「なにを見てるんだー、おまえー?」
「……は?」
「じろじろ見てるんじゃーないぞー」
そう言って足をばたつかせ、スバルの前で一人の少女が不満そうに頬を膨らませている。
濃い緑髪を肩口で揃えて、リンゴのように赤い頬をした少女だ。
褐色の肌に白のワンピース、髪に留めた青い花を模した髪留めに首元に着けられている赤い首飾りが特徴的だった。
どこをどう見ても、無害で無邪気な少女──それが今、エキドナのいた場所に座ってスバルの方をジッと見つめていた。
「あ、え、お? ちょ、待って。え、エキドナは……? あいつ、どこ行った?」
「ドナ? ドナならどっかいったけどー、おまえはなんなんだよー」
「お、俺? 俺の名前はナツキ・スバル。エキドナとちょっとお茶というなの今後の進路について……」
「へー。じゃー、おまえはバルなー」
敵意、というには可愛らしすぎるものを向けられながら、状況についていけないながらもスバルは素直に自己紹介。と、それを受けた少女はにへらと嬉しそうに笑い、こんな状況でなのにスバルの胸をほっこりとさせてくれた。
状況は完全に混沌としているが、少なくとも目の前の少女は魔女ではなく、悪人でもないはずだ。ならばエキドナのほうで何らかの予想外の出来事があったのかもしれない。
であれば今できることを、落ち着いて考えよう。
「よし、とにかくまずは状況整理という名の作戦会議だ、まずはお嬢ちゃんの名前を……」
「ところでバルさー、おまえってアクニンなのかー?」
「聞かせてもらうところからって……なに?」
手を差し出し、歯を光らせようとしたところでスバルの眉が寄る。
目の前で童女は地面に届かない足を揺らし、椅子を前後にがたがたさせながら「だーかーらー」と子どもらしい短気さで唇を尖らせて、
「アクニンなのか、そうじゃないのかーって聞いてるんだよー。どーなのー?」
「人にとって悪や善は変わるって……話じゃ分かんねーよな? とりあえず、不審者ではないんだが」
スバルはこちらへ怪しげな視線を向ける少女に対して弁明をするがかえってそれが印象を悪くしているように感じる。
「どうしたもんかな……」
「んんー、聞いてもわかんないなー」
首を傾げるスバルに、さらに深い角度で首を傾げる童女。
一切理解できない状況にスバルはここの主であるエキドナを呼ぼうとした。
だから、少女に対して意識を外し、彼女がこちらへ手を伸ばしていることに気付くことはできなかった。
そして、”それ”が起きるよりも早く、
「ふぅ、テュフォン。いまは、はぁ、時間が、ふぅ、おしいさね。アクニンかどうかの判断は、はぁ、またべつにしてほしい、ふぅ。さね」
気だるげな声が横から届き、体をびくつかせた。
声の方向にいたのはテュフォンと呼ばれた少女とは正反対に成熟した美女だった。
赤紫の髪を尋常でなく伸ばしており、病的に青白い肌と唇。伏せた目は眠たげというより生きる気力に欠けているかのように細められており、雰囲気にのまれるならばこちらの気分が暗くなりそうだ。
「いつのまに……」
スバルは何もしていないし、何もされていない。
何も理解できないのに進んでいくこの意味不明な状況にスバルは驚愕に喉を呻かせ、警戒を怠らないようにするのが精いっぱいだった。
その様子を見て、赤紫の美女は不満げに息を大きく吐く。
「自分が呼んだのに、ふぅ、ずいぶんな態度なもんだ」
「呼んだ?」
「――エキドナに頼んだんだろう?」
目の前の女性は億劫そうにスバルへ語る。
その言葉にスバルは、息をのむ。
「ってことは、やっぱりアンタらが……魔女」
「そうだぞーテュフォンは『傲慢の魔女』だぞー」
「はぁ、あたしはセクメト。ふぅ、面倒だけど『怠惰の魔女』とか呼ばれてるとか呼ばれてないとか。はぁ、呼んでなんて頼んでないってのに迷惑なもんさね。ふぅ、喋るのだるいから黙ってていいかい?」
”傲慢”と”怠惰”の魔女。
テュフォンに関しては傲慢というよりも幼いという印象しかない。これで彼女が傲慢というならばスバルのほうがその傲慢を語る方がしっくりくるほどに。
セクメトに関しては……まさにその名の通り”怠惰”には違いない。
というよりもここ最近”怠惰”を名乗った男とは正反対で、ありえないほどに合っている。
声もないスバルを見下ろし、彼女はなおもアンニュイに吐息をこぼして、
「それで、ふぅ。気が狂っていないのであれば、はぁ。アタシらと話したいって、ふぅ。いうのは、大層な理由が、あるんじゃないかい?」
「狂ってるって、自分でいうのか、それ」
だが、この世界で魔女と対話するという行動をするにはそれこそ狂人か、藁にも縋る願いがあるのだろう。もちろん、自分は後者だが。
「お前らは、雛月沙音……あー、シャオンと仲が良かったって、エキドナの奴から聞いている、だから――シャオンについて、教えてくれ。あんたたちが知っている過去のアイツのことを」
400年前にいた魔女たち、そしてそれとともに活動していたシャオン。
自分が知りえない彼の行いを、共に生きていた彼女たちならば知っているのだろう。
その行いを、罪を、彼が抱えている苦悩を。
果たして、自分は飲み込めるのだろうか、真実を知って、彼を今までの彼としてみることができるのだろうか。
その覚悟をできないまま、追われるようにスバルは目の前にいる彼女たちに問いただした。
そして、テュフォンはその小さな口を開き、
「んー、あにはあにだぞー?」
「あに?」
「うん」
「あー、それはどういう」
首をかしげながら出てきた単語につながりを見つけられず僅かに思考が止まる。
あに、兄、魔女と兄弟?
疑問で埋め浮くされる中、
「ふぅ、言葉の通りさ」
セクメトが怠そうに、テュフォンの言葉を補足する。
「アタシと、はぁ、テュフォンは──家族さ、血の繋がりはないけど」
◇
「つまり、そこのテュフォンはシャオンの妹で、セクメトさん、だっけ? アンタは母親代わりをやっていたと」
「そうだぞー! テュフォンのあにはあにで、ははは、あにのははでもあるんだぞー」
「ややこしい! ……てか、シャオンってシャロとかカロンの生みの親だったりもしたよな、もしかして家系図かなり複雑ちゃんか? あいつ」
シャオンはもともと自分のことに対して多くは語ることはなかったが、それは彼自身が知らなかったからだろう。
だが、知っていてもここまで複雑かつ魔女と血縁であるという事実は話してはくれなかっただろう。
「あの子たちに関しては、ふぅ。また少し違う事情が、はぁ、あるんだけどね」
「ええい! 伏線ばかり重ねるな!」
頭を押さえて天を仰ぐスバルの様子にセクメトは大きく息を吐き呆れ、テュフォンは何が楽しいのか笑顔で手をたたいてはしゃいでいる。
一体シャオンにはどれほど秘密があるのか。というよりもスバルの脳内処理を超えない範囲で収まる範囲にあるのだろうか?
「あいつがなにをしていたか教えてくれないか、なんでもいい……あいにくと俺は歴史の勉強が苦手だったもんで、過去に何があったかとか知らねぇんだ」
そうスバルが頭を下げるとテュフォンは、首をかしげながらも何かを考えている様で、唸り声をあげている。
確かにアバウトな質問ではあるが、こちらとしても知っていることが少ないのだ、許してほしい。唯一知っているのが転生先として雛月沙音を生み出した奴ということだ。
正直スバルとしては勝手に生み出して、放置したクソ野郎の印象しかない、ないのだがあくまでもその印象はかろうじて得た情報を繋げて生み出されたもの。実際には真反対の人物かもしれないのだ。
そして、思い出したかのように手を叩き、爛々とした声でスバルに応えた。
「んー、あにはよく”せんてい”しにでかけていたぞー?」
「せんてい……選定? 何か仕分けしていたってことか?」
「はぁ、その認識で、いいさね」
つたないテュフォンの言葉を補足するかのようにセクメトは語る。
「”生物”の価値を、ふぅ、選別するために、各地を、はぁ、放浪していたのさ」
「生物の価値を選別って……」
「文字通りさね。ふぅ、世界にとって価値があるかどうかを判断して、はぁ、無ければ消していたのさ」
残念ながら、スバルの予想は最悪な方向に当たったようだ。
消していたというのは文字通りの意味だろう、生命を、存在を自己判断で消していたのだろう。
「そんなおかしな奴がシャオンと同化しかけているのか、最悪だ……」
「んー? おかしいことかー?」
「あ!? おかしいだろ、何の権利があってそんなことを」
「ふぅ、あたしら魔女に、はぁ、常識を求めるのは、ふぅ、おかしいことではあるさ。権利? そんなもの自分たちの、はぁ、信念を前に意味がないさ」
そう言い切るセクメトは冗談を言っている様子はない。
「あの子にはあの子の、はぁ、信念が、ある、あったのさ。ふぅ、それが何かはアタシらは知りえない、はぁ、けどね、それを止める権利はない、もしも止めるなら互いにぶつかり合っていただろうね……ふぅ」
「――――っ、」
「はぁ、あたしが話せるのはこれくらいだろうさ。世界の事情なんて、ふぅ、気にするのも怠かったらね」
「う……」
少し話しただけだが、セクメトは世界に興味を抱いていない。つまりはこれ以上情報を引き出すのは時間がかかるか、無理だ。
幼いテュフォンも同じだ。
無駄足、とは少し違うが、スバルにとっては何も進展がない。
頭を抱え、どうしたものかと考えていると、
「――さて」
優しく風が吹く。白い髪がその余波でなびき、黒い服の上に可憐に広がるのをスバルは見た。
「……求めた答えは得られそうにないようだね」
「……あいにくとな」
言葉とは裏腹に、彼女はひどく楽しげにこちらを見るのだった。
■
「ボクが魂を保管しているのは後3人。つまりは3人の魔女と対話できるわけだけど」
エキドナにしては珍しく口籠る。
「憤怒の魔女ミネルヴァは彼の話はしたくないだろう。色欲の魔女カーミラは君を嫌っている……あとは暴食の魔女ダフネだけど、うーん」
「なんだよ、話が通じないとかならもう慣れてきたぞ?」
「いや、まあ、うん。でも彼女ならばボクと同じように正確な意見を出すだろう……ただ、ダフネは3大魔獣を生み出した魔女だ」
その言葉を聞いてまず頭によぎるのが白鯨だ。
クルシュ達と共に討伐に挑み、死にかけた記憶は新しい。
その母親、それと対話するのだ。
「君たちにとっては色々と言いたいことがある存在じゃないかな?」
「……まさかそいつは俺たちを恨んで、魔獣を生み出した、だから会うのは危険とかそう言う話か?
「恨むとかそれ以前のはなしだね。でもボクの考えだと、君とダフネは相性がすごく悪いと思う。カーミラよりはマシではあるけど、有用な話ができるとはとても……」
「俺の個人的感情は今はなし。んで、物は試しだ。試行錯誤、お前の好きそうな言葉だろ」
スバルの言葉にエキドナは「う……」と痛いところを突かれたような表情。そんな彼女にスバルは「それに、よ」と頭を掻きながら、
「本当にまずくなる前に、お前が引っ込めてくれると信じてる。頼むぜ、エキドナ」
軽口めいた言葉で信頼を投げ渡し、スバルは歯を光らせながらサムズアップ。そのスバルのどこまでも軽薄な姿勢に、次第にエキドナの瞳から抵抗の色は失われていき、
「……わかった。ダフネと会わせてあげよう」
「おし、ありがとよ」
「ただ、これだけは言っておくけど。彼女の拘束を、絶対に解かないように。それから彼女に触れるのも禁止。できれば目を合わせるのも避けてほしい」
「それ全部守るの俺の心象最悪になるんじゃね!?」
そもそも、いくつか無視できない単語が混じっていた。
スバルがそれらを問い質そうと言葉を作る。──その前に、エキドナの準備の方が終わってしまう。
前回のときもそうだったが、エキドナが魔女を下ろすときには予備動作というか、そういった予兆が一切ない。
瞬きのあとには、彼女のいた空間に別の人物が存在している。
そして、それは今回も同じことだった。
だが──、
「おいおい……これは、いくらなんでも……」
目の前に現れたその存在を前に、スバルは頬を引きつらせてそう呟く。
眼前、スバルの前に『暴食』の魔女、ダフネがいる。
──棺の中に入れられて、拘束具に全身をがんじがらめにされた上に、その両目を固く固く黒の目隠しで封じられている、魔女の少女が。