「世界の価値を計る、か。言い得て妙だね」
自身が口にしたシャオンについての異名。
それを聞き、エキドナはそれを咀嚼するように頷きを繰り返す。
「確かに彼は価値を優先していた、異常なほどにね」
「……それだけだと人間らしいというか」
「ああ、勘違いしないでほしい。その価値というのは彼にとっての利益、不利益というものではなく、彼から見た世界に対する価値だよ」
「えっと、よく、わからないんですが?」
世界に対する価値というのは一体どういうことだろうか。
「そのままの意味だよ、世界にとってどれだけ有益かどうか、その価値を大事にしていた」
「……」
「劣るものがいるならば、世界の価値を下げると考えたのだろう。だから、世界の価値を上げるために色々なものを排除していた」
「その記憶は、覚えている」
表側の試練で経験した、恐らく彼の記憶。
知らない町の住人すべてを、消滅させた、恐ろしい記憶。
その光景と、エキドナが話す内容を照らしあわせるならば、間違いはない。
彼は、本当にその理由だけで、命を奪っていたのだ。
そう、余計なものを濾過するように、純粋なものを、作るために、不純を省くように。
「だから、価値を計る怪人、か」
「彼自身は世界の価値を上げる行為を行う上で他の生命に”期待”していたんだろう」
「期待?」
「そう。彼は完全な他者愛でもあってね、自身より下になる存在はいないと信じていたのだろう」
目を細め、彼を思い出そうとするエキドナ。
そこに宿る感情は、読めない。
ただ、憐れみのような、優しさのような、そんな優しい感情のように感じる。
「自分よりも下の存在がいてはいけない、自分以外が平等に素晴らしい価値を有するべきで――自分が、世界の最低基準になる、と。そう、彼は考えていたよ」
つまりはシャオンは、世界に生きている存在の価値を、平等に上げるために間引きをしていたという訳だ。
その行為の中で、彼自身が頂点に立つという欲はなく、むしろ最底辺に進んでいるというおかしな思考。
変なところで卑屈、というのが今の彼に対する印象だ。
「彼のその卑屈さは嫌っていたがそれ以外はまぁ、十分に好ましいと思っていたよ。一緒に寝る……寝床を共にするくらいにはね」
「……はい?」
「ふふっ、彼は”そういった”欲は殆どなかったようだけどね」
妙に暗くなった雰囲気を明るくしようとしたのか、エキドナはとんでもない爆弾発言を口にした。
寝床を共にした、というのはそのままの意味だろう。
目の前にいるエキドナという少女は、シャオンの目から見ても美形に当たるだろう。
そんな彼女と共に寝ていたとして、間違いを起こさなかったのはありがたいが、そう言った欲がないというのは……朴念仁というよりも、植物のような存在だったのだろうか?
あるいは、エキドナが、彼にとって母親のような存在だったのだろうか?
妙な方向に考えを深めかけていると、エキドナが咳ばらいを一度する。
「この話を出したのはボクからだけども、その」
「あー、話を、戻そうか」
「彼はこの世界に長くとどまることで、その管理を、あるいは見届けようとしたのだろう」
「……不老不死のための器は、人工精霊ということでいいんだよな? それに関して確認したい」
「そうだね、人工精霊を彼は作り、複製体――器とした。」
「リューズ・ビルマと同じように?」
その問いかけにエキドナは僅かに眉をあげるが、すぐに何事もないように答える。
「少し違う、ボクと彼では方法が違っていたからね……ボクはリューズ・ビルマーーリューズ・メイエルの複製体に魂を注ぎ込む様にしたが彼は違う」
「リューズ・メイエル?」
「ああ、オリジナルのことだよ……今はそれほど重要なことではないし、なにより契約外のことでもあるし、あまり話したくないかな」
暗に拒否を告げられる。
確かに、その話はシャオンに関する情報とは違うだろう、契約外だ。
下手に踏み込んで機嫌を損ねてこの対話をなくしたくはない。
「……続けてくれ」
「ありがとう。彼は、一から生命を作ったのさ。人工精霊というね」
シャロやカロンのことだろう、器として彼らは作られたのは既に知っている情報だ。
「人でなかったのは流石に彼でも難しかったことに加え、長く生きられる存在が都合がよかったのだろう。幸いにも人工精霊の作り方を彼は知っていたしね」
道理だ。
もしも彼の目的がただ長く生きるためだけならば、精霊のような寿命がないような存在を器とするのは当然の考えだろう。
だが、それならば、疑問が一つ生じる。
見逃してはいけない、大きな疑問、それは――
「待ってくれ、でも俺は精霊じゃない、はず。だよな? でも、俺も器って言うのは、どういうことだ?」
雛月沙音が、シャオンの器であることは、事実だろう。
だが、器は人工精霊のように、人工的に作られたものでなければ難しい。
そして、精霊のような長寿の存在ではなく、普通の人間である自分が器と呼ばれているのは、どういうことだろうか。
「君の存在は、正直よくわからない。人工的に作られた存在、複製体だとは思うが、精霊ではなく、人間だ」
「――――」
「でも君は間違いなく器だ。彼が持っていた”模倣の加護”も有しているし、なによりこの場所に来て一番実感しているだろうけど、君は彼の影響を一番受けているだろう? 器にしかその現象は起きない」
そして、自身が覚えている範囲でも、器であることは確かに確信がいっていることだ。
アケロン、もとい『シャオン』が自身と入れ替わり、暴れた。
この現象は、要は自身という器に、『シャオン』が注がれたことに違いない。
だが、それでもなぜ自身が器なのかはわからない。
「……肝心の部分がわからねぇのは痛い」
「申し訳ないね、彼の行動をすべて把握していたわけではないから。秘蔵っ子だったのかもしれないよ、君は?」
「笑えない」
いったい何を考えて自身を器にしたのだろうか。
過去の怪人、いくら自身と似ている者といっても、そんな狂人の考えは読めない。
だが、それでも辿れるものはあるはずだ。
例えば、
「……アケロンについて、教えてくれ」
「アケロン?」
ここで初めてエキドナが、不思議そうに表情を変える。
「裏の聖域、裏の試練で会った、シャオンのこと。ややこしいからそう名乗ったみたいだけど」
アケロンこと、過去のシャオン。
恐らく自身の創造主とシャオンは会っている。だから、彼の情報をもらえることは、別の視点からのシャオンの情報を得ることに繋がる筈だろう。
そう告げると、エキドナは納得がいったように手を打つ。
そして申し訳なさそうに頬をかく。
「裏の試練か、であればボクからは何も話せないかな」
「……何でも話してくれるんじゃ」
「といってもね、試験官として、答えに近いことを教えることはできないよ」
「……確かに」
それもそうだ。
今の問いは、テストの最中に答えを聞いているようなものと同意義だ。
焦るばかりに、変なことを聞いてしまい、顔が熱くなる。
それを見て憐れだと思ったのかエキドナは苦笑しながらもフォローをしてくれた。
「でもひとつ、アドバイス。恐らく彼はキミの前にしか現れないだろう」
「それは、どういう意味?」
「詳しくは言えないよ――だから、頑張るといい」
「? お、おう?」
よくわからない助言をもらい、現状シャオンの情報を得ることはできないと判断し、落胆する。
彼の持つ戦闘能力も気にはなるが、正直聞いたところで参考にならない。
タネがわかったところでどうしようもないほどの強さを持っているのだから。
と、なれば後聞くことができるものは。
「シャオンが犯した罪について、は彼が大勢を殺したことか。価値を守るために」
「恐らくそうだろうね。それに関しては他者からの評価、しかもボクが死んだ後の評価も交じっているから、確定はできないけども」
大罪人とも呼ばれている彼の犯した罪。
それは、自身が見た記憶が語っていることだろう。
「でも、真実はキミが直接見るといい。彼の残した爪痕は、魔女と同じように必ず、世界中に深く残っているからね」
「……」
その機会があれば、見に行くことになるだろう。
勿論、覚悟を持って。
「さて、そろそろ質問はお終いかな?」
「――最後に、あの声について教えてほしい」
「……その前に、一度自分の姿を見てみたほうがいいよ。しっかりと認識してからなら、その声の人物のことも思い出せるだろうからね」
エキドナはこちらを、正確には髪に当たる部分を指差す。
それに合わせて視線を向けると、気づく。
灰色に染まっていた髪が、白く生え変わっている。
まるで、あの『シャオン』のように。
「記憶がほとんど戻ってきている、と同時に器としての役目を果たしているということだろう。君が、シャオンを知るということはそういうことだ」
「――」
「でも、恐れることはない。君は、君だ。だから、逃げずに――知るといい」
そう、だ。
逃げていては何も変わらない。
だから、改めて己の姿を確認する。
お茶――透明な液体の入ったカップ。
そこに映る自分の姿を――
□
――自身がこの世界の生まれであることを思い出した。
灰色に染まっていた、自身の長い髪が色素を失っていく。
まるで、自身が記憶を思い出すごとに、今までの『雛月沙音』が消えていくように、色が抜け落ちていく。
しかし、違和感はなく、その姿こそが本来の姿だと訴えかけてくるほどに似合っている。
――自身が今まで経験した記憶や、体験は妄想であることを思い出した。
親友ともいえる、彼とは違うこの世界の生物。
それは、彼に対する裏切りでもあり、今までの自我を崩すほどに強烈なもの。
悔しいが納得は、できる。しなければならない。
――自身が、過去の人物を蘇らせるための器であることを思い出した。
おぼろげになっていた記憶が、蘇っていく。
アケロンの対話で得た『自身の子供』ともいえる人工精霊たちに関する知識。
カロンとの会話で再び思い出した、その記憶。
それと同様に、ただ一つの存在を蘇らせるために用意された存在が彼らであり、自身もその一つであることも。
逃げていた記憶が、迫り、迫り、追いつく。
――自身が、過去に大勢を殺した大罪人であることを思い出した。
認めたくない真実を、水で流し込む様に呑みこむ。
それと同時に、シャオンの容姿が、変化していく。
中途半端だった長髪は処女雪のように白く、神秘的に煌き、完全に染まりきる。
糸目が特徴である、彼の奥に潜む瞳は光を失い、髪色とは正反対に、闇が宿る。
それを確認し終えると、ぐいっと、カップの中身を飲み干し、静かに戻す。
「さて、話の途中だが……おかえり、というべきなのかな? シャオン?」
「……お久しぶりです、先生」
そう呟く彼は、エキドナと同等の威圧感を持つ存在になっていた。