思い返せば、つくづく妙なやつだった。
撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し――というのが西住流の在り方ならば、アイツの普段の姿はそこから最も程遠い所にある。いつもアワアワしているし、ドン臭いし、自信なさげで、確かに優しいし気立ては良いやつなのだが、とてもじゃないが装甲騎兵道という過酷な競技に身をおく人間とは見えない。
例のバコだかベコだかいう妙ちきりんな熊のヌイグルミに子どもみたいにはしゃぐ姿にはしょっちゅう呆れさせられたし、西住流らしからぬ気弱で自分ではなく周りを立てようとする性格には何度もやきもきさせられ、見てるコッチが歯がゆい気持ちにもなった。その気持を抑えることもなく、嫌味だの皮肉だのも言ったりもした。
それがどうだ。いざ試合となれば鋼の心で鉄騎兵を操り、巧みな采配で味方を動かす。
我が敬愛する西住まほ隊長の影に隠れて目立たないが、アイツはアイツで十分に凄い。
その点は、自分も、この逸見エリカも悔しいながら認めている。
こと試合となれば何だかんだでアイツの判断を信頼していたのも自分だ。
そんなアイツは自分にとってどういう存在だったのだろうか。
「――シュッ! シュッ!」
目前にしたサンドバッグを殴りながら、エリカは考える。考えてしまう。
練習を終えての気分転換にと、鋼の鎧を脱いで生身で体を動かすのがエリカの習慣だ。
特にボクササイズがエリカのお気に入りで、ストレス解消なども兼ねてこうして砂袋を殴っている。
一心不乱に体を動かすことで雑念を払う訳だがしかし、いつもと違って今のエリカの脳裏は雑念でいっぱいだった。
いや、大洗と決勝戦で当たると解って以来、気づけばアイツのことを思い浮かべてしまうのだ。
アイツ、西住みほのことを考えてしまうのだ。
「シュッ! シュッ!」
憎いのかと言えば別にそういう訳ではない。
嫌いかと言えばこれも違う。苛立つことはあっても、嫌ったことはなかったと思う。
羨む所は間違いなくあった。ATの操縦技量に関してはともかく、隊長の指示をテキパキと的確に実行に移すあの頭の回転の速さは、正直言って羨ましかった。ミッションディスクの組み方でもみほは黒森峰随一の腕前だった。遺憾ながら自分もアイツの助けを借りたことがある。
「ハァッ!」
学校の外でも共に
不良バトリング選手と揉めた時は、みほと組んで2対40とかいう滅茶苦茶なマッチを受けたこともあった。
ガンガン攻める自分を、みほはうまい具合にサポートしてくれた。
みほがサポートしてくれると思えばこそ、自分は前に出ることができた。
「……ハァ、ハァ、ハァ」
思い切り砂袋を殴り切った所で、息の方も切れた。
グローブ越しにサンドバッグに手をつき、呼吸を整える。ついでに思考も整える。
――ひょっとするとアイツ、西住みほとは、世間一般で言うところの友だち同士というやつだったのかもしれない。
「……ッッッ! おりゃあ!」
エリカは改めてサンドバッグを思い切り殴った。
感情に任せて、殴り抜いた。
友達だと思えばこそ、なおのことアイツのことに腹が立つ!
(……アイツは逃げた! それは事実!)
エリカは去年の決勝戦でみほが濁流に転落した小梅を助けたことを咎めたことはない。
思うところはなくもないがしかし、結局のところああするしかなかったのだと納得もしている。
問題は、その後。
アイツが、黒森峰を、西住流を、そして自分たちをほったらかして逃げ出したこと。
そして逃げ出しておきながら別の場所で、西住流に非ざる邪道を邁進しているということ。
エリカは、怒っていた。憎むでもなく、蔑むでもなく、ただただ苛立ち、怒っていた。
(……見てなさい)
必ずや、西住みほに正しき装甲騎兵道を突きつけて、コテンパンにやっつけてやる。
そして、自分が間違っていたということを思い知らせてやる。
(それに……優花里との約束もあるわね)
プラウダ潜入時に偶然知り合った、みほに憧れているらしい変わり者、秋山優花里。
優花里にも、王者の戦い方を見せてやると啖呵切ったのだ。
言った手前、なんとしてもみほには自らが引導を渡してやらねば――。
「エリカ――取り込み中、すまないな」
「た、隊長!?」
放課後、それも厳しい練習後にも拘らず、黒森峰の制服を一部の隙もなく着こなしたまほが、出し抜けに部屋に入ってきた。独り決意に熱くなり、頬を紅潮させ拳をぐっと握りしめるエリカの顔は一転、気恥ずかしさに赤くなった。
第55話『追想』
「……誤解を恐れず敢えて言うならば――黒森峰は去年より弱くなっています」
そう、みほが言うのにダージリンはニッコリと笑い、ミカもまたカンテレへと落としてた視線を上げて、みほの方を興味深いといった様子で見た。
杏は彼女には珍しくちょっと驚いた様子で、桃はと言えば呆気にとられている。沙織達も揃って「えっ!?」と唖然顔になっている。
「そうみほさんが分析した理由、聞かせて頂きたいものですわね」
「はい……いくつかありますが……」
みほは考えをまとめるためにちょっと間を置いてから答え始めた。
「まず気になったのは、黒森峰の部隊展開が遅いことです」
この答えには突拍子もない展開には慣れているはずの大洗一同すらも困惑顔になる。そんな皆の様子に、今度は逆にみほのほうが慌てた様子になった。
「ちょっと待ってみぽりん。まずそこがおかしい」
「え、あ、うん?」
みほが困っているのを見かねた沙織が、横から合いの手代わりのツッコミを入れる。しかしみほはなおも戸惑った様子で首をかしげた。
「沙織さん。私、そんな変なこと言ったかな?」
「変なことっていうか……どうみても黒森峰の動きは遅くないっていうか……」
沙織が皆の困惑を代弁して言うのに、桃はウンウンと腕組みしながら頷き、カエサルら大洗の他の分隊長もそれにならった。確かに先の試合映像を見て、普通はみほのような指摘は出ては来ないだろう。それも承知のダージリンは、ニコニコと相変わらずの不穏な笑顔と共にみほに助け舟を出した。
「それは黒森峰がドッグキャリアーを用いているからですわ」
「ドッグキャリアーって、あのソリみたいな?」
「ええ。ドッグキャリアーを用いた速攻に、皆惑わされてしまう……。でも、真実はその後ろ側にあるの」
ダージリンが視線で続きを促すのに、みほは軽くありがとうと視線で返しながら説明を再開した。
「ドッグキャリアーで速攻をかけて、まず先手をとるのがお姉ちゃ――西住まほ隊長の作戦なんだけど……沙織さん。ここ少し巻き戻してもらって良い?」
「うん」
沙織がリモコンで聖グロリアーナ対黒森峰の試合を前半戦まで巻き戻す。みほの指示に従い、黒森峰がドッグキャリアーで突っ込んできた辺りから再生しなおした。
「ドッグキャリアー隊の役割は、後続部隊のための橋頭堡、つまり通り道を確保することなんだけど……」
「あっ! 本当だ! 確かにみぽりんの言う通り遅れてるじゃん! 凄い、みぽりん!」
みほが画面を指差しながら説明するのに、沙織も合点がいったらしくポンと手のひらを拳で叩いた。一方、桃などはまだ全然何がなんだか解っていないらしく、視線で「もっと解りやすく説明しろ」とみほを急かす。
「先発隊が橋頭堡を確保した以上、後続部隊はそれを確固たるものとするために即座に増援をかけなければいけません。さもないと、先発隊が孤立してしまいますから。でも、この試合での黒森峰の動きは――」
「……なるほど。確かに後続の部隊がサポートに入るのが遅いと言えば遅いな」
桃の目からすれば黒森峰の動きは十二分に迅速と言えたが、確かにこうして
「次に気になったのは、黒森峰の攻めの弱さです」
――大洗の一同はまたも困惑しそうになったが、抑えた。
みほの戦術眼分析力の確かさはみなが知っていることだから、ひとまず隊長を信じて聞いてみようと思ったのだ。だが隠した困惑を読み取ったみほがまたも焦り出すのに、今度は華が手助けに入った。
「みほさん、私にはむしろ黒森峰の方々が圧倒的な火力で攻め立ててらっしゃるように見えるのですが……」
「うん。華さんの言うとおり、一見すると黒森峰が攻めているように見えるけど……」
沙織から受け取ったリモコンを使い、適当な戦闘の場面をやや早送りで再生してみせる。確かにそこに映し出されていた黒森峰の攻勢は確かに激しい。激しいのだが――華がはたと気がついた。
「……何というか、単なる印象なのかもしれませんけれど」
そう断ってから華は自分の意見を述べた。
「激しく撃ってらっしゃる割には単位時間辺りの撃破数が少ないような……」
華のこの答えには、ダージリンが微笑み、ミカがカンテレを鳴らし、アキにミッコは腕組みながらうんうんと頷いた。
「華さんの言う通り、確かに見た目は派手だし、弾幕で相手を抑えこんで有利には持って行っているけれど、実はそれが撃破に繋がっていない……お母さ――西住流は確かに速攻を重視するけれど、一方で効率のよい攻撃を第一とするから、これは本来の黒森峰のやりかたじゃないかなって」
「射撃の精度が下がっていると?」
「つまりは、そういうことかな」
今のままでも十分強そうだよ~、そうだよねー、ねーっと素朴な感想が一年生チームの面々から上がってきた。確かにもみほも、今のままでも黒森峰は圧倒的に強い装甲騎兵道チームであるとは思っている。しかし……今の黒森峰は何かが欠けている。それだけは間違いない。
「……敗北した者がこんなことを言うのは無作法かもしれませんが、そこを敢えて言うならば」
みほの分析を受けて、今度はダージリンが口を開いた。
「今年の黒森峰のボトムズ乗りたちの殆どは、動きに精彩を欠いていた印象ですわ」
「……そうなんですか?」
一年生のオレンジペコにはピンと来ないらしく、頭上に疑問符が浮かんでいるが、アッサムは概ね同意なのか成程といった調子でダージリンの言葉の続きを持っている。ローズヒップはずっと話しているのに飽きてきたのか椅子の上でもぞもぞしていた。
「ミカさんもそう思ってらっしゃるのではなくて?」
「敗者に口なしさ。外野の陰口は避けさせてもらうよ」
話を振ってみるが、ミカはとつれない。
ただ言葉の内容に反して語調にはどこか同意する色合いが聞くものには感じられた。
「ならば私が代わりに言わせていただくわね。たぶん、みほさんも同じ意見だと思うから」
ダージリンは結論を述べた。
「たぶん合ってないんじゃないのかしら。ブラッドサッカーというATが黒森峰のボトムズ乗り達に」
――◆Girls und Armored trooper◆
「……準決勝戦でもエリカには世話をかけたことを、申し訳なく思っている」
「そそそそんな隊長自らお礼だなんて! 恐縮であります!」
練習メニューについての一通りのミーティングの後、出し抜けにまほがこんなことを言い出したのでエリカはしゃちほこばってしまった。敬愛する黒森峰装甲騎兵道チーム隊長、西住まほから直々に感謝されるなど、早々あることではない。
「いや。これは私の素直な気持ちだよ、エリカ。今年の黒森峰は激戦続きだった。知波単学園、継続高校、そして聖グロリアーナ女学院……どれひとつとして容易な相手ではなかった」
西住まほという少女は普段はかなりの無口で無表情であり、隊長としての命令か事務連絡などを除けばこうして普通に喋っている場面が恐ろしく少ない。四六時中、常に黒森峰の隊長として、そして西住流家元の子として相応しい立ち居振る舞いを心がけているのか、その雰囲気は硬く、冷たい。
だが副隊長としてまほの近くにいることが多いエリカは、その実、まほという少女が温かい性根の持ち主であると知っている。そういう点に関しては、姉妹らしくみほとまほはよく似ていた。
「だが、戦局が悪化した時にすかさずエリカがカバーに入ってくれた。そのお陰で本当に助かっている」
「それは隊長の指示が的確だからです! ただ単に私は隊長の指揮に従っているのみです!」
まほは首を横に振った。
ふとエリカは、まほの顔に明らかな疲れが溜まっていることに、そしてまほが毅然とした表情でそれを隠そうとしていることに気がついた。
「各選手の撃破スコアが全てを物語っている。エリカ、エリカは何機のATを準決勝の試合で撃破したか覚えているか?」
「それは……」
エリカは言いよどんだ。
まほが言わんとしていることに、エリカも薄々感づいていたから。
「今の黒森峰の撃破スコアは、エリカや小梅、他数名のエース達の活躍に完全に依存している」
まほはハッキリと事実を告げた。
――◆Girls und Armored trooper◆
「『英雄がいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ』」
ダージリンがいつものように唐突に引用し言った。
「ドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒトですね」
オレンジペコがいつものようにすかさず合いの手をいれた。
だが二人が何を言いたいのかは、周囲の人間にはまるで解らない。
さっきまでブラッドサッカーの話をしていたのに、このいきなりの引用……余人には前後の文脈の繋がりが不明だ。
「黒森峰の逸見エリカ……良いボトムズ乗りですのね」
「はい! 黒森峰の全国大会での試合は全て拝見させてもらっていますが、逸見殿は素晴らしいボトムズ乗りです!」
ダージリンがエリカの名前を出したのに、嬉しそうに反応したのが優花里だった。
「素晴らしい反射神経、制御能力の持ち主です! 今年からはスタンディングトータスからストライクドッグに乗り換えましたけれど、特機の性能を存分に活かしてどの試合でも迫り来る敵をちぎっては投げちぎっては投げ――」
「そう、それが問題ですの」
「え?」
優花里がハイテンションに言うのを静かに遮ると、意外そうな顔の優花里へと諭すように言った。
「真に優れたチームにエースは生まれませんの。なぜならばエースの力に頼らずとも勝利できるのが、良いチームの条件なのですから」
「……いやぁ耳が痛いねぇ」
杏がハハハと乾いた笑いを漏らしながら頭を掻いた。
各人頑張っているとはいえ、確かに今の大洗装甲騎兵道には西住みほという存在は不可欠だろうから。
「そして天下の黒森峰ともあろう学校が、一部のエースのフォローをあてにしなくてはならないのは、主力機にブラッドサッカーを導入したがためですわ」
「どうしてですか? ブラッドサッカーと言えばH級の高性能ATですよ! 装甲、機動性、操作性、センサー性能、マッスルシリンダーとあらゆる面でスコープドッグよりもワンランク上の性能で、しかも手堅くまとまっている汎用性の高いATです! 特にマッスルシリンダーはスレック方式からローレック方式に改良することで従来の――」
「そこだよ優花里さん」
「え!? どういうことでしょうか、西住殿!」
優花里がブラッドサッカーについて詳細に語る途中で、みほがそこに問題の核心を見出したらしい。マッスルシリンダーの形式? それがそこまで問題なのだろうか。
「M級からH級へと機体の等級が上がったこともあるだろうけど、やっぱりマッスルシリンダーの変更が大きいと思う」
「特に黒森峰はスコープドッグのカスタム機を、それもターボカスタムを乗りこなすのに熟練していたからなおさらかしらね」
「……もしかして、操作感の違いですか?」
優花里が言うのにみほは頷いた。
「うん。特にウチみたいな尖ったカスタムのATを乗りこなす訓練を重ねてきた学校には、僅かな機体の操作感の違いは大きく響くから」
「確かに黒森峰はここ何年もスコープドッグのターボカスタムがATの8割以上を占めるという、極端に偏った編成で試合に臨んできてました」
優花里は過去に何度も繰り返し見てきた全国装甲騎兵道大会の試合の様子を思い返した。
「私の記憶が正しければ、たしか西住殿も去年まではステレオスコープ仕様のATM-09-STTCに乗ってましたよね」
「うん。私も、まほ隊長も、みんなスコープドッグのターボカスタムに乗ってきた。例外はトータス乗りのエリカさんぐらいかな」
「……ATなんてどれも同じじゃないのか?」
横でじっと黙って聞いていた麻子が、小首を傾げた。
確かの彼女のような天才ボトムズ乗りには、些細なATの操作感の違いなど屁でもないだろう。
だが――だ。みほは首を横に振る。
「確かに大まかな操作法はどのATも共通で、だから基本的な操作法さえ知ってればどんなATにも乗れるんだけど……」
「ただ乗るのと、乗りこなすこととの間には天地ほどの隔たりがある……ということですわ」
これには外野で聞きに徹していたエルヴィンが何故かうんうんと首肯した。
「戦車で例えるなら、Ⅳ号とティーガーの違いだな。戦車という点では同じでも、操作感はまるで違う」
「自動車もおんなじだよ。軽と大型の四駆は同じ自動車でも違うからね」
ナカジマも続けて頷いた。
「無論……弱くなったと言っても黒森峰。わたくしたちが敗北したように、依然その力は圧倒的」
ダージリンが指摘の通り、現実に黒森峰は並み居る強豪を撃破して決勝まで駒を進めているのだ。
『弱くなった』といってもそれは飽くまで黒森峰基準でしかない。殆どの高校生ボトムズ乗りは、黒森峰の選手達には手も足も出ないだろう。
しかし、そんな彼女らにも『
機種転換による操作感の違いが、彼女らの優れた操縦技術を却って損なっているという事実。
もしも大洗に勝ち目があるとすれば、そこを突くしかない。
「それにしてもなんで黒森峰は使い慣れた――」
――スコープドッグを捨てて、ブラッドサッカーに乗り換えたんでしょうか?
優花里がそう口に出しそうになった時、彼女はみほの表情が暗くなったのに気づいた。
その訳を理解し、優花里は慌てて己の口を手のひらで閉じた。
慌てて青くなった優花里に、みほは『気を使わせてゴメン』と伏し目がちに顔を赤らめた。
(……事実は事実なんだから、受け入れなきゃいけないのに)
みほは胸中で己の心の弱さを恥じた。
黒森峰の機種転換の理由……それはみほの去年の決勝戦での振る舞いにこそあるのだから。
完璧なる戦士、完璧なる編成
だが果たしてそんなものがこの世に実在するのか
綺麗に並べられ立てた数字の連なりだけが、全てを証明するのなら
人の苦悩はかくも深く、重く、そして長くはない
それでもなお、求めうる最善を求めて
戦士は己が心の刃を磨く
次回『パーフェクトソルジャー』 いかなる時も、いかなる場所でも