あ、本日3話目です。
――出会いは、不要だと進言するヴィルヘルムの意思を押し退け、無理やりに与えられた休暇の一日のことだ。
剣鬼の名が広まり始めたころ、運命の歯車は廻り始めたと、言えるのだろう。
■
嫌な奴に会ったのは、休暇をどう潰すか考え、王城内を歩いていた、そんな時だ。
高い声で、響くようにその少女はヴィルヘルムに語り掛けてきた。
「あれあれ? こんなところにいるのは人生の落ちこぼれのヴィルヘルムさんじゃないですか~」
「……なんでお前がここにいるんだよ」
「偶然ですよ、偶然。あれー? 運命の出会いとか期待しちゃった口ですかぁ? かわいいところもありますね?」
ぐるぐるとヴィルヘルムの周囲を回るのは一応同僚といえる少女だ。町中で見かけたら目を引かれる程度は可憐な少女。見たこともない生地でできた外套つきの黒服はきっと高価なのだろうと推測させる。大人しくしていればどこかの令嬢と見間違えても仕方ない。だが、それらを否定し、そんな服を台無しにしてるのはこれまた見たこともない奇妙な生物の刺繍を施されているからだろう。
腰まで伸ばした黒い髪の中に、正反対の明るい白と桃色の色違いが混ざっているという特徴的な少女。
彼女の名は、シャレン。本人はサレンのほうが気に入っているらしいが、知ったことではない。
「たたっきるぞ」
「いやん、こわーい!」
脅しの言葉と剣気を向けるが、彼女は怯む様子はなく体をくねらせているだけだ。
男ばかりの兵士の中、女性がいることも珍しいが、兵隊の決まりを無視したその特徴的な出で立ちが咎められていないのは、それを黙らせるほどの実力があるからだろう。怯まないのも納得だ。
事実、ヴィルヘルムも彼女と戦った際には決着がつかなかったのだ。彼女もヴィルヘルムに傷一つつけられなかったが。
そんな彼女が赤い瞳を爛々と輝かせ、まるですべてをあざ笑うかのような声色でヴィルヘルムをからかう。それに対して
「ちっ」
「うっわ。こんな美少女が暇そうにしている、剣しか取り柄がないあなたにかまってあげてるのに舌打ちで済ますとか処刑もんですよ」
「誰も頼んでねぇよ、そう言うのはグリムにでもやってやれ」
「いや、グリ坊にはなんかいい娘が見つかったぽいムードがあるんで、最近構ってないんですよ」
グリ坊というのはヴィルヘルムの同期である、グリム・ファウゼンの愛称だ。
どうやら彼女のからかい相手であった彼は今別の女の影があるようだ。
そして、驚くことに目の前の少女には彼に配慮をする意識があるという訳だ。しわ寄せがこっちに来るのは困ったものだが。
「だ・か・ら。休日を暇している冴えないヴィルヘルムさんを美女美少女サレンちゃんが遊ぼうって誘ってるんです。泣いてよろこ……ばなくていいです。想像したらやべぇ」
――イラつく。
相変わらず癇に障る振る舞いに思わず腰に差した愛剣を抜こうかと思ったほどだ。
ボルドーには怒鳴られるだろうが、模擬試合をしてもいいだろう。
しかし──予想外の人物が現れそんな事態には陥らなかった。
「ここにいた! サレン!」
「げっ! グリ坊」
噂をすれば影、とはカララギの言葉だったか。
廊下の影から狙ったように出てきたのは紫色の髪をした小柄な少年、グリムだ。
彼は、目に見えないほどの速さでシャレンの背後に回り、逃げないように羽交い絞めにした。
「ほら、仕事があるでしょ! それに君は剣を扱えないんだから扱えるようにしないと」
「いや、私のこのパーフェクトボディはその剣を持つようにはできて――オーケーオーケー! わかったから首を掴まないで、締まるぅ」
「そのよくわからない言葉を言えるなら余裕がありそうだね、ほらいくよ。あ、ヴィルヘルム。またね」
虫のようにわめくサレンをグリムは首の後ろを掴みながら問答無用で鍛錬場へと連れていく。
彼女の力が弱いのか、グリムの力が思ったよりも強いのか抵抗はできていないようだ。
「あー、そうだ」
観念したのか、無駄だとわかったのか抵抗をしなくなったシャレンは、思い出したかのようにこちらへ話しかける。
「どうしてもやることがないならおすすめの場所がありますよ? 一人になりたいならそこに向かうと吉です。もしかしたら、運命の出会いなんてあるかもです。場所は――」
彼女の口から告げられた場所を聞き、ヴィルヘルムは眉を不快感でひそめる。
それはま――ヴィルヘルムがいつも一人になりたいときに向かう場所だったからだ。
■
兵舎を出て朝の冷気が残る城下へと向かう。
大通りの警備に当たる衛兵の会釈に顎を引き、王都を一人で歩き始めた。
王都の活気は、少し前から翳りを見せている。
理由は簡単だ、現在起きている戦争は日に日に泥沼化する一方、いや戦線の拡大による被害の増加と、増えている敗戦の影響がルグニカをかつてない危機に落としつつあるのだ。
『神龍』も王家の求めに耳を貸さない姿勢で、おかげで内戦は好転する兆しがなく、疲弊するだけの日々を国民は強いられている。
シャレンに言われ、ヴィルヘルムが足を運んだ区画もそんな内戦のあおりを受けた場所だった。
開発を途中で放り出された廃墟群が見えてくる
内戦の終結が確定すれば開発は再開する、とは言っているが予定は予定。泥沼化している現状その未来はだいぶ、いや、はるか先になるだろう、あるいは来ないかもしれない。
そんな廃墟の先にある広間。そこがヴィルヘルムの鍛錬によく使う場所だった。
静かで、誰にも邪魔されずに鍛錬できるそこに――先客がいた。
「あら、ごめんなさい」
──美しい赤毛を長く伸ばした、震えるほど横顔の綺麗な少女だった。
「────」
異分子は、燃える炎のような紅の長髪、それと反対の青い澄んだ瞳を持っていた。そしてそれは剣にしか興味がなかったヴィルヘルムからも目を奪われるほどに――綺麗だった。
だがすぐに我に返り、意識を覚醒させる。
「こんな朝早くにここにくる人がいるのね。こんなところで──」
「────」
少女はヴィルヘルムの方にうっすらと微笑みかけ、なにかしらの言葉を投げかけてきたが──ヴィルヘルムの返答はシンプルに、剣気を叩きつけるというものだった。
だが、その少女はあろうことか、
「……どうかしたの? 恐い顔をして」
あっさりと、まるでそよ風を受け流すような顔で少女が首を傾げる。
苛立ちを感じ、ヴィルヘルムは舌打ちをする。
剣気が通じない相手──それは即ち、武とまったく無関係の輩の場合だ。少なからず暴力の気配を知るものであれば、ヴィルヘルムの剣気にそれなりの反応を見せる。だが、それと無縁のものにとっては単なる威圧に他ならない。相手によってはその威圧すら、単に目を細めただけと見る場合もあるだろう。
この目の前の人物の場合、まさしく後者の中の後者の手合いだ。
「女が、こんな朝っぱらからこんなとこでなにしてやがんだよ」
依然、女の視線が顔から剥がれないことに吐息を漏らし、ヴィルヘルムはそう応じる。少女はそれに対して「うーん」と小さく喉を鳴らし、
「そっくりそのまま、とお返ししたいところだけど、それを言うのはちょっと意地悪すぎるわよね。冗談、通じなさそうな顔してるし」
「このあたりは物騒な奴らが多い。女のひとり歩きは感心しねえ」
「あら、心配してくれてるの? でも頼りになる護衛もいるから」
「どこにだよ」
「……本当にどこに行ったのかしらね、あの子」
呑気に、困ったように笑う彼女に舌打ちを打つ。それが聞こえているのかいないのかわからないが、目の前の女はただただ笑っている。
その様子に気が抜けてしまい、頭をガシガシと掻き毟る。朝から苛立ちが募ることばかりだ。
「……俺がその物騒な奴らの可能性もあるんだがな、わからないのか?」
「なら大丈夫ね、その格好お城の兵隊さんの制服ですもの」
間違って着替えたのを面倒がり、そのまま制服でやってきたことが裏目に出た。
翻弄されてしまうヴィルヘルムに少女はくすくすと笑う。
少女はヴィルヘルムのそんな挙動に目も向けず、「これ」と傍らを指差す。
段差に腰掛けた少女が指を向けたのは、区画の段差の向こう側だ。ヴィルヘルムの位置からは覗けず、眉間に皺を寄せると手招きされた。
「そこまでして見たいわけじゃねえんだが……」
「いいからいいから。おいでおいで」
子どもをあやすよう態度に頬を引きつらせ、ヴィルヘルムは仕方なく少女の方へ。廃墟の段差に足をかけ、少女の指さす方をのぞき込んで――、
「────」
一面、朝焼けの日差しに照らし出される黄色い花畑を目の当たりにして、息を呑んだ。
「開発が途中で止まったでしょう。誰もこないと思ったから、種をまいておいたの。その結果を見に、足を運んだわけです」
言葉をなくしたヴィルヘルムに、少女は秘め事を告白するように声をひそめる。
予想外の光景に圧倒されたのは、何も花畑に感激したからではなく、ずいぶんと長いこと、この場所に足を運んでいたはずだったが、この花畑の存在にヴィルヘルムは気付いていなかったこと、その間抜けさからだ。ほんの少しだけ背を伸ばせば、視界を広げるだけで見ることができたこの花畑に、世界の見落としに――。
「花は、好き?」
いまだ口を開かないヴィルヘルムの横顔に、少女がそう問いかけてくる。
その彼女の方へと顔を向け、ヴィルヘルムはささやかな微笑を作る少女の顔をジッと見つめる。それから──、
「いや、嫌いだな」
微笑みが盛大に、不機嫌なものに変化するのをヴィルヘルムは見届けたのだった。
■
また時間は過ぎる。
少女と名前の交換をして、テレシアという名前を知った。
剣を振るう意味を問われた。
敗戦による悔しさも刻んだ。
勝利と共に湧き上がる高揚感はようやく感じ取れた。
友と飲む酒の美味さは知るのが遅かったと悔やむほどだった。
そんな中、ようやくヴィルヘルムが騎士と認められる。
それが機転だった。立場を得て、軍内で接する人間が増えてくると、自然と情報も入り始める。
王宮の魔術師から――自身の、トリアス家の領地に内戦の火が燃え移ったことが耳に入ったのも、広がり始めた交友関係の一端が無関係ではなかったことは間違いない。
命令はなかった。与えられた騎士としての立場を、所属する王国軍に対する忠節を忘れていないのであれば、勝手な行動は許されなかった。
だが、止めるものはいた。
「待ちなさい」
王城の外、門の前には、普段通りの茶化したような空気は一切感じさせず、こちらへ冷えた視線を向けるシャレンがいた。
纏う殺気から彼女の本気を感じ取れる。だが、こちらも引く気はない。
戦場を共にしても、彼女の手の内はいまだに読めない。生き残っているのだから強いのはわかっている。
正直、戦いたくはない、得体のしれない相手で、なによりグリムに次ぐ、親友とも思える人物だという事実が剣を鈍らせるかもしれない。
だから、言葉で収めようとする。
「どけ、シャレン」
「どきません、ヴィルヘルム。立場を考えなさい」
そう言う彼女はヴィルヘルムの胸元にある徽章を指差す。
以前のような身勝手の許されない自覚の証だ。
「……なるほど」
奥歯をかみ砕くほど、力み、そして、決断した。
「悪い」
――騎士の証を外し、シャレンへと投げ渡した。
この決断は彼にとっても大きな決断だ。
徽章はヴィルヘルムの存在を王国が認めたものだ。
ただの悪ガキと影口を叩かれていた自分が、間違っていなかったのだと肯定された証だ。
それを、王都で今まで得た物を全て投げ捨てたと等しい行為だ。無価値ではない、価値があると思っているからこそ、未練があるからこそ、悩んだゆえの決断だった。
投げ渡された徽章を受け取り、彼女は感情の読めない瞳をヴィルヘルムへと向ける。そして、
「全てが終わっても、元通りにはなりませんよ?」
「知ってる」
「デウス・エクス・マキナはいないんです。現実はとことん苦くて、ほとんどの人間が暗い道を進む。でも、貴方は光を持っている、それをわざわざ手放すと?」
相変わらずよくわからない単語ではあるが、意味は分かる。
戦火を沈めても、全てが上手く終わることはないと、そう言いたいのだろう。
「それでも、進むと?」
命令でもあるからだろうが、彼女がこうして自分の前に立ちふさがっているのは、自惚れでなければ友人として、ヴィルヘルムを想ってのことだ。
だが、それでも、
「俺は、立ちふさがるのがお前でもグリムでも、ボルドーでも。切り伏せるぞ」
「──強情ですね」
やれやれと肩を竦める彼女からは、いつもの雰囲気が戻っていた。
だが、その直後にヴィルヘルムの背後から怒鳴り声が聞こえた。声の主は上司であるボルドーだ。
部屋に残した置手紙を見て事情を察したのだろう、まさに鬼の形相でヴィルヘルムを止めようと駆け寄ってくる。
その様子を見てシャレンが呟く。
「うわ、こわ。亜人みてぇ……」
「なんだと!?」
「あ、怖すぎて、うっかりシャマクが」
そんなバカげた言葉と共に王宮内で、正確には野外ではあるが、闇が、靄が広がる。
魔法に詳しくないヴィルヘルムでもわかる陰魔法の一種、それが彼女から放たれた。
だが不思議なことに、ヴィルヘルムには効果がない。不発かと思ったが背後のボルドーは確かにこちらの姿を見失っているようだからそれはない。つまり――
「貸し一、です。今度美味しいディナーに連れてってください」
「――生きてたら、いつものところで何でも奢ってやるよ」
ニシシ、と笑う声を後にヴィルヘルムは騎士としての立場を捨て、ただの剣鬼として、故郷へと駆けたのだ。
■
駆けつけた懐かしの領地は、すでに敵方の侵攻に大半を奪い尽くされたあとだった。
だが、それでも敵を切り倒し、屍を踏み越えて、喉が嗄れるほどに叫び、返り血を浴びる。
多勢に無勢であった。援軍もなく、もともとの戦力も脆弱。
積み上げた屍の上に自身もまた倒れ込み、それでも尽きることのない敵勢の前にその勢いは挫かれ、ヴィルヘルムは目前に死が迫るのを理解した。
長い付き合いであった愛剣が傍らに落ち、指先の引っかかるそれを掴み上げる気力もない。瞼を閉じれば半生が思い出され、そこに剣を振り続けるばかりの己がいる。
何もない人生――ではない。両親が、二人の兄が、領地で共に悪さした悪友が、王国軍で一緒に戦った同僚たちが、次々に思い出され──花を背にするテレシアが、最後に浮かんだ。
「死にたく、ない……」
いつ死んでもよかった。
自身は剣に生き、剣に死ぬのだ、と覚悟はしていたのにいざ死が近づくと零れたのは情けない言葉だ。
かつての自分が聞いたら鼻で笑う、下手をすれば切り付けられるだろう。それほどまでに、ヴィルヘルムが戦いの中で得られたことは多く、変化も多かったのだ。
――今になって、命が惜しい。
そんな掠れた最後の言葉を、多数の仲間を切り殺された敵兵は許しはしない。
人並み外れて大きな体躯を持つ緑の鱗をした亜人が、手にした大剣をヴィルヘルム目掛けて容赦なく振り下ろす──。
「────」
迸った斬撃の美しさは、目に焼き付いて永劫に忘れられまい。
剣風が吹き荒び、そのたびに亜人族の手足が、首が、胴体が撫で切られる。
──あの剣の領域には生涯、永遠に届くことはないだろう。
剣を振るものとしての生き方を、そう長くない人生の大半をそれこそ惜しみなく捧げて生きてきた。そんなヴィルヘルムであったればこそ、目の前で容赦なく振られる剣戟の高みがいかほどにあるのか、理解できた。
それが非才の自身には、決して届かない領域であるという事実もまた。
『剣聖』の名前を聞かされたのは、王都に戻ってからのことだ。
『剣聖』──それは、かつて魔女を斬った伝説の存在。
その今代の正体と、名前を。
■
傷が癒えて、いつもの場所に足を運べたのは数日後のことだった。
愛剣を握りしめて、ゆっくりと地を踏みしめながら、ヴィルヘルムはそこを目指す。
おそらくはいるはずだ、という確信があった。そしてその確信した通り、テレシアは変わらない様子でその場所に座っていた。
そこには一人ではなく、見慣れた友人の姿、シャレンも共にいた。
驚きはない、簡単なことだ、彼女の護衛という名の付き人の一人が彼女だったのだ。
つまり、最初から、分かって彼女は自分をからかっていたのだ。
だが、それよりも今はやるべきことがある。
こちらを彼女が振り向くより早く、鞘から剣を引き抜いて飛びかかっていた。
唐竹割りに落ちる刃が彼女の頭を二つにする直前──指先二本で、剣先が挟み止められた。
「屈辱だ」
「──そう」
「俺を、笑っていたのか」
「────」
「答えろよ、テレシア……いや、剣聖!!」
力任せに剣を取り上げ、再び斬りかかるも、髪ひとつ乱さない動きで避けられる。足を払われ、受け身も取れずに無残に倒された。
どうしようもない壁が、途方もない差が、二人の間には存在していた。
「テレシア様、そろそろ」
「そうね……もう、ここにはこないわ、行きましょう。シャレン」
機械のような冷たい声でシャレンはテレシアを促す。
ヴィルヘルムは何度も打ち倒され、愛剣はいつの間にか彼女の手の中に奪われており、刃の腹で打たれて息が詰まり、一歩も動くことができなくなっていた。
「そんな、顔をして……剣なんて、持ってるんじゃねえ」
「私は、剣聖だから。その理由がわからないでいたけど、わかったから」
「理由……」
「誰かを守るために剣を振る。それ、いいと思うわ」
誰よりも強くて、誰よりも剣の届く距離の大きな彼女。
ならば、自分が与えてしまった罪を清算するには──、
「待って、いろ、テレシア……」
「――――」
「俺が、お前から剣を奪ってやる。与えられた加護も役割も、知ったことか……剣を振ることを……刃の美しさを、舐めるなよ、剣聖」
それきり、二人がこの場所で会うことは二度となかった。
■
――二年後の話だ。
多くの者にとってはその二年の始まりは、剣聖の初陣から数えられるが、少数の人間からは数週間の後から数えられている。
亜人連合、バルガ・クロムウェルの失脚後、新年を引き継ぐという名の復讐の残り火、敗北を認めたくないという惰性で抗い続けていたそれを剣聖が切り捨てたのだ。この日、テレシアを主役とした、内戦終結を祝して記念式典が催される。そしてその立役者である剣聖、テレシアの存在を希望の象徴として世に知らしめるのだ。
美しく、なにより力強い剣聖への勲章の授与などがいくつも予定されたセレモニー。
彼女の姿を一目見ようと、国中の人間が王都へ、王城へ足を運び、熱狂が戦争を終わらせた英雄であるひとりの少女を包み込む。
ふらりと、その熱狂を断ち切るように剣鬼が舞い降りたのは、そのときだ。
剣を抜いた不逞の輩を前に、衛兵たちは色めき立つ。が、それらを制して前に出たのは誰であろう、叙勲を目前に控えた剣聖であった。
同じく剣を抜き放ち、侵入者と向かい合う少女の姿に誰もが息を呑む。
その立ち姿の美しさは洗練されていて、言葉にすることすら躊躇われた。
一方で、その少女と向かい合う人物のなんたる禍々しさか。
壇上の王が剣聖に助勢しようとする騎士たちを止める。顎を引き、前に出る剣聖の剣戟が閃くのを、誰もが声を殺して見守り続けた。
――まるで劇をみているようだ。
攻守がすさまじい勢いで入れ替わり、立ち位置を地に、宙に、壁に、空に置きながら二人の剣士が剣戟を重ねる。その姿に、気付けば涙を流すものすらいた。
剣戟が交錯し、鍔迫り合い、切っ先が閃き、幾度も打ち合う。
そしてついに、
「――――」
赤茶けた刃が半ばでへし折れて、先端がくるくると宙を舞って飛んでいく。
そして、剣聖が手にしていた儀礼用の剣が、飾り立てられた宝剣が音を立てて地に落ち、折れた剣の先端が剣聖の喉の寸前に迫る。
「俺の、勝ちだ」
時が止まり、誰もがそれを知る。――剣聖の、敗北を。
「俺より弱いお前に、剣を持つ理由はもうない」
「私が、剣を持たないなら……誰が」
「お前が剣を振る理由は俺が継ぐ。お前は、俺が剣を振る理由になればいい」
上着をはね上げ、テレシアを見るのはヴィルヘルム。
相変わらずに傲慢なその態度に彼女は息を零す。
「……あなたの剣に、守られながら?」
「そうだ」
迷いのない返答に、彼女は笑みを浮かべ、
突きつけた剣の腹に手を当てて、テレシアが一歩前に出る。
息遣いさえ届き合う距離に二人、顔を見合わせる。潤んだ瞳に溜まった涙が、テレシアの微笑みを伝って落ちていき、
「ねぇ、花は、好き?」
「嫌いじゃなくなった」
「どうして、剣を振るの?」
「お前を守るために」
互いの顔が近づき、距離が縮まり、やがて消える。
至近で触れた唇を離し、テレシアは頬を染めて、ヴィルヘルムを見上げ、
「私のことを、愛してる?」
「――わかれ」
顔を背け、ぶっきらぼうに言い放つ。
観衆の時間の静止が魔法のように解けて、衛兵がこちらへ大挙して押し寄せてくる。その中にいつか肩を並べていた面々がいるのが見えて、ヴィルヘルムは肩をすくめる。
そんな彼のすげない態度にテレシアは頬を膨らませる。あの場所で二人、花畑を前に笑い合っていた日々の一枚のように。
「言葉にしてほしいことだってあるのよ」
「――いつか、気が向いたときにな」
初めて剣鬼が臆病風に吹かれた瞬間だった。
■
──煌めく宝剣が岩のような外皮を易々と切り裂き、風が走り抜ける。
「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ──!!」
雄叫びを上げながら駆ける老剣士のあとを追いかけるように、生じた刃の傷から噴出する血が空を朱色に染めていく。
刃が走り、絶叫を上げて、悶える白鯨の身が激痛に打ち震える。
大樹の下敷きになって身動きの取れない魔獣の背を、駆け抜ける剣鬼の刃に躊躇いはない。頭部の先端から入る刃が背を抜け、尾に至り、地に降り立つと再び頭を目指して下腹を裂きながら舞い戻る。
跳躍し、動きの止まる白鯨の鼻先に再び剣鬼が降り立つ。
血に濡れた刃を振り払い、剣鬼は自分をジッと見つめる白鯨の右目──片方だけ残るそちらに自身の姿を映しながら、何かを訴えたそうなその瞳を見つめ、
「────」
「眠れ。──永久に」
最後に小さな嘶きを残し、白鯨の瞳から光が失われる。
自然、その巨体からふいに力が抜け、落ちる体と滴る鮮血が地響きと朱色の濁流を作り出す。
静寂がリーファウス街道に落ち、そして──、
「終わったぞ、テレシア。やっと……」
動かなくなった白鯨の頭上で、ヴィルヘルムが空を仰ぐ。
その手から宝剣を取り落とし、空いた手で顔を覆いながら、剣を失った剣鬼は震える声で、
「テレシア、私は……」
掠れた声で、しかしそこには薄れることのない万感の愛が。
「俺は、お前を愛している──!!」
白鯨の屍の上で、剣を取り落とした剣鬼が涙し、亡き妻への愛を叫んだ。
そこに、どれほどの意味が込められたのか、シャオンにはわからない。だが、分かることはひとつ。
「──ここに、白鯨は沈んだ」
ぽつりと、凛とした声音が平原の夜に静かに響く。
「四百年の歳月を生き、世界を脅かしてきた霧の魔獣──剣鬼ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアが、討ち取ったり!!」
高らかに勝利の宣告が主君から上がり、生き残った騎士たちが歓声を上げる。
霧の晴れた平原に、再び夜の兆しが舞い戻る。月の光があまねく地上の人々を照らす、あるべき正しい夜の姿として。
──ここに数百年の時間をまたぎ、白鯨戦が終結した。