけどベットは借りるっすよ」
「抜け目ねぇな。ほんとに」
彼女のその性格に笑っていると、異変を感じた。
「――なんだ、このにおい」
「え? 臭うっすか?」
「いや、お前じゃない。この臭いは――」
くんくんと自身の体に鼻を押し付けているアリシア。
だがこの臭いは体臭ではない。錆臭い、あの盗品蔵で嫌になるほど嗅いだあの臭い――血の臭いだ。
それにかすかなアンモニア臭に、鼻の曲がりそうな獣臭さが混じった臭いがシャオンの鼻腔を通り抜け肌が粟立つ。
恐らく、臭いの発生場所は……二階の、スバルの部屋辺りだろうか?
幸いにもここからはそこまで離れている距離ではなかったはずだ。今から走って向かえば数分とかからずにたどり着くだろう。
引き出しを開け、とあるものを取り出す。
「なんすか? それ。手甲?」
「ロズワールさんのおさがりだってよ……早速使うことになるなんてな」
初日に魔法以外にも鍛えると言われてから渡されたものだ。かなり年季が入っているらしいが手入れは怠っていないようで欠けや罅などは入っていない。
それを両手に装着し部屋の外に出ようとする。
そこで気づく、
「なんで、こんなにはっきりとわかるんだ?」
シャオンは特別嗅覚が優れている訳ではない。
いや、そもそもここまでわかることができるなど人間業ではない。まるで、獣の鼻にでもなったようだ。
「ちょっ! 大丈夫っすか!?」
「え?」
アリシアの焦る声と共に鼻から熱い液体が流れ落ちてきたのを感じる。慌てて手で押さえるとそこには赤い液体が付着していた。
恐らく急に刺激臭を嗅いだから粘膜が溶けたのだろう。わずかに感じる痛みに顔をしかめながらも鼻血を拭う
そして一つ考えが浮かぶ。――これは、能力ではないか?
不可視の手や癒しの拳のように異世界に来てシャオンが使えるようになった能力。それとこの鋭い嗅覚はなにか関係しているのかもしれない。そしてこの鼻血は、副作用といったところだろうか。
なぜ自分にこのような能力が宿っているのかはわからない。だが、一つ仮説が立てられるかもしれない、今はそれどころではないが。
「……アリシア、ついてきてくれ」
「――了解っす」
シャオンの表情から何かただ事ではないことが起きているのだと判断したのかアリシアは小声で応じる。
音を立てない様に静かに扉を開く。頭をわずかに出して外の様子を伺うが、いままでと何ら変わりのない、静かな廊下だ。特別荒らされた形跡はなく、何者かの気配を感じることもない。体を完全に廊下に出してもそれは変わらなかった。
だが確かに感じる異臭が、なにかが起こっていることをシャオンに知らしめていた。
「なにもないっすよ?」
「……気のせいだったか? でも確かに異臭が――」
警戒をしながら周囲を見回すがやはり、人影も物音すらしない。
再び臭いの出所を確かめようと鼻を動かすと――獣の臭いではなく”血”のにおいが頭上から漂ってくるのを感じた。
「アリシア! よけろ!」
シャオンの言葉にアリシアは反射的に飛びのく。
直後、先ほどまで彼女がいた位置に巨体が押しつぶすかのように飛び降りてきた。
「何事っすか!?」
彼女いた場所には鋭い爪痕が残っており、敷いてある絨毯が裂かれ床が見えていた。
「なんだよ、こいつ」
目の前に立つ魔獣は獅子のような猫科の猛獣の頭に、胴体は馬か山羊のような細くしなやかなシルエットをしていた。
長い尾はうねっており、その図体は広い通路を塞ぐ程馬鹿でかく、アリシアとシャオンとの前に壁のように立ちふさがる。
そして目の前の獣は一撃で仕留められなかったことに怒りを感じているのかその鋭い瞳でこちらをにらみつけていた。
「魔獣っすね……しかも」
できるだけ獣から視線を外さない様にしながら、アリシアは首をわずかに動かし背後を見る。
「お仲間さんも、腹を空かせているらしいっす」
アリシアの視線の先には数匹の別種類の魔獣が歩み寄ってきていた。飛びかかってきた獣よりは数段小さいが、同じように角が生えた狼にも似た獣だ。
「ロズワールさんたちは気づいているのか?」
「わかんないっす、魔獣には気配を消して動ける奴らも多いっすから。でも気づいていないわけはないと思いたいっすね」
そもそも、この屋敷には実力者が多い。気づかないということはないだろう。
あえて無視しているのか、はたまた何か細工があるのか。
「考えるのは後っすよ!」
アリシアの叱咤に現在の状況を対処するほうが先だと気づく。
「そうだな。アリシア、そっちは一人で戦えるか?」
「そっちこそ大丈夫なんすか?」
気遣うような声にアリシアは不敵な笑みと挑発じみた返答で答える。それに対抗してシャオンも不敵に笑う。
「これでも修羅場はくぐってきたよ」
文字通り、三度も死んだ。などと口にはしなかったがその言葉が嘘ではないとわかったのか彼女は「頼もしいっすね」と一言。
「そうっすか、なら――」
痺れを切らしたのか、一匹の獣がアリシアめがけ飛びかかってきた。そのまま少女の喉笛を噛み切ろうと飛びかかる。しかし、彼女は、
「背中は任せたっす」
飛びかかってきた獣を迎え撃つように、拳を振り抜いた。
爆発音にも似たような轟音と共に、その拳は獣の鼻頭を芯で捕らえ勢いを殺さずに貫く。そしてあまりの衝撃に獣の首は折れ曲がり、数メートル先まで吹き飛んでそのまま闇の中に消えていった。
華奢な体からは想像できないその豪快さに、
「……女の子らしくしろよ」
「親父と同じこと言わないでくださいっす! うりゃ!」
引き気味に注意すると彼女は拗ねたようにぼやき、そしてまた別の獣に拳をたたきつけていた。
「さて」
彼女から視線を戻し、前を向くとシャオンが担当するであろう巨体の獣は舌なめずりをしながら歩み寄ってきていた。圧倒されそうな大きさから改めて異世界の獣なのだと実感させられる。だが、
「こっちもやりますか」
臆するころはなく拳を構え、シャオンは獣を迎え撃ち始めた。
感想やアドバイスがあったらご連絡を。
――憤怒、レベル3
――怠惰、レベル2
――暴食、レベル1