蹴り飛ばされ、頬を泥で汚しながらも態勢を立て直す。
二対の鬼の角を生やし、そして、即座に背後から感じた悪寒から逃げるように、首を下げた。
直後、自身の髪の毛を数本巻き込み、下げた頭のすぐ上で風を切るような音と、シャロの放ったであろう蹴りが見えた。
「あぶッ!」
「勘はいい、でも宝の持ち腐れ、いや、なるほど。自覚がない、と。あれだよ、ほら、そのほら、ねぇ?」
「いや、全然わかんない! なに!?」
馬鹿にしているようなシャロの言い分に怒鳴る様に叫ぶ。
だが、彼女は言葉に困り、何とか、手を宙に浮かせながら、考えているようだ。
「力をせーぶしてるってやつ?」
「はぁ? これでも全力で……」
「『裏の試練』で解消してもらえばいいのに……ほら、試しに全力で殴ってみなよ」
「無駄口が、命取りにッ!」
煽りに乗る形で、アリシアは鬼の力を使い、全力で拳を振るう。
振るったはず、だ。だが、それに直撃したシャロには傷一つない。
それどころか、拳を振るったこちらの方が、
「残念だけど、命を取れるほど、その拳は価値がないよ? それよりも腕、大丈夫?」
「────ッ!」
指摘されるまでもない。
殴った、こちらの腕の感覚がない。
確実に折れている、しかも粉々にだ。
だが、無理矢理マナを力で従わせ、治療を図る。
勿論、それでも痛みがなくなるわけではなく。
「────ぁぁああああ!」
「おぉ」
寧ろ急激な回復に激痛が走り、唸り声のように叫ぶ。
そして、元に戻った自身の腕を見て、歯を食いしばり、敵であるシャロを見据える。
彼女はこちらの満身創痍な様子に手を叩きながら称賛の声をあげる。
「すごい、鬼の再生力」
余裕からの言葉。
単純な殴り合いでは勝てない。
理屈などではなく、直感でわかるのだ、そもそも次元が違うのだと。
だから、別の方法を考える必要がある
「でも、それだけじゃ、ダメだよ」
「──あぐっ!」
頭に対してのかかと落とし、沈んだところに側頭部めがけての回し蹴り。
何とか踏みとどまろうとした自身の身体はいとも簡単に宙に浮き、そのまま大木へとたたきつけられ、骨ごと木を裂いた。
そして、脳が揺らされたことにより、意識が遠のき、立ち上がることすら不可能だ。
「再生力はあっても、意識をなくせば、おなじこと」
その言葉の通り、アリシアの意識が、一度闇へと沈む。
ゆっくりと、沼に入る様に。
□
『アリシアの角は特別なんやでぇ?』
金色の髪に、若葉色の瞳。
どこか、自分に似た長身の女性は、間延びした声で、自身の頭、というよりも角を撫でていた。
これは──昔の記憶で、今目の前にいる女性は……すでに亡くなった母だった。
こんなのんびりとしているのに、剣を握るその姿には容赦がなく怖かった、そんな母親だ。
『普通の鬼族とはちがって、マナを溜める力強いさかい。まぁ、その分こまい調整はややこしいけど』
何故今その記憶がよみがえっているのか、これは、本能によるものだろう。
恐らく今自身に襲っている危機に対して本能的に記憶を思い出させているのだろう。
前シャオンが言っていた、走馬灯という奴に近いのだろうか、とにかくそういうものだろう。
懐かしい母の姿に、泣きそうになるが、この光景は今のものではない。
幼いアリシアはただ母親の撫でる手の温かさと、大きさに心地よく目を細めていただけだった。
その様子を同じく目を細めて笑い、母──メアリアはからかうように急にアリシアのおでこを指で軽くはじいた。
『だってわっちとおんなじ【竜人】の血も入ってるさかい……あ、内緒ね? ほとんどいないから』
額に感じた衝撃と共に、記憶が呼び起こされる。
竜人の力と鬼の力。
特別な亜人と、鬼族という特別な亜人とのハーフ。
それが自分、だからこんなこともできる。
そう、もう少し我儘に──角にマナを回して──
『──思い切り放てるのんは気持ちがええよぉ?』
──放出した。
□
「さてさてー」
首と胴を分けようと、アリシアの元に近づこうとする。
いくら丈夫で、再生力が高い鬼でも確実に殺せば復活はしないだろう。
「お」
そう考えていると、アリシアが、ふらりと立ち上がり、こちらを見た。
しかし、こちらに向かってくる意思はなく、纏う闘志もない。
それどころか、視線は定まっておらず、気絶に近い状態だろう。
ならば、立ち上がったのは鬼の意地か、それとも何か理由があるのか、それを理解しようとアリシアの動きを観察していると、彼女の口が動いた。
「んー? 」
「
耳を傾け、彼女の言葉が最後まで音になる前に、初めてシャロは回避行動をとった。
直後、シャロのいた場所を白い光の線が貫く。
「ッ────」
遅れて、風が吹き、シャロの身体を薄く裂く。
今の一撃によって、カマイタチが生まれたことによるものだろう。
一撃の派生で、そこまでの代物。
「……」
今、何が起こったのか状況を空中で確認する。
光の線、その軌跡はアリシアからシャロに向けて伸びていた。
であれば、新たな援軍ではなく、アリシアの仕業なのは確定。では、一体どうやったのか。
手か、口か、それとも足か。
どこが攻撃の発信元になっているのかは──すぐにわかった。
(なるほど)
火花を出しながら、アリシアの角が長く伸び、黒く、怪しく煌いている。
つまり、あの技の一撃は角から放たれたものだろう。そして、その攻撃の正体も、つかめてきた。
マナを圧縮し、そのまま放出しているのだろう。
鬼族の得意分野である、マナを肉体強化に回すことをやめ、角にのみ集中させて、放ったのだろう。
簡単なことではあるが、効果は絶大なのは目の前の光景で十分にわかる。
光の軌跡をみるに、地面が抉れる、という表現よりも、消滅したと思えるような一撃。
木々をなぎ倒し、空間を裂き、カマイタチすら生まれるほどの鋭い光線。
「これは」
シャロの中で、アリシアに対しての危険度が上がる。
彼女の中でアリシアという存在はそこまで気にする物ではなかった。
鬼族ではあるがハーフで、しかも才能自体はそこまで優れていない。
鬼としての肉体強度は十分強いが、シャロにとっては関係ない。
この聖域内で、殴り合いという部分でシャロに勝てるものはいないのだ。
だから、低く見積もっていた彼女の、覚醒を見て、再度評価を改める。
その結果、
「──まずい、か」
先ほどの一撃を放てるのならば、まだ不完全ではあるが彼女はシャロを殺すことができるかもしれない。
だが、
「──ッ、は、はっ、がぁ」
「消費が激しい、と」
マナを急速に集め、爆発的に放つ技。
もともと無理がある技だ、しかもアリシアの様子を見るに、この技は使いこなせていない代物。
連発はできないだろうし、彼女もしばらくは動けないだろう。
ならば、対策は単純。
「──っ!」
「隙があれば、それを突かない理由はない」
シャロは、アリシアが体制を整わせるよりも前に、彼女の元に勢いよく近づき、その勢いのまま首を掴み大木に叩きつける。
彼女が衝撃に息を零す中、シャロは躊躇なく、彼女の細い首をへし折ろうと力を籠める。
腕が膨らみ、アリシアの首の骨が軋み、──頭部が、角がわずかにこちらに向けられた。
「──
はっきりとした攻撃の宣言。
直後、アリシアの角から放たれたマナの光線が、シャロの側頭部を僅かに貫く。
アリシアの首を無理やり横にずらし、躱すことができた一撃。しかし、完璧に避けることはできなかった。
ほんのわずかに、僅かにではあるが、光線が頬を裂いた。
ほんの少しのかすり傷と火傷、だが──
「ぅ──おぇ」
シャロにとって、マナというのは毒そのもの。
日々の生活で存在しているマナならまだしも、ここまで高濃度のマナであればかすり傷でも命に係わる。
その証拠に、シャロの体調は今、先ほどと打って変わって絶不調極まりない。
体の中で熱が上がり、吐き気が止まらず、抑えることもできずにほとんどない胃の中身を外に出す。
そして、頭痛と共に、視界が点滅し始める。
重い風邪をひいた感覚と同じ、らしい。自分はそういったものとは無縁だったが、これが風邪というのだったら、これに付き合う人というものは大変だ。
そんなどこか的外れな考えを抱きながら、立ち上がる、立ち上がる必要がある。
なぜなら、シャロに、あの人は──父は、シャオンは託したのだから。
それだけが、使命なのだから。
「ベティ……」
弱気になった心を、友人の名前をつぶやき、叩きなおす。
震える体を何とか起こし、アリシアへ向き直る。
アリシアも、口から血を流し、こちらに拳を構える。
今の状態であればアリシアの拳はこちらに届くだろう。
だが、それが罠で、また光線を放つかもしれない。
攻撃の読み合い、だが体の状態から時間がたつほどこちらが不利、鬼の再生力を持つアリシアにとっては有利に働くのだ。
いつまでもこうしてはいられない、だが、下手に動くこともできない、どうするべきかと焦りが見え始めた時、
「────今のは」
遠くで聞こえた、ガーフィールの咆哮。
どうやら、彼も獣化するほど追い詰められているようだ。
想定していたよりも状況の悪さに頭を痛ませるよりも早く、今目を離してしまった自分の迂闊さを叱責する。
一瞬、シャロの意識が外れた数秒、アリシアの行動は早かった。
小さなシャロの身体に、勢いをつけ、蹴りを放つ。
衝撃を逃がすこともできずに、うめく彼女に追い打ちをかけようと、角にマナを込め──
『おねぇちゃん?』
「────」
唐突に聞こえた声は──アリシアが隠れるように伝えた少女の声だ。
それがわかるのもアリシア本人であり、戦闘に集中していた彼女の意識を逸らすのには十分なものだった。
視線だけそちらへ向けると、声の主は少女ではなく、小さな、小さな兎の魔獣。
その魔獣だけだった。
「──大兎……興覚め、ね」
大兎。
白鯨と並ぶ、三大魔獣の一つ。
その存在がなぜここにいるのか、なぜ、少女の声を出しているのか、なぜ、口元が赤く染まっているのか。
その疑問が解決することはない。
「お父様にしては、本当に悪趣味」
静かに、放つ。
その言葉に乗った感情は哀憫か、それとも別の何かか。
アリシアにはそれを理解することが、時間ができない。
なぜなら、起き上がったシャロの貫き手が、心臓の位置を貫いているのだから。
先ほど生まれた互いの僅かな隙。
条件は同じだったが、運だけが悪かっただけだった。
僅かに引け目を感じるが、
「お父様の命令が、最優先だから」
シャロの小さな手が、自身の身体から抜き取られる。
血が流れ落ちていく。
自分自身から、温かい何かがこぼれ落ちていく
そして、それすらも──白い獣に顔面を食われ、感じられなくなった。
アリシアの父のあだ名「竜砕き」は妻を口説いたところから来てます。