お待たせしました絶望タイムです
「試練を開始する、といっても」
目の前には男と、白い部屋。それ以外には何もない。
当然、試験机のような物もなく――表の試練のように茶会用の場も開かれていない。本棚があった前の部屋とは違い、本当に無機質な部屋だ。
「……まだ試練の内容を聞いていないんですが……」
「確かにね」
疑問はもっともだとばかりに、目の前の男は首を何度も縦に振る。そして申し訳なさそうに片目をつむり、手を合わせて謝罪の言葉を告げる。
「とはいっても試練の内容は大きく明かすことはできない。強いて言うなら、この部屋に入るときに何か声を聴いただろう? それが試練の内容さ」
「はぁ……」
「……不服のようだね、では代わりに気になることを答えよう。あ、試練以外のことね。これでもボクは長生きだ、あ、今のボクは死んでいるけど実質長生きで、死んだ後も長生きさ。2回目の人生というべきかな?」
「めんどくさっ! そこまでこだわっていませんから」
思わずツッコミを入れるも、事実目の前の男に話を聞くしかないのだろう。
カロンが話していた通りならば、中の人物の指示に従うとのことだったが、その彼が何でも答えるといったのだ、できる限り情報をもぎ取ろう。
「……なんでも、いいんですね?」
「どうぞ? 初恋の人とかは伝え――」
「まず……なんて呼べば? 俺もシャオンなんですが」
「ああ、なら――アケロンでいいさ。そこでの活動が一番長かったからね」
シャオン――改めてアケロンは何がおかしいのかくつくつと喉を鳴らして笑う。
「なにか?」
「いや、ボクがその名前を名乗ることになるとは思わなくてね」
「はぁ……次にアケロン、さんはこの試練の管理人ですか?」
「さんはいらないよ、ボクらは同じ存在だろう?」
「はい?」
「まぁいいや、先に質問に答えよう。管理人は弟子であるカロン、試験管はボクだ、今回に限ってはね」
今回、という言いぶりから時期によって変わるのかあるいは、試練を受ける人物によって変化するに違いない。
今までこちら側の試練を受けられた人物が少ないため真意はわからないが、後者のような気がする。
「貴方は――以前怪人と呼ばれていた、あのシャオン、なのか?」
「――答えのわかっている質問をするのはどうかと思うよ?」
目の前の男が、この聖域の中で何度も訊いた名前の一人、『怪人』シャオンだ。
話しているだけで肌がひりつく感覚、エキドナと話をした時と同じような異形と対面している感覚。
だが、それよりも自身だけがわかる直感という物が、目の前の男は『それ』なのだと実感させてくる。
「……薄々感じてはいたけど、やっぱり。でもなんで、俺にそれがわかるのかって言うのは――」
「ああ、それは君がその『怪人』の部品の一つだからね」
「部、品?」
人に対して使うには相応しくない言葉、しかもそれが自身に向けられていることに眉を顰める。
その視線が伝わったのか、目の前の男――アケロンはケラケラと笑いながら謝罪の言葉を口にした。
「ああ、ごめごめん。正確には部品というよりも台座だね」
「あんまり変わっていない気がするんだけど……俺にだけわかるのは」
「ヒナヅキ・シャオン。君は過去の”シャオン”に一番近づける存在だ」
疑問に疑問を重ねてしまう前に、アケロンは話の流れを切る様に告げた。
「この世界にはボクが造った器が複数ある。君も会っただろう?」
「――シャロ」
思わず浮かんだ人工精霊である彼女の存在を、名前を口にする。
アケロンから返答はなかった、がその浮かべている笑みがすべてを物語っていた。だとすれば彼は、人工精霊を自身の”器”として作ったわけだ、人道的ではない。
「その中でも君は独自の”自我”という物を宿すことができていた。成功例さ。だから、ボクという存在を本当の意味で理解できる、本物だとね」
「まてまて、まってくれ!」
「うん?」
「話についていけない! 一体どういうことだよ! 伏線の回収だっていうなら順序良くやってくれ! シャロ嬢が人工精霊、で器って言うのはまだわかる。その、それがどういう物かはわからないけど、その後の”俺”もっていうのはどういうことだよ! そもそも――」
「ふむ、ならそうだな。まずは結論から話そうか」
今まで抱えていた疑問を解消するようにマシンガンのように次々と質問を投げかける。
それをしっかりと受け止め、アケロンは少し考えて――
「君は人間ではない。この世界に昔存在した『シャオン』という怪人、それがいつか蘇るために用意された器だ」
蘇るための器。
それが、自身――雛月沙音である、と。
「人工精霊に近い、けども正確には”人造人間”というのかな? 君だけは特別だからね」
「じゃあ、俺の雛月沙音としての記憶は……」
「さぁ? ボクは関与していないよ。ただ、推測を語ってもいいのならば――君の抱いた妄想、が一番可能性が近い」
「――そんな」
ことは、ない、はずだ。だが、それを口に出すことができない。
声が、出せずに変な音だけが漏れる。
「意外に驚きが少ない、という訳ではないね。ああ、エキドナ先生から、表の試練で見たのか」
――――
――頭が痛い。
「どの記憶を見たんだい? クローリサを建て直した頃かな? それともあのガキ大将のレイドに認められたときかな? アケロンの舟での活動のときかな? 糞『竜』との会話だったら最悪だし、魔女たち、ボクの友人や、カー……あー、恥ずかしい思い出をみたかな? それとも――『シアタ』の選定を行ったときかな?」
頭が痛い――声が響く。
悲鳴が響く、血が舞う、恨みの声が、消えない。
「――黙れ」
「おぉ、感情的に。痛いところを突かれたのかな?」
アケロンが煽るように僅かに光る。
まるで彼の感情と共鳴するかのように、クラゲのように点滅し、それを僅かにきれいだと感じてしまった自分を叱咤、改めてこの男に敵意を向ける。
『――――自身と向き合い、打ち勝て』
これが試練の内容だ。
この自身という奴が、目の前の男ならば――ちょうどいい
「つまり、お前をぶちのめせば、試練は突破できる訳だな」
「……ふむ、否定はしないよ。打ち勝て、だからね。ただ――おすすめはしないよ」
「ぬかせ」
シャオンの纏う雰囲気が変わる。
完全に、目の前の男を敵対対象、殺害しても問題ない者へと置き換えた。
「向き合う覚悟もないものに、負けるほどボクの価値は落ちぶれていないからね」
空間がひび割れるほどの振動が起き、本当の意味で『試練』が始まった。
◇
「どこからでもいいよ、年上の余裕があるからね。あ、この場所もよほどのことがないと壊れないから自由に」
「……ふざけやがって」
足に力を溜め、完全に踏み込む体制を取る。
それを見てアケロンも拳を構える。
僅かな空白の時間の後、力が放たれ――同時に、溜めた力を使わず、つまりは相手の懐に踏み込まずに『不可視の腕』を使用。
完全な奇襲、対応しようとしていたアケロンは意表をつかれたようで、振り抜いた拳は空を切っていた。
「ふむ、視認できない腕による攻撃か。いいね、特に奇襲を混ぜているあたり初見の相手には効果抜群だろう」
「でも」とつぶやきアケロンは呟き、マナを集める。そして、
「ヒューマ」
吹雪が発生する。
一番下級の水魔法それ自体がここまでの規模であることに驚くが、それでも威力自体は高くない。で、あれば不可視の腕は防御に使わず、そのまま振り下ろす。
「同じ様なものを使える身としては対処法は知っている」
「――え」
膨大なマナの量を細かくし、周囲に氷の粒、霧状にまで変化させたそれが広がる。
そして、不可視の腕の周囲だけがその霧が弾かれ、シャオンにしか見えない不可視の腕の造形が、これではっきりと見えるようになってしまった。
これでは、不可視の腕は回避が可能なただの攻撃手段になり下がる。
「さ、まずは腕を封じた。次は何を見せる?」
「フーラぁ!」
「氷を、吹き飛ばすか、でもこれではキリがのはわかっているだろう? マナの総量ではボクのほうが上だ」
再び氷の霧を広げるアケロン。息を零し、こちらを見る彼を無視して、シャオンは次の攻撃へと移る。
僅かに生まれた相手のその隙を逃さないようにマナを凝縮させる。
急激に自身のゲートに大量のマナを通したことで、僅かにふらつきが起きるがそれらをすべて無視し、顕現させる、イメージを。
「アル・ゴーア!」
片手に炎を。
「アル・フーラ!」
片手に旋風を、そして、それらを合わせる。
「合成魔法――フェイル・ゴーア!!」
「ほぉ、凄いね。流石に当たるとまずそう」
詠唱に風が巻き起こり、渦巻く大気に朱色の火炎が混ざり込む。
生じた炎の竜巻は一直線に男へと迫る。男が回避行動をするよりも早く、その先をシャオンは、
「――不可視の腕ぇぇぇええええ!」
視認のできない、自身の能力を使った一撃で封じる。
どれかは必ず当たる一撃であり、どれもが当たれば無事では済まない攻撃だ。
目の前の男がどういった存在なのかは正直わからない、だが自身の中ではあのラインハルトと同レベルで危険な存在だと訴えかけてくる『何か』があった。
だから殺す気で放った一撃は――
「――ウル・シャマク」
その言葉と共に感じたのは、闇だった。
気付いたとき、シャオンは闇の中にいた。
「――――?」
否、気付いたのかどうか、それすらも意識は判然としていない。
自分がどこにいるのか、立っているのか座っているのか、何もわからない。
上下左右が、正面背後が曖昧だ。息を吸っているのか、吐いているのか、血は巡っているのか、鼓動は続いているのか、生きているのか、死んでいるのか。
何もかもがわからない。何もかもに答えが出せない。
影の中に自分が溶けてしまったように、自分がどこにいるのかもわからない。
人の形を、自分がいまだにできているのかわからない。手の動かし方がわからないから、体に触れて確かめようもない。どこにいるのか確かめようにも、足の動かし方がわからないから歩き出せない。歩くってなんだ。確かめるってなんだ。
――そもそも、自分はいったい誰なんだ。
自分と他人の境界線がぼやけていく。
自分と世界の境界線がぼやけていく。
考える力が溶けていく。なくなってしまう。消えてしまう。
このまま、このまま、このまま――。
「魔法とは、マナとイメージ、君にはあまり関係ないがゲートの素養も大事だ」
終わる命を繋ぎ止めるように声が聞こえた。
「大事だからこそ、どれか一つでもかければ魔法は霧散する」
言葉と共に視界が明るくなる。
そこにいたのは、
「発動しきっていたからできるかはわからなかったけど、君の精神を闇に飛ばし、いじらせて魔法を消滅させた。簡単に言うならば、君自身がボクへの攻撃を止めたのさ」
無傷の、アケロンだった。
汗一つすらかいていない、無傷の姿だった。
「魔法も、君の持つ能力も効かない。そうなると」
滑り込み、鳩尾に向けて空気を震わせるほどの拳をたたき込もうとする。だが、それよりも早く、アケロンからの一撃が放たれた。
「肉弾戦だよね。『拳王の掌』」
吹き飛ばすことすら許さないとばかりの、拳王という言葉にふさわしい一撃。
骨が折れなかったのは、拳が当たる直前に不可視の腕を防御に回していたおかげだろう。
だが、不可視の腕は霧散した、以前も大きな攻撃を受けて消え去ったことがある。
完全に仕えなくなるわけではないが、しばらくは使えなかった。具体的には――3日ほど復活までにかかる。
つまり、この相手には、もう使えない。
あと、シャオンが行える攻撃方法は――
「『幽気の太刀』」
「――あ」
目に見えない斬撃が、シャオンの身体を右上から裂く。
鮮血が舞い、温かい命が漏れていく。
だが、それが地面へ落ちる前に、空中で血を凍らせ、ナイフとして飛ばす。
「驚いた」
その言葉が嘘でいないかのように、彼は初めて目を見開く。
当たれば大人でも死ぬかもしれない一撃、速度で放たれたその斬撃は――
「でも、苦し紛れだ」
届く前に、何かに撃ち落とされる。
それを見て嫌でも感じてしまった――次元が違う。
今まで戦ってきた相手の中でも格段に、違う。勝てる道筋を立てることができない
「――折れたね」
空気が裂ける音を聞き、シャオンの身体は勢いよく地面へとたたきつけられた。
「試練は、失敗だ。君はここから逆転できない。なにより君がそれを自覚してしまった。ここからはお話タイムという奴だ”部品”くん」
◇
「まず君の敗因だが”魅了の燐光”の耐性がない事だ」
「……あ?」
「気がつかなかったかい? 普段のキミだったらあんな短絡的な行動はしないだろう」
あの時の点滅だろう。
勿論、おかしい点はあった。
だが、それを気にすることすらできないほどに、自身の感情が怒りで染まっていたのだ。それがあらわすことは――目の前の男の能力の使い方が上手すぎたということだ。
「特に今の状態であれば簡単に感情を揺さぶれた。具体的に言うならば性格に攻撃性を載せることができた、攻撃が単調になるようにね」
反応しようと体を起こそうとするが、何か大きな生物に巻きつかれているかのように、まるで、子供が乱暴に玩具を持つかのように握りしめられている感覚。
身動きは、取れない。息をするのですら謎の圧迫感によって骨が軋み、肺にうまく空気が入っていかず一苦労だ。
「それにしても流石に頑丈だ。加減してはいたけど、この”腕”で叩きつけられてまだ肉の形を保てるなんてね」
「っ、が、っ」
抑えつけられている部分に手を伸ばし、跳ねのけようとするも、その抑えている物に触れることができない。
自身の血や、砂煙などでその形を掴もうとするも、それすらもできない。シャオンの物とは違う、本当の意味での”不可視の腕”だ。
「無理だよ。その腕はボク以外には知覚できないし、ボクの意思でのみ実体化できる」
「ち、ちーとかよ」
「そもそも、君は『模倣の加護』というものを認識できていないね、しっかりと」
「模倣の加護……」
「自身が加護に対する認識もなかった、なんてことはやめてくれよ? 薄々実感はしていたはずだ」
勿論そういうことはない。
だが、異世界から来た特典、スバルの『死に戻り』と同様の能力だと思っていたのだが、違うようだ。
それを見てアケロンは満足そうに笑う。
「よろしい。で、話だ。君の言うチート、『模倣の加護』は他の能力、加護、動きを真似ることができるものだ。達人の剣技、賢者の知恵、狂人の思考。どれも模倣の加護で自身の物にできる……種族特有のものと、もう一つ例外はあるけどね」
アケロンは溜め、わざとらしく思えるように緊張感をつくり、ようやく話した。
「『模倣の加護』は『権能』を模倣できなかった」
「権、能」
「そう。権能と加護は相容れない。昔のボクは大切な人たちと同じものを手に入れることができず嫉妬し、自身の価値のなさに落胆した」
以前ペテルギウスと戦った時に、シャオンは聞いたことがある、『怠惰なる権能』と。恐らくはそれと同じものなのだろうが……
こちらの疑問を解消する気は目の前の男にはなく、話はひとりでに進んで行く。
「でもボクはあきらめられなかった、だから『権能』の本質は模倣せずに、能力だけを真似ることにした。客観的に見たものだけどね。すると、いわゆるバグが生まれたのさ。『権能』に近く、確実に遠い。歪な能力としてね。それが君の知識にある『不可視の腕』や『魅了の燐光』という能力だ」
「俺の……」
「『権能』は世界に干渉するもの、言わば権利だ。だが、ボクにその権利は与えられることはなかった、道理だね。加護を与える側の存在と強く結ばれているボクは舞台を変えられたり、台本を用意したり、演者を導くことはできても、世界と真の意味で寄り添うことはできない」
そこで男は目を伏せ、小さな声でつぶやいたのをシャオンは聞き取れた。
「――観覧者に踊らされる存在なのさ、ボクは。彼女達とは違ってね」
聞いているこちらが泣きそうになりそうなほどに消え入りそうな声。
普段であれば励ましや、気遣うことができたかもしれないが目の前の子の男にそれができるほど自身に余裕はない。
なにより、先ほどまで殺そうとしてきた相手にできるほど度量は広くない。むしろ――
「――仲間、外れか、可哀想になぁ……!」
「痛いところを突くように言葉を吐くじゃないか」
こちらの挑発に乗るそぶりはなく、また無機質な声に戻る。
「そう、可哀想な存在なのかもしれない。でも、それも仕方ないことだと思うよ」
そして、彼は初めて感情の乗った言葉で、語り掛ける。
「ボク達が持つ能力はただ模倣するだけだ、それだけの能力だ。他の誰かにできることを代わりに行うことになるだけの能力、なんて認識ならば、君は本当の意味で理解できていない。種族特有のものは模倣はできないが、それでも能力とその能力が起こす結果を模倣することはできる。他人の努力を、それまでに歩んできた道を容赦なくかすめ取るような所業を持つ能力だ。だって、そうだろう?ボク達はいかなる偉業でもそれを努力せずにマネすることができるのだから。そういう意味では今代の大罪司教の……暴食? だったかな、彼等と同じようなものだよ。質は今のところはボク達のほうが上なのだろうけどね。それに、この能力は本物を模倣するだけ、どれだけ努力をしても必ずその素晴らしい本物に追いつくことはできない。だって、『模倣』なのだから、超えることはできないよ。勿論、あることをすれば乗り越えることはできるかもしれないが、それをしたところでどうなるのかな?それで乗り越えたところでその人の”価値”を、世界の基準とすべき”価値”を下げるだけで何の意味がないんじゃないかなとボクは考えているよ。話がそれそうだから本題に戻すけれど……そう、そんなボクたちは可哀想な存在だといったね。そう、そうなんだ、その通りなんだよ、僕達はある意味で憐れみを受けるべき存在なのだろうさ。どれだけ努力をして、得るものがあっても本当にそれが自身の努力によるものなのか、『加護』による効果なのかが判断できないのだから。『何でもできる』は『何かができる』訳じゃないんだ。わかるかな? わからないよね、仕方ないよ。この考えを理解することお強要することなんてしない、する価値すらボクにはないからね。でも、これは忠告だ。君がボクの部品であるならこの問題はいつか通る物。それがたまたま今日だっただけだ、運がいいのか悪いかは知らないけどね。でもボクの個人的な意見を言わせてもらうならよかったことだと思うよ。だって、親しい友人や恋人なんて存在ができて、そんな彼等から称賛の言葉を受けても、それが自身に相応しくないということを自覚することは避けられない。そしてその言葉を放った人物は自身が持っていない独自の能力を持っていることに『嫉妬』し、それまでの関係を断ち切ることなど容易なほどに、狂う。改めて今回君に合えてよかったよ、早めにその事実を知って『諦めてしまう』ことができるのだからね。自分は何もできない、できても誰かの見様見真似の猿真似。歴史に新しく頁を刻むこともできない、しようとしたけども自分自身がどこか納得のいかない気持ちになる。そうして苦しめられるなんて未来が待っていたのだから。でも安心するといい、ボクという同じ境遇であり、というよりも同じ存在なのだから当たり前なのだけど同じ悩みを持つであろう者に出会えたのだからね。アドバイスとやらを送ることができる。簡単なことだ、他の者を導けばいい、彼らが辿る素晴らしき栄光の道にただ寄り添うだけでいい。苦難の道であろうとただ寄り添い、手伝い、自身はその栄光を味わえないとしても構わない『傍観者』になるといい。そしてそのうえで彼等が自身よりはるかに劣る存在であり、価値が世界を汚すものであると判断できるならば――間引くといい。君が、彼らの価値を間引き、引継ぎ、別のものに託せば良い。この世界で一番劣るボクに間引かれるならばその程度の価値だ。残すに当たらない物だろう。であればそんなものが世界に残っていることがひどく不快なものだと思わないかい? 自分が得ろうとしていたものを持っているのにその価値を理解せず、ただただ堕落していくのだからさ。自分は何が何でも欲しいのに、それは価値を下げて、ただただ消えていく。許せないよ、これほどまでに羨んでいるのに、ただただ消えていくのは悲しく、そして憤りを覚えてもいいことだと思う。さて、繰り返しになってしまうが、ボクは君の目的に対して、これから彼――ナツキスバルを導く存在としてその在り方を続けていくならば、この出会いは本当に有用なものだったと胸を張れる。あれほど痛めつけてはいるが君を殺していないのがその証拠だ、少しはしゃぎ過ぎたのもあるけど、感動していたんだよ。命を取っていないのが証拠だろう?試練の最中でも死ねば心臓は止まるからね。だから誤解はしないでほしい、ボクは君に怒りは覚えていない、ただ憐れに思っているわけでもない。同じ苦しみを味わう存在ではあるがあくまでもボクのスタンスは『平等』だ。必要以上に過干渉は起こさないよ、ボクはね。そんな価値もないからね、互いに。でも、今回の試練を受けて思ったのさ、このままではいつか詰まってしまうな、と。現状、すでにわかっている障害だけでどれだけ君の手に負えないものが乱立している。その難易度の高さは外の目、ボクの弟子から教えてもらっていたからね。それらを乗り越えようとする君の、君達の覚悟はボクとは違い、貴く、そしてあまりにも悲愴なものだ。君は第一の試練で止まり、ハーフエルフの彼女も、恐らく鬼族の彼女もそこで止まるだろう。そして、ナツキスバルは――第二の試練で詰まるだろう。でもきっとそれらの試練には意味がある。ここでの裏の試練を受けて得られた事実と同じように意味がある物だろう。きっとボクの師匠ならば『つらい現実に向き合うこと、それがどんな悲劇的な事実であったとしても尊く思いたい』というだろうね。それに関しては同意するよ。さて、長くなってしまったが結論を話そうか。『ボクたちは可哀想な存在』であり、『自分という物』がないような物だ。でも、ここで出会えたことはその可哀想な存在の中で唯一――失礼、珍しく幸せなことだということを認識してほしかったんだ」
演説のような、こちらを説得する気もない独善的な言葉の羅列に、思わず――
「――狂ってる」
「そうだね――でも君は未だなぜその段階にいる? 狂えない?」
つぶやいた言葉にも怒りは覚えていない。彼は、単純な疑問を持ってこちっらに問いかけているのだろう。
狂うのは当たり前だ、その当たり前ができていない方が異常なのだ、と。
「いいかい、ボクらは踊らされる存在だ。この世界という舞台からは抜け出さない存在だ。でも舞台中では自由に動ける、自由に踊れる」
クルクルと回りながら楽しそうに彼は話す。長い髪がふわりと回り、まるで女性そのものだ。
そして、その白い傘を回しているかのような光景は、回転は止まり、ふと今気づいたかのように呟く。
「と、すると驚いた。君は役割を自覚してないのに彼を導いたのか、ここまで」
すると今までの様に狂った目ではなく、賢者のように冷静な目でこちらを見据えている。
そう、まるで『価値』を見定めるように。
そして、まず彼の口が動いた。
「――『トガハクサビトナッテケッシテノガサズ』」
何事か口走った直後、シャオンの体がわずかに軽くなった。一体何事かと思い、恐る恐る、自身の体を見下ろす。
すると、パリン、といった軽い音共に足が膝の下までがガラス細工のように砕け散ったのだ。
「……は?」
「妹の能力でね、ある感情を君が抱いているならば効果が変わる能力、といえばいいかな」
砕け散った足から痛みはない。出血もない。
理解ができない。脳が、追いつけていけない。
「動揺はしないね、流石。……君は罪悪感を覚えているようだね、彼女のことかな?」
頭によぎるのは水色の髪をした鬼の少女だ。
「彼女を救えなかった、あの場にいたのに、十分に力があったのに」
親友の想い人であり、友人だった彼女を救えなず、仇を討てずにいる、そんな自分はのうのうと生きている。
「その事実がキミを咎人だと責め立てているわけだ」
「――ぅ、ふ、ぐ」
隠して痛かった事実に、感情を言い当てられ、吐露され、涙が出そうになる。
自分はここまで情けなかったのだろうか、自分はここまで弱かったのだろうか、自分は――
「それよりも――ああ、君は」
「わかったように、しゃべってんじゃねェぇえええええ!!」
見えない腕に抑えられている身体を無理やり起こす。
骨が砕ける感触、一瞬見えた死の光景を、脳が知覚しきる前に癒しの拳を叩きつけて治療。
体が元に戻るよりも早く、目の前の男にかみつこうとするシャオン。
だが勢い任せの動きではバランスが取れず、見当違いの方向へ倒れる。
それを見て、目の前の男、アケロンはつまらなさそうに目線を向けていた。虫を見るように、道端に落ちている石を見つめるように。
「――いい根性だね。さて、その腕は邪魔かな……まぁ、もう『その両腕はない』から問題はないけども」
その意味深な言葉の真意はわからない。だが、驚いたのは腕がなくなったのにその感覚に違和感を覚えないという事実だ。
先ほどのように足が砕けたのとはまた違う、まるで最初からなかったかのように、『世界が書き換わった』と錯覚するほどに、自然だったのだ。
そんな驚きに触れずにアケロンは話を続けた。
「これから価値を高めるために、これからキミに拷問のようなことを行う」
顎を靴で持ち上げさせられ、視線すら逸らさせない様にさせられる。
「君が封印した記憶を呼び戻す、といよりボクの記憶を分ける――怪人としての業ともいえる記憶だ、常人でいるなら狂うだろうね」
――嫌だ。
それだけは嫌だった、本能的に避けていた部分が、嫌悪感と共に命の危機だと警鐘を鳴らしている。
その事実を知ってしまえばシャオンは、雛月沙音という存在は壊れてしまうだろう。
そんな心情を知ってか、いや、この男ならば気にしないだろう。
「だが、勘違いするなよ? さっきも言ったけど、君にとっては避けられない問題だからね」
「――ぁ、ぁあぅ! あぐぅ! あぁ! めぇろ!」
足掻く、虫のように。懇願をする、処刑を待つ罪人のように。
涙を流しながら、いっそ舌でも噛んで死のうとするが、それすらできない。
どうするべきか、どうすれば――どうもできない、のだろうか。
「どうなるかはわからない、わからないからこそ価値がある。未知は進化へつながるからね」
思考の膠着と共にアケロンは優しく、シャオンの額に触れ――
「さ、思い出してみよう」
◇
――――地獄だった。
多くの怨嗟の声、なんてものではない。
全てが、影だ。
恨み、妬み、怒り、悲しみ、狂気、そして、憐れみ。
それらの負の感情がすべて体にまとわりつき、シャオンを、雛月沙音を飲み込み、咀嚼し、また生み出して、呑み込む。
それを繰り返し、記憶に流されることで沙音という存在がろ過されていく。希薄になり、消えていく。
勿論雛月沙音はこれらの経験がない。
だが、経験はないのに記憶のどこかで否定できない要素がある。
それが、アケロンが――シャオンが言う、部品故なのだろう。
ここで、ようやく認めることになるわけだ。
自分は異世界から来た人物ではないこと、そして過去に大罪を犯した『怪物』であると。
『それじゃここじゃ邪魔になるし行こうか、異世界に来たお仲間さん?』
「――なにが、お仲間だ」
笑いがこみあげてくる。
まるで道化そのものだ、自分が信じていたものがすべて崩れていく。砂の城のように簡単に。
「ふふ、あはは――あは、はは、ああはぁ! ははははは! なんだ、なんだよ、結局そういうことかよ」
逃げていた現実に向き合い、確信に至る。
「――俺は、ひとりぼっちじゃないか、最初から」
心のどこかが削れ、何かが入り込んでくる。
そして、雛月沙音の意識は沈み――
アケロンもといこのシャオンの評価は『価値狂い』です。
ぶっちゃけると結構な野郎ですよ、彼