瞼を閉じれば闇になる。
しかし、ここでは瞼を開いても闇だった。
窓はなく、閉め切られた空間のなか、聞こえるのはただ電車がレールの上を走る音だけ。
いや、それだけではなくて、がたんがたんと鳴り響く金属音に混じって微かに聞こえるのはすすり泣く声だ。
「えぐ……えぐ……」
「ふぐぅ……」
「ううう……」
沙織には、それはうさぎさん分隊、一年生の皆の声だということが解った。
恐らくは、優季、桂利奈、あやの三人だろう。
だがそれ以外の皆も、声には出さなくても同じ泣きたい気持ちであろうことは沙織にも解った。
何を隠そう、まず沙織自身が声をあげて泣き出したい想いだったのだから。
「……」
「沙織さん?」
涙をこらえた沙織は、暗い中を這うようにして一年生たちのもとに向かった。
不意に動き出した沙織に声をかけたのは華だが、沙織は応えることなく這い進んだ。
「あ……」
「先輩……」
「せんぱい……」
沙織が三人を包むように抱きしめる。
闇の中でも、彼女らの顔が自分へと向くのが解る。
だから沙織は見えていないのを承知で、温かい笑顔で後輩たちを励ました。
「大丈夫だよ。全国大会も私たちは勝ったんだから。これもきっと何かの間違いだって!」
空元気を承知で、沙織は言葉を続ける。
「それに……それにまだみぽりんが無事だから! きっとみぽりんが助けてくれるって!」
心底、みほがこの突然の理不尽を逃れたことだけが沙織には喜ばしかった。
彼女はまだ、月にいるのだろうか。もしもこの事態を知ったら、みほはどう思うのだろうか。
(やっと……やっとみんなで卒業まで行けると思ったのになぁ……)
――ダメだ、後ろ向きに考えたらダメだ。
沙織は闇の中で微かに首を振って、仮初の笑顔を取り繕う。
「みぽりんが凄いのはみんな知ってるでしょ! 今度のことも何とかしてくれるよ!」
「……そうですよね、西住隊長なら」
沙織が空元気で叫ぶのに、応えたのは梓だった。
「だよね! 西住隊長って最強じゃん!」
「あんな連中も、びびーってやっつけちゃいますよね! ウルトラメンみたいに!」
「びびーってやっつけちゃえ~」
「やっつけちゃえー」
あゆみが続いて囃し立てれば、桂利奈が、優季が、あやが闇の中で立ち上がって快哉した。
――だが、そこで終わりだ。
嫌な沈黙が流れ、誰も何も口にしない。
否、できないのだ。
それは囃し立てた当の本人たちが、内心よくわかっていることだった。
「……ふぐぅ」
最初に堪えきれなくなったのは、桂利奈だった。
緊張の糸が、我慢の糸が切れたのか、彼女は堰を切ったように泣き出した。
「うわぁぁぁぁぁん」
触発されるように、涙は連鎖していく。
あやが、優季が、あゆみに梓までもが泣き出していく。
「お、おまえらなぐなぁぁぁうるざいだろうがぁぁぁ」
闇の向こうで、そう自身が泣きながら叫ぶ桃の声が聞こえた。
その隣の闇からは、柚子の押し殺した嘆きが、微かに響いてくる。
「ええい泣くな近藤! 佐々木! 河西! 根性で堪えろ!」
典子が後輩たちを叱咤激励する涙声が聞こえる。
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ~」
「さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき……」
「神よ、帝国を失う皇帝を許し給うな。都の陥落とともに、われ死なん……」
「ドイツの元帥は降伏しないものだ……」
歴女のお歴々はこんな状況でも相変わらずの様子だったが、それでも彼女らの引用は悲壮感に満ちている。
「あなだだぢうるざいばよ! ごんなどぎぐらいまじめにやんなざい!」
そど子が窘めようとするも、そんな言葉すら涙で震えてぐちゃぐちゃになっている。
「……」
「……」
「……」
ゲーム女子三人衆はコレばかりはと手放さずに持ち込んだ携帯ゲーム機に齧りついている。
いつもは割りと賑やかにわいわいとプレイする彼女らが、言葉もないのは現実を忘れるためだろう。
「……」
「……」
「……」
「……」
そして常に飄々として動じない自動車の面々ですら、闇の中で沈み込んで押し黙ってしまっているのだ。
だがそれも当然だと沙織は思う。
彼女たちは、愛車たちに別れを告げる時間さえ与えられなかったのだから。
いや、ここにいる全員がそうなのだ。
鉄の騎兵に急き立てられ、愛する艦にも別れも言えず、訳も分からず窓もない列車に押し込められ、親しき人や想い出とも引き離され、行先も知れぬ旅路に投げ込まれてしまったのだ。
どれだけ考えても、希望的な未来が沙織には浮かんでこなかった。
「う……く……」
「優花里さん。泣かないでください」
優花里すらもが、一年生たちや桃に連れられて泣き出しそうになっていた。
それを華が、優しく諭す声が聞こえた。
「……」
麻子は、我が親友の天才少女は今何を考えているのだろうか。
闇の中で彼女は黙しているばかりで、考えは沙織にも解らない。
「……」
沙織は、ひとまずできることをしようと考えた。
泣き叫ぶ一年生たちを、改めて抱きしめてあやした。
内心、沙織自身が一番泣きたかったが我慢した。
(みぽりん……)
だが、胸中でここにはいない、こんな時こそ誰よりも頼りになる親友のことを考えるのだけは止められなかった。
――stage05
『ゴーストタウン』
押し込まれたときと同じ唐突さで、大洗装甲騎兵道チーム一同は電車から放り出された。
かなり長い時間、闇の中に閉じ込められていたがために、急な陽光の視界が眩む。
杏は思わず両手で目を覆い、指の間から外を覗い見ていた。
努めて、冷静に状況を観察する。
空から鋼鉄の騎兵達が降り注いできて以来、杏は状況に翻弄されっぱなしだった。
有無も言う間もなく、ただ圧倒的な暴力によって制圧されるがままだった。
それは、実に自分らしくないと思う。
冷静に、トボけた仮面に真意を隠して、現実を捉え、行動しなくてはならない。
「……ねぇ、ここどこ?」
「ホントに日本なのかここは」
背後で、沙織と麻子がそんな風に漏らす声に、杏も同感だった。
徐々に光に慣れてきた瞳に映ったのは、風雨に晒されて半ば朽ちたコンクリートのプラットフォームと、その向こう側に広がる延々たる荒野だったからだ。
地平線が見えるのではと思うほどの荒野は一面赤い砂に覆われ、まるで惑星サンサのような有様だった。
「なんもない」
「ほんとに」
「みごとに」
まだ涙のあとが頬に残る一年生たちですら、予期せぬ光景には唖然とするばかりだった。
「……」
策士を以て知られる杏も、この荒涼たる景色を突然前にしては思考がまとまらない。
何をどうするべきかが、まるで思いつかない。
――そんな彼女たちの背後で、貨車の引き戸が閉まる音が響いた。
慌てて杏達が振り返れば、既に列車は走り出した所だった。
「ねぇちょっと!?」
「待ってください!?」
沙織と優花里が慌てて追いすがるが、列車は無情にも走り去っていく。
最後に機関車の窓が開いて、何か紙束のようなものをホームに投げ残して、列車はもと来た線路を逆走して帰っていった。
後には、途方にくれた少女たちだけが残された。
「どれどれ」
その中で、一番最初に再始動したのは杏だった。
紙束を拾い上げ、結んでいた紐を解く。
地図であった。丸められた古びた地図と、地図上につけられた丸印の場所に向かえという簡潔な指示、というよりも強制命令が書かれた紙切れが一枚、というのが紙束の内訳だった。
「……あの先かなぁ」
大昔に廃止らしい、プラットフォーム以外は何もない駅からは、うっすらとではあるが荒野に道がのびていた。
振り返れば、ホームの反対側にも線路を挟んで荒野が広がっている。ただし、こちらには道はない。
線路は果てが見えず、これを辿って戻るのは現実的とは思えなかった。
結局、道はひとつしかない。
「会長……」
「行くんですか?」
桃と柚子が不安げな表情で問うのに、杏は努めてあっけらかんとした顔で答えた。
「まぁそれしかすることないしね。ちょっとしたピクニックとでも思えばいいよ」
そう言うと、杏自らが先頭に立って、ホームから降りて歩き始めた。
皆も、それに続いてゆっくりとあるき出した。
西住ちゃんのいない今、みんなを引っ張る役割は自分のものである筈だ――杏の行動は、そんな確信からのものだった。
――◆Girls und Armored trooper◆
大洗女子学園の生徒達は、小さなグループに無理やり分けられて、学園艦から下船されていた。
杏たちにとって数少ない幸運だったのは、気心のしれた装甲騎兵道チームのメンバーでひとまとめにされたことだろう。そのお陰で、突然の事態ながら比較的迅速に動くことができていた。
杏はふと、見ず知らずで無理やりまとめられ、自分たちと同じように未知の場所に無理やり放り込まれたかもしれない生徒たちのことを考えた。胸が締め付けられるような思いに、杏は無理やりその連想を脳裏から追いやった。確かめようもないことを、今ここで想像してもなんの意味もない。
杏達は殆ど着の身着のままで、手にした荷物は僅かだった。
文科省のAT降下部隊は、ヘビィマシンガンを突きつけて無理矢理に大洗学園艦を制圧した。
強制退去は無茶苦茶なやり方で、家に帰って荷造りする時間すら与えられなかったのだ。
学園艦に保護者や住居を持つ生徒たちの不安は計り知れない。
「この赤い砂、まるで惑星サンサですねぇ~!」
――なんて敢えて脳天気なことを言って、優花里などは努めてお気楽に振る舞ってみせてはいるが、内心、両親達がどうなっているかという不安で頭がいっぱいだろう。
空元気の雑談で気を紛らわせながら、少女たちは一路、陽光照りつける砂の道を歩く。
遮るものはまるでなく、汗が流れ、皆の体力を奪い取る。
次第に口数も少なくなって一同、ただ道の終わりだけを目指して歩き続けた。
「……あれ?」
「なんでしょう、キャプテン」
最初にそれに気がついたのは、視力も良いバレー部たちだった。
杏も目を凝らして見れば、確かに赤い砂の上にのっかった黒い何かが見える。
道は、その何かへと続いていた。地図と照らし合わせれば、それが目指すべき場所らしい。
「あれ……みたいだね」
ゴールが解れば自然、皆は早足になった。
杏はその先頭に立って、一足先を行く。
まず第一、いの一番に、自分が確かめねばならない。
廃校後の一時待機所がいかなる場所であるかを、会長として、最初に確認せねばならないのだ。
「……」
徐々に徐々に、砂上の黒い何かはその大きさを増し、詳細が明らかになっていく。
それにつれて杏のなかの不安もどんどん大きくなっていく。
ここから見る限りだと、どう見ても単なる瓦礫の山なのだ。
そんな不安を顔に出さぬよう、必死に抑えながら杏は歩き続けた。
――果たして、辿り着いた先は本当に瓦礫の山だった。
恐らくは、百年戦争の余波で破壊された古い街の残骸の一部。
道と街を隔てる、半ば朽ちた門の傍らにはかろうじて文字がまだ読める看板が斜めに垂れ下がり、それが辛うじて、ここがかつて学校として使われていた事実を杏たちに告げていた。
「……」
「……」
「……」
疲労もあって、誰一人一言たりとも口にしなかった。
廃駅に降ろされた時以上の嫌な沈黙が、大洗の女子たちの間を満たしていた。
「……戻るぞ!」
たまりかねて、桃がそう叫んだ!
踵を返すと、もと来た道を戻ろうと大股に歩き出す。
「かーしまぁ」
「止めないでください! 会長! 流石にもう我慢の限界です!」
どうするべきか解らず、自分と桃の間で行き来する皆の視線を感じ、杏が呼び止める。
桃は半泣き顔で振り返りながらさらに大きな声で叫んだ。
「約束を反故にして無理やり廃校させるばかりか、ここまでの仕打ち……ここまでされるいわれはありません!」
桃の言うことはこの上なく最もだ。杏も内心同意している。
それでも、彼女は桃を引き止めざるをえなかった。
「わたしらが勝手にここを抜け出したら、他のみんながどういう目にあうか解ってるか、だってさ」
地図と共に投げつけられた紙切れには、そんな内容の一文が付け加えられていたのだ。
桃にもそれを見せれば、彼女はもう言葉もない様子だった。
「そんな……」
「人質じゃないですか!」
「卑劣すぎます!」
沙織達が怒っていうのにも、いちいち最もだと杏は胸中で頷いた。
だからといって、怒ったからといって、何か状況が改善するわけでもない。
加えて――。
「……」
「え、なに、紗希?」
不意に紗希が梓の肩を叩いて、どこかを指差すのを杏は視界の端に捉えた。
杏がそちらをみれば、皆もつられてその方向を見た。
砂地から、モンゴリアンデスワームをおもわせる巨大なミミズの化け物が、その巨体を晒していた。
「す、砂モグラ!?」
「なんでこんな所に!?」
「いやぁ、わたしらの足音につられて、集まってきちゃったみたいだね~」
これで、道をそのまま戻ることはどのみち不可能になった。
だが、問題はそれだけではない。
そう遠くない空から、あからさまに酸の雨をはらんだ雲が近づいてくる様もまた、杏達の視界には入ってきていた。
もう、この鉄の廃墟の山の中へと入る以外の選択肢は、ない。
――◆Girls und Armored trooper◆
装甲騎兵道の練習直後に学園艦を追い出されるという不幸が、唯一良い方に働いた、
携えていた耐圧服に着替えて、瓦礫の山の中へと少女たちは逃げ込む。
酸の雨は思いのほか早くに止んだが、誰一人、瓦礫の陰から立ち上がる者はいない。
雨が穢すのは大地だけではない。雨は、打たれる者の心を冷やし、戦意と活力を洗い流す。
鉄骨とコンクリートと強化プラスチックで出来た、かつては人が日々過ごした学び舎の成れの果て。
その只中で少女たちはただ、途方に暮れるしかなかった。
「……」
「華?」
否、そうではない。
まだ酸の雨の残り香も立ち上るなかで、華は何を思ったか耐圧服のヘルメットを脱いだ。
目を瞑り、酸と鉄と埃の臭いの中に、微かに漂う懐かしい香りを吸い込む。
「こっちです」
「え、あ、まってよ華!」
華がスタスタとあるき出せば、沙織は慌ててそのあとを追う。
「……行きましょう」
「だな」
それを見ていたのは優花里と麻子。
二人のあとを、立ち上がって追いかける。
「フォークトを追うぞ」
「応さ」
「ぜよ」
「うむ」
歴女の皆が、優花里のあとをさらに追う。
「キャプテン、冷泉先輩に続きましょう」
「よし! 行くぞ!」
バレー部の皆も、立ち上がってあとに続く。
「私らも行こう!」
「私らも行こうか」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「み、みんな待って」
「きさまらぁ! 勝手に動くじゃないぞ!」
一年生たちが、自動車部の皆が、風紀委員達が、ゲーマーっ娘達が、そして生徒会の皆も立ち上がる。
果たして、華がたどり着いた先は、朽ち果てた校舎の傍らに立つ、同じぐらい朽ち果てた倉庫の跡。
その中を占める瓦礫の山の片隅に、腰掛けるような調子で、鉄の戦士は少女たちを待ち受けていた。
鉄の腕は萎え、鉄の足は力を失ってはいるが、錆びた三連ターレットの眼差しが、破れた屋根の隙間から差し込む太陽を受けて、微かに輝いた。
見慣れた、いや見飽きたかもしれないスコープドッグの姿が、今の少女たちには頼もしく見えた。
「ドッグ系、もう一体あるよ!」
「こっちにも!」
「見て! あっちにはトータスタイプもある!」
華をここまで導いたのは、嗅ぎ慣れたポリマーリンゲル液の香りであったのだ。
それにこの臭いの濃さ、まだどこかにそれを満たしたタンクがあるに違いない。
「……ひとまず、ここを人が住める場所にしないといけませんから」
華は、集まった皆の方へと振り返り、言った。
「その為には、力が必要ですわ。だから……」
錆の浮いた鉄の脚を、愛おしげにさすって、彼女は皆へと笑いかける。
「この子を、直してあげるとしましょう」
これには、杏が笑顔で即座に応じた。
「だね。みんなでさ、もう一回AT作ろっか」
会長がそう言えば、俄然、装甲騎兵娘達の心には力が再び漲ってくる。
目的を見つけ、それに向かって走るときの大洗女子に、敵うものなどいない。
「「「「おおおお!」」」」
誰が音頭を取った訳でもなく、皆で拳を天へと突き上げて、鬨の声を上げる。
そのさまを見て、華は確信したのだった。
――そう、華は咲けるのだ。どこであろうとも。
――予告
「奮闘する大洗女子の皆の一方で、みほもまた彼女の戦いを続けていた。ひとまず逃げ込んだ知波単学園の校風に戸惑いながらも、みほは反撃の牙を着々と研ぐ。でもねみほ、気をつけたほうが良い。例のバララントの軍人とやらが、また何か怪しげな動きをしているね。それに今度は、ギルガメスからも、別の密使の影がのぞく。さてさて、風はどういうふうに吹き出すのかな」
次回『ベース』