だって、本編鬱になりそうなんだもん
ロズワール邸の調理場。
普段はレムが一人で食事の準備をしているが今日だけは違っていた。
「ねぇレム。これで、いいのかしら」
「はい、そのままの温度で保ってください。決して加熱したり、冷やしたりしないでくださいね」
珍しく念を押しながら、エミリアに注意をするレム。
彼女の背後には氷塊が突き刺さっているチョコや、氷山が生じているチョコの姿があった。通算、これで作り直すのは三回目である。
「うん頑張る! でもチョコづくりってすごーくむずかしいのね。ちょっと意外かも」
「そうですね。でもその分やりがいがありますし、完成した時の達成感も素晴らしいものになると思いますよ」
「もうコツもつかめたし次は大丈夫!」
数多の犠牲を産み出した人物の信用ならない言葉にもレムは笑顔で応援をする。
「それにしても、スバルの故郷って愛の誓い日にお世話になった人にチョコを贈るなんてとってもふしぎな風習があるのね」
「はい、レムも初めて耳にしました。とってもいい風習だと思います」
スバルが持ち上げられているが、実際は彼が愛の誓い日、別名バレンタインにチョコレートをもらったことがないことに駄々をこねただけなのだが。
そんなことは知らず必死にチョコを作り続けているエミリアとレムだった。
対して、もう一組のチョコ作成組に入っているベアトリスは、その長い金髪をピョコピョコと跳ねさせて高所に置かれているパウダーを取ろうと奮闘していた。
「これっすか?」
「……全く、ベティーがなんでこんなことをしなくちゃならないのかしら」
「ベアトリスちゃんもパックにチョコ渡したいっていったんじゃないっすか」
ぶつくさと文句を言い続けるベアトリスの横で、サポートをするアリシア。
先のようにベアトリスの身長では届かないものなどをとってあげたりと、まるで仲のいい姉妹のようにも見える。
ただ実年齢を考えるとベアトリスのほうが姉ということになるが、そこは言わないお約束ということにする。
「ふん、お前は誰に渡すのかしら」
「うーん、取り合えず全員に渡そうかと思ったけど、流石にそこまで作る余裕はなさそうなんで子供たちとシャオンにいつもの感謝を込めてって、感じっすかね」
アリシアは照れを隠すように少し強めにボウルの中身をかき混ぜる。
中に入っている黒い液体が飛びそうになるのを防ぎながら、ベアトリスは呆れたように呟く。
「感謝を込めるというよりもただ、力をこめているという方が正しいかしら」
鬼の力でかき混ぜられたチョコが、その威力に耐えきれずにボウルから飛び出す。そして飛び出た先には――
「あ」
「ふぎゃー! なにするかしらー!」
急な攻撃にベアトリスは避けることができず、その結果、ベアトリスを黒色に染めてしまい二人は再度作り直すことになってしまった。
◻
調理場の外で聞き耳を立てている男が、いや、花園に入ろうとする一人の
目つきは悪く、足は短くそして、鼻息は荒い。
そんな不審者を通すわけにはいかないと立ちふさがるのは猫の門番だ。
「だめだよースバル。ボクはリアに頼まれて」
「そこを頼むよ! パック様! 俺は、俺がいかなくちゃいけないんだ!」
これが別のタイミングで放たれた台詞だったらとてもかっこよかったのだが、ただ覗きに行こうとする男の台詞なのだ、かっこよくあってたまるか。
そんなやり取りを見ているとスバルが首をグリン、という音を鳴らしながらこちらへ向ける。
その凶悪な面に、珍しくシャオンは驚き、数歩後ろに下がる。
「おいシャオン! お前からもなんか言ってくれよ!」
「スバル、あまりパックを困らせるなよ」
「まさかのそっち側!」
逆に味方になるとでも思ったのだろうか。
「第一覗いたところでなにかあるのか?」
「この先にエプロン姿のエミリアたんがいるって想像しただけで……うぉおおお! 高まるぜ!」
背中に炎を幻視させるほどのやる気を出す彼だったが、要は思い人が調理をしている姿を見たいという邪な思いによるものだ。怒るどころかみじめすぎて涙が出てしまいそうになる。
「はぁ、チョコの一つや二つでなにをそんなに――」
「シャットアップ! それ以上口を開くな殺すぞ!」
耳を立てていた扉から一瞬でシャオンの下に近寄り、チョップを繰り出すスバル。流石にあたることはなかったが、思わぬ攻撃に驚く。
「なにすんだよ!」
「おまえ、今までにチョコをもらったことは……?」
抗議の声をものともせずにスバルはシャオンに問い詰める。
その目は血走り、今にも殺しを行ってしまいそうなほどの危うさを宿していた。しかしシャオンは彼を思ってあえて嘘を吐かずに正直に答えた。
「……まぁ誰かからは必ず一個はもらっていたな。親を除いて」
「け、決闘だっ!」
勢いよく人差し指をこちらに向けるスバル。
その瞳には軽い嫉妬と、羨望。そしてよくわからないがまるで信じていた仲間に裏切られたような悲哀さが入り混じっていた。
それを見てシャオンは口では彼を説得できないと悟り、話に乗ることにした。
「ほー、俺と戦うと? やめとけよ。怪我をしたらせっかくのチョコを食べられなくなるぜ?」
「上等だ、その胡散臭い顔をもっと歪めてやるよ」
「なら俺はお前の鋭い目つきをさらに尖らしてやるよ」
売り言葉に買い言葉とはいかないがシャオンもカチンときたのかやる気を出してスバルとの決闘に臨む。
「表に出ろっ! いや、俺が先に出るからお前は少し遅れてから来い!」
「先に行って罠でも仕掛ける気だな?」
「ばっきゃろう! そんなことすると思ってんのか!」
シャオンの言葉を否定しないあたりあながち予想は外れていないのかもしれない。
「ごめんねーシャオン。スバルの気を引かせる役目を任せちゃって」
「別に大丈夫だよ。それより、パックってチョコ大丈夫なの?」
「ボクは猫に見えるけどこれでも精霊だからね。好き嫌いはないよ」
好き嫌いという意味で聞いた訳じゃなくて、種族的に猫がチョコを食べて大丈夫なのかという問題なのだが、そもそもマヨネーズなども口にしているのだから大丈夫なのだろう。
「それじゃ、頃合いを見てボクが呼びに行くからそれまでスバルの相手を頼むよ?」
「はいはーい」
気の抜けた返事を残し、スバルがいるだろう中庭に足を運んでいった。
◻
夕食後、スバルは自身の部屋でレムから治療魔法をかけてもらっていた。
「もう、スバルくん無茶しちゃだめですよ。魔獣騒ぎの時の傷だって癒えていないんですから」
「まさか、用意していたトラップをすべて躱されるどころか利用されるとは思わなかった」
急仕立てではあったがそれなりの罠を設置することができ、勝利を確信していたのだがそれすらもシャオンは見破り逆にスバルを誘導して罠に陥れたのだ。
自ら手を出さないあたり彼の意地の悪さが感じられる。
「はい、治療は終わりましたよ」
自らを棚に上げたスバルにレムが治療の終了を告げた。
確かめるように何度か手の平を開閉する確かに彼女の言う通り無事に治癒は終わったようだ。
「おう、サンキューレム。……あの、なんで離れないの?」
お礼を言い、ベットから立とうとしたがレムはスバルを離さない様に力強い抱擁をした。
思わず理由を聞いてみるが彼女は、背中に埋めていた顔を上げ、
「ダメ、ですか?」
上目遣いで、潤んだ瞳をこちらに向けたのだ。
これにはエミリア一筋であるスバルも思わずクラっと来たようで目線を逸らし、照れた頬を彼女に見せない様に努めた。
「スバルくん」
「な、なんだよ」
「はい、チョコレートです。いつも頑張っているスバルくんのために一生懸命作らせていただきました」
スバルの手には丁寧にラッピングされた小箱。そして彼女の言う通りならば中にはチョコレートが入っているのだろう。
母親以外に始めて貰うバレンタインでの、しかも手作りのものを渡されスバルは、
「れむぅ……ありがとぉ」
思わず涙を流してしまう。
そんなスバルを見てもレムは驚きもせずうれしそうな表情で話しかける。
「お礼は別にいりませんよ? ただスバルくんに喜んでいただければレムは幸せです。でも、どうしてもお礼をしたいなら頭を撫でてもいいですよ?」
遠まわしに褒美をせがむ彼女に、涙をふき取りスバルは、
「まったく、愛い奴め」
犬のように見えない尻尾を振る彼女の頭を、優しく、感謝の気持ちを込めて撫でたのだった。
◻
同時刻。禁書庫にて精霊同士が戯れていた。
「にーちゃ、ハッピーバレンタイン! なのよ」
「わーい、ありがとうベティー」
パックが貰ったのは小さなチョコレートだ。
だが、彼の背丈を考慮すればそれでも十分大きいものだろう。
食べきれるか心配に思っているとふと、パックは自分に渡されたもの以外に同じような大きさの、数個の箱を視界にとらえる。
「あれ? この包みは? もしかしてスバル達の分?」
「……ふん、あまり物かしら。ベティーが、気まぐれで作ったものなのよ」
口ではそう言いながらもしっかりと包装された箱を見て、素直じゃない妹分に呆れてしまう。
「はいあーん、なのよ」
「あーん」
きっと口に出してしまったら怒られるだろうけど、願いが叶うならばパック意外にも彼女が懐くことを望もう。
パックは彼女が作った少し苦めのチョコを口にしながらそう祈ったのだった。
◻
「いるっすか?」
「いないっす」
シャオンは外から聞こえてきた声に流れるように答える。すると扉が勢いよく開かれて、
「チョコを食らえっす!」
「食べ物で遊ぶな」
奇襲を見事にかわし、シャオンはアリシアの額にデコピンを喰らわせる。勿論、投げつけられたチョコレートは地面に落ちる前に片手で回収する。
「うぅ、痛い」
「珍しいな、お前が食べ物で遊ぶなんて」
基本的には礼儀正しく、マナーもしっかりとしている彼女がチョコを投げつけるとはらしくない行動だ。
額を撫でる彼女の前で包装を丁寧に剥がし、チョコレートを一つとりだす。
ハートをかたどったそれは市販されているものとなんら変わりがないようなほどのでき前だった。
それを見て味にも期待しながら口に入れるとチョコ独特の甘さが口の中に広がった。
「うん、美味いよ」
「そ、そうっすか! あ、あー。お、お返しは三倍返しで頼むっすよ‼」
シャオンの褒め言葉と、笑顔にアリシアはしどろもどろになりながらも入ってきた時と同等の速さで部屋から飛び出す。
部屋に出ても顔に残る熱は抜けることはなく、彼女が今夜眠りにつくのは遅くなりそうだった。
ただ、少女がその気持ちに気付くまでには、もう少し時間がかかりそうだった。
◻
スバルがレムのチョコを食べ終え、日課のイ文字の勉強をしている最中に、扉をノックされた。
集中していた際のノックにわずかにイラつきながらも誰かを尋ねる。すると、扉の外から小さな声が聞こえてきた。
「スバル、今いい?」
「え、ええええエミリアたんっ!? どうぞどうぞ! 今でも過去でも未来でも!」
意中の相手からの唐突な来訪に驚きを隠せず、よくわからない言葉で招き入れる。先ほどまであったわずかな苛立ちは初めからなかったように消えていた。
部屋に入ってきたエミリアの姿は寝間着に近いものだった。
それだけでもスバルには目の保養になるのだが、彼の関心はわずかに見える彼女が背後に持つ小さな箱に注がれていた。
エミリアもそれを見て、隠し切れないと思ったのか素直に前に出す。
「ほんとは夜中に甘いものを食べるのはよくないんだけど」
「あの、多かったり、おいしくなかったらのこしていいからねっ!」
「大丈夫、大丈夫。君が作るものがまずいわけないじゃん!」
笑顔でスバルはエミリアのチョコを口にする。
焦げが残っていたりと、味は満点を出すことはできなかったが、彼女の手に残っていた努力の傷を見てそれすら気にならなかった。
◻
月明かりが照らす執務室。
その部屋にも、来訪者が現れた。
「失礼します」
「おやぁ? 今夜はいつもよりも早いねぇ。まさか、私にチョコレートでもくれるのかーぁい?」
入室してきたラムにくつくつと笑いながらロズワールは冗談を飛ばす。
しかし、彼女はいつものように注意をすることをせず、一つの小箱をこちらに手渡した。
「流石です、ロズワール様」
ラムがロズワールに手渡したもの。それはチョコレートだった。
「……これはこれは、驚いた。冗談だったのにまさか君が私にくれるとは」
「ラムが渡すとしたらロズワール様しかおりません」
「うれしいこと言ってくれるじゃーぁないの。これはスバルくんに感謝、かなぁ」
珍しい彼女からの贈り物に、思わず笑みがこぼれてしまう。ピエロのメイクをしていなければ思わず素が出てしまいそうなほどの笑みを。
スバルが考える催し物は驚くものばかりだが、今日ほど驚いたことはなかっただろう。そして、それはロズワールだけでなく屋敷の面々にもいい効果を与えたようだった、もちろん目の前にいる彼女にも。
「ええ。たまには、バルスも面白いことを考えたものだ、と思いました。ほんの少し、僅か程度ですが」
「そうだーぁね、チョコのお礼とは言わないけど今日はいつもよりも念入りに、供給をしよーぅか」
「――あ」
そっと、彼女を抱き寄せ髪を撫でる。
彼女はくすぐったそうな声を出し、そして――いつものように逢瀬が始まった。