彼等はある意味いい影響を与えたかもしれませんが
「ようこそ、改めてボクのあー、うん。ボクの城へ。席に着きなよ」
エキドナは丘の上――そこに置かれた白いテーブルを囲む椅子のひとつに腰掛け、正面の席を手で示してシャオンに勧めてくる。
わけがわからず、シャオンは尻込みしながら彼女の正面へ。テーブルの上には湯気の立つティーカップが並べてあり、彼女は、
「別に危ないものは入っていないから安心しなよ。なんならボクが先に飲んでみせてもいい。魔女に毒が通じるものなのか、君が疑うならなんの証明にもならないけどね」
エキドナの言葉に眉を寄せ、改めてあたりを見渡す。
風のそよぐ草原はどこまでも続き、四方のどこに目を凝らしても地平線の彼方までなにも見つけることができない。現実的に、ここまで空白的な土地が存在するかは別として、確かにいっそ幻想的な光景ではあった。
一度目の光景ではない、この場面に慣れ始めたからこそ、同時にこの空間を作った人物に恐怖を覚える。
「これほど待ち望んで、お茶の用意をするのは初めてだ。やはり、死んでもみるものだね。新しい発見はなおも尽きない」
「貴方ともはや会話が成立してんのかも怪しいよ。……それを飲んで、何かあれば一矢報いる実力はありますからね」
「それは楽しみだ」
子供を相手にしている大人の対応に馬鹿らしくなり、シャオンはにテーブルの上のカップを警戒をしつつも飲み下す。
水でも、お茶でも紅茶でもない、不可思議な味わい。不快ではない。
いや、どこか懐かしさを――
「魔女の差し出したものを飲み干すなんて、ずいぶんと勇敢なんだな」
「覚悟は、決めてます」
手を振り、飲み終わったカップをテーブルに置いて「ごちそうさま」と言葉を継ぎ、
「うまくもまずくもなかったけど、なんのお茶です? 紅茶には詳しいはずなんだけど」
「ボクの城で生成したものだからね。言ってしまえば、ボクの体液だ」
「ぶー!?」
椅子を蹴るようにして立ち上がり、飲み込んだばかりの液体を吐き出そうと苦心する。が、彼女はそんな大仰な反応にくくくと笑い、
「心外だな。ボクは自分の見てくれはそんなに悪くないと思っているんだが。キミの好みじゃないだろうけど」
「絶世の美女の体液でも飲むのはやだよ! 性癖はノーマル!」
「おや、でも君はすでにカーミラとダフネに……ああ、なんでもない」
「こわっ!……クソ、吐けねぇ。――体に悪かったりとかそんなじゃないよな?」
「安心しなよ。限りなく体に吸収されやすい。なにせ体液だからね」
「上手くないよ! ついでに味もね!その顔やめろ!エキドヤァってか!?」
「ふふ、上手いね。キミも」
ちょっと自慢げなエキドナの態度にシャオンは辟易とする。
言い募るシャオンにも涼しげな顔でカップをさらに傾け、「それにしても」と言葉を継いで、
「新鮮な感覚だ。あのキミがここまで感情豊かになるとは……みんなはどう反応するんだろう」
「もともと感情は豊かな方で……うん、そうそのはず」
「さて――」
と、そうして警戒を解けずにいるシャオンを見上げ、彼女は飲み干したカップをテーブルの上に置き、その縁を指でなぞりながら、
「こうして元気な君と話しているのもボクにとっては新鮮な喜びなんだが……君の方はそういうわけにもいかないだろう? 言いたいこと、聞きたいことがあるんじゃないかい?」
「……そう、だよ。そうです! 雰囲気に呑まれて完全に忘れてたけど、その通り。ここは、どこなんです? 裏側の聖域に、似てますが……確かまだあの書庫に俺はいたはずで」
「その答えは簡単。体はあの書庫に、精神は……ボクの城の中にある。言ってしまえば、ここは夢の中だよ」
「夢……? でも、俺は夢に見るほど貴方の顔に覚えはないですが」
「夢の中にいる、といっても別にその場所が君の夢の中である必要はないだろう。第一、君はカロンに一度招待を受けているはずだ。干渉は受けやすくなっているはずだ」
「そう、だ忘れていたけど。確かに、と言うよりもさっきの『表』で会った時も同じ風景で……」
この聖域に来た時に一番最初に訪れた、カロンからの正体を受けた『裏』の聖域。
そして試練でのイレギュラー対処に向かった際に訪れた『表』の聖域。
『表』と『裏』、似ているのは当然なのだろうか。
……そもそも今ここは本当に『裏』の聖域なのだろうか、実は『表』の聖域の延長だったりしないのだろうか。
そんな風に眉間に深く皺を寄せていると、彼女はそれを伸ばしてくる。
「な、なにを?」
「こんがらがるのも無理はない、けど受け入れないと進めないこともあるよ?」
「……では、まずは受け入れます。ちなみに退出方法は?」
彼女の言う通り、話を進めるためには無理やりでも受け入れるしかないのだということだ。
だが、それでも、もしもの退出方法を聞いておきたい。
「夢から覚める方法は起きようと思うか、外から起こされることだよ。もっとも、外から働きかけようとしてもボクの体はすでにないし、カロンも自発的に動かないだろう。他人の夢の中から自力で目覚めることは難しい。ボクが起こそうと思わなければ、起きられないんじゃないかな」
「――! じゃあ、まさか……」
淡々としたエキドナの言葉にシャオン戦慄する。
彼女の城、という意味がより如実に形を帯びた。そこに囚われた魂は今や彼女の掌の上だ。
「俺を、外に逃がさないつもりか……?」
最大の警戒を払いながらも、魔女に対して致命的な亀裂が入るかもしれない言葉を投げかける。仮に彼女がその本性を露わにしたとしたら、決して敵わないと理解した上で。
そして、そんなシャオンの問いかけに彼女は小さく吐息をこぼし、
「いや、別に。帰りたいなら帰してあげるけど? だってボクが呼んだわけじゃなく、君があんなに熱く求めたからだろう?」
「……あ、そう? そうなんです? なんか拍子抜け」
「さて、ここならばある程度の話をしても邪魔はされないし、なにより試練を続けていてももう一つのボクが見ていてくれている。そろそろ話をしよう、返すものもあるしね」
「……意味が分からない、がその答えも教えてくれるということでよろしいんですね?」
「ああ、勿論。だけどその前に──君はどこまで覚えている?」
「さっぱり」
エキドナの問いに、正直に答える。
含みがあるのかもしれないが、いったい何のことを聞かれているのかすら見当もつかない。
いや、ある程度見当はついているが――考えたくない。
そんなシャオンを見てエキドナは少し考えるそぶりを見せた後、
「であれば、今回の茶会は案外短くなるかもね。質問することが思い出せていないのだから」
「……その前に、一つお願い、いや『契約』を」
「うん?」
まるでお預けを食らった犬のように、エキドナは僅かばかりに顔を変える。
「この空間において嘘はつかないでほしい、答えにくいことは沈黙かはぐらかしてもいい。これを両者に適応しよう、『真実しか話さない』こと」
シャオンの申し出にエキドナの表情は読めない。
今までの経験則上、子の魔女は相当のやり手。アナスタシアにさえまともに知能戦で勝てない自分が勝てるはずがない。
だから今は最低でも出し抜くのではなく確実な情報を集めることに徹する。そのための契約だ。
問題はこの契約を呑んでくれるか、だが。
彼女はいまだ沈黙を保っているそして、息を、本当に息を大きく吐き出し、
「──そんなに信用がないかなぁ、ボク。いいよ、構わないさ結ぼう」
テーブルに突っ伏し、拗ねたような口調で手を伸ばしてきた。
これは、手を掴めということだろうか。
そう考えているとエキドナは催促するように「ん!」と再度こちらに伸ばしてくる。
仕方なく、慎重に手を伸ばし、彼女の手を取る。
柔らかい、普通の少女の手。気を付けないと傷がついてしまいそうなその手を優しく握る。
その瞬間、見た目は何も変化しないが、確かに『何か』が変化したように感じた。
「……こんな簡単なのか、契約って」
「内容が簡単だからね。複雑なものならもっと手順を踏むさ。それにキミの特性上──いや、それよりさて、まずは何から知りたい?」
「えーっと、貴方はエキドナ。『強欲の魔女』で、すでに故人。ここまではいいですか?」
「それで間違いないよ。ここはボクの夢の中で裏の聖域だ。今本来の管理者は留守だから管理しているのはボクだ。帰りたいときは一声かけてくれればいい」
「それはご配慮ありがとう。で……」
顎に手を当てて、白髪の少女をじろじろと眺める。彼女はシャオンの不躾な視線を浴びながら、その透き通るような白い頬に手を当てて「なんだい?」と片目をつむった。
「故人……?」
「……ああ、なるほど。確かにその点についてはまったく説明していなかったね。ここまでその点にまるで触れなかった君も君だが、ボクもボクだった」
「ええ、墓場で幽霊、違和感はないけど、どうもその見た目と性格やら干渉具合から信じられなくて。あとあの部屋にある本がすべて死者について書いてあるとは言っていたし、それが真実ならまぁ、うん信じられるんでしょうけど」
「……幽霊、というのは否定しないね。肉体を失った精神体であることは事実だ。さて、ボクがこうしているのが何故なのかと言われると……そうだね。抑止力のため、というのがもっとも正確な答えになるだろう」
「抑止力……? なんの……いや、もしかして」
「鋭いね。魔女が出張るほどの者は限られているさ」
シャオンの答えに満足そうに頷き、エキドナは小さく拍手してみせる。それから彼女は空を、作り物の青空を手で示すと、
「ボクをこうしてこの地に繋ぎ止めているのはボルカニカ──神龍ボルカニカだ。今の君でも聞いたことぐらいはあるんじゃないかな?」
「……確か、ルグニカ王国の王様とかと盟約を交わしてるっていうドラゴンのことですよね。王選の広間で、そんな名前を聞いた」
何故だか胸がむかむかする。
なんというか会う前から、名前を聞いただけでわかるくらいに相性が悪い気がする。
「ふふっ」
「なに笑ってるんです」
「いや、キミの好みは変わらないな、と。さて、ボルカニカで合っているよ。ボクはその龍の力でこの墓所へ封じられている。ボルカニカがそうした理由は君の推察通り、『嫉妬の魔女』への抑止力だ」
穏やかで理知的な眼差しをしているエキドナだが、彼女の口から『嫉妬の魔女』の言葉が紡がれるたびに、その瞳に険しい感情が刹那だけ走る。
それだけ、彼女と『嫉妬の魔女』との間に存在する溝が大きいということだろう。
「今も封魔石に封じられる『嫉妬の魔女』だが、彼女の封印は盤石ではない。ボルカニカの寿命とて永遠ではないし、なにかの拍子に封印が解かれないとも限らない。あれを信奉する存在も少なからずいるし、天変地異で封魔石の一部だけが破損しないとも言い切れない。──故に、ボルカニカはボクの存在を残している」
「『嫉妬の魔女』が復活したとき、それに対抗する戦力として……」
「もっとも、残った魔女がボクではボルカニカの期待に応えられるとは思えないがね。残すなら他の魔女を残すべきだったんだよ」
「やれやれ」と首を振るエキドナになんと言っていいのかわからず押し黙るシャオン。そんな様子の前でエキドナは「ともあれ」と言葉を継ぎ、
「魔女であるボクと、神龍ボルカニカ。あとは『剣聖』と……賢者か。とりあえずそれだけ揃えば、仮に『嫉妬の魔女』が復活することがあったとしても対抗できるかもしれない。というのが、ボルカニカの儚い希望といったところか。」
「つまり、貴方をここに縛っているのはそのくそ竜が原因ってことでいいんですかね?」
「くそって……まぁ、正確にはボルカニカの意思をメイザースの術式が繋いでいるというところだ。こうしてここに足を運んだ以上、メイザースぐらいは知っているだろう? あるいはもうこの家名も残っていないかもしれないが……」
「いや、メイザースはまだ存命です。ロズワール・L・メイザースがこの墓所含めた一帯の領主です」
シャオンはロズワールをどう説明したものかと頭を悩ませる。属性が多すぎて、という部分よりもシャオンが知らない要素が多すぎるからだ。
が、そんなシャオンの迷いとは別に、エキドナはその形のいい眉をピクリと震わせて、「ロズワール?」と呟くと、
「すまないが今、ロズワールと言ったかい?」
「ええ。あれ、知ってる?」
「――知っていたら、おかしなことになるね。なにせボクは四百年ほど前の存在だ。同じ時代にその人物がいたとしたら、話が少しおかしくなってしまう」
エキドナは「そうだな」と唇に指を当ててから、
「君の言うロズワールというのは、濃い灰色の髪を長く伸ばした人物だろうか。瞳の色は……確か黄色だったと思ったが」
「──いや、それなら違います。俺の知ってるロズワールさんは髪の毛の色が藍色で、目の色も片目ずつ青と黄色で色違いの目をしています」
ロズワールはこの土地、『聖域』の管理について代々引き継いできたものであると話した。それはつまり、この墓所にエキドナを封じるボルカニカとの盟約も引き継いできたということになるだろう。
一族が代々継いできた役割。だとすれば、
「ひょっとすると、ロズワールの名前も襲名式なのかもしれない」
「ロズワールを継ぐもの、か。だとすると、それはちょっとした悪夢だね」
こちらの推論に納得したように頷き、それからエキドナはいくらかの疲れを覗かせながら肩をすくめた。らしくない態度に眉を寄せると、彼女は「いや」と言い、
「ボクの知るロズワールという人物は、少しばかり一途が過ぎる人柄をしていてね。ある目的のために一生を捧げかねない危うさがあった。仮に彼がボクの死後、なおも変わらないままであったなら……」
「自分の一生だけで飽き足らず、一族の時間までそれに捧げてるかもと?」
「そういうことだよ。いやはや、それは考えただけで恐ろしいことだ」
その言いようのわりに、エキドナの口元には微笑が浮かんでいる。
それはまるで、出来の悪い子どもを見守る親のようなものに見えたのは見間違いだろうか。いずれにせよ、
「貴方が墓所にいる理由と、それを誰がやってるかはわかった。そんな大層な理由があるとは思わなかったけど、もう満腹だよ」
「ふふっ、満足していただいて結構。……それで、他に質問は?」
「……次に聞きたいのは、試練だ。この墓所で行われるって聞いてる試練。それの内容を聞かせてほしい。あと、なにが突破になるのかも」
「出題者に問題文と一緒に答えを聞くなんて、無慈悲なことをするね、君」
「余裕がないからね」
そんなシャオンの言葉にエキドナは考え込むように目をつむり、きっかり五秒後に瞳を開くと、
「試練、だったね」
「ああ、そう。今スバルとアリシア、エミリア嬢が挑んでいるそれをクリアできないと、『聖域』から出られなくなる。だから、教えてほしい」
『聖域』の周囲に張り巡らされている結界のようなもの。それが彼女の出入りを拒むのであれば、弾かれないスバルもまた出入りするつもりはないだろう。
と言うよりも現状が―フィルが説明した通り結界を解かないと話が進まないし、王選からの脱落も考慮に入るだろう。
彼女が試練を突破し、全員一緒にその壁を通り抜ける。
「試練について、は黙秘しよう」
「知らない、訳ではないんですね。当然」
「観測しているからね、今こうしている間にも。ただ……裏の試練に関しては関与していないよ。だからそちらの試練については答えられない。むしろボクの方が試練について聞かせてもらいたいぐらいだよ。その内容、出題傾向、解答者の選別ともちろん問題の答えと、好奇心は尽きない」
瞳を輝かせ、知識欲に瞳を輝かせ始める『強欲の魔女』。
その欲求に素直な姿にため息をぶつけて、シャオンは『試練』に関してのこれ以上は話を引っ張っても仕方がないと判断。
そうなると、
「あ、そういえば一個だけ思い出した」
「うん?」
「この墓所がある『聖域』の住人。ここを実験場とか呼んでいた。どうも『強欲の魔女』の実験場って意味らしいけど、ハーフ逃がさない結界があることといい、なんの実験をやってたのかとか……」
「言えない」
「聞かせてもらえたらって……」
だが、その質問はばっさりと、表情を消したエキドナに切り捨てられていた。
その取りつく島もない態度に思わず押し黙る。その反応を見て、エキドナは自分の言葉の切れ味に気付いたのか気まずそうな顔をして、
「言い方が悪くてすまない。だが、言えないこともある。ボクはその質問に答えることはできない。言えないんじゃなく、言いたくないんだ」
「……いい印象の言葉ではないけどそれは発言者の性格だと思っていましたが……実験場。でも、否定もしない」
「そこまでで止まってほしい。それ以上踏み込むのならば……君の心が死ぬ」
「そ、れはどういう? 遠まわしに殺す、と?」
「……」
冗談めいた質問にも目を伏せ、エキドナはそれ以上の追及を拒んでいる。
圧倒的な存在である魔女が、肩を小さくしてシャオンにそう懇願したのだ。それを聞いてしまえば、それ以上の追及は諦めざるをえなかった。
「後は、なんで俺と、スバルが『聖域』に、『表の試練』に挑めるんですか?」
「簡単さ、ボクが許可を出したからだ」」
意外だとばかりに眉を僅かにあげるエキドナ。
だが、こちらとしては当然の事だ。当たり前だ。とばかりに彼女は解を投げた。
「こっちはボクが作った試練だ、当然だろう? 整理すると『表の聖域』の試練はハーフであることと、強欲の魔女、ボク、エキドナが許可を与えたときだ。ちなみに『裏の聖域』はボクの許可のみで受けることはできない」
「作ったのが貴方ではないから、ですか」
頷く彼女を視界の端で見つつもよくよく考えると道理は通っていることに気付く。
製作者が任意に設定できないことはない、彼女に気にいられれば試練に挑めるし、嫌われれば弾かれる。
つまりはこの魔女の掌の上ということにある訳だ。
「ところで――」
かちゃり、とカップが音を立ててテーブルに置かれる。
その音は静かな音、だが今のシャオンには妙に大きく聞こえ、
「──いつまで本当に知りたいことを避ける気だい?」
咎めるような声が、ただただ広大な風景の中響いた。
◇
エキドナのこちらを見る視線は鋭い。知識欲と言う欲を押さえているシャオンに対して怒りを覚えている、ように思える。
それは全てを欲した強欲の魔女ゆえのことだろうか。
「……」
たしかに避けていた質問がある。
だが、この質問をすることは、”雛月沙音”にとって、致命的なことを知ることになる。
そんな、生存本能に近い予感が、シャオンの口を開かさないでいた。
だが、
「知りたいのだろう? 欲望のままに、渇いたその隙間を埋めることは、誰にもとがめることはできない。」
目の前の魔女は逃してくれない。
「もしも咎めるものがいても私が許そう。この『強欲の魔女』が」
そっと、優しく背中を押され、口が開く。
「──ぼ、くは」
声が、出ない。
呼吸も、上手くできない。
これ以上、言葉が、本能が拒否している。
息が、出来ない。
「──っ」
「……今回はここまでのようだね」
過呼吸になりかけていたこちらの背中をいつの間にか背後にいたエキドナが背中をさすってくれる。
そのおかげもあって多少は空気を吸い込むことが出来、何とか落ち着ける。
「よっぽどだね、少し、想定外だ」
「……満面の笑みを浮かべて、い、言う台詞じゃないですよ」
「君のその顔を見るのは嫌いじゃない」
「……いい性格だよ」
落ち着いたところで、どう言葉を繋ぐべきか。
とりあえず素直に感謝の言葉を伝えるべきかと、とシャオンは視線を上げようとして、
「──ッあ!?」
ふいに、腹の底で熱いものが存在を主張することに意識を奪われた。
「……ぉ、あ?」
すさまじい熱量に胃袋を焼かれる感覚。シャオンは呻き声を上げながら腹部に手を当てて、その場でふらふらと足をさまよわせる。
ふいにわいた苦痛は尋常ではない。腹痛などとは比較対象にならない謎の苦しみに口の端を涎が伝う。立っていられず、その場に膝をついて、すぐに横倒しになった。
そんなシャオンに、
「ああ、やっと効いてきたようだね」
と、冷たい瞳をたたえるエキドナが見下ろしていた。
彼女はゆっくりと悶えるこちらに顔を近づけ、口をぱくぱくとさせているシャオンの顔を見て、
「……まさか、毒でも……」
「それこそまさか、だよ。第一君には効かないだろうしね。君が飲んだのはボクの体液だ。本来の君なら飲みなれたものだが、今の君はまだ未完成だから拒絶反応が起きるのだろう」
目を見開き、シャオンはエキドナを睨みつける。先ほどまでの友好的な態度はどこへやら。いったい、彼女はなにを目的としてこんなことを──、
「誤解しないでほしいんだが、ボクはなにも君に敵意や悪意を持ってこんなことをしているわけじゃない。むしろ、ボクは君の存在を好ましく思っている。ボクの一部を飲ませたのも、そのためだよ」
「わ、かるように」
「簡単に説明するなら、君の中に眠る『ある物』を目覚めさせる手助けをした」
「ある、もの……?」
「君の成長に関わる、大きな問題だ。命にもかかる……ただ、いつ爆発するかわからない爆弾を、被害が大きくならないうちに爆発させておいてあげようという心遣い、のようなものかな。夢の中でそれが済むなら、外に出て爆発しない分だけゆとりが持てるんじゃないかな」
「……そんなものを抱えた覚えは」
「そうかい、でもあるんだよ。あとこの行為にはほかにも意味があってね――これで君は、表の墓所の試練を受ける資格を与えられた」
「──!?」
「これで、君も夜の墓所の試練を受けられる。すべてを知ることができる。受けるかどうかは君の自由だ。受けないのもできる──どうするかは、好きにするといい」
あっけらかんと語られて、シャオンは意識が飛びそうになる苦しみに視界を明滅させる。
苦痛が全身を焦がすのに意識が奪われたわけではない。いつまでも続くと思われた苦しみはわずかに安らいできており、終わりが見え始めていた。
だが、この苦しみを克服するよりもどうやら、
「逢瀬の時間は終わり、のようだね」
徐々に徐々に、視界の中で世界の輪郭がぼやけていく。
青々とした空が、緑に覆われた草原の丘が。二人が囲んでいた白いテーブルと椅子が、その像を結べなくなり始めていた。
「貴方がが終わりに、しようとしなきゃ終わらないんじゃ……」
「現実の方の時間が限界に達したんだよ。誰かが君を起こそうとしている。その誰かは、目覚めてから確かめて文句を言うと言い」
軽い口調で言って、エキドナは倒れ込むシャオンの髪を優しく撫でる。
汗ばむその長い髪を、彼女は愛おしく撫で、唇で触れる。
「――本当に、惜しい。なんで君は――」
「……え?」
「――また会おう。次は試練の場で」
最後に聞こえた確かな言葉。
――『嫉妬の魔女因子』を受け入れなかった。
意味に分からない言葉を頭に巡らせる。そして、その意味が分かることもなく──、
世界の崩落が始まり、足下が少しずつ闇に溶けていく。
今度こそ本当に世界の終焉が近づいてきていた。
カーミラ「外でスタンバってました……」
エキドナ「……」
次回はシャオンの過去編(蛇足)ですが、たぶん蛇足なのでまとめて投稿します。
そうしたらお待たせ、真ヒロインの登場です。