「どうだい? その姿になれたということは、少しはキミの疑問が解決された成果だとボクは思うのだけど」
改めて自身の身体を見下ろす。
服装に変わりはない、ただそれ以外に無視できない変化が生じている。
まず、灰色だった髪が完全に白色に染まっている。
しかも、只の白髪ではなく、汚れることすら許されないとばかりの煌く、女性の様な髪だ。
それに、瞳が濁っている。
もともと目つきは良い方ではなかったが、これはこれでよくないだろう。
そして、一番変化があったのは、記憶だろう。
様々な食べ物をミキサーにかけているようなごちゃまぜ感。
いい気持ではない。自分が自分ではない感覚、上手く言葉にするなら。
「……まるで、自分と似た主人公が活躍する物語に没入して、錯覚のような違和感がある、ありますエキドナ、先生」
「ふふっ、やはりその呼び名がしっくりくるよ。でも、話し方は好きにしていいさ」
神の視点で、見ているような違和感。
『シャオン』の記憶と、『雛月沙音』の記憶。
その両方を同時に見ているような感覚だ。
故に、エキドナへの呼び方も恐らく『シャオン』に引っ張られたものであり、この呼び方に違和感を感じていない自分がいる。
でも、
「なら、いままで、通りで」
「それもいいだろう、新鮮だしね」
「……俺は、今、どっちなんだ?」
「まだ、何とも言えない。今までは君の『雛月沙音』として歩んできた記憶の重さ――『価値』が、過去の人物である『シャオン』の記憶の『価値』と釣り合っていた状態だった。ただ、ここに来る時時点で『シャオン』の方に傾いていたのだろうね、でも、その傾きは僅かなもの。だから、髪は半端で、記憶もおぼろげ。君が抱くことがない罪悪感も生み、裏の聖域で『アケロン』という存在が生まれた」
ただ、エキドナとの会話を経て、それが変わったのだろう。
「そう、過去を知ったことでさらにボク達が知っている『シャオン』の方に傾いた」
「その結果が、この姿と、この、混ざっているよう記憶……うぇ」
無理矢理脳をかき混ぜられている感覚に、軽い吐き気が襲ってくる。
しかし、それを無理やり抑えつけていると、エキドナも心配そうにこちらを見る。
「……記憶の方も半端に戻っているだろうが、もしも『シャオン』の方に完全に傾けば、それも治るだろう……時間と覚悟の問題ですぐに傾くからこらえるといい」
「すぐに……」
エキドナの言葉に、シャオンは考える。
自身は、どちらを選べばいいのだろうか。
真実を知るためにこの場所に来たが、まさかこんなことになるとは思わなかった。
『雛月沙音』と『シャオン』。どちらを受け入れるべきなのだろうか。
「悩んでいるのかい?」
「……」
「まぁ、仕方のない事か。ゆっくりと考えるといい。幸いにも、記憶は残る。ワタシとしては、どちらのキミも歓迎するよ」
好奇心を隠す様子もなく、エキドナは楽し気に笑う。
流石、知識欲の権化、どちらが示す未来でも楽しめるのだろう。
恐らく、それが他人事であろうと自分のことであろうとも彼女は変わらないだろう。そう、この記憶が訴えている。
そんな推測を立てていると「おっと」とエキドナは何かに気付いたような声をあげる。
「どうやら今のその姿で――ワタシ以外にも会いたい人物がいるようだからね、少し変わろう」
「え、ちょっと」
そう告げ、エキドナの姿は霞のように薄くなり、空間に溶ける。
それを見届ける前に、一度、シャオンは瞬きをする。
再び開いたその視界の先、そこにいたのは、
「……あにー?」
濃い緑髪を肩口で揃えて、熟した果実のような赤い頬をした少女。
褐色の肌に、対応するような白のワンピースのような服装をしている、この草原を駆け回る姿が似合っているような、そんな印象を感じさせていた。
そして、その幼さからか、どこかシャロに似た雰囲気を醸し出している。
そんな少女がエキドナがいた場所に代わり、こちらを見上げていた。
□
「…………」
「……?」
濁りのない赤色の瞳と、自身の濁りしかない黒色の瞳が交差する。
互いに何も言えず、片方は困惑の中、もう片方は何も読めない状態で沈黙だけが続く。
そんな状態が永遠に続くのかと思った時、それは起きた。
「あにー!!」
「おっと」
獲物に飛び掛かる猫のように、こちらに向かって全力で抱き着く少女。
見た目通りのその軽さを、シャオンはしっかりと抱きとめ、幸いにも椅子から落ちるだけで済んだ。
そしいて、少女は目を爛々と輝かせてこちらに語り掛ける。
「ひさしぶりだなー! げんきだったかー! こっちのあにもげんきだったけどしんぱいしてたんだぞー」
「あ、あに? えっと、君は」
いったい誰なのか、という言葉は音を立てて揺らした『赤い首飾り』をみて止まる。
その首飾りに見覚えはない、ないはずなのになぜか涙がこぼれそうになる。
そんな僅かな感情の起伏を、目の前の少女は見逃さなかった。
「んー? あに、なきそうなのかー? なんでだー?」
「いや、その、大丈夫」
こちらを覗き込むようにする彼女。
見知らぬとはいえ、自分よりもだいぶ年下の少女に心配される申し訳なさと、泣き顔を見られてしまったというわずかな恥ずかしさを隠すために顔を背ける。
しかし、そんな軽い気持ちはすぐに霧散した。
「――だれになかされたんだー?」
平坦な声に、思わずシャオンの身体が固まる。
視線を戻すと、彼女の持つ真紅の瞳がわずかに剣呑さを宿し、本能的に背中に汗をかく。
彼女の中の何が地雷だったのかは、自分にはまだ理解できない。
だが、このままでいることはまずいことだけはわかる。何か打開できるきっかけはないかと、焦りを隠せないままでいると、
「きっとドナだ。ドナ、またわるいことしたのかー? ドナ、アクニンかー?」
「ドナ、はエキドナ、のことか。いや、そこを断定するのは流石にどうかと思う。とにかく、大丈夫。ほら、泣いてない泣いてない」
どうやら、彼女は自身が泣いていることが気に入らないらしい。それならば、無理矢理ではあるが、パーカーの袖で乱暴に涙をぬぐい取り、
「に、にこー」
「おー、えがお、かー? ウソじゃないなー?」
「ほ、ほんとうほんとう、悲しくないよ」
無理矢理作った笑顔に、少女は疑問符を抱きながらも納得いったように頷いている。
胡散臭い笑顔なのは我慢してほしいが、どうやら無事ごまかせたようだ。
「えっと、君は」
「えー、おぼえていないのかー? あー、しかたないなー」
不満そうに頬を膨らませる少女は、少し考えた後に肩を落とし、自己紹介を始めた。
「テュフォンは、『傲慢の魔女』で、あにのいもうとー。忘れちゃだめだぞー?」
「傲慢、の?」
強欲の魔女に続いて、傲慢の魔女と来た。
そもそも、この場所は強欲の魔女が管理する空間のはずだが、別の魔女が来るということはあるのだろうか。
「いったい、どういう……あぐ」
「んー?」
頭痛がひどくなる。
視界にひびが入っていくような嫌な感覚が、強くなるもすぐに消え去る。
そして、目の前の少女を心配させたくないからか、笑顔を無理やり作り、
「だい、じょうぶ。記憶の、混濁が、すこし酷かっただけ。元気元気」
シャオンとして過去に生きた記憶と、雛月沙音として今まで歩んできた記憶。
その二つが、今も継続で頭の中で混ざっているのだろう。
その感覚になれることはないが、このような痛みはやめてほしいものだ。
「ふーん、あ、ははがはなしたいってー」
「え、あっと」
「テュフォンももっとはなしがしたいけど、ははだったらしかたないかー」
こちらの事情を考えずに、傲慢の魔女テュフォンは名残惜しそうにしながらも、姿が薄れていく。
そして、シャオンはまばたきしただけだ。その間に世界の色は変わっていない。刹那の暗転、それなのに、
「はぁ、こりゃ酷い有様だね、ふぅ」
今度も現れたのは女性だ。
赤紫の髪を尋常でなく伸ばした、気だるげな印象の女。
先ほどのテュフォンとは違い、病的に青白い肌と唇で、生きる気力に欠けているかのような枯れ木を印象させる、大人の女性だ。
僅かに放たれた言葉だけで、周囲に鬱々とした雰囲気を振りまく。
しかし、シャオンはその彼女の様子に驚くことはなく、語り掛ける
「……えっと、貴女は」
「……ふぅ、あたしらしくもない、けど」
そう告げた女性は、気だるげな雰囲気のまま、僅かに体を動かし、
「わっ、ぷ」
「ふぅ、ああ、体を動かすのも怠い、辛い、もう一生分の、はぁ、動きをした、ふぅ、と思うよ」
わしわしとこちらを気遣う様子のないような、雑に頭を撫でる。
加えられた力は弱いが、それでも僅かな温かさに、思わず口角が上がってしまう。
しかし、それも数秒のことで、すぐに彼女はだるそうに息を吐く。
それを見て、つい謝罪の言葉が出る。
「えっと、なにかすいません」
「謝る必要はないよ。これはアタシが、ふぅ、自分でやりたいと思ったことさね」
「えっと、貴女は、貴女も魔女なんですよね?」
「……『怠惰の魔女』セクメトさ。ふぅ、一応、お前さんの、はぁ、『シャオン』の母親、さね」
母親。
そんな人物が魔女であることに驚きを隠せない、というのと、妙な嬉しさ、こちらは知らないという申し訳なさが今シャオンを襲っている。
そんな気持ちを考えないように、話を変える。
「なんで、この場所に?」
「ふぅ、エキドナから教えてもらっていないのかい、はぁ。怠い」
言葉を出すのですら辛そうに、まさに怠惰の魔女らしく、そのだらしなさを隠す様子はない。
しかし、少し考えて言葉を絞り出してくれた。
「簡単に、話すなら、ふぅ。エキドナは、アタシたち魔女の魂を保管しているのさ、はぁ」
「魂を保管……」
「詳細は、ふぅ、本人に改めて訊ねるといい。いまは、はぁ、昔の魔女がこの空間に存在できる、程度でいいさ」
説明するほどの余裕はないのか、それとも面倒なのかはわからない。
ただ、確かにこの空間の主に訊いたの方が早いというのは道理だ。
「それよりも、はぁ、お前さんに、もっとも会いたい人物が、ふぅ、待ってる」
「……魔女に知り合いは、っと。そうか、この『シャオン』の知り合いならあり得るのか」
しかし、そうなるとコミュニケーションはどうとるべきなのだろうか。
一方的に知られているというのは、なんというか、やはり申し訳なさが勝るものがある。
そんな心配を感じ取ったのかセクメトは、息を大きくこぼし、
「……アタシも、ミネルヴァと同じく複雑な、心境、はぁ、だけど。ふぅ、会うことを、避けるほど、はぁ、いやなものではないさ」
「だから」と、告げセクメトの姿は消えかける。
相変わらず怠惰な態度を崩さずに、それでも慈愛の気持ちを込めて、
「怖がらなくていいさ。それと――おかえりさね、シャオン」
「――あ」
僅かな笑みと共にこちらを励ます言葉をかけた。
それに答える前に、また世界が切り替わる。
今度はすぐに姿は現れないが、セクメトの言葉通りならばまだ会いたい人物がいるのだろう。
このシャオンも、意外と人望があったようだ、魔女に対してだが。
「いきなり、知らない友人が色々増えて、なんていうか」
宝くじに当たると知らない友人や親せきが増えるというが、それに近い現象が生じているというか。
しかも奇妙なのが、自身が彼女らに対して嫌な感覚を覚えていないことだろうか。
次は一体どんな魔女が出てくるのかと覚悟を決めていると――声が、聞こえた。
「――――シャオンくん」
優しい、控えめな小さな声が。
□
心臓が、跳ねる。
感動、とは言えない、けども――無意識に、涙がこぼれた。
ゆっくりと、声が聞こえてきた方向へ視線を向ける。
それは背後だ、背後に、彼女はいた。
薄紅の髪を腰ほどまで伸ばした、化粧に印象を左右される平凡な顔立ちの少女。
どのような化粧でも、きっと彼女には適しており、周りを魅了するのだろう。なのに装飾品は薄緑色のマフラーのみを纏っている。
自分は、それを知っており、それが彼女の持つ『価値』であることを理解していると同時に、妙に心がイラついたことを覚えている。
――言葉が、出てこない。
何を話せばいいのだろう。
何を口にすれば良いのだろう。
そう考えていると、ふと彼女の髪にある唯一の青を見る。
先ほどは気づかなかったが、あれは、青色の蝶を模した髪飾りだ。
いつか、自分が彼女に渡したものだ。律儀につけてくれていることに、少し心がざわつく。
そして、自身が対になる赤色の蝶を模した髪飾りがないことを申し訳なく思う。
そんな、色々な感情が、混ざった自身の思考を放棄し、ただただ、名前を呼ぶ。
記憶に靄がかかっている、状態。
ただ、必死に思い出そうと足掻く。
彼女の名前は――
「――カーミラ?」
「うん、そう、だよ。カーミラ、だよ」
唯一、自力で名前を思い出し、口に出す。
名前を呼ばれて、彼女は、一度身体を震わせた。
そして、まるで、耐えきれないとばかりに、彼女はこちらに飛びついてくる。
テュフォンの時と同じような行動をとった彼女に、驚きを覚えつつも、しっかりと掴み、離さないように、離れないように、掴む。
草原に寝転ぶ形で、彼女を抱きかかえると、甘い香りが鼻腔をくすぐり、頬に彼女の涙が落ちる。
そして、確かに感じる彼女の温かさを感じ、安堵の息を零し、そちらをみる。
「――おかえり、シャオンくん」
淡く光る、彼女は、涙声交じりに、そして嬉しさを隠せない表情でこちらの胸に顔をうずめる。
そして、自身の為に、命を落とすほどの危険を冒した彼女に。
いつか死に怯えていた自身を、救ってくれた彼女に――
「――ただいま、カーミラ」
しっかりと、正面からその言葉を返したのだ。
ある意味次回からキャラ崩壊?